2024年5月6日月曜日

二代王様の低位キリスト論、高位キリスト論◆2024年5月5日◆三代王権天一聖殿教会・三大王権天一サンクチュアリ教会


 2024年5月5日

三代王権天一聖殿・東京礼拝

二代王様の低位キリスト論、高位キリスト論


三大王権天一サンクチュアリ教会

三代王権天一聖殿教会長:三原



個人的、イエス様との関わりの証

ヨハネ3:16神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。 3:17神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。 


今月の礼拝はこの聖句の御言から始めます。


実家は仏教であり、私はクリスチャン出身ではありませんが、キリスト教史を世界史で学び、またヨハネの福音書を読み、10代の頃からイエス様を神の御子であると信じていました。 高校の時、 クリスチャンになることを決めていました。大学進学もキリスト教の神学部を考えたこともあります。

素直に、神様は私達を愛しておられるからイエス様を送ってくださった、そして私達の罪ゆえに十字架に行かれる程までに、私達を愛してくださった。

そう思っていました。

こんな無価値な者も愛してくださるイエス様と神様を信じていました。


ヨハネ1:9すべての人を照すまことの光があって、世にきた。 1:10彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。


「イエス様が、この宇宙を、この世界を造られた」。

この聖句も素直にそうだと受け止めていました。


ところが、キリスト教を学べると言われ信じた統一教会において、いわゆる低いレベルの低位キリスト論、つまり原理を通して、イエス様は失敗者だ、メシヤは人だ、完成した人とメシアは同じ価値だという事を学び、私にとってはとても大切な、これらの聖句の価値を見失っていました。


聖殿教会を信じるようになってから、これらの聖句の価値を再び認識できるようになり、またイエス様!ハレルヤと晴れて大声を上げることが出来るようになり、心からうれしく思っています。


ところで今日、突然唐突に、このような個人的証を話したのには理由があります。

このことを思い返すことになる、ちょっとした事件が起きたからです、 


低位キリスト論、高位キリスト論の誤訳?


3年以上も前のブログ、翻訳に対して、今頃になって誤訳だと、騒ぎになっているようです。

その騒がれている、王様の御言葉翻訳は、

お父様の生心は神の生心、 聖霊は対象だが男性◆キングスリポート3月23日,27日(2日分)

です。


誤訳指摘の内容は、次の通りです。


『結論から言うと、神学用語を直訳した誤り(結果として誤訳)になります。

二代王様は、【レベルの低いキリスト論】と言われたのではなく、【低位キリスト論】と言われたというのが、解答でした。

低位キリスト論は、【キリストの人間性】を説明するものです。

高位キリスト論は、【キリストの神性】を説明するものです。

キリストにおいて、神性と人間性は両立します。(注:二代王様は、キリストは神様100%であり人間100%とも言われています)

どちらのキリスト論が、レベルが高い低いという話ではありませんでした。この話を聞いた責任として、皆様のご参考までに報告いたします。』


この誤訳指摘に対して、映像を探してみましたが探せませんでした。

また、この誤訳指摘自体も疑問点が多く、一次情報を求めましたが得ることが出来ませんでした。

それで他の二代王様の御言からの推察、色々と検討と検証をしてみましたが、結論から言うと、現状、訂正する必要は無いと判断しました。

理由は、簡単で、【レベルの低いキリスト論】を【低位キリスト論】に訂正したところで、二代王様が言われることの意味に変わりはないからですし、訂正するとしても【レベルの低いキリスト論】を【レベルの低い低位キリスト論】に訂正する程度になります。


誤訳指摘内容のうち、

低位キリスト論は、【キリストの人間性】を説明するものです。

 高位キリスト論は、【キリストの神性】を説明するものです。

この指摘、神学的に間違っています。「低位キリスト論、高位キリスト論」という項目で解説します。


・どちらのキリスト論が、レベルが高い低いという話ではありませんでした。

この指摘も間違っています。二代王様は高位キリスト論を称賛し、低位キリスト論を非難しておられます。これは王様の御言をもって説明したいと思います。


サンクチュアリさん,誤訳では?キリスト論はレベルじゃない


ところで、この御言翻訳をブログに掲載したとき、つまり3年前に同じ誤訳指摘を受けたことを思い出しました。

ところで、この誤訳指摘者は統一教会を離教し、お父様を批判する方です。

ですから、お父様の価値、二代王様の価値を見下したいから、このように批判してくるのだと無視した記憶を思い出しました。

ですので、そのようなお父様や、二代王様を批判非難する方と同じ指摘、同じキリスト論はレベルじゃないという指摘を、まさか聖殿信徒から受けるとは思ってもいませんでしたので、軽い衝撃を受けています。


そのリンク先がこちらです。サンクチュアリさん、誤訳では? キリスト論はレベルじゃない/10-9

「人間・文鮮明さんを消化して卒業しよう」という離教者、”暗在オシホ”の誤訳指摘を受けながらも、いや二代王様はレベルが低い高いも言っておられるので、そういう意味ではこのままにしておこうと思っていました。

もちろんこの、お父様は単なる人間だと考える”暗在オシホ”さんは、

「もし誤訳ではなく、二代王が本当にレベルが低いとか高いなどと言ったのだとすると、人類が積み上げてきた遺産である言葉の本来の意味を恣意的に歪めて使う真のカルト王だなあと思ってしまいます。」

という事を言っておられるのですが、

それと同等のことを、「どちらのキリスト論が、レベルが高い低いという話ではありませんでした」などと聖殿教会長から言われると、軽い目眩を覚えざるを得ないのです。


低位キリスト論、高位キリスト論 

High Christology Low Christology


低位キリスト論と高位キリスト論は、キリスト論の思想的射程を論じるものです。キリスト論とは、キリスト教の教理や神学の細目の一種で、「キリストとはいったい何者か」という問いに答える試みです。

一般的にその神聖を強調する「高いキリスト論」 (High Christology) と、むしろその人間 

性に力点をおく 「低いキリスト論」 (Low Christology) があります。


誤訳だと指摘のあった、

   ・低位キリスト論は、【キリストの人間性】を説明するものです。

 高位キリスト論は、【キリストの神性】を説明するものです。

という説明は間違いであって、こんな単純な区別ではありません。

それぞれの神学があるのです。


ルカの福音書、マルコの福音書、マタイの福音書は伝統的に人間のイエスを描いていると学問的に見なされてきました(低位キリスト論)。

ヨハネ福音書は神聖なイエス(高位キリスト論)を描いているため、しばしばそれと対比されます。


高位キリスト論はイエスが神であるという信念であり、イエスが完全に神として描かれているものと定義し、

低位キリスト論はイエスが単なる人間であったという信念であり、イエスが人間であってそれ以上のものではないものであると定義しています。


高位キリスト論は受肉キリスト論としても知られ、低位キリスト論は養子縁組キリスト論としても知られています。


高位キリスト論である受肉キリスト論は、イエス・キリストが神の子でありながら、人間として地上に生まれ、十字架で死んだという信仰を指します。この教えは、キリスト教の重要な教義の一つであり、三位一体説と密接に関連しています。 


低位キリスト論である養子縁組キリスト論は、イエスは元々人間であり、神によって養子にされたという説です。この説は、初期キリスト教において異端とされ、現在ではほとんどのキリスト教派で否定されています。 


受肉キリスト論では、イエスは最初から神であり人間でもあったとされますが、養子縁組キリスト論では、イエスは元々人間であり、後に神によって養子にされたとされます。


ですから、誤訳指摘者は

・どちらのキリスト論が、レベルが高い低いという話ではありませんでした。

であると、単純に、”キリストの神性のことを言っているのか、キリストの人間性のことを言ってるかの区分に過ぎない”と主張しているのですが、

まったく違います。


それぞれのイエス・キリストに対する神学の信念と定義を言っているのであって、優劣やレベルの高さ低さを論じることは、神学論争として当然あり得るのです。


高位キリスト論、低位キリスト論の論争例としては、大変有名な325年のニケーア公会議で

高位キリスト論のアタナシウス派が主張した三位一体説(イエスは神の子であり本質において神性を持ち、父なる神、子なるイエス、聖霊の三者は同質で不可分であるという三位一体説)と、

低位キリスト論のアリウス派の考え方(イエスの神性を否定して人性とみる考え)

との論争が挙げられます。

この公会議ではアリウス派が異端とされました。

このように、どちらのキリスト論が、レベルが高い低い、どちらが正統、異端であるという論争、対立はキリスト教の歴史上、続けて論争されたことです。


ですから、二代王様が高位キリスト論、低位キリスト論のどちらかを高いレベルと評価し、一方を低いレベルと評価しない神学を語られるのは当然あってしかるべきなのです。


二代王様の低位キリスト論、高位キリスト論 


低位キリスト論、高位キリスト論について具体的に二代王様が語られた説教があります。

ここから、二代王様の低位キリスト論、高位キリスト論に対する神学を考えてみます。

この翻訳では、低位キリスト論は「低いキリスト学」と、王様の韓国語に合わせています。一般的にも日本では「低いキリスト論」ということが多いようです。

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バプテスト・クリスチャン牧会神学◆2024年2月21日テネシー清平水曜礼拝

キリスト論、高いキリスト教と低いキリスト教


夜の神様昼の神様の神学を通して、私たちはキリストを見た時、キリストは神様の実体ではないですか。本体。

だから実際、私たちはクリスチャンと統一です、統一。キリストは神様の本体、実体。それを信じているではないですか。

次に私たちは、復活も信じて、特に違いはありません。


私たちはキリスト教と、実際、他の異端モルモン教、サイエントロジー、エホバの証人。この人たちはキリスト学が低いです。それが何かといえば、キリストは神様の本体だということを信じません。

それが何かといえばキリスト学において、それは低いキリスト学です。その神学は。

高いキリスト学が何かといえば、主は神様と一つだ。本体だ。実体だ。これは高いキリスト学と言います。どういうことか分かりますね?


だから低いキリスト学の種類、エホバの証人、モルモン教、サイエントロジー、暗示教、このようなものがあるではないですか。このような宗教が何かといえば、そのような宗教とキリスト教の差が大きいのです。


私たちは、根本的なキリストに対する差がなくなりました。夜の神様、昼の神様、お父様はそれを明確に教えてくださってからなくなりました。その距離、その大きな距離を完全に取り除くことができました。

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二代王様は、キリストは神様の本体であるということを信じない、そのような低位キリスト論のモルモン教、サイエントロジー、エホバの証人。この人たちのキリスト論を「キリスト学が低い」、その学のレベルが低いという評価を下しておられます。キリスト教との「差が大きい」という表現もしておられます。

お父様が「夜の神様、昼の神様」で明確に「キリストは神様の実体」であることを示してくださったがゆえに、それまではあった、キリストに対する大きな距離を取り除くことができたのです。

即ち、「夜の神様、昼の神様」以前の、原理講論の時代のキリスト論は、キリストと大きな差、おおきな距離があったということです。言い換えれば、原理講論の時代のキリスト論は、低位キリスト論のモルモン教、サイエントロジー、エホバの証人と同じように「キリスト学が低い」、その学のレベルが低い低位キリスト論であるということなのです。

明らかに高位キリスト論を高く評価し、低位キリスト論、そして原理講論のキリスト論を程度の低い低位キリスト論であると断じておられます。


お父様は創造主。同じ創造主、キリスト


二代王様は、「私たちは原理を通して、メシヤは人だキリスト教が間違ったと教えてきた。しかし、真のお父様は、夜の神様論により、メシアは神であり、キリスト教が正しいと、それまでの原理の教えをひっくり返されました」と、即ち、原理のキリスト論は間違っており、お父様は夜の神様論により、これを正されたと言われます。


そして、メシアであるお父様は人ではない神だと二代王様は言われます。

二代王様は、原理はメシヤは人とする低位キリスト論であり、それは間違っていた。

夜の神様論により、お父様はメシアは神であり創造主であるとする高位キリスト論が正しいと言われたということです。


「真のお父様も、この全宇宙を創造された神様である。だから真のお父様と歩むことは、神様、創造主と共に歩んでいたということだ」ということなのです。

これをあなたは信じますか、お父様は創造主であり、神様だと信じますか?

このような信仰の告白の確認が私達に試されています。


その説教を次に確認していきます。

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夜の神様から来られたキリストは神である◆ 2023年9月20日テネシー清平水曜礼拝 


ヨハネの福音書1章から読みます。


1:1初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 

1:2この言は初めに神と共にあった。 1:3すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。

すべてのものは、これによってできた。

できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。


イエス様が神様と一緒にいたと言っているではないか。太初に。

私たちは原理を通して、メシヤは人だという事をずっと教えて来たではないですか。私たちは。


しかし、お父様は最後に霊界に行かれる前に、韓鶴子バビロン淫女の役事が起きる事をお分かりになりながら、どうされましたか?

お父様だけが夜の神様、即ち太初以前の神様、夜の神様。光が出来る前の神様、夜であられる神様。夜の神様。お父様は夜の神様から来られたと言われました。


私たちは原理だけ聞いてきたので、キリスト教が間違ったとずっと言ったではないですか。

お父様はそれを教えられて、それをひっくり返されたではないですか。

ですからアダムの体が神様の体になるのです。だから宇宙を創造された神様がその方の中にいらっしゃるのです。

お父様と共に歩いて行ける事を理解すれば、こういうキリスト学を理解すれば、夜の神様、昼の神様を理解すれば、ああ私は創造主と共に歩いていた。


これを韓鶴子バビロン淫女はそれを理解できないから、こんな異端だらけの狂った事をしたではないですか。

お父様が特別でないから、自分がただメシヤになったのです。ノー。


 1:3すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。

ああ、お父様もこの全宇宙を創造された神様、


韓鶴子バビロン淫女はそこに入っていません。入ってない。創造主ではない。

キリストだけが創造主、神様だ。何の事か分かりますね?


ヨハネ1:14そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。

み言が肉身になり、わたしたちのうちに宿った。ああ。


わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。


ですから、み言です、み言。

だから私達は、お父様と共に歩む時に神様のみ言は神様と分離されたものではないのです、神様から出たのですから。

神様の本体から出ましたね。

ですからお父様と共に歩んだ時に、御旨の道を歩んだ時、神様、創造主と共に歩んでいたのです。

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ここで見ることが出来るのは、メシアを人とする原理のメシア観、そのキリスト論が間違いでキリスト教の方が正しい。メシアであるお父様は人ではない、神様だ、宇宙を創造された神様だと言い切っておられるという事です。

ですからメシアを人と見なす低位キリスト論の原理が誤りであり、メシアは神であるとする高位キリスト論が正しいと言っておられます。

当然ながら間違っている原理のキリスト論の程度は極めて低いということになります。

もう一度、問います。

お父様は創造主であり、神様だと信じますか?


やはり原理のキリスト論はレベルの低い低位キリスト論


以上、二代王様の御言、説教を見る限り、原理は低位キリスト論であり、そのキリスト学、キリスト論は低いと言っておられます。

ですので、誤訳指摘があった、お父様の生心は神の生心、 聖霊は対象だが男性◆キングスリポート3月23日,27日(2日分)

これを指摘通りに修正が出来ないという理由を理解いただけたと思います。

キリスト論の低位、高位、どちらのキリスト論であるかの強調はできると思いますが、誤訳だと言われると、違うと言わざるを得ないのが現状です。


それではこのお父様の生心は神の生心、 聖霊は対象だが男性◆キングスリポート3月23日,27日(2日分)

について、その御言を次に見ていきます。

先に解説した内容を踏まえながら、二代王様のキリスト論を感じ取ってください。

(抜粋します)

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お父様の生心は神の生心、 聖霊は対象だが男性◆キングスリポート3月23日,27日(2日分)


三位一体を理解するには原理の御言葉だけを見るわけにはいきません。なぜなら、お父様が亡くなる直前、お父様は「夜の神」と「昼の神」の神学を教えてくださいました。


お父様は夜の神、つまり創造以前の神(pre-creation God)から来たと言われました。そしてその他の人々は昼の神から来たと言われました。創造以後の神です。お父様はお父様ご自身を他の人と区分されました。


原理の御言葉にはメシアは神ではないと出ています。メシアは人だと書いてあります。これが、我々が統一教で伝統的に学んでいた内容でした。メシアは神ではなく人間だということです。そこで私たちはすごくレベルの低い(低位)神学内容を知ることになったのです。


王様は原理のキリスト論のレベルは低いと言っておられます。程度が低い神学です。

ですから、ここは変更するなら「そこで私たちはすごくレベルの低い低位神学の内容を知ることになったのです。」と、キリスト論の種類「低位」を加えることができても、キリスト論として程度が低いことを強調すること、これは二代王様が言いたかったことなのです。誤訳ではなくその神学の違いを強調するという意味で「高位」「定位」を入れてみます。こうすれば更にどちらの神学的レベルが高く、どちらの神学のレベルが低いかより明確になります。


しかし、キリスト教(Christianity)では、キリスト論(Christology)の内容があり、イエスを神として扱っています。非常にレベルの高い(高位)キリスト論です。

人(man)であると同時に神であり、三位一体で創造以前から父と共にしていた存在であるということです。

それがキリスト教で扱われている「神は愛である」という内容です。

三位一体のシステムそのものから「愛」を相互間応答(reciprocate)しているわけです。

それで愛を相互間で応答するために人類が必要ではなかったのです。そのため神が人類を作る必要がなく、したがって、これ(人類を作ったこと)は神の完全な恩恵になるのです。これが現代神学の主たる結論です。


ですから、原理講論の内容だけを見ると、我々はメシアに対する低いキリスト論を持っているのです。メシアを神として見なかったのです。女性から生まれた人としては見ましたが、神としては見なかったのです。


お父様が夜の神、昼の神の神学の内容を明らかにされた時、お父様はそのキリスト論を昇格させられたのです。


「いや、お父様はメシアなので特別だ。ただの人間ではない。お父様は神から来られたのであり、夜の神から来られたのだ。創造以前の神から来られた。」ということです。

つまり、キリストは創造以前から神と一緒におられたということなのです。


これはまさに我々がクリスチャン(キリスト教)のキリスト論に近づいた内容でした。


我々(統一教)は、レベルの低い(低位)キリスト論から大変レベルの高い(高位)キリスト論へと進みました。それで人々はとても驚いて混乱してしまいました。急に低いレベルの神学から、高いレベルの神学へと突然変わってしまったからです。

それで、人々は認知的な不調和ができて、それに適応するのが難しかったのです。


個人的に私はお父様がこのようにしてくださったことにとても感謝しました。

なぜなら、お父様が「キリストとしての父」の固有の特性を明確にしてくださり、強調してくださったからです。

それは勿論イエスも同じです。


なぜなら、キリスト教は非常にレベルの高い(高位)キリスト論を持っているからです。私たちはレベルの低い(低位)キリスト論を持っていましたね。


しかし、ここで申し上げたいことは、お父様がメシアに対するキリスト論を昇格してくださったということです。


昇格とは低い評価から高い評価にすることです。キリスト論を昇格してくださったということですから、明らかにレベルが高い、低いで評価しておられる説教であることが分かります。

夜の神様によって、低レベルの低位キリスト論から、高いレベルの高位キリスト論に昇格したのです。


私はこれに対して本当に感謝します。

この内容が本当に韓氏オモニを暴露させました。「メシアはただの人間にすぎない。それで私もメシアになれます。」見えますか?それがまさに韓氏オモニがしたことです。そのわなにかかってしまったのです。

キリスト教では絶対にそのようにはできません。メシアは完全に唯一無二のものです。



お父様はお父様のキリスト論を昇格させ、お父様は違うということを明かされました。そして韓氏オモニは夜の神、つまり創造以前の神から来なかったことを明かされました


我々は霊界で真のお父様とイエスに会えるでしょう。しかし真のお父様とイエスの霊的な心(生心)は「神様」です。完全な神です。

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以上、今まで見てきたように、二代王様は、原理のキリスト論を低位キリスト論であるとし、そして非常に低いレベルの低位キリスト論であると言っておられると結論づけることが出来ます。

そしてお父様の夜の神の高位キリスト論によって、その程度の低い原理の低位キリスト論が、それまでの差、大きな距離があったキリスト教の高いレベルの高位キリスト論に達するようその大きな距離を取り除いてくださったと言っておられます。

これほどまでに二代王様は、原理のキリスト論をモルモン教やエホバの証人のようにレベルの低い低位キリスト論であると言っておられるのですから、

低位キリスト論、高位キリスト論ということであって、どちらのキリスト論が、レベルが高い低いという話では無いとするその指摘は到底受け入れがたいと結論づけるしかありません。


何度も繰り返しますが、

二代王様は、原理はメシヤは人とする程度の低い低位キリスト論であり、それは間違っている。

夜の神様論により、お父様はメシアは神であり創造主であるとする高位キリスト論が正しいと言われています。

お父様は創造主であり、神様だと信じますか?

この問いに対する、信仰の告白の確認が私達に試されているということなのです。


聖神(聖霊)は女性ではない

ここで、家庭連合の原理の理解とは違う聖神(聖霊)に対する見解を言っておられるのでそれを見てみます。この神学も色々と論議を呼んでいるようです。

イエスが教会を導く父の位置にいらっしゃるとしたら聖霊は母のように教会に愛を与える側面だということです。

しかし、教会に侵入した多くのフェミニストたちは、聖霊を女性に変えようとしました。

もちろん、それは完全に異端的な内容であり、キリスト教的世界観を破壊する内容なのです。

そしてもちろん、女性神の崇拝や性的人身売買などの道を作っていくような内容にもなります。


聖霊は女性ではなく、イエスに対して対象の立場にあるものです。聖霊がイエスの妻という意味ではありません。そうでしょう?


主体と対象の関係は結婚しない関係にもあります。多くの人が、これを勘違いしていますが。もう一度、聖霊は女ではなく、イエスの妻でもありません。しかし、神がイエスの霊人体の対象の立場として聖霊を送られたのです。ここでもイエスの霊人体と聖霊には違いがあります。同一のものではありません。


またイエスの霊体の中にも霊的な体と心(霊体と生心)があり、イエスの生心が神と一つになっているということです。


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<王妃様が二代王様が書れたとその時書かれた図の訳>

ここで王妃様は聖霊ではなく聖神と書いておられます。

(妍雅王妃様の見解)

私たちが原理講論で聖霊様の姿は女性神であると表現しますが、それは、エバがアダムを助ける人の立場でそのように対象の立場として女性神という表現を使うと見ます。

だから聖霊様は徹底して独り子と共に助ける立場であり完全に一つ、そんな姿の三位一体を言いますね。それが真のお父様の霊、聖霊様だと表現されるのです。


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聖霊役事祈祷会

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それでは聖霊様をお呼びし皆様とともに聖霊役事祈祷会を始めたいと思います。

今はヨハネの黙示録の時代、堕落天使ら悪霊との霊的な戦いであると言いました。そのような 霊的な戦いに勝利するために聖霊役事の祈祷を捧げていきたいと思います。


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多くの人にテネシー清平霊界圏役事とヨハネの黙示録12章霊界圏役事が起きるよう祈ります。

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2024年5月5日日曜日

劉正玉牧師の原理本体論の問題点:2️⃣ 2. 3-1~3-2 神様の真の先惟は天宙の中心である

 

劉正玉牧師の原理本体論の問題点:両性具有神に続く、劉正玉牧師の原理本体論の神学的問題に関する論考の続きです。

数回に分けて翻訳の合間に掲載します。

2.劉正玉牧師の原理本体論の神が両性具有神論となった理由

                                                                                                                                                                                                         

前節、「劉正玉牧師の原理本体論の問題点:両性具有神」にて、劉正玉牧師の原理本体論(YuOSDP)の神は、サタン、バフォメットの類の両性具有神であり、夜の神様では無いことを説明しました。


劉正玉牧師の原理本体論(YuOSDP)はどうして両性具有神の神になってしまったのでしょうか?

この天宙を創造した創造原理の本体とは何か?

それは天地創造の太初にあった絶対性のロゴス、絶対性の御言なのです。

(注:統一思想ではロゴスを単なる理法として捉えています。)

本当の、絶対性の原理本体は、夜の神様自体ではありません。夜の神様のロゴス、御言であるということです。


原理本体論とは絶対性教育でした。(天地人真の父母定着実体み言葉宣布天宙大会)

真のお父様も前を見れば、男性生殖器であり後ろを見れば女性生殖器という御言がありますが、これはロゴスの段階、夜の神様が発した言葉、原理の段階の二性性相を言っておられます。

これが原理本体です。


ですから劉正玉牧師の原理本体論(YuOSDP)は絶対性の原理本体を、太初に神様とともにあったことばロゴスを本体とするのではなく、夜の神という原相を、本体としてしまったがゆえに両性具有神の神学になってしまいました。


太初に神とともにあった二性性相の原理本体、絶対性のロゴスを見たら前を見たら男性生殖器、後ろを見たら女性生殖器と言われる、お父様の御言は正しいのです。

このロゴスは夜の神様の被造物であることを忘れてはいけません。


YuOSDPはこのように、神様は二性性相であるという大前提によって神学を組み上げているので、夜の神様という絶対一性性相の神をお父様が言われた時、理解できず間違った原理本体論を書いてしまったということです。


二性性相で神様を考えてしまうのは、これは劉正玉牧師だけの問題では無く、全ての統一原理を学んだ者たちの問題点とも言えます。


聖殿においても、二性性相ではない絶対一性性相の神、絶対一性性相の真の愛、絶対一性性相の真の父母を理解できず、二元論だと批判するのも同じ思考回路による現象です。


これは恩讐や敵をも愛する愛、イエス様の十字架の愛、十字架のアガペーの愛を中心にして思考できず、二性性相という性愛、エロスの愛で神様を理解しているゆえに起きる誤謬です。


3.劉正玉牧師の原理本体論の問題点:神様の真の先惟は天宙の中心である


3-1.YuOSDP原理本体論の女性先惟論とは?


同じように女性先惟論もこの神様は二性性相であるという大前提、二性性相という性愛、エロスの愛で神様を理解する同じ脈略によって組み上げてしまった神学です。


劉正玉牧師の原理本体論(YuOSDP)から、女性先惟論をいくつか、次に上げてみます。 

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神様は男性格主体なので、女性を先惟し、男性をつくりました。女性を先惟したという話は、その女性に合うように男性をつくったという話です。神様はエバのものが凹だという事実を先に知っていらっしゃったので、凹に合うようにアダムを凸としてつくったのです。アダムの凸は、父なる神の凸に似たのです。

YuOSDP(日本語)原理本体論 第一章 創造原理 P83


聖書を見ると、神様は人間を創造するとき、アダムを先につくり、アダムのあばら骨を取ってエバをつくりました(創2章21~22節)。しかし神様の創造は女性から始まったのです。女性を先惟し、その女性に合うように男性を作ったという話です。 

男性を作っておいて、そこに合うように女性を作ったのではありません。 女性を先惟して男性をつくりました。

神様は男性格主体として存在される父なので、父が必要なのは女性である母です。

YuOSDP(日本語)原理本体論 第一章 創造原理 P140


神様はご自身が父として存在されるので、 女性を願われました (創造の先惟条件)。エバを前提にして アダムをご自身の体として作られたのです。 聖書には 「神様はアダムを造り、 アダムのあばら骨 でエバを造った」(創2章21~22節)というようなことが書かれています。 アダムがエバを創造する要素になったのです。

YuOSDP(日本語)原理本体論 第一章 創造原理 P234

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これらのYuOSDP原理本体論の女性先惟論を解説すると、

YuOSDP原理本体論の女性先惟論とは

(第一段階、構想)

男性である神様は女性の創造を先に考え、その次に、その創造の考えに合わせて男性をいかに創造するか考えられた。 つまり男性と男性の生殖器は女性と女性の生殖器に合うように考えられた。

(第二段階:実体創造)

実際に作る時には、 聖書の創世記にあるように、先にアダムを作り、アダムを材料としてエバを造り上げたという神学です。


平たく言うと、先にエバの設計図を書き、次にその設計図に合うようにアダムの設計図を書いた。実際に創造する段階はアダムを先につくりその実際の創造の結果をもとに、より完成度を高めてエバを造ったということです。


次の項より、この女性先惟論に対する神学的問題をいくつか挙げて考察していきます。


3-2.人より先に考えて(先惟して)造られた天使は男性である。


創世記1:26神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。


この創世記の「われわれ」とは天使のことを含めての表現であることは周知の通りです。

天使は、人間創造の前に、天地創造が始まる前に、既に神とともに存在した、神の霊的被造物です。

もしも天使が女性なら、アダムを考える前にまずエバを考えた、エバを設計したという女性先惟論は成り立つかも知れません。

しかし、天使は男性です。

天使は男性であるがゆえに愛の減少感でエバと霊的堕落をしました。

天使は男性性器を持った霊的存在です。


神様が先に考えるとは霊的な存在を表します。

アダムよりも先に考えて造られた霊的存在が天使です。神様がアダムよりも先惟したのは天使であり天使界です。

神は男性性器をもった天使をアダムより先惟して天使を創造されました。

つまり神は女性を構想するその前に、男性を構想し、男性の性器を構想し、しかも霊的存在まで創造しておられたということです。女性の構想は男性構想のその後であることがこの聖句からも分かります。


つまり、第一段階、構想段階において、神はエバの創造を先に構想し、その構想に合わせてアダムを構想したという、この YuOSDP原理本体論の女性先惟論は間違いであることが、この創世記、天使は男性であるということから、容易に論証できます。


3-3につづく