2025年9月11日木曜日

モーセの出エジプトと私達 2025年9月10日 テネシー清平韓国語水曜礼拝 あなたは何を見ているのか<1> 權寧畢(クォン・ヨンピル)教授

 モーセの出エジプトと私達

2025年9月10日 テネシー清平韓国語水曜礼拝

あなたは何を見ているのか<1

權寧畢(クォン・ヨンピル)教授

監修fanclub三原

「あなたは何を見ているのか」韓国語水曜礼拝権寧畢(クォン・ヨンピル)韓国水曜礼拝


翻訳minion

モーセの出エジプト


今日私がそのお話しする題目は「あなたは何を見ているのか?」と決めました。


今日は私がそのモーセの話をしてみようと思います。

モーセはイスラエル人です。エジプトで生まれ、ファラオの宮廷で王子になりました。そのため40年間、エジプトの王子として宮廷で暮らしました。

しかし、同族のイスラエルの民を虐待するエジプト人を見て怒り、彼を殴り殺し、その後荒野へ逃亡します。ミディアン荒野で40年間寂しく過ごした後、80歳になった時、ホレブ山で神の召命を受けました。


彼はエジプトのファラオを屈服させ、イスラエル民族を解放し、その民族をカナンの地へ導きました。モーセに従って出てきたイスラエル民族はエジプトを脱出し荒野へ出ましたが、その荒野生活は苦痛と苦難の道程でした。彼らは不足な水、食料、厳しい環境のために荒野で皆死んでしまうとモーセを怨みました。


聖書の出エジプト記を見てみましょう。

16:3イスラエルの人々は彼らに言った、「われわれはエジプトの地で、肉のなべのかたわらに座し、飽きるほどパンを食べていた時に、主の手にかかって死んでいたら良かった。あなたがたは、われわれをこの荒野に導き出して、全会衆を餓死させようとしている」。


4そのとき主はモーセに言われた、「見よ、わたしはあなたがたのために、天からパンを降らせよう。民は出て日々の分を日ごとに集めなければならない。こうして彼らがわたしの律法に従うかどうかを試みよう。


「わたしが試みよう。」という御言があります。イスラエルの民が荒野に出て、あまりにも辛いとモーセを非難したので、神はイスラエルの民を憐れみ、食料としてマナとうずらを与えられました。最初はマナを与えられました。しかし、肉が食べたいと不平を言ったので、さらにうずらを与えてくださいました。


これはイスラエルの民に対する神様の驚くべき愛と権能を示されたものです。

寝て起きたらマナがこのように降り積もっていたのです。しかし神は無条件に愛を施されるわけではありません。神は条件を告げられました。「わたしが試みる」と。このように言われたのです。神が食料を与えて、イスラエルの民が神の律法に従うか背くかを見守るためだという意味です。

この民は神に感謝を捧げ、モーセに従いました。しかし彼らはまた恵みを忘れ、不平を言い始めました。もちろん彼らはマナとうずらを毎日食べていたでしょうが、荒野で食べる食物はエジプトの食物より美味しくなかったでしょう。


実際、奴隷であっても肉を焼く火のそばに座っていれば、肉を幾片かでも分けてもらえたでしょう。ところがモーセに従って荒野に出てくると、あまりに辛くて不平を言うのです。イスラエルの民は神の愛と権能を経験しても、試練が来るたびに不平と不満を口にしました。そうしながら彼らはむしろエジプトでの生活を懐かしんだのです。


実際、彼らが不平を言うのは水と食糧が不足していた理由もあったでしょう。家もなく荒野の地面で寝なければならないのは大変辛かったでしょう。

しかしそれ以上に重要なのは何か?彼らには神へ対する信仰が欠けていたことがより大きな理由でした。そこで神はイスラエルの民にマナとうずらを与え、彼らが律法を守るかどうかを見るとおっしゃったのです。



彼らはエジプトからイスラエル民族を解放し、カナンの地へ導かれた神の恵みを忘れていました。

そのためエジプトでの奴隷生活を再び懐かしみ、不平を唱えたのです。

これに対し神はイスラエルの民に罰を下されました。聖書を見てみましょう。民数記


21:5民は神とモーセとにむかい、つぶやいて言った、「あなたがたはなぜわたしたちをエジプトから導き上って、荒野で死なせようとするのですか。ここには食物もなく、水もありません。わたしたちはこの粗悪な食物はいやになりました」。


神様がくださったマナとうずらを粗末な食物だと酷評したのです。


6そこで主は、火のへびを民のうちに送られた。へびは民をかんだので、イスラエルの民のうち、多くのものが死んだ。7民はモーセのもとに行って言った、「わたしたちは主にむかい、またあなたにむかい、つぶやいて罪を犯しました。どうぞへびをわたしたちから取り去られるように主に祈ってください」。モーセは民のために祈った。8そこで主はモーセに言われた、「火のへびを造って、それをさおの上に掛けなさい。すべてのかまれた者が仰いで、それを見るならば生きるであろう」。9モーセは青銅で一つのへびを造り、それをさおの上に掛けて置いた。すべてへびにかまれた者はその青銅のへびを仰いで見て生きた。


このような御言があります。神様がくださったマナとうずらを粗末な食料だと言って神様の愛をその人たちは冒涜しました。神様はこれに対して怒られて火の蛇を送られてその民たちを火の蛇にかませて死ぬようにされました。その時人々は神様の前に恐れを感じてモーセに集まって懇願しました。「私たちが間違っていました」と悔い改めるので蛇が噛まないようにしてください。


そこでモーセは神に祈りを捧げます。モーセは本当に性格が良いですね。私なら「お前たちがやったことだから、お前たちで解決しろ」と言うところですが、モーセは神に祈りを捧げます。

神は「ではお前は青銅の蛇を作り、さおの上に掲げよ」と言われました。火の蛇に噛まれて死にかけた人々が、その青銅の蛇を見上げれば助かることができる。モーセが青銅で蛇を作り、さおに掲げたので、人々はそれを見て助かりました。


出エジプト記や民数記を読むと、本当に胸が痛みます。なぜイスラエルの民は、いつも不平ばかり言うのでしょう?荒野での生活が辛いのは当然です。何もかもが不足しているのが荒野なのです。


ですからイスラエルの民の困難はある程度理解できます。彼らはカナンの地へすぐに入ることができると思っていたのに、入ることができずに荒野でぐるぐる回りました。また道があまりにも険しかったので、不平や怨みが出ることもあったでしょう。彼らの苦難は理解します。しかしイスラエル民族はエジプトでの奴隷生活を再び懐かしみました。カナンだの何だの全部投げ出してエジプトへ戻ろうと。彼らはこのように要求しました。


これほどまでになるとこれは問題です。イスラエル民族がそのように主張するなら、神の罰を受けるほかありません。神の恵みをこれほど多く経験したイスラエル民族が、なぜ不満を言い続けるのでしょうか?神はイスラエル民族が困難を克服できるような信仰を持つことを望んでおられました。そこで神はイスラエルの民が確信を持てるよう、多くの奇跡を見せてくださったのです。


三つの奇跡と十の災いでファラオを屈服させました。そしてイスラエルの民が荒野を通る時、紅海を割く奇跡を示されました。さらに毎日マナとうずらを降らせてくださいました。彼らが喉が渇いたので岩を打って水を出させ、飲ませました。

そして昼は雲の柱、夜は火の柱でイスラエルの民を導かれました。多くの奇跡を見せてくださいました。

しかし彼らは常に不平不満を口にしました。では何が問題だったのでしょうか?イスラエル民族の目がカナンの地に向けられていなかったのです。彼らは現実だけを見つめていました。


現実は荒野です。

乾いて苦痛と迫害の地です。関心が現実に固定されているため、苦しみだけを見つめ、心も現実に囚われてしまうのです。もしイスラエルの民が関心を転じて神を見上げていたなら、状況を違ったように認識していたでしょう。


イスラエルの民がエジプトを離れて荒野に出た理由は何でしょうか。エジプトの奴隷生活から離れ、神が導かれる約束の地カナンへ行くため出てきたのです。そこには自由と平和、幸福があり、理想を実現できる本郷の地です。神があなたの民を愛して、彼らをその地へ導いておられるのです。


しかし彼らは現実だけを見て、絶えず不平不満を言い続けるのです。


出エジプトと私達


皆さん、私がモーセの話をしている理由は何ですか?出エジプトの出来事を通して、私たちの姿を映し出そうというのです。私たちがイスラエル民族の過ちを繰り返さないことを願うからです。


イスラエル民族の状況が私たちの現実と重なる部分がたくさんあると考えるからです。私たちは韓氏オモニの堕落と裏切りを知った後、家庭連合から出てきました。荒野におられる真の御父様の代身者・後継者の召しを受け、私たちは荒野に出てきたのです。

もちろん私たちの現実が、実際に荒野に出てきたイスラエル民族に比べられるほど困難な生活ではないでしょう。


しかし私たちも荒野に出る時、私たちも家庭連合を離れて荒野に出る時、多くの困難を経験したのは事実です。

突然の信仰の変化で夫婦が互いに理解できず別れたケースもあります。親子間で縁を切った家庭もあります。やむを得ず勤めていた職場を失った人もいます。また、数十年間信仰を共にしてきた同僚から背教者だと罵られ非難されました。


その一方で、私たちは大きな恵みも受けました。私たちだけが受けたのです。全世界がコロナと毒注射に襲われる中、私たちは二代王様の御言によって保護を受けました。御言に従うことで肉体の命も守ることができ、魂も救われたのです。それだけでなく、聖書に出てくるように、私たちは聖霊の初穂の果実を受けました。


私たちは天地人真の父母様の完成祝福式に破格的に参加する栄光を受けました。そして私たちは永生の祝福式、すなわち生命の書入籍祝福式を受けました。神の生命の書に私の名が記されたのです。


ゆえに私が立っているこの場所は、命の木へと至る道です。この道は堕落したアダムとエバが入れないよう、神が火の剣とケルビムで守らせたあの道です。私たちは大いに不足しています。能力も足りず、性格も良くありません。しかし、真の御父様を裏切らなかったというその条件一つで、最高の恵みを受けたのです。もちろん、命の木の道を最後まで歩むか否かは、私自身の責任分担です。


しかし神様は、命の木への道を阻む火の剣とケルビムを私たちの前から取り除いてくださったのです。これはイスラエル民族がカナンの地に入るのと比較できない大きな恵みです。聖書ローマ人への手紙をご覧ください。


使徒パウロは、

8:16御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。17もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。18わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。


使徒パウロの言葉の通り、私たちは神の子として復帰され、神の相続者となりました。そしてキリストの栄光にあずかるためには、苦難に同参しろという御言です。苦難に同参しろ。この御言は祝福です。


しかし私たちの中には、神の摂理を見ることができず、イスラエルの民のように不平を言う人がいます。大きな恵みを受けたことを感謝することができず、自分の立場を忘れ、些細な感情に埋もれています。

だから不満を持って信仰を離れた人もいれば、再び家庭連合に戻った人もいます。

ある人はこの道が正しいことは分かっているけれど、あまりに辛い。だからついていけない。ごめんなさい。そう言って去っていった人もいます。


今は天一国が実現した時代ではありません。私たちの現実はまだ荒野の時代であり、開拓の時代であり、サタンの勢力と戦わなければならないそんな時代です。

そして私たちが望む天一国、その天一国は私たちが探して行かなければならない約束の地です。未来の地です。実際の天一国建設へ向かう道は荒野を通って進まなければなりません。荒野を突き抜けて行かなければなりません。私たちが進む道にはサタンが隠した多くの障害物があるため、私たちを倒そうとします。

したがって荒野を通過する前にエジプトの安楽な生活を懐かしんではなりません。戦わなければなりません。そして実際、考えてみれば私の姿も天国人になることができていませんでした。


天国人になる


皆さん、明日天一国が来るとしても、私が天国人になっていなければ全て無駄な苦労です。私がまず天国人にならなければならず、私の家庭がまず天国家庭にならなければなりません。


王様は私たちに天一国市民と家庭生活について多くの教育をしてくださいました。夫婦デート訓練、子女と一対一訓練、子女教育、子女伝道、野生訓練、体力訓練、富と相続に関する御言、このように天一国市民の生活に関する訓練をさせてくださいました。


それゆえ天一国を望む前に、私がまず天国人にならなければならず、私の家庭が天一国家庭にならなければなりません。そうして、私は天一国市民の資格を持つことができるようになります。もちろん、私がこのような話をしたからといって、皆さんが個人完成や家庭完成をなすことができなければ、静かにしていなさいと抑圧するような意味ではありません。


私もやはり天国人になれておらず、家庭完成も簡単ではありません。私が申し上げたいのは、私の努力なしに天一国が自然に私のもとにやって来るものではないということです。


皆さん、ご覧ください。王様はサタン勢力を滅ぼし天一国を建設するために昼夜を忘れて準備していらっしゃいます。

アメリカでトランプ大統領を立てるために命をかけて戦われる姿を私たち皆が目にしました。そしてアメリカで勝利された後、勝利ケーキを切ったり祝賀パーティーを開く余裕すらありませんでした。真の御父様のご命令を受けて、すぐに荷物をまとめて新たな荒野を求めて台湾へ旅立たれたのです。


中国解放と北朝鮮解放、定州の地回復のために初心に戻り、開拓者の心境で独り荒野におられます。そんな王様の前で、自分の立場だけを前に立てて不平を並べ立てれば、イスラエル民族と何が違うでしょうか?それは神様と真の御父様が立てられた三代王権を無視し、不信することではないでしょうか?


2025年9月9日火曜日

文鮮明 康賢實 天地人 참父母 天宙聖和 13周年 6周年 記念式 2025年9月8日(天基16年 天歴7月17日) 台湾聖殿 / 宜蘭

文鮮明 康賢實 天地人 참父母 天宙聖和 13周年 6周年 記念式

2025年9月8日(天基16年 天歴7月17日)

台湾聖殿 / 宜蘭


文鮮明 康賢實 天地人 참父母 天宙聖和 13周年 記念式



司会の言葉

エルダー宣教本部長


今から勝利された万王の王天地人真のご父母様を中華民国宜蘭にお迎えし、天上と地上世界の霊肉界全人類が同参する中において、文鮮明真の御父様が天基3年天歴7月17日、洋暦9月3日に天宙聖和された13周年と、康賢實真のお母様が天基10年天暦1月30日、洋暦3月6日に天宙聖和された6周年記念行事を始めます。

温かい拍手をよろしくお願いいたします。

私は今日の司会を任された世界選挙本部長ティムエルダーです。


今日の行事に参席するために、ここ中華民国宜蘭に来られた方とインターネットを通して全世界から参席される食口全ての皆さんを心から歓迎いたします。



それでは皆様、立ってください。

再び来られたイエスキリスト万王の王、天宙天地人真の父母様、そして天一国二代王様が入場されます。皆さん温かい拍手でお迎えください。


二代王様が聖燭点火式をされます。


聖食式を行われます。

二代王様による聖食式が行われます。

次は真の御父母様三代王の見舞捧げいたします。


全世界インターネットを通して参席されている全ての皆様気配をお捧げしましょう。

座ってください。


天地人真の御父母様聖和13周年について

エルダー宣教本部長

霊界と肉界の食口の皆さん13年前の今日、天基3年天歴7月17日、私たちは天が崩れるような衝撃を受けました。

復帰摂理を完成完結完了された天宙天地人文鮮明真のお父様が、「全てなされた全てなされた」と神様に報告されて、残りは文亨進二代王を中心とする神宗族メシアの使命であるということを強調なされながら肉身を通した設理路程をまとめられ天宙聖和を勝利されました。


振り返ってみれば真のお父様は地上と天上の勝利を霊界から統括されながら不足な私たちを捨てることなく天一国を地上で成す作業に同参するようにしてくださった恩恵に心から感謝申し上げます。


過ぎ去った13年の間、お父様の心を痛めることがどれほど多かったでしょうか。

お父様の心情を体恤することができない私たちでありますが、そのような私たちが知っている内容だけを持ってしても推し量ることができます。


真のお父様の天宙聖和と時を合わせて韓鶴子女氏の天宙的な次元の背信だけでもお父様が耐えることが難しかったことと思います。


しかし、皆さん、私たちは真のお父様だけに従えば勝利します。

旧約聖書詩編33篇一部を訓読いたします。


16王はその軍勢の多きによって救を得ない。勇士はその力の大いなるによって助けを得ない。

17馬は勝利に頼みとならない。その大いなる力も人を助けることはできない。

18見よ、主の目は主を恐れる者の上にあり、そのいつくしみを望む者の上にある。

19これは主が彼らの魂を死から救い、ききんの時にも生きながらえさせるためである。


このような時期をよく超えていくことができるように導いてくださったお父様、そして、お父様の導きに従って行くことができるように私たちを指導してくださっている2代王様に心から感謝申し上げます。


このような背信の後でも神様の本然の創造理想を成し遂げるために摂理をなすためにお父様は代身者、相続者、文亨進二代王様をペンシルベニアの荒野に、そしてその後はテネシーに、そして今や台湾に導かれ、2016年聖誕説までにお父様の権威圏に戻ってきた祝福中心家庭は、本来の祝福に復帰することができる期間をくださいました。


さらに、その期間の中で帰ってくることができなかった家庭と2世たちも、1世の家庭の立場としてお父様の権威圏に戻ることができる恩恵をくださいました。

今も多くの家庭がお父様に戻ってきていますが、その一方で不幸にもまだ悟ることができていない家庭がいるということも事実です。


特に最近イエス様の再臨を待って待っていたキリスト教徒の人々がお父様を再臨主であるという事実を悟り、お父様の御言を学び、神様と1人の男性と1人の女性が1つとなる儀式である祝福結婚を受ける場合が本当に多くなっています。これもやはりお父様の聖霊の役事であり、大きな勝利であるということを知っています。


それでは、今日は今日の行事を通してお父様の完成勝利を祝賀するともに、私たちは食い改める心情で出発するそのような機会になることを約束いたします。


報告祈祷


李相烈大陸会長


愛する天のお父様、今日は天基16年天歴7月17日13周年の文鮮明真のお父様と康賢實真のお母様、天地人真の父母様の聖和節を迎え、世界本部台湾聖殿において記念礼拝を捧げることができるように許諾してくださった恩恵と恩寵と祝福に感謝と栄光をお捧げいたします。

本当にお会いしたい真の父母様、愛し、愛しております。


勝利してこられた文鮮明真のお父様の地上の実体であられ、代身者、相続者、後継者として立ててくださった文亨進二代王ご夫妻を中心として真のお父様の聖霊の導きの中で、天運を西洋から東洋圏に移してくださり、世界本部台湾聖殿において天のお父様と真の父母様に侍り、礼拝をなされるこの式場において、霊肉界、真の家庭の子女様と六大聖人に侍る中で全霊肉界人類を代表した祝福を受けた宗族の王と王妃がこの場に参席いたしました。


さらに、全世界で精誠を捧げインターネットを通して参席している子女達もいます。


この日を全人類が共に礼拝を捧げることができず、少数の子女たちが代表して礼拝と栄光を捧げることになったことに悔い改めの心情をもって頭を下げますので憐れんでください。

お父様は独生子、救世主、メシア、再臨のキリスト真の父母として、天のお父様の心情と真の愛と真の血統を持ってこられ、この地に来られて創造本然の真の愛を中心とした自由と平和と幸福の理想を実行されるために93年の人生を神様を慰労されながら人類の罪を贖罪するために血と汗と涙が染付いた七死復活の道を万個の十字架を追われながら八段完成、真の愛を勝利してこられました。


去る13年の間、お父様の真の血統を受けた三代王権と真のカイン、お父様の王家が荒野時代を経て来られながらもただ真のお父様に侍り慰労されながら、お父様がくださった真の血統を中心として御言と祝福と、お父様の伝統を相続し伝統を立てて行かれるために、サタンの全ての迫害と嘲弄と蔑視の中で、死の環境を貫いて勝利されるまで、これを背後から見守りながら心配してこられた真のお父様の心情をどうして私たちが全て分かることができるでしょうか?


真の父母様、三代王権の前に、私たちの無知と不足によって、み旨を全て受け取ることができなかったことを、この時間私たちは同意し悔い改めます。赦してください。不足でありますが、真の父母様三代王権に侍り、み旨を受けてきた各大陸の大陸会長と宗族を代表した宗族の王と王妃たちが勝利された三代王権に侍って今日を迎えました。


お父様、お父様の聖和以降、韓氏オモニの裏切りと堕落により、神様の祖国と故郷を探して立ててくださり、お父様の精誠で立てたお父様の国家とお母様の国家である大韓民国と日本が共産社会主義、政治文化サタン主義の者たちが掌握し、その間準備して来られた基盤を全て無駄にして全世界を掌惑するためにアベル圏を犠牲にしてこられました。


愛する天のお父様、勝利なされた三代王権と真のカインとアベルの一体圏を成されれて世界の食口たちをアメリカに呼ばれ、真のお父様の聖霊が導かれるみ旨を受けて昨年はトランプ大統領を当選させて二代王様を通して召命祈祷をされ、世界の王として立てられ、第3次世界大戦と天地人真のお父様の三代王権が犠牲の道を行くしかない状況の中において、ただ真のお父様の聖霊の恩恵と愛と能力の役事によって絶対善霊と天使天軍たちが地上の食口たちが億万のサタンとの戦いにおいて勝利させてくださいましたことに感謝、感謝、感謝申し上げます。


特に勝利された天地人真の父母様三代王権を台湾に導かれ、東洋圏、文化文明圏の中において中国の赤い龍を掴み、14億の中国の国民を共産党から解放釈放させて、天一国憲法が伝播されて抑圧と弾圧の中で喘ぎ苦しんいる14億の中国国民が目覚め立ち上がる時、北朝鮮解放、定州解放を実現し定州本郷の地に新エルサレムを定着安着させて、神様と勝利された天地人真の父母様に侍り、世界和平、宗教和平、霊界和平を真の父母様太平盛大億万歳火のような聖霊役事で引き寄せ成すことができますように、式の前に、さらに祝福してくださいますことを心から心からお願い申し上げます。


愛する天のお父様、二代王様ご夫妻は何ももたず台湾に到着された後、真のお父様の聖霊の導きの中において李光塩協会長夫婦を準備して送ってくださり、ワンヤオ長老をを立ててくださった恩恵と愛の御前に感謝を申し上げます。


チェン老師夫婦を台湾に来られて初めての祝福家庭として探して立ててくださり祝福を奉献され、今後12家庭、36家庭72家庭など祝福を受ける宗族の王と王妃が平和軍平和警察となり鉄の杖王である二代王様に侍り、成約時代の天一国王国を環太平洋圏を中心として出発し、全世界に伝道の役事が聖霊の火のような役事としてなされていくことができるように導いてくださり、役事してくださいますように心から心から願うものでございます。


今、たとえ少数の息子娘たちが出発しておりますが、この後には二代王様と真の愛受作用のシステムの実態的な神学の根が下ろされ、ルーシェル天使長がサタンとなって青少年から淫乱で堕落させ夫婦の真の愛を壊すポルノを拡散させ絶対性を破壊させてきた最悪の歴史を精算することができる出発点となり絶対性を中心とした真の愛の摂理の役事が広まって出ていき、地上と天上において永遠なる天のお父様の本然の栄光が天地人真の父母様三代王権を通して表することができますように心から心から願うものでございます。


慕わしい真のお父様、真のお母様、この日を通して私たち全ての名前を呼び報告いたします。

天地人真の父母様、愛しております。愛しております。永遠に愛してまいります。

祝福中心家庭李相烈、金ブギョンの名前で報告しながらお捧げ申し上げます。アジュ



『天聖経』「真の父母」

第2章 メシヤと真の父母

2)メシヤは「真の父母」



来られるメシヤとは、どのような方でしょうか。個人はもちろん、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙すべてにかけて、信仰と希望と愛の実体として立ち得る方です。その方が、このような場に立ってこそ初めて、人類の歴史上に残っている信仰が結実し得るのであり、希望が結実し得るのであり、愛が結実し得るのです。


そうでなければ、信仰と希望と愛は結実することができません。その方が言う言葉は、個人的な言葉ではありません。皆さんもそのような信念をもって叫ぶようになるとき、その言葉は個人の口から出てくる言葉ですが、世界史的な内容と因縁を備えた言葉になるというのです。


知恵深い人とは、どのような人でしょうか。まず、世界的な時、希望の時を区別するすべを知る知覚をもった人です。それをあらかじめ知って、分析して、批判して、実践して、自分のものにする責任を負える人が、知恵深い人です。


メシヤがこの地上に来られるとき、その方は個人として来られますが、個人ではありません。その方の価値は、全世界の人類が信じている信仰の結実体であり、全世界の人類が願っている希望の結実体であり、全世界が願っている愛の結実体です。


その結実体には、すべての歴史路程がつながっています。すなわち、過去、現在、未来が、すべてつながっています。そして、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界が全部つながっていて、天と地がすべてつながっているのです。(13-142, 1964.1.1)


メシヤは 真の父母です。我々は真の子女です。同じ運命圏に立って、そこに加わらなければなりません。 (55-97,1972.4.23)


 ② メシヤの顕現過程


今まで数多くの宗教が出てきていますが、その使命とは何でしょうか。 一人を探そうということです。数多くの宗教が救いを得て何がどうだと言いますが、世界的によりすぐって、最高の位置に上がり得る人、その位置を超えたその一人を探そうというのです。その一人を立てようというのです。


このように、すべての宗教の中心は一人ですが、その存在とは誰かというと、メシヤというものです。言い換えれば、すべての宗教が一人を探してくるのに、その一人の中心存在が誰かといえば、メシヤ、救世主というものです。メシヤが来るのに、 その場に直ちに来るのではありません。7 年路程を経なければなりません。メシヤは男性です。そのメシヤが来て、サタン世界で血統的な関係を超越して、サタンに勝たなければなりません。


勝ったその男性を中心として、家庭的にも勝たなければならず、氏族的にも勝たなければならず、民族的にも勝たなければならず、国家的にも勝った基盤をつくっておかなければならないのです。男性一人だけをもってしてはいけません。すなわち、サタン世界よりも立派にならなければなりません。サタン世界に属した家庭より優位に立たなくては、メシヤは彼らを率いていける立場になれないのです。


サタン世界の最高の基準とは何かというと、国家というものです。サタンは、いつも国家を中心として反対してきました。サタンは、国をもったために、その国を中心として個人的にも天を打ち、家庭的にも天を打ち、氏族的にも天を打ち、民族的にも天を打ったのです。いつもこの国を中心として、天が築いてきた道を妨害してきたのです。


結局、反対されて迫害されるのは、劣っているためであって、勝っているなら、反対に迫害することができ、支配することもできるのです。人間が堕落したことによって、この世界はサタン世界になったために、この世界には、サタン側の個人もいくらでもいるのであり、家庭もいくらでも あるのであり、氏族もいくらでも ある のであり、国家もいくらでもあるのです。しかし、天の側はいないのです。個人はいますが、その基準に上がった家庭や、氏族や、民族や、国家がないのです。


結局、メシヤ個人として家庭に勝ち、メシヤ個人として氏族に勝ち、メシヤ個人として国家に勝ち得る基盤がなくては、一般の人が上がる道がないということです。それで神様は、この地上にメシヤが来るようになれば、メシヤに従って共に上がり得る圏を、個人から家庭を経て準備しておきました。それがイスラエル民族です。そして、その思想が選民思想なのです。


しかし、イスラエルの国は、まだここに上がることができませんでした。線に引っ掛かったのと同じです。それゆえ、選民の希望とは何かというと、この線を越えることです。この線を越えるべきであって、越えなければ大変なことになるのです。しかし、この線を越えようとしても、自分たちだけでは越える道がありません。


ですから、神様は、イスラエル民族にメシヤ、すなわち救世主を送るという約束をしたのです。神様がこれを国家的に越えるために、数千年間準備されたのがメシヤです。メシヤを送るという約束をされたのです。


それで、イスラエル民族の前にメシヤが来るようになれば、死んだとしても、そのメシヤを中心として共に死のうという立場になって、サタンが離そうとしても離せないように完全に一つになれば、そこから個人的に接ぎ木して、家庭的に接ぎ木して、氏族的に接ぎ木して、民族的に接ぎ木して、国家的に接ぎ木して、彼らをみな一時にここまで引き上げることができるのです。


それゆえ、この世界には選民思想がなければなりません。そうして、神様が選んだ民族を中心として、神様が選び得る国家を形成しなければならないのです。選民がいるという言葉自体は、神様がいるという事実を証すものなのです。メシヤを送るという預言があるということは、このような原則で見るとき、神様がいることを証すものです。


では、我々がメシヤを必要とするようになったのは、何の目的があってでしょうか。それが問題です。堕落することによって、我々は偽りの父母をもちました。神様と一つになった父母がなくなったということです。神様と一つになり得る父母の位置を、我々にもってきてくださる方がメシヤです。これが第 1 です。


第 2 は何かというと、我々を再び生んでくれるのです。結局は、我々の体にサタンの血があるから、その血を抜いてサタンの息子、娘でないという立場で、我々を接ぎ木して再び生んでくださるということです。


第 3 は何かというと、メシヤは、サタン、悪魔を僕として使える人に、我々人間をつくり上げるということです。すなわち、我々人間たちの前にメシヤが来て、我々をしてサタンを屈服させて僕にし得る、サタンを屈服させて彼を処断し得る資格者にしてくれるということです。


結局、人間が堕落したために、第 1は父母を失い、第 2 はサタンの血を受け、第 3 はサタンの支配を受けるようになったのです。ですから、それを復帰するためには、逆さまに上がっていかなければなりません。原理を見ると、信仰基台があり、実体基台があります。信仰基台を成して実体基台を成してこそ、メシヤを迎えることができるようになっているのです。これが原理なのです。それゆえ、信仰基台と実体基台まで成そうというのです。 (54-182, 1972.3.24)


メシヤは、それ自体が信仰の目的体であり、 希望の目的体です。 信仰と希望が成された目的体です。では、メシヤを主として、目的を完成したその時には、何だけが残るのでしょうか。目的がみな達成されたので、愛だけ残るしかありません。


それゆえに、最後に残るのは愛であると言いました。その愛は、信仰の完成実体を通じた愛であり、希望の完成実体を通じた愛です。その愛一つを主にした代表者として来られる方がメシヤです。 (13-140, 1964.1.1)


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