2025年12月11日木曜日

三代王権復帰摂理 ◆現代の洗礼ヨハネ摂理史 ◆講話:S講師


三代王権復帰摂理

現代の洗礼ヨハネ摂理史

講話:S講師


今回は三大王権復帰摂理からの抜粋で、

あまり知られざる内的教会史、

1945年当時の再臨主を迎える神の摂理についての復習です。


再臨主を中心とした復帰摂理における中心人物たちは、

まずは真のお父様がメシヤとしての公式路程を始められる前の

聖主教団教主の金聖道ハルモニ、

スウェーデンボルグ研究の第一人者白南柱牧師、

そしてエリアのごとき炎の伝道者李龍道牧師と、

公式路程を始められたのちの

以下の8つの摂理に分類される中心人物たちがいました。


①「イスラエル修道院」金百文牧師を中心とした復帰摂理。

②「腹中教」許孝彬女史を中心とした復帰摂理。

③「主なる神の夫人」朴ウルリョンハルモニを中心とした復帰摂理。

④韓国政界とキリスト教指導者を中心とした復帰摂理。

⑤大叔父・文潤國牧師を中心とした復帰摂理。

⑥キリスト教二世中心の摂理、梨花女子大・延世大事件

 朴マリヤと李起鵬夫妻、金活蘭学長、李承晩政権を中心とした復帰摂理。

⑦家庭の責任、崔先吉夫人を中心とした復帰摂理。

⑧崔先吉夫人の叔父・崔聖模氏を中心とした復帰摂理。


この中で今回紹介するのが

①「イスラエル修道院」金百文牧師を中心とした復帰摂理。

②「腹中教」許孝彬女史を中心とした復帰摂理。

③「主なる神の夫人」朴ウルリョンハルモニを中心とした復帰摂理。

の最も中心的な3つの摂理です。



真のお父様は生前「統一先生を研究しなさい」と語られ、

統一教会設立前の内的教会史の重要性を語られました。


それは復帰摂理を歩む私たちもまた必ず

真のお父様が通過されたような世界をいつか同じように通過するために、

お父様の個人路程を学ぶことによって、

今直面している私たちの試練は、

真のお父様がいついつ直面した試練と同じであると見極め、

お父様がどのように勝利されたのかを知ることによって、

私たちもまたお父様と同じように勝利するための教科書となるからです。


そのような比較のできない者の多くは試練に敗れ、

自分の個人路程を勝利することはできずに

サタンの軍門に下ってしまう運命にあるわけです。


それ故自分の弟子たちの試練に敗れる姿など見たくないお父様は

「統一先生を研究しなさい」と語られ、

勝利の方程式を私たちにお示しくださっているのです。



しかし真のお父様の内的教会史を学ばなければいけない理由は

決してそれだけではありません。

お父様が通過された試練を同じように通過する度に

私たちも弟子の位置から心情が次第次第に昇華され、

真の子女圏の心情まで復帰することができるようになるのです。


こうして内的教会史を何度も何度も繰り返し学んだ私たちは、

サタンによる試練に勝利するための勝利の方程式が身につくと同時に、

真のお父様との間で

真の実子圏の心情を復帰することができるようになるのです。

つまり真のお父様の真の子女となる道が開かれるのです。


それだけ内的教会史は重要なのであり、

今回の講義もまた非常に重要な内容を秘めていると言えるのです。


ぜひ内的教会史を何度も何度も学ぶことによって、

真のお父様が誇れる子女の道を歩まれることを期待してやみません。


再臨主を中心とする復帰摂理

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再臨主を中心とした復帰摂理における中心人物たちは、まずは真のお父様がメシヤとしての公式路程を始められる前の聖主教教主の

金聖道ハルモニ、

白南柱牧師、

李龍道牧師と、

公式路程を始められた後の、以下の①~⑧の復帰摂理に分類される中心人物たちがいます。 


①「イスラエル修道院」金百文牧師を中心とした復帰摂理

②「腹中教」許孝彬女史を中心とした復帰摂理


③「主なる神の夫人」朴ウルリョンハルモニを中心とした復帰摂理

④韓国政界とキリスト教指導者を中心とした復帰摂理。

⑤大叔父・文潤國牧師を中心とした復帰摂理。

キリスト教二世中心の摂理、梨花女子大・延世大事件

 朴マリヤと李起鵬夫妻、金活蘭学長、李承晩政権を中心

 とした復帰摂理

⑦家庭の責任、崔先吉夫人を中心とした復帰摂理。

⑧崔先吉夫人の叔父・崔聖模氏を中心とした復帰摂理。臨主を中心とする復帰摂理

三代王権復帰摂理

(1)第一次路程 1 信仰基台

再臨主を中心とする復帰摂理は、「真の御父母様の生涯路程」を参考にして見てい

きたいと思います。

             まずはイエス降臨時、洗礼ヨハネと同じ使命をもって神が遣わされた洗礼ヨハネ使命者たちは、1945年当時においては誰と誰で、それぞれがどのような信仰基台を打ち立てたのかについて見ていきたいと思います。


★主な摂理

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①金百文牧師と「イエス教イスラエル修道院」

②許孝彬女史と「腹中教」

③「主なる神の夫人」朴ウルリョンハルモニ

⑥キリスト教二世を中心とした摂理の再出発

  梨花女子大、延世大事件

  • ・1945年当時の洗礼ヨハネ使命者たちが男性を中心とした摂理では、白南柱牧師、李龍道牧師、金百文牧師たちがいました。

女性を中心とした摂理では、金聖道女史、許孝彬女史、主なる神の夫人朴ウルリョンハルモニたちでした。

  • サタン世界においては、女一人で国家を中心として戦ってはならず、必ず男と二人で一つとなって共同作戦で、一つの基盤を成さなければいけませんでした。

  • 文鮮明先生を迎える前に、まずは彼らが天の前に信仰基台を造成しなければい

けませんでした。 しかし・・・


白南柱牧師、金聖道女史、李龍道牧師、許孝彬女史


(1)第一次路程 1 信仰基台

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★白南柱牧師は金聖道女史、「聖主教」と完全に一つになるべきであったのに、分かれてしまいました。

⇒牧師たちの告発によって、金聖道女史は投獄され、100日以上の獄中生活の末、釈放後に1944年4月1日、62歳で病死しました。



★二つの教会、許孝彬女史の「腹中教」と李龍道牧師の「新イエス教会」を統一せよという、天からの教えがありました。

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西側集団「腹中教」が東側集団「新イエス教会」の所に行ったのですが、東側集団は受け入れませんでした。

⇒二つの集団の統一を成すことに失敗。


神の摂理、霊的な運動も金百文氏に移り、許孝彬女史も文先生を受け入れませんでした。

李龍道牧師は1933年にイエス様の年齢と同じ33歳で死亡。

1950年に韓国動乱が起きた時、許孝彬女史以下監獄にいたすべての腹中教信者を、共産党たちが後退する時、連れていって全部虐殺してしまいました。


★文先生による公式路程が出発する前に、洗礼ヨハネ使命者たちの中でも白南柱

  牧師と金聖道女史、李龍道牧師と許孝彬女史との間でも一体になれず、十分な

  信仰基台は造成することができていませんでした。

(1)第一次路程 1 信仰基台

①「イスラエル修道院」金百文牧師

1、信仰基台

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金百文牧師と「イエス教イスラエル修道院」

(1945.10~1946.4)

  • 李龍道牧師を中心として三代を継いで続いた人が金百文牧師。

この集団は洗礼ヨハネ格の集団。

  • 彼は天から「一つの修道院をもて」というみ言を聞き、そして「再臨主を迎えることができる勢力を準備しろ」という啓示を受けました。

  • 金百文牧師は神霊の面では、当時の既成教会の最高の信仰基準にありました。

  • 当時、金百文牧師は李承晩博士と近い立場にあったので、彼を洗礼ヨハネの立場に立ててみ旨を成すことができたはずでした。


◇三人の女性の証しと金百文牧師の祝福

  • ・文先生がその霊的集団から一人の男と、その男と一体になった三人の女を復帰することができていれば、エバの復帰のためのすべての条件を立てることができたはず。

  • 金牧師が文先生を祝福する前に、そこで文先生を証した三人の女性がいました。


(1)第一次路程 2 実体基台


2、実体基台

「イスラエル修道院」金百文牧師は、自らの祝福の真の意味が分からなかった

  • 金百文牧師と文先生はカインとアベル、洗礼ヨハネとイエス様のような立場。

  • 1945年12月25日、金牧師は天から啓示を受け、文先生に対して「ソロモン王のような使命を受けた方だ」と祝福。

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洗礼ヨハネがイエス様に引き継いだのと同じ役事。文先生は祝福を受け、金牧師がもっていたものを相続しました。


  • 金牧師が文先生にそのように祝福をすると、その集団で神霊的恩恵の役事をする婦人たちや食口たちすべてが「金先生に従わず、文先生に従え」という啓示を受けました。

  • 金牧師は、文先生に祝福をしましたが、その真の意味が分かりませんでした

  • 彼は、すべてのことを悟るために、文先生に質問をしなければなりませんでした。

  • 文先生は金牧師に18枚の手紙を書きましたが、金牧師はそれをみな破いてしまいました。


(1)第一次路程 3 失敗


3、第一次路程の失敗

金百文牧師の不信により、サタンの巣窟である北側に行き、新しい原理運動を展開

  • 金牧師は文先生に対して「ソロモン王のような使命を受けた方だ」と祝福をしたが、その真の意味が分からず不信することにより、男性を中心とした摂理は最終的に失敗に終わり、文先生はサタンの巣窟である北側に行くことに。

  • 米をトラックに積んでこようとして黄海道の白川に行く途中、車の中で「三十八度線を越えろ!」という天の命令を受けたのです。

  • 下がっていく時は、必ず最低の立場まで下がっていかなければなりません。そた

め、北側に行って、再び上がっていかなければならなかったのです。

  • 韓国キリスト教を中心としたみ旨の基盤がサタン側に帰してしまったがゆえに、それを取り戻すために世界的なサタンの巣窟、共産圏である北側に死を覚悟して入っていったのです。

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  • 当時平壌では、解放を迎えて新しく教会を再建しながら、歴史的な使命を果たすために新たに出発した時でした。

このような環境にある時、先生が平壌に行って新しい原理運動を展開したのです。


4、第一次路程失敗の結果

   東洋のエルサレム」平壌開拓伝道(1946.6.6~

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  • 平壌は、「東洋のエルサレム」と言われるほどキリスト教徒が集中した所です。それゆえに、平壌に行って、この道を出発したのです。

  • 先生が本当に有り難いのは、神様が、既に先生のために一生を懸ける人々をたくさん準備していたということです。先生が生まれる前に先生 を見て、生まれる前から先生に侍って、この道に準備した人々がたくさんいるのです。

  • 先生よりも約20~30歳年上のおばさんが堂々と、「私が先生に会ったのは、霊界で教えてくれたからです」と話すのです。「自分が24歳の時、先生の指導を受けた」と言うのです。

  • そのような環境の中で先生が伝道をしていると、既成教会の中心になる信徒、あるいは特別な恩恵を受けた人たちが、所属していた教会に行かずに先生の前に集まりだしました。そのため問題視され始めました。

  • 平壌で章臺峴教会という大きい教会がありました。その教会には1000~1500名 近く集まるのですが、そこから賢い人を15名引き抜くと崩壊したのです。ですから、長老たちが「大変なことになった」と大騒ぎしたのです。そのようなことをして、平壌で悪口を言われたのです。


②許孝彬女史と「腹中教」


(1)第一次路程 1 信仰基台


1、信仰基台

「腹中教」教主、許孝彬女史、マリヤ的使命

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  • 聖主教・金聖道女史に精誠を尽くして侍った夫人。

  • 主の新婦だと言って、腹中を通して主が生まれるという。

  • イエス様が、この夫婦に啓示を下ろし始めました。

  • 一番最初に罪を脱ぐ方法を教え、その次に生活する方式を教え、その次には主が来られたのちに子女を育てる方式を教えてくれました。

  • 主を迎えて生活する法度と、全体的な規範を立てて準備しました。

  • マリヤ的使命なので、許氏の夫人はイエス様を生んで育てる体験をしました。

  • イエス様がこの地上でみ旨を成し遂げられずに逝かれた、そのすべての恨を解くための蕩減的な一切の準備をしなければなりませんでした。

  • その次には、主がこの地上に来て、最高の生活ができるようにしなければな

りませんでした。


◇「腹中教」が捧げた精誠

  • 主が着る服の寸法とか、すべてを教えてくれました。

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  • 「イエス様が幼い時から33歳の時まで着る服を作れ」という啓示を受けました。

  • イエス様が三日ごとに着替えられるほど多くの服を、一度は韓国服で、そして一度は洋服で作りました。

  • 彼らがその服を作る時に、ミシンを使うことはできず、「一度に三針以上縫うな」と言われていました。

  • 服を作るために部屋中をきれいに清掃しなければならず、一着すべて作るまでは、立ち上がることもできませんでした。トイレに行くことも許されませんでした。

  • 「たとえお前たちがそのような代価を払っても、お前たちは主を迎えることができないだろう」と、天は彼らにそう言いました。

  • 彼らが何かで間違った時には、天から過酷な罰を受けました。それで彼らは、天の指示に従わざるを得ませんでした。

  • イエス様の服を作り終えると、次は、「来られる主のための服を作れ」というみ言を受けました。

  • 彼らは「主の服を作るにはもっと多くの精誠を込めよ」という啓示を受けました。

  • 彼らは三食をあたかも宴会の膳のように準備し、一日に三度肉を供えました。

  • その婦人は、主の学問的な背景をはじめ、すべてのことを天から聞きました。

  • その婦人に従う者たちは、もし命令を受ければ、いつでも倒れて死ぬことができ

るくらいの覚悟ができていました。

彼らは、自分の生命を捧げる準備ができていました。

  • 敬礼を、3000回は普通で、7000回までしました。敬礼を3000回しようとすれば、5時間ないし6時間かかり、7000回しようとすれば、10時間近くかかります。

  • 韓国で婦人として初めて役事を始めた人は金聖道ですが、これを蘇生として、許孝彬氏を経て、朴老婆につながりました。

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C:\Users\user\Pictures\UC\日韓\syokuzen.jpgC:\Users\user\Pictures\UC\日韓\keihai.jpg許孝彬

朴老婆

(1)第一次路程 2 実体基台


2、実体基台

「腹中教」許孝彬女史は大きな兆候を期待し若い男には期待しなかった


  • 「聖主教」教主、金聖道女史の代を許孝彬女史が継いで、許女史の娘が主を

迎えるように準備されました。

  • 「腹中教」が北韓の共産党により摘発され、その神霊集団の許女史ゆえに、

文先生も1946年8月11日に大同保安署に投獄されました。

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大同保安署

1)第一次路程 2 実体基台


◇文先生は許孝彬女史に3度にわたり勧告


1、腹中教に人を送り「先生の集団が何であるか、祈祷して調べなさい」と伝える。

許女史は大きな兆候を期待し、一人の若い男などには期待もしなかった


2、監獄で黄元信氏、次に許女史の夫に「早く出るように言いなさい」と勧告。

監獄に入ると、その婦人と相対になって教育して、全体に責任をもっていた黄元信という人がその部屋にいました。

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翌朝、黄元信が先生の所に来て敬礼をし、「霊界から知らせてくれた」と言い、自分の集団に関するすべてのことを話しました。

  • 文先生は「許孝彬氏に早く出るように言いなさい、出なければ、 全部この監獄で倒れる」と言いました。

  • 黄元信が一人監獄から出たのちに訪ねてきて、「信徒たち一同に、 いくら勧告しても聞こうとしない」というのです。

  • 黄元信が釈放されたのちに、許女史の夫が文先生の部屋に来ました。 先生は夫に、先生が黄元信に言ったことを話しました。しかし夫は、 「自分は妻に従うつもりだ」と言い、先生の話を受け入れようとしませんでした。


3、9月18日、文先生自身が許女史に一通の手紙を送る。

  私が誰であるか祈ってみなさい。」「すべてを否定してここから出なさい。」

 ⇒ 許女史はその手紙を読んでから破こうとしたが、共産党の監視員に見つかり、   文先生は拷問を受けるようになりました。


(1)第一次路程 3 失敗


3、第一次路程の失敗

許孝彬女史は不信し文先生は拷問を受ける


  • 文先生は許孝彬女史に3度にわたり勧告し、3度目は1946年9月18日文先生自らが獄中から許女史に手紙を書きました。

⇒ 許女史はその手紙を読み、破ろうとしましたが、共産党の監視員に見つかり、 文先生は拷問を受けるようになりました。

  • 許女史への手紙の事件で、文先生が李承晩のスパイだと確信を得た共産党は、自白させるためにあらゆる方法手段の拷問を行い、半殺しのようにしてしまったため、11月21日、門の外に放り出して釈放。

  • 1950年に韓国戦争が起きた時、許孝彬氏以下、すべての監獄にいた人々を、共産党たちが後退する時、全部虐殺してしまいました。


4、第一次路程失敗の結果

許孝彬女史の不信により拷問、死の危機から奇跡的回復後には説教と断食生活。


  • 11月21日、共産党は文先生を半殺しのような状態で門の外に放り出して釈放。

保安署を出た途端、先生は多くの血を吐かれました。

大同保安署の回りをエリコ城のように7回まわれば、文先生に会えるという啓示を受けた弟子たちが、祈りながら回っていると、放り出された先生を発見。

先生は、口も利けず、血を吐き、全身を殴られたため思うように動けず、とても生きた人間の姿ではありませんでした。

弟子たちは先生を教会まで連れて帰り、いろいろ治療を施し、漢方薬を飲ませ手を尽くしましたが、ついに先生は意識を失ってしまわれました。



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弟子たちは「これでは先生は死んでしまう。もうおしまいだ」と叫びながら泣いていましたが、しばらくして、奇跡的に先生は意識を回復されたのです。

先生は少し起き上がれるようになると、弟子たちが「まだ休んでいて下さい」と泣いてお願いしてもその言葉を聞かず説教を始められました。

前に置かれた洗面器に血やたんなどを吐きながら祈られ、吐いた血をかき集めた手を振りかざし、説教されました。

そればかりか、新しく人々が伝道されてくると、内臓もまだ弱っている中で、彼らのために蕩減断食を繰り返されたのです。



③「主なる神の夫人」朴ウルリョンハルモニ


(1)第一次路程 1 信仰基台


③「主なる神の夫人」朴ウルリョンハルモニを中心とした摂理

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◇「主なる神の夫人」出現の意義

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神の摂理基盤相続


  • その時文先生は26歳の年齢でしたが、霊的な世界のプログラムをすべて組み立てていたのです。

金百文牧師の集団を中心として、男性から祝福を受けたので、朴ウルリョン金百文、女性からも祝福を復帰しなければなりません。

そうでなければ、今まで韓国の全土で神様が築いておいたすべての摂理の基盤の相続を受けられないのです。


  • そのために「私は神様の夫人である」と言う、地上において神様が直接導ける婦人が出てこなければならないのです。

その婦人を神様が直接導くために、神様を中心として連結される霊的世界が、ここに動き入っていくのです。そうして初めて地上に着陸できる基地を一人の婦人、すなわち「主なる神の夫人」だという婦人を通してつくるのです。


1)第一次路程 2 実体基台

摂理

1、信仰基台 2、実体基台

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  • 僕のように扱われるその位置で精誠を込めれば、次々に復帰されます。


朴ウルリョンハルモニ 段階的な証と祝福


  • 「神様が愛する僕が 来た」、養子、庶子、息子の位置まで上がって「敬礼しなさい」

「私があなたに仕えたのと同じように、あなたも私に仕えなさい」

「天の国の総理大臣である」                  

「天国の全権を代表したイエス様の位である」

「神様の対象実体である」と証し、その宣布する式が終わった次には自主権をもって反対にひっくり返しました。

アダムの権限を蹂躙したのを蕩減的条件を立てて復帰したので、アダムの位置に立つために完全に反対にしたのです。

  • 文先生は、証をするその言葉を受け、即座に「敬礼しなさい」と言いました。それが、復帰するための主管性転倒です。

それに対し「今まで先生に従い仕えたのに、僕に対するように容赦なく命令することができるのか」とひっくり返ってしまいました。

  • 朴老婆は精神異常になり「文という人は国の逆賊であり、世の中のすべてのものを盗んでいった」と言い、完全にサタンが発動してしまいました。


(1)第一次路程 3 失敗


◆40日霊界勝利と神様の御印

  • 40日の試験期間がありました。霊界のすべての霊人たちが、みなそのおばあさんの味方になって責め立ててきます。

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イエス様までも先生の所に来て頼みながら、「そのおばあさんは主なる神の夫人であり、神様が愛する娘ですから、どうか侍らなければならない」と言いました。

先生は一人で40日間、今まで来て逝った数多くの霊界の道人たち、イエス様と神様まで全部が動員された全霊界と、天理の原則をもって戦いました。 

  • 天理の原則でなければ天と地が滅びる。先生が探してきたこの道は、間違いありません。

  • 天は、40日の期間が満ちれば、結局判定を下してあげなければならないのです。

先生は最後の決戦で、勝利したという判決を受けました。イエス様以下数多くの霊人たちが、逆賊として追い込んで反対した文という人の主張が、復帰の恨を解く原則であり、天倫の秘訣の中の秘訣であるという判決を受けて、勝利の基準を立てたのです。

  • メシヤならば、霊界の総決議により公認を受けた神様からのしるしがなければなりません。


(1)第一次路程 3 失敗


3、第一次路程の失敗

朴ウルリョンハルモニは主管性転倒を受け入れられずサタンが発動、

文先生は興南監獄へ(1948.2.22~1950.10.14)


  • おじいさん、息子、娘を連れて歩きながら、梶棒で先生を殴り殺そうとしました。

そのおじいさんが先生を殴って追い払おうと、杖を持って出てこようとしたとこ

ろで倒れ、全身が青くなって、腹が張り裂けて死にました。

棺に入れられないくらいに膨れ、本当に恐ろしい死に方でした。

  • その女性がどんなに多くの精誠を込めたとしても無駄になり、先生は、そのおばあさんが精誠を込めたものをすべて移してくくってきました。

  • 1945年当時の女性を中心とした摂理は、金聖道女史、許孝彬女史、朴ウルリョンハルモニが洗礼ヨハネ使命者でしたが、許孝彬女史、朴ウルリョンハルモニが文先生を不信することで、1945年当時の摂理の全ての基台は失われてしまいました


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(1)第一次路程 3 失敗


◆女性心情の代の伝授と獄中暮らしの苦しみ出発

  • エバは再創造できる原則があるため、朴氏ハルモニが先生に反対したので、代わりに他の人を立てるようになりました。

  • 家庭的な基準を立てられなかったことにより、先生は平壌で1948年2月22日に 収監されて、2年8ヵ月の間獄中にいました。

それは洗礼ヨハネが使命を果たせず、イエス様が十字架の道を行かれたのと同じことでした。

  • 獄中には、ラケルの立場である金氏が共に収監されていました。

金氏はラケルの立場、朴氏ハルモニはレアの立場であり、さらにまた羅氏という婦人がいました。この三人の婦人が先生に協助しなければならなかったのです。C:\Users\user\Pictures\UC\聖書\Rachel_and_Leah.jpg

失った娘、姉、母、この三代の心情を復帰するために、おばあさんから20代の年齢の女性に至るまで、みな復帰しなければなりません。

  • 先生は、三時代の女性を復帰する基準を立てなければならないので、心情の十字架を背負う道を行かなければなりませんでした。

  • 人類の僕の僕まで取り戻してこいという、それを取り戻すために、最低の場である監獄にまで行くのです。監獄から門を 開けて出てくるのです。

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