2025年12月21日日曜日

指示に従わない?だったら暴力だ!お父様は痴呆症だ!◆ 2025年12月17日 テネシー清平韓国語水曜礼拝 「喜びの報告」<2> 權寧畢(クォン・ヨンピル)牧師

指示に従わない?だったら暴力だ!お父様は痴呆症だ!

2025年12月17日 テネシー清平韓国語水曜礼拝

「喜びの報告」2

權寧畢(クォン・ヨンピル)牧師

翻訳minion 監修fanclub

テネシー清平韓国語水曜礼拝權教授한국 수요예배 12 17 2025


聖書の放蕩息子にも及ばない略奪息子


聖書、ルカによる福音書(15:11-32)に放蕩息子のたとえ話が出てきます。ご存知でしょう?

放蕩息子は父に、自分がもらえる財産をくれと頼みます。父が財産を分けて与えると、彼は遠い国へ行き、散財して乞食になりました。

彼は後悔し、父のもとに戻ろうとします。

しかし面目が立たず、父に「たとえ僕としてでも受け入れてください」と懇願しました。

彼はこのように神と父の前に心から悔い改め、こう求めました。「私は神と父に罪を犯しました。私は息子としての資格がないので、たとえ雇い人としてでも受け入れてください」。すると父は、死んでいた息子が生き返ったと喜び、放蕩息子を温かく迎えて受け入れました。

聖書を見ると、放蕩息子は父が許した財産だけを持って出て行ったのです。


ところが文顕進氏は天文学的な摂理基盤を無断で持って出て行きました。

その時、父の許可を得たのでしょうか?

もちろん公的財産は顕進氏に相続させる財産でもありませんでした。


こう見ると聖書の中の放蕩息子はむしろ孝行者だと感じます。

放蕩息子は財産を浪費し、そうしてから父の愛に気づき、恥ずかしい姿ながらも再び訪ねてきました。そして許しを請いました。真に悔い改める姿を見せたのです。

自分は息子としての資格もないのだから、ただ使い走りとしてでも受け入れてほしいと懇願しました。


私は文顕進氏がこのような姿を真の御父様に見せるべきだったと考えます。自慢することはありません。

今からでも悔い改め、心から真の神様と真の御父様と食口の前で赦しを請わなければなりません。

真の御父様の前で誰が上か、どうすれば上になれるかと問い詰めることは、真の御父様の権威への挑戦です。

今もなお、自分が正しいと主張し続けています。


皆さん、神様は誰かが正しいからと彼を受け入れ、正しくないからといって追い出す方ではありません。

放蕩息子のように何もなく空の手で帰って来ても、真の御父様は赦してくださるでしょう。


悔い改めが重要です。

愛の真の御父様は大いに喜んでくださるでしょう。最後まで自分を防御しようと努めないでください。


文顕進氏が真の御父様を離れてから17年が経ちました。この間、統一教会において文顕進氏に対して立場が代わったことは一つもありません。

今後17年が過ぎても変わることはないでしょう。

どんなに立派になっても、どれほど持っている物が多くても、人は老いていき、自らの全盛期は過ぎて行きます。


結局、悔い改めのない人間は、天が赦したくても赦すことができる条件がありません。


絶対善である神様と真の御父様の前で、いったい誰が自分が善良で正しいと主張する事ができますか?


放蕩息子は知らなかったでしょうが、父は放蕩息子が家を出て行った時から再び戻ってくるのを待っていました。

聖書には、放蕩息子が来る時、御父様は遠く離れていたにもかかわらず、父が走って行って息子の首を抱きしめ口づけしたと記されています。

(参考)

20 そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。


父が駆け寄ったということは、体面を捨てたということです。

それだけでなく、息子の身分を回復させてあげたのです。

父は僕たちに言いました。

22 『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。

この言葉は、戻ってきた放蕩息子を息子の身分として再び回復させたことを意味します。

息子が悔い改めて戻ってきたので、出かける前の立場で迎えてくださったのです。


したがって、悔い改めて真の御父様のもとへ戻れば、過去を問わないで再び息子として回復させてくださるでしょう。

真の御父様も胸が張り裂ける思いで、一日も欠かさず息子が悔い改めて戻ってくるのを待っておられたことでしょう。


それなのに、何が指示と服従の関係だの、主従の関係だの、そんな無駄なことを問い詰めるのですか?

教権勢力が何をして出て行ったとか、それで理不尽だとか、なぜこんなことを取り上げるのですか?


教権勢力たちは真の僕です。僕なので僕が怖くて、息子が父に会うことができないということが理由になりますか?

真の御父様の心が聖書に出てくる放蕩息子の父に及ばないというのですか?


お父様への反駁を正当化する郭グループ


さらに郭グループの主張を見てみましょう。


『御父様の指示に従うだけでは摂理は成就しない。

統一運動には数多くの失敗があった。なぜ御父様の最終決定に従っているにもかかわらず企業は大部分が赤字で、どうして御父様が勝利を確信して臨まれた選挙は完敗したのか?

それは御父様も人間だからだ。

これは御父様の最終決定に従うだけでは神の摂理は成就しないことを意味する。

統一運動に数多くの失敗があることが確かな証拠だ。』

こう話しました。


真の御父様に背く選択をしたことが正しいかのように語っています。

呆れた話です。


このような態度では、今後もいくらでも真の御父様に背くことができることを見せているのです。

このような考えを持っているのを見ると、当時複雑な後継条件を論じる必要もなかったでしょう。後継者から押し出されるのは当然なことです。


これは競争の問題ではなく、態度の問題です。

たとえ滅びの道であっても、最後まで御父様の言葉に従うなら、その結果については真の御父様が責任を負われるのではないでしょうか?

神様が責任を負われるのではないですか?


このように主張するなら、同じ論理を郭グループの幹部たちに適用してみたらどうでしょうか?


郭グループの韓国会長が文顕進氏や郭錠煥氏の指示を拒否し、独自の判断で行動したとしましょう。彼は神の御心を成すために指示に従わなかったと主張しています。


では郭錠煥氏と文顕進氏は彼を責任者に任命するでしょうか?認めるでしょうか?

私たちも主体になることができる。だから郭錠煥氏と文顕進氏が対象となれ。我々の言うことを聞け。

こう主張したらどうでしょうか?これが話しになりますか?


神の摂理に何の夜自タイム(ヤジャタイム:夜間自律学習の略:年齢と職級を超越したコミュニケーション)があるというのですか?


指示に従わない?だったら暴力だ!お父様は痴呆症だ!


ブラジルで年配の幹部に指示に従わないという理由で膝をつかせ、拳で頭を殴打し、靴底で胸を蹴りつけたのではありませんか?


【顯進氏が足を組んで椅子に座っている】

お前は口数も多いんだな、このあくどいやつ。この小さい奴が、そんなに多くを知っているなら言ってみろ!!


【顯進氏が椅子から立ち上がられる】

お前はお前の言葉に確信があるのか?馬鹿のような奴?あ?(確信が)あるのか?

確信があるのか?


【申東謀氏の足のあたりを蹴る】

確信があるのか?

アイゴ―, 石頭が、石頭が、石頭が勇敢だ。その分は、私がお前を認めてあげなければな。そうであるから、お前が今言っていること、していること、お前が責任を持つことができると?


【頭を小突かれる】

あ?

お前が分からずにいるのは、これは、何も分からなくても


【額を3度小突かれる】

お前が責任をとるんだ

今、これからアッパ(お父様のこと)が変わったらお前はどうするんだ?

お前、お前、お前が今考えているのはどれほど野暮で気が塞がることなのかはお前が感じることだろう、これから。これからお前は私(の顔)を見ることができるのか?馬鹿のようなやつ。お前は話すのをやめなさい。聞きたくない。このあくどい奴

私を見なさい。


【足で軽く蹴る】

あなたはこの悪者に従いたいのか? 最終的にあなたが悟らなければならないのは、、、この石頭の馬鹿、石のように頑固な彼は正しいことをしていると考えている。何故復帰摂理がそんなにも難しいのか分かるか?サタンは正しいことをしていると考えていると思うか?、、、言ってみなさい。あなたに質問をしているではないか。


【足で軽く蹴る】

サタンは正しいことをしていると考えていると思いますか?Oh, Yes! サタンはそう考えている。そのように自分がでっちあげる全ての嘘を正当化するのだ。私が言っていることを理解できるか? それ故に無知には完成がないのだ。彼のように無知で小さな馬鹿は


sannnann2.jpg


【申東謀氏の頭を小突かれる】

決して分からないだろう。今後これからお前、ピーター金、お前、その人の下で働いて僕(の仕事)をしなければいけない、こいつ、ピーター金に言ってあげろ。このあくどいやつが、私がそいつの首をつかんで今後これから、、、全体を見るだろう。お前が指導者か!!! お前、お前が蛇のように言う時、私が一つも信じない


これから、あなたはこの馬鹿のいうことを聞かなければいけないと思うのか?

皆さんはどうですか? 彼が言うことを聞かなければいけないと思いますか?

彼が聖殿を汚すことを願いますか?

彼の汚い言葉によって? あなたはどう思いますか?あなたはどう思いますか?あなたはどう思いますか? 、、、あなたはどう思いますか!


【足でシモン教会長を軽く蹴る】

あなたは悔い改めた方がいい

お前、小さい奴がそんなに大きな頭があったのか、気が塞がった。


【足で申東謀氏を蹴る】

馬鹿のような奴. 嘘を言っただろう?


【申東謀氏を軽く蹴る】

お前はお前の手紙に、2008年(2009年?)3月に私が話すことをお父様が禁じたと書かなかったか? その情報をお前はどこから得たんだ?何?お前は私の父がどのような人なのか分からない。。。そしてお前はこの愚か者を騙しただろう?


【申東謀氏を軽く蹴る】

お前はここに弁護士を連れて来ただろう?

弁護士を連れて来たのか? こいつ

連れて来たのか!!


【申東謀氏を蹴る】

お前の言葉から嘘のようなにおいが出続けている

お前はいつ真実を話すのか? 馬鹿のような奴

私が今お前をこちらに連れて来たのはお前を許してあげる為にここに連れて来たんだぞ!!!

お前は私の前で嘘を言い続けるのか?

お前は嘘のマスターだ


【シモン教会長を軽く蹴る】

あなたはこの馬鹿の言うことを聞くつもりか?あ?あなたに質問する、あなたは神の。。。をどう思うのか? あなたは真の父母様の。。。。をどう思うのか?真の家庭の文化がどうなるべきとあなたは思うのか?誰を中心に?、、、


【シモン教会長を軽く蹴る】

私を見なさい、あなたはどのようにして、、 彼があなたに侵害することを説明した、、、、私はあなたに書いてほしい。私を見なさい。大陸会長の地位での


【申東謀氏の頭をはたく】

公的報告書として彼が送った手紙をあなたに読んでほしい。そしてあなたの心が本当に感じる事を書いてほしい。私が言っている意味が分かるか?

http://bunpasamuraijin.blog.fc2.com/blog-entry-341.htmlより

~参考資料:2010年5月31日-文顕進三男ブラジル教会占拠暴力事件


皆さん、自分の言うことを聞かなければ我慢できない人が、どうして真の御父様には逆らってもいいと主張できるでしょうか?

どうか、話にならない弁明を押し付けないでください。

正常な判断力を持つ人なら、誰が信じるでしょうか?


文顕進氏は、自身の過ちと暴力性を擁護するために、真の御父様を認知症の老人にして、兄弟たちを道化師にし、全ての幹部をゴマすり屋にしました。

本当にそんな生き方でよいのですか?


「喜びの報告」の中心者は郭錠煥


郭グループの主張をさらに見てみましょう。


『御父様の口から出る全ての御言は間違ったことがない、と信じる食口がいる。

しかしそれは事実ではない。

私は多くの先輩家庭に確認したが、御父様は指導者たちの報告を聞いて決定した後、より正確な報告が入ると決定を変更されることもあった。

指導者たちの「喜びの報告」というものを知っているか?


「御父様の前では真実を報告するのではなく、御父様を喜ばせることが目的であるため、実績を誇張して報告しても構わず、報告を上手くして資金と人材を得るのが有能な指導者だ」ということを公職者たちの会話で聞いた記憶が今も鮮明だ。

御父様はアフリカの僻地村落の人口を正確に把握できるのか?海外で土地を購入する際、御父様が調査しなくてもどの不動産で買うのが最も良いということが分かるのか?

御父様は指導者の報告を聞いて判断された。指導者が嘘をつけば、誤った最終決定を御父様が下される可能性があるということだ。』


このように話しました。まったく。

いや、郭グループは例を挙げても、なぜこんな幼稚な例を挙げるのですか?

いや、御父様はアフリカの僻地の村の人口を把握できないとか、そして、どの不動産で良い土地が売られているか当てられないとか、これを例にあげるのですか?

御父様が不動産に投機されますか?例にあげる話のレベルも大変低いです。


結構です。

ここに出てきた喜びの報告についてお話ししましょう。


まず郭錠煥氏を紹介します。郭錠煥氏は真の御父様ご存命中、統一教会における第一人者とナンバーツーと呼ばれた人物です。

真の御父様を最も身近で仕え、様々な機関の最高職を担い、任務を遂行した人物です。

国際文化財団理事長、国際宗教財団会長、米国UPI通信社会長、ワシントン・タイムズ会長、世界日報初代社長、世界平和教授アカデミー世界会長、鮮文学院理事長、統一財団理事長などを歴任し、特に世界平和統一家庭連合世界会長、超宗教超国家連合世界会長、天宙平和連合世界会長、NGO連合会世界議長、韓国プロサッカー連盟会長など、全てが真の御父様の意思に従って職責を担いました。


一言で、郭錠煥氏は統一教会の要職全体に責任を持つ首座格の位置でした。

これは彼の能力が優れていたからではなく、真の御父様に侍る天使の使命があったからです。


それだけではありません。

彼は2007年に創党した世界平和統一家庭党の総裁でした。覚えているでしょう?

家庭党は2008年の第18代国会議員選挙で全国245の地域全てに候補者を出しました。

しかし皆が目の当たりにした通り、一議席も獲得できず惨敗しました。政党得票率1.1%で比例代表一議席も獲得できず、政党登録が取り消されました。

すべて覚えていますね。


では、選挙戦略全体を陣頭指揮した郭錠煥氏に責任があるのではないでしょうか?

国家や公共機関、あるいは大企業などの団体で大型事故や重大な事業に失敗した時、該当組織の最高責任者が責任を取り、社会に表明するのが道理です。

直接的な違法行為や個人の過失がなくても辞任します。これを道義的責任と言います。

どうして部署長が責任を取るのでしょうか?

それは部署管理全体の権限が彼に集中していたからです。管理監督システムが失敗したとみなされるためです。

したがって、権限があれば結果に対する責任を取ることは当然のことです。


郭グループは自分たちの失敗を全てお父様に責任転嫁


ところが郭グループでは、郭錠煥氏が平和統一家庭党の総裁であったにもかかわらず、その責任を今、真の御父様の人間的な限界に責任を転嫁しています。


ご覧ください。何と言うかと言えば、

なぜ御父様の最終決定に従っているのに企業の大部分は赤字で、なぜ御父様が勝利を確信して臨まれた選挙は完敗したのか?それは御父様も人間だからだ。

こう言っているのです。

あまりにも厚かましくないですか?


喜びの報告について申し上げます。これは統一家のあらゆる失敗の原型となる悪い習慣です。

多くの幹部や牧会者が長年繰り返してきた、自然に固まった報告方式です。

もはや伝統のように固まって、良心の価値や恥ること自体もない失われた癌細胞のようなサタンの文化です。

統一教会の虚偽報告と成果の水増しが構造的に発生していたことはよく知られた事実です。


皆さん、実は喜びの報告に対する責任は最高幹部にあるのです。

これは一部幹部の逸脱行為ではなく、組織全体の意思決定システムが故障していたためです。

当然、最高幹部である郭錠煥氏が真の御父様に事実に基づいた正確な報告を行い、組織機関を正すべき責任があったのです。

それができなかったなら、位置から降りなければなりません。


しかし、むしろ最高幹部が率先して虚偽を作り出しているならば、その内部の自浄機能は事実上、麻痺するのです。


現在、独生女韓氏を中心とした幹部たちがこのような行為を見せていませんか?

これが当時の統一教会の実態であり、これを解決する方法は全くありませんでした。勇気ある幹部が内部告発を通じて問題を解決することもできない構造でした。

もしそのような人物がいたなら、彼は即座に孤立し、業務から排除され、左遷されることがあまりにも明白だったからです。

最高幹部が問題の中心なら直接対決しても成功確率はほぼゼロです。

なので、実物を任された者は二つの中の一つを選択しなければなりません。

私が教会を去るか、それとも大勢の流れの中で生き残るか?


は?「真の御父様も人間だから過ちを犯すことがある」ですって?


お尋ねします。

当時、統一教会で最も権力を握っていた最高位にいた人は誰でしたか?

まさに郭錠煥氏であり、その反対側に黄善祚氏がいました。

彼らは真の御父様を中心に侍り、摂理を完成させる事が出来るように補佐すべきでした。

しかし彼らが真の御父様と御父様に背き対立した時、真の御父様の全ての摂理は打撃を受けます。


結果的に組織内で真の御父様を愛する義人は離れ、偽りに従うおべっか使いたちだけが残るようになりました。

現在の家庭連合の事態はその延長線上に現れたものです。

列に群れる理由は、権力と資源が上から下へ分配される構造だからです。

昇進と予算と職務など核心資源が上位権力者、その一人に集中しているからです。

個人が懸命に働いて成果を出すだけでは接近が困難です。苦難を持つ人の傍にいることが合理的な選択となるからです。


人間は本能的に強い集団に属して安全を確保しようとする傾向があります。

特に競争が激しいほど中立でいることは危険です。

強いラインに乗らなければ自分を保護できません。これが生存戦略です。


今日の家庭連合が筋違い博士が出てくるようになった原因も同様です。

このような構造は一朝一夕に生まれたものではありません。数十年前から慣行として受け継がれてきました。

誰がこのような組織の腐敗した慣行に対する責任を負うのでしょうか?当時の最高権力者は誰でしたか?


今になって言うことが、「真の御父様も人間だから過ちを犯すことがある」ですって?だから「私の判断で違うと思うなら従わず、独自に行動してもかまわない」ですか?

金と権力を主管する邪悪な最高幹部が真の御父様を取り囲んで座り、喜びの報告をして統一教全体を虚偽と権力争いの沼へと導いたからです。


時間の都合で本日は全てお話しできません。

次回、出来なかったお話しをお伝えします。

以上です。ありがとうございます。

祈ります。


祈祷


御父様、

神様の摂理をただ一身に受けられ、この険しいサタン世界で七死復活八段完成の道を歩まれた御父様。

あなたが千の十字架を背負い、ギリギリのところで世界基督教統一神霊協会を立てられて、家庭を築かれましたが、あなたに従い忠誠すると集まった幹部たちと、夫を天のように侍ると約束した夫人。そして真の御父様の血統を受けて生まれた子女たちが、真の御父様を人間的に見て、

自らの目でその限界を定め、むしろ自分を偶像化する、このような痛ましい現実を見る時、あまりにも胸が痛みます。


本当に暗澹たる悲惨な状況の中でも、あなたが天から受けたその摂理をどうにかしてでも成し遂げようと、血と汗と涙と胸が張り裂けるような恨の路程を歩んでこられた真の御父様であることを、この時間、私たち皆が悟れるよう導いてください。


私たちが御父様の前に見せることができる何があるというのでしょうか?

御父様を離れ、乞食となって戻ってきた放蕩息子の立場で、御父様に悔い改め、微力な私たちの力ですが、残された私たちの日々を御父様のために私たちは努力すると、このように集まった私たちの心を受け入れてください。

悔い改める私たちに優れたものは何もありませんが、誇れるものもひとつもありませんが、悔い改める心で愛の御父様のもとに再び戻りましたので、御父様が受け入れてください。


私たちの力は僅かですが、三代王権を中心に従い、三代王権を通して天が大きく役事されることを信じておりますので、最後までこの場に従えるよう導いてください。

切に願い望むとき、祝福中心、權寧畢(クォン・ヨンピル)、森田裕子家庭の名において報告申し上げます。アジュ


ありがとうございます。

2025年12月19日金曜日

文顕進氏の正反合父子対立闘争論 ◆ 2025年12月17日 テネシー清平韓国語水曜礼拝 「喜びの報告」<1> 權寧畢(クォン・ヨンピル)牧師

 文顕進氏の正反合父子対立闘争論

2025年12月17日 テネシー清平韓国語水曜礼拝

「喜びの報告」1

權寧畢(クォン・ヨンピル)牧師

翻訳minion 監修fanclub

テネシー清平韓国語水曜礼拝權教授한국 수요예배 12 17 2025


こんにちは。もう12月も深まってきましたね。

来週はクリスマスで、それから少し経つと年末年始になります。一年を過ごす中で、皆様がしっかりと締めくくられますように。


本日の礼拝の御言を捧げる前に、コメント欄に寄せられた内容のうち二点をご紹介し、コメントに対する立場をお話しします。

もちろん、私たちの礼拝を通して疑問に思っていた真実を見ることができたという賛同のコメントもありましたし、一方で、罵詈雑言や呪いの言葉で埋め尽くされたコメントもありました。

数あるコメントの中で、ああ、このような内容については私の信念を明らかにしたり、受け入れる必要があると考えました。

そのような理由から、本日はまずコメントを紹介し、私の立場をお話ししたいと思います。


何故、攻撃性のある対立説教をするのか?


一つ目は、

「サンクチュアリ教会の牧師は、礼拝を通じて食口たちに神の福音を伝える恵み深い御言よりも、なぜいつも家庭連合や家庭平和協会の非原理をつついて指摘し、対立する説教で食口たちの心を緊張させ、他団体に対する攻撃性を起こそうとするのか?」

という内容です。

忠告の御言に感謝いたします。


私はもともと牧会の志を持っていたわけでもなく、実際牧会に関心もありませんでした。

30年近く、ただ表に出ない一般食口として信仰することを望んでいました。

私より先に 信仰の道を歩んできた先輩たちを尊敬し、彼らから信仰を学びたいと願っていました。

全世界が違うと反対しても、真の父母様と原理への確信があり、統一教徒であるという事実に誇りを持っていました。

だから反対する人々の前でも信仰を隠さなかったのです。


しかし真の御父様の聖和前後、誇りであった真の家庭が崩れるのを目撃し、信仰の誇りが墜落するのを感じました。生涯の信念が否定される真の心情を覚えました。

その後、私は当時の状況に対する本当のことを知るようになり、真の御父様の御言に関心を持つようになりました。

そして御言を研究する中で、当時真の御父様周辺に存在した善と悪をはっきりと見るようになりました。

その後、後継者である文亨進様の中に真の御父様の御心を再び見出し、その時から三代王権の証人となることを心に決めました。


以降、私の関心は、私が悟った善と悪を食口達と共有したいという思いを持つようになりました。

私は包容や愛、理解や共に歩むことよりも、善悪の分離と義を選んだ者です。

したがって、恵みの言葉や内面の深い悟りを追求する方には、私の礼拝の言葉は助けにならないと思います。


聖殿には恵み深い言葉を語る優れた訓師様や立派な牧師様がいらっしゃいます。YouTubeを通じて、キリスト教牧師の説教を通して、恵み深い心の糧を得ることもできます。


しかし、統一教会の現実に対して怒りを感じ、真実と義を追求する方に、私の礼拝の内容が助けとなることを願います。


何故敬称を付けないのか?


そして二つ目のコメントを紹介します。


「家庭連合の韓鶴子総裁が原理から外れたとはいえ真の母であり、家庭平和協会の文顕進会長も真の御父様を離れたが真の子女であるのに、どうして敬称をつけずに韓氏オモニあるいは文顕進氏と呼ぶのか?

真の家庭の子女であるならそう呼べるかもしれないが、食口の立場としてそのように軽々しく呼んではならない。礼儀を守ってほしい」。

このような内容でした。

もちろん、このような忠告の言葉は、今後礼拝の言葉を準備する際にもう一度考えてみようと思います。


私は40年近く身を置いていた家庭連合を離れ、荒野の三代王権に従う者です。

御父様を裏切った人物が真の家庭の中から出てきたという事実に非常に混乱しましたが、今は心を整理しました。

私は御父様に背き裏切った者たちに対しては、敬意の念を全く持っていません。

彼らが真の御父様の夫人であったとか、息子や娘であったとか、かつて私が尊敬していた牧師であったなどは重要ではありません。

私は現在の彼らの行いと主張によって判断しています。

したがって私は、真の御父様を裏切り傷つけた者には、その人物が誰であれ、「真の」という接頭辞や「様」という敬称を付けようとは思いません。

私は彼らを真の御父様の理想として見ることはできません。

この点をご理解ください。


しかし基本的な礼儀は今後守るようにします。

以前、郭グループの幹部キム某氏が真の御父様が立てられた後継者について「偽キリスト」「悖倫者」「偏執的な狂気に満ちた多重人格障害者」などと述べ、誹謗中傷を平然と撒き散らすのを見ました。

その理由で私は郭グループに対する敬意はなくなりました。


とはいえ私はあの人物のように無分別な暴言は吐きません。

したがって私は暴言は避けつつ、事実は躊躇なく明らかにしようと思います。

これから、多くのご意見とご評価をお願いします。

ありがとうございます。


郭グループの、愛と美がない三対象目的


本日の礼拝の題目は「喜びの報告」です。

まず郭グループの主張について見ていきましょう。


郭グループでは、統一教会の信仰は御父様神格化に基づく信仰だと言います。


『指導者たちは食口たちに「御父様は全てをご存知でおられ、間違うことがなく、我々とは次元の異なる神的な存在だ」と このように信仰教育を行いました。

このように御父様を神格化することで、食口たちは真の父様の言葉と指示に絶対服従することが正しい信仰だと考えるようになりました。

この信仰は、神様と人間の親と子女の関係を主人と奴隷の主従関係に墜落させてしまいます。

原理的に主体と対象の関係がどのようなものか見てみましょう。主体と対象は指示と服従の関係ではない。

神様を中心とした授受作用・正分合作用・四位基台において、主体と対象の関係は主従関係ではなく相互補完的関係である。

妻は無条件に夫の言うことを従わなければならない。

また子女は親の言うことを無条件に従わなければならないと原理は教えない。

愛を与える側が主体であるため、子女が主体となり親が対象となることもある。

創造原理で明らかにした三対象目的は、たとえ子であっても愛の主体となれば、四位基台の他の格位である神様、父、母も対象となることを教えている。

御父様の指示に服従するという食口たちの御父様との関係は、真の子女の心情とはかけ離れている。

それはまるで親子関係ではなく、主人と奴隷の関係である。

創造本然の父子関係である御父様と顕進様との間の父子関係が指示と服従の関係であったはずがない』。


このように郭グループで語られています。これは原理の三対象目的にある内容です。

しかし郭グループで特にこれを強調する以外に、明らかな落とし穴があります。

郭グループでは指示と服従の関係は主人と奴隷の関係だと言います。もちろん必ずしも間違っているとは言えないでしょう。

しかし統一原理の正分合理論は、愛と美を与え受けする授受作用を語っています。無条件的な指示服従の関係ではないにせよ、大いなる目的のために存在する一つの目的的な関係です。


郭グループでは子女が主体となれば、神様、父、母も対象となるのだと主張します。

もちろん三対象目的において、子女も愛の主体となることができ、神様と父も対象となることができます。

しかし原理で言うのは、各格位が神様と愛で一体となった状態を言います。無条件にそうであるというわけではありません。


では文顕進氏は個性完成を成し遂げ、神と一体となったのでしょうか?

メシアの血統だからといって自動的に完成して生まれる恵沢があるわけではありません。

むしろより厳格な人間の責任分担が求められるのです。フリーパスでただ乗りできるものではないという話です。


このような主張は、文顕進氏が真の御父様に背いて出て行った事実を正当化するための言い訳に過ぎません。


は?父子関係だから背くことができる?


真の御父様と顕進氏は主従関係ではなく父子関係だから背くことができると正当化します。

これが何という荒唐無稽な主張でしょうか?父子関係だから背くことができる?

真の御父様が私たちに指示と服従の主従関係であれとおっしゃったことがあったでしょうか?


真の御父様は私たちに一心、一体、一和の関係を教えられました。

これは主従関係ではありません。主体と対象が一つであることを教えられた御言です。


そして文顕進氏と真の御父様の関係が創造本然の父子関係だと言うのですが、根拠はどこにあるのでしょうか?

あまりに誇張された表現ではないでしょうか?


人間の責任分担を完成し、個性完成に至った時に創造本然の関係となるのです。

創造本然の父子関係とは、真の御父様と文顕進氏が一心一体となった状態を意味します。


聖書を見てみましょう。


ヨハネの福音書にはこうあります。

(ヨハネによる福音書 14:11-12 )

わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。 はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。


また17章には

(ヨハネによる福音書 17:21 )

21 父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります。


という聖書の言葉があります。

一つにならなければなりません。


しかし文顕進氏は真の御父様と、このような関係ではないことを、統一家全体に明らかに示したではないですか。

真の御父様に背いて飛び出していきました。

それもただ出て行っただけではありません。真の御父様の摂理基盤を許可なく無断で持って行き、所有権を自分のものにしてしまいました。

対立し、争い、飛び出した者がどうして創造本然の関係だと主張できるでしょうか?


これは嘘をつくのでなければ、原理を無視するかの2つの内のどちらかです。

そして真の御父様と真の子女の関係ならば、一般の食口たちにとってなおさら模範となるべきです。文顕進氏の言葉と行動が他の食口たちの模範となり、信仰の基準とならなければならないということです。


もちろん子女だと言っても、愛の主体となれば神様や御父母様の前でも主体となることができます。

しかし原理の御言は正しいが、少なくとも三対象目的を成すには前提条件がなければなりません。主体と対象が絶対に一つにならなければなりません。


文顕進氏が見せた正反合父子対立闘争論


ところが文顕進氏が見せた関係は、真のお父様に対して対立し闘争していませんでしたか?

二つの存在が原理において関係を築く時、相対基準を造成すると言います。相対基準とは、二人が授受作用を良く行えるよう関係を築くために準備するものです。二人がいても互いに相対基準を造成しなければ授受作用はできません。


アダムの目的も神様の中から出てきて、エバの目的も子女の目的も神様の中から出てきます。存在する位置は違っても目的は一つです。

しかし対立と闘争は目的が異なるために生じるものです。


したがって郭グループが主張する授受作用、正分合作用、四位基台は原理的ではありません。

むしろ弁証論の正反合作用です。正反合理論は真理を追求せず、代理と闘争を擁護し革命を起こさせる目的です。

だから正反合理論を取ると対立と闘争を正当化します。


郭グループでは文顕進氏の脱落と離脱行為を擁護するために三対象目的を主張しますが、それは正反合理論に基づく主張です。弁証法的唯物論です。

即ち真理を追求する理論ではありません。


正分合理論は目的が一つであり、主体と対象は相互協力する一つの目的性を帯びています。

真の御父様と文顕進氏の関係は、指図と服従の主従関係ではなく、創造本然の父子関係だと言います。

しかし創造本然の父子関係では、真の御父様に背いて出て行くことはできないのです。


文顕進氏と真の御父様との関係は、一般食口の関係とは異なり特別だと主張します。

なぜこのような特権意識を持ちたがるのでしょうか?

食口の前では自分が真の子女であることを強調して自らを高くし、真の御父様に対しては神格化は間違っていると批判します。

これは何でしょうか?自己偶像化に陥っているのではないかと考えます。