2019年2月13日水曜日

2月3日パンザー会長説教と、次の本のタイトル「見捨てられたわれらの父:旧約、新約聖書の神の放棄」

2月3日パンザー会長説教と、次の鉄の杖のタイトル

サンクチュアリ NEWS さんからの全文転載です。字幕化は2nd Israelさん。教会ブログであるため御言をコレクションしています。ありがとうございます


真の神の日(2月5日)、天福祝祭で

Dr.ポール・ウィリアムスが明かした、次の本(二代王と共著)のタイトル



この教会について聞かれたとき、「この教会を愛している」「この教会の人々を愛している」と答えました。その理由は、この教会が神のみ言葉に基づいているからです。教会が聖書の教えを守っているからです。相対的な世界の中で「絶対」を信じ、そして何よりいまの時代精神、すなわち邪悪な精神に反旗を翻しているから、私はこの教会を愛します。

本題に入る前に、言っておきたいことがあります。まず、私の兄弟、霊的な兄弟ですが・・あそこにいるデルです。彼の結婚をショーン牧師(二代王)にまとめてほしいということです。

2つ目は、今日もスウェーデンのテレビ局が来ているそうですが、それに構わず言うと、いまショーン牧師と出版本の計画を進めています。タイトルは「見捨てられたわれらの父:旧約、新約聖書の神の放棄」です。

原題:  Our Father Forsaken: The Abandonment of  The God of The Old and New Testament

これは非常に重要な本ですが、すでに数人と共に取り掛かっています。その人たちは昼夜を問わず作業してくれています。紹介しましょう。一人はあちらにいるケリー・ウィリアムズ。Dr.リチャード・パンザー。もう一人はグレッグ・ノルです。これは膨大な仕事です。本当にこの本は世界に衝撃を与えるでしょう。この本とショーン牧師と共に著わす理由は一つです。その究極の目的は、ショーン牧師をThe View(米国ABC放送のトークショー)に出演させてウーピー・ゴールドバーグにこの本を読ませてちびらせること、ジョイ・ベハーは心臓麻痺を起こす。(笑)

View Strong Joy Behar Google 検索

ウーピー・ゴールドバーグ(Whoopi Goldberg)  ジョイ・べハー(Joy Behar



Sunday Service   February 3  2019   Unification Sanctuary  Newfoundland PA on Vimeo.png

2月3日礼拝説教 パンザー会長 

翻訳:BAMBOOS

亨進様・ヨナ様お二人の証

サタンは最初の家庭を破壊しました。それからイエス様が第2アダムとして来られると、その家庭は破壊されました。つまり成立が妨げられたということです。それで私が考えたのは、実際のところお父様は祝福された結婚をついに成し遂げて、真の家庭を生むことができたということです。
しかし我々は、お父様がご自身の祝福で、どれほどの苦労を通過しなければならなかったのかを理解しています。お父様はご自身の祝福で十字架を背負われていました。それから私は、亨進様とヨナ様が私たちの前に2代王としておられることが、どんなに素晴らしいことだろうかと考えました。
というのも、私は2人の結婚が・・・2人にもきっと課題があることは分かりますが、2人の関係が本当に素晴らしいものだと私は感じるのです。そして私が言えるのは、ミホとの結婚で、結婚と夫婦の関係、また子育てなどについてとてもたくさんのことを学んだということであり、20年、30年前に知っていたら良かったのにと思うということです。けれども、遅れても何もないよりはましです。
全国の兄弟姉妹がこう話すことがあります。亨進様はもっと絶対性のようなテーマについて語られるべきだと。実際はそうしたことについて、説教やキングスレポートで話しておられます。しかし、2人の交流には別の側面があるのです。私は幸運にも非常に頻繁にそれを目にすることができます。その関係がとても素晴らしいのです。
そして王妃は亨進様の第1のファンなのです。妻が夫を誇りに思うことは、素晴らしいことです。兄弟姉妹の中で誰でももっと絶対性について知りたいと思うなら、実際ここに来てみることです。なぜならここにいることで多くを学ぶからです。ビデオの放送では身に着けられないことがたくさんあるからです。ここに来てください。そうすれば分かることがたくさんありますし、神様が祝福してくれると思います。
もっと詳しく話すこともできるのですが、そうするとミホがあまりよく思わないでしょう。我々の夫婦関係は実際ここに来てから、本当にとても良くなりました。神様に感謝いたします。正直な話です。それ以上細かく話しませんが、本当のことです。
Hyungjin Moonさん  rodofironministries  • Instagram.png
次に深刻なテーマについて話したいと思います。私はこの新しい本のことで、研究をしてきました。暴力についての話です。今日お話ししたいのは、暴力についての2つの真実についてです。良いニュースと悪いニュースがあるのですが、どちらを先に話しましょうか。悪いニュースのほうですね。ではそのようにしましょう。
聖書での最初の罪の行為は、カインとアベルの話にあります。供え物が拒否されて、カインはそのことに本当に怒ります。本当に一生懸命努力したのかもしれません。何か作物を育てて、おそらく本当に一生懸命働いたのでしょう。そして、自分は兄なのにと考えたのかもしれません。神様が自分の供え物を受け取るに違いないと本当に考えるだけの理由がありました。そしてそうならなかったので非常に憤慨したのです。
「カインは大いに憤って、顔を伏せた」とあります。すると神様はこう言われました。「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」
カインはとても怒り、その怒りは弟アベルに向けられました。自分の外に問題があると考えたのです。問題はあの愚かな弟にあるのだと。神様は実際、問題はあなたの外にあるのではなく、あなたの内面にあるのだと言って、カインを導こうとしました。自分の内面を克服しなければならないのだと。
しかし興味深いことに、さもないと「罪が門口に待ち伏せています」と言われます。とても興味深い表現です。まるで動物が襲い掛かろうとしているように、待ち伏せているというのです。神様は、もし間違った選択をすれば、サタンが今にも奪って行こうとしているのをご存じだったのだと思います。サタンがあなたに爪を立てようとしている、とでもいうように。
残念ながらカインは克服することができず、弟アベルに「さあ、野原へ行こう」と言います。もしかしたらアベルはもっと詮索して、野原で何をするのか探るべきだったかもしれません(笑)。おそらく信じやすい性格だったのでしょう。
彼らが野にいた時、カインは弟アベルを殺します。神様は、アベルはどこにいるかと言われますが、カインは知らないと答えます。おそらくそれが最初の大きなウソだったのだろうと思います。
(略)
十戒の6番目の戒めは殺人を禁じています。ヘブライ語では、「ratsakh」と「mut」という2つの言葉、ギリシャ語では「phoneuo」と「apokteino」という2つの言葉が、それぞれ「murder(意図的な殺人)」と「killing(殺すこと)」を意味します。
1つは「死に至らしめる」、もう1つは「(意図的に)殺害する」ことを意味します。後者は十戒で禁じられていますが、前者は違います。実際、ratsakhには英語のmurderよりも広い意味があります。ratsakhは、不注意や怠りによる死も含みますが、戦争中に殺すことを表現する場合に使用されることは全くありません。
つまり神様はmurderを禁止しており、不注意や怠りによる死も罰を受けますが、戦争で殺すことは禁止してはいません。神様は自分の家族や国を守るために戦うことを許可しています。
(略)
今度はイエス様のみ言に進みます。ルカ22章(35-38)でイエス様は言いました。
「わたしが財布も袋もくつも持たせずにあなたがたをつかわしたとき、何かこまったことがあったか」。彼らは、「いいえ、何もありませんでした」と答えた。そこで言われた、「しかし今は、財布のあるものは、それを持って行け。袋も同様に持って行け。また、つるぎのない者は、自分の上着を売って、それを買うがよい。あなたがたに言うが、『彼は罪人のひとりに数えられた』としるしてあることは、わたしの身に成しとげられねばならない。そうだ、わたしに係わることは成就している」。弟子たちが言った、「主よ、ごらんなさい、ここにつるぎが二振りございます」。イエスは言われた、「それでよい」。
つまりイエス様は彼らに、自分の身を守らなければならないと言っているのです。そのすぐ後のことです。(ルカ22:47-52)
イエスがまだそう言っておられるうちに、そこに群衆が現れ、十二弟子のひとりでユダという者が先頭に立って、イエスに接吻しようとして近づいてきた。そこでイエスは言われた、「ユダ、あなたは接吻をもって人の子を裏切るのか」。イエスのそばにいた人たちは、事のなりゆきを見て、「主よ、つるぎで切りつけてやりましょうか」と言って、そのうちのひとりが、祭司長の僕に切りつけ、その右の耳を切り落した。イエスはこれに対して言われた、「それだけでやめなさい」。そして、その僕の耳に手を触れて、おいやしになった。それから、自分にむかって来る祭司長、宮守がしら、長老たちに対して言われた、「あなたがたは、強盗にむかうように剣や棒を持って出てきたのか。
つまり、我々は自分を守るために備えなければなりませんが、それは我々が、自分の意見に基づいてただそれを使い始めるという意味ではないのです。実際鉄の杖を持っているからといって、神様がそう望んでいると自分が考える時にいつでも使えるということではないのです。私の言うことが理解できますか。弟子たちは剣を持っていました。しかしイエス様はだめだと、使うなと言われました。
クリスチャンは最初の300年以上神様のみ言を広め、その多くが殉教しました。それが実際に起こったことです。反乱を始めませんでした。お父様が言われたことですが、イエス様が受け入れられていたなら、状況は大きく変わっていたことでしょう。というのも、ローマ帝国の下で生活したくないという人はたくさんおり、独立のために戦っていれば大きく状況が変わっていただろうからです。しかしそうはならなりませんでした。多くの人が殉教しながらも信仰を保ちました。初期のクリスチャンは私から見て、驚くほど素晴らしい人たちです。そのような恐ろしくひどい状況で彼らが成し遂げたことは、素晴らしいことです。
数百年して、コンスタンティンがクリスチャンになり・・・本当にクリスチャンになったのかは分かりませんが、キリスト教を推薦してローマ帝国の国教にしました。私の意見では、それは寄せ集めでした。ともかくキリスト教は基本的にローマ帝国全体に広がりました。ところで他の宗教もありました。唯一の宗教ではなかったのです。それでも南ヨーロッパから中東、北アフリカまで広がり、全てクリスチャンになりました。
それからムハンマドが生まれ、コーランの教えを広めましたが、それは実際旧約・新約聖書から引用されていました。彼が加えたものもありますが、多くは旧約・新約からの引用です。
イスラム教は実際布教にとても成功しました。ここに地図がありますが、128年の内に、北アフリカ全体と中東全体、そしてスペインを支配したのです。驚くほど速い布教ですが、人々を殺すことによって成し遂げたものです。人々に選択肢を与えたのだろうと思います。自分の宗教の殉教者となるか、自分たちのギャング、マフィア宗教に参加するか。それはマフィア宗教でした。そしてとても成功しました。
その後何世紀にもわたって、ヨーロッパ、トルコ、またインドも含めて広く拡大しました。人々を殺し、改宗を迫る。それがうまくいきました。それは他の思想でも機能します。
20世紀に移り、ヒトラーは国家社会主義の思想を土台としていました。社会主義者でもあり、自らの国家民族の独自性を崇拝し、ユダヤ人を憎むという思想です。彼らはヨーロッパの大半を支配することができました。2500万人が彼の思想のために死にました。
今度は共産主義です。マルクスの教えに基づく共産主義。国民の敵がいて、階級闘争、階級間の憎しみを通じて進歩するというものです。労働者階級の独裁を確立するとういう方法を取り、労働者の楽園を作るには国民の敵を殺すのだと言います。国民の敵は誰かと言えば、基本的に現在の支配者に反対する者全員です。実際彼らは以前の共産主義者をたくさん殺しました。ロシアで何が起きたかと言えば、結局多くの共産主義者を殺したのです。上層部に逆らう人は誰でも殺されるか、飢え死にさせられました。
とても控えめな推定ですが、中華人民共和国では6500万人、ソビエトでは2000万人と、多くの人が殺害されました。カンボジアも。ソー兄弟に実際45分ほどのインタビューをしたのですが、彼が経験したことは驚くべきものです。眼鏡をかけているだけで人を殺したのです。
同じ半球にあるベネズエラでも、国民は飢え死にさせられています。社会主義者の独裁者であるマドゥーロが、(写真で)自身の政党のメンバーシップカードを持っているところです。カードを持っていれば食料がもらえますが、持っていなければもらえません。だからゴミ箱をあさり食料を探します。多くの子供と老人が餓死しており、ひどい状況です。
できるだけ早くこの悪の独裁者が排除されることを、神様に本当に祈っています。キューバの秘密警察がおり、ロシア、中国、イランもそこにいます。このようなことが西半球であるべきではありません。この男が継続することを喜ぶ人がワシントンにはいるのかもしれません。
もちろん私たちの真のお父様は、このような問題についての見識を持っておられました。そのみ言を読んでみたいと思います。1977年の講演でのものです。
共産主義者は恐るべき敵であり、世界の3分の2を支配しています。熟考することなく誰でもいつでも処刑します。多くの人は、共産主義者に慈悲がないことを恐れているため、反対意見を言いません。しかし私は恐れず、立ち上がって真実を宣言します。アメリカが共産主義者に取り組むのに頼りにならなくなったとしても、国務省が諦め、CIAが希望を失ったとしても、私は諦めません。他の全員が撤退しても、私は前に飛び込み、前線で戦って、共産主義は神様の敵だと宣言します。
それが我々の真のお父様です。それが真のお父様なのです。真実を語ることを恐れませんでした。恐れることなく、肩に鉄の杖を担いで(訳注:写真のこと)おられます。悪のサタン的な独裁者と「和解」することが、世界に平和をもたらす方法だとは決して考えませんでした。愚かな人ではありませんでした。
武力に対するキリスト教の考え方について話したいと思います。キリスト教では、防衛のための武力の使用しかないと明白に述べています。敵に殺されるままにする必要はありません。キリスト後の最初の数世紀はそれも必要だったのかもしれません。しかし神様は、我々がただ人に殺されるままであることは要求していません。
ではキリスト教を広めるために武力を使うことはどうでしょうか。もっと速くなるでしょうか。キリスト教に改宗するか、さもなければ首を切ると選択肢を与えるだけです。もしかしたら魂が地獄に行くのを助けることができるかもしれませんよ。
ある外国で政府の役人がクリスチャンに対する迫害を実行しています。人々を牢獄に引きずっていき、処刑も許可しています。この政府の役人を抹殺すれば多くの命を救えるでしょう。抹殺すべきだと思う人はいますか。手を上げている人がたくさんいますね。この人を排除すれば多くの人の命を救うことができます。するとあなたは、やがて聖パウロとなるタルソスのサウロを殺したことになります。彼はキリスト教を広めるために、歴史上のどの人物よりも尽くした人です。
悪い選択です。みなさんは新約聖書の半分以上を書いた、聖パウロを殺したことになります。サウロはクリスチャンに対する迫害を画策していました。多くの人を牢獄へと引きずっていき、ステファノや他の人たちの処刑の許可までしたのです。
我々は武力を使用することに慎重にならなければなりません。というのも、最悪の神様の敵に、神様が計画を持っていることがあるからです。武力の使用にとても気を付けなければなりません。
きっと初期のクリスチャンたちも、この男を排除したいと思っていたでしょう。この男は悪い人で、仲間を殺している。サウロの目が見えなくなり、神様はアナニヤという人を遣わします。アナニヤは葛藤したでしょう。この男を助けるべきか、それとも喉を切ってしまうべきかと。我々は注意しなければなりません。
アメリカ建国の父たちは、アメリカ合衆国憲法の修正第1条で信教の自由を法定化しました。創世記で、神様が堕落に干渉しなかったのはなぜでしょうか。人類を創造主にするためです。
神様にとって自由はとても重要です。自由がなければ神様との関係も、神様との愛もありません。強制されたキリスト教はもはやキリスト教ではありません。力でキリスト教を広めたら、キリスト教ではありません。それは正しいですか。それが信仰でなかったなら、私はイエス様を信じるから天国に行くと言っても、そのようにはなりません。
お父様は安っぽいキリスト教を教えませんでした。それは保険のようなものではないのです。私はイエス様を信じると言いますし、聖霊の体験も少しあります、というような。そうではなく、我々はイエス様のようにならなければなりません。再臨主のようにならなければならないのです。そうでなければ、我々は天国に行くのだとか、新幹線のような物に乗って直行するのだと思うかもしれません。それは正しいですか。私にはどちらだと決められません。それが政治的なキリスト教です。例えば宗教的で政治的なものとしての教皇がそうです。
皮肉なことに、アメリカでは信教の自由が保証され、政府による宗教への侵害が制限されており、世界で最も宗教的に進歩した国です。驚くべきことに、アメリカでは政府は宗教に巻き込まれることから回避されています。国教を作り出すことはできません。しかも世界で最も進んだ国です。
天一国憲法は信教の自由を保証しています。誰も自分の信仰のために罰せられることはありません。通りの向かいの家に共産主義者がいる場合、その人に親切にすべきです。あなたの牛が溝に落ちてしまった時に、彼が助けてくれるかもしれません。別の方法で助けてくれるかもしれません。言っている意味が分かりますか。地域のレベルで、我々はあらゆる種類の人たちと一緒に生活しなければなりません。誰がより互いを愛するか、誰がより優しい隣人かという競争をするのです。その人たちは鍛冶の技術をカイル・トフィーに教えてくれるかもしれません。
憲法に基づく天一国には国教というものはありません。何かを信じることを要求される人は誰もいません。宗教の自由市場があり、競争が許されています。
天一国の王様は宣戦布告できません。ほとんど全ての国には、憲法上の君主がいます。歴史を通して王というのは宣戦布告をするものでした。天一国ではそうではありません。王の権限は制限されています。多くの影響力は、道徳的な力によるものです。霊的な力です。
常備軍はいません。中央集権政府に制限があります。局所的な自己防衛と市民軍があります。
(略)
準備ということが重要視されています。全員が練習しています。私も金属の標的を撃つことはできます。それ以外のことはまだこれから考えようという感じですが、金属の標的の殺し方は分かります。たくさん練習しました。我々は様々な方法で準備しています。柔術や様々な格闘技も。
我々には自己防衛の権利があります。自分たちの家族、地域社会、また国を守る権利があります。
裁判についてはどうでしょうか。例を挙げましょう。銃を持った人がここに入ってきます。日曜礼拝の最中にサンクチュアリ教会に入ってきて、銃で襲い始めます。我々にはその人を止めるために撃ち返す権利がありますね。しかしその人物が床に横たわっていたらどうでしょうか。床に横たわり、もう銃は持っていません。しかも出血しています。誰かがその野郎を殺せと言います。歩み寄ってとどめを刺す権利があると思いますか。
彼はここにいる全員を殺そうとしていました。すると近づいて彼にとどめを刺してしまうのは問題ないことでしょうか。――彼に唾を吐きかけるのは良いと言うのですか。なるほど。テストは合格です。
亨進様は自制(forbearance)について話しをされました。 DICTIONARY.COMforbearanceを調べてください。self-control(自己統制)の意味だと説明しています。容易なことではないでしょう。なぜなら誰かが攻撃してきているため、あなたのアドレナリンがあふれて、反撃しようという怒りのエネルギーがあるからです。その後いったん敵を無力化してから、自己統制を取り戻すのは容易ではありません。
全員がこの人物のとどめを刺すべきではないと言うのですね。ほとんど全員が、すでに無力化されるか制圧された人を殺すのは間違っていると言うのですね。
ここにいるクリスチャンである私たちはみな、自己防衛は正しいと信じていますが、不必要に他人に危害を加えることが正しいとは信じていません。しかし、もしこの部屋の少なくとも半分の人たちは、無力な他人に危害を加えるよう説得される可能性が十分にあると言ったらどうでしょう。なぜならば、それを証明する心理学実験が実際にあるからです。この実験のことを教えましょう。
とても有名な実験であり、イェール大学で1961年から開始されたものです。ミルグラムの権威を持つ人物に対する服従の実験は、イェール大学の心理学者スタンリー・ミルグラムによって1961年7月から実施された、一連の社会心理学の実験でした。
参加者は無関係の実験を手伝っていると信じ込まされ、「学習者」に対して電気ショックを施さなければなりませんでした。この偽の電気ショックは、仮に本物であったら致命的となるレベルにまで徐々に引き上げられました。実験の結果、意外にも、しぶしぶではあったものの、非常に高い割合の人が指示に従ったことが分かりました。
この人たちは平均的な人たちであり、配管工や弁護士、教師といった様々な種類の職業の人たちでした。この実験で彼らは、「学習者」がいて、電気ショックが学習に役立つかどうかを研究しているのだと言われていました。奇妙に思えますがそういう実験でした。参加者が施す電気ショックは偽物で、役者がショックを受ける演技をしていました。致死的な、あるいは相当の損傷をもたらすレベルのボタンを押すこともありました。
ミルグラム実験の参加者は、実験後のインタビューで、電気ショックを与えたのはおもに3つの理由からだったと主張しました。権威ある人が信用できると思えたこと。理由が良いことだったこと。そして何か起きたら研究者が全ての責任を取ると考えていたことです。
兄弟姉妹のみなさん、ここで私が言いたいのは、お父様は誰が最大の権威を持つと言われたのかということです。――良心です。たとえあなたが尊敬する権威の高い人がいて、それが大義のためだと自分で思っても、自分の良心で確認しなければなりません。
私はただここにいる人たちに話しているのでなく、またインターネット放送で話しているだけでもありません。今から100年間の人たちに語り掛けています。なぜなら、あなたに対して高い権威を持った人が、例に挙げた銃撃犯のような――そのいまいましいやつにとどめを刺せとあなたに言うような状況が起こるかもしれないからです。
我々は注意しなければなりません。なぜなら聖書の記録が、選ばれた人たちも腐敗することがあるのだと証明しているからです。彼らも人間です。イスラエル人より我々のほうが良いと思いますか。彼らは確実に私より10倍の苦労をしました。私がここで言いたいのは、キリスト教の本質は、自分が悪を行う可能性があると理解することだという話です。
みなさんが祭壇に上がってイエス・キリストを救い主として受け入れている時、なぜあなたには救い主が必要なのですか。それは自分の中に悪があるからです。人を殺す潜在的な可能性があります。嘘を言い、レイプし、これまでに話していたあらゆる悪を行う可能性があります。それがキリスト教の本質だと理解すべきです。私は悪い人間になる可能性を持っているのです。
原理講論の376ページ(英語版)には、こうあります。
第一は、武器でサタン側を屈伏させて統一する道である。しかし、統一されたのちにきたるべき理想世界は、全人類が共に喜ぶ世界でなければならないので、この世界は、敵を武器で外的に屈伏させるだけでは決して実現できない。ゆえに、彼らを再び内的にも屈伏させて衷心から喜べるようにしなければならない。
(日本語版:後編第五章 メシヤ再降臨準備時代、 第四節 世界大戦、(四)第三次世界大戦、(1) 第三次世界大戦は必然的に起こるのであろうか)
つまり政治的な転換はありません。主張されているようなジハード的なキリスト教はないのです。戦いで人々を負かす必要はあるかもしれませんが、それが目標ではありません。目標は内的な屈服です。自発的な屈服です。それがお父様の信じておられた勝利なのです。
私がアメリカでとても誇りに思うことの1つ・・・。第二次世界大戦後、ドイツや日本とのこの悲惨な世界大戦の後、アメリカは何をしたでしょうか。我々はヨーロッパの大半を再建しました。日本のことも支援したと思います。もう敵として扱いませんでした。そのことを神様に感謝いたします。神様ありがとうございます。敵となるのではなく、友となりました。素晴らしいことです。私はその国から自分の妻ももらいました。
出エジプト記にある3番目の戒めではこう言っています。
あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。(出エジプト記20章7節)
つまり我々は、神様の名において悪を行ってはならないのです。私にとってこれはとても深刻な問題です。というのも、自分の恥となるだけでなく、神様の名に対して恥となるからです。
ビデオで二代王様が言っておられた話をもう一度読みたいと思います。
我々は悪と暗闇に立ち向かわなければなりませんが、自分がそれに吸収されたり、暗闇になったりしてはなりません。独裁を新たな独裁に置き換えるのではなく、自由を守る制度に置き換えようと努力すべきです。アベル型の革命は、復讐したいという誘惑に屈しません。
創世記9章にある、人間の命の価値についての内容を最後に取り上げたいと思います。
また、あなたたちの命である血が流された場合、わたしは賠償を要求する。いかなる獣からも要求する。人間どうしの血については、人間から人間の命を賠償として要求する。人の血を流す者は人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ。(創世記9章 5-6節)
つまり我々が誰かを不当に殺せば、神様の似姿を殺すことになるのです。またヨハネ3章16節にはこうあります。
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
神様はサンクチュアリ人をとても愛された、またはクリスチャンをとても愛されたとは言っていないのです。神様は世界を愛されたと言っています。つまり神様は人類全員を愛されたということです。地球上の全ての人間が当然生きる権利に値するというのです。私と同じ考えの人に限らないということです。
もう1つ、ローマ人5章8節です。
しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。
キリストは、イエス様は私たちのために死なれました。真のお父様は私たちのために生き、十字架に付けられました。私たち罪人のためです。我々が他の人よりも良いからではありません。
最後にまとめると、鉄の杖や暴力は命を救うために使ってもよいものであり、それはあなたにとってだけでなく、あなたの家族、地域社会、国、そして神様にとっても、そうした目的で使う場合は素晴らしい名誉です。しかし、鉄の杖の使い方を誤り、それで悪いことをするなら、自分にとっても、家族、地域社会、国、神様にとっても不名誉となります。長いプレゼンテーションになったことをお詫びしますが、とても重要な問題なのです。
なぜならこういう銃はおもちゃではないからです。人を殺すことのできる強力な道具です。人の命を奪うことは、小さな問題ではありません。我々は正しい動機を持つ必要があります。ご清聴ありがとうございました。
ミホに素晴らしい証しをしてもらいたいと思います。
(ミホ夫人の証し)
1カ月前のことですが、二代王亨進様が日曜礼拝で語られていました。とても力強いメッセージでした。お父様が語られていると感じました。王様を見ると口から聖霊の火が出ていました。同時に亨進様の背後に明るい光が見えました。光はとても強く、白く透き通っていてまるで火のようでした。
自分の目がおかしいのかと思い、目を閉じてもう一度見てみると光の中に顔が見えました。誰だろうと思うとすぐに答えが与えられました。それはイエス様のお顔で、微笑んでおられました。
私はそれまでイエス様に対して少し悲しげなイメージを持っていました。また私はいつも疑問に思うことがありました。イエス様と関係を持ちたいという思いです。真のお父様、と言うのは容易ですが、イエス様は・・・クック牧師のような方を迎えると私はいつも一定の距離を感じていたのです。自分自身でイエス様についてもっと知りたいという思いがありました。それで神様は、イエス様とお父様、そして二代王が完全に1つになっているところを見せてくれました。
それからここで祈り始めると、体全体が震えました。私は自分の目を開かなければならないと思いました。なぜなら、自分が飛んでいくように思ったからです。以上です。
この場所は聖霊に満たされています。二代王は、ここだけでなく世界中で放送を見ている人も同時に聖霊を感じることができるのだと言われました。
数週間前、東京に住む友人と話していたのですが、彼女は放送を一緒に見ていると言っていました。彼女たちにとっては夜中の1時とか2時になりますが、素晴らしく力強い説教を通じて聖霊を感じるのだと言います。
私は今も体が震えているのを感じます。
もう1つ証しがあります。私たちには祈りの戦士チームがあります。兄弟姉妹と3年前に始めたものです。毎週日曜日に礼拝堂の隅に行って、王妃・ヨナ様や兄弟姉妹と手をつなぎます。すると真のお父様が前のドアのところからやって来られます。毎週日曜日に。
もっと早くみなさんに伝えたかったのですが・・・お父様は私たち以上にこの日曜礼拝を心待ちにしているのです。私たちに会いたいと思っていらっしゃいます。私たち以上にこの礼拝に期待しておられます。
ここに素晴らしい共同体があることを非常にうれしく思います。そして王様は門を開く準備ができています。門を開き、多くの素晴らしい人たち、素晴らしいクリスチャンが来ています。私は、また私たちは彼らを迎える準備ができるよう祈ります。新しいキリストの身体、新しいキリストの花嫁となりたいと思います。私たちは、三大王権と共に世界に聖なる輪を作ることができます。
兄弟姉妹のみなさん、ありがとうございました。素晴らしい新年をお迎えください。
おわり

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三代王権お父様イエスの聖霊が皆様とともにありますように。励ましのクリック聖霊感謝です。
遺伝罪恨霊解怨、傍系解怨については、感謝できる方のみお問い合わせ下さい。

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