2026年7月16日木曜日

キリストへの愛、宝血のメタノイアと讃美 ◆2026年7月2日台湾聖殿 韓国語木曜礼拝<1> 文亨進二代王

キリストへの愛、宝血のメタノイアと讃美

2026年7月2日台湾聖殿 韓国語木曜礼拝<1>

文亨進二代王

台湾聖殿韓国語木曜礼拝2026年7月2日 

翻訳minion

宝血のメタノイアは罪人と知ることから


聖歌隊が上手ですね。信宮は自信を持って歌えるようになったね。

この子は、キリストの宝血を本当に愛している。自分が罪人であることを知っている。あの連中は、自分が罪人であることを分かっていない。

自分が罪人であることを知り、それから真心から悔い改めることを、ただ自分が罪人であることを知って、そこで止まってはいけない。私たちが罪人であることを知り、多くの罪、隠された罪があることを知り、ああ、悔い改めながら・・・


悔い改めとは何ですか?「メタノイア」、メタノイアと言ってみなさい。メタノイア、一度言ってみなさい。メタノイア、


その言葉は何ですか?心を変えること。人生と心の方向を変えること。

自分が罪人であることを知り、その次に悔い改め、その悔い改めの中でずっと自分を責め続けることではありません。

ずっと自分を責め続けていたら、悔い改めはできず、これは自己中心的な否定的な偶像崇拝になってしまいます。私たちは自分が罪人であることを知り、悔い改め、神の恵みによって赦しを受けたではないですか。私たちがこの赦されるに値する者だからではなく、私たちの神の恵みと愛、そしてキリストの宝血、その宝血のおかげで私たちは赦されるのです。そうですね。


だから、その宝血によって赦され、それから、自分の悔い改めの内容は何ですか?自分を責め続けるのではなく、今や、キリストの宝血を見なければなりません。キリストの宝血が私たちを洗ってくださり、キリストの宝血が私たちに赦しを与えてくださいます。そうですね。


悔い改めの比較はパリサイ主義、サタン主義


罪と罪人であることを悔い改める人々は、多くの人がその罠にはまります。

日本のお姉さんたちがよくこれに陥りますね。自分が悔い改めながらも、自分がどれだけもっと悔い改めることができるのか、他の人と比較するようになります。

それでは、これは神様に悔い改めるのではありません。悔い改めの競争になってしまいます。これはサタン主義。これはパリサイ主義。サタン主義。

自分がどれだけ悔い改めることができるのか、それをどれだけ多くできるか、それは神様が見ていることではなく、悔い改めが真実かどうか、神様はそれを見ておられます。そうですね?


どれだけ多く、この息子、娘たちが何回悔い改めたか、実際、父親はそれは気にしないでないですか。偽物でなければ。そうですね?父の立場から。


しかし、その悔い改めが真実かそうでないか、これが、お父様が私たちの心をすべて見ておられるではないですか。

これが最も重要です。悔い改めには。


信宮もそのような訓練をしているから、今や二代王は、叔父さんから指摘を受けたり、そういう訓練をしているので、讃美をする時は、はるかに上手く。

この子は、専門家の声ではありません。訓練を少しすれば良くなりますが。しかし、キリストの宝血を愛する心からそれが出てきます。

だから、この子は完璧ではありませんが、そして、発展することはできますが、それでも、訓練する時にも、悔い改めの罠にはまってはいけません。 

悔い改めは競争ではありません。

そうですね?


これをものすごく、1世の、特に日本のお姉さんたちが、これにものすごくはまります。悔い改めながら、自分がどれだけ悪いか、他の人よりもっと多くしなければなりません。これではいけません。


それではこれは、否定的な偶像崇拝、自分を偶像崇拝することになってしまいます。

そうなると、これは神様への本当の悔い改めではなく、他の女性たちとどれだけ自分が比較して悔い改めることができるか、このようになってしまいます。

それは実は、罪になります。罪。どういうことか分かりますか?


だから、このような霊的な訓練で、このような鋭敏なことがたくさんあります。

だから、霊的な訓練は気をつけなければなりません。霊的な訓練は危険な世界です。危険な世界。間違えるとサタンになってしまいます。

そうですか?そうではないですか?


讃美は宝血に対する愛で


だから、こういう讃美のときも、あの子も讃美を歌う時、だんだん恵みに満ちてきて、自分を捨てて、自分の声を大きくして、あの子も、その声をずっと飲み込んでいました。

だから、二代王の訓練を受けて、叱られて、指摘されて、「声を飲み込むな」と。誰がお前に声を飲み込めと言ったのか。神様が与えてくださった讃美の声を開かなければならない。

だから、だんだん自分でそういう訓練をしました。もともとすごく恥ずかしがり屋で、しかし、「はい、はい、わかりました」。このようにしますね。


李会長もこれをご覧になったでしょ。自分が一生懸命その訓練をするのです。だから、讃美する時も、実は歌う人たちの心が重要なのです。讃美する時。

歌手たちが讃美歌を歌うと、ずっと上手に歌えます。でも、それは偽物です。

キリストとは関係がないから偽物だ。

そして、宝血に対する愛がなければ、偽物です。そうですね?


しかし、キリストの宝血を愛する者たちが歌う時、それが天を動かし、天を感動させます。

そして、声の場合、訓練すれば良くなります。もちろん、限界もあります。ホイットニー・ヒューストンのような場合は、プロの歌手たちですから、神からの声の賜物も受けて、また多くの訓練もしたので。しかし、訓練すれば皆上達します。少しだけでも上達できます。

完全に専門家、歌手レベルには達しなくても、ずっと良くなります。

王妃の歌声もずいぶん良くなりました。訓練を受けて。完全な専門家というわけではありません。しかし、ずいぶん良くなりました。本当に良くなりました。


その訓練を通して、私たちのレベルは、神様が決めることですが、トップ、世界レベルなのか、国のレベルなのか、州レベルなのか、村レベルなのか、それは関係ありません。それはすべて神様が決めることです。

でも、訓練がなければここ(下の方)です。そうですね?はい。だから、訓練すれば上がります。


神は完全な光、罪があれば神の近くに行けない


だから、今日は讃美について、今日は勉強しなければなりません。讃美について。今日は、何ですか?詩篇99章。詩篇99章と100章。一度、韓国語で見てみよう。讃美を、99篇と100篇。


それからこれは、少し神学的な勉強をして、その次に、若者達、ビクター・ムン、ビクター・ムン。

どこだ?99篇。


詩篇99篇です。

1主は王となられた。もろもろの民はおののけ。主はケルビムの上に座せられる。地は震えよ。

2主はシオンにおられて大いなる神、主はもろもろの民の上に高くいらせられる。

3彼らはあなたの大いなる恐るべきみ名をほめたたえるであろう。主は聖でいらせられる。

4大能の王であり、公義を愛する者であるあなたは堅く公平を立て、ヤコブの中に正と義とを行われた。



ストップ。「彼らはあなたの大いなる恐るべきみ名をほめたたえるであろう。主は聖でいらせられる。」

そうですね。主は聖である。だから、私たちは讃美しないで神様の側に行くことはできません。

だから、まず私たちは讃美について神学の勉強をして、次に訓練をします。若者たちと年を取った方が一緒にすることができる讃美統一原理気功訓練。 

年を取った方たちが少し難しくないようにして、若者たちに対しては少し難しくし

ます。

若者たちは少し難しいことをしなければなりません。体も痛くて。まず、神学的に勉強して次に訓練に入りましょう。OK?とりあえず、清らかです。

だから、神様は聖でいらっしゃるのです。

神様は完璧に清くて、完璧に聖でおられるので、神様には罪がありますか?ありませんか?(「ありません。」)

ありません。


つまり、「罪そのものは神様のそばに行くことができない」ということです。そうですか?そうではないですか?


私たちは中国で、蝋燭の光、蝋燭の光の中に、闇が少しでも入り込む余地があるでしょうか?ありませんか?(「ありません」)。

その蝋燭の光の中に闇が入ることはできないのです。そうですか?そうではないですか?闇が入ろうとしても、焼き尽くしてしまう。


見てください。見て。ろうそくの光を見てください。そうですね?闇がそのような光の中に入ることができますか?できませんか?できません。そうですね?

これは例え話です。例え話です。神様は火よりも千倍、万倍、億倍。無限に、光が完璧でなければなりません。そうですね?

光が完璧で、さらに聖なるものです。そうですね?


こんな小さな光の中にも闇が入り込むことができるのに、どうして神様の光の中に闇が入りますか?そうですか?そうではないですか?(「そうです」。)

この光は小さいではないですか。そうですか?そうではないですか?そうですね?


これを、神学的に理解しなければなりません。この小さな光の中にも闇が入り込めないのに、どうして神様の光の中に闇が入ることができるのでしょうか?話になりません。そうですね。


だから、私たちは罪があるので、神様のそばに行けるでしょうか?

私たちの能力で?できないではないですか。神様はこれよりも億倍、万倍、兆倍、永遠倍。もっと清いではないですか。もっと輝く光ではないですか。

この小さなろうそくよりも。そうですね?

この小さなろうそくの中にも闇は僅かも入り込めないのに、どのようにしてこれよりも無限倍も清らかな光の中に、闇が入るのですか。そうですか?そうではないですか?


だから、私たちは罪人として、神様のそばに行くことはできません。行けないのです。だからこそ、私たちにはメシアが必要なのです。メシアの光も神様から来るではないですか。メシアの光も完璧です。。


メシアの宝血が私たちを覆ってくださる

(14:52)翻訳clean

だからメシアが、私たちが悔い改めながら、私たち罪人が悔い改めて、黄金色のボタンを押すようなものですね。

メシアの宝血を見ましたね。宝血。メシアの宝血が私たちを覆っているじゃないですか。その宝血から何が出るのでしょうか?その宝血から何が出るか?


神様の、驚くべき、何ですか?光、光です。愛の光、恵みの光、赦しの光などなど、そうですね。神様の光がでてきます。、

つまりその宝血が私たちを覆っているから、たとえ私たちが罪人であっても、その宝血が私たちを覆っているから、私たちから何が出るのでしょうか?神様の血。分かりますか?(「アーメン」)

そのメシアの宝血によって、七死復活の宝血のおかげで、私たちは神の傍に行くことができるのです。そうですね?


この宝血の犠牲と愛の光が、私たちの闇と罪を覆ってくれるからです。分かりますか?

つまり、私たちの能力で神の光の傍に行くことはできないのです。そうですね?

私たちの能力では神の光の傍に行くことはできません。そうでしょう?


「主は聖なる方である」。こう書かれていますね。ですから、讃美とは、つまり聖書が言うように、私たちが神の傍に行った時、私たちは讃美と感謝をもって、主の傍、主の大庭へと入ったのです。

見てみましょう。どこだったか。


これは100篇。100篇ですね。よし、では詩篇第100篇に行きましょう。

100篇。4節。100篇。一度、読んでみてください。短いので一度読んでみてください。全部。


詩篇第100篇です。

1 全地よ。主に向かって喜びの声をあげよ。
2喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。
3知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。
4感謝しつつ、主の門に、讃美しつつ、その大庭に、入れ。

OK。見ましたか?ああ、感謝をもって何と言いましたか?その門に入り、そうですよね?

讃美をもって何と言いましたか?その宮殿(大庭)に入って、つまり、私たちは自分たちの資格で神の宮殿に入ることができますか?できませんね。


これはただ、感謝と讃美とは何だ?感謝と讃美とは何ですか?これは宝血を受けた人ですね。

宝血を受けていない人、神様の前で悔い改めず、宝血を受けていない人が、どうして神様に感謝し、讃美できるでしょうか?分からないでしょう。何を讃美しているのか。そうですね?


すべての讃美と賛歌とは何でしょうか?感謝の祈りです。簡単に言えば、私たちが瞑想の訓練をする時、何をしますか?「吸って、生きている」。息を吐く時は何ですか?感謝。「お父様、感謝します」。

すべての讃美はそれなんです。4節。感謝。感謝です。真の讃美とは、感謝の歌なのです。そうですよね?


感謝。主の犠牲の愛を受けた者として、私は受けるに値しない者なのに、キリストの犠牲の血を受けた者として、感謝を讃美するのです。

すべての真の讃美は感謝の歌なのです。根本的に。

根本的に、すべてが感謝と讃美によってどうなっていくのでしょうか?ああ、主の宮殿に入るのです。宮殿へ入るため。


讃美は、そういうパワーです。讃美とは、神の宮殿に入ることができる、何ですか?

宮殿に入る時は、讃美と感謝をもって入らなければならないということです。そうですね?


だから、讃美はそんなパワーです。神様を讃美することは、神への感謝。

お父様、ありがとうございます。お父様、愛しています。お父様、ありがとうございます。

こういうことですね。実際。

すべての讃美を深く掘り下げてみると、どれもそうなんです。そう、そうですよね?本当の讃美は。


世俗的な音楽を見れば、いつも姦通とか、いつも男と、してはいけない恋に溺れたり、いつもこういう偽りの姦通の内容じゃないですか。自分の快楽や、自分の物質的なものを、満足させようとする欲望。


讃美はそうじゃない。讃美は全く違います。讃美は、ある意味、つまり祈り、瞑想です。

わかりますか?


だから、讃美は、100篇で、「感謝でその門をくぐり、讃美をもってその宮に入り、感謝してその御名をほめたたえよう」と書かれています。

つまりこの讃美で、こうして行うのです。


統一原理讃美・瞑想・気功訓練基礎講座


訓練は何でしょうか。訓練をあまりに長くやりすぎると、食口たちが3~4時間も見ていられないので、前の方で少しやらなければいけません。

若者達が食口としてやって来た時、私たちの讃美・瞑想・気功の訓練も始めるつもりだ。オーケー?


それから、みんな出てこい。さあ、若者達、出てこい。若者たち、出てきて。若者達、出てきて。出てこい。お前たち!ああ、本当に、いつも空気をうかがってるな。

武術をやってる連中、出てこい、出てこい。お前たち出てきて、OK。訓練を受けて、お前たちはそこにいて、じっとしていて。

こいつらは訓練を受けて、じっとしてみて、OK。それから、訓師候補者たちも出てきて。訓師も出てきて。


さあ、李会長も出てきてください。さあ。ああ、OK。

今、食口たちが後ろから見ているから、さあ、えっと、、訓師候補者の皆さん、会長、前に来てください。

若者達は後ろへ、後ろへ。若い人たちは後ろへ。OK。

若い人たちの訓練はもう少し大変になるでしょう。そう、OK。

私たちが讃美する時、その食口たちがみんな私たちと一緒に見ています。オーケー。

讃美する時、私たちはただ声で讃美するだけではないです。

私たちの体も神様を讃美できます。そうですね?


だから、統一原理を一度描いてみましょう。統一原理、ちょっと場所を作って。大きく、大きく。統一原理、これは何ですか?授受作用ですね。授受作用。大きな円ですね?その次に、四位基台がありますね。四位基台。その次に、神様の真の愛を相続します。

アジュー。


そうですね。その小さな動きの中に、様々な、姿勢があります。讃美する時、この姿勢、この姿勢、これらの姿勢はそれぞれ異なります。

それぞれの姿勢が異なる内容を表します。象徴しています。そうですよね?


皆さん分かるでしょう。もし人が、まるで脅迫的に、こんな風に振る舞ったり、手を上げたりしたら、私たち分かるじゃないですか。この体がもう語っているじゃないですか。そうですね?

これが何をしているのか、つまり私たちの心だけが神様に讃美しているのではなく、私たちの体もあります。体も。体も讃美の訓練の中に入ります。わかりますか?


年配の方々は、ちょっと、簡単に、もっと簡単にやりましょう。簡単に、あまり難しくしすぎる。若者達には少し難しくするつもりです。そう、痛く、痛くするかもしれませんが、訓練ですから。


でも、まずは姿勢を見てみましょう。ゆっくり姿勢を見てみましょう。私たちの原理、初めてする時、これがあるじゃないですか。両手を上げるこの姿勢、これは一つの姿勢です。そうですね?

この姿勢の中には二つあります。二つです。この姿勢の中で、神様を、神様に触れようとして、触れようとして、神様に触れようとしています。そういう姿勢がありますね。

「神様、本当に私は神様に触れたいです。」そうですね?上がろうとするその姿勢、そうですね?

その姿勢の中にも、そう、そうじゃない?

それから、その姿勢の中にも、神様への感謝と栄光、これ、手を回すだけでも神様への感謝と栄光が入ります。そうですよね?手を回すだけでも。

このようにすれば、神様へ、神様に触れようとして、私は神様に……神様の、神様の、神様のそばに行きたいという願い、そうですよね?それを表しているじゃないですか。そうですよね。


そして、その中にも、こういうことさえすれば、神様に捧げることになります。捧げるのです。すべてを神様に捧げるのです。そうですよね、違いますか?そうですよね?

それから、ここへ、円に授受作用の中に入ってきて、ここで止まると、ここで止まると、これは何でしょう?二つありますよね?ここで止まると、「退け」という意味です。「退け」。これは「悪魔たちよ、退け」となり、また、こう回すと、こう回すと、これは、十字架です。

十字架、十字架じゃないですか、これ。神様、私を十字架へと導いてください。こういうことじゃないですか。そうですよね?

私たちが主に従うなら、どうすればいいですか?

私たちが十字架を背負って行かなければならないじゃないですか。そう言っていますね。


その言葉は何を意味するのでしょうか?私たちは十字架を背負うことを恐れてはいけません。

これは主に従う道における、それ、責任です。十字架を背負って行かなければなりません。

ですから、十字架に架けられ、主のように死んでも、私たちは感謝の心で主の前に栄光を捧げます。「ありがとうございます」。そういうことですよね。そうですね?


ですから、ここに来た時、私たちの食口も皆一緒にできます。ここに来た時、これは何だ、十字架。そうですよね?十字架。これ、これとこれと似ていますね?そうですね?


これは「私のすべてを神様に捧げます」という、十字架を背負いますので、私を、殺そうが何だろうが関係なく、神様に全て捧げます。こういうことですね。

それは、七死復活八段完成であり、お父様の万個の十字架を背負って努力された心ですね。イエス様のように。そうですよね。



はい。そう、ここにもあります。ここ。

だからここも、ここも、それから下にもここも、ここもあるじゃないですか。ここ、ここはどんな意味ですか?

これ、これは食口に見せるため、ここですべてが見えますよね?すべてを、神様が与えたいと思っておられるものを、すべて受け入れます。


その言葉は何を意味しますか?良いことだけじゃない。神に従う者たちが、どうして良いものだけを受け取れるか。

辛いことは当然受けなければならない。なぜ?神を憎む者たちがたくさんいます。


だから私たちは、神様にこれをする時、「お金ください。お金ください」と言うのでない。違います。

「お金ください。お金ください。」そのように自分の欲望や快楽を満たそうとしているのではないのです。


この姿勢は、つまり「すべてを受け入れます。神様が望まれるすべてのもの、苦難であれ幸福であれ、喜びであれ苦労であれ、関係なくすべてを受け入れます」。

そうですね?こういう姿勢です。


それから、私たちの「授受作用」、その次は「四位基台」ですね。四位基台は全く同じです。四位基台も、また四角い形をここにぴったりと、こういう感じで、「こういうもの、全部お捧げします」という意味。


そして、「お受けします」という意味は、良いものだけを受け取るのではなく、悪いものも受け取ります。辛いことも受け取ります、ということです。ですから、こういう姿勢も、神様の前にお捧げするのです。

それから、上がっていく時、この四角を作る時、これです。

これ何ですか?これ、「栄光、栄光、栄光をお受け下さい」ですね?

栄光、栄光をお受け下さい。それからまた戻ってきた時、「お父様、ありがとうございます。感謝します。お父様、愛しています。」こういうのが全部入っています。そうですね?


だから、統一原理の中でも様々な姿勢があるのです。だから、讃美や瞑想の訓練をする時、私たちはこの姿勢を、使えばいいのです。OK?


その讃美を一度準備して。讃美を一度、讃美を一度流して練習しよう。オーケー。讃美を一度流して。ちょっと準備しておいて。


讃美するとき、私たちはこの姿勢を変えながら、私たちの体と心を、他の姿勢で訓練するのです。

それから、一番難しいのは何か?私たちの讃美、讃美は何でしょう?

讃美は武器になります。武器、そうですね。サタンを打ち負かすことができる武器。


なぜ?讃美する時・・・サタンは私たちの脊椎を、コントロールしようとしてくるじゃないですか。だから、私たちの脊椎が、恐怖がある時、緊張がある時、恐怖がある時、私たちはどうしますか?私たちは怖がりながら、私たちの心情も慌ただしくなり、呼吸も荒くなり、これ全部勉強して、これ全部聞きましたね?教育全部受けましたね。

そうしてどうなるでしょうか?

私たちはこれから逃げようとして、逃げようとしたり、あるいはそういう状況から避けようとしますね?焦って。

でもそんな状況で「ああ、神様は私に何を求めているのか、讃美しろとおっしゃっている」と考えます。


ですから、ストレスの状況でも私たちは「お父様、ありがとうございます」と言います。それも讃美です。これ、理解できますか?

私たちの瞑想の訓練も「お父様、ありがとうございます」。ふぅ、これも讃美です。

「お父様、ありがとうございます」。ふぅ、これは讃美です。

そうですね?

でも、音楽による讃美も、音楽による讃美も、私たちもストレスがある時には、私たちも「お父様、ありがとうございます。真の父母様、億万歳」の歌も歌うことができます。

歌「真の父母様億万歳~」、私たちが作ったあの歌ですね。歌い継いで。そうでしょう。

__________________________


0 件のコメント:

コメントを投稿