2023年1月15日日曜日

教父継承キリスト血統王権◆ 2023年1月11日テネシー清平水曜礼拝 <2> 文亨進二代王

教父継承キリスト血統王権

2023年1月11日テネシー清平水曜礼拝

<2>

文亨進二代王


翻訳監修編集:fanclub三原

Sanctuary Church Wednesday Korean Service 01 11 2022


キリストのルール、キリストの裁定権

37:28~58:19 翻訳 clean 


お父様の後継者は、私が私を選択しませんでした。お父様が選択されたではないですか。

私が私を任命しませんでした。キリストが任命したではないですか。キリストを信じるならキリストが任命した人を信じなければいけないでしょう。

その人に解釈権があります。その家庭から、その王家から出たではないですか。

その上、その家庭の全ての子女の中でも、この息子がお父様の代表息子だと任命されたではないですか。

私が私の頭の上に任命しませんでした。

そう?そうじゃない?


だから初期キリスト教も同じことです。み言自体がないから、キリストの使徒たちは後継権、それは主教、ビショップたち。主教たち。

一般の信徒より主教の言葉を聞いてこそ、その伝統が何の事か理解します。天主教も正教会(ギリシャ正教)も同じです。

なぜ?主教たちは使徒達に後継権を持っているから。

その言葉は全ての主教たちが正しい事を言うということではないではないですか。その言葉は全ての主教の言う事が100%正しいわけではありませんが、主教の言葉の中で伝統と比較しながら、伝統派が正しい時は、その主教は正しい事を言っているのであって、その伝統から落ちて行くなら、その主教も背教者になり得ます。


それなので、成約時代で、2代王もキングルール(王の裁定)があります。命令権?私が色々問題を決定しなければなりません。判決ですか?

それはどうしますか?私の思いのままではなく、まずお父様の御言から出たものか、その次にお父様の行動から出たのか、私が知る私の父、全ての内容を合わせて祈祷しながら、その内容の判決が出るではないですか。

何故なら、私はただの使徒ではありません。私が息子です。しかも任命された息子。でしょう?

だから、その多くの伝統を見ながら、判決を下すのです。

私がただ思った通りに判決を下すのではありません。私の思いどおりじゃない。

お父様の代身者として、お父様はどんな決定をされるのか、この様に出るではないですか。


信俊(シンジュン)も同じです。次回に信俊が一人で勝手にしてはならず、まず指導権にこの問題について探して見よう、お父様の御言を見てみようと言って、この問題に対して読んで、父より祖父の方がもっと尊いですが、父や祖父が話された内容を見ながら、判決しなければなりません。


何の事かわかりますね。それは伝統を見なければいけないという事です。

御言だけではいけません。御言と伝統。そうでしょう?

これは、初期キリスト教は皆そうでした。

ソラ・スクリプトゥラ (Sola scriptura 聖書のみ)は、1500年後に正教会と天主教(カトリック)、ローマ教は完全に不正腐敗に陥って、神様はキリスト教(プロテスタント)を使われました。

何故?キリスト教、プロテスタントは全てを完遂する宗教だからというのではなく、その分立として、メシヤの基盤を立てました。メシヤが来ることができる基盤。


その次にメシヤが来られる時に、メシヤに従う基盤を立てられました。

しかしメシヤが来られたのに、メシヤが残されたのは何ですか。御言だけではありません。

後継権を残され血統を残され、王権を残され、使徒権を残され、御言も残され、八大教本も残され、等々、三大王権も残され、儀式、祝福式、聖日も儀式ではないですか。こういう事を全て残して下さいました。

こういう事全てが伝統です。これは御言だけではない。伝統。

ですから天一国国歌の場合は、歌ではないですか。お父様が定められた歌です。天一国の歌。国歌。


真の天一国国歌、偽りの天一国国歌


韓鶴子バビロン異端まみれは何をしましたか。それに対して異端視するやいなや、お父様の国歌を変更したではないですか。全ての人に異端の国歌を歌わせました。

その歌は御言ではありません。歌です。

しかしその歌は、私たちの伝統の一部分です。お父様がキリストとして、選択された天一国国歌。

日本と韓国の国歌もありますね。それを勝手に変える事が出来るか?

勝手に変えたらどうなる?監獄に行くだろう。銃のあるおじさんが直ぐ来るだろう。(笑)テログループだと言って。そうでしょう?


日本の国歌を簡単に変える事が出来るか? それは簡単な問題じゃない!それはとてつもない問題だ。

何故?その国を建てた王が、選択した性格の歌。この歌は私の王国を代表すると定められたのだ。

二代王が定めませんでした。そうですか、そうじゃないですか?

私が定めなかった。でしょう?キリストが定められた。私がキリストの後継者、代身者です。

私の仕事は何ですか?これを保護する事です。

そうでしょう?それが責任です。

だから韓鶴子バビロン淫婦異端の天一国国歌、偽天一国国歌、別の国の国歌を歌わないだろう。

これ理解するでしょう。

私の国を滅亡させようとする別の国の歌を歌わないだろう。そう?そうじゃない?

皆歌ったではないか、それなのに。

唯一お父様の後継権と監察総監、カインとアベルだけが歌いませんでした。

お父様が立てようとされた王国、私の国を排除、滅亡させようとする奴らの国歌を歌うのか。

それはとてつもない事件だ。


それ考えてみなさい。韓国、日本の立場を。日本が韓国を侵略する時、韓国人の中で、日本の国歌を歌う奴は死ねと言った。そうじゃないですか?

その罪を犯したではないか!そういう事だ。

お父様の立てられた...完全に異端野郎が全て止めても御言自体、これを止める事が出来ませんでした。

何故なら御言が有るからです。ある一部分では生きていても、私たちの後継権がそれを反対したから、生き残りました。

お父様の立てられた後継権が、その歌を歌わなかったから。


そしてお父様がカインとアベルを立てられたではないですか。

そのカインとアベルが、その歌を歌わなかったから、今天一国が保護されたではないですか。

ですから御言だけでは駄目です。後継権、生きたお父様の血筋であるので、それに、天から来た任命まであるので、その責任を果たさなければいけません。

もしも倒れてしまっていたらと考えて見て下さい。

御言自体では出来ないではないですか。 だからお父様の全ての中で一番重要なのが何か。血統。血統。


キリストの使徒継承、教父継承は一人だけ


だから、お父様の息子娘は沢山いますが、その息子娘の中で、使徒権(使徒継承)のある息子は一人しかいません。

お父様の代身者として、お父様を次の世代に代表する代身者権は一人しかいません。

息子娘は多いですが、一つのラインから一人だけ、使徒権(使徒継承)と代身者権(教父継承)が出ます。

これはキリスト教の歴史上で、パトレスティックリンケージ(Patristics Linkage=patristic heritage 教父継承)と言う。パトレ(Patri)は何か?父の権(教父継承)という意味です。

だから使徒権(使徒継承)もあり、パトレスティックリンケージ(Patristics Linkage=patristic heritage )は何かと言うと、父権(教父継承)。だから正教会に行けば主教、神父たちをアボジ(父)と言いますね。神父はお父さん、神様お父さんという意味です。そうですか?違いますか?


だから二つあります。使徒権(使徒継承)とアボジ権、父権(教父継承)。お父様もこれを立てられました。代身者権と使徒権は後継権の中に含まれます。後継者、相続者、代身者。

同じ瞬間に、私はただお父様を信じる者ではないです。私がお父様の血です。血。

お父様の精子が私にあります。だからお父様の血であり、また後継権、使徒権、後継者、相続者、代身者権が含まれています。

お父様の息子娘は沢山いても、その代身者権、後継者権、相続者権は別です。一人の息子にだけ行きます。

その息子を通して、お父様の解釈権がその息子の中にあります。

理解できますね?


これが何故重要なのか。これは初期キリスト教と全く同じです。勿論血統はありませんが。

プロテスタントでその牧師が嫌いなら、勝手に自分の教会をショッピングモールの中に作ったらいいではないですか。(笑)

その人の事が嫌なら、思う通りの所に行く事が出来ます。

天主教(カトリック)では絶対にそれは出来ません。絶対にダメです。なぜ?使徒権と後継権があるから。

そうでしょう? 違いますか?


キリストの血統王権


私たちの聖殿では、お父様の後継者は、許諾しました。食口達が別のグループを立てる事が出来ますが、私たちは一つの体です。

何故なら、お父様、文鮮明総裁が、真のお父様がメシヤ、再臨のキリスト、地上の神様の本体。でしょう?

その次に文亨進、文信俊はお父様の三代王権である。これを信じなければなりません。

お父様の御言だけをもってただ信じるのではなく、お父様の後継権まで、前で誓わなければならないではないですか。

そうしてこそ、自分は聖殿教だと言えるでしょう。

人々の性格が違うので、グループは違いますが、しかし一つの信仰です。お父様はメシヤ、また文亨進は、お父様の選択された後継者。文信俊はお父様の選択された後継者。そうでしょう?

だからこれは後継権の中にあり、御言が一番中心ではないではないですか。血統と後継権が連結されて、その次に御言の部署に入っています。

理解できますね。

生きたお父様の後継権に解釈権があります。お父様の御言に対して。別の人はありません。


何故? 私の父だったから!私たちはその王家から誕生したから。それに王家の沢山の子供達の中から、私たちはお父様の任命を受けたから。

だから、これは初期キリスト教の御言と比較してみると、使徒権(使徒継承)と父権(教父継承)です。パトレスティックリンケージ(Patristics Linkage=patristic heritage 教父継承)、パトレはアッパ、父という意味です。

これは不思議でしょう? 


だから原理の立場では、生きたキリスト教は国のパワーに余りにも連結していて、不正腐敗に陥ります。正教会と天主教(カトリック)も同じ様に。

しかし、神様はキリスト教を立てられました。

キリスト教を立てられメシヤの基盤になる様に。キリスト教自体が完成した宗教ではありません。メシヤを準備、予備して、その後にメシヤが来られる。

キリスト教はメシヤに仕えながら、神様の王国を建てなければいけません。しかしメシヤが来られたのに、何の伝統を残されたか。キリスト教に似た伝統を残されませんでした。

何を残されましたか。御言はもちろん、儀式をたくさん残されました。

その次に旧約聖書の様に、初期キリスト教の様に、使徒権(使徒継承)と解釈権、アボジ権、父権(教父継承)を残されました。

もっと重要なのは、血統と王権まで立てられたということです。


この多くの内容を一緒に見てこそ、私がお父様に従っているのか、確信する事が出来ます。

ただ御言だけ見れば、悪い奴らが御言を反対に解釈するではないか。韓鶴子バビロン淫婦はお父様をフェミにした。フェミニストに。

バン・キムン(潘基文)、共産主義の奴が主張するフェミ。オーマイガー!正反対だ!

お父様はフェミに死ねと言った。共産主義の奴らは地獄に行くと言われました。 そうでしょう?完全に反対。


それをどのように知る事が出来るか?お父様の後継権を見ると、それを知る事が出来ます。

若い者たちが強く訓練をする文化がどこにある?御言に少しあるが、見えないではないか。どうなるか見る事が出来ません。

しかし、三代王権に仕える様になると、若い者たちを強く訓練するのが、すぐ見えるではないか。

武道から、自然訓練、難しい事をお父様がされるワニとか蛇のアマゾンジャングル、こういうのが全て出てくる。サバイバル訓練、農作等々。その次に結婚の準備、子供の教育、こういう伝統もどこから出てくる?


お父様が願われた、もちろん蕩減の時代だった為、1世の方たちは犠牲になられたでしょう。その時に、家庭に集中出来なかったでしょう?しかし、天一国安着時代からお父様が開いて下さいました。

だから若い者たち、その命令に従って、しっかりした固い祝福の夫婦と固い父子関係、ところで、お父様を中心とした、お父様が立てられた三代王権と一つになった家庭です。

ただ一人で快楽を追求し家族で中心を楽しむのではなく、お父様の伝統と後継権と一緒に動く天一国を建設する祝福家庭になるではないですか。

違うではないですか。


キリスト教(プロテスタント)の様に、誰でも聖書を持って、酒に酔ったおじさんが聖書をこうだとキリスト教は言う事が出来るでしょう?

しかし、それは天主教(カトリック)、正教会では絶対にダメです。そうでしょう?

なぜ?正教会(ギリシャ正教)と天主教(カトリック)は何がある?使徒権とアボジ権があるから。自分たちがそう言うでしょう。(笑)

ソラ・スクリプトゥラ (Sola scriptura 聖書のみ)ではありません。伝統も見なければなりません。そういう原則です。

主に仕える時、御言だけでは駄目で、私たちが御言を間違って解釈する事もあるから。

ここにも出てきますね。テサロニケ第二の手紙に、嘘をつく者、不法の者が出てきます。

信徒たちを違って引導する不法の者と出てきますね。こういう人を注意しろと、常に出てきますね、使徒行伝に。

そうじゃないですか?

なぜ?御言を反対に解釈したから。理解しますね?

これは面白いでしょう?

歴史の勉強すると。わあ~


キリスト王権、三大王権の儀式の意味

58:19~1:07:44 翻訳 cham

初期のキリスト教とお父様が立てられた成約時代がどれほど似ているか。

しかし、初期のキリスト教は何がなかったか。血筋がなかったのだ、血筋。はぁー、血筋がなかったのだ、血筋。王権がなかったということです。

ですからお父様が神様王権即位式をされたではないですか。2001年にされたではないですか。それはどんなに重要な部分ですか。


儀式にも私達が、神の日、今すぐに神の日ではないですか?来週ですか?次の次、来来週。神の日にお父様の後継権が、三大王権が、お父様の王服を持って入る時、それはただ服が宝座にあるのではなく、お父様自体、霊的な自体がここにお座りになっていらっしゃるのです。実際の神様、本体の神様のご存在。ここにいらっしゃるということです。


初期キリスト教の血と肉の儀式をする時に、これはただ、菓子とパンとぶどう酒を飲食するのではありません。自分達が信じているものは何ですか。血と肉の儀式をする時、神様の神性が籠っているというのです。ですから体と心、そして霊魂。霊魂と聖神が籠っているというのです。

だからパンとぶどう酒を飲食する時に、ただパンとぶどう酒を飲食するのではありません。神様の体と聖神を食べるのです。

それが故に、私達は救いを受けることができ、死んだ体が生きることができるのです。何故?神様の聖体を食べるから。受けるから。


同じように、私達の祝福式にも聖酒式があります。死んだ者が生き返るということです。何故?父の血と肉を食べるということなのです、これは。

イエス様の命じ、ヨハネの福音書6章で命ぜられたように。お父様とイエス様は一つだ、分離されていません。キリスト教(プロテスタント)は血と肉の儀式を捨てたが、お父様は捨てませんでした。

不思議でしょう?これは。だからこのような内容も知らなければ、あー、私達が神の日、万物の日をする時に、ただ儀式をして、ただ、あー、読んで、このようなことではなく、主様、神様がここにいらっしゃること、その王服にお父様がその王服の上にお座りになっていらっしゃる、これを知らなければいけないだろ。

次にお父様の生きている後継権、2代王、3代王まで。お母様もいらっしゃり、次に王妃、等々。

生きている、生きている後継権がいる、いるではないですか。血筋、王権、生きている、地上に生きているメシアの後継権。


この伝統の全体を見てこそ、メシアが何のみ言を話されていらっしゃるのか分かるということです。


御言だけ追求すれば異端教になる


み言自体だけ見れば自分が異端、サタンの解析をするようになるではないですか?韓鶴子バビロン淫婦のように。(笑)いや、どうしてお父様をフェミニストにしてしまうのか?!Oh my gash. それ、一番に異端の中の異端。

どんなに女性を叱ったのか、これ。女性達は継続して堕落したエバの文化に従って行くからだ。どんなにたくさん女性達を叱ったことか。女性達はパワーが好きだから、パワー。お金とパワー。ハッ、ハハ。


だから、お父様の後継権がなかったら、誰が女性を叱るのか?ハハハ。生きているお父様の後継権と王権が女性を叱らなかったではないですか。それではどうなりますか。女性達は高慢になり、パワーとお金だけ追求し、悪い文化が生じます。

そして夫達も皆、離婚し逃げて行き。ハハハ。


だからアボジ権(父権)が重要なのだ。2代王は女性達が嫌いだから叱るのではなく、事実、お父様が「女性を嫌いになれば、女性達の本能に気を付けなければならない。」とおっしゃられたのです。パワーとお金を追求する本能。


男性も勿論、sex、女性、女性のお尻を追求する問題。ハハハ。これは男性達が叱られるだろ?だが、一般のキリスト教も男性をたくさん叱ります、今、現代時代。

ところが女性を叱らない。だから女性、すべての教会がだんだん女性化されるではないですか。女性達の本能、悪い、悪い、悪い本能、お金とパワーを追求する欲心を指摘しないから。


だが私達は指摘するではないですか。何故?お父様の伝統だから。事実、娘達もそれを聞いてこそ、良い娘になるではないですか。ハハハ。

韓鶴子バビロン淫婦のように、継続してそのような言葉を聞かないで、隠してTVだけ観て、ん?お金あげる。このようにすれば堕落した娘達のようになるではないですか。お父様が愛する娘達になならないではないですか。


何故、私達はお父様を愛するのか?男性達も、私達も叱られて、女性達も叱られて、ふたつとも叱られる。何故?私達も罪があるから。

それでこそ教会の性格がアボジを中心とする教会の性格が現れます。男性達が女性化する教会ではなく。家庭詐欺連合は今、何?男性が女性化しているでしょう、今。ベータ教会。合ってますか?合っていませんか?


唯一、お父様の後継権だけ、男性を王と祭司長、怖ろしい、しかし、善なる、怖ろしいが善なる、家庭を導くことができる王と祭司長。それを作っているではないか。


そしてその文化で女性達はただ、いつも、ただ、家にいて、ただいるのでなく、私達の女性達も強く訓練するではないか。鉄杖王妃に作る。お父様が喜ばれるように、将軍達、女将軍達。

その言葉は自分の夫を主管したらいけないだろ!ところで難しいこともする術を知らなければならないだろ。え?怖ろしいことをする術を知らなければならないだろ。そうしてこそ、悪い奴ら、悪い奴ら、悪い女達にならないだろ。


だから、私達のイモ(伯母さん)は継続して若い女性達と酷く熱心に戦うから、継続して膝が抜けます。

私も40代になったから、継続して肩が抜けます。

このように(腕を下げられる。)すると、肩がサッと外れて、痛みがヂュワーッと。アイゴー、完全におじいさんの体。もう、40代中盤になるから。膝も肩も抜け。アイゴー、お前達、分からないだろ、これを。20代だから、これを、2代王はお前達の年、20代でこのようになると信じなかった。選手のように、いつも訓練して。ハハ。・・・体が壊れる、だんだんと。

 

2023年1月14日土曜日

再臨主の使徒継承権と後継者権◆2023年1月11日テネシー清平水曜礼拝 <1> 文亨進二代王

再臨主の使徒継承権と後継者権

2023年1月11日テネシー清平水曜礼拝

<1>

文亨進二代王


翻訳監修編集:fanclub三原


Sanctuary Church Wednesday Korean Service 01 11 2022


7:04~37:28 翻訳minion


ソラ・スクリプトゥラ聖書だけ、御言だけは詐欺


今日は、・・・韓国語礼拝、英語礼拝は、韓国語礼拝は11時に動かさなければならないようです。11時と勘違いしました。 同じ時間に統一しなければならないようです。11時にしなければならないね。


とにかく、今日は何ですか?テサロニケ人への第二の手紙2章


わあ!何かたくさん持ってこられましたね。迷彩服のジャンバーもありますね。それで子供達は皆持って行けるのか?後で持って行くことができるのか? OK


では、テサロニケ人への第二の手紙2章


この部分は、王妃が日曜日に通訳しましたね。しかし難しかったそうです。色々な神学的内容を説明するので、ですから今日は少しずつしながら、これを見てみましょう。


テサロニケ人への第二の手紙2章です。1節から読みます。


2:1さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの来臨と、わたしたちがみもとに集められることとについて、あなたがたにお願いすることがある。

2:2霊により、あるいは言葉により、あるいはわたしたちから出たという手紙によって、主の日はすでにきたとふれまわる者があっても、すぐさま心を動かされたり、あわてたりしてはいけない。

2:3だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。

2:4彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。

2:5わたしがまだあなたがたの所にいた時、これらの事をくり返して言ったのを思い出さないのか。

2:6そして、あなたがたが知っているとおり、彼が自分に定められた時になってから現れるように、いま彼を阻止しているものがある。

2:7不法の秘密の力が、すでに働いているのである。ただそれは、いま阻止している者が取り除かれる時までのことである。

2:8その時になると、不法の者が現れる。この者を、主イエスは口の息をもって殺し、来臨の輝きによって滅ぼすであろう。

2:9不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、

2:10また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。

2:11そこで神は、彼らが偽りを信じるように、迷わす力を送り、

2:12こうして、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、さばくのである。

2:13しかし、主に愛されている兄弟たちよ。わたしたちはいつもあなたがたのことを、神に感謝せずにはおられない。それは、神があなたがたを初めから選んで、御霊によるきよめと、真理に対する信仰とによって、救を得させようとし、

2:14そのために、わたしたちの福音によりあなたがたを召して、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせて下さるからである。

2:15そこで、兄弟たちよ。堅く立って、わたしたちの言葉や手紙で教えられた言伝えを、しっかりと守り続けなさい。

2:16どうか、わたしたちの主イエス・キリストご自身と、わたしたちを愛し、恵みをもって永遠の慰めと確かな望みとを賜わるわたしたちの父なる神とが、

2:17あなたがたの心を励まし、あなたがたを強めて、すべての良いわざを行い、正しい言葉を語る者として下さるように。

アジュ


さあ、15節を見てください。

2:15そこで、兄弟たちよ。堅く立って、わたしたちの言葉や手紙で教えられた言伝えを、しっかりと守り続けなさい。


わたしたちの言葉や手紙、そうですね。手紙で出てきて、言葉で出てくるではないですか。使徒パウロのような場合は、エペソで3年間牧師をしましたね。しかしその全ての説教と内容は、手紙で残されていませんね。


しかしここでは、聖書にこのように出てきますね。聖書の手紙、文字だけではなく使徒たちが話した言葉まで、これは重要です。なぜならば、キリスト教の根は何ですか?キリスト教のルター、カルヴァン、この人たちの根は何ですか? 


ソラ・スクリプトゥラ (Sola scriptura 聖書のみ)、

ソラ・フィデ (Sola fide 信仰のみ)、

ソラ・グラティア (Sola gratia 恵みのみ)、


ソラ・スクリプトゥラ (Sola scriptura 聖書のみ)とは、聖書だけが、ただ唯一聖書という意味です。ただひたすら聖書。

ソラ・フィデ (Sola fide 信仰のみ)は、ただひたすら信仰。

ソラ・グラティア (Sola gratia 恵みのみ)は恩恵、ただひたすら恩恵。


しかし何かといえば、この部分が何かといえば、 ソラ・スクリプトゥラ (Sola scriptura 聖書のみ)全てのプロテスタントの派がありますね。長老教、プロテスタント、バプテスト教、などなど。全てこの根っことなる柱があります。

ソラ・スクリプトゥラ (Sola scriptura 聖書のみ)は、 ひたすら聖書という意味ですね。だから、ひたすらに御言という意味ですね。


しかし不思議なことなのです。聖書は約700年間ありませんでした。聖書自体がなかったということなのです。 だから700年の間、全ての多くのキリスト教、数百万名のクリスチャンたちがいたのですが、さらに、聖書を作ったクリスチャンたちもいたのに、聖書は、66冊が合わさったではないですか。 それを作った人たちも聖書はなかったではないですか。 ありませんでした。スクリプトゥラ (scriptura 聖書)が なかったのです。ひとつの聖書としては。 そうですね?


さらに全ての初期のキリスト教、最も重要な父たちと言いますね、父たち。キリスト教の父達。 教会の父たち。そうですね?オリゲネスユスティノス、エロン、イグナティオスエイレナイオス 、バジル、とにかくこのような多くのキリスト教の教父たちがいるのですが、この多くのキリスト教の父たちは、聖書がなかったのです。 聖書がなかったということなのです。


イエス様が復活された後にも聖書自体がなかったのです。 だから使徒たちも、使徒たち自身にも聖書がなかったではないですか。


だからキリスト教の問題は何か?ソラ・スクリプトゥラ (Sola scriptura 聖書のみ)「私たちは使徒たちの言葉だけを聞く。」その後は、「私たちは誰の言うことも聞かない。」このように言うのです。 使徒達にも聖書がなかったという事なのです。 


これはキリスト教の柱、中心の柱の根っこを完全に崩す事実、歴史的事実です。

だから全てのことは、御言と、・・・キリスト教の立場において、全てのこと、イエス様を知りたければ、御言だけで知ることができません。


どうして?御言自体が、聖書自体がなかったということだからです。どういう意味か分かりますね?


だからイエス様を知りたければ、テサロニケ人への第二の手紙で見たように、全ての、・・・手紙と言いますね。それは御言ですね。使徒パウロが話す手紙が聖書の中に入っているではないですか。


しかし全ての言葉、全ての言葉は入っていませんね。パウロは3年間エペソにいて、新しい人たちを訓練させて、3年間いたのにその言葉が無いではないですか聖書には。そうですね?その言葉がないというのです。


 だからそれはどういうことですか?イエス様を知りたければ、ただ聖書で言えば、ひたすら聖書で言えば、それではその意味は初期キリスト教の父たちまで、聖書を作った父たちまで、イエス様を知らなかったということです。 聖書を作った人たちまで。どういう意味か分かりますね?


だから、カンセルオブニシア(Council of Nicaea ニケーア公会議)がありましたね。325年に。ニシア(Nicaea ニケーア)に全ての主教達が集まって、そこで信仰的な部分を整理したではないですか。それは聖書ではありません。それは神学的な部分です。使徒の経典。


しかし、 7回目の集まりで、その時から聖書自体が徐々に集まるようになりました。今私たちは キングジェームス(King James)、 ジェームス王の聖書、キリスト教はそれをよく使いますね。 それはいつですか?1611年に発表されたではないですか。しかしその前、1611年に出てきた内容は何か?キングジェームズ王の聖書とは違います。正典から除外された文書がありました。


それはどういう意味かというと、様々な他の経典があります。古代キリスト教の経典が。外典と言いますね。キリスト教で。

しかしその様々な経典、バロック経典、ジュデス経典、マカバイ経典1、2、3、4がありますね。正教会では3、4があって、カトリックでは1、2です。どういうことか分かりますね?


だから、ソラ・スクリプトゥラ (Sola scriptura 聖書のみ)だけ言えば、これは実は非歴史的な論争です。非歴史的な論争。 

そしてこれは、非聖書的な内容です。

なぜなら聖書自体が、言うではないですか。文字だけではダメで、私が話した言葉まで全て記憶しなさい。 こうではないですか。そうですね?

さらにイエス様の行いを見なければならないではないですか。 生涯路程も見なければならないではないですか。それは何ですか?これは全て伝統の中にあります。伝統。


だからキリスト教徒たちが言うには、「ソラ・スクリプトゥラ (Sola scriptura 聖書のみ)、聖書だけ見て、私たちは聖書を読んで聖霊が入ってきて私たちに知恵をくださり、全ての聖書を理解することができる。」 これは完全に詐欺だということです。

なぜなら伝統があるという事なのです。 キリスト教の教父たちが、全て同意した思想、キリスト教の父達が全て同意した、解説観、解釈観、解釈すること。そうですね?御言を解釈すること。そうですね?


この部分を理解してこそ、使徒達も理解して、その意味は何ですか?伝統と言う意味がとても重要です。伝統。

伝統の中に何があるか?使徒達の生き方がそこに入っていますね。イエス様の生き方がそこに入っていますね。御言だけでなく、文字に書いたものだけでなく、生き方、行動、どのような行動をされたのかそれも出てきますね。

さらにその伝統の中に何がありますか?儀式。


ヨハネによる福音書の6章に出てくるのは何ですか?ミサ。カトリックではミサと言いますね。ユーカリスト(Eucharist 聖体拝領、キリストによる贖罪礼典)もそうですね。。イエス様の血と肉を食べる儀式。ハハハ。これはどれほど極端な儀式ですか?血と肉を食べる儀式。 

だから、初期にキリスト教を嫌いな人達は「キリスト教徒たちは狂った奴らだ。自分の師範の血と肉を食べている。人肉を食べている。」このように攻撃したのです。


ヨハネによる福音書6章に出てくる儀式、キリスト教がどういう言葉ですか?これを行い私を記憶しなさい。このように言うではないですか。記憶しなさい。

だから、キリスト教徒たちがどのように言うかといえば、これは頭に記憶させれば良いのだ。


しかし、正教会ギリシャ正教)とカトリックはひとつだったではないですか、最初は。分離される前は。正教会とカトリックは一つの教会でした。その一つの教会で2000年間何をしましたか?ずっとその儀式をしたのです。どのような儀式?血と肉を食べること。キリスト教(プロテスタント)だけが、キリスト教(プロテスタント)だけは1500年くらいになって、必要ないと言いました。 プロテスタント。

どういうことか分かりますね?


だからこの、ソラ・スクリプトゥラ (聖書のみ)、キリスト教の根っこ、ソラ・スクリプトゥラ ( 聖書のみ)、これは非宗教的な内容であり、非歴史的な内容です。


なぜならその御言だけでは主を知ることはできません。 

これを見なさい。家庭詐欺連合の奴らは、お父様の御言を変えながら左派の父を作ったではないですか。え?


お父様が残された使徒継承権 


だから宗教を見たら、御言だけではダメで、使徒達、後継者たちを見なければならないと、そう言うではないですか。使徒、後継権を、アポソル・セクセション(apostle succession 使徒継承) と言います。


だから、王妃がこれを理解できませんでした。日曜礼拝を。新しい初めて聞く単語です。 アポソル(apostle)は何ですか?使徒という意味ですね。、アポソル・セクセション(apostle succession 使徒継承) 後継権。


イエス様の使徒も有名だったではないですか。使徒達は他の人たち、パウロ有名だったではないですか。後継権として。この後継権を見てこそ、この方、イエス様から受けた任命を受けた人たちがどのようなことを話したのか、イエス様がどのような人なのか知ることができるではないですか。

どうして?この方たちが、任命を受けた人たちが、後継権を持っている人たちだから。そうですね?


だから、主を知りたければ、ソラ・スクリプトゥラ (聖書のみ)、御言だけでは駄目です。その後継権をみなければなりません。後継権!


さあ、成約時代を見てみましょう。お父様はただ御言だけを残されましたか?お父様はただ御言だけを残されたのではありません。 お父様は何を残されましたか?血統、後継権。王権、後継権。


なぜなら、御言だけあるならこいつらは、多くの人達は自分が中心になります。自分が新しいキリストになります。お父様がキリストだということを利用しながら自分がキリストになります。


いや、しかし、お父様はキリストだと信じるなら、お父様が任命された息子を信じなければなりません。そうですね?イエス様を信じるならイエス様の後継者を信じなければなりません。 選択されたのなら。そうですね?


それを信じなければ、イエス様を信じないということではないですか。同じことです。 初期キリスト教と初期成約時代は同じことです。同じ。


だから、初期キリスト教を見れば、プロテスタントはよく分かりませんね。初期キリスト教は、御言まだ合わされていません。まだ聖書はないということです。

しかし、イエス様の後継権はあります。使徒後継権。だからそれを、アポソル・セクセション(apostle succession 使徒継承)と言いますね。


旧約時代において、神様の十二支派の中で、レビ支派は後継権を受けましたね。特に祭司長の後継権。神様から。それは何ですか?血筋に繋がっています。旧約聖書において血筋に繋がっています。レビ支派のように。


新約時代において、イエス様は直接的に血統がないので、使徒後継権をしましたね。そうですね?

だから、旧約聖書は血筋の祭司長の後継権。新約聖書では使徒後継権があって、次に800年前に聖書もあって。


しかし成約時代は何ですか?血筋と使徒権が合わさっています。旧約と新約が合わさっています。 完成されています、成約時代は。どこで?三大王権の中に。血筋、 王権、祭司長権、使徒権。全て繋がっています。


だから御言だけを見たら、お父様を左派のお父様に作ることができます。作っていますね。こいつらは。なぜなら、お父様が直接選択された後継権を否定するから。 


お父様は、私がいなくなった後は、文亨進、文信俊、後継権を立てられたではないですか。お父様の御言とお父様の生涯路程とお父様の人生とお父様の息子として、直接の息子として、さらにお父様の使徒として、その後継権を立てられました。


だからお父様の御言を解析する時、自分がただお父様の御言を読んで、一人で解析するのではなく、その使徒権と後継権を通しながら解釈しなければなりません。なぜなら自分は直接お父様が分からないから。私がその家庭から出てきませんでした。その王家から出てこなかったということだ。その王家の文化を知りません。その王家のお父さんも知りません。その王家のお父さんの説教を知りません。そうですね?


だからこれは同じことです。初期キリスト教も同じです。プロテスタントの人達がいう、ソラ・スクリプトゥラ (Sola scriptura 聖書のみ)聖書だけが、これは実際は非歴史的論争です。

なぜなら、イエス様を知りたければ、御言だけではだめです。なぜなら800年前、キリスト教徒たち自身に御言がなかったではないですか。御言が。使徒権だけがありました。そして、主教達。任命を受けた先生達だけがいたではないですか。御言自体が無かったというのです。


681年、6番目、7番目に主教達が集まっても、そこにも出てきた聖書が、8世紀に出てくるダマスコのヨハネ、カトリックと正教会の聖人ですね。ダマスコのヨハネは。その人にも他の聖書があったというのです。ハハハ。その人にも他の聖書があったということです。それは不思議ですね。


正教会が行った先祖解怨


さらにその正教会が送った聖書を見たら、私が一つ注文しました。見るために。それを見たら何が出てきますか?とても重要なものが出てきます。 キリスト教が抜いたもの。聖書外典に。

正教会とカトリックが使う聖書があるではないですか。 

キリスト教徒たちはこの部分を外典というではないですか。しかし、カトリックと正教会、これはすでに2000年の教会ではないですか。そこに出てくる内容は何ですか?生きている人が死んだ人のために祈る内容が出てきます。


 キリスト教の立場において、これは完全に異端ではないですか。しかしお父様は私たちに何をくださいましたか?先祖解怨式をくださったではないですか。その儀式を。そしてお父様の後継権にその権利があるではないですか、先祖解怨式の。


これはどこを見るのか。正教会の聖書。1番目の聖書です。正教会の聖書に出てきます。これが。わあ!その言葉は何ですか?全てのキリスト教、全てのクリスチャン世界の父たちはすべて先祖解怨式を信じたということです。


そして、8世紀を見たら全ての教会の教父たちは、皆、この方たちはみな、全て、全て、何を信じますか?この方達が何を信じるのかといえば、儀式。血と肉を食べなければならない?信じるだけではだめだ、これを信じました。信じるだけではダメで、血と肉を食べてこそクリスチャンになるのです。救いを受けるのです。わお! 


これは全ての教会、初期の教会の教父たちが全て信じました、これを。さらに何を信じるのか?死んだ人たちに、よく行くように祈ることができることもすべて信じます。初期のキリスト教、初期のクリスチャン教、キリスト教の父たちは全て信じます。同意したのです、皆が。


1500年からだけが、これをプロテスタントとして、これを否定し始めました。しかし1500年間、キリスト教徒達はこのようなことを全てしていたという事なのです。血と肉を食べる儀式、亡くなった人によく行くように解怨の祈祷。


そしてその時、正教会(ギリシャ正教)は最初から、神父たちは結婚しましたね。正教会では今も結婚します、神父達は。ローマカトリックは違うほうに行ったのですが、正教会は未だに多くの伝統がまだあります。1世紀2世紀に似たままに。結婚は皆します。神父達は。


血と肉の儀式を食べてこそ、救いを受けるのです。ただキリスト教のように信じさえしたらしたら救いを受ける。これはローマ書に出てくる、間違った解釈ではないですか。 

だからルターの場合は、ヤコブ書も削除したかったではないですか。どうして? ヤコブ書にどのように出てきますか?行いのない信仰は死んだ信仰である。 このように言いました。だから、ルターはヤコブ書まで削除したかったのです。 否定したのです。


正教会の後継権、お父様の後継権


どうしてこの正教会(ギリシャ正教)で言うことは、ただ御言だけを見てはいけない。後継権までみなければならない。後継権。どうして?後継権の伝統をどのようにして、主を知っている方達がどのようにして文化を創るか、これに従ってこそ、自分の勝手に聖書を読んで、何も知らない状態で読んで、「聖霊が教えてくれた」と、このような詐欺はすることができないと。

主を知ってる人達と任命を受けた人達に受けなければならない。 こういうことですね。いやあ・・・。


初期のキリスト教を見ると、お父様が残された多くの内容をキリスト教のようにではなく、正教会(ギリシャ正教)のようにされました。初期キリスト教のように。私たちに儀式、重要な儀式を残してくださいました。

聖日だけでなく最も重要なことは何ですか?祝福式。祝福式が何ですか?血と肉の儀式ではないですか。

実は統一教徒になるために、ただお父様を信じるだけでなく、祝福まで受けなければならないではないですか。実は。これははるかに初期キリスト教と似ています。不思議ですね?オリジナルのキリスト教と似ています。遥かに。


キリスト教が作った部分はオリジナルとたくさん分離されています。

だから儀式の重要性、ただ御言だけでなく、儀式の重要性。次に後継権の重要性。御言を理解するために、主が選択された後継者たちの言うことを聞いてこそ、これがどのように解釈するのか知ることができます。


主が神様であるならば、主に合う後継権を立てられたということです。そうですね?だから初期のキリスト教と同じではないですか。


ただ誰かが、なんとなく聖書を開けて、聖霊がこのように、家庭詐欺連合の奴らがこのように言うではないですか。お父様の後継者を否定して。 

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ーつづくー

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