7th Anniversary of the Cosmic Seonghwa of the True Parent Sun Myung Moon 08/17/2019
訓読:天聖教
③霊界の空気は愛である
③霊界の空気は愛である
霊界はどのような組織から成っているかといえば、あの世は空気が愛です。愛が空気になっています。心と体が愛の感触を受けて和合できる要素として、この地上で体恤されなければなりません。体恤圏をつくっておけばそのまま通じない所がないというのです。木の樹液が木の芽と根に通じるように通じるのです。神様が喜ぶのを自然に感じます。東方で神様の祝宴が催されるのが分かるのです。そこに行こうとすれば、さっと行けます。自由天地です。(162-287,1987.4.1)
霊界で呼吸する空気は、愛から成っています。愛によりすべてのものが生まれ、愛によって生き、愛によって「ため」に生き、愛の道理で和してその内容を満たしてこそ、神様が今まで歴史時代に願った希望の実体を完成したという格位を備えるようになり、天国のどこに行っても歓迎されるのです。(143-72,1986.3.15)
霊界は、愛の成分で覆われている所です。地球は空気で覆われていますが、霊界は愛で包まれている所です。人間は、地上では空気を吸ってガスを吐き出すのですが、霊界では愛を吸って生きるようになっています。霊界は、今日のような人間の世俗的な愛を中心として 受け受けするようにはなっていません。霊界で与え受ける愛は真の愛なのです。 (145-267,1986.5.15)
皆さんをたたいて、純金をつくらなければなりません。純金をつくるのです。そして、犠牲になりなさいというのです。自分を犠牲にしなさいというのです。自分がなくなるように、死になさいというのです。自分をなくしなさい、自分を犠牲にしなさい、犠牲にしなさい、なくしなさい、ゼロになりなさいというのです。
このごろ、なぜ宇宙時代に入り、電気時代に入ったのでしょうか。このような時代が近いから、そうなのです。「原理」でいえば、真が来る前に外的なもの、カイン的なものが先に来るというのです。この世がカイン的なのです。このように見ると、神様の愛の電気学を語ることにおいては、レバレンド・ムーンが先祖になるでしよう。(112-19,1981.3.15)
霊界に行けば、原則にどれだけ同化し、どれだけ一致したかということが、地獄から中間霊界、楽園、天国まですべて連結されるのです。そのような原則がなければならないのではないでしょうか。そうかといって、アメリカ大統領をし、世界的なノーベル賞もらい、世界的に有名な学者だからといって霊界に行けば、天国に行けるのでしょうか。行くことができないのです。
それゆえに、宗教界は、すべてのものを捨てなさいと教えるのです。すべて捨てていかなければなりません。
それでは、何が最も貴いのでしょうか。天のためにどれほど苦痛を受け、この世界のためにどれほど苦痛を受け、どれほど涙を流したか、それがあの世をパスするチケットです。これは間違いありません。これは理論に合うのです。(97-172,1978.3.15)
霊界で、永遠の世界に拍子を合わせるために、再生のために、息が詰まり、窒息して注射を打ち、酸素呼吸する皆さんになりますか、自由に活動できる、自由な神様の愛の圏で暮らせる皆さんになりますか。
ここは、世界のために生きなければならないので、これが生涯の行く道です。将来のために行くことが、生涯において行くべき必然的な道だということを皆さんは知らなければなりません。(107-56,1980.1.20)
④霊人たちの生、霊人たちの相互関係
神様は、天地を創造なさった方であり、この世の存在の起源となる一番の母体となられる方です。その方は、存在価値の起源です。その方がいらっしゃるので、今日この現象世界が始まったのです。そのような絶対的な方は、ある時代に変化があるといって変わる方ではありません。絶対的なものは変わることがありません。すべての制限を超越した位置で、すべての制限を主管される方です。そのようなう方とは誰ですか。「神様」とだけ言うのではありません。 その方は、「お父様」です。
皆さんは「父なる神様」と呼ばなければなりません。そのお父様は、皆さんを生んでくれたお父さんです。 人間が堕落したので、「再び生む」という 言葉が必要なのであって、その方は本来、皆さんを生んだお父さんです。肉身のお父さんは、皆さんを仲介するお父さんです。そのお父さんは、霊界に行けば、お父さんというのではなくお兄さんと呼ぶようになっているというのです。お母さんも、お母さんと呼ぶようになっていないというのです。(212-49,1968.11.24)
霊界に行けば、アダムとエバも神様に対して「お父様」と言い、数千万代の子孫である皆さんも神様に対して、「お父様」と言うでしょう。「兄なる神様」と祈祷しますか、「父なる神様」と祈祷しますか。
それでは、自分のお父さんは何になりますか。霊界に行けば、お父さんが何になりますか。お兄さんです。お兄さんとは何ですか。私より先に生まれたのがお兄さんです。私より先に生まれたのがお兄さんだというのです。
それゆえに、内的なお兄さんが神様で、外的なお兄さんが自分のお父さんだというのです。それ以上の理論を立てられないことを知らなければなりません。(302-168,1999.6.13)
父母の根をもった人々が、神様を何と呼びますか。キリスト教で呼ぶように、みんなが神様を「お父様」と呼びます。一つの家庭で、おじいさんも神様を「お父様」と呼び、お父さんも神様を「お父様」と呼びます。孫も、や はり神様を「お父様」と呼びます。家族みんなが神様を「お父様」と呼びます。
このように神様は、すべての人間にとってお父様になられる方です。したがって、神様は人間にとってお父様になり、人間はお互い兄弟になるのです。先生は時々、本当にそのようになるなら、霊界に行けば実におもしろいだろうと思うのです。(212-49,1968.11.24)
私たちの最初の先祖まで私が見ることができるのに、先祖を造られた神様は見ることができないのでしょうか。神様も見ることができるのです。それは、何の話か分かりますか。ですから、家庭というものは何かというと、見えない神様の愛の表現場所です。愛を中心として歴史時代に生きたすべての先祖は、愛の統治をあの世で受けているのです。同じ愛です。(214-268,1991.2.3)
すべての家庭が真の愛で一つになって霊界に入っていけば、神様の血肉を食べて永遠に生きるのです。そこに入っていけば、農作業もなく、仕事がありません。真の愛の食べ物は、匂いをかいでも永遠に生きることができ、見るだけでもおいしいというのです。愛の食べ物を分けて食べるのです。神様の体、血肉と愛を分けてもらって生きるのです。(278-286,1996.5.26)
神様とは誰ですか。あなたの友人です。最も高貴なる友人だというのです。そして、お兄さん、お父さん、王であり、創造主です。
ですから、皆さんが膨大な霊界の天国世界に入っていくようになって、そこでそれ以上のものを神様に願ったとしても神様がつくってくれるというのです。それは問題ないというのです。それはどんなに誇らしいでしょうか。その位置は、神様の代わりの位置です。その位置に行った人間を神様が憎むでしょうか。いいえ、「私の息子、ナンバーワン、私の息子」と歓迎するというのです。これが父母が願う最高の望みです。(293-161,1998.5.26)
地上世界で親子関係の愛を貴く思うように、愛をもって生きていけば、天上世界でも神様を父母として侍って息子、娘のような立場で生きることになるのです。これが堕落しない家庭で生きる生活と同じであり、性格、性稟が似たのであらゆる方面で会うのです(214-268, 1991.2.3)
堕落しない家庭は、霊界と肉界のすべてに通じることができます。「あのおじいさんのお父さんは誰かな」と思えば、見ることができるというのです。また、あのおじいさんのおじいさんが誰なのか、4代前の先祖が誰なのか、5代前の先祖、100代前の先祖、1000代前の先祖、その次の先祖まで見ることができるのです。
そして、「アダムとエバはどんな顔つきかな」と考えれば、「このような顔である!」と現れるのです。「私の目もアダムとエバに似ているなあ、私の鼻も似ているなあ、私の口も似ているなあ!」となるのです。輪郭が似ているでしょう。顔にあるものの種類は、4種類しかありません。もっとありますか。目、鼻、耳、口の4種類でしょう。「ああ、手足も同じだ! 私のように目もばちばちしている! 言葉も話している!
そっくりだ! ああ、こんなに似ているんだなあ!」というようになるのです。(214-268, 1991.2.3)
あの世では、しわくちゃのおばあさん、おじいさんが皆さんより、もっと美しいのです。もっときれいなのです。 愛があれば、そのような世界にとどまれるのです。そこは統一された世界で、とても美しい世界です。それで、おばあさん、おじいさんに会って昔のおじいさん、おばあさんのように思って行動できますか。美しいおじいさん、おばあさんを見ればどんなに良いでしょうか! 孫娘が来て、おばあさん、おじいさんに会おうとして叫んでいる光景は、霊界では見物です。
それでは、おじいさんが好きならば、そのおじいさん以上のおじいさんは、誰ですか。自分の先祖のおじいさんは、誰ですか。最初のおじいさんは誰かといえば、神様です。それで、おじいさんが喜んで、「神様、ああ、とっても良いです」と言えば、神様が「ウェルカム」と言うのです。大声で「ハハハハ!」と言えば、神様が「うん、そうだとも!」と言うのです。(216-180,1991.3.10)
皆さんが霊界に行ってみれば、この地で生きた皆さんのおじいさんやお父さんを見分けられません。なぜなら、そのおじいさんとお父さんが若くてすてきな姿に変わっているからです。老いた姿ではありません。そのように若いおじいさんなので、初めは見分けられませんが、徐々に徐々に話をしてみれば、「そうだ、それは合っている。 だから私のおじいさんだ」と言って抱き締めるのです。そのような世界です。(271-333,1995.9.3)
霊界に行けば、皆さんの顔は、最も美しい20代の青春に帰るのです。愛の花を咲かせることができ、香りを漂わせることができる時期が創造の原則なので、その本郷である天国に入っていくようになれば、そのような顔で帰るのです。
それで、世の中で年老いた人があの世に行けば、会っても分からないのです。20代の青年の顔に戻るからです。知っているのは80になった老人として知っているのに、その老人はいないのです。ですから分かりません。
世界の有名な歴史的な人物も、あの世に行っているのに分からないので す。写真を見て、その時死んでいった年齢を知っているけれども、最も美しい時に戻っていくので分からないのです。(271-124,1995.8.23)
霊界で最も近い兄弟は、誰でしょうか。霊界で最も近い兄弟は、横的な兄弟ではありません。この世で親子の関係と兄弟の関係の中で、どのような関係がもっと近いですか。兄弟の関係より親子の関係がより近いので、霊界に行っても私のお父さんが最も近く、その次はおじいさん、その次はおじいさんのおじいさん、またその上のおじいさんになるでしょう。
そのように上がっていけば、最後のおじいさんは誰でしょうか。その方が、正に神様です。したがって皆さんは、この世に友人がいないといって寂しく思うこともなく、一人で暮らしたのちに死んだとしても悲しむこともありません。霊界に行けば、上を見ても、横を見ても、近い兄弟が無尽蔵にいます。しかし、ただそのまま兄弟になるのではありません。
神様を父として侍ることができる特権を備えてこそ、そのすべての人と兄弟になれるのです。お父さんをお兄さんとし、おじいさんをお兄さんとしたからといって、気分が悪いことがあるでしょうか。気分が良いでしょうか、悪いでしょうか。考え方によれば、気分が悪いのです。世の中ではお父さんと呼ぶのに、霊界に来たからといってお兄さんと呼ぶのですから、お父さん はどれほど気分が悪いでしょうか。しかし、そのように呼ばなければなりません。(21-246,1968.11.24)
霊界に行けば、黒人はどうでしょうか。黒人は黒人でしょうか、どうでしょうか。自分の願いどおりに、黒人が白人の姿になろうとするなら、いくらでもなれるのです。人間の世界で成し遂げられるただ一つの問題は何ですか。光が明るくなければなりません。何の光がですか。愛の光です。愛の光が明るくなるためには、内的にも外的にも燃えなければなりません。愛するための発動力によって燃えなければなりません。東西にたくさん吹き出さなければなりません。そのようにできる愛だというのです。そのようなことをすべて知ってみると、世の中の万事は、過ぎゆく一つの旅行地での出来事です。(194-56, 1989.10.15)
天国において美しい人になろうとするなら、愛の花がばっと咲いて、そこに和合し、相対的世界で花の美しさを現し、花の香りを漂わせ、その花を通じた新しい種をもつことができる、このような姿で地上で生きなければならないのです。そのように生きて霊界に行けば、永遠の世界でもそのような姿で現れるのです。(256-170,1994.3.13)
霊界に行くと、自分の夫と地上で愛した愛よりも拡大したい、より刺激したいと思うようになるのです。霊界に行けば、愛する女性がいれば、その中に男性がいるのです。(255-308,1994.3.11)
夫婦の愛は、どの境地まで入っていくのでしょうか。霊界に行けば、こうです。私は座っていても、夫が歩けば、私も心で歩きます。帰ってくれば、心で既に帰ってくるのが分かるのです。心の中で、夫と一緒に歩いているのです。どこから来るのかをすべて知っていて、どこへ行くのかをすべて知っています。この世では、男性が酒場に行ったり、どこかに行ったりしますが、女性は知らないので、わあわあ騒いでいつもだまされるでしょう? しかし、霊界に行けば、すべて分かるのです。(23皆さんは、あの世、霊界に行って神様に似なければなりません。神様に帰るのです。神様の二性性相、形状がびたっと一つになっているように、男性と女性が完全に一つになって、その殻で覆われたようになる時、この二人が一つになったその基盤の上で神様に帰るのです。(230-201,1992.5.3)
霊界に行けば、本当に一心同体になった夫婦は、いつでも男性が女性になり、女性が男性になれるのです。「愛は一体」と言うでしょう。女性の心をのぞいてみれば、男性が入っています。夫が入っているのです。
神様の二性性相と、ちょうど同じです。性相と形状、それが分かれて出てきたのですから、その本体に帰るには愛のかけ橋を渡らなければいけないでしょう。創造の基準が愛から始まったので、この架け橋を渡って帰らなければなりません。結局、終着点では神様のようになるのです。(205-97,1990.7.7)
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