そうすると神様の祝福から遠ざかるのです。それも自分の選択です。
だからただ「あなたも完成できる」という聖句に固執して、自分も中心人物だなどと考えるなら…実際そう考えている人もいるのです。それは愚かな考えであり、天使長的です。中心摂理から離れるからです。そこではあなたが中心ではありません。
中心摂理は、真のお父様と、その王統を通してもたらされる実体の王国です。ここが理解できないところがキリスト教世界観が分からない人々の問題です。
キリストなしでは、価値なき者にすぎません。汚れたボロ切れであり、神様の前のただの罪人に過ぎません。たとえ完璧に善行を行ったとしても、仏教の瞑想、神道の祈りを続けても、ただ「人間的完璧に近い」というだけです。マザーテレサの10倍、善行を積んだとしても、神様の前では汚れた罪深い存在にすぎないのです。
アンカー:祝福家庭も同じです。
自己崇拝するとき、自己中心の思いに満ち、嘘をつき、神の栄光を奪っているからです。父の栄光を自分のものにしているのです。大きな罪人です。パリサイ人の問題は、他の宗教者もそうですが、自分が何か相応しいことをしたから救いを得る、と思っているところです。
アンカー:祝福家庭も同じことを言います人格完成こそが重要だ人格完成していない連中が何を言っていると批判します。
それがキリスト教と、他の多くの宗教との違いです。とてつもなく大きな違いです。すべての宗教は、善い行いをすれば、良い見返りがあると教えます。
善行を行なえば、救いも得るし天国にも行ける、解脱者になると。すべては自分の行いに基づいているのです。すべて自分次第です。すべての宗教がこう教えています。
一体なぜお父様が王権を打ち立てたのか分からなければ、その人はまだ堕落した宗教圏内にいるのです。
キリストの中心性を理解していないからです。キリスト教的世界観をもっていません。だから王権がなぜそこまで重要なのかが分からないのです。
(アンカー:命のみ言葉です。)
神の摂理、神様の世代を超えてつづく王国と王権とから離れて個人の完成はありません。
確かにお父様はわれわれにみ言葉を残されました。しかしその実体も残されたのです。それが私です。そして息子、信俊を残されました、お父様が選んだのです。お父様のみ言葉を訓読したから、お父様の権威に戻れたのではないのです。家庭詐欺連合もみ言葉を訓読しているのです。皆さんがいまお父様の権限のもとにいるのは、お父様御自身が立てられた摂理のラインにつながっているからです。私が立てたラインではありません、お父様が立てられたのです。分かりますね。だから王権が非常に重要なのです。それは皆さんが世代を超えてお父様に仕える道なのです。
キリストが全人類のためにすべての苦難を受け、血を流し、一万の十字架を超えられて、皆さんに恩恵として与えられたから、そして王国と王権をたてられたからなのです。だからあなたの権利が守られるのです。あなた方が何かを成したからではないのです。それにふさわしい善行を行ったわけではありません。皆さんが偉大だからではなく、キリストが偉大だからです。これが違いです。
お父様はみ言葉だけを遺(のこ)されたのではありません。肉的王統も遺されたのです。私は二代目の王ですが、あとに何代、何十代と続くことでしょう。だから未来のすべての世代が、万王の王の直系ラインに実体的につながることができるのです。
すべての王国の中心、全世界、全天宙、神様の御旨と創造目的の中心です。それがキリストです。キリスト教では、イエス様を抜いては、人間に何の価値もないのです。
アンカー:人格がなくてもキリスト三代王権、キリスト血統王権信じる者がその 個人が人格が無いままでも血統が完成するのです。
真のご家庭でもそうだと言うのです。別の説教で、我々は真のご家庭を神格化してきましたけれども、キリストにはなりえない。ましてや真のお父様を受け入れない真のご家庭は祝福家庭でもない。とおっしゃいました。
オモニの母親について、あるいはお父様の、両親について質問されました。そのような人々を神格化しないようにしなければなりません。キリストが中心であり、頭(かしら)なのです。お父様の位置はわれわれの信仰にとって、唯一のものなのです。それを理解することが本当に大切です。
孝進兄さん、興進兄さん、二人とも、個人的な問題は別にして、お父様に対して本当に忠実な兄たちでした。お父様への愛は本物でしたし、お父様に悪意を抱くことは決してありませんでした。しかし、神格化しないように注意しなければなりません。多神教の真似をして二人をパンテオン(神殿)に祭ってはいけないのです。地上にお父様の生ける代身者がいて、天上に万王の王がいるのですから。
アンカー:次の第4アダム顕進様についても同じことが言えます。
<第4アダム>
(質問者)
今朝お父様の「第4アダム」についてのみ言を訓読しました。
それについて詳しく教えてくださればと思います。
(二代王)
確かにお父様は一時期、第4アダムについてよく語られました。特に郭グループはプレストン(顕進ニム)がそれだとか言って、大いに普及させました。なぜなら、彼らはお父様が王冠をかぶせた王権を否定したからです。二大陸で3度行われた歴史的事実です。それは誰も否定できません。繰り返しますが、私がそうしてほしいといったのではありません。お父様が王冠をかぶせられたのです。お父様の命によって。第4アダムという概念は非常に普及しましたが、それをもってメシアより高い位置に置きました。
お父様がまだ地上に居られるときに、「すべて戻しなさい」というお父様の指示を無視する際の口実にしたのです。お父様の命令は聞かなくてよいと。お父様は基盤を元に戻せとおっしゃったからです。だから盗んだのです。自分が腐心して作り上げようとした「第4アダム」神学を使って。お父様は生きておられ、すべてを返せと言っておられるが、「返しません。それがお父様の為になるのです」などといって-(笑)。覚えているでしょう。
顕進様側の、み言葉の裏を考えろ、お父様は騙されたというその理屈は結局、側も真のお父様を否定しているのです。
自分たちのプロパガンダとして第4アダムの概念を普及しましたが、もちろんそれはインチキな、お父様が語られた内容に込められた意図を捻じ曲げたものです。
お父様の語られた第4アダムの意味は、お父様の次の世代の人々が、いかに第3アダム、完成したアダム、再臨のキリストの文化をそれぞれの祝福家庭が継承するか。それぞれの個人が、特に第4アダムの位置にある夫が、いかにして、完成したアダムの勝利を相続していくのか、そして氏族メシアを出発するのか。しかし繰り返しますが、お父様に替わることはできません。
自己崇拝したい人びとや家庭連合はこういいます。「お父様は私を氏族メシアにされたのだから、私がメシアでもはや、(真の)メシアは必要ない」。これはとてつもなく愚かな物言いです。異端のニューエイジ的解釈です。キリストの唯一性を知ろうとしません。
それは全く、全くもって、神様から離れた貧しい状態に他なりません。
だからお父様は氏族メシアを、お父様に代わる者として、お父様を必要としない、自分がメシアになるという風に立てられたのではありません。自分の氏族における、メシアの代弁者となり、メシアの外交使節、大使になれというものでした。つまり、そこでメシアについて教え、メシアに導く、氏族メシアとして中心に位置するメシアに導くのです。真実と生命について力をもったお方、中心存在です。
異教徒を見るとき分かるでしょう。いつでも同じことをやります。お父様のみ言葉をキリスト教的文脈で見ることができない。そもそも、そんなことはできません。統一原理はキリスト教の背景をもって生まれたものです。そこまでしなくても、歴史的宗教学の観点からみても、(家庭連合や郭グループの)神学はうすっぺらでいい加減なものです。それで逃げ切ろうとするわけです。お父様の言うことを聞かず自分勝手に行なってきた自分の行動をそれによって正当化したいのです。宗教学という学問の観点から見ても、まったくいい加減で杜撰(ずさん)なものだというのです。まともな理論的整合性に欠く、神学というよりは政治的言い逃れにすぎません。
そこから離れて、何が氏族メシアか。ただ自己崇拝したいだけでしょう。自分を神と同等なものとみなしたいのです。お父様が自分に神になる許可を与えて下さった、位置をくださった、などといって。完全に、そして明白にお父様を裏切りました、そのようなことをして・・・。もちろん、そのような人々がお父様の家に入ることはできません。
韓オモニも郭グループも同じことをしているのです。このうちだれが王冠を授かりましたか?誰もいません。お父様から油注がれ、後継者、相続者、代身者に指名されたものはいないのです。お父様から王冠を戴けなかった理由があるのです。正統がないからです。
アンカー:イサクの祝福を受けたヤコブと受けなかったエソウの関係です。顕進派は束草事件の事で戴冠式は無効だと言い張ります。
このことを言っている聖句があります。
7月11日キングスリポートから
今日の聖句はローマ書10章3節からです。アンカー:一緒に訓読してください。
第10章
10:1兄弟たちよ。わたしの心の願い、彼らのために神にささげる祈は、彼らが救われることである。 10:2わたしは、彼らが神に対して熱心であることはあかしするが、その熱心は深い知識によるものではない。 10:3なぜなら、彼らは神の義を知らないで、自分の義を立てようと努め、神の義に従わなかったからである。
10:4キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終りとなられたのである。
10:5モーセは、律法による義を行う人は、その義によって生きる、と書いている。 10:6しかし、信仰による義は、こう言っている、「あなたは心のうちで、だれが天に上るであろうかと言うな」。それは、キリストを引き降ろすことである。 10:7また、「だれが底知れぬ所に下るであろうかと言うな」。それは、キリストを死人の中から引き上げることである。 10:8では、なんと言っているか。「言葉はあなたの近くにある。あなたの口にあり、心にある」。この言葉とは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉である。 10:9すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。 10:10なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。
(アンカー:氏族メシアを視聴する人達は同じです。善人になればみな天国に行けると思い込んでいる。真のお父様は即ち再臨のイエスキリストなど必要ないと言っている。自分が氏族メシア、キリスト、自分が祝福すれば相手の原罪がなくなると言っている。)
神様の義を知らずに自分の義を立てようと努めて神の義に服従しませんでした。
「イエスの名前に能力が有るのである」キリスト教は今、宗教になりましたが、事実は、主との関係が最も中心にあります。 すべての宗教は私たちが善行をすれば私たちが恩を受けると教えます。 この世でもあの世にでも必ず私たちがした行為に良いカルマを受けるとも話しています。
この言葉を詳しくみてみると、結局自分の救いをもたらす人は、自分自身になります。 仏教、ヒンドゥー教、インディアン教、アニミズム、どのような宗教もイスラム、ユダヤ教すべて同じです。
私たちがした善行で、神が見て私たちに良い結果の霊界をくださると言います。 結局は私たちが善行を悪行よりたくさんして善行が多ければ、私たちは良い霊界良いカルマに良い人生を生きていると教えます。
アンカー:
どんな善行も神の義によらずして義とならず。義とは何かキリストを信じることである。このキリストとの関係性において原罪が清算されるのである。今の時、神の義とは何か?三代王権のその血統王権をキリストと信じることである。
何が最も重要な摂理活動か?7月14日キングスリポート
天一国憲法宗族メシヤ宣教
ある大陸会長が昨日、このような質問をしたのです。
二代王は何が最も重要な摂理活動だと思いますか?
伝道ですか?宗族的メシア活動ですか?天一国憲法活動ですか・・・
私と國進さんの答えは違うように見えるこの3つの活動は全部一つに連結されているということです。
宗族的メシア活動をして天一国憲法を説明すると、自然に伝道されるのです。
宗族的メシア活動をすれば政治的に性向が似ている人たちとも連結と影響力も拡大されるのです。
氏族メシヤ活動をすれば政治的な考えを持っている人と連結そして影響が拡大するのです。