2023年6月19日月曜日

お父様が下さった「誠」◆ 2023年6月14日テネシー清平水曜礼拝 <1> 文亨進二代王

 お父様が下さった「誠」

2023年6月14日テネシー清平水曜礼拝

<1>

文亨進二代王

翻訳監修編集:fanclub三原

한국수요예배 (Sanctuary韓国語礼拝) 06_14_2023


0:00 翻訳minion

亀と蛇

座って下さい。もう、水曜日ですね。もう、(水曜に)なったね。

お前たちも赤ちゃんとコロラド訓練するのか?だからキャンプ訓練は重要なのだ。練習しなければならない。キャンプ訓練を練習してこそ、驚かない。

何日の間、オオカミガメを捕まえようとしたのだが、そいつはさっと出てきて鼻を出すのだが、銃で撃つ時銃弾が水を撃つので角度が変わります。だからそいつを撃つのは難しいね。鼻だけが出てきます。


私たちは韓国語礼拝が終わったら大きな銃をします。AR-15はうまくできない。


とにかくそいつらは、魚を食べて、ハスの花とスイレンを食べるので、こいつを捕まえなければならない。とにかく、自然と暮らしながら、自然と訓練しながら、万物主管をしなければならない。


わあ、なんと、オオカミガメを狩猟しているのだが、そこに座っていたのだが、そいつはすーっと出てきて、黒くて長い蛇が、座っていた椅子に上がってきて、右の肩の方に(上がってきました)。わあ!万物の日にお父様がそのように動物たち、獣たち、全て贈ってくださったのです。


そうしながら、狩猟しているのだが、王妃が突然来たのだが、「わあ!早く立って!早く立ってください!」何なのか説明もしない。ただの鉢だと思っていたのに、立ち上がって後ろを見たら、蛇が、そいつはまさにここ(椅子の背もたれのところ)だ。ここに座っているのに、まさにここだ。わあ・・・。上がってきてここに座っているのだ。いやあ・・・。


だからそのような蛇も、爬虫類が好きだからさっと捕まえて、今は良い友達になりました。


とにかく万物の日が近くなっているのだが、万物の日に若者たちも万物主管の訓練、60キロコロラド山脈訓練をするだろ。


(画像を見ながら)これはキングスネークだね。とにかく上手に捕まえて、上手に送って、上手に捕まえて上手に送って、上手に捕まえて上手に送って。このようにしながら授受作用、自然の訓練をするのです。


コロラド山脈登山に向け呼吸訓練


だからコロラド山脈は、若者たちが60km、4300mの山に登って、行進訓練をするのだが、お前たちは先週やっただろう?12時間。どうだった?体が痛いか?まだ?12時間、若者たちが12時間の訓練、拍手。


お前もしただろう?ハンユナもしたね。わあ、完全に初歩者なのに。わお!ヒロエもしただろう?おお。


だから今回、コロラド山の最も難しい部分は息です。そこは相当高いので、息をすることが難しい。息苦しい。だからもし息をすることに問題があれば、お前たちは呼吸を上手にしなければならない。お腹から呼吸する。ホーーと。そうでなければクラクラする。


チベット、お父様が私を中国に送られた時、少林寺、ウタイサン、チベットにも送られて、叔父さんが仕えて来ただろ?酸素が(無く)、完全に倒れたではないか。叔父さんが倒れて、酸素タンクを持って行かなければならなかった。息ができないので。


クラクラします。しかし呼吸の訓練をたくさんしたら、目眩がしても酸素の呼吸が早く強いできます。


監査院長は明後日来ますね。信宮も来ます。これは、若者たちは、生涯忘れることができない訓練です。

しかし危険です。危険な訓練です。危険な訓練だが、安全にしなければならない。だから私たちは、若者たちは、カールヨダおじさんがお前たちについて行くだろう。コドラナ(バギー)に乗って。もしかして、人が倒れて、怪我をして、足が折れたら、その深い山から出てくることができないので、カールヨダ若い王がお前たちを守るでしょう。


様々な非常物も持って行って、銃も持って行って。もしクマが出てきたり、そのような部分があるので。その人はコロラドに未だ住んでいるだろう?テネシーに引っ越ししてくるが、まだコロラドに住んでいるだろう?


しかしお前たちが最も辛いことは、お前たちはまだ若いので12時間して、翌日、2日目が最も辛い。さらに12時間しなければならないので。1日12時間して、さらに14時間、そして翌日。

そういう問題ではなく、平坦なところではなく、これは4300m、私たちもお前たちが乗る道を、カッパヘッドマウンテンから他のところに行かなくてはならない。カッパヘッドマウンテンも、私たちのチームも、初めてのチームはカッパーヘッドマウンテン、同じ山に私たちは乗った。お前たちは同じ山に登る。OK?

そこはカッパーヘッドマウンテンと言って4300mの山、大きなスキーリゾート場がある。そこでおそらくお前たちは始めて入っていくのだが、カールヨダおじさんが若者たちと歩いて行きながらしようとしたら、今30歳を過ぎているのに、正常心も、自分もきついので怪我をしたら考えること自体もできないので、80Bコドラナ、オートバイのような四輪のオートバイに乗って、お前たちについていきなさいと言ったら「分かりました」


子供たちがもしも怪我をした人がいたら、膝を怪我した人、倒れた人がいたら、空気のために。最も重要なことは息ができない時丹田呼吸、お腹から呼吸をしなければならない。深くしなければならない。


息を吐く時フーーーーーーーーーー、スー聞いただろう?息を吐く時フーっと長く継続して。そして再び息を吸うとき酸素がわーっと入ってくる。そうすれば呼吸が完全に違う。


それでもコロラド山脈、米国で最も美しい山脈、ものすごく呆れるほど美しい。お前たちは一生涯忘れることができない場面のプログラム。一般の人たちが見ることができない場面、完全に後ろの状態だ。


そのように行進する人だけが、英語でバックカウンティ、ものすごく深い山。一般の人たちは見ることができない、このような山は。完全に野生の自然。

わあ!これは何だ?信萬がテックチームだと完全に違うね。完全に礼拝がショーになるね。信萬が進行したら。早いから。


だからこれは、コロラド山脈は、・・・私もヒマラヤ山脈に行ったでしょ?コロラド山脈はヒマラヤ山脈のように、感覚が似ています。そのような山です。韓国のように緑色の山ではなく、ものすごく高いので木が成長することができません。だからヒマラヤ山のようです。ものすごくヒマラヤ山脈に似ています。


だから若者たちにとってものすごく良い訓練です。若いお母さん達も、若い王妃たちも、お前たちも来てキャンプ訓練をするだろう?今回はしないの?では次回すればいいね。席がない?1台の車で行くんだね。だから場所がないんだね。


とにかく國進監査院長も来られます。だからお前たちは一生懸命やりなさい。監査院長はお前たちを一生懸命観察することだろう。ハハハ。信宮も信俊、信得と行くから、とても良い訓練だ。


信俊三代王の牧者ヤギ飼育訓練、ダンベリー訓練


信俊、信得も、柔術の戦いをしてひざを怪我したが、このような山の訓練を継続してするから、テープをするので痛くないだろう?大丈夫だろう?信俊は訓練をしているだろう。アッパの訓練。朝の訓読会の訓練、1時間瞑想の訓練、次に食事をして素早く農業の訓練。これから牧者になります。私たちのヤギがいるでしょう?ヤギの牧者訓練もします。


ダビデ王は神様がどのように訓練されましたか?牧者の訓練。牧者の訓練、農作の訓練。


だから信俊は三代王として、お父様がそのような多くの自然専門家訓練、今このような多くの機会を受けたのです。休むことができない。ベーターなやつのように韓国スタイルで1日中勉強、これは儒教式です。儒教は政府の宗教だったので、東洋文化は勉強勉強勉強、勉強してこそ政府の委員になることができるので、政府に入ってこそ、とりあえずはお金持ちになれるので、そのようなシステムです。これは天使長のシステムです。


この子は、火曜日金曜日木曜日、シゲルチーム、天正宮チームを助けて、様々なことをします。自動車も直して、バイク鉄の杖騎馬部隊、バイクも修理して直す訓練をして、ボートのキャプテンもして、この子は完全に・・・。すでに利口なので、問題は利口なので他のことはしたくないのです。

幼い時、特に戦うこと、そのようなことは恐ろしい。


アッパがいてこそそのような恐ろしい世界を克服、今やどれほど頼もしい男性になったか。完璧ではないが、錯覚してはいけない。それでも訓練がそれほど重要です。


だからこの子も考えてみなさい。この子も牧会を始めて説教を始めたら、イエス様が農作の例話を使用される時、この子はすでに農作の専門家ではないですか。農作を実体的にしたではないですか。勧士ニムと。


聖書でもダビデ王について説教する時、あるいは主は牧者、詩篇23篇に出てくる(主は)私の牧者、そのような説教をする時、この子は実体的な牧者だったではないですか。この子は実体的にヤギを育てて、農作もして、銃、鉄の杖の訓練もして、武道の戦いの訓練もして、アッパについてきて、ボートのキャプテンもして、鉄の杖の騎馬部隊もして、自動車の修理もして。いやあ・・・。次に高い神学の次元で。そうしながらも、この子は未だに謙遜です。謙遜。


だからダンベリー訓練もします。トイレとうんちを拭く訓練。食口とお客様のうんちを掃除する訓練。チウが赤ちゃんを産んだら、赤ちゃんをおんぶして信俊とトイレのうんちを磨いて。そのようなきつい訓練もしなければならない。


ただ傲慢な王妃のように家で座っていてはいけない。訓練!訓練しなければならない。分かりましたか?だから訓練はそれほど良いのです。


お父様が下さった漢字「誠」


若者たちは訓練を嫌うが、訓練を通して御言を実践します。御言。精誠の誠。

探してみなさい。漢字を。精誠の誠、御言を成すという意味です。

それは何か?メシア、再臨主が最もお好きな漢字です。それは誰にも下さらなかったのですが、二代王、(お父様の)代身者、後継者、相続者にくださったのです。お父様が最もお好きな漢字を。


私が聞いたのですね。数万個数千万個の漢字の中で、どの漢字を最も好まれますか?と。お父様が私にこれをくださいました。


皆さんは良く知っているでしょう?これは世界会長になる前に食口に発表したではないですか。武道をしながら。覚えているでしょう?清平で私が武道の模擬試合をしながら、それをパーンと発表されたではないですか。覚えているでしょう?清平で。それは世界会長になる前でした。そうですね?おそらく。お父様はそれほどお好きでした。


お父様は漢字をたくさん書かれる、再臨主、メシアが、ある漢字、数千万個の漢字の中で、ある漢字を最も好まれました。これをくださったではないですか。私に直接くださって、書かれて。


だからこれは歴史上でこれを受けたのは、歴史上でどれほど重要なことか分かりません。

もしもお父様が、再臨主、メシア、キリストが最も好きな漢字を、・・・考えてみなさい。もし受けていなければ、大変なことでした。本当です。


それなら分からなかったでしょう。私たちはただ、この漢字あの漢字、自分の考えるままにするでしょう。お父様がこれをくださったではないですか。お父様が定められました。精誠の誠が何かといえば、御言を成す誠。御言を成し遂げなければならない。


練習ではない訓練だ


だからお前たちは神学だけ勉強するのではダメだ。神学もわからなければならないが、そしてキリスト教弁証論もわからなければならないが、未来の子供たちのためにキリスト教弁償論と神学を学ばなければならないが、その神学を実践しなければならない。

実践するにはどのようにするのか。

お父様が毎朝イーストガーデンで農作業訓練と武道訓練をする道場で、お父様は私に何をくださいましたか?心身の訓練。体と心の訓練。体と心の練習ではない。体と心の訓練。



イーストガーデンに行かれた方は、見たことがあるはずです。

そいつらはもちろんその土地を盗んでいったが、それでも。小さな道場、とにかく、お父様は何をくださったか?心身の訓練、体と心の訓練。


あの通訳者たちは、お父様は訓練をそれほど話されたのに、英語でプラクティス(practise)と翻訳しました、こいつらは。それは練習です。違います。訓練はトレーニングです。軍隊軍事、軍隊が訓練しますか?練習しますか?訓練するではないですか。


だからこの白人の通訳者は間違って通訳したのです。だから西洋の子供たちは、お父様は練習と言われたという。練習には責任がありません。一人だけですることができる。訓練には責任があります。


なぜなら自分の師範が見ているからです。そうですか?違いますか?

訓練と練習は違います。練習は師範がいなくてもすることができます。訓練には主人がいなければなりません。先生が。先生、師範が見ています。訓練をよくやっているのか。

責任感がなければなりません。完全に違うでしょ?

訓練と練習は完全に違います。1つは主人性、責任感がなく、一つは主人性責任感がある。完全に違います。心と体の訓練。


だから西洋人は「二代王はいつもトレーニング、トレーニングと言う」お父様は訓練しろと言ったのに、翻訳者が間違って翻訳して、継続してプラクティス(practise)、プラクティス(practise)、プラクティス(practise)。トレーニングと言わない。そうなの、違うの。


だからお父様はMFT訓練、ファンダレージング訓練をする時、ファンダレージング訓練、心と体の訓練。お父様が心と体の練習と言いますか?心と体の訓練だ!これは完全に詐欺の翻訳です。


だから西洋人たちは、サンクチュアリーの西洋人たちは、二代王様の御言を聞いて、「ああ、お父様はそのような御言を・・・。私たちは初めて聞いた。」お前たちの通訳者たちは反対に通訳するから。これを理解できないのだ。お父様は継続して訓練訓練訓練と言われたのに、韓国語で聞いてみれば。


アマゾン訓練、釣りの訓練、平和軍の訓練、武道の訓練、全て訓練なのに、こいつらは、プラクティス(practise)を練習と言ったのだ。

どうして?責任感がないから。ベーター化。

訓練があってこそ、心と体と心が強くなります。訓練をしなければ子供たちは実践できないではないですか。


だから自分が学んだ授受作用であれ、万物主管であれ、原理に出てくる全ての内容を自分の人生で表さなければならないのに、頭に残すのです。理論。


だから子供を育てる時にも情深い父母教育をする時にも、御言の実践をしなければなりません。実践。感情と心と体の統一の訓練をしながら感情の管理を上手にして。怒りを主管して。


これはただ頭で御言を読んで理論で理解するのではなく、体で実践しなければならないではないですか。どのようにして体で実践しますか?これは訓練です。

全宇宙を主管するなら、お父様は、心と体を主管しなさい。と言われました。


だからイーストガーデンで一番外にある私の道場に綺麗に書いてくださいました。「心身訓練」。いやあ・・・。だから訓練はそれほど重要なのです。


おお。神野、お前も鉄の杖騎馬部隊のバイクを買っただろ?拍手!

お前は性格がせっかちなので注意しなさい。それでブワーッと行ったら死ぬ。分かったか?バイクは注意しなければならない。バイクを間違ったら即死です。すぐに死にます。分かったか?だからゆっくり運転しなさい。お前は性格がせっかちだから、ブワワワワ、バーンと・・・。そしたら死ぬ。


お前が死んだら子供達はお父さんがいなくなる。だから自分のことだけを考えることはできない。分かったか?


訓練はそれほど重要なのだ。だからグループで鉄の杖騎馬部隊の訓練をする時、誰が一番早いかではない。グループで安全にゆっくりと、兄弟姉妹を守りながらお互いに出て行く訓練だ、訓練。


自分が早く行きたくても行きません。前にいるチームリーダーについていかなければなりません。鉄の杖の訓練は。常に後ろにいる子供、隣にいる子供を守らなければなりません。お互いに。


勝利したカイン


カインはアベルに、神様は「カインに何をしている?アベルはどこにいる?」と。

カインはアベルを殺したではないですか。カインは「私がアベルの責任者ですか?」このように言ったではないですか。


実際はお兄さんとして弟を保護しなければならない責任があるではないですか。

カインとアベルの摂理歴史を、カインとアベルは失敗したが、國進観察院長は摂理歴史、アダムとエバ家庭から初めて、カインとアベルを勝利しました。わあ!わお!初めて!いやあ・・・。


だから國進観察院長は、それほど大きな勝利をおさめたのです。お父様が自分を代身者後継者相続者に選ばれないで、自分の弟、末の弟(を選択された)。いつも勉強ができないで、いつも自分を世話するおばさんたちの言うことを聞かないで逃げて、授業の時間に天正宮にはいって、私たちはヤコブハウスと言って、ニューヨークのイーストガーデンの隣にその家があります。そこで授業しなければならないのだが、塾のようなところです。


韓氏オモニが、韓鶴子バビロンの淫婦が、私たちにそのようなところに送ったのです、常に。私は勉強しない。だから数学の先生は常に捕まえようとしたのだが、探すことができません。なぜなら、上手に隠れます。車の下、引き出しの下、一番良い場所がどこか、人々は知りません。どこかといえばトイレの天井を開けてさっと上がっていったら誰も探すことができません。ハッハハ。


だからトイレ(の天井に隠れて)、先生たちは「どこにいる?亨進様はどこにいる?」そのように言いながら。そこは最も良い場所でした。誰もその場所を探すことができません。いやあ・・・。


だからこのようないたずらっ子をお父様の代身者、後継者、相続者に選ばれたので、國進兄さんはどれほど呆れたことか。ハハハ。いやあ・・・。

↓30:42 翻訳Clean

しかし、お父様が選ばれたので、お父様の理由があるのだろうと完全に保護されたではないか。

別の兄さんの場合は殺そうとしたではないですか。

国進監察総監様はカインとして、完全に保護しました。

その様にして全ての資産と所有権と全ての基盤をこの末の弟に相続されたのに、わあ、個人的に兄さんが残念に思う事だってあるでしょう?自分は一生懸命に今までやって来たのに、毎年UTSに献金もして、あれこれ事業で作ったお金をお父様が必要なままにその献金もしていたのに。

31:50

2023年6月18日日曜日

LIVE第61回_真の萬物の日 世界基督教統一神霊協会創立69周年 先祖解怨祝福式 2023年6月18日・テネシー清平


LIVE第61回_真の萬物の日

世界基督教統一神霊協会創立69周年

先祖解怨祝福式

Day of True All Things 06/18/2023



https://rumble.com/v2uyt0y-61-6961st-day-of-true-all-things-69th-anniversary-of-holy-spirit-associatio.html?mref=bf789&mc=1066o

「萬物の日」制定(1963年6月21日)


 天地、万物を造ってくださった神様に蕩減基金を捧げるのです。しかし、聖別して捧げなければなりません。アブラハムは供え物を捧げる時、鳩一羽を裂かずに、すべてを失敗しました。天地がすべて回ったのです。アブラハムが三つの供え物を誤って捧げることにより、すべてのものが落ちたのです。


 今回、私たちがすることの中には、もろもろの役事があることでしょう。血を売る人もいるだろうし、あらゆる苦労をしながら商売をする人もいることでしょう。今後、そのような役事があるはずです。皆さん自身がそのようにできない時には、恨になるのです。そのような役事を見るたびに、涙を流す立場に立たなければなりません。


 宇宙的な理念を中心としたみ旨というからには、その理念圏内に立った父母を中心とした一つの兄弟、そのような兄弟を中心とした一つの家庭、そのような家庭を基盤にした天宙が必要なのです。それで万物復帰のその一日を制定したのです。


 完全復帰のためには本来、万物の祭物時代、子女の祭物時代、父母の祭物時代を経なくてはなりません。ところが、アダムとエバが神様を裏切ったあとは、ただの一度も父母の立場から供え物を捧げたことがありませんでした。 ところが皆さんの前に「父母の日」が立てられたので、父母を通じた「子女の日」が現れなければならず、「万物の日」が現れてこなければなりません。これをもって神様の心情を解怨成就し、父母の心情、子女の心情、万物の心情を解怨成就しなければなりません。そのようにして初めて、アダムは堕落したが私たちは堕落しなかったという条件を立て、嘆息圏を抜け出ることができるようになっているのです。


 人間始祖の堕落により、万物をサタン圏内に陥れたゆえ、万物を復帰するためには人類の真の先祖が顕現しなくてはなりません。その次に、子女の因縁を中心として、神様がアダムに祝福された主管性を復帰しなければならないのです。そうして、父母と子女を中心として横的に連結させ、全被造世界を主管できる基準を立てなければなりません。それで私たち統一教会では「父母の日」を中心として、「子女の日」を立て、そこにまた「万物の日」を立てたのです。


 神様の心情と一致する家庭が現れることにより、家庭を中心として造られた万物を通じて心情的な門を開門することができる基盤ができたので、その基盤を決定する式が「万物の日」の式であるのです。そのような式をしたのが、正に一九六三年のきょうなのです。


 神様と真の御父母様が決定し、サタンが認めたというのです。初めて地上に真の父母を中心として、神様の所有が始まるのです。それゆえ先生のものは私のものではありません。これは人類のものであり、神様の愛を中心として一体となった、堕落の侵犯とサタンの讒訴圏を抜け出た、本然の所有決定の条件基地であると考えるのです。神側の愛を中心として相続された所有物であるのです。


第38回「真の万物の日」記念礼拝の御言

成約八 2000年6月2日(陰暦5月1日)


それでは、きょうは「真の万物の日」なのですが、この地上でだれがいちばん万物を愛しましたか? 「神様ではなく、わたしです」と言えるほど愛してみましたか?  先生は、パンタナールに行って、夜も昼も、雨が降っても台風が吹いても、「神様は、わたしのように、このような万物を愛することはできなかっただろう」と神様と競争してみるのです。  最初は大きい動物を愛して「オーケー」です。それから手で地面を掘って虫の幼虫が出てくるのを見て、「神様がこのようなものを愛することができなかった」と考え、「この土地だけでなく、あの山の谷間、北極の雪の下に隠れている虫まで神様は愛することができなかったが、わたしは、それまで愛するので神様に負けない」と思いながら、愛し精誠を尽くしていくと、南米の濁水の天地にあらゆる動物が暮らしていたのです。  人間が捕まえて食べるので、人間を恐れます。ですから、隠れるのに良い所が濁水の天国です。パンタナールの水は濁水です。その濁水の中にあらゆる原初的な動物がすべてすんでいます。なぜですか?  人間たちは見つけさえすれば捕まえて食べます。捕まえて殺すというのです。ですから、見えない所にすみます。いくら泳いで入っていっても、水の中が見えなければ捕まえることはできません。十メートルどころか五メートル先も見えないので、捕まえることができないのです。ですから、地獄のような水の中に魚の群れがすんでいるのです。  この魚を神様が創造されたとき、澄んだ水に放してあげたでしょうか、濁った水に放してあげたでしょうか?。濁った水に放してあげたと思う人、手を挙げてください。その手を切ってしまいなさい。(笑い)そのように考える頭を切ってしまいなさい。そのように考える人は、一人もいないということです。  神聖で、とても美しい万物を神様が精誠を尽くしてつくられ、澄みきった泉の中に放ちたいと思われたものが、どうしてこのように濁った水で暮らしているのですか? 「地獄に行く人間たちがわたしたちを残さずに捕まえてしまい、価値も分かってくれず、怨讐に捕まえられて食べられるのよりももっと人間たちが恐ろしく、絶滅させようとするので、ここに来て隠れているのです」と言うのです。その答えは、正しいですか、正しくありませんか?  「おまえたち。真の父母は、この濁った水を澄んだ水にして、ここですんでいる魚がすべて絶滅しないように、澄んだ水、泉のような水であらゆる種類のものを育てて分配し、神様が理想としていた原初的な愛の解放された魚にしたい」と言うのが先生なのです。そのような心で、このアンデス山脈の谷間から流れてくるアマゾン川やパラグアイ川の水をきれいにして、全体を解放して魚が澄んだ水の中にすむことができるようにするのです。  そのような魚のように、行く道が分からずに地獄の天地に暮らす人間たちを解放するために、汚れた水を澄んだ水にして解放の王子となり、そのために人類が動員されてそのことを成せば、人類は自動的に解放され、明るい天国に入っていくのです。アーメン (「アーメン」)  それゆえに、海を愛する文総裁になったのです。文総裁は滅びなければならない 「ノーメン」ですか、「アーメン」ですか? (「ノーメンです」)。「ノーメン」は「NO」でもよく、「KNOW」でもよいのです。どちらでもよいのです。  それでは、文総裁に従っていきますか、従いませんか? (「従っていきます」)。それでは、パンタナールの濁った水を飲みなさい。アメリカは今から、濁った水を飲みなさい。おいしい泉の水よりもさらにおいしく、湧き水でも何でも、ろ過器を……。長雨になって、豚のふん、何かのふんと、ふんの天国のように、ふんが混ざったものを薬であると思い、「おいしい」と言って飲めば、薬の中の薬になるのです。  信じて飲めば、病気が治るかもしれないでしょう。濁った水を飲み、濁水の中で体を洗い、魚以上に汚い水の天地で暮らしたとしても愛することのできる、主人の代わりになろうという人がいれば、文先生がそのようになろうと言えば、それを歓迎できる人はどのくらいいますか?。歓迎できるという人は、永遠に生きることができます。  では、「文総裁がしようと言うとおりに、パンタナールの水辺を湧き水のような澄んだ水にして、神様が澄んだ水にすむように魚を創造されたように、魚たちが神様の原初的な基準において解放的で統一的な群れとなるよう、神様の代わりに再創造の王になろう。アーメン」と言うことのできる人は手を挙げてみましょう。わわわ、わわわ、先生がするとおりに従っていきますか、従っていきませんか?  さあ、海を愛しましょう。澄んだ海だけを愛する人、そのような人が、サタン世界を料理することができるでしょうか?。良い面が澄んだ水で、悪い面が濁った水とするならば、濁った水を嫌う統一教会の群れが、明るい世界をつくることができるでしょうか?。できますか、できませんか? (「できません」)  絶対にできます。(「できません」)。唯一的にできます。(「できません」)。不変的にできます。(「できません」)。永遠にできます。(「できません」)。神様の属性は絶対、唯一、不変、永遠です。  雨が降る日には、そこにどれほど……。泥と水でひどい状態ではないですか。一度滑れば、氷の路面よりひどいのです。足をこのようにしたとしても、地は粘土になって、いくつもの手錠をがちゃっとかけられたように自由に動けなくなります。じっとしていても、いくらでも滑っていってしまいます。  さあ、そのような統一教会の教会員を見れば、すべて……。統一教会の女性たちは、楽に暮らそうとして足が偏平足だと思います。偏平足では軍隊に入ることもできません。姜賢實シルさんは偏平足になりましたか、土踏まずがある足になりましたか?。ソ連に行ってきて、凍った路面を最頂上から平地まで押し出されてしまうのですか?  今回、百六十匹を釣りにいって、「ああ、わたしには死んでもできない」と報告していましたね。氷の世界でいつ女王になることができるのですか?。水を貯蔵することができてこそ、氷も溶けずに万年雪が残るのでしょう。  水が嫌いな人、手を挙げてください。水が嫌いな人、手を挙げてください。それでは、水が好きな人、手を挙げてください。知っていることは知っているのですね。(笑い)  「水が嫌いな人、手を挙げなさい」と言ったときには、悪口を言っても黙っていましたが、それでは水をどのくらい好きなのですか?。水が好きだというのならば、どのような水が好きなのかということが問題になります。  澄んだ水が好きですか、ふんの混ざったような水が好きですか?。水はすべて好きなのですか?。澄んだ水が好きですか、汚水が好きですか?。好きだといっても、いくつもの系統があるのです。三百六十度があるということを知らなければなりません。  それでは、先生が好きですか? (「はい」)。本当ですか? (「はい」)。皆さんは方向性が分かっていません。自分を中心として、自分の基準に合うものだけを好んでいます。先生が好むものをすべて好むのですか?。地獄までも天国にしようとしている先生を好きだというのですか?  「パンタナールに来なさい」と言っても、来る人は一人もいません。今回も、グロスターで海洋事業を始めました。四十年前、四十三年前です。そのようにしたので、その結末をつけるためにです。このニューヨークなど、魚がどのように暮らしているのかすべて調査したところです。  ヘーソン港、ニューヨーク港、ロングアイランド・サウンドなどで、海洋事業の出動を中心としてここにいる魚から大洋に広がっていく魚までをわたしが捕まえ、それを中心として神様の前に祭事をささげ、海洋の勝利の王子となって帰ってきて最後を締めくくってあげたのです。今回、帰ってきてそのことをしました。他の人がついてくるので、昔は眠らずに明け方二時にグロスターに出発しました。  そこで準備をしようとすれば、一時間以上かかります。準備に一時間かかるので、五時に行こうとすれば四時から準備をしなければならず、一時間半前に準備しなければならないときもあります。運動をして、祈祷もしなければならないでしょう?  ですから、家で一緒に暮らす人の中でわたしを好む人は一人もいません。「ああ、いつまであのようにするのだろう?。早くやめればよい。続けようとするなら病気にかかればよい」と考える者たちがでてくるのです。


先祖解怨祝福式


王様は、歴史上、性的人身売買や小児性愛の対象となったすべての人々に対する特別な先祖解怨式を執り行います。

その結果によって、これらの魂は霊界において、混乱し、暗く、困難な状況に陥っていることがよくあります。

ですから、これらの魂が解怨され祝福を受けることが出来るよう、今後 4 日間、祈祷を捧げてください。


https://rumble.com/embed/v2sdlne/?pub=bf789

_________________________

2023年6月17日土曜日

真の愛の世界(3) 霊人体の成長 講話:S講師 2023年 6月18日

*********************************


人気のS講師の講義です。今回は真の愛、霊人体の成長についてです。

神様との関係、イエス様との関係、お父様との関係を何よりも求めた者の霊人体の成長の著しさは言うまでも無いのですが、愛は実践してこそという観点で霊人体の成長について講義していただきました。。


S講師はブログ現在 過去 未来でも発信しておられます。


真の愛の世界(3)

霊人体の成長

講話:S講師

真の愛の世界(3)霊人体の成長



2ヵ月ほど『三代王権復帰摂理』と題して、

三代王・文信俊様の聖婚式を記念して、

三代王権を中心とした復帰摂理について解説をさせていただきましたが、

今回は久しぶりに真の愛の世界についての講義をさせていただきました。

今回の講義は霊人体の成長から見た真の愛の完成についてです。


人間は霊人体と肉身からなっていますが、

霊人体は、肉身を通してしか成長することはできません。

つまり人間は生きている時にしか、

霊人体を成長させることはできないということです。

生きている時に自らの肉体を使って善行を行うことで霊人体は善化成長し、

悪行を行えば悪化成長するようになっているのです。

そして肉身を脱いだ後に行く永遠の世界・霊界は、

自らの霊人体が善化成長しているか、

悪化成長しているかによって決まるのであり、

霊界における永遠の第二の人生を決めるのが、

肉身生活だということなのです。


人間は生まれた時から秩序的三段階を経て三対象の愛を体恤し、

神の愛に最も近い父母の愛を体恤するようになっています。

こうして人生を通じてどれだけ神の愛に近い

真の愛を体恤することができたかによって、

行くべき霊界が決まるのです。

つまりどんなに原理を知っていたとしても、

愛を実践しなければ霊人体は成長しませんし、

いくら生活費を削って献金したとしても、

真の愛を育むことが出来なければ、

天国には行くことはできないのです。


何故かと言えば、

天国とはどこか遠くにある特別な世界などではなく、

真の愛を体恤した人が自然と作り出す世界だからです。

つまり真の愛を体恤した人がいるその場こそが天国になるのです。

誰に対しても自然と愛おしさを感じ、

誰に対しても何でも与えたい自分となっていれば、

自分の周りには自然と人が集まり、

愛の授受作用が始まり、

どこにいたとしてもさながら天国のような世界となるのです。


そんな自分になるためには、

肉体を持って生活している地上生活の期間中に、

誰も憎むことなく、

誰も嫌うことなく、

どんな人でも愛せる自分になっているかが問われるのです。


天国に行くために、

今はどんなに辛くても歯を食いしばって辛抱している人は、

霊界に行っても辛抱の毎日が待っているだけであり、

今の一瞬一瞬を楽しみ、

喜びに満ちた毎日を送っている人は、

霊界に行っても同じような喜びの毎日が待っているのです。

家族を幸せにし、

毎日を楽しみしあわせな生活をしている人こそが、

天国に入れる、天国を造れる人なのです。

2023年 6月18日 S講師