2020年4月27日月曜日

キリスト弁証論:何故私たちは信じるのか?◆2020年4月18日(土)キングスリポート 

2020年4月18日(土)キングスリポート 
キリスト弁証論:何故私たちは信じるのか?

WHY Do We Believe? (The King's Report 4/18/2020)

翻訳:YUMI HOSHINO 編集fanclub
キングスリポートへようこそ。

​リチャード・パンザーです。
今日もとても良いコンテンツがありますのでシートベルトを締めていてください。

​今日のリマはヨハネの黙示録20章1-6節です
第20章
20:1またわたしが見ていると、ひとりの御使が、底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から降りてきた。 20:2彼は、悪魔でありサタンである龍、すなわち、かの年を経たへびを捕えて千年の間つなぎおき、 20:3そして、底知れぬ所に投げ込み、入口を閉じてその上に封印し、千年の期間が終るまで、諸国民を惑わすことがないようにしておいた。その後、しばらくの間だけ解放されることになっていた。
20:4また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた。また、イエスのあかしをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、また、獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。 20:5(それ以外の死人は、千年の期間が終るまで生きかえらなかった。)これが第一の復活である。 20:6この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する。

​この聖句を昨晩読んだ時にとても心を掴まれたのは、神様を裏切らず、隠れずにイエス様を証した人たちは攻撃されたことです。とても興味深いのは、救いは賜物です。誰もイエスに寄らなくては救いを受けられません。

​なぜなら救いは彼の勝利によるものだからです。しかし、一方では聖句ははっきりと言っていますが、そのように立ち上がらなかった人たち、彼らはあとから来ました。神の王国を受け入れましたが、ここにあるように祝福の聖さは第一の復活であるということです。

「​第一の復活にあずかるものは幸いなものであり、また聖なるものである。
第二の死は何の力もない。彼らは神とキリストとの祭司となりキリスト共に千年の間支配する」、とあります。

​それは神様にとってとても意味深いことです。

​次に文 鮮明牧師の神のみ旨の道、天国の王の第8章です。

​皆さんはただそこに行くだけでなく、天の王国を設立できる人にならなければなりません。
それらの天国に行ける人々は神に寄ることを願う人たちです。

​私たちは、天の王国に行くことが目的ではなく、それを建設することが目的です。その道は平坦な道ではなく、犠牲の道です。
​真のお父様は天国に行く人と、天国を建設できる人達を区別されています。
​天の国の設立の過程の一部になれる人たちです。
​天国の家庭、コミュニティ、氏族、国家を設立できる人たちです。

​キリストを受け入れ再臨主を受け入れるという事は再生です。
​しかし、そこには他のレベルがあります。違うレベルのイエスキリストとの関係性があります。

​お父様がここで語られていることは、ただキリストが私たちにして下さることだけでなく、勿論それは素晴らしいことですが、私が神様の為に何ができるかを考える、という事だと思います。

​イエス様がミニストリーをされて、十字架に行かれるとき、ご自分に何か利益があると思って、そうされたのではなく、神を思ってそのようにされました。お父様が何度も語られたように、神様の解放のことです。
​もしも私たちがキリストの心になりたければ、私たちはキリストの考え方を知らなければならないでしょう。

​イエス様と真のお父様、文鮮明牧師はそのことを教えておられます。そのような招待状をもらった私たちは何ができるか考えてみましょう
「​私たちは今日、何ができるのか?毎日何ができるのか?どのように神様を喜ばせ、他を助けることができるのか?」という事です。

​皆さんは自分がミリオネラー(億万長者)であれば何でもできると思うかもしれませんが、勿論そうであれば皆さんはたくさんの事ができるでしょう。
​しかし、私たちがたとえ有名でなくても、少なくも私たちがここで生きて息をしているなら、私たちは話しことができるし、何かをすることができます。

​それは今日私たちが誰かを助け、親切にできるという事です。人々を励まし、導いてあげることができます。

​手紙を書くこともできます。
天のお父様、イエス様、真のお父様にこの素晴らしいみ言葉に感謝します。
クリスチャンの殆どはそのようには考えません。しかしキリストもクリスチャンの考えのようには考えられません。
​それは違うのです。
私たちは神学や神様やキリストについての知識を信じていますが、キリストの心への招待は違います。

それではとても素晴らしいビデオを見つけましたのでお見せします。
それは真のお父様がアルキャップによってインタビューを受けられた時の物です。そしてデビッドキム先生が統一神学校の総長になられて、お父様の通訳をされています。
​お父様はアルキャップが何を話したいのか全てご存じであって、アルキャップは煙草を吸いながら話しています。
​とても面白いです。お父様は何も文句を言われません

​こちらの紳士はは世界を旅しておられる文鮮明牧師です。一つの教会の下の一つの世界と呼ばれます。隣の方はデビッドキム氏です。文牧師は韓国語を話されるのでその通訳をされます。

​アルキャップ氏:文牧師の自叙伝によれば文氏は16歳の復活祭の朝にイエスキリストと会話をされたという事ですが。

​お父様(デビッドキム訳):はいそうです。

​キャップ氏;キム氏はその時一緒におられたのですか?

​デビッドキム氏:いいえ、私はそこにはいませんでした。

​キャップ氏:イエスは韓国語を話したんですか?それともヘブライ語のアクセントがあったんでしょうか?

​お父様(デビッドキム訳):韓国語で会話しました
​霊界に行けば私たちは心と心で会話することができます。

​キャップ氏:文氏は多くのフオロワー達からメシアとして考えられていますが、私の調査では27人のメシアがこの世界にいますが、他の26人は偽物で文氏だけが本物だとお考えですか?
私はメシアであるあなたのユーモアが好きです。

​デビッドキム:一つあなたが遮ったのですが、それはあなたが受けたメッセージはある面洗礼ヨハネの使命を意味します

​キャップ氏:わかりました。これなのですが、カメラが捕らえられるでしょうか?これは文氏の出現、考え、”神は今日話される”という広告です。ここに文氏の写真が出ています
私の理解ではキム氏、文氏は彼が第一番目に現れるとお考えですか?

​お父様:この意味は神様は体がありませんので、人を通して語られたい

​キャップ氏:それが文氏ですね?

​デビッドキム:私はまだ訳が終わっていません。神様は誰かを地上の代表として選びます。ですから、彼は(お父様は)神のスポークスマンとしてこの日に語りたいのです。ですからそのタイトルが神は今日語られるというのは彼(お父様)通して話されるという事です。

​キャップ氏:はい、ですから私が3分前にそう言いましたよ。私の理解はニューヨーク市でも本当に多くの人達が信仰を持って神の言葉に従っていると言いますが、それらの祭司、ラバイ、いろいろな呼び方がありますが、彼らは神の言葉を話していないのですか?

​お父様(デビッドキム訳):彼(お父様)は真の価値あるメッセージを話します。この価値はこの国を含む世界の彼の観察によるものです。宗教の権利はキリスト教そしてミニスターのレベルにおいても失われています
​ですから、この状況の中で神のメッセージは彼を通して人々に伝えられます。

​デビッドキム氏:ですからこの価値あるメッセージを受けた人々が自分たちでその価値を評価して欲しいという事です。
---------------24:00~
キャップ氏:文氏、私たち全員が読み、また聞きましたが、イエスの出現についてですが私はこれまでイエスに会った人に会ったのはあなただけです。イエスについて説明してくれませんか?彼は黒人だったのか、茶色の男性だったのか。

お父様(デビッドキム訳):彼はユダヤ人の公式的なスタイルでした。

キャップ氏:どのようなユダヤ人だったんですか?

デビッドキム氏:そのような姿だったという事です。

キャップ氏:では、文氏がイエスに会われたときはどうだったんですか?

お父様(デビッドキム訳):彼は33歳の年齢でした。

キャップ氏:彼は髭を生やしていましたか?

お父様(デビッドキム訳):はい、ありました。

キャップ氏:髭があったんですね。それでは服装はどうでしたか?

お父様(デビッドキム訳):ユダヤ人が着る長い着物でした。

キャップ氏:私は証拠について言いますが、文氏はイエスに会った時に彼が本人だという何か証拠を尋ねましたか?

お父様(デビッドキム訳):イエス様は子供の時から33歳までの霊的ビジョンをパノラマで見せられたので、それを見たら証拠がなくともイエス様だと理解できました。

キャップ氏:文氏は生まれた時からイエスに髭があると認識できる能力を持って生まれたのですか?

お父様(デビッドキム訳):そうです。彼に(髭)がありました。

キャップ氏:文氏は神が今日話されるという説教をされますが、文氏は神が彼の声を使って神のメッセージを与えると感じますか?

お父様(デビッドキム訳):彼は(お父様)神からどのようなコンテンツを話すのかと言うメッセージを受け取ります。そして彼は(お父様は)神と共に語ります。

キャップ氏:それでは神は常に文氏を通して話され、今も文氏を通して話しているという事でしょうか。神にどんなスケジュールがありますか?

お父様(デビッドキム訳):彼は(お父様)神と徐々にコンタクトをされています。段階的に適切な時に、祈祷と共にあらゆる場所で継続的に段階的に彼(お父様)は神から啓示を受けています。

キャップ氏:もう一度言いますが、神は全てを知っています。神はこの広告のことも知っていますね。神は今日話されるというこの広告ですが、その時文氏にこれから神が話をすると案内するのでしょうか?そのような機会がなければこの広告の内容は決して起こりませんね。

デビッドキム氏:はい、ですから先ほども話しましたが、祈祷を通して彼は(お父様は)理解しています。

キャップ氏:言わせていただきたいのは、今日は文氏にこのようなアプローチをして色々と質問しましたが、このカメラを通してご覧になっている皆さんにはわからないかもしれませんが、文氏は良い性質と良い意志、よい影響力をお持ちだと感じます。
メシアという方はこのような方であればよいと私は言わなければなりません。

お父様(デビッドキム訳):私はアメリカに来て初めてあなたのような良い方に会いました。

リチャードパンザー:
もちろんアル キャップはいわゆる懐疑的な質問をしましたが、それは悪質な動機ではなかったと思います。これは1974年でしたので、もちろんお父様はとても多くの迫害を通過され、実際にこの10年後にダンベリー刑務所に行かれましたね。確か1984年だったと思います。10年間の期間に多くのことが変わりました。
しかし、少なくも初めはお父様は歓迎されました。アメリカに歓迎されました。

私はお父様から沢山の愛を感じました。アルキャップですら、お父様を打ちのめしてはいませんでしたし、本当に尊敬心がなかったわけでもありませんでした。皆さんが楽しまれたことと思いたいです。

では次に亨進様が2015年の12月13日にに話された説教のビデオを皆さんに今日お見せしようと決めました。その時気付いたのですが、このビデオの一部は先週お見せしたのですが、私がこの内容をとても気に入ったので、重なる部分もありますが、皆さんともう少し共有したいと思います。
題目は“神様をお祝いしましょう”です。


二代王様:皆さん、本当にありがとうございます。神様は彼の人々を行かせなさいと言われました。今悪魔は彼らを掴んでいることはできません。皆さんそれは何だと思いますか?1,200人プラスの人々が解怨されましたので。
彼らは日本のメンバーたちを強制的に182000ドル(約2000万円)文字通り清平に支払わせました。皆さんご存じですね。彼らは全てのクレジットカードで借金し、子供たちのクレジットカードも使い、全ての物を売ってこの解怨をしようとしました。
それは何だと思いますか?そこにはたった一人の先祖解怨のできる相続者、後継者がいますが、全世界の兄弟姉妹の皆さんはそれを受けることができ、人種差別をして日本のメンバーを攻撃して恐喝した家庭連合から自由の身になります。
私は彼らに説明しようとしました。神の人々はこれ以上このような恐喝の奴隷ではありません。これは祝福の日です。サタンのコントロールから自由になった祝福の日なのです。
私たちはとても感謝します。
なぜなら私たちは韓国人のリーダーについて話しています。

私たちはとても素晴らしい時をもちました。水曜日でしたか?水曜日の夜に私たちはテイムエルダー氏の家でお祝いしました。私たちはテイムエルダーの家に行きました。そして18世紀のパンを焼き始め辛味ソーセージを食べて素晴らしい時間を他の皆さんと過ごしました。
韓国リーダーのリー会長が“時が来る、時が来る、聖霊によって示された時”。私は彼の魂の中に時が来るのを感じました。
私は“聖書に達しましたね”と言いました。

聖書に戻りましょう、一緒に読みます。
コリント人への第一の手紙12章です。もしも皆さんが聖書をお持ちでしたら開けてください。これは聖霊による霊的な賜物について言及しています。8節を読みます。11節までです。

 12:8すなわち、ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言、 12:9またほかの人には、同じ御霊によって信仰、またほかの人には、一つの御霊によっていやしの賜物、 12:10またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている。 12:11すべてこれらのものは、一つの同じ御霊の働きであって、御霊は思いのままに、それらを各自に分け与えられるのである。

私たちが聖書、聖句、神の言葉を理解した時に、聖霊の働き、神の霊の働きを説明することができます。私たちがただ神の霊が来ることを待っているのではなく、神の霊が既に来ていることを見ることができます。世界中の兄弟姉妹たちが今目覚めて、知識のメッセージ、知恵のメッセージ、信仰のメッセージ、いやしその他のメッセージを受け取っています。

私たちは聖霊の働きは癒しだけだと思っています。私たちは病気を治すとかそのような事だけだと思っています。死から生き返る事だと。
しかし、神様は聖霊の働きは神様が説明されているようにこのような事でもあるのです。
人々は目覚めて、オーマイガー!ちょっと待って、私は真のお父様の権限に戻らなければならない、と言います。
これは知恵のメッセージです。
それは同じ神の霊からきた霊を見分ける力なのです。ですから私たちはドラマの様な劇的な事が起こると期待していますが、神様はもっとドラマチックです。神様は私たちの日常の生活に関わっています。知恵や知識、信仰といったこれらのことは神の霊の奇跡的な力なのです。アーメン?

私たちは知らなければなりません。そうでなければ神様の働きを見分けることができません。そして神の働きを見分けることができなければ、神が既に働かれているところで神の働きを待たなければなりません。これはとても重要なことです。

韓国の私たちの兄弟姉妹たちに聖書を読んでくださいと勧めています。聖句に帰ってください。み言葉を読んでくださいと。なぜなら聖書のみ言葉は全ての基礎で規則に帰るためにとても重要だからです。これがみ言葉の中心なのです。

先週は私たちはしませんでしたので、今日はいつもと違います。お父様は常に勝利の後でお祝いをされました。私は先週ずっと知的で科学的な説教をしようと準備していましたが、霊的に何かが足りないと思いました。なぜならお父様はいつも勝利の後でお祝いをされたのです。ですからお祝いの行事は重要です。なぜならお父様は神様の素晴らしさ、勝利をお祝いされましたがそれは私たちにとって中心的な側面なのです。

私たちは戦士で戦場で戦っていますが、しかし神様をお祝いすることを忘れてはなりません。アーメン?
私たちが勝利できるのは神様の霊が働いて下さったからです。

私たちは彼をお祝いしなければなりません。一方では悲惨な戦いを通過していますが一方では喜びなのです。トップレベルの武道家たちは戦いを楽しんでいます。
戦いを喜んでいます。同じように私たちもサタンとの悲惨な戦いを通過しながらも神の中にあって喜ぶべきです。そうしなければ戦いが私たちを奪っていきます。戦いが私たちを押し流します。私たちは聖霊の電流で再充電されなければなりません。アーメン?

(ビデオ中断)

リチャードパンザー会長:48:53に行きましょう。
(ビデオ再開)

二代王様:
ですから全ての人は他の人々が考えていることが気になります。ですから神様は私たちを教育され、人がそうなって欲しいと願う者でなく、神が作られたその位置に立てるように励まされています。世界のトータリタリアンたちは彼らのイメージ通りに私たちがそうなって欲しいと願いますが、私たちは神のイメージの人になりたいと願います。何故なら神は創造主であり、王の王であられ、主の中の主だからです。アーメン?
ですから私たちは今日礼拝します。どなたかこちらに来てください。

そして神様の霊がどの様に働かれるかを感じて欲しいと思います。皆さんの感覚に気付きそして投げてください。聖書には海に投げると書いてあります。

人が皆さんをどの様に思おうか気にしないでください。神様が皆さんをどの様に思われるのかを気にしてください。自由になってください。
私には1つお父様との関係で素晴らしいことがあります。国進様も証され、多くの人がお父様と私を見ました。
ある人が私に“あなた自身が世界で一番だと思う事は何ですか?”と尋ねましたが、私はお父様との関係において世界ナンバーワンです。私はお父様ととても良い関係なのです。
お父様はそれがお好きでした。

私はその時3人5人と子供がいましたが、会議の間走り回っていました。お父様が韓国人との会議の最中に私はお父様の所に行って、“アッパーー”と言ってお父様のお腹を掴んで頭をお腹にすり寄せました。お父様は会議をされていたのです。
他の全ての人々は“オーマイガー、全ての王族のエチケットを破って、なんという事だ。あのひどい礼儀を見て見ろ”といった様子でした。
私はお父様のお腹を撫でながら“アッパー、アッパー”と言っていたのです。しかし、お父様は“オー息子よ、よしよし。”ととても喜んでおられたのです。
私の考えは自由になることです。それで私はお父様から多くの愛と恩恵を受けたのです。私がそのようにしたからです。

私は誰かの法やエチケット、お父様の前での態度に収まろうとはしません。
私は自分の犬を夕食のテーブルの上に連れて行きました。またトカゲもテーブルに乗せました。オウムも連れて行きましたが、お父様はそれがお好きだったのです。

それは自由で全ての王族のエチケットや規則を破っていました。そして私は全ての規則を私が破って天使長たちが私を軽蔑しているのを見るのが好きでした。なぜなら神様はとても喜ばれたからです。だから私たちはそんな馬鹿な奴隷になる必要はありません。
どなたかこちらに来てくれませんか?

(ビデオ終わり)

リチャードパンザー:私ができる限りお見せしたこのビデオを楽しんでくれたことを期待します。
私はこのことに何も言いません、なぜなら亨進さまご自身が言われているように彼はお父様を最も喜ばせた方です。亨進様はお父様に私の計画を見てください、とそのようには言われませんでした。彼はただお父様を喜ばせたかったのです。

皆さんはお父様を喜ばせたいと願う人と、違うアジェンダを作って教会をおかしくしている人とどちらをサポートして助けたいと思いますか?
亨進様は.ただお父様を喜ばせたいのです。
しかし多くの人が彼を裁いて、彼には威厳がないだとか、彼が絶対性の内容を話すときにペニスとか膣とかと言う言葉を使って、と家庭連合や神学校のリーダーと話せばそのように言いますが、彼らはくだらないと思います。

ちょっと勘弁してください。私たちにはジャックポット(大当たり)があるのです。
それはお父様が油を注がれた最も年下の息子です。

私は以前は家庭連合でしたが今は?天の父母教団?多分来週は違う名前になっているでしょうけど、彼らを気の毒に思います。なぜなら皆さんはお父様が選ばれ資格を与えられた息子をを失っているからです。
彼は3度の戴冠式を行われ、その中には同じ日に韓国とアメリカニューヨーク市で行われた戴冠式も含まれます。彼が何をしたのかを明確にしています。しかし、悲しいことは皆さんが自身のアジェンダを持っていることです。そして多くの人達が信じられないショッキングなことは韓マザーが他のアジェンダを持っていたことです。

私はこのことを沢山考えましたが、殆どの母親たちは彼女たちの子供を守るためなら死にます。
昨晩私とミホは普通でない韓国の映画を見ました。ある生き物が変異して大きな化け物に変わるのですが、それはとてもお金のかかった映画でしょうが、とっても面白かったです。その中である父親がその生き物に捕まった娘を救うためにリスクを背負ってそこに行きます。たしか、ホーストだったと思います。しかしほとんどの親は彼らの子供たちを救うためにリスクを背負います。殆どの親たちは子供の救いのためなら自分の命を捧げます。そして親は子供たちが自分たちより良くやることを願うのです。

それが親の心です。それを考えた時に韓鶴子はお父様が選んだ息子以上に重要だったものは何だったのかと考えました。実際に彼女はお父様が彼に油を注がれたとき隣りにいたのです。
もしも彼女がお父様が成さったことに同意していなかったとしたら、彼女は正直ではありません。

それはほかに考えることなのですが、韓マザーはメンバーが韓マザーに従うようにするためアメリカに劉会長夫人(史吉子)を送りました。
私は劉夫人が好きでしたし、尊敬していました。
彼女はアメリカの何か所かに行きながら、この様に言いました。これは彼女が多くの都市で語ったスピーチですし、私はそのビデオも持っています。

彼女は“お父様が亨進様を指名したことを韓マザーは受け入れなかった”とそのように言いました。
劉会長夫人ですらそのように言いました。それはショッキングな事でした。
私はそのビデオをユーチューブチャンネルに投稿しましたのでいつでも見ることができます。
彼女はまた、“お父様は亨進様を信頼されました。そして彼が素晴らしい仕事をすると信じておられましたが、韓マザーはそうではなかった。彼女は認めなかった。”と言いました。

その当時亨進様は仏教を学ばれていて頭を剃られていて、と外的な事を心配していました。

その時点では私が思うには偽大母様がいました。
面白いことに預言者ミリアムも初めは神の真実の言葉を話しましたが、いつもそこには危険があります。訓母もお父様が亨進様を選ばれたことを了承しませんでした。
しかし、問題は誰を信じているのかという事です。私はお父様を信じています。

私はとても単純な人でお父様が何か仰れば、私はそれを深刻に受け止めます。お父様はみ言葉を変えるなとおっしゃいました。誰かがイエス様の言葉を変えることを想像できますか?イエス様、聖書はとても大変なことを言っています。イエス様の体を食べて、その血を飲めと言いました。そして彼に従っていた中の半分以上がイエス様の下から去りました。

いいですか?イエス様は人々が受け入れるのにはとても大変なことを言われました。

皆さんは聖書の中からイエス様の言葉を抜き取って違う言葉に入れ替えたいですか?それに賛成しますか?私は皆さんが賛成しないという事は明らかです。
それに賛成しないあなたが、何故お父様のみ言葉を変える事に賛成するのですか!
馬鹿!統一神学校、韓国の清心神学校、あなた達は馬鹿です!

彼らは何をしましたか!お父様のみ言葉を変えておきながら、自分たちはより良い翻訳に変えたと主張しますが、私たちはあなたが嘘をついていることを知っています。
私たちは韓鶴子が聞きたくないお父様のみ言葉のある箇所を取り去ったことを知っています。
それは彼女の為に重要なことを言われたのです。それでもお父様は彼女を愛され、彼女が最後に正しいことをすると信頼されていたのです。
聖書の中の懲らしめは愛なのです。お父様が時々韓マザーを懲らしめられたのは愛からなのです。
彼女に勝利して欲しいからです。

しかし彼女はその代わりに彼女の罪を隠して皮肉なことに隠したその罪によってキリストの言葉を変えてしましました。罪を隠し自分を高くして、お父様が言われた言葉と矛盾することをして、神様に背きました。それが真実です。

多くの家庭連合の兄弟姉妹たちは私が行っていることが真実なのを知っています。
独生女神学と堕落が人間の貪欲から起きたという事はとてつもなく嘘で愚かなことであると知っています。

しかし彼らはただ隅に立って、オー亨進様は銃弾の王冠をかぶってそれはどうのこうのと裁いています。
なんと恥ずかしいことですか?
あなたにはお父様が選ばれた息子を助けるチャンスがあったのに、なにもしません。
そしてあなたは何百億の金をコントロールして、お父様が50年以上かけてつくられた組織をコントロールする安全な前家庭詐欺連合、天の父母教会の方を選んだのです。
そちらに従っています。

しかし、多くのメンバーは私に“リチャード、それはちがう、私は原理を教えている、お父様のことを教えていると言いますが、勿論地方教会でおお父様のみ言葉を訓読しているでしょう。
しかし、皆さんはそこにつながり、ある人はそこで偽の独生女から偽の祝福を受けています。
偽の平和の母、彼女は裁判をするなと言いながら自分たちは裁判を起こしています。それがあなたがサポートして繋がっているものです。恥を知れ!あなたはお父様が選んだ息子の為に何もしない。恥を知れ!

たとえ、あなたが「自分は独生女神学は支持しない。それはお父様が言われたことと違うから、お母様がみ言葉を改ざんしたことは認めない」と言ったとしても、あなたはまだ彼女がやっていることにつながっています。あなたは繋がれています。彼女と繋がってキリストを裏切っているのです。そしてこのことは私たちが初めに読んだ聖句と繋がっています。

祝福されたのは難しい時に命を犠牲にしてキリストを証した者たち。それがヨハネ黙示録20章に書かれていることです。考えて見てください。皆さんには正しいことを行うチャンスがあります。

それでは休憩を取って、数分でキングスリポートに戻ります。


リチャードパンザー会長:
2020年4月18日 土曜日のキングスリポートへようこそ。
私はリチャードパンザーです。天一国二代王の為に立ち上がっています。

亨進様が日曜礼拝の中で、私たちが神学的弁証学を学ぶことの重要性を話されました。
私はとても興味深い討論を見つけました。
一人は有名なクリスチャン神学的弁証論者ウイリアム クレイグと、もう一人はプリンストン大学教授のジョン ピーターソンです。

今日はウイリアム クレイグの箇所だけお見せします。では、始めましょう。

ウイリアム・クレイグ:
もしも神が存在しないとすれば、人生の中でそれに代わる価値は存在しません。もしも神がいないとすれば、客観的標準の善と悪、正否はありません。客観的標準、いわゆる道徳的標準は人間の考えに従って有効となります。
神が存在しなければ、超越的原因の道徳的価値はありません。むしろ、道徳的価値は所産による社会生物学的進化的条件付けか、個人的表現となります。

哲学的科学者のマイケル・ルースの説明によれば、道徳的進化論者の位置付けは、人間の無防備な道徳観です。
何故ならそのような無防備さは生物学的な言葉です。
道徳は生物学的適応であり、手元にも足元にも歯にも思慮のない馬鹿げた目的の何かについての合理的に正当化できる一連の主張、倫理は幻想だという事です。

私は誰かが“自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい”と言うとき感謝します。彼らは自分自身を超えて参照していると考えます。それにもかかわらず、その様な参照は本当に基礎がないのです。
道徳はただ生存のための救助であり、再現とどんな深遠な意味も幻想なのです。
リチャード ドーキンスはそれを簡潔に「そこにある、デザインは無い、目的は無い、悪は無い、善は無い、何もないが哀れであることが違いである。我々はDNAを増殖させるマシーンである。」としました。

神のいない世界では、客観的善悪、正否と言ったものはなくなり、ただ私たちの文化的で個人的な相対的主観的判断だけが存在できます。
それでは誰の価値が正しく、誰の価値が間違っていると誰が言いますか?
誰の価値による判断が他のそれらに劣っているのか?
客観的道徳観の概念は神のいない宇宙では全ての意味を失います。

私たちすべてが直面しているのはジョンの言葉の中の「存在の無価値の事実」です。その意味するところは戦争、抑圧、偏見を悪と非難することは不可能です。公差の平等を称賛することもできず、善なるものとしての愛もあり得ません。
また神の存在しない宇宙に善と悪は存在しません。
そこにはただ存在の無価値の事実と、誰も「あなたは正しく、私は間違っている」と言うものはいません。

三番目にもしも神がいなければ、究極の人生の意義はありません。もしも、各個人が彼が死んだときに存在が無くなるならば、何の究極的重要性が彼の人生に与えられるでしょうか。それはとても重要であるのか、もしくは彼は今まで全く存在しなかったかです。いいえ、確かに彼の人生は、多分他の特定の出来事と比較して重要なのです。

しかし、これら出来事のどんなことが究極的意義なのでしょうか?
もし全てのことが破壊される運命であるなら、あなたが影響を与えた全ては何の意味があるのでしょう。究極的にそれは何の違いもありません。
人類の知識の前進への科学者たちの貢献、痛みと苦しみを和らげるための医者の研究、世界を守る外交官、善なる人々の犠牲、人類の多くをより良くするための場所はどこにもあります。
しかし最後には彼らは少しの違いも作りません。彼らの全ては何にもならないのです。

無神論哲学者バートランド・ラッセルは有名な一節で、人は達成の終わりに規定のない原因の産物だと嘆きました。
情熱、勇敢さ、思考や感覚の強度がないことは危険を超えて個人の生命を保存し、全ての時代の労働、全ての貢献、全てのインスピレーション、全人類の天才の白昼の光彩は太陽系の広大な深さで絶滅する運命にあります。
そして、人類の業績の神殿全体は、必然的に廃墟の宇宙の残骸の下に埋められなければなりません。
もしも、論争の余地がない場合でも、彼らを否定する哲学がないことが殆ど確実であっても望みがあります。これらの真理の足場内でのみ、不屈の絶望の確固たる基盤の上にのみ、魂の居住を安全に構築することができます。
したがって、無神論の人生はそれ自体は究極的な意義がなくなり、もしも神が存在しなければ、人生の究極的目的、価値、意義は無くなります。

アメリカ人詩人アーチボルド・マックレイッシュ。
彼の詩の世界の終焉の中で、ある日、ショーが終わるまで、人生を馬鹿げたサーカスとして描写しています。それを今皆さんに読ませてください。
とても予想外に腕のない両手利きヴァセロは彼の親指と第2指のつま先でマッチを照らすとライオンのラルフがマダム ソースマンの首を噛み、ドラムが指して、テイ―二―がワルツのネクタイで咳をして、ジャッカルを親指で振っていました。
かなり予想外に、トップが吹き飛んで、あそこに、頭の上に、あそこに、何千もの白い顔にぶら下がっていた、それらの目が眩んだ目、そこにストレスのある暗闇の中で、あそこにキャンセルされた空を横切って広大な翼があり、突然の暗闇の中にホバーが落ち着いていた、何もない、何もない、何もない全く何もない黒い小袋。
これは現代人の恐怖です。
なぜなら彼の最後は何もない。彼は何もない。

私たちの前の選択肢の重要性を理解していますか?
もしも神が存在するなら人に希望があります。もしも神が存在しないのなら私たちに残っているのは絶望です。
フランシス シェフアーのように、もしも神が死んだのなら人も死んだのです。

しかし、不幸なことに殆どの人達はこの事実に気付いていません。
彼らが継続的に何も変わらなかったように、早朝の狂ったフリードリッヒ・ニーチェが灯篭を手に持って、市場に飛び込んできて「私は神を求めています。私は神を求めています」と叫んだのを思い起こさせます。

神を信じていないこれらの人々の多くに彼は笑いを挑発させたので、彼らは「神をあなたは丁度失ったか、もしくは神は隠れているのだろう」そして「多分彼の神は段階的な演劇を避けている」と言い、叫んだり笑ったりしました。

それでニーチェの狂人は真っただ中に振り向いて、彼は叫んで言いました。「私が言いましょうか。私たちが神を殺したのです。あなたと私。全ての私たちが殺したのです。でもどのように私たちはこれをしましたか?どのように海の水を飲めるようにしましたか?誰が全地平線を拭き去るスポンジを渡しましたか?私たちは何をしますか?誰が太陽を動かし、太陽を消し去ることができますか?私たちは継続的に後ろに、横に前に全ての方向にぎこちない沈黙があります。空の空間の息吹を感じるために………(途中省略)
神は死んだのです。そして私たちが彼を殺したのです。私たち全員が殺人者なのです。」
大衆はその狂人に沈黙しました。

神を殺したことで彼らのしたことの結果を人々はまだ本当に理解しませんでした。しかしニーチェはいつか人々は無神論の意味を理解すること、そして人生におけるすべての意味と価値の破壊であるアシュラ時代の虚無主義の時代の到来を予測しました。

私は殆どの人々は無神論の結果に対する省察をしていないことを発見しました。明るい人ごみの市場で煩わしくそこに行って見てください。
数年前に自由な考えの組織が「多分神はいない。心配するのはやめて、あなたの人生を楽しみなさい。」と主張しました。そのグループのスポークスマンは「彼らは何か幸せで、何か明るい」と言いましたが、私はフリードリヒ・ニーチェがこの付け足しにどのように考えるのか気になりました。

数人のニーチェの無神論者の同期が無神論を見て、瞬き無しに彼の顔をじっと見ました。しかし、私たちがニーチェについて悟ることは虚無主義、無神論そして彼の疑問は私たちの上に難しくのしかかるという事です。
どのようにすれば殺すという言葉が私たちの上に居心地よくなるでしょうか。

人類のこのような対決の解決は無神論者が単純に人生に直面し、勇気をもって生きることを提供することだけです。本質的な問題の解決は、しかしながら不可能です。一貫してそのような世界観で幸福に生きる事。もしも皆さんが一貫していれば幸福にはなれません。もしも皆さんが幸福に暮らしているとすれば、それは皆さんがただ一貫性がないからです。

フランシス シェイフアーはこの点を良く説明しました。
現代人は宇宙の二つの物語に生きている。
下層階の物語では有限で神のいない世界です。
ここのでの人生は私たちが見たように馬鹿げています。
上層の物語では価値と目的を意味します。
現代人が下層階の物語に住んでいます。
何故なら彼は神がいないと信じているからです。

しかし彼はそのような馬鹿げた世界では幸福には生きれません。したがって彼は神を信じていないので自分には権利がないにもかかわらず、意味の価値と目的を確認するために上層階に絶えず信仰を飛躍させています。

無神論者へのリップサービスを許すと、無神論者はまるで人生が重要であるかのように生きるので、彼が何をして、何を考えているのかが本当に重要になります。
特定の事柄が実際に正しくも間違っているわけでもないため、不正がこの世のものであることに憤慨しています。

ですから彼のささいなプロジェクトを盗み、計画は本当に重要でした。
人間の窮状は本当にひどいものではなく、無神論的な世界観は幸福で一貫した人生を維持するには不十分であり、人間は最終的に目的の価値や重要性なしに一貫して幸福に生きることは出来ません。

もしも無神論的な世界観の枠組みの中で一貫して生きようとするなら、私たちは自分自身がひどく不幸であると感じるでしょう。
もしも代わりに私たちが幸せに生きることができるとすれば、それは私たちの世界観に偽りを与えることによってのみであり、従って無神論は幸福をサポートし人生を考えることは出来ません。

しかしもし、無神論がこの点で失敗した場合、キリスト教については神は存在し、人生は墓で終わりません。神は我々を彼を知り、彼を永遠に喜ぶ目的で創造しました。社会的に相対的な慣習を超越する神ご自身は道徳的原則と善の客観的基準であり、彼の戒めは私たちがこの人生で取る決定と行動を永遠に生きるので私たちの客観的道徳的義務の源です。

何故なら私たちは永遠に生きなければならないので、この人生で取る決断と行動には永遠の重要性が吹き込まれ、聖書の最後を超えた最後の目的は意図的で価値のある有意義な人生に必要な二つの条件を提供します。神と不死の為にこのような世界観の枠組みの中で私たちは一貫して幸福に生きることができます。
聖書の有神論は成功し無神論は崩壊します。

私はこれがどれも神が存在しないことを証明しないことを最初に言うでしょう。しかし、今夜の対話では神が存在するかどうかについて尋ねられることはありませんでした。今夜私たちが議論するように求められたその質問について広範囲にこの質問で人生に意味があるかどうかは、有神論者と無神論者の間に論争は必要ないという事です。

私たちが見てきたように、人間の苦境を最も痛烈に分析したのは無神論者自身でした。彼ら自身に話させてみましょう。彼らは私たちに人生が究極の目的の価値や重要性なしには不条理になると言います。私はそれに同意します。
しかし一つの事については、神が存在しないのであれば人生は封建的です。神が存在するなら人生は意味があります。
これら二つの選択肢の二番目のみが一貫して幸福に生きることを可能にします。

したがって、これら二つのオプションの証拠が絶対的に等しいとしても、証拠が等しいかどうかを確認するという理論を選択する合理的な人物であるとしても、人生への実用性と絶望を好むのは明らかに非合理的であると思われます。
証拠が等しい場合、私は死の無益と人生の意味と幸福への絶望を好むことは積極的に非合理であると思われます。

パスカルが「私たちに失うものは何もなく、得るものすべてがある」と言ったように、私のアドバイスは神と共に行くことです。


リチャードパンザー:
彼は沢山のことを話しました。いくつかのポイントがありますが、一つはもしも私たちが進化論、ダーウィンの視点を受け入れれば、基本的に私たちはDNAを複製するマシーンにすぎないという事です。そして道徳観と呼んでいるものは私たちの血統が継続して生き残るための社会的な条件の価値であるけれど実際には意味がないという事になります。

いい人であるとか悪い人間であるとかは大きな違いが無くなります。
彼が共有したニーチェの話に魅了されましたが、怒った男が歩き回って、お前たちは神を殺した、と言いそれを聞いた人々は彼を笑います。
社会が神を殺すという事は、神を気にしない、神に関心がないという意味です。
そして彼らはユダヤキリスト教社会の基盤を破壊するという事を理解していません。

西欧社会のキリスト教基盤が取り除かれた時に何が起こるでしょうか? ニヒリズム、それは私たちは何も信じない、私たちはやりたいことは何でもできるという、トータリタリアン思想所謂、ファシズム、ナチズム、共産主義などです。
そして皆さんは実際それらを学校で見ることができます。
最高裁の法律では皆さんは公立学校で祈りをすることができず、実際には神について話すことができません。
また多くの学校では、教室内でのコントロールを失っています。教室では学生たちが自分たちのやりたい放題です。ある学生は教師の話を聞いて学びたいのですが、しかし、多くの学生は自分には関係ない、一生懸命勉強してもしなくても、本当は禁止されている携帯電話で遊んでいようが、自分は規則は気にしない、何をしていても卒業できるという態度です。

彼らは社会を壊しています。この国の建国者たちは言いました。道徳的な人たちの為にのみ初期の公共は作られ、不道徳は公共から排除された。

多くのヨーロッパの国で何が起こっていますか?以前話しましたが、ドイツやフランスでは、以前は夜間に女性が友人とコンサートやイベントに安全に出かけることができましたが、それは変わってしまいました。なぜなら、中東や北アフリカからの移民たちがいるからです。

なぜ彼らを受け入れたのでしょう?
それは多くのヨーロッパの出生率はとても低く、毎年とても少ない赤ちゃんしか生まれません。人口年齢は高くなり、彼らの年金をサポートする若い労働者がいません。それで政府は他の国からの移民を連れてこなければなりません。
しかし、問題は連れてきた移民の文化が全く違うのです。中東と北アフリカのイスラム文化は、もしも男性が伝統的なイスラムの頭や体を覆ている服装をしていない女性を見れば、彼らはレイプできるのです。それが彼らが信じていることであり、彼らがやっていることです。ですからそれらの国ではレイプやその他多くの犯罪が起こっています。パリや多くの都市では警察は出かける準備ができています。
それらのキリスト教文化の価値によって統治されていないそれらの都市で起こっています。

キリスト教の文化が完全だとは言いませんが、しかし、そこには大きな違いがあります。

ここで詳しいことを話す時間はありませんが、お話ししたいポイントは、その聖句の中に居心地の良い悪さを発見して、聖書の戒めを禁止すれば私たちは代価を払わなければなくなります。
ですからニーチェは予測しました。そしてこのOur Father Forsaken の本にそのことがとても詳しく書かれています。
私たちが旧約聖書の神を否定し、私たちが好む聖書の一部分を選んだと言い訳しても、真実は何も得られません。
ですから真のお父様が言われました。キリスト教は生命維持装置であり、私たちの国は全聖書に帰らなければならない、と。
神様には歴史の目的がありますが、私たちがそこに注意を払わなければ、私たちは代価を払わなければなりません。

次のスピーカーである女性の箇所をお見せする時間が今日はありません。彼女は国粋主義者で肉体の感覚で見たことが真実だという価値観を持っています。とても納得のいかない、思慮のないものです。それは個人が親切になれないという事を意味しません。

しかしウイリアム クレイグが話したように、もしも本当に無神論者であれば、無神論者の世界観は絶望です。無神論者たちは彼らが何を信じているのかを理解しています。無神論者たちは一貫して人生には意味がないという事を信じています。あなたと私が善であろうと悪であろうとそこには何の違いはないと信じています。大きな違いがないと。

ジョン ピーターソンは実際に私を魅了させましたが、それは違うときにお見せしたいと思います。彼は基本的には全て矛盾していると思います。何故なら彼はダーウィン進化論を信じていると言いますが、一方では彼は私たちが見て認識する以上の物に気付いています。そしてキリストについては彼の視点で犠牲的愛という最高の表現をしました。
そして彼はクリスチャンに直面して「あなたはクリスチャンでキリストを信じているのか」と質問されました。彼の返答がとても興味深いのです。
彼は「信じる、という事はどのような意味ですか?」と言いました。私にとってこの質問はとても興味深かったのです。彼の質問はお父様が何度も話されたことだったからです。

なぜならそこには違うレベルの信仰があります。そこには赤ちゃんレベルの信仰、神の真実を確認して、神の愛を知って、自己の罪と堕落性に気付きます。そして神の前にはただ許しを請うだけです。それがどんなキリスト教信者の基礎的レベルですね。

しかし他のレベルの信仰があります。そしてジョン ピーターソンはキリストを信じるという事は恐ろしいことだと言っています。そのように言う事ができます。なぜなら本当にキリストを信じればサタン的世界は皆さんを攻撃します。それは避けることができません。
もしも皆さんがキリストに従えば、自分の人生は彼が行った道を行かなければなりません。

私はジョン ピーターソンはキリスト教信者ではないと主張する人物ではありますが、彼は多くの人達が持つ表面的なキリスト教は、矛盾していると言います。彼はイエス キリストに従うという事は深刻な事であると認識しています。

真のお父様も同じことを言われました。イエスは十字架を背負って私に従いなさいと言われましたね。お父様も基本的には同じことを言われました。天国に行きたい人でなく、天国を築く人になれと。レベルに大きな違いがあります。

私はウイリアム クレイグの見解をとても楽しみましたし、彼は本当に良くやったと思います。事実は神の存在や霊界を否定し、道徳的基礎がなければそこには何の意味もありません。
そしてまたもう一つの側面は本当の意味での信仰とはどういう事なのかという事です。

それはもう一つの全討論になります。
それでは次にお見せするのは、重要な映画の宣伝です。ここでは全てお見せしませんが、題名は NO SAFE SPACES です。この映画を見たい方は NO SAFE SPACES .COM からダウンロードしてください。料金を課金されますが。宣伝を再生してください。

リチャードパンザー:
私はこのドキュメンタリーを見ましたが皆さんの時間を絶対に有意義にしてくれる映画です。私は20ドルを払っているので5月31日に見ることができます。皆さんが希望すれば教会でお見せしても良いと思いますが皆さん自身でも見れます。

これはユダヤキリスト教の価値に対する戦争の映画です。そして大学はキリスト教の価値観、保守の価値観をもった人たちを攻撃するために利用されています。そして左翼抗議者たちが起こす問題の為に多くのお金がセキュリティの為に支払われています。左翼の攻撃を防ぐために使われるべきお金が保守派によって支払われていることは理にかないません。これは本当に私たちの国の深刻な問題です。

もしも私たちが本当にお父様が言われることを信じるのであれば、アメリカは再臨主の基台の為に神によって選ばれました。神の目的を地上に達成するために。

もしも、アメリカが少なくとも言論と宗教の自由を保護する国から降りて、そしてそれらのキャンパスが黙るように人々が電話することを擁護し、公立学校のシステムもそうですが、そのようになればアメリカは神が用いることのできる国家の状態を失う事になります。
そうなれば神はどこに行けばよいのでしょうか?
神は共産主義の中国に行けますか?それともイランでしょうか?中国やイランにいい顔をする抑圧されたヨーロッパの国でしょうか?
そして人々に嘘をつく中国と良い取引をしますか? 
人々が事実を知って自分たちを守ることができることを避けて血なまぐさい暴力が拡大することを認めますか?

それではまだ時間があると思いますので、とても価値ある記事をシエアしたいと思います。
「ダーテイクリスチャン クリーン ムスリムス」の記事を見ましょう。
これです。これはある雑誌のページからですが、これはデビッド ハーロウイットによって見つけられたと思いますが、彼はいかに共産主義が悪であるかに気付いてそれを拡散して人々に警告しています。
一緒に読んでみましょう。この記事はレイモンド イブラハムによって書かれました。
彼は中東から来たと思います。

(記事)

イスラムの世界観―疾病(例えばコロナウイルス)の様な事の考察はー基本的に二分法が基礎となっている。どんなことも全ての事はイスラム教でないものは悪である。汚れていて、避けられるべき、嫌われ、闘われ(“ジハード”)、反対される。どんなこともイスラム教は良い。清く、抱擁され、愛され、代わりに闘われる。
若いクリスチャンが最近これを難しい方法で見つけた。

サリーㇺ マシ―、22歳はパキスタンでイスラム教の雇い主の井戸から水を使ったとして、拷問され殺された。激怒したそのイスラム教徒は「水を汚染した」「汚いクリスチャン」として彼を非難した。同様に怒り狂ったイスラム教徒たちは集まって彼にレッスンを教えることを誓った。彼らは彼らの家畜農場に彼を引きずり彼の両手を縛り、足を鎖でつないで継続して鉄の棒で拷問し続けた。重症で死ぬ前サリーㇺは彼の家族に「クリスチャンであるというだけで拷問された」と伝えた。イスラム教徒の雇用主に関しては彼は犯罪を犯していないと主張した。結局のところ殺害されたクリスチャンは水を「汚す」ことによって犯罪を犯した”のであって、従って彼の拷問と死は“正当化”された。

リチャードパンザー:
もう少し例題を読むことは出来ますが、皆さんがポイントをつかまれたと思います。
多くのイスラム教世界では、そこには人権のコンセプトはありません。言論の自由のコンセプト、宗教の自由のコンセプトはありません。西欧社会が弱体化すればこのような悪魔のイスラムの世界観を受け入れることになります。そして私たちは言論の自由を失います。
多くのヨーロッパのジャーナリストたちはイスラム教の犯罪を指摘したとして罰せられ殺されています。
北方英国にはパキスタンのイーメンのグループがありますが、彼らは労働者の10代の少女たちをレイプしていますが、警察は彼らを調査したがりません。そのようなことが現在起こっています。
皆さんがクリスチャンになれば皆さんは掃除機にかけられます。
イスラム教の世界観は彼らと同じことを信じない人々を殺しても良いという事なのです。
もしくは暴力を与えても、強姦しても良いのです。

では次の記事に移ります。

(記事)

テヘランは国際社会に対して、コロナウイルスに感染して殺された市民の数について嘘をついており、反対者を投獄していると米国国務省はワシントン.フリー ビーコンに告げている。
政権は統計を共有したことで数十人のイラン人を投獄し、イラン全土の病院関係者に症例数と死者数の改ざんを強要した、と国務省広報担当モーガン・オータガスは述べた。
イラン政権は感染者と死者の数はそれぞれ24,811人と、1,934人だと主張するがしかし、米国と他のオブザーバーは犠牲者がはるかに多いという。実際の感染率と死者数を秘密裏に保つため、イラン当局は暴力と鎮圧に訴えた。彼らの努力には、トランプ政権の厳しい経済制裁を弱めるためのキャンペーンに米国の同盟国を参加させることが含まれている。

リチャードパンザー:彼らは基本的に嘘を言い、人々にも強制的に嘘を言わせ、真実に立ち上がろうとする人たちを罰しています。

(続き)
「私たちは、乗客を撃墜することについて嘘をついた同じ政権が、昨年11月に殺された抗議者の数が今日のコロナウイルスによる症例数と死者数について透明でないことを確信している」とオータガスは述べた。イランが1月に民間機を1機停止したことにより、乗組員全員が殺害された。
イランは国営の報道機関を通じて、火曜日の夜に8,913人の市民がコロナウイルスから回復したと主張している。彼らが感染していることを認めざるをえなかった。

リチャードパンザー:ではもう一つの記事です。ニュードキュメンタリー イスラムのバチカン協定です。

(記事)
ローマ:
中国のキリスト教迫害の状況に関する感動的な新しいドキュメンタリーはバチカンが2018年に共産主義政府と行った取引を非難し、忠実なカソリック教徒に対する「二重迫害」を生み出したと述べています。“Save the Monasteries”の創設者である退役軍人の映画作家エリザべッタ・ヴァルギウスが監督が制作したこの1時間にわたるドキュメンタリーは宗教的自由の政府の主張にもかかわらず、教会に対する中国共産党(CCP)の徹底した支配を強調しています。

「中国には礼拝の自由、ミサへ行くことを許可する自由がありますが、聖職者は彼らの活動、会議で管理され彼らの主題で管理され、そして彼らの同士ですらコントロールされています。」とベルナルド・セルベッラー神父は述べています。

ポンティフィカルインスティテュート フォーミッションズ(PIME)の公式報道機関であるアシアン ニュースのデイレクター
「したがって、信仰の自由は骨まで剥ぎ取られている。と司祭は指摘する。中国の全ての宗教は同じように支配されている」とCervelleraは宣言する。

特に現在、中国ではすべての宗教の宗教的再興が盛んにおこなわれていますが、特にプロテスタントとカソリック、政府はこの宗教的成長を恐れており、全ての宗教を統制しようと試み、この宗教的再建を窒息させようとしています。

司祭によれば、司教の指名に関する2018年の中国とバチカンの協定は、「正確な政府の動機に役立つ、つまり信者が愛国協会と同一視しない、いわゆる非公式教会を排除することです。」

中国には約1200万人のカソリック信者がおり、ローマに忠実な地下教会と1957年に教会を国有化し信者を分離するために毛沢東によって設立された国家統治カソリック愛国協会のメンバーのほぼ間に分かれています。バチカンの権威。映画で話す人々の中には、元香港の司教であり、CCPに対する現在のバチカンの政策を声高に批判しているジョセフ ゼン枢機卿もいます。現在このバチカンの間違った戦略のため、中国政府と暫定合意が締結されているため、全ての教会を奴隷にしておくのは簡単です。「現在二重迫害がある」と枢機卿は宣言しています。

「中国政府からの決定は全てを統制することであり、全てを意味するため楽観的な理由はありません」とゼン氏は述べています。それはカソリック教会だけではなく、全ての宗教についてであり、そして一般的な自由についてです。全ての人にとっての言論の自由のような全ての自由です。
「最もスキャンダラスな事は“中国政府によって統治された教会の7人の司教が聖座によって破門され、それが彼らを正当化した」「彼らはローマから許可を得ずに叙階されただけでなく、彼らが司教になる資格が全くなかったからだ」とゼンは宣言している。「それは突然のことではない。それは10年以上にわたるバチカンの間違った政治の結論である」中国のキリスト教徒は「非常に苦しんでいる」とゼンは言い、バチカン中国の合意はカソリック教徒を「当惑させた」ままにした。彼らは言う。「何が起こっているのか?」

リチャードパンザー:
基本的にバチカンは中国共産党政府と結託して、バチカンはこの偽の司教たちは中国共産党政府によって選ばれました。バチカンがやったことはなんと愚かな事でしょうか。
2つの選択だけが残されています。
中国共産主義中央集権の悪魔的モデルが自由な言論や表現に対し中央集権のコントロールを行うか、もしくは自由の選択です。
アメリカが伝統的に維持してきた制限のある憲法的政府です。
しかしそれは現在禁止事項が増加しています。アメリカがもう一度立ち上がり、勇気を持たなければなりません。

それが二代王様が言われることであり、クリスチャンは立ち上がらなければなりません。
そして次の選挙は生死をかけた選挙です。
それはアメリカだけではなく全世界にとってなのです。
もしもアメリカが社会主義民主党を受け入れれば、彼らは中国よりであり宗教の自由は全く関心ありません。
そしてアメリカと世界の未来はとても暗闇です。次の選挙で私たちはとても重要な選択をしなければなりません。多くの人達が関わりたくないと思っています。彼らはトランプ大統領のツイートが気に入りません。なんと愚かでしょう。
統一教会員ですらこの国の為にどの選択をすればよいかわからないのです。このような事を言っても仕方ないのですが、勿論色々な人がいます。

ある人のFBを読んだのですが、その人は冗談を言っているのかと思わせます。何故なら、大統領の早朝のスピーチやツイートが気に入らないからと言って、この国を共産主義の民主党に渡すのですか?彼のツイートが好きでないからと。あなたの脳みそは死んでますか?あなたはこの国と世界を共産主義の手に渡すのですか?
それは全く理に適っていません。
お父様は言われましたね。「私たちの選択は神か、神で無いか。キリスト教道徳観か、悪魔的中央集権的暴政か。」

とても基本的な選択に直面しています。
私たちは良い選択をしなければなりません。

神様に感謝したいのは、お父様が選ばれた二代王様は偽の平和の母が話すことの代わりに、その内容について話されています。
彼女はトランプが選ばれることを支持せず、多分今回の選挙でもアメリカが正しい選択をするようにとは言わないでしょう。家庭連合の兄弟姉妹はトランプをサポートしたくても偽の平和の母はそうしません。彼女のスピーチは「貪欲が堕落の原因となった」という左翼の解放神学のコンセプトを促進しています。彼女が教えていることを見てください。目覚めてください!

時間が過ぎたと思います。
今日のキングスリポートをご覧になって下さりありがとうございました。
祝福された1週間をお過ごしください。

(終わり)

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