2024年8月10日土曜日

第三次世界大戦を起こしたいイスラエルと左派米国 ◆2024年8月7日(水)韓国語キングスリポート


第三次世界大戦を起こしたいイスラエルと左派米国

202487()韓国語キングスリポ

2024.0807 韓国語キングスリポート킹스리포트 (한국어)

訓読

地上生活と霊界

第二章 死と霊界 第三節 高い霊界に行くには 三 人を愛すべし


 霊界では、神様の愛がなければ食べられません。食べる権利がないのです。地獄は見ながらも食べる事が出来ない所であり、知りながらも行う事が出来ない所です。


 それ故、神様の愛を中心として、霊界と肉界が一つになり得る、この様な価値的な中心を立てておいて、神様の愛を中心として、地上で霊肉が一つになった天国生活をした人以外には、永遠の理想的世界を持つ事が出来ないのであり、天国を所有する事が出来ません。(九一―一七三)


イラン、イスラエルに報復するのか?


イスラム組織ハマスの最高幹部ハニヤ氏の殺害に抗議する人=イエメン

さあ、先週の日曜日、イランがイスラエルを必ず撃つというニュースがたくさん出てきましたね。先週の日曜日のニュースを見たら、米国の軍部長官が日本やヨーロッパや様々な国の外務長官に電話をして「24時間以内に勃発する」このように話したようですが起こりませんでした。どうしてでしょうか?


昨日見たら、イランはロシアから新しい対空防衛施設を、ですからイスラエルの攻撃に対処するための武器を受けたと、ロシアがそれをロシアに動かしている、そのようなニュースが昨日ありました。

それで、もしロシアがイランに入って完全に配置するまでイランが待っているのかもしれません。


とにかく昨日ですか、イランが攻撃するようでしたが、ある人はこのように言います。「何を言っている。イランは79年にイスラム派が勝利して、『イランを掌握して以降継続してイスラエルをなくす。イスラエルを攻撃する。』と言ってきたにもかかわらず、今まで特にそのようなことをすることができなかった。イランがイスラエルを完全に地中海に押し出してやると言ったができないではないか。だから今回も、空事だ。」このように言う人もいます。


しかしロシアは今イランに対して「民間に対する被害を最小化してくれ」と、ロシアがイランにこのように言っています。プーチンがイランにこのようなことを話しているそうです。ですからロシアも中東で本格的な戦争が起こることを避けたいようです。そこで第3次世界大戦が起こればロシアも困ります。


ロシアは今、急いでいることが他にもあるではないですか。ウクライナとのことが忙しいので。それで「そのようなことがなければ良い」とイランに伝えているということです。


イランとしては静かにしていることはできないではないですか。言ってみれば、国賓の客人(ハマスの最高幹部ハニヤ氏)をイランの、言ってみれば迎賓館にお迎えしているのにイスラエルが暗殺した。これは黙っていることができません。


それだけでなく、さらに時を同じくしてベイルートにいるイランの友達、ヒズボラの司令官をイスラエルが拘束して殺しました。


ですから中東は血の戦いです。ですから今行動しなければ、イランは完全に負けるのです。完全に森の中に入っているのです。誰もこれからイランを恐れなくなり、ですからこれはヤクザの世界と同じです。中東だけでなく世界の外交関係は全てそうです。血の戦いです。ある面においては。


米国は今、ゴッドファーザーのようになっているではないですか。米国は今そのようなヤクザのボスのようにしているではないですか。世界的に。


イスラエルは、ハマスがガザでイスラエルと戦争しているではないですか。イランが後ろで、・・・初めからそうです。ハマスもそうで、ヒズボラもそうで、背景にはイランがいます。


イランが石油を売って石油を売ったお金を持ってハマスを支援してヒズボラを支援して,イエメンを支援して、イスラエルを取り巻く、このような勢力が支援しています。宗教の戦いと見ることもできます。


イスラム教が出てきたところは本来、キリスト教の地域です。


(ユノスク勧士ニム:そうです。使徒パウロが伝道していたところが全てイスラム教になってしまいました。)


再臨復活は相対基準が地上になければ出来ない


カトリックの神父が伝道されてきたとき、こう祈ったそうです。「教皇がお父様を受け入れることができるように出来ませんか?」と。

神様の答えは「バチカンには神様を助けることができる人は誰もいない」。

相対基準がダメだということです。マホメットが出てきたのは、そのような理由があります。 


聖書に、ある金持ちが地獄に行って、自分のところにいた乞食(ラザロ)はアブラハムのところにいた。それで子孫に自分のような失敗をしないように伝えてほしいと言ったところ、モーセを信じない者に霊界から話をしても、役に立たないと言いました。信じないからです。

ルカによる福音書 16:19-31

16:27そこで金持が言った、『父よ、ではお願いします。わたしの父の家へラザロをつかわしてください。 16:28わたしに五人の兄弟がいますので、こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告していただきたいのです』。 16:29ブラハムは言った、『彼らにはモーセと預言者とがある。それに聞くがよかろう』。 16:30金持が言った、『いえいえ、父アブラハムよ、もし死人の中からだれかが兄弟たちのところへ行ってくれましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。 16:31アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』」。


もしも、キリスト教徒はイエス様がガブリエルのラッパの音とともに空から降臨されると信じていますが、実際にそのように降臨されたとしても、キリスト教牧師達は信じないと思います。これは集団的につくりあげた幻想だと言って信じないと思います。

だめな人にはだめです。


霊界に行って原理を学んで真理を知ることができます。

しかし先ほどの天聖経に出てきたように、真実を知ってもそれを行えないところが地獄です。

ですから私たちが創造原理を学んだように、人々が霊人体で神様の御言を受けます。しかし肉体があってこそそれを行うことができるのであって、行ってこそ霊人体が成長するではないですか。肉体がなければ神様の御言を聞いても行うことができません。これが地獄だと先ほどの天聖経に出てきたではないですか。人々は霊界に行けば真理を知ることができます。しかし、行うことができないのです。

再臨復活が必要です。ところが再臨協助しても相対基準が合わなければ行うことができないのです。

2012年9月3日までの清平で行われた事々は全て有効です。二代王様はそのように言われました。

 *注:お父様が聖和された以降の全ての清平の役事、祝福式は無効です。

    二代王様が世界会長であった2012年12月の祝福式も無効です。


(解怨された先祖などの霊が)再臨復活ができるように私達も手伝わなければなりません。私達がトランプ・ラリーに参加したり、伝道したりすることにより先祖も再臨復活ができるようになるのです。


とにかく、イランがどのようになるか私たちは見ていかなければなりません。


ハリスとウォルツ


では、米国大統領選挙がどのようになっているか。昨日、民主党がハリスを正式に大統領候補として選びました。正式な大統領候補になりました。しかし集まらないでズームでしました。



副大統領候補も自分が指名しました。ミネソタのティム・ウォルツという人ですが、やはり極左派です。ミネソタは昔から社会主義の中心です。米国でも。

もしハリスになったら、米国は完全に極左派なることは完全に明らかです。


トランプ大統領は継続してラリーをして戦っていますが、米国の言論は助けませんね。継続して米国の言論はハリスを支援しています。


しかしハリスはそれほど人気がありません。今、民主党の政党大会をしながらハリスが上がってきたことは当然のことです。バイデンよりはいいと。

しかし例えば、今朝出てきた記事を見たら、ニューヨーク州のユダヤ人たちを対象として世論調査をしたところ、50%50%で分かれています。50%がトランプで、ハリスは50%にも達していません。トランプの方がハリスよりも人気があります。本来ユダヤ人たちは今まで民主党を選んできました。今やそれが変わってきています。


どのみちニューヨーク州はハリスが勝つでしょう。かつて共和党が勝ったことがないわけではありませんが、例えばレーガンもニューヨーク州で勝利して、ニクソンも一度勝利したのですが、今回はニューヨーク州は民主党だということができます。


しかし、ユダヤ人もそうで黒人たちもそうでヒスパニックもそうですが、少数民族たちはたくさんトランプ側に来ています。ヒスパニックも、不法移民が自分たちの職場を奪っていると言う認識があるからです。


ハリスは大変嘘が多く、バイデンよりも悪いです。この人はサンフランシスコの出身ですが、サンフランシスコは米国で最も左翼であり、今滅んで行っているではないですか。

イーロン・マスクがXの本社をサンフランシスコに置いていたのですが、「これ以上我慢することはできない。」として動かすことにしました。オースティンに。

しかしオースティンはテキサスの中でオースティン人民共和国というようにものすごく左派です。オースティン市は。


ハリスになれば米国は完全に壊れます。米国が滅んだら全て滅びます。


二代王はアトランタのトランプラリーに行かれて、継続してトランプについて回って霊的にトランプを支援しています。


メシアを迎える実体基台


しかし問題は、イエス様の時もユダヤ人たちは洗礼ヨハネと1つだったではないですか。ユダヤ人と1つになって、これは第1次世界カナン復帰路程で、ユダヤ人たちは洗礼ヨハネと1つになったのですが、洗礼ヨハネはイエス様と一つになることができなかったではないですか。


この選挙を通して米国人はトランプと1つになったら、次はトランプが二代王と1つになったら、実体基台がなされるのです。


それで私たちが、トランプが勝つことは、米国国民がトランプと1つになるということです。

次にトランプが三代王権と1つにならなければなりません。そうしてこそ、メシアを迎えるための実体基台がなされるのです。信仰基台はすでに二代王が立てられました。


それでこれは、2つの段階が必要です。私たちが祈祷をするとき、記憶する必要があると思います。


とにかく今は摂理的に発展的な時代です。2000年前の洗礼ヨハネ時代がそのようであったように。

洗礼ヨハネの行動ゆえに次の2000年がこのようになったではないですか。洗礼ヨハネが違う選択をしていたら歴史は完全に違っていたでしょう。


今日もトランプがすることによってこれからの世界歴史が大きく違ってきます。


それでとにかく、私たちがそのように祈祷をたくさん捧げて精誠をたくさんしなければなりません。


それで、面白い記事が1つあるのですが、韓国の海外トピックのような記事ですが、ロバート・ケネディ・ジュニアがいるではないですか。その人も大統領候補者です。無所属の大統領候補者なのですが、この人に対するスキャンダルを見ました。


クマの死体をニューヨークのセントラルパークに捨てたそうです。

米国は特に、ニューヨークやペンシルベニアや、そのような地域は熊が時々出てくるではないですか。

赤ちゃんの熊ですが、それで自分の前を行く車が熊を轢いたそうです。それで自分がそれを止めて、車を止めて熊を自分の車に載せたそうです。食べようと。ニューヨークではそのようにしても良いです。

熊の話をしながら時間になりました。皆さんさようなら。

2024年8月5日月曜日

劉正玉牧師の原理本体論の問題点:<6>3-10(女性先惟論) ことば、ロゴスの愛

 

劉正玉牧師の原理本体論の問題点:(1)両性具有神

劉正玉牧師の原理本体論の問題点:(2)3-1~3-2(女性先惟論)

劉正玉牧師の原理本体論の問題点:(3)3-3~3-6(女性先惟論)

劉正玉牧師の原理本体論の問題点:(4)3-7~3-8(女性先惟論)

劉正玉牧師の原理本体論の問題点:(5)3-9(女性先惟論) アガペーの愛、エロスの愛

に続く、劉正玉牧師の原理本体論の神学的問題に関する論考の続きです。

数回に分けて翻訳の合間に掲載します。


3-10.ことば、ロゴスの愛

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祝福家庭と理想天国

第一章 創造理想と男女の愛 第一節 創造理想と人間の堕落 1998年10月2日


4、アダムとエバの成長期間

 アダムとエバは完成できる可能性をもった罪のない人として創造されたのです。そして彼らは神様の法則に従うことによって完成すべく、成長していました。彼らが男性と女性として完全になるように成長する間は、彼らの関係は兄と妹でなければなりませんでした。彼らは兄と妹として真正の伝統を立てておかなければならなかったのです。

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アダムとエバは完成できる可能性をもった罪のない人として創造されたのです。そして彼らは神様の法則に従うことによって完成すべく、成長していました。


神様の原理法則とは何でしょうか?太初に神様とともにあったことば、ロゴスのことです。


従ってアダムとエバはロゴスに従って成長し完成することになっていました。

愛を中心としてロゴスをもって男性と女性を立てられたということです。

このようにこれらの御言は、夜の神様がロゴス原理本体を創造される過程のことを言っておられます。

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天聖経

根本問題において、この宇宙は、ペア・システムでできていますが、それは共鳴するためです。何を中心として共鳴が起きるのかといえば、愛というものを中心として起きるのです。

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男性と女性というペア・システムとは、この神様の法則、ロゴスのシステムということです。

ペア・システムの共鳴とは、陽陰二性性相の愛の実体化、アダムとエバが絶対性の愛の喜びによって共鳴するということです。

そしてペア・システムの絶対性は、真の愛を中核として造られた神様の創造物であることは既に説明した通りです。


3-10-1.ロゴスの形状


そのペア・システムであるロゴスの姿を、お父様の御言から次に見ます。

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その凸凹は誰の凸凹ですか?神様は男性格ですか、女性格ですか?(「男性格です」)神様が男性格であれば生殖器がありますか、ありませんか?(笑)前には男性生殖器、後ろには女性生殖器がついていると考えなければならないというのです。振り向いてもこれも生殖器であり、振り返ってもこれも生殖器なので、男性と女性に分けて出てきたため凹凸が必要というのである!わかったの、わからないの!(「わかりました!)

(「文鮮明先生御言選集」306巻より)

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真のお父様が、神様は、前を見れば男性生殖器であり、後ろを見れば女性生殖器であると言われた神様の姿、つまり太初に神様とともにあったことば、ロゴスの形状がこのような姿であるということです。


「愛がこうなっているから男性と女性がこうなるべきだ」と神様が思われた結果、創造されたロゴスの形状なのです。

それだからロゴスを生殖原理の本体ということもできるのです。そしてその実体的原理本体が真のお父様であるということです。


3-10-2.真の愛、縦的神の愛と真の父母の愛


ですから真の母とは夜の神様の父子の縦的愛が、この生命より貴く、愛よりも重要な血統を考えた時に先惟された絶対精子を求めて創造されたロゴスを起源とする被造物ということなのです。


父と子と聖霊の三位一体で見るならば、時間と空間創造以前に夜の神様とともに三位一体としておられた真のお父様(イエス様)は真の母を創造した縦的天の父母であり、真のお父様はロゴスにおいて、横的天の父母を創造したということなのです。

ですから横的天の父母は、縦的父母である夜の神様の被造物だということです。


これがお父様(イエス様)が、夜の神から来て、女性(真の母)は昼の神から来たと言われる理由がここにあります。

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皆さんは真の愛の定義を知らなければなりません。真の愛とは神の愛と真の父母が一つとなったものです。これが永遠に変わらないものです。なぜならば神が中心であり、真の父母が実体としているからです。

創立三十周年記念日に際して 1984年5月1日

その真の愛とはいったい何かというと、縦的神の愛と、横的な真の父母の愛を統一することのできる伝統的な因縁を引き継いで、血統を通した生命体を中心として、再び愛の基準を実らせることであり、それが真なる人間の生き方なのです。


韓国は人類の祖国 1989年6月18日ソウル本部教会

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この2つの御言をまとめると

「真の愛の定義は、縦的神の愛と、横的真の父母の愛が一つになったものです。神の縦的愛と真の父母の愛を一つにすることができる愛の基準を、血統を通して生命体を中心として再び実らせる(実現する)愛が真の愛」ということです。

真の愛は、血統を通した生命体を中心として実現するということです。

真の愛の基準が、血統を通した生命体を中心としてその実態に現れてこそ、真の愛の実態が実現したといえるということです。


物事を実現するためには、基準がなければなりません。

夜の神が天地創造をしようとされたその縦的神の愛の基準は何か、その真の愛の基準は何を中心として設定されたのでしょうか?


その真の愛の実現の基準は、血統を通した生命体を中心として設定されたということです。

縦的な神の愛とは、天地創造以前の夜の神の愛です。その夜の神の愛の基準は「血統を通した生命体を中心」として設定されたということです。


ではどうして、夜の神の愛の基準は「血統を通した生命体を中心」として設定したのでしょうか?


天宙の中心的法則・原理は、父子の関係です。それがすべての出発点です。

そのようにこの宇宙が父子の関係で創造された

真のお父様1979年4月15日ベルベディア


生命より貴く、愛よりも重要なものが血統です

神様の血統の中には、真の愛の種が入っていて、真の生命の体が生きています。天聖経


夜の神の愛の基準は、上記の御言のように、父子の関係がその基準であるということです。

この天宙創造の中心である父子の関係を、天地創造の原理の段階で創造されたのではなく、夜の神様の無意識のなかに既に存在していた真の愛の基準が父子の関係であったということです。

この夜の神様の「父子の縦的愛」が真の愛の起源であり、中心なのです。

ですから、縦的な神の愛とは、夜の神様の「父子の縦的愛」のことを言うのです。


ところで愛とは観念ではなく実際に目に見えなくとも実体として存在しなければなりません。


その真の愛とはいったい何かというと、縦的神の愛と、横的な真の父母の愛を統一することのできる伝統的な因縁を引き継いで、血統を通した生命体を中心として、再び愛の基準を実らせることであり、それが真なる人間の生き方なのです。

韓国は人類の祖国 1989年6月18日ソウル本部教会


そのような真の愛とは、縦的な神の愛と横的な真の父母の愛が一つとなって実ったものが、真の愛です。

夜の神様の「父子の縦的愛」が「横的真の父母の愛」が一つになったものが、真の愛であるということです。


この夜の神の「父子の縦的愛」が夜の神の無意識の中に既に存在していたがゆえに、夜の神は、父子の関係を先惟し、これが真の愛の基準となり父子の関係の三位一体が、真の愛の起源となりました。


そして、この真の愛の起源は、愛と生命と血統が実ること、実現するために天宙創造の原理、ロゴスがつくられ、天宙創造が始まったのです。

このように父子の関係の愛が、愛と生命と血統の起源であるがゆえに、この父子の関係を天の父母ということもできるのです。

この父子の愛が、夜の神の愛の中心ですから、夜の神の愛を縦的父母の愛ということも可能なのです。

それだからお父様は神様を縦的真の父母と言われるのです。


神様は縦的な真の父母であり、アダムとエバは横的な真の父母になっていたことでしょう。そのような二つの父母の血肉を受けて生まれた人間の心は縦的な自分になり、体は横的な自分となって、一心、一体、一念、一和の人生を営むことができたでしょう。

2007年6月13日、韓国の天正宮博物館


夜の神が一なる男性でありながら、その愛は縦的な真の父母の愛であるという理由は、このように父子の関係の愛が、愛と生命と血統の起源であるがゆえだからなのです。


3-10-3.横的真の父母の愛、女性の愛も被造物


では「横的真の父母の愛」とはどのような愛でしょうか

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愛の観念が先か、それとも、男・女が生まれることによって愛の観念が生まれたのか、どちらか。真剣な質問だ。愛の観念が初めだ。


神は愛のためにこの世界を造ったのだから、愛を目的にしなければ、被造世界も造られません。


何故神は相対世界を造られたかというと、真の愛のためである。


真の愛とは一体どんなもの? 為に生きるというのはどんなこと? 神の願いに沿って生きるということはどんなこと? その基準は一体何か、はっきり答えなさい。真の愛の出発点は、神が相対者を造る。 

聖酒式の御言1971年8月24日

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神が相対者を創る真の愛の出発点とは、どの位相でしょうか?夜の神の原相でしょうか?原理本体、ロゴスの位置でしょうか?


すでに論じたように、父子の関係のという縦的真の愛の観念が先であり、次に「愛がこうなっているから男性と女性がこうなるべきだ」と神様が思われた結果、創造されたのがロゴスの形状なのです。


ここで夫婦の二性性相の愛、夫が妻を思い愛と妻が夫を思う愛が創造され、絶対性の愛が創造され、このロゴスで男性・女性という意味での父母の愛が創造されました。

このように夫と妻の愛、絶対性は昼の神の位相に存在する被造物であることは前項、「3-9.アガペーの愛、エロスの愛」にて論じました。


三位一体の中心は父子の関係であり、その愛の関係は縦的な愛、父子の愛であるがゆえに、女性は夜の神の原相”父と子と聖霊の三位一体”の外で創造された被造物であり、女性の愛も、”父と子と聖霊の三位一体”の外で創造された被造物であるということです。

従ってこの”父と子と聖霊の三位一体”の愛の関係は、愛と生命と血統を求めて横的な男女の愛も創造する必要があったのです。


3-10-4.女性先惟はロゴス創造の時。


このような女性の愛という横的愛を創造する時、ここで女性を先惟する必要性が出てきます。神が男性であるがゆえに女性を考えたということが出てきます。


しかし神様は、父子の関係の縦的真の愛であられるので、エロスの愛を創造することが出来ても、エロスの愛を感じることはありません。女性的な対象を感じるという感覚はお持ちではありません。

エロスの愛はすでに論じたように夜の神様の、アダムとエバへの贈り物なのです。


夫が妻を思う愛も、妻が夫を思う愛も、父子の愛を基準として造られた愛であり、従って絶対性も被造物ということです。


”父と子と聖霊の三位一体”とは、このような縦的父子の愛を言うのであり、一切の女性的性相も絶対性の愛も存在しないアガペーの愛であるがゆえに、女性を対象として創造する必要があり、その横的関係のために絶対性の愛を被造物として創造されました。


創世記2:23そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう」


創世記2:23においてアダムは女性に女という名をつけました。エバではなく女です。

これは、アダム、男性が第二創造主として女性を創造したということです。


ヨハネ1:3すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。 


そして、ヨハネ1:3において、被造物の中でイエス様によって造られなかったものは一つもなかった、即ち、女性もイエス様、男性によって造られた被造物だという聖句です。このように女性とは夜の神様の原相、”父と子と聖霊”によって創造された被造物なのです。

   *参照:3-5.アダムは第二創造主としてエバを創造した


3-10-5.横的真の父母の愛は縦的真の愛で創造されたロゴスの愛


ここで、愛と生命と血統のために父子の愛を核として、男女という意味で横的父母の愛が創造されました。

このように、父子の縦的愛を核として横的父母の愛が創造され、絶対性が創造されたのです。

それが神様とともに太初に存在したロゴスということです。


これが真のお父様が、神様は、前を見れば男性生殖器であり、後ろを見れば女性生殖器であると言われた神様、つまりロゴスに現れた神様ということになります。


このロゴスは当然、父子の関係の縦的愛を核として創造されました。絶対性の愛も、アダムとエバは実際に愛を交わすときにも、当然ながら、この父子の関係の縦的愛、アガペーの愛を核として一つとなることが、このロゴスの構想理想であることは言うまでもありません。


この父子の縦的愛には絶対性の愛は一切無いことは先に論じました。

夜の神様にこのようなエロス的愛の感性は無いことも論じました。

妻と夫、アダムとエバ、これらの愛、お互いを思う感性感覚は、アダムとエバに絶対性の愛の喜び、エロスの愛として、神様が与えてくださった被造物だからです。


3-10-6.神の愛の喜びにエロスの愛の喜びはない


ですからアダムとエバが絶対性を交わす時、神様がアダムの体を自分の身体にされた時、感じる喜びは、絶対性愛の喜びではないということが分かります。

この縦的な父子の愛と生命と血統が創造されていくアガペーの愛が実体化していくことに対する喜びなのです。


エロスの愛は神の創造物であり、神様には本来的にエロス的感性がもともと有りませんから、アダムの体を自分の身体にされて、その絶対性の愛の中に在ってもエロス的愛は一切感じることはありません。

では絶対性における神の喜びとは何でしょうか?


アダムとエバの絶対性の交わりの時、神様が感じる喜びは、父と子と聖霊の縦的な父子の縦的アガペーの愛の感性が、生命と血統が創造され、ぞの創造理想、父子の真の愛が実現されることを感じる時生じる、父子の愛の喜びです。

それは、親が仲睦まじい子供夫婦を見る喜び、子供夫婦が子女を抱いている姿を見て喜ぶ喜びに似ています。


それだから、天地創造主が夜の神様の原相、三位一体としてアダムの体を借りて、つまり実体を持って成そうとされる、この縦的な天の父子の愛の目的は、このロゴスによって創造された被造世界に、実体的父子の関係として神様の血統王権、つまりアダムの三大王権を立てることであり、復帰摂理においてはキリストの三代王権をたて、その上で三大王権を立てるということなのです。


アダムとエバの絶対性の時、絶対性のエロスの愛でアダムとエバが喜ぶ時、神様が感じる喜びとは、神様がその絶対性に臨在され天地創造の中心目標が成される喜びということなのです。

この神の喜びに、官能的な、エロス的な感性的な愛は、神様にはまったくないのです。


3-10-7.ルーシェルとエバ、その命をかけて愛し合ったエロスの愛


ところが、エロスの愛で堕落したエバとルシファの子孫であるがゆえに、祝福を受けて、宗族王と王妃になっても、この官能的なエロスの愛で、この性的二性性相の愛と感性で、アダムとエバの愛の核に臨在される神様の喜びも同じものだと考えてしまいます。それが真の愛だと勘違いするのです。


なぜ勘違いするのでしょうか?エバは取って食べてはならないというルーシェルとの愛に、本気で死んでもいいと、ルーシェルに命を捧げ愛を捧げて真剣に愛し合いました。

命をも捧げる犠牲の愛であるがゆえに、これをアガペーの愛と真剣に勘違いし、過ちの愛であるとことさえも分からないで、この愛を求めるのです。


エバのその生命を越えて愛を求めあったその感性が面々と引き継がれてきたので、この過ちの愛こそが真の愛と信じ込み、この過ちの愛が真の愛にとって代ってきたということです。


過ちの愛といえども、そのような人類最初の、命を捧げた愛ですから祝福を受け神の血統になっても、どんなに御言を学んでも、愛は原理より強いがゆえに人々の愛の情念に現れてくるということなのです。

これはメシア、キリストでさえも取り除くことのできない過ちの愛の記憶、過ちの愛の感性なのです。

しかし、神にはそのようなエロスの愛、ましてやその愛に包まれるというような感覚はありません。その愛の感覚はルーシェルのエバの愛で包まれて強烈な愛の減少感を癒したと思ったエバに対する愛が起源であり本体なのです。

このルーシェルとエバの愛については、別の項で論じたいと思います。