ラベル 亨進様マルスム解説 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 亨進様マルスム解説 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021年1月20日水曜日

2021年1月19日 第二本部聖殿・テキサス聖殿キャンプ場での御言メモ録

 2021年1月19日 第二本部聖殿・テキサス聖殿キャンプ場での御言メモ録

テキサスに行かれた韓国聖殿と二世から頂きましたメモを編集した記事です。

韓国聖殿メモ:ペ チョンジャ, 翻訳:Michiyo H 監修fanclub


トランプがすべて解決してくれるという説が多いが、すべて可能性がほとんどない内容だ。 バイデンの就任が予想され、右派が楽観的に油断している間に左派はかなり迅速に動いている。


1月6日にワシントンDCに集まった数多くの群衆を見ておびえた左派は、さらに強く統制して報復しようとするだろう。 コロナ規制はさらに厳しくなるだろうし、ワクチンを強要されるだろう。 プロテスタント教徒への弾圧はさらに激しくなり、多くの愛国者が拘束される可能性がある。


自由と正義に燃える愛国者たちは、何もせず息を殺している米国のキリスト教を見て心が離れるだろう。 彼らが既存のキリスト教にいかなる希望も見出せない時、天一国憲法を見て、王様と一つの心になるだろう。 迫害がひどくなればなるほど、より多くの愛国者が王様のそばに集まるだろう。 


楽にしてもらうと私たちはすぐ弱くなるので、お父様が私たちをもっと強く訓練するために試練を与えて下さる。 私たちは苦難の中で神様とより近くなることができ、お父様の心情をよりよく感じることができる。 つらいと不平を言わず、感謝の気持ちでお父様を掴まなければならない。 


1月6日のワシントンDC集会参加後、米国のFBIから王様側に連絡があった。 ワシントン集会に参加したのを見たと言いながら…。 王様、監査院長、私たち食口に対しても調査を行うことができ、最悪の場合、拘束される可能性がある。 危険な状況なので気をつけ、祈り、精誠を尽くさなければならない。 

それぞれ韓国、日本に帰る時も気をつけなさい。 


テキサスに第2の聖殿を作る予定だ。 

訓練場とキャンプ場などシステムの整った広い土地を契約するため進行中だ。 

本当に最悪の場合、私達食口全員が標的になって危険な場合には、王様は全員テキサス州に集まるよう指示する可能性がある。 その時は、世界中の食口達全員がテキサスに移住しなければならない。


メモ:Sトモミ  編集fanclub

このキャンプ場を様々な用途で使用する事ができる。

・原理本体論教育の場

・平和軍警察訓練の場

・避難場所

・キャンプ場周辺のアベル圏クリスチャンの伝道の場

・事業の場

・結婚式場


教育面では、

原理本体論や、堕落論、絶対性の倫理等の教育を行い、

平和軍警察訓練としては、

柔術や、ブッシュクラフト、射撃等の既存の訓練内容に、新たに猪狩りや、鴨狩り、釣り等の内容が加わる。

この土地では、猪があまりにも多く増殖しているため、無制限の狩りが可能だ。


そして本当に最最最悪の場合が来た時に、全世界の食口がこの地に避難して来ることもできる。

沢山のイノシシもいるし、釣りも出来るので食料には困らないだろう。


このキャンプ場には、一般市民のRV車も停まっており、その人達はトランプ支持であった。

そして、このキャンプ場の周辺にはテキサスでも最もアベル圏的保守クリスチャンが多く、この場所で私達の訓練や原理教育がある時には、その方々も一緒に参加する事ができ、その方々を伝道する機会をも作るようにする。


そして、このキャンプ場では、オイルを貯めておけるタンクもあり、一般のボートがきて、オイルを補充していけるようにもなっているようだ。そこから収益を得ることもできるし、他にも、キャンプ場の中に、昔レストランがあったところがあったので、そこで私たちもカフェやレストランをやると良いだろう。


そして、この美しいキャンプ場の自然の中に、結婚式が可愛くできるところや、新郎新婦の写真も可愛く撮れるスポットも作るつもりだ。

結婚式後には、そのままボートに乗って素敵な時間を持てると尚良いだろう。


このキャンプ場には、まだ色々と手を加えるべきところがあるが、既に殆どの基本的設備は整っているため、その点がとても恵まれている。


テキサスは、冬は涼しく快適だが、夏は非常に暑いので、修練会などがあるなら、冬にあるだろう。

今の時期はとても大変な時期であり、苦難の時期であるが、同時に伝道が早くできる時期でもある。


テキサスの地にこんなにも素晴らしい土地を準備して下さり導いて下さったお父様に心から感謝致します。

人々が、既成キリスト教会に希望を感じなくなってきている今、お父様の天一国文化文明圏、天一国憲法が輝くだろう。


2020年7月30日木曜日

再臨主とサタン国家日本の解放、そして驕りし選民


再臨主とサタン国家日本の解放、そして驕りし選民

非常に分かりやすい内容になっていますので、是非御覧ください。

PDF:「サタン国家日本、罪の呪縛からの解放」

PDF:「驕りし選民繰り返される摂理の失敗」

PDF:「新解釈 文鮮明氏6度の受難」

PDF:「再臨主を中心とする復帰摂理」


聖殿の方は、知り合いの聖殿の方や家庭連合の方々にお伝え頂ければ幸です。
もちろん家庭連合の方々も、よろしければ知人にお伝え頂ければ幸です。

また、先に紹介しました、天一国創建と3つに分裂した統一教会、そして真の後継者 下記PDFもお伝え下さい。

PDF:「新解明 韓お母様の天一国創建」


以下、ブログ主、愚直さんのブログからの文章転載です。

                                                       

以前「サタン国家日本、罪の呪縛からの解放」と題してブログで連載した内容を、今回再編集しました。
PDFファイル162ページの大容量となってしまったために、時間をかけてじっくり読まなければ読み切れないくらいの分量ではありますが、日韓の摂理歴史を学ぶための参考として一度お読みいただければ幸いです。

PDF:「サタン国家日本、罪の呪縛からの解放」

サタン国家日本、罪の呪縛からの解放

昨年反日種族主義という本が韓国、そして日本で出版され、大変な話題となりました。
そこには「日帝下徴用等強制動員・日本軍慰安婦被害者・独島領有権」などについて、今まで韓国で反日勢力によって一方的に宣伝、教育されてきた内容が、実は違っていたということを、実際の資料などを示しながら証明した、画期的な歴史解釈書でした。

最近はここブログ村でも、心ある食口たちによって、日韓の歴史に関して、正しい歴史観が語られることが多くなりましたが、しかしそれはまだ少数勢力に過ぎず、まだまだ日韓の歴史の真実は一般食口には知られていないのが現状です。
日本人は元々、GHQによる東京裁判史観で洗脳され、戦前の日本は全て間違っていた、日本は軍部が暴走し、世界を戦争に巻き込んだというような自虐史観が常識となっていました。

そのため教会でも、日本は元々サタン側のエバ国家だった、サタン国家日本は主の国韓国を40年間、歴史上最悪の迫害を加えたという教育を純粋に受け入れ、その蕩減として経済に対し責任を持たなければいけないと洗脳され、自分の家を売り、家庭を犠牲にし、自分の親にまで借金をし、高額商品を売りつけ、それでも足りないとしてカードを使って借金しまくり、挙句の果てに自己破産という一つの流れが出来上がっていました。

その結果生活保護を受け、貧しい生活を甘受しながらも、そのまま報われることなく、聖和された先輩食口たちの姿も何度も目にしてきました。
それら日本人食口たちの犠牲は、日本がサタン側のエバ国家だったという事実、そして主の国韓国を40年間歴史に類を見ないほどの迫害を加えたという歴史観を、真実として受け入れたからこそ果たせた犠牲でした。

しかしその事実として受け入れてきた歴史が、捏造された歴史、間違った歴史だったとしたら、日本はサタン側のエバ国家だったとしても、それはあくまでも神のみ旨の中での一役割分担であり、全ては神の摂理の一環であったとしたら、話は違ってきます。

反日種族主義は韓国人はもとより、日本人も信じて疑わなかった日韓の歴史が、実は捏造された、嘘の歴史であった、事実は日本は朝鮮半島に多大なる貢献をしていたということを告げる一つのきっかけとなりました。

2020年を迎え、新型コロナウィルスのパンデミックにより、新しい時代の到来を誰もが感じる今のこの時は、同時に今までの悪がはびこり、人を騙してでも自分が利益を得る、サタンが栄える時代の終わりをも告げています。
つまり今まで信じられてきた価値観が崩壊し、嘘が暴かれ、真実が明らかになる、いわゆる正午定着の時代の到来でもあるということです。

今まで教会では、日本はサタン側のエバ国だったと教育することで、献金を搾り取れるだけ搾り取り、ボロボロになってもさらに搾り取ることで組織を維持してきました。
しかしもし日本が言われるような罪深い国でなかったら、それどころか神のみ旨を担い、神の御心のままに朝鮮半島を統治することによって、再臨主をこの地上に迎えることができていたとするなら、話は全く違ってきます。

日本は言われるように歴史上最も罪深い国なのか、それとも今までは語られることのなかった真実の歴史が他にあるのかについて、このブログの姉妹ブログ「驕りし選民、繰り返される摂理の失敗」の中の、「サタン国家日本、罪の呪縛からの解放」に掲載した内容を、今回再編集しました。

PDFファイル162ページの大容量となってしまったために、時間をかけてじっくり読まなければ読み切れないくらいの分量ではありますが、いままで10年、20年・・・50年という期間、洗脳されてきた洗脳を解くためには、ほんの数時間貴重な時間を割いてでも読むだけの価値はあるものと自負しています。

もし今回真実の歴史を知り、真のお父様による活字になっていないみ言を知ることによって、洗脳が解かれ、自分で正しい歴史を学ぶようになれば、今後とも何年続くかわからない信仰生活においても、両班に搾取される奴婢のような日本人食口の現状から解放され、主体的、自立的信仰を確立できるかもしれません。

ダウンロードリンク「サタン国家日本、罪の呪縛からの解放」


今の統一教会?は、李氏朝鮮時代末期の様子に酷似しています。
一部の両班が自らの権力を誇示し、既得権益を守るためにほとんど大多数の一般大衆を奴婢のように扱い、無慈悲なまでに搾取するのが当たり前の世界です。

それは調べてみると、歴史的に超大国に挟まれた朝鮮民族が築いてきた身分制度と、そこで生き残るために生まれた恨の精神が韓民族のDNAに刻まれて、今日に至っても脈々と生き続けているということを感じさせます。
その韓国人のDNAに刻まれた恨の精神は、韓民族が経験したような身分制度を経験したことのない日本人には、決して理解することはできないものではないでしょうか。

韓国人が日本人を恨み、反日運動を展開しているのは、日本によって迫害され、虐待され続けたからではありません。
日本人によって搾取から解放され、近代化を果たし、生活が向上したとしても日本人を恨むことしかできない、韓国人特有の恨の精神によってなのです。
どんなに愛されたとしてもその愛を愛と感じることができずに、恨むことしかできない人間はいるものです。
つまり日本人と韓国人とは、ものの感じ方、ものの見方が根本的に違っているということです。
日本人的感覚で韓国人を見てはいけないということです。

もちろん韓国人と一口に言っても、日本に来て家庭を持っている韓国人(夫人)の多くは、日本で生活しながら、日本人と同じように献金のノルマに追われ、苦しい生活の中から精誠を捧げる生活を強いられていますから、日本人と同じような感性になっている方も多いことでしょう。
それは李氏朝鮮時代の朝鮮人も、そのほとんどが搾取される側、弱い立場の身分でしたから、今の日本人食口と同じような境遇にいましたので、共通する心情の世界は多いと思います。
問題は搾取する側、つまり両班のような既得権益を持った立場の韓国人にあります。
李氏朝鮮時代両班は、どんなに奴婢を迫害し搾取したとしても、心の痛みなど感じることもなく、500年間その体制を維持し続けてきました。

同じように統一教会においても、いくら日本人が犠牲の道を行ったとしても、両班に相当する教会幹部たちは日本人の痛みを自らの痛みとは感じることもなく、500年だろうが1000年だろうが同じような体制をいつまでも維持していこうとすることでしょう。

日本はサタン側のエバ国家だ、世界で最も罪深い民族だと言えば、従順な日本人は疑うこともなくその言葉を信じて、いくらでも献金を捧げ続けるわけですから、彼らにとってそんな美味しい話はありません。
特に信仰に関係なく、日本人を見下したい韓国人にとって、韓国人というだけで選民として仰ぎ見られる統一教会は、居心地の良い、自分の欲望を満足させてくれる団体ですから、決してそんな特権を自分から手放そうとはしません。

日本人がそんな罪の呪縛から解放されるためには、自分自身が主体的に日韓の歴史の真実を学び、神の摂理を学ぶ以外に方法はないのです。
自分自身が主体的に日韓の歴史を学び、神の摂理を学ぶ上で、この「サタン国家日本、罪の呪縛からの解放」が、一つのきっかけとなれれば幸いです。

ダウンロードリンク「サタン国家日本、罪の呪縛からの解放」


                                                       

驕りし選民繰り返される摂理の失敗

原理に出会う前、私は他の信仰を持っていました。
その宗教の教祖は私が入信した時には既に亡くなられていたのですが、自らをメシヤに先駆けてくるものとして、洗礼ヨハネであると啓示的に感じ取り、「魁のメシヤ」と名乗っていました。

私はその宗教に出会う以前から救世主・メシヤを捜し求めていましたが、聖書の黙示録を読み、私が入信した宗教は、メシヤ直接の宗教ではないことを知り、実は安心していました。
それは何故か、黙示録7:14~17を見てみます。
「彼はわたしに言った、『彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。それだから彼らは、神の御座の前におり、昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。御座にいますかたは、彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるであろう。彼らは、もはや飢えることがなく、かわくこともない。太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう』」。

神の御座の前で、メシヤと共にある者たちは、「もはや飢えることがなく、かわくこともない。太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう」という、とてつもない恩恵に与れる人たちではありますが、その恩恵に与る前に、「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。」とありますので、私にはとてもそのような艱難に耐え得るだけの信仰は持てないなと思い、メシヤに直接侍る信仰ではなくて良かったと思った次第です。

実際私たちが知るクリスチャンへの迫害は、ローマにおいてはコロッセオでライオンや獣と闘わせられたり、十字架につけられ火あぶりにされるという迫害でした。
また日本においても隠れキリシタンを炙り出すために踏み絵をさせられ、キリシタンと分かると十字架につけられるという迫害を受けてきましたから、メシヤに直接侍ることで受けるだろう迫害は、キリシタンが受けてきた迫害程度では済まされないだろうと思い、まさしく命がけの信仰が求められ、自分などにはとても耐えられないと思った次第です。

ですからメシヤ直接ではなく、洗礼ヨハネ教団に入信できたことで、ある意味安心し、満足していました。
しかし神はそんな私の甘えた根性は許されずに、結局統一教会へと導かれてしまいました。

そんな形で導かれましたから、私が原理を聞く観点は、1から10まで文鮮明氏はメシヤか否かの一点で聞き、4回主の路程を聞くことでようやく入教する決意ができました。
しかし入教する決意はしたと言っても、文鮮明氏はメシヤかどうかは最後まで自分では判断できませんでした。
イエスキリストやお釈迦様に勝るとも劣らぬ路程を歩んでいることは理解できたのですが、だからと言ってメシヤであるとは断言できなかったからです。

それは幼稚園児が大学の高等数学の講義を聞いても理解できないのと一緒で、私には文鮮明氏がメシヤかどうか判断できるだけの心霊も知能も持ち合わせていないことが分かり、最後にはメシヤであることに賭けると決意をしたのでした。
それは残念ながら数十年経った今でも変わらず、一度賭けた賭けを最後まで全うする思いだけで今日まで来ているような気もします。

前置きが長くなりましたが、何が言いたいかというと、選民とはあくまでも「大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くした」者でなければいけないということです。
「神様の摂理から見た南北統一」を見ると、「神様のみ旨は、イスラエル民族を祭物とし、メシヤ自体も人類の僕の立場に立って、人類のために生きるということだった。」とあります。

つまり選民とは、神のみ旨の為に命を捧げられる人でなければいけず、自分自身を祭物として捧げられる人であり、命がけで神を愛し、人類の前には僕の僕となって仕える人でなければいけません。
それは同時に、真のお父様が実践したような真の愛を実践する者であり、恩讐をも愛する愛を実践し、勝利した者でなければ選民にはなれないということです。

私たち日本人は統一教会に入教することにより、日本はサタン側のエバ国だった、主の国韓国を迫害した罪深い国だ、だから日本人は誰よりも犠牲の道を行かなければいけないと洗脳され、教育されてきましたが、そんな日本と日本人を誰よりも愛し、僕の僕の立場に立って侍り、真の愛を実践された方こそが真のお父様でした。
まさしく真のお父様がそのような真の愛を示され、恩讐である私たち日本人を愛してくれたからこそ、日本人は誰よりも犠牲の道を歩み、全てを捧げてみ旨の道を歩むことができたのです。

韓国人が選民だというなら、韓国人たちは真のお父様が示されたような真の愛を、恩讐である私たち日本人に対して実践しなければいけないのです。実践し勝利して初めて韓国人たちも本当の選民になれるのです。
しかし現実の韓国人はどうでしょうか。
教会においては、日本はサタン側のエバ国だった、日本人はその罪の蕩減の為に万物を全て捧げなければいけないと、終わることなき献金路程へと駆り立て、日本人に犠牲を強いながら、幹部たちは自分たちの私腹を肥やすという図式が成り立っています。

原理に照らし合わせた時、彼ら幹部たちは真のお父様が開拓された真の愛の実践の機会を喪失し、既に選民としての使命に失敗してしまっているのです。
その結果今の韓国における反日運動の盛り上がりの原因まで作っているのではないでしょうか。

統一教会が率先して日本を愛し、許そうという運動を行って初めて、アダム国家韓国とエバ国家日本が本然の夫婦のごとくに一体化し、日韓が一体化した基盤の上に、創造本然のエデンの園を迎えることができるはずでした。

しかし現実は統一教会は反日の急先鋒に立ってしまっており、率先して慰安婦問題の罪を認め、謝罪し、韓国における反日勢力を勢いづけさせております。

まさしく驕りし選民により、摂理の失敗は繰り返されているのです。
そんな選民、韓民族の摂理の失敗の歴史を姉妹ブログ「驕りし選民繰り返される摂理の失敗」に投稿した内容を再編集しまとめたものを、今回PDFファイルにして期間限定で配布いたします。

  ダウンロードリンク「驕りし選民繰り返される摂理の失敗」


「サタン国家日本、罪の呪縛からの解放」「新解釈 文鮮明氏6度の受難」において、日本は言われるように罪深い国などということはなく、逆にメシヤ降臨に多大なる貢献を果たした国であり、韓国の近代化にも大きく貢献した国であるということを、実際の歴史と真のお父様のみ言から解説しました。

「驕りし選民繰り返される摂理の失敗」では、真のお父様の路程を中心に、真のお父様をメシヤとして、再臨主として迎えるべくして用意された韓民族は、果たして神の願いに応え、摂理に勝利することができたのかどうかを、真のお父様の生涯路程を中心として解明しました。

そこから見えてくる唯一の結論は、韓民族は神の摂理にことごとく失敗していたという否定しがたい真実です。
南北の分断もその結果であり、真のお父様の40年荒野路程もその結果であり、統一教会の分裂もその結果に過ぎません。
このような結果を厳粛に受け入れ、悔い改めることなくして韓民族には希望の未来も、将来も、何もありません。
摂理に失敗したユダヤの10部族の末路は悲惨なものでした。
イエスを十字架につけたユダヤ民族の悲劇は2000年間続き、故郷の地を復帰した今も紛争は続いたままです。

私たち日本人も愛があるならば、摂理にことごとく失敗した韓国人に真実を知らせ、これ以上罪を重ねることのないように指導してあげることが、真の愛の実践になるのではないでしょうか?
そのためにも一度「驕りし選民繰り返される摂理の失敗」をお読みいただき、私たちが果たすべき使命を再考する参考としていただければ幸いです。

  ダウンロードリンク「驕りし選民繰り返される摂理の失敗


                                                       

PDF:「新解釈 文鮮明氏6度の受難」

新解釈 文鮮明氏6度の受難


私たちは、統一教会に関わると洗脳されると言われ恐れられてきました。
しかしいわゆる洗脳を受けた私たちとしては、洗脳などというオドロオドロシイものではなく、人としての正しい教育を受けただけだと思ったものでした。
しかし統一教会食口と話して感じることは、確かに統一教会食口は洗脳されているなということです。

ものの見つめ方、考え方が一方向的であり、俯瞰して物事を見ることができず、自分の考え方に固執し、自分の考え方と相容れない考え方は一切受け入れない傾向が強いということです。

特にその傾向は、統一教会が3つに分裂した今、強くなっていることを感じます。
自分立場を擁護し、他の立場は一切認めない傾向がますます強くなっているのです。
日本の罪を考えた時、私たちは常に人類の救世主、メシヤとして降臨された真のお父様を最初に逮捕し、拷問にかけたのは日本人だ!日本人がメシヤの身体に最初に鞭を打った、罪深い存在だと言われてきました。

その事実に関しては一切の弁解も、反論の余地もありません。
事実は事実として受け入れるしかありません。
しかしそれ以上の事実に関しては、誰も何も語ってくれませんでした。

本当は日本人以上に罪深く、人類の救世主、メシヤとして降臨された真のお父様を死の寸前にまで追い詰め、イエスの十字架に相当する極致まで追い詰めた存在がいることは、ほとんど語られてきませんでした。

つまりこのような日本人の罪と教えられてきた真のお父様の受難に関しても、私たちは洗脳され、一方向的な見方しかできなくなっていたのです。

真のお父様の受難に関しても、一歩引いた立場で俯瞰し、大局を見た時、全く違った罪の存在を発見することができるのです。

今回「新解釈 文鮮明氏6度の受難」では、「驕りし選民繰り返される摂理の失敗」に投稿した真のお父様の6度にわたる獄中路程についてまとめた内容を再編集し、PDFファイルにしてまとめてみました。

真のお父様の路程の中でも、クライマックスともいえる苦難の路程について、今まで聞かされてきた観点とは違い、より俯瞰した立場で新しく解釈した真のお父様の路程となっています。

ダウンロードリンク「新解釈 文鮮明氏6度の受難」


メシヤにおける公生涯とは、メシヤの使命を果たすために歩む公式の路程のことを言います。

イエスに対する迫害は、公生涯が始まってからでした。
イエスの公生涯に相当する真のお父様の公生涯はいつからだったのでしょうか?
真のお父様に対する日本の警察による迫害は、公生涯が始まる前か後か?
また真のお父様が公生涯を歩む中で行われた迫害は、いつ、どこで、誰によってなされたものなのか?

この公生涯か否かという観点が、非常に重要になってきます。
何故ならば、人類がイエス以降2000年の時を経て迎えたメシヤを、人類はどのように迎えたのかが直接に問われるからです。

何故洗礼ヨハネがイエスを不信したのが、あれほどまでの罪となったのかは、メシヤとしてのイエスを受け入れなかったからです。
例えば洗礼ヨハネが、洗礼ヨハネほど修行をしているようには見えない従弟のイエスを見下し、受け入れなかったとしても、公生涯を出発する前であったならば、それほどの罪とはならなかったでしょう。

洗礼ヨハネが犯した罪は、公生涯を出発したイエスを洗礼し祝福したにもかかわらず、イエスを不信し、従わなかったから大きな罪となったのです。
同じように真のお父様を迫害するにしても、その迫害が文鮮明氏個人に対する迫害なのか、メシヤ、再臨主としての文鮮明師を迫害するのとでは、意味合いが全く違ってくるとみなさなければいけません。

「新解釈 文鮮明氏6度の受難」では、真のお父様の生涯において、特に迫害を受けた時期、その経緯と結果について分析することにより、メシヤを迫害した張本人、最も罪深い存在は本当は誰だったのかについて焦点を当てて分析いたしました。

今までとは違った観点での真のお父様の苦難の路程を、是非ご参照いただければ幸いです。

ダウンロードリンク新解釈 文鮮明氏6度の受難


                                                       

PDF:「再臨主を中心とする復帰摂理」

最終回、イエス路程を踏襲した真のお父様の路程、

「再臨主を中心とする復帰摂理」


今回姉妹ブログへの投稿内容を、6回にわたってPDFファイルにまとめたまとめファイルの配布を行いましたが、今回7回目で最終回を迎えました。

最終回はイエス路程を踏襲した真のお父様の路程、「再臨主を中心とする復帰摂理」についてです。

真のお父様は生きてイエスの十字架を超え、イエスが成し遂げることのできなかった真の家庭を築き、弟子たちにも祝福を与え、その権能さえも付与することに成功しました。

イエスはたった3年間の公生涯で十字架についてしまった為、その救いの恩恵はイエスの十字架を信じることによる霊的救いのみに限定されてしまいました。
しかし真のお父様は、生きてイエスの十字架を超えて、実体的に数々の勝利的基盤を打ち立てられ、90年の生涯を全うされましたから、イエスの路程を超え、人類史上初の路程を歩まれたと思っていました。
何度も死の境地を生きて超えられ、数々の勝利圏を確立されましたから、その生涯はイエスの生涯を超えて、人類史上誰も歩んだことのない未開の路程を歩まれてこられたのだと思っていたわけです。

しかし今になって改めてイエス路程と真のお父様の路程を比較してみると、そこには見事なまでのシンクロが見られ、真のお父様は90年かけてイエスの33年の人生を見本として、同じような路程を歩まれていたということが分かりました。

もちろん教会ではそのような解説をされる方はなく、ただただ勝利者として証しされるばかりですので、異端的解釈ととらえられるでしょうが、真のお父様の90年の生涯にプラスして、今日に至るまでの路程は、まさしく33年のイエスの生涯と、霊的復活以降の路程を見本として、摂理は進んでいるとしか思えない内容が多々あるのです。
是非一度ご自身で確かめて判断いただければ幸いです。

ダウンロードサイト「再臨主を中心とする復帰摂理」



 _   __                           _
★三代王権・サンクチュアリ教会、三代王権・こころの聖殿 :本部公認・二代王より聖霊を賜った聖霊教会《電話で戻る祝福可能です。イエスお父様聖霊役事と清平天使役事を相続し聖霊役事天使役事を行っています。

2020年7月13日月曜日

六マリアは聖殿キリスト人の誇り<その一>2020年7月12日◆三代王権・サンクチャリ教会「聖霊礼拝」

2020年7月12日
三代王権・サンクチャリ教会「聖霊礼拝」
音声テキスト画面礼拝VIDEO

三代王権・サンクチュアリ教会

三代王権・こころの聖殿:三原


六マリアは聖殿キリスト人の誇り
<その一>

まず、3日行事の重要な説教の紹介をしたいと思います。
六マリアの蕩減路程があったからこそ、人類は3日行事を通して、サタンの子から神の子に、血統転換できるようなりました。
次のアドレスは六マリアも理解する上でもとても重要な二代王様の礼拝です。


◆イエス様の種、再臨主の種と六マリア
何故、神様は一人御子イエス様を送って下さったのか?何故、肉体を持って来られたのか?何故男性であるのか?再臨のイエス様は肉体は必要ではないのか?六マリアを理解するにあたりまずその理解が必要です。イエス様のその救いの具体的な目的を見ていきます。

その前に六マリアを説明するためには、「キリストの花嫁」ということを説明したいと思います。なぜなら、二代王様が「キリストの花嫁」を上げて六マリアを説明していおられますが、この「キリストの花嫁」というキリストの概念が分からないと六マリアはおろかイエス様を新郎とするキリストの概念も理解出来ないことになるからです。
家庭連合で、真の御父様よりも韓オモニを重要視するのは、イエス様を新郎であることを理解していなこと、つまり再臨主も新郎であることの意味を理解できていない事が大きいのです。

キリスト教が「子羊の花嫁」「キリストの花嫁」というのか、更に学びたい方は、キリストの花嫁 - 日本同盟基督教会 金沢中央教会 ホームページをご覧下さい。
簡単にいえば教会はキリストの花嫁であり、当然ながらその信徒もキリストの花嫁であるということなのです。

ここに取り上げられていない「子羊の花嫁」「キリストの花嫁」に関する聖句を見てみます。
コリント人への第二の手紙
コリント11:2わたしは神の熱情をもって、あなたがたを熱愛している。あなたがたを、きよいおとめとして、ただひとりの男子キリストにささげるために、婚約させたのである。 11:3ただ恐れるのは、エバがへびの悪巧みで誘惑されたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する純情と貞操とを失いはしないかということである。

ここで明らかにパウロは、コリントの信徒達に教会が花嫁というだけでなく、「あなたがたは男子キリストにささげるために、婚約させたのである。」つまり、人々はキリストの花嫁であると言っています。

もちろんこれは二代王様が言われるように、男性までも花嫁にすることによりキリスト教が弱くなったという問題があります。キリストにおいて、本来男性はキリストをまといし者であり、勇敢な者であるからです。 
ローマ人への手紙にこうあります。
ローマ人への手紙13章14節
ローマ書13:14あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。

先ほど紹介した金沢中央教会の説教にもありましが、「キリストの花嫁」に対してイエス様はその信仰姿勢によっては婚約しても花嫁になれないことを言っておられます。
マタイ25:1そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。 25:2その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。

この「キリストの花嫁」を信仰姿勢として捉えるのは、キリスト牧師(神父)の一般的解釈です。
ところで花婿であるキリストはお一人です。
そのお一人の花婿に対する10名の婚約者、これは信仰姿勢では無く、実体的な救いのあり方であるということを二代王を言っておられます。

その御言を見てみます。

(注:二代王の御言は理解しやすいように文章を整えています。リンク先で確認下さい。)
 
二代王:イエス様はマタイの福音書25章で、新婦たちに対して答えておられるではないですか。10人の処女たちがいたが、5人の処女がイエス様の婦人になります。

マタイ25:1そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。 25:2その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。

この話は何でしょうか?イエス様が再び来られるとき一人の女を捜すためではありません。全世界の女たち(を捜すためです)。
準備されている女たちは自分のイエス様の夫人になることができ、準備されていない女たちは主の新婦になることはできないのです。

カトリックの数多くの修道女たちは何故イエス様と結婚をするのでしょうか?なぜならキリスト教の歴史はキリスト教の神学は全て知っています。イエス様は新郎であり、教会だと言うでしょう?教会が新婦だと言います。修道女も数万名の修道女が、自分はイエス様と結婚したと思っています。

主は一人の女性を探すための摂理ではありません。主は全ての女性、全てのエバたちを、堕落したエバたちを神様の新婦に創ります。
全ての堕落した男性たち、天使長を神様の息子に創ります。
それが三日行事と祝福式の驚くべき役事です。

➡堕落したエバたちを神様の新婦に創りかえるわけですから、全世界の女性がその対象になります。そして全ての堕落した男性たち、天使長を神様の息子に創るということなのです。これが三日行事の内容なのです。
六マリアを理解するためには、この三日行事と使われる聖布の意義を知る必要があります。
それを次の御言で再確認します。

二代王:
このお父様の下半身。私達はお父様を恥ずかしいと思うのではなく、お父様のすべての歴史は神様が必要とされた歴史だということを知り、信じ、保護する天の勇士になるのか?それとも詐欺師達、偽りの信仰持つ者達、お父様を恥ずかしいと思っている偽りの信仰を持つ者達なのか?終末はこういう時なのです。
人々は知りませんがお父様はそのような歴史を歩みながら、その基盤の上にお母様を立てられました。そしてお父様は天の道を開かれました。それが三日行事なのです。
ローマ人への手紙13章14節
あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。

私達は主イエス・キリストの服を着なければなりません。
三日行事の時、聖巾で拭きました。
その聖巾で皆さんは罪を清めるものだと考えていましたが皆さんは間違っています。
その聖巾は主イエス・キリストでした。主である神様でした。それはお父様だったのです。皆さんはその聖巾で体を拭いた時、実は拭いているのではなかったのです。皆さんはキリストの服を着ていたのです。

➡ 三日行事の時、聖巾で拭くということは、キリストをまとうということです。それは、キリストにより血統転換される、サタンの血統から神の血統に産みかえられるということです。つまり、聖巾で拭くということは、キリストに繋がれキリストの血統になるということなのです。そのような血統をもたらして下さるが故にキリストは新郎なのです。
キリストが神の血統をもたらす新郎であることを、もっと端的に表す聖句があります。それが次のヨハネの黙示録19章5節、イザヤ書53章5節なのです。

(注:理解しやすいように文章を整えています。)

「ヨハネの黙示録19章15節」
19:15その口からは、諸国民を打つために、鋭いつるぎが出ていた。彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、また、全能者なる神の激しい怒りの酒ぶねを踏む。
19:16その着物にも、そのももにも、「王の王、主の主」という名がしるされていた。
(韓国語直訳)19:16その服とその脚に名前が書いてあったが「萬王の王、萬主の主」と印されていた。 

二代王:ヨハネの黙示録19:16に、万王の王、万、万主の主(日本語の聖書では「王の王、主の主」)という名が脚(日本語の聖書では「もも」)に印されて(書かれて)います。
もも、脚という単語はコイネーギリシャ語でメロス(méros)です。ヘブライ語で、「ヤレク」です。
ヤレクの意味は陰嚢、聖書で太もも、ある場合ヤレクと言う時、これは種(精子)が詰まっている陰嚢の事です。
ですから主の陰嚢に、主の種に万王の王、万、万主の主(「王の王、主の主」)という主のアイデンティティ(自己存在価値性)が、刻まれていたということです。
主の万王の王というアイデンティティはまさに神様から来るのです。

そのアイデンティティをイザヤ書53章を見てみます。
キリストの私達を救うために受難の道を行かれる場面を克明に預言している個所です。
イザヤ書53:5しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、
われわれの不義のために砕かれたのだ。
彼はみずから懲しめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
53:10 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。
(韓国語訳:そのを見ることができ、その命をながくすることができる。その手によってヤハウェ様が喜ばれるみ旨を成し遂げられる。)
英語聖書KJV訳:
Isaiah 53:10 Yet it pleased the LORD to bruise him; he has put him to grief: when you shall make his soul an offering for sin, he shall see his seed, he shall prolong his days, and the pleasure of the LORD shall prosper in his hand.

彼が種(子孫)を見るようになれば種を見るようになる。
日本語聖書「子孫」、韓国語聖書「種」英語聖書「種」)

その方を通して、ヤハウェ様が、神様が喜ばれる御旨が成しとげられる(かつ主のみ旨が彼の手によって栄える)。このように出てきます。

➡ このイザヤ書53章10節の意味は「イエス・キリストの種(精子)を受けた子孫を見る事ができ、ヤハウェの神が喜ばれるみ旨を成し遂げられる」と言う事なのです。

ですから、イエス・キリストは死ぬために来られたのではなく、神の王国、神の種、神の血統、神の家庭、神の王権を立てるための使命があったということです。

一般キリスト教神学では、このような事には触れもしません。話もしません。ところが、まさにイザヤ書53章10節を見るならば、イエス・キリストの種が出てきます種。キリストの血統の預言が出てきます。

そのように有名なイザヤ書53章ですがユダヤ教では、イザヤ書53章は禁断の章にされています。なぜならユダヤ教では、これはあまりにもイエス様と似ているからユダヤ教はこれが嫌いなのです。

この53章は苦難を受ける主に対しての預言ですが、しかし、続けて読んでみると、10節でイエスの種について出てきます。
男性から出てくる種。その種を通じて女性が妊娠します。その次に子孫が出てきます。
ですから皆さん、私たちは聖書を深く掘り下げれば掘り下げるほど、このような驚くべき秘密と内容をさらに発見するようになります。

➡ つまりイエス様の血筋、血統が神の目的であり、イエス様が肉体を持っておられる意味であることを私たちは発見することが出来ます。

実際、神様の摂理は血統の戦いではないですか。聖書を読むと、全て血統の戦いです。タマルの路程を見たら、自分の義父と寝て、義父の子供を産むではないですか。ユダヤの伝統で、そのようにしたら死刑になります。死刑!

しかし、神様がどうしてそのようにさせましたか?
なぜなら、これは神様の目的、血統が絶える非常事態になったので、タマルにそのように神様はさせられたのです。
これは「神様の目的論的な倫理の一時停止」、神様の律法を超える非常状態に、神様の目的を追求する非常状態なのです。

これはお父様の六マリアの問題と同じです。
お父様が、「お父様の気持ちと六マリアの問題を理解したければ、タマルの道を理解しなければならない。」とおっしゃいました。
六マリア問題の摂理を理解したければ、タマルの道を理解しなければならないということです。

➡ 二代王が言われる「神様の目的論的な倫理の一時停止」その観点で見るのならば、アダムとエバの堕落とは、つまりアダムとエバの堕落以降の人類は神様の目的、血統が絶える非常事態にあるという事になるのです。
この観点でみると人類歴史とは「神様の目的論的な倫理の一時停止」、神様の律法を超える非常状態にあるのです。
神様の目的を追求する非常状態です。では神様のその非常状態で成さなければならい神様の目的とは何でしょうか?
つまり、その神の目的、神の血筋、神の血統を成すのがイエス・キリストの目的であるという事なのです。
このイエス・キリストの目的を子供達にも子孫にも伝えていかなければならないのです。
それが六マリアの摂理であるという事なのです。
その六マリアの摂理がどうして必要なのか六マリアの真実を次に見ていきます。

▼六マリアの真実
(注:理解しやすいように文章を整えています。)

二代王:六マリアに関してどう思うかと、人々はそれをタブーとします。私がそれを言ったところ子供たちがみんなオドオドします。
これは親が子供と話すべきものでした。タブーにすべきものではありませんでした。

國進様がいつも話されるのですが、まずテーブルに三角形の絵をかきます。三角、ピラミッドを描いてピラミッドの頂点、時代の初めに最初はアダムとエバです。ピラミッドの一番下に子供がたくさん出来てたくさん出来ます。大きい底辺ベースが出来ます最初は二人。今は76億人になります。
ですから三角形の頂点ではなく再臨主が底辺に再び来られて、対処しなければならない。
何のためでしょうか?血統のためです。血統です。血統が鍵です。

(注:理解しやすいように文章を整えています。)

二代王:ですから、すべての女性の責任は堕落したエバとして、再臨主を通じてキリストの新婦になり、再臨主の新婦にならなければなりません。
その次に全ての堕落した男達は天使長の立場で再臨主を通じて、神様の息子にならなければなりません。
ですから全世界の女性たち、35億の女性たちは再臨主の新婦にならなければなりません。再臨主は女性たちの新郎だからです。そして35億の男性が天使長から息子にならなければなりません。再臨主は真の父として来られたからです。

どのようにして?
血統を通して。血統で連結されて。
サタン圏において神圏に養子になるのではなく、神様の直系の息子、娘にならなければなりません。
信仰だけでなく、神様の血筋によって、種、血においてです。

ですから、再臨主は実際、神様はすべての女性が神様の夫人になりながら、産まれた子供たちが神様の息子にならなければなりません。
ところで、それは肉体的に不可能な内容です。
ですから、一人の代表として再臨主、真のお父様が夫人を立てられるということなのです。

➡ 神様は「一人の代表として再臨主、真のお父様が夫人を立てられる」ということはどういうことでしょうか?國進様はこれをより直接的に端的に次のように言っておられます。


國進様: 六マリアについての質問ですが、簡単です。
お父様は「花婿」としてこられました。エデンの園では花嫁はエバ一人でした。
エバだけが神様と相対していればよかったのです。
問題はこの世界は個人レベルから拡大して世界まで殖え拡がったことです。何十億の人が存在する世界になっていることです。メシアが来られるときすべての女性、何十億という女性を一人に代表させるということをしなければならないわけです。

これがお父様の抱えられた問題です。お父様は御一人なのにエバは30億人もいる。世界を救うためにはその30億の女性が真のアダムの種を受けなければならないのです。それによって神の血統が根付くからです。

ですから六マリアは30億の全女性を代表する立場として立たされるわけです。それによって世界を救うことができるのです。すべての女性が真のアダムの精子を受けることができるようにすることが六マリアの摂理の重要性です。

お母様の立場というのは「花嫁」の長、代表だということです
神学的にいえばその花嫁の長は最もサタン的な血統から迎えなければならない。神様の血統は、神様の精子を最もサタン的な子宮を通じて産み出さなければならなかったのです。
六マリアの摂理は再臨主がエバを復帰するために避けることができない路程であったのです。エデンでは一人であったエバが30億になっていたからです。
神の摂理の中で再臨主として越えなければならない摂理であったということなのです。

➡ 神の摂理の中で再臨主として越えなければならない摂理、それがいわゆる六マリアの摂理ということなのです。即ち六マリアは30億、40億もいる全女性の全てが、エバとして復帰出来るようにする具体的な条件を立てるための数理的な内容と、基準的内容があったという事なのです。
その具体的条件の内容は明らかにされていませんが、それなりの具体的数、基準、条件があったという事なのです。
そして、この再臨主がエバを復帰する条件の内容は、その対象となる選ばれた女性達に、はっきりと伝えられたということなのです。もちろん韓氏オモニにも伝えられました。
その内容を次に見てみます。

2015年5月10日 「キリストを身にまといて (六マリアをどう説明するのですか。)」より

(注:理解しやすいように文章を整えています。)

二代王:メシアはサタンの血統を断つために来られたのです。
サタンの血統を切るために剣をもって来られたのです。それが目的でした。
神の血統をもつ千年王国を確立させる最も早い方法はキリストを送り花嫁を迎えることです。
キリストが全ての女性を花嫁として迎えることです。
そしてすべての女性が子供を産むことです。
そうすることでサタンの血統を切ることができます。
これがサタンの血統を消し去る最も早い方法なのです。
だからメシアは花婿として来るというのです。メシアはサタンの血統を切る役目をもっています。それを断ち切らなければなりません。神様が被造世界を主管できるよう、サタンの血統を切らなければなりません。
聖賢夫人:左から、マホメット夫人 李貞玉님、ソクラテス夫人 金明熙님、イエス夫人 張貞順님、孔子夫人 李京俊님、アウグスチヌス夫人 姜賢實님(後の康賢實真のお母様)、円内 釈迦夫人 崔元福님

ソウルでお父様の自叙伝を出版された時、お父様は4大聖人の妻(相対者)たちを呼んで前に来させました。イエス夫人、ブッダ夫人、ムハンマド夫人、孔子夫人、全てです。お父様は自叙伝はご自分の生涯路程の80%しか描いていないとおっしゃり、4大聖人の妻を前に出されました。
それらの婦人は六マリアだった方たちです。誰も悟りませんでした。
韓お母様がお父さまに嫁がれた時、お父様はお母様に六マリアについてはっきりと説明されました。
そして韓お母様はこの路程を歩むことを同意されたのですが、韓お母様がこの(六マリアの)問題で苦しんでこられたのです。

➡ この聖賢夫人たちが、全ての女性たちがエバとして復帰出来るようにする具体的な条件を立て下さったのです。それはタマルの信仰、マリアの信仰以上の、神様の血統を残すための、神様の律法倫理道徳を超える非常状態にある壮絶な信仰でした。
そのような壮絶な信仰を立てて下さったがゆえに、これ以降は、そのようなことはする必要なく、神様の律法倫理道徳である男女唯一の絶対性の中で、再臨主をメシアとして受け入れ三日行事を行い聖布で体を拭くことにより、キリストをまといキリストに繋がれキリストの血統になれるようになったのです。そのような血統をもたらして下さるが故にキリストは新郎なのです。

ですから、この六マリアの方々にはタマルの信仰を私たちは讃える如く、いや、それ以上に私たちをサタンを分立し、サタンの血統から神様の血統に産みかえる道を開いて下さった事に感謝しなければならないということになるのです。

そのように見るならば、韓氏オモニは真の母の立場、つまり再臨主の正妻ですが、六マリアの一人だと言えます。
ところが、真のお母様として立てられたこの方は、このこと故に悩み苦しんで行きました。
恐らくは、どのような信仰のある女性でも、越えられない愛と心情の十字架であったことでしょう。

しかしその苦難の愛の十字架は、サタンを分立し、サタンの血統から神様の血統に産みかえるために絶対的に必要な愛と血統の蕩減復帰路程であったのです。
天は、お父様はこれを願われたのです。

残念ながらこの愛の十字架を韓氏オモニは越えられず、この愛の十字架は積年の恨みとなってしまい、この六マリアの内容はお父様のキリスト性と、再臨主の種を否定し、ご自分がそのキリストの目的であるその血統さえ否定し、法統を立てることになったのです。

また、この内容を理解し勝利してくださった六マリアの方々が、韓氏オモニが失敗した後の真の母として立つ候補であったのですが、康お母様だけが最後まで勝利され、このような大きな功労を立てた他の方々は韓氏オモニと同じ道を選ぶという大きな悲劇にもなってしまったのです。

ですから康お母様が六マリアの愛と心情の十字架を越え、ただお一人、タマルの信仰を勝利してくださり、完成祝福を私たちに下さった、そのキリストの新婦としての信仰がどれ程偉大で感謝であるのかというのです。

それはイエス様がどのようにして生まれになられたのか、その女性の役割、キリストの新婦とは何であるのか、康お母様が誰よりも理解しておられたからと言う事が出来ます。

一方、他の六マリアの方々は康お母様のように信仰を立てることが出来ず、失敗した立場に立ったということになりますが、ここに重要な問題が発生します。
真のお父様とイエス様は神様と一緒にキリストの役事を復活され聖霊をもって役事しておられます。
そうでありますから、本来であれば、最初に来られた救世主イエス様の奥様が、イエス様に対する新婦としての信仰、真のお父様に対する信仰を、康お母様のように立てなければなりません。
ですから、イエス様の妻となられた張貞順先生が三代王権に戻ることが出来なければ大変な問題になることがわかります。
康お母様は同じ六マリアとして張貞順先生に二代王と國進様の聖殿に来ることを望まれましたが、受け入れられなかったと聞いています。
しかし、いつまでも時が許すということも無いでしょうから、それが叶わなかった場合の新しい祝福もあるかも知れません。
時の時までには、張貞順先生が真のお父様の権限圏に戻ってこられることを心より願います。

▼20年5月3日 英語日曜礼拝 ◆六マリアの真実<全編>文亨進二代王
(注:理解しやすいように文章を整えています。)

➡ 神様が、その神様の血統を残すため、つまりイエス様が生まれるようにされた、神様の律法倫理道徳を超える非常状態の血統的内容を次に見てみます。

二代王:タマルもイエス様の4人のお母さん(タマル、ラハブ、ルツ、バト・シェバ)の一人です。バト・シェバ(バティシバ)はダビデの愛人的な立場です。彼女の血統からイエス様が来ます。
マタイ書1:1アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。
1:2アブラハムはイサクの父であり、イサクはヤコブの父、ヤコブはユダとその兄弟たちとの父、 1:3ユダはタマルによるパレスとザラとの父、パレスはエスロンの父、エスロンはアラムの父、 1:4アラムはアミナダブの父、アミナダブはナアソンの父、ナアソンはサルモンの父、 1:5サルモンはラハブによるボアズの父、ボアズはルツによるオベデの父、オベデはエッサイの父、 1:6エッサイはダビデ王の父であった。
ダビデはウリヤの妻によるソロモンの父であり、

➡ 簡単にイエス様に至るマタイによる福音書に出てくる女性たちを見てみます。
・タマル:ヤコブの血統を残すため義父ユダを騙しゼラとベレツを産んだ
・ラハブ:エリコ城にヨシュアの斥候を受け入れた娼婦
・ルツ:モアブ族、異邦の民
バト・シェバ:ダビデ王の部下ウリアの妻、ダビデが妊娠させウリアを殺し妻とした。

このように神様の律法倫理道徳を超える非常状態の女性たちです。このような女性たちの功労により、この血統からメシアである神の一人御子キリスト・イエスが来られたのです。ですからのこの四人の女性たちがイエス様のお母さんということが出来るのです。
そして、このことは12支派をメシアが作らなければならない内容につながるのです。

二代王:神様が不倫が良いと言っているのではありません。ある所で神の王権の一族が消えてしまう。その時には血統を続けないといけない。血統がなくなると王権の目的は達成されません。

ですから問題は私たちのアイデンティティ(自己存在価値性)が分からないことです。ですから簡単に低いレベルのイデオロギーに惑わされます。
私たちの国も同じです。もしそういう壮大な危機がある時、戦時時代の緊急要望がある時、普通の論理は適用されません。
お父様は、いつも12支族をまた作らないといけないと教えていました。
ですからこの女性たちは、お父様と契約を結びました。彼女らは知っていたはずです。主の妻になれるので、自分の自由意思で結びました。そして12人の子供を作ってイスラエルの12支族を作る責任もありました。

1983年に言われた事なのですが、御父様の相続者によって憲法が発表され王国を作ると言われました。そしてそれは韓マザーの子供が12人全員産まれた後に言われた言葉です。私は79年に生まれ、妍進は81年、情進は82年。タイミングが興味深いのです。

ですからサタンがお父様の血統を止める事が出来たのなら今見る(天一国)憲法を見ることができません。その王国の一部となる国を見れなかった。一生見る事はなかったのです。それが現れたのはお父様のおかげです。12支族を作ってお父様の血統を繋げないといけなかったのです。

➡ このような神の血統を残すための壮絶なユダヤ・キリストの内容があったこと、そのようなサタンが讒訴できないサタン血統圏から神血統圏への道を開いてくださる道が、タマルの神の血統復帰の内容、六マリアのようなイエス様の神の血統復帰の内容があったということ、その事によって、私たちはキリストに繋がれキリストの血統になれるようになったということを理解すれば感謝しかないのです。

そのようなお父様の神の血統復帰の内容があったがゆえに、私達はユダヤ・キリストの神様の血統に授かることが出来た、そのような壮絶な神とサタンとの血統の戦いの末に神の系列に加わることができたという、それが故に私達はこのキリストの血統のアイデンティティを誇りに思うことができるのです。

この重要なアイデンティティ(自己存在価値性)を確立しなければ簡単に、一般的倫理やイデオロギーで惑わされ信仰を失ってしまうことにもなるのです。それどころかそのような大切な自分の神の血統性を簡単に捨てることにもなるのです。

六マリア、その事に心から感謝し、必然的にそのようにして接ぎ木された、このキリストに繋がれキリストの血統になったというアイデンティティ、キリストの神様の血統のアイデンティティを大切にしていかなければならないのです。

ですから12人(13人)の子を残しその天が願われた12支派の基準を勝利して下さり、お父様の相続者が天一国憲法を発表し王国をつくることが基準を立ててくださった、そのような相続者を生んでくださったということ自体において、天宙の堕落をしたといえども韓氏オモニへの感謝はあってもよいのかも知れません。

しかし極めて残念ながら、本来、相続者となった真のアベルと真のカインを中心に集まるべきご子女様たちは、韓氏オモニとともに、このキリストの神の血統圏からサタン主管圏の血統に堕落してしまったのです。
ですから三代王権を生んでくださったことは感謝であっても、その後の裏切りにより人類にもたらされた災禍の罪の重さが減免されないことは理解しなければなりません。

それは正にイスラエル民族の12支派の内、北朝イスラエル10支派が歴史から消え去り南朝ユダ2支派だけが残ったことと同じ摂理歴史が起きたということなのです。

このようにイスラエルの12支派の観点からタマルからイエス様に至ったことを見れば、御父様の六マリアという内容が、どれほど重要であり感謝で有り、キリストに繋がれキリストの血統になったというアイデンティティが誇りであるかということが分かります。

そしてお父様の六マリアの中からエバの堕落以降、全人類の全女性が果たせなかった「ルーシェルの誘惑、嘘に屈服してしまったという、全人類の堕落の原点の原点」を勝利した女性、つまり完成エバが、この六マリアの中から誕生することになるのです。

同時に先ほど言いましたように、イエス様の相対者、妻が重要です。イエス様の妻となられた張貞順先生がお父様の権限圏に戻ることが出来なければ、お父様は、新しい次の摂理を展開をするしかなくなるのではないかと思います。

▼20年5月3日 英語日曜礼拝 ◆六マリアの真実<全編>文亨進二代王
《 真のお父様の指示により新たにアウグスティヌスの新婦となられた友美さん 》
友美さんも真のお父様の姿がわかる霊能者です。

➡ 康お母様も六マリアの一人でした。
そして韓氏オモニは真の母の立場に立ちましたが、韓氏オモニもキリストに繋がれキリストの血統を人類にもたらすという意味では、六マリアの一人ということが出来ます。
天のお父様はその六マリアの中から、完成期真の父母の、真のお母様として勝利するようにされたということ、それはタマル、ラハブ、ルツ、バト・シェバ、そしてマリアの路程を見れば、このような女性たちの心情の十字架を越えていくべき立場が韓氏オモニの立場、責任分担だったのです。

ですから完成期真の父母としての、完成期の真の母に至る路程で、これを越えられず真の母を担った中心人物が失敗した場合、その残りの路程を歩む次の真の母は、六マリアの中から真の母になる方が選ばれるしかないということが分かります。
何故ならば再臨主との愛の、その心情の十字架を越えて、ただひたすらにイエス様の新婦であり続け、その貞操、その信仰を貫いた女性でなければ、真のエバとなり、真の母となることが出来ないからです。

「ルーシェルの誘惑と嘘に屈服してしまったという、全人類の堕落の原点の原点」を勝利するということが、そのようなサタン屈服の路程が、どれ程の愛と心情の十字架を越えなければならない想像を絶するに余りある内容です。

真の父母としてお生まれになた真のアダムが、完成期の真の父母になるためには、エバの責任分担で「ルーシェルの誘惑と嘘に屈服してしまったという、全人類の堕落の原点の原点」を勝利したエバ無くして、完成期の真の父母になることは出来ないのです。

その意味において、全人類を救うことが出来る、生命の書入籍祝福式を私達にくださった、その六マリアというエバの十字架の道をキリストの花嫁として完全に勝利された康お母様がどれほど、全人類にとって、とくに女性たちにとって、全女性たちの代わりとなって、そのような壮絶な女性の道を歩み最後までキリストの花嫁の信仰と貞操を貫いた康お母様が、どれ程の天宙的エバの勝利であり、感謝でしょうか。そのような康お母様がどれ程の誇りでしょうか。

同時に、康お母様と同じ位、イエス様の相対者、妻が重要です。しかしイエス様の妻となられた張貞順先生が今のところ三代王権に来ようとしません、祈って行かなければならない内容です。

そのような真のお母様の観点から見ても、私達がキリストに繋がれキリストの血統になったというアイデンティティ(自己存在価値性)がどれ程の誇りであるか、どれ程の感謝であるかということなのです。

ですから一般倫理か見ると破廉恥であっても、そのような神様の律法倫理道徳を超える非常状態でなければ人類をキリストに繋げキリストの血統することができなかったという血統転換において、そしてそれ以降、愛する夫と妻が絶対性の愛を育むことが出来るという男女の真の愛において、この六マリアはむしろ、大いなる感謝であり誇りなのです。

そのようなキリストの血統になったというアイデンティティがヨハネの黙示録に書き記されています。
私達はヨハネの黙示録をもって、キリストに繋がれキリストの血統になれたというアイデンティティ(自己存在価値性)を私達は誇りに思うことができるのです。


電話で戻る祝福可能です。イエスお父様聖霊役事と天使役事を行っています。1