2025年8月29日金曜日

サタンが聖殿に蒔いた種たち ◆ 2025年8月27日 テネシー清平韓国語水曜礼拝◆ 直接主管圏時代<1> 權寧畢(クォン・ヨンピル)牧師

 サタンが聖殿に蒔いた種たち

2025年8月27日 テネシー清平韓国語水曜礼拝

直接主管圏時代<1

權寧畢(クォン・ヨンピル)牧師

監修fanclub三原

「直接主管権時代」韓国語水曜礼拝權寧畢クォン・ヨンピル한국수요예배08272025 


基元節と永生祝福


はい、こんにちは。今日私がお話ししようとする題目は「直接主管権時代」という題目でお話しします。


真の御父様は、私たちが受ける祝福を「重生祝福」「復活祝福」「永生祝福」と、このようにおっしゃいました。三段階の祝福を受けるということです。

しかし、私たちが真の御父様が地上におられた時、御父様から許された祝福は、重生祝福と復活祝福でした。

そして最後の永生祝福は、基元節に真の御父母様から受ける予定になっていました。

しかし、韓氏オモニが真の御父様を裏切ったことで、真の父母様の完成祝福式は不可能になりました。


そのため完成祝福式は延長され、延長された結果、私たちは御父様から最後の永生祝福を受けることができなくなったのです。

それゆえ真の御父様はご自身の摂理を三代王権としてお残しになり延長されましたが、韓氏オモニが三代王権の後継権を簒奪しました。


それで韓氏オモニは独生女を宣言し真の御父様を否定し、天正宮に天の父母様というサタンを祀って仕えています。基元節は真の御父様が排除されたまま進行されました。

御父様がそれほど待ち望まれた基元節でしたが、基元節の主人公が聖和されたことにより、その基元節は形だけの基元節となり、何の役にも立たないような基元節となってしまいました。


そしてその基元節は、韓氏オモニを独生女として仕える女皇帝即位式へと変質しました。神様に代わって天の父母様というサタンが主管する行事へと変質したのです。


基元節前に独生女は真の御父様の血統をサタンに捧げるため、代身者に独生女を神様として崇めるよう要求しました。

自分を神様、そして独生女として侍れば全ての権力と富と栄華を与えると代身者を誘惑しました。

しかし復帰されたカインとアベルは真の御父様を裏切らず、独生女の要求を拒否したのです。

これに怒った韓鶴子氏はカインとアベルを天正宮から追い出しました。


このような状況で真の御父様の聖霊はカインとアベル、そして三代王権を荒野へ導かれました。

三代王権が天正宮を去って荒野に分立したことによって、真の御父様の摂理を守ることができたのです。


それゆえ、サタンは家庭連合の物質的基盤には侵入できましたが、家庭連合の信徒たち、当時の祝福家庭が独生女に侍ることで家庭連合の食口には侵入できましたが、真の御父様の摂理、三代王権を中心に延長された真の御父様の摂理には侵入できませんでした。


三代王権の聖霊役事


このような勝利の道程の上で、文亨進様を中心とした真の御父様の聖霊の働きが始まったのです。

このような基台は、カイン国進様がアベル亨進様を二代王様として侍ることによって復帰されたのです。


それゆえ、国進様は天宙史的なカイン・アベルの長子権復帰摂理を実質的に勝利させて終結させました。

それだけでなく、天一宮を二代王様に奉納することで、三代王権が天一宮に入宮しました。


そしてカイン・アベルが姜賢實様を真の母として探し立てて、真の御父母様の完成祝福を奉納しました。

これにより真の御父様は家庭完成を成し遂げられました。四位基台が完成し、天一国建設摂理がようやく出発したのです。


その後、天一国の二代王様は真の御父様の権限圏に戻った家庭に聖霊が恩寵を施されました。

宗族の王戴冠式を通じて真の御父様の永遠の子として登録された永生祝福式に参加することになりました。

このように三代王権に侍る宗族の王たちは真の御父様の聖霊の恵みを受けることができるようになったのです。


その後、三代王権に侍る祝福家庭に、真の御父様の驚くべき聖霊の役事が起こっています。

既に真の御父様の聖霊と愛、恩恵、恩寵を経験した家庭が多く現れています。


そして私たちは天側の皇族として、万王の王に侍る宗族の王と王妃として王冠を許されました。

真の御父様の聖霊の役事は、三代王権を中心に侍る家庭を通してなされるようになるのです。


イエス様の当時は、個人を中心に聖霊が臨み、弟子たちと聖徒たちを導かれました。

しかし天上の真の御父様の聖霊は、三代王権を通して宗族の王と王妃に現れるのです。

宗族の王と王妃の家庭たちがサタンの主管権から脱して、真の御父様の聖霊を受け取って生活する、そのような時代です。

今や神様の主管権の中で真の御父母様の御言を直接受け、子女として生活しなさいというそのような御言です。


訓読生活と内部の敵


そして天使を含む万物を主管しろと言う祝福の御言を成就する時代に入ったという意味です。

真の御父様の子女とは何か?

その位置は真の御父様と直接通じる関係です。

したがって私たちは毎日の生活の中で真の御父様の御言を直接受け、実践するよう努力しなければなりません。これはまさに訓読生活です。


そして訓読生活を通して、私たちは侍る生活ができるのです。宗族の王と王妃の家庭は、真の御父様の御言と二代王様の御言を中心に生活しなければなりません。


しかし私たちの周囲には、私たちが直接御言を受けることができないようにし、私たちを主管しようとする勢力があります。


自分が真の御父様の御言を代わりに受けて、あなたたちをうまく導くから、自分を通して御言を学べというのです。

このような 人々が私たちの内部にいるのです。


実際、外部の敵は目に簡単に見えて、私たちは簡単に警戒することができますが、内部の敵は分別することが簡単ではありません。


なぜなら彼らは常に私たちと共にいて、模範的な信仰者として映るため、多くの人々が信頼しているからです。


そのため一部の霊通人や指導者たちが真の御父様の位置を代身して、宗族の王を主管しようとします。

これは私たちが神様の子女として神様に直行しようとする道を混乱させる結果となります。

彼らは、それらしい誘惑で宗族の王たちが直行する道を塞いで、自らの囲いの中に閉じ込めようとします。


三代王権主管圏の中であれば主張は自由


皆さん、私の言葉を誤解しないよう願います。

私が申し上げている言葉は、誰が主張する内容が原理的か非原理的かという問題ではありません。

この問題は、誰が主張する内容が恵みがあるか、ないかという問題でもないのです。

そう考える人も少しいます。


私たちは完成された人格を持っていません。

したがって非原理的な考えを持つこともあります。

恵みのない言葉や行動をすることもあります。


しかし私たちが真の父母様と三代王権の主管圏の中にいるならば、それは大きな問題にはならないでしょう。後で気づいて直せばよいのです。


私たちが自分の子供の問題を考えてみれば理解しやすいでしょう。子女は失敗をすることがありますね。

しかし父母を離れて他人の誘惑に従うなら問題は深刻になります。

彼が正しいことを言うからといって彼に従うなら、父母を離れて彼に従うことになる。これは深刻な問題です。


他の主管を受け三代王権主管圏を外れたら堕落、聖殿ではない


何が問題か?そのようなことは構造そのものに問題があるということです。

原理的な秩序を守っていないということです。

宗族の王と王妃が、真の御父様と三代王権の御言よりも人間の教えを自分の中心に置くということです。

これが問題なのです。


宗族の王と王妃は真の御父様の御言を直接受け、神様の主管権の中で生活しなければなりません。

宗族の王と王妃は真の父母の御言を中心として、主人の位置、王の位置へと進まなければならないからです。

それにもかかわらず、自ら自分の座から降りて、人間の主権の中に入ろうとすることが、それが問題なのです。


皆さん、堕落とは何でしょうか?神様の子女が神様の直接主管権を離れ、他の存在の主管を受けることです。これが堕落です。


再び私がお話をします。私の言葉を誤解しないでください。

恩恵の御言があれば学び、悟りを得ることは良いことです。その御言を否定するものではありません。


しかし、いかなる言葉であれ、人間の言葉は補助的な役割を果たすべきであって、それが中心になってはならないという話です。

私たちは中心存在の教えと相反するような言葉があれば、絶対にそれを受け入れてはなりません。


私たちの周囲のある人は、カン・ヒョンシル真の母が一時的に真の母の地位にあると主張する人がいます。

韓氏オモニが悔い改めれば再び真の母に上がって、カン・ヒョンシル真の母は降りなければならないと言います。皆さん、これは悪霊の罠です。

これは真の父母様の完成祝福式を臨時の祝福式として否定し、完成された四位基台を臨時の四位基台として否定しようとするそのような意味です。


また、韓氏オモニは二代王様を産んだ方だから、私たちは批判してはならないと主張します。


私がはっきり申し上げます。

韓氏オモニの堕落を審判された方は私たちではありません。真の御父様とカイン・アベル真の子女様です。

私たちは三代王権の摂理に従う者たちです。

私たちが韓氏オモニの堕落を批判する理由は、独生女に従う人々を救うためです。


このように悪霊は常に正面から現れないで、陰密に背後で感情を前に立てて人々を誘惑します。

このような主張は三代王権の正統性を否定するものです。


私は実は、彼らが聖殿所属だとは思いません。これは悪霊のいたずらか、あるいは家庭連合が密かに入れた人たちでしょう。


彼らは三代王権が分立して勝利された荒野の摂理を否定し、独生女を擁護する集団です。

真の御父様と三代王権が完成された摂理を、一時的に継ぎはぎした摂理として否定しようとするサタンの策略です。


聖書ではこのような人を毒麦と言います。畑に種を蒔いたのですが、僕たちが見るとそこに毒麦が生えています。その隙間に。そこで主人に報告します。「この畑に毒麦が生えているのはどういうことでしょうか。私たちがこれを抜いてしまってもよろしいでしょうか?」すると主人は「そのままにしておけ。夜中に敵が来て蒔いていったのだな」と言います。

しかしこれを抜いてしまえば、私たちが蒔いた小麦も一緒に抜いてしまうのではないかと恐れる。だから終わりまで置いておき、終わりの日に全てを刈り取った後で、それを抜いて火で焼いてしまおう。

このような御言があります。マタイの福音書にあります。


参考:マタイ福音書13章

24 また、ほかの・を彼らに示して言われた、「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。

25 人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。

26 芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。

27 僕たちがきて、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』。

28 主人は言った、『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った『では行って、それを抜き集めましょうか』。

29 彼は言った、『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。

30 収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」


34 イエスはこれらのことをすべて、・で群衆に語られた。・によらないでは何事も彼らに語られなかった。

35 これは預言者によって言われたことが、成就するためである、「わたしは口を開いて・を語り、世の初めから隠されていることを語り出そう」。

36 それからイエスは、群衆をあとに残して家にはいられた。すると弟子たちは、みもとにきて言った、「畑の毒麦の・を説明してください」。

37 イエスは答えて言われた、「良い種をまく者は、人の子である。

38 畑は世界である。良い種と言うのは御国の子たちで、毒麦は悪い者の子たちである。

39 それをまいた敵は悪魔である。収穫とは世の終りのことで、刈る者は御使たちである。

40 だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終りにもそのとおりになるであろう。

41 人の子はその使たちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集めて、

42 炉の火に投げ入れさせるであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。

43 そのとき、義人たちは彼らの父の御国で、太陽のように輝きわたるであろう。耳のある者は聞くがよい。

44 天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。


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2025年8月27日水曜日

王冠、三代王権を証し守るために ◆2025年8月20日 テネシー清平韓国語水曜礼拝 王家の精神<2> 權寧畢(クォン・ヨンピル)牧師

 王冠、三代王権を証し守るために

2025年8月20日 テネシー清平韓国語水曜礼拝

王家の精神<2

權寧畢(クォン・ヨンピル)牧師

監修fanclub三原

韓国語水曜礼拝權寧畢クォン・ヨンピ한국수요예배08202025

翻訳minion


王冠を授かったその使命は三代王権を証すこと


現在、万王の王が立てられた天の血統は、孑孑單身(ケツケツ혈혈단신:天涯孤独)、荒野で孤独に厳しい戦いをしておられます。そのため、宗族の王と王妃は、サタンの前に一人で立たれたカインとアベル、三代王権を絶対的に信じ、従い、証しをしなければなりません。

それは天上の真のお父様が地上の三代王権と共におられるからです。

私たちが王冠をかぶり、真のお父様と三代王権を証しすることが、まさに万王の王を世界に宣布することなのです。


天が私たちに宗族の王と王妃の地位を許されたのは、私たちが受けるに値する資格があるからではありません。

私たちは人格的に完成期に到達することができず、復帰摂理において明確な功績を立てることもできていません。

実際、私たちは信仰もなく、自分を立てるだけの能力や実績もありません。


実際、私たちがどんなに信仰が強いふりをしても、芥子(カラシ)の種ほどの信仰さえもまともに持てない者です。小さな扇動や威力の視線にもすぐに傷つき、意気消沈、萎縮して自信を失います。


イエス様の時代、イエス様はその弟子たちに信仰がないことをご存知でした。

そこで言われた言葉は、

あなたがたの信仰がからし種ほどでもあれば、この山を移せと命じれば移すことができ、あなたがたにできないことは何もない(マタイ17:20

このようにおっしゃいました。からし種ほどもないということです。

そして、「あなたたちに信仰があれば、悪霊に憑かれた者も追い出すことができる」と仰いました。


実際、私たちは遅く着いてきましたが、価値のない人間です。それにもかかわらず、天が私たちの不足をすべて覆い、包み込んでくださる理由はなぜでしょうか?

それは、ただひたすら私たちが真のお父様とその血統の三代王権を裏切らず、従ったからです。


天正宮で真のお父様の周りで忠誠を自慢していた大いなる幹部たちは、自分の利益のために裏切りの道を選んだ時、私たちは真のお父様と三代王権に従って苦難の荒野路程に同参しました。

この小さな条件一つで、神様と真のお父様は私たちを抱きしめてくださったのです。


したがって、私たちが真のお父様に私たちの不足を悔い改めるなら、真のお父様がこの世にいらっしゃった時、私たちが果たせなかった絶対信仰、絶対愛、絶対服従を、その血統の三代王権の前に捧げるでしょう。


二代王様、三代王権を守りサタンと戦う者となれ


ですから私たちは万王の王の代理者・相続者である二代王様を守り、保護する「柵」とならなければなりません。

復帰摂理を見れば、中心存在を守ることが出来る柵がない時、基台がない時、サタンの侵入を受けることになります。いくら権能思ってこられたメシアだといっても、基台が立てられなければ、躊躇なくサタンの侵攻を受け、祭物となるしかなかった歴史を私たちは復帰摂理歴史をとうして学びました。


ですから、すべての天の側の皇族たちは宗族の王の即位式を通して三代王権を保護することができる柵にならなければならないのです。二代王様は40年荒野路程を4年で乗り越え、勝利され天一宮に入宮されました。それで、その勝利された権能で、権威圏の祝福家庭に宗族の王と王妃の王冠を許されました。


宗族王の即位式は、単に宗族王として登録するだけではありません。

真のお父様が「基元節」に祝福しようと計画された最後の永生の祝福式を共にすることです。

このように、「第一の再生の祝福」「第二の復活の祝福」「第三の永遠の祝福」を受け、祝福を完成させるのです。


こうして、私たちは生命の書に名前が記録され、生命の木の前へ出て行く永生を受けることになるのです。

アダムが堕落する前の世界において、生命の木の実となるという事実です。


『ヨハネの黙示録』22章には、

14いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。

15犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている。


このようにおっしゃいました。

犬たち、魔術を行う者たち、淫行を行う者たち、殺人者、偶像を拝む者、偽りを好む者は皆、城の外に、城に入る権威を受けることができないという、そのような御言です。


万王の王、真のお父様が二代王様を通して私たちに宗族の王と王妃の祝福を許されたのは、サタンも認めなければならない原理的な基盤の上に祝福を与えてくださったのです。

適当に与えてくださったものではありません。


したがって、許諾してくださった祝福に感謝し、宗族の王と王妃としてそのアイデンティティと権威を主張すれば、サタンは当然私たちから離れるしかありません。

しかし、私たちのアイデンティティを混乱させ、謙遜や悔い改めの名で他人の目を気にするなら、サタンは嘲笑し、侵攻するようになります。


そのため、私たちは天一国の宗族の王と王妃として、王家の精神を持たなければなりません。

王冠をかぶったからと言って宗族の王と王妃になるわけではありません。

奴隷のような考えと態度を改めることができないで、罪の意識に陥っていると、天が許された王権を否定する結果になります。

宗族の王と王妃であることをサタンに恥じる不義を犯すことになります。


天一国に向かう勇士たちを混乱に陥れる勢力が、私たちの内部にいても外部にいても、天の意志と異なる時は、躊躇なく打ち破らなければなりません。

自ら王と王妃であることを否定し、適当に妥協すれば、サタンが侵攻するのです。サタンの奴隷になるのです。


その様な人はサタンに勝つことはできません。サタンとの戦争において謙遜というものは必要ありません。それは神様が私たちに願われる信仰ではありません。私たちに王家の精神を持つよう要求しているのです。


安っぽい感傷主義ではサタンを倒すことはできません。サタンの讒訴条件を一つたりとも許さないという徹底した執念だけが求められるのです。


皆さん、見てください。王様が弾丸頭の冠をかぶり、どれほど多くの罵声を浴びているでしょうか?

「戦闘的だ。牧師が弾丸を頭に巻いて礼拝をするなんて、狂っているのではないか?」

郭グループが嘲り笑って、家庭連合で呪われ、世間でも指をさされています。


それにもかかわらず私たちは真のお父様と三代王権の教えに従って生きなければなりません。

真のお父様の御言を自分式に解釈する者は、真のお父様の声を聞くことができません。

彼らは統一原理も聞き、祝福も受けましたが、メシアである真のお父様を今や全て滅ぼしました。

自分の考えと欲望、野心がすでに心を占領してしまったため、真のお父様を認識できなくなりました。

人々は変わり、真のお父様が誰であり、どのような方であるかを忘れてしまいました。


しかし、真のお父様だけは変わりません。二代王様も変わりません。天から召された使命を守っているのですが、少しも退くことなく、後退しません。

そして天は、二代王様を通して定められた時、定められた方法で必ずみ旨を成就されます。


イサクの祭物の心情で


以前、お話しして王様は、イサク路程を行くとお話しされました。

もちろん私たちが再臨主の三代王権の天一国建設摂理をイサク路程と比較することはできません。

はるかに大きく重要です。 


しかし、そのみことばの意味は、自分を祭物の心情で、摂理の道をいかれていらっしゃるという、そのような意味です。

祭物とは何ですか?祭物とは、自分がないことが祭物です。ただ、真のお父様のみ旨のために生きる方です。

ですから私たちも王様のように祭物の道をついて行かなければなりません。

祭物は壇の上にあげて裂いて捧げるのです。

ですから、祭物には自分の意思がないのです。


祭物は、神様の御心に合わせてこそ天が受け入れることができるのであって、自分が祭物であると言いながら、自分の意思で生きたら祭物ではありません。

祭物は、血を流すことがサタンの血を抜くことです。

だから、祭物を捧げることによって、自分が神様の前に近くに行くと言うことを知らなければなりません。

サタン主管の条件は、完全に精算するということです。サタンが侵入することができないようにするということです。


ですから、自分を立てたら万王の王、真のお父様とその代身者の三代王権に従うことが難しくなります。真のお父様は、「私たちの信仰の道は、祭物の生活を代身して行くということだ」とおっしゃいました。


神様はダビデがどこに行っても、戦争で勝利することができるようになさいました。

しかし、神様がダビデを常に勝利導いた理由は何ですか?私たちは、ダビデが勝利したというので、神様が勝利するようにしたことだけに注目して、その理由を見逃す失敗をすることが多いのです。

どこに行っても勝利するようになさったという意味は、神様がダビデに無条件に勝利を与えたという意味ではありません。

ダビデとその軍たちがすべての伝統で命を懸けて闘ったということです。


同じように宗族の王と王妃の私たちも見学者になっていたら勝利があったとしても、それは私のものではありません。

この時代に、私たちに与えられた責任分担を完成してこそ、神様が勝利者として許諾してくださいます。

死生決断全力投球の精神で戦う時、神様が勝利に導いてくださるというそのようなみ言です。


皆さん。私たちは完璧な者ではありません。私たちは、世間の誘惑にとても無気力なものであることを否定することはできません。

お金、権力、性的な誘惑、安楽の葛藤がとても大きくてみ言をわかっていても従っていくことが難しい時がたくさんあります。


ですから私たちは指導なく、聖霊の導きなくこの世界に勝つことはできません。

終わりまで、主について聖霊の導きを求めるものが勝利者です。

み言に従い従順に、真のお父様の能力に頼る時、私たちは勝利の人生を生きることができます。


ヨハネの黙示録2章には

7勝利を得る者には、神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べることをゆるそう。

という御言があります。命の木。これは実際、私たち人間の夢です。

創世記3章22節を見たら、

22主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない。

という言葉があり、

創世記3章24節を見たら。

24神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。

このようにおっしゃいました。


エデンの園を皆さんはよくご存知ですね。

エデンの園に命の木と善悪の木があるのですが、取って食べるな。という善悪の木をとって食べました。

ですから、神様は人間を命の木に行く道を防ぐしかありませんでした。

ですから、人間は善悪の実を取って食べることによって罪を犯しました。ですから。エデンの園から追放されました。


神様は、命の期に出て行く道を炎の剣を置いて守られたとおっしゃいました。

これは、人間の命の木に接近出来ないようにされたということです。

どうして?堕落したために。

しかし、これは神様の罰であり恩恵です。

それでも、人間を愛される神様の恩恵だということです。

なぜなら、善悪の実を取って食べた罪人が善悪の木に出て行くようになれば永遠の罪に生きるようになります。


ですから、神様はその道を塞がれたのです。ケルビムによって、命の木に行くことができないようにしたということです。ケルビムとは神様を守る天使的な存在。これをケルビムといいます。


このように、神様はその人を追い出してエデンの園の東方に、ケルビムと回る炎のつるぎをおいて命の木の道を守られた。という御言にあるように、人間が、自分自身の力では命の木に接近することは出来ません。命の木は何ですか?永遠なる生命。永生を象徴します。


ですから、罪人が永生を受けてはいけないということです。

それで、命の木を守るようにされたのです。

それで、神様は、罪人である状態で永生に出て行ってはいけない。

これは人類が罪の中で、永遠に苦痛を受けることがないようにする神様の恩恵です。


お父様は天正宮で亨進様に、王冠をかぶせながら三代王権を立ててすべて成し遂げたという勝利を宣布されました。

真のお父様が再臨のキリストの使命を勝利されることによって生命の書入籍家庭、すなわち宗族の王と王妃にアダムが堕落する以前の世界、命の木の実として出て行くその道を、私達に許諾してくださったのです。

それが、私たちが受けた生命の書入籍祝福です。そして、それが永生祝福です。


そのような意味を分かって、私たちすべてが真のお父様に栄光をお捧げしましょう。ありがとうございます。


祈祷します。


祈り


愛なる天のお父様。聖なる真のお父様。

私たちは、実際、私たちの存在や私たちの能力や、私たちの過去や現在や、そして可能な未来においても、私達は不足なる姿であることをよく知っています。

真のお父様は、このように不足で、不肖に満ちた、そして私たちも私たちが家庭連合にいる人々を裏切り者と呼ぶように、私たちも心の中に裏切りの種を持っていることを、よく知っています。


しかし、私たちが三代王権に仕えるというその心を前に立てて、この三代王権の荒野の路程に参加した私たちを、天上の真のお父様が、その小さな条件一つで記憶してくださり、私たちをとてつもない祝福の場へと導いてくださいました。


私の不足な罪、罪人、そして罪がまだ清められていない者たちに、三代王権に従ったというその小さな条件一つで、私たちを子女として抱いてくださり、生命の木の道に入ることを許してくださったその恵みの前に、心から感謝します。


私たちが福音の、このような王冠をかぶりましたが、これを重荷だと思わず、私たちが絶対信仰、絶対愛、絶対服従の心で、真のお父様に生前果たせなかった、そのような私たちの忠義の道理を、三代王権を通して真のお父様に返すことができるこのような位置に立たせてくださったことに感謝し、その御言に従うことができる私たちとなるよう、お導きください。


今、私たちを導いてくださった神様、天上の真のお父様に感謝申し上げ、

私たちが三代王権に従って荒野から出て以来、私たちが、早く遅くこの場に参画しましたが、これから私たちが、この道を最後まで守り、私たちが生命の書祝福家庭の名前を汚さないよう、私たちを導き、受け入れてくださるよう、切に願い、感謝申し上げます。


尊い位置、あなたに私たちが栄光を捧げ、今日このような御言に共にしてくださいましたことを感謝し、私たちが悟りを得て、今後、宗族の王と王妃の誇りを持って生活できるよう導いてくださいますよう、感謝を捧げる時、祝福中心家庭、權寧畢、森田裕子家族の御名において報告いたします。アジュ