2021年7月13日(火)キングスリポート
聖霊を迎え治癒する清平をつくる。
タイトル編集:fanclub
The King's Report 2021/07/13 (火)
英韓訳: ジャン·スナム 韓日訳: yuko.m
2代王様: おはようございます。皆さん、キングスレポートへようこそ。今日は火曜日7月13日、天基12年天暦6月4日です。私はムン・ヒョンジン、天一国2代王です。まず、ティモシー王の天気予報を見てみましょう。ティム。
ティム·エルダー本部長: おはようございます。華氏69度(摂氏20度)で雷雨が天一宮を通っているのが見えます。風は、東から時速6マイルから9マイルで吹いています。今日は78度(25度)まで上り、体感上86度(30度)まで上がるでしょう。部分的に晴れてじめじめしています。はい、とてもじめじめしています。今日の午後遅く、2、3回の大きな雷雨があり、突然の洪水と被害をもたらす風が吹きます。東から時速5マイルから7マイルの風が吹くそうです。5分の1インチの雨が1時間降るそうです。今日の降水確率は64%で、雷雨確立は29%です。今夜は69度(20度)まで下がり、今日の夕方には2、3回の雷雨があるでしょう。部分的に晴れてじめじめしていると思います。雷雨は突然の洪水を起こすことがあります。そして、2時間の間、おそらく10分の3インチの雨が降るでしょう。65%の可能性で降る可能性があり、59%の可能性で雷雨が降るかもしれません。雷雨の可能性は半分より高いですね。今日の日の出は午前5:37で、日没は午後8:32で、14時間55分の日照時間があります。
ご覧の通り、(曇りの地域を指して)今、天一宮の真上にあり、天一宮は正確にそこにあります。今朝、全国各地でいくつかの雷雨状況がありました。今朝の天気予報でした。
2代王様: それが今朝の天気予報でした。いいですね。天気予報をしてくれたティムに感謝します。我々は清平(チョンピョン)摂理復帰プロジェクトのために下っていきましたが、皆さんが捧げてくださった祈りに感謝します。これについてはすべてが終わるまでは多くは話せません。以前、何があったのかお分かりだと思います。これについては話しません。ただ、素敵な可能性があるでしょう。それで、それが成功できるよう祈ってください。そうすれば、我々は悪魔が持っていった最初の場所よりも良い場所を持つことができます。神様は私たちにもっと良いものを提供してくださいました。だからどうかそのために祈ってください。全てが署名されて詳細が解決されるまで詳しい話はしません。
いいですね。
皆さん、今日はガラテヤ書5章です。
ガラテヤ書5章16節です。16節に行きましょう。
5:16わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。5:17なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反するからである。こうして、二つのものは互に相さからい、その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、することができないようになる。5:18もしあなたがたが御霊に導かれるなら、律法の下にはいない。5:19肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、5:20偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、5:21ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。5:22しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、5:23柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。5:24キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。
5:25もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか。5:26互にいどみ合い、互にねたみ合って、虚栄に生きてはならない。
それがこの章の終わりです。
これに対する多くの説明があります。最後まで読んでみましょう。
16節については、
「聖霊に従って行いなさい、聖霊に従って生きなさい。キリスト教徒は聖霊の協助を受けて生きなければならない。どうやって聖霊に従って生きるのか。キリスト教徒は、聖霊が神によって自身の心の中に送り込まれ、自分と共にあるということを信じなければならない。そしてすべての霊的対立で、信徒は聖霊に屈服しなければならない。
つまり、自分の欲求を捨て、聖霊に服従しなければならない。神が喜ぶような人生を送ることができるように、聖霊に頼り助けを得なければならない。信徒は聖霊の助けが日常生活に与える影響を期待しなければならない。聖霊に従って生きる信徒は肉体の欲を成さないだろう。
人間の罪悪品性である肉体が、聖霊と対立する欲求を持つなら、お互いの欲求と渇望が相反すれば、そのキリスト教徒は善悪を行いたい欲求を持つ戦場となる。結果は、あなたがやりたいことが出来ないということだ。肉体は聖霊を挫折させようとするが、聖霊は肉体の悪しき欲求を挫折させようとする。」
17節は、
「信徒が肉体と聖霊の間の絶望的な主導権戦争に巻き込まれたという印象を残すかもしれない。そうではない。キリスト教徒は肉体の悪しき渇望から逃れるために聖霊に服従するなら、彼は聖霊によって導かれる。そうすることで、彼の日常生活から罪を無くすことになる。
「導き」という単語は自発的屈服を暗示している。信徒は肉体によって導かれるか、聖霊によって導かれるかを選ぶことができる。聖霊で導かれる者は、律法の下にいない。彼が倫理的生活をし不道徳なことをしないように聖霊が導き、主管するため、律法の制限は必要ない。肉体の行いと聖霊の結実を照合することにより、信徒は彼が聖霊に従って行っているのか、肉体に支配されているのかを知ることができる。
汚いものは性的不潔であり、好色は性的な行き過ぎである。偶像崇拝はただ形状を崇拝することではなく、自分の愛情を神の代わりに他の何かに置くことである。呪術は占いであり、すなわち悪の力に手を染める行いである。これは秘術(オカルト)に手を染めることを含む。紛争は葛藤と分化であり、猜疑は嫉妬を意味し、党をつくることは利己的な野望を意味し、分裂することは下がることであり、異端は組織的な分裂または宗派であり、放蕩することは過食または暴食、そして賑わうことである。
「すること」(実践)。第19節から第21節までの罪悪と悪徳によって人生を生きる人は、神の国を遺業として受け入れることはできないだろう。つまり、彼はキリスト教徒ではないので天国にいないだろう。」ここで「すること」という単語は、実践という意味である。
オッケー、「結実」という単語は3つの理由で重要です。
「信徒の人生に宿られる聖霊が作り出す結果、産物、成果、または効果を意味する。一部だけがキリスト教徒に与えられる聖霊の贈り物とは違い、信徒一人一人が9つの徳目をすべて備え、聖霊の結実を結ばなければならない。木の実が育ち成熟するのに時間がかかるように、聖霊もまた信徒の人生においてこのような徳目を一瞬にして育てることはない。
愛は報いを考えずに他人のために進んで自分を犠牲にすることだ。
喜楽は心の喜びである。
平和は心の平穏であり、心配や恐れから解放される。
忍耐とは、他人に対する忍耐力であり、短気とは反対で、静かに傷に耐える性品である。
慈悲は親切である。霊性は寛大である。ここで忠誠心は信頼性である。
穏やかさとは他人との関係における礼儀と思いやりである。
節制は自分の熱望と欲望を制御するのに自制力を持つことである。
全ての信徒は改宗の際に肉体を十字架にかける。言い換えれば、自分の罪悪の人生と全ての邪悪な熱情を捨てて、それらから背を向けるという意味だ。
そうであるなら、この句節は19節から21節の悪徳よりは、22節から23節の徳目がキリストのものだということを暗示する。
第5章25節は、我々がキリストに住み、聖霊で行うので、その聖霊もまた従おうという意味で`ある。改宗するときは我々に聖霊が新しい命を下さったので、我々は生涯あなたの導きと勧告に従わなければならない。」
オッケー、終わりました。聖霊と肉体を同時に並べたとても興味深い部分でしたね。聖霊と肉体。興味深いですね。私は以前、ある牧会を見ていたのですが、確かに治癒牧会でした。治癒牧会はよくある五旬節の牧会です。多くの五旬節教会で按手や聖霊の殺戮を受ける(聖霊の充満により身体が力を失い床に倒れること)などが見られるでしょう。
しかし、この若い男性は、街頭の牧師、あるいは街頭の伝道師、街頭の治癒の牧師でした。そして彼は牧会をニュージャージー都市の様々な街頭でします。そしてイエスの名で人々を治癒していました。人々は救いを受けており、聖霊を見ており、聖霊に殺戮されていました。たくさんの関心を持ちました。なぜなら、彼が人々のために祈っている間、例えばその人から「悪魔よ、出て来い」とか「悪魔はここにいる。悪魔はあそこにいる」と言います。ある女性は、再発性腰痛かそのようなものを患っていました。そして彼は「悪魔よ、出て来い。悪魔よ出て来い」とか、似たような言葉を言います。そして興味深い点は、それが五旬節牧会です。五旬節教会です。
そしてお父様が清平摂理を承諾されたことについて考えさせられました。もちろん、その危険性も見せています。
なぜなら、結局、女性の金(キ厶)は権力に溺れたからです。しかし、お父様は治癒牧会を許可されました。そして私が、五旬節牧師が人々を治癒し、悪魔を追い払うのを見た時、もちろん彼は五旬節教会でよく目にする、ごくありふれた方法でやっていました。そしてこれが興味深かった理由は、彼が「悪魔はお前の背中にいる。肩にいる」というふうに言うのです。そして、それが清平治癒教会で語っていたことだというのを思い出させました。わたしが思うに、こういうことをしたりしました。そうですよね、ティム?合ってますか?
ティム王: 非常に小さな悪魔が私たちの体中にいると言っていました。
2代王様: そうですね。そして、彼らは悪鬼と訳しました。悪魔の代わりに悪鬼としてですね。 何ですって? 聞こえません。
ティム王: 悪霊です。
2代王様: 彼らは悪霊だと言いましたね? 悪霊。
ティム王: 悪霊、悪霊、はい。
2代王様: はい、悪霊。悪い霊を意味します。しかし、基本的には悪魔と呼びます。それで私は、なぜお父様が治癒牧会のようなものを承諾されたのか、理解できませんでした。特に、その女性が、結局、韓鶴子を支配しようとし、結局、絶対的な権力を勝ち取るために韓鶴子を追い出すかもしれないのにです。
そして最近何が起きているかご存知でしょう。彼女は自分を崇拝して自分の像を作りました。サタン主義者のようにモレクフクロウ像をすべての場所に置きました。とても悲劇的です。非常に悲劇的です。私たちは彼女が自分の罪を悔い改め、少なくとも普通の食口になることを祈ります。
しかし、要点は、私はどうしてお父様がこれを承諾されたのかいつも気になっていました。なぜなら、とても狂っているからです。霊界は非常に混沌としている所です。お父様がおっしゃったようにそこには多くの段階があります。そして、霊的憑依は、この章で憑依について述べるのを見たように、善良なキリスト教徒は、聖霊によって憑依されなければなりません。聖霊によってです。私たちは悪魔ではなく聖霊で満たさなければなりません。残念ながら、多くの人が悪魔で充満しています。あるいは悪魔が彼らに憑依しているか、彼らを堕落させています。悪魔が彼らにくっついて彼らの魂を掴んで引っぱり、彼らに罪悪感と感情の奴隷にならなければならないと言います。しかし、キリストは我々を自由にされます。キリストは私たちを自由にしてくださいます。なぜなら、キリストの前で、神の前で誰もが罪人に違いないのです。キリストは私たちをその鎖から自由にしてくださるのです。
けれども、私たちには肉体の罪悪があるので、あるいは肉体の力と言いましょう、私たちはそれに戻るようにはめられたり、誘惑されることがあります。なぜなら、我々はその悪魔の話にリラックスできるからです。言い換えれば、彼らは我々の生活の一部になっています。彼らが我々の生活の一部になっており、「お前は絶対良い父親になれず、絶対良い母親になれず、絶対良い夫になれず、絶対良いあれこれにはなれない。 おまえの感情を見てみろ。お前がやったことを見てみろ。おまえがあのことをしたとき何が起こったのか覚えているか?そのことをしたときを覚えているか?お前が失敗したことを覚えているか?」悪魔たちは、ずっとあなたの頭の中でこう言います。それが我々が言う心情的世界、または無意識の世界です。科学ではこれを無意識の世界というのですが、実際はそれは現代的に理解する方式です。私たちの決定に、人生に最も大きな影響を与える無意識、見えない世界を理解するための現代単語です。95%です。そして、それは研究によって証明されました。そして、私たちはそれに集中できなければなりません。私たちは勇気を持って勇敢にそこに入り、その鬼神(幽霊)たちに立ち向かわなければなりません。そして悪魔たちを叱らなければなりません。イエスと真のご父母様の御名によって悪魔たちを叱らなければなりません。
それが興味深かった理由は、彼の牧会で、彼の名前を記憶できませんでした。(ニュージャージーの街頭での牧会者)とにかく若くて大きい男でした。若くて大きかったのですが、私の考えでは神がその方の人生を変える前にはラッパーかやくざだったでしょう。そして、悪魔を追い出すことは、彼には重要な牧会です。特定の人に特別なプレゼントです。皆にそのような治癒の能力を与えられるのではありません。
もちろん、お父様は常に治癒牧会の危険を警告しておられました。そして、私たちは清平の金政権を通じて、警告通りに起ったことを目の当たりにしたのです。多くの場合、治癒牧会の問題は、非常に利己的な理由から起ります。彼らの人生の罪の根本的な根っこを解決しに来ません。ただ、腰痛や眼痛、あれこれ一時的な緩和を望むので来ます。医者に会いたがっているのと同じようにです。治癒は、神と彼らに対する神の愛の証となることができ、彼らにとって非常に強い経験となるでしょう。
しかし多くの場合、その人に残りません。多くの場合、ただ「おお、神様、ありがとうございます」など、ただそれだけなのです。
このような観点から見ると、それは神の摂理のうちの小さい部分です。それでも一部分ではあります。
だから清平摂理への復帰において、これについて祈らなければなりません。そして、これに対して私はお父様の霊と一緒に動くつもりです。清平で起きたことを繰り返さないつもりです。そのようなことが起きてはいけません。
韓オモニ、韓鶴子がバチカンを作る目的で作ったようにはならないでしょう。それはお父様が最初望まれた避難所、お父様の人々が霊的避難できる場所だったのにもかかわらず、悲惨で破壊的な状態になりました。
そして、その基盤は何でしたか?その基盤は聖書の勉強でした。聖書に対する洞察を解く原理の勉強、聖書の勉強でした。それで、ここの清平は、我々が完全に父なる神、イエス·キリスト、再臨主である真のお父様に中心を合わせなければならないため、聖殿で経験するような聖書文化を中心とするでしょう。聖書文化を中心に聖霊大学を中心にするなどなど。聖書の勉強の種類···。もちろん原理は聖書を解くのです。だから原理はそこでのすべてのワークショップの中心です。
按手することはもちろんキリスト教的なことですが、我々はすべてを真のお父様を中心にします。神が準備されている美しい場所があります。細部の部分が解決されるまで詳しい話はしません。しかし、こう説明しましょう。そこは、完全に、真のお父様の生涯路程を中心とした場所になるでしょう。
ですから、誰でもそこに行けば、そこは癒しの場所だけになるのではありません。ただ「私、私、私が癒されたい」違います。再臨主であられる真のお父様とイエスのすべての牧会を表し、お父様の生涯路程の愛、愛情、関係がより深く成長する場所です。このすべてを含みます。
不動産の話はしないで…。
そこには私たちが準備する涙の道があるはずです。それはお父様の七死復活への路程です。その道は、お父様が死の収容所、監獄、拷問などを通して苦しみを受けられました。あなたがその道を歩きながら瞑想し、祈りを捧げることのできる場所があるでしょう。そこに止まってお父様が人類のために歩いて来られた涙の道と神がアダムとエバに願われた祝福の力を地上に解放されたことについて深く考えることができる場所です。したがってその場所は真のお父様との関係を深めるところなのです。
涙の道があり、特定の場所には勝利の道があるはずです。勝利への道です。その道には、涙の道の後、お父様が何をなさったか見るのです。牧会の初期、世界的に活動した時、ワシントンタイムズ、ティー·エンポス·デル·ムンドなど、そしてお父様の勝利とお父様が立てられた基盤が特定の場所にあるでしょう。
勝利の道の次に昇天の道に入るのを見るでしょう。お父様の勝利的な聖和、天一国のための基盤であるカインとアベルの統一、そしてお父様との統一。真のお母様が復帰されたこと。韓オモニの堕落、しかし、康真のお母様によって復帰された真のお母様の位置。そして続く3代王権の摂理。相続者、真のお父様の血統で選ばれた、指定された、油を注がれた王たち。そしてもちろん、3代王権と共にする王と祭司長の摂理など。それは昇天の道と呼ばれるでしょう。
詳しい話はできませんが、こう説明しましょう。
神がとても、ものすごく期待できる内容を準備していらっしゃいます。私どもの側から提議を送りました。それについては話をすることができます。私たちの提議を送りました。ですから、どうかその申し出が受け入れられるように、イエスの御名で真のご父母様の御名で祈ってください。全能なる神を讚美しましょう。とにかく、それは楽しみなことです。
また水があります。美しい小川を成していますね。私はこれを泉の水にする計画です。 エルサレムには、唯一の自然の泉であった「シロアムの泉」という泉がありました。そして聖書では治癒の場所でした。人々はそこに行って湧き水の出る泉に座って治癒を受けました。神がそれと同じものを私たちにくださることもできます。それで、それを建設する時、あのエルサレムにあるのがシロアムの湧き水です(写真を見せながら31:46)。すべてが解決した後、我々は癒しの泉を持つつもりです。だから、それがうまくいくことを祈ってください。
そして、様々な異なる泉の水を作ることを願っています。そうすることで、人々はそこの泉に腰掛けて祈りながら、涙の道や勝利の道、昇天の道について考えながら、湧き水や癒しの水を受け取ることができるのです。その場所は、お互いのために祈り合うことを学ぶ場所にもするでしょう。そしてもちろん、新しい友達、新しい食口のためのワークショップを行う予定です。そのおかげで彼らは美しい場所を経験することができます。問題なく契約が成立したらですね。また、真のお父様の路程を中心に勉強できます。
単に、「私は、私の中の悪霊を取り払おうとしているだけだ」それだけではないのです。なぜなら、聖霊があなたの中に臨在される時、いかなる悪霊も聖霊を支配することができません。
そうでなければ、もし悪霊が支配するなら、聖霊はあなたの中に臨在していないという意味です。そして、あなたが神から離れ、悪、悪霊や悪魔によって誘惑されているという意味でもあります。それはあなたの神との関係が崩れていることを見せています。そうでしょう? 私たちはそのような状態にいる人々のために祈ります。
残念ながら、この悪魔は人々に憑依することができ、神との生き方を崩壊させることができます。そして、これはすべてのものに被害を及ぼします。非常に悲しいです。とても悲劇的です。
しかし、要点はただ悪霊を抜くことだけが目的ではありません。目的は西洋医学とは異なります。これは「ああ、あなたはこんな病気なんですね。その病気のための薬を差し上げます」このようなものではありません。それは本当の治癒ではありません。
真の治癒は、聖霊とともに訪れます。真の治癒は、深い関係とともに生じます。そうしてこそ、罪悪感を与えようとするすべての悪魔、羞恥心を与えようとするすべての悪魔、あなたがあれこれできないというすべての悪魔が力を持つことができません。なぜなら、我々には聖霊が充満し、恩恵が充満するからです。
我々は、「我々がまだ罪人だった時、その方は私たちを愛してくださっていた」ということが心の底からわかるのです。そして、我々は、自分たちの罪について悔い改めました。悔い改めました。私たちは謙虚で自分を低めた位置に来ました。聖書でいう神の前に温柔であり謙遜であることです。悪者に自分を低めるのではなく、神に自分を低めるのです。私たちの罪の悪に対する深刻さと重さに気づき、救世主が必要だということを悟ったため、私たちはその位置まで来たのです。我々は許しを請いました。そしてキリストである救世主は、我々が神に行くための架け橋になります。我々が恩恵に対する理解が充満する時、我々の心、無意識の心、心情世界に恩恵の真実が完全に充満する時、そしてこれを受ける資格がなく、稼いで得たわけでもなく、どれほど良いことをしたりとか、どれほど訓読会をしたからといって救われたのではありません。これはパリサイ人になる傾向のある人々の問題です。毎日自分が完璧なふりをします。悪いことです。「私は完璧ではない」ということを学ぶことと、あなたが完璧ではないという事実に敏感なことがとても重要です。それは温柔さを見せています。そうですよね?
考えてみてください、私が皆さんと一緒に私の内なる無意識世界を分かち合わなければ、私の子供の頃のことを分かち合わずに、この無意識について私が完全に勘違いしていた時、私が怒りで満ちていた時、そして、あれこれを分かち合わなかったと想像してみてください。それとも私がそれに気付かずに、私がいつも完璧なフリをしたと想像してみてください。それはむちゃくちゃで自分を省みない人の兆候です。それは悔い改めをしない人の兆候です。そして、無意識の心、無意識の世界、心情の世界に入って、その悪魔たちと恐怖心に立ち向かうことをしない人です。そして、自分が聖霊の力で強化されたことと、彼らがあなたに何もできず、その鬼神(幽霊)たちがあなたに何もできず、これ以上あなたを苦しめることができないということをしませんでした。神がいれば彼らはあなたを支配する力を持てません。何の力もありません。
それで我々は人々が聖霊で充満することを望みます。彼らが神の聖霊で充満することを願います。なぜなら、あなたの中に聖霊が充満すれば、そしてあなたとの関係が深ければ、そうすると他の悪霊たちはいたずらにしか過ぎないのです。情けないいたずらです。
なぜなら、悪魔もイエスが誰なのか知っています。彼らはキリストが誰なのか知っています。彼らはその方の前でおびえながら震えます。それで悪魔たちはあなたがイエスの御名を口にすることを嫌がります。あなたが真のお父様が再臨のイエスだと言うことを嫌がります。彼らはあなたがイエスを愛する事を嫌います。なぜなら、イエスの中にいる神は真のお父様の肉体の中にいる神と同じだからです。彼らは我々がイエスを愛することを望んでいません。そうすることで、我々を支配することができるからです。それが悪霊です。
残念ながら清平の女性がそのようになりました。彼女は韓鶴子を含めてその異端の一部になりました。イエスを憎み始め、イエスを家父長的(権威的に)見て、たわごとを言う異端になったんです。ありえないことです。そして、それを再臨イエスを憎むまで拡大したのです。そして彼らは分離して自分たちの小さな領地を建てようとしました。彼らはそうしました。しかし、もちろん崩れました。なぜなら、神の力がもうそこにないのでキリストを中心にしなければ、終わりです。使えません。ただの空の器です。ゴミです。これ以上必要ありません。
だから清平摂理復帰において、すべての文化は聖書を中心にするつもりです。イエス·キリストを愛することを中心にするつもりです。そして、2番目にイエス·キリストである真のお父様とその路程も愛するのです。そしてイエスへの愛から私たちを分離するいかなる悪魔もいないでしょう。最初がイエスであれ、二番目であれ、構いません。同じ神です。我々は二人の方を愛しています。イエスと真のお父様は一つです。完全に一つです。どんな悪魔でもそれを分離しようとするなら、彼らは叱られるでしょう。地獄の深い穴に投げられるでしょう。アーメン
したがって、清平は治癒の場となるでしょう。お母様を中心にするのではなく、お父様を中心にするつもりです。ですから、そこでワークショップや治癒をするとき、治癒に中心を置かず、聖霊との関係回復に中心を置くのです。自分をいじめる悪魔たちに中心に置くのではありません。それは西洋医学と同じです。「ああ、あなたの肩に痛みがありますね。それを解決してみましょう。」例えばあなたの足に痛みがあります。それは血行が悪くて起きるもので、中風につながることもあります。私が言っていることがわかりますか?そこにはもっと大きな問題の根があります。そして、その問題の根は、神の御言から離れることであり、これ以上聖書を勉強しなくなることであり、多くの人たちは原理を勉強しますが、聖書を勉強しません。何してるんですか?
このことについて王妃と話したことがあります。そしてそれが彼女に大いに役立ったそうです。私は簡単に説明しました。その質問はなぜ過去に教会で多くの人が…過去ですね。ここの聖殿にはそのような人が少ないと思います。
過去には原理についての講義が多かったのです。彼らは原理を知っているかもしれませんが、彼らの人生は駄目になっています。彼らは、夫婦関係や子供との関係であまりにも低いレベルにあります。マイナスです。レベル1でもありません。彼らはマイナスで白帯のようです。
そこに巨大な矛盾があります。
真実を知って神と心情がすべて分かると主張する人々がいます。講義する人たちがそうしたじゃないですか?しかし、彼らの人生は完全にめちゃくちゃです。完全にめちゃくちゃです。そしてもちろん「ああ、私は摂理のために多くの犠牲を払った。だから家庭が崩れているんだ」と摂理のせいにします。現実は全くそうではありません。なぜなら、その両方ができる人たちがいたからです。
現実では、彼らが妻や夫に接するのを目の当たりにすると、非常に残酷で非常にレベルが低いのです。彼らは子供に接する時、とてもひどいです。
それで、王妃にこれについてどのように話したかというと、原理は、また真実を追求することは、神と神の摂理を理解することに対するIQに役立ちます。神に対する我々のIQです。しかし、考えてみてください。キリスト教基盤の資料は神に対するIQに集中していません。神の特徴のようなものですね。これは弁証学においてもっと重要です。しかし、信徒らが神の中で成熟するのに役立てようとするキリスト教文学の大勢は、IQに基づいていません。キリスト教文学の主流は『イーキュ(EQ-感性指数)』です。神とのEQの扱い方を学ぶことです。
それで王妃が「私はキリスト教の資料を読んでみましたが、とても良いです」と言いました。「私の心を満たし、神との祈祷生活を作るのに役に立ちます。私が本当に神との個人的な関係を持つのに役に立ちます。」
原理はそこに集中しません。神との個人的な関係を結ぶことに集中しません。そこに集中しません。原理は摂理の細部の分析とメシアのための準備についての内容です。それで原理はIQ基盤であり、キリスト教資料はIQと神との個人的な関係を結ぶことに基づいています。そして、IQ、EQ、(RQ-Relationship Q./関係指数)があります。RQ(アキュ)とは何か。IQとEQを活用して良い関係を築くことです。それがRQです。
注)
・IQ( Intelligence Quotient)「知能指数」
・EQ( Emotional intelligence Quotient)「心の知能指数」
・RQ( Resilience Quotient)「心の弾力指数」が一般的
統一教会にいた人々を思い返すと、彼らは神に対して良いIQを持っていたかもしれませんが、原理を知っていたかもしれませんが、残念ながら狂った兄弟姉妹は、非常に狂っていて本当に非常にサイコパスでした。とても悲劇的です。しかしそのいくつかは原理を非常によく知っていました。原理を言葉通りに暗唱できます。しかし、彼らはめちゃくちゃでした。残念ながら非常に悲しいほどめちゃくちゃです。情けないほどめちゃくちゃです。正気な人は誰も彼らに従わないでしょう。
EQとRQに対して、あまりにも凄惨だったからです。あまりにもレベルが低かったのです。信じられません。そして、残念ながら原理だけを勉強する人々は、私はこんな傾向をよく見ましたが、原理さえ勉強すれば本当に高くなりますが知能的にだけです。IQの人間になります。そして、関係をIQで支配しようとします。そして、その関係を損ない始めます。なぜなら、あなたが一番よく知っているからです。あなたが一番多く原理を勉強したからです。しかし、実践しているという意味ではありません。
あなたがその問題を知っているというのが問題です。あなたが問題を知っているからといって、それに通達しているという意味ではありません。柔術が効果的だということを知っているからといって、それに通達しているという意味ではありません。MMAを見て、柔術が効果的で、それですべての格闘家がそれを使うことに気付いたからといって、柔術で戦えるというわけではありません。それは全く別のものです。全く別のものです。柔術について知らなければならないし、そして練習しなければなりません。それはまったく異なったことです。異なっている点がわかりますか?けれども、教会の、この狂人たちの事を考えると、私たちの家族に限らず、講師たちとお父様を裏切った者たち皆が、「真実」を知っていたのです。人々が「あの方たちは真実を知っていたのに、なぜお父様を裏切ることができるんだろう?」と言う度に私は理解できません。馬鹿なのです、あいつらにはIQしかないからなのです!彼らはお父様との関係を実際に持っていません。彼らはお父様とのいかなるEQも持っていません。彼らはお父様とのRQを持っていません。彼らにはIQだけしかなかったのです。彼らが持っている「真実」については、それは自慢の種でしかなかったのです。傲慢になりました。そして、その馬鹿たちは、お父様を裏切りました。私が言っていることが理解できますか?
これが問題です。私には一つの大きな問題が見えます。関係を扱う時、何がもっと重要ですか。IQがもっと重要ですか?それともEQがもっと重要ですか?実際、関係においてはEQの方が重要です。もっと重要なんです。IQが重要ではないという意味ではありません。しかし、EQほど重要ではありません。このEQは知恵の数値とある程度同じです。それは知恵の数値です。そして、あなたが関係で人とどう付き合うのかについて大きな影響を与えます。そしてそれはあなたのRQ(アキュ)です。あなたの関係指数はどれだけ高いのか、ということですね。感情世界に対する制御がどれくらいあるかが、人と接する上で、人間関係を築く上でとても大きな要因になります。だから、たとえ原理をよく知っていたとしても、原理を暗唱できるとしても、EQがないこのたくさんの馬鹿たちはそうでした。あなたのEQが情けないほどないならば、人間関係が崩れるでしょう。原理をどれだけ知っているかは関係ありません。れだけ原理を暗唱できるかも関係ありません。EQを持っていなければあなたの人間関係は崩れるでしょう。
だから感情を主管すること、これは聖霊についての内容なのです。節制、神の前に謙遜であること、穏やかさ、このすべては感情です。そうですよね? あなたの感情を上手く扱うことができなければなりません。ただ人々に狂ったように爆発してはいけません。人間関係において、知恵がなければなりません。関係において、感受性も備えなければなりません。配偶者と子供たちとの関係のような重要な関係においてですね。その人がどんな人なのか知らなければならないし、敏感でなければなりません。
育児についてですが、この内容が父母の方々に役に立つことを願っています。一般的に見て、IQ基盤の子供か、EQ基盤の子供を持つでしょう。IQ基盤の子供は、知能を通じて自分のすべての問題を解決できる、または世界を飛び回って自分のIQで問題を解決できると信じる子供です。彼らはIQ基盤の子供たちです。たくさんのお子さんを持つ親御さんなら、そういうタイプのお子さんがいるというのがわかりますよね。それはIQ基盤です。彼らはさらにIQ、または知能に依存し生活問題を解決できると信じています。それはIQ基盤です。
そして、EQ基盤の子供、または人、育児の脈絡では子供です。この子供は確かにもっと感情的です。男であれ女であれ関係ありません。また、IQ基盤の男の子がいて、EQ基盤の男の子がいます。IQ基盤の女の子がいて、EQ基盤の女の子がいます。もちろん、程度があり、いろんなレベルがあります。ここには色々な数値があります。IQの数値、EQの数値、そしてもちろんそこには多様性があります。いつもIQが10で、EQが0なわけではありません。そんな人がいるかも知れませんが、それは珍しいことです。これらの数値に多様性があります。この数値のバランスがあります。
しかし、要点はその子が感じている生活の問題を解く主な方法は、感情的基盤と知能的基盤のうちのいずれかの1つです。そのことで、その子がIQ的なのか、EQ的なのか、わかることができます。そしてその子とどう関係を持つのかも違います。関係を持つ上で大きな違いがあります。IQ的子供との関わり方は、彼らは感情が重要ではないと思います。感情と分離して、合理的に考えることができます。しかし、EQ的な子供にとって感情は、彼らの大きな一部です。少なくとも未成熟だった時にはですね。彼らがどう感じるかが非常に大きな影響をもたらします。
ですから、これはいいことです。希望的なのです。なぜなら、あなたが彼らのIQ数値、またはEQ数値を上げることができるからです。これを変えることができるということです。神がこれらを変えることができる力をくれます。これは希望的なことです。これは驚くべきことです。
ですから、もしあなたのお子さんが感情世界、EQが高いのなら、これはお子さんに良く適応されます。人々と速く共感できるとか、そのような人たちは大体社交性があり、人と上手く付き合えるとか、販売などが上手だったりします。EQ基盤の人たちは、非常に素早く「空気を読む力」があります。空気を読むというのは気?いや、気ではなく、人々の力を早く感じ取ることができ、社交的で出会いをとても早く読むことができます。彼らはEQ基盤です。ですから、彼らにはプラスの要素があります。
しかし、彼らは大きな憂鬱に陥ることもあります。とても感情的になる可能性があります。それは彼らの大きな弱点です。そうでしょう?彼らには合理的に考える能力がありません。悪いことが起きたら感情が彼らを掌握します。これはEQの人々の巨大な弱点です。彼らには、問題を解決するための反省的かつ合理的な機能がありません。彼らはただ泣きたがるのです。「ウウウウ」と言いながらですね。そして、それがEQの弱点という側面では、彼らにとって大きな未成熟さにもつながることになります。
IQの数値は役に立ちます。IQの数値はより合理性につながります。合理的方法にさらに開かれています。さらに開かれています。彼らは考えること、考えて大変なことをすることが大切な道具だと思います。一方、EQ的な人はそれをあまり重要に思いません。彼らはただ感情を感じたがるのです。彼らはただ気分がいいことを願っています。IQ的な人にはそんなに重要ではないのです。より重要なことは、合理性を用いて現実を操ることです。または現実を通じて仕事をしたいと思っています。
その欠点は、IQ的人間は非常に露骨に傲慢で、すべての人を追い出すのです。それで多くの場合、IQ的な人々は孤立していると感じるのです。そして多くの場合、サタンが彼らにこのよう言い、このような方法を使って誘惑するのです。「君が一人でいる理由は君がとても賢いからだよ。皆が馬鹿で、お前は賢いのだ」 彼らはこのようなうぬぼれでいっぱいになります。そして、彼らは知能を使って人々を操れば、社会的に自分の思い通りにできると信じるのです。ビル・ゲイツのようにです。IQ的な人にとって非常に悪いことです。非常に悪くなる可能性があります。スーパー的なレベルで悪くなる可能性があります。もし彼らが環境と現実を操るのに自分の知能に依存するとしたらですね。彼らは知能やIQの世界を崇拝するようになります。
しかし、良い点もあります。それぞれ長所と短所があります。IQ基盤対EQ基盤は、それぞれ善に対する潜在性があり、それぞれ悪に対する潜在性があるのです。これが役に立つことを願います。
それで、あなたの子供は、IQ基盤かEQ基盤の性格を持っていると思います。もちろん、そこには多様性があります。それぞれの子供が同じではないでしょう。あなたはもっとIQに偏った子供を持つでしょう。そして、彼らがIQの悪い側面から遠ざかるのを助けてあげなければならないのです。知能を使って人々を支配することからです。彼らは知能を使って現実を操縦しようとしています。彼らは非常に巧妙で非常に悪くなる可能性があります。ビル・ゲイツとベゾスのようにそんな道を下って行くとしたらですね。そのため、あなたはそれらから彼らを保護し、彼らが知能を使って神のために善良な仕事ができるようにしてあげなければなりません。しかし同時に彼らのEQも発展するように手伝ってあげなければなりません。そうしてこそ、妻または夫、または子供との関係においてうまくいくことができます。もし、あなたがIQ基盤がとても強いなら、あなたは関係を築くことが弱いでしょう。そして、あなたは知能を使ってその関係を操ろうとするでしょう。共感する代わりに、他人の辛いこと、いわゆる苦痛について理解して感じ、そしてそれに同情して解決してあげて人々を育てる代わりにです。そのような心を持っていないでしょう。そうですよね? EQ的人々は、EQの良い側面ではそれをより自然に持っているはずです。彼らはもっと情けをかけることができてもっと同情することができます。私は広い範囲で話しているんです。私は広く話しているんです。
しかし要点は、私たちの霊的生活においても知らなければならないことが真実だけではないのです。「私は原理を知っている。読みました」 いいえ、いいえ、それは真実を知ることにしか過ぎません。それはただIQを上げる事にしか過ぎません。神との『EQ』を上げる事とは全く関係ないのです。神の人々とのRQを上げることでも全くありません。全然違います。
あなたが神とのEQを上げる唯一の道は、霊的な生活においての祈り、瞑想、御言の勉強です。そして聖書の勉強です。原理だけではありません。聖書のことです。なぜなら神の話であり、聖書を通じて神の心情と警告を見ることができます。そのように祈りの生活でEQを上げます。そして瞑想の生活の中で、無意識の世界に入って悔い改め、自分の鬼神に立ち向かい、彼らにあなたを支配させなければ、感情的に爆発することはありません。感情について制御があります。お父様を裏切った多くの講師たちのように原理を暗記することでこれを持つことはできません。それで感銘深く「私はあれこれたくさん読みました」こう言ったからといって、絶対に感銘深くはないのです。だから、何?聖書もそうです。関係ありません。何の意味もありません。悪魔も原理や聖書を億万回読むことができます。だから何?それは何の意味もないのです。柔術で黒帯の私のところに来て、「おぉ、私は本当の柔術を知っています」とは言えません。いや、お前はそうじゃない。なぜならおまえはそれを現実に適用して使うことができないから。分かりましたか? そしてこれは大きな弱点でした。
それで多くの1世家庭が関係で崩れました。なぜなら、彼らはEQの世界かRQの世界について全く訓練を受けていなかったのです。とても弱いです。非常に巨大な弱点です。彼らはEQとかRQとかの世界についてまったく訓練を受けていません。とても少なかったのです。すべての訓練とワークショップがIQ的でした。しかし、IQ的だと生活の問題、特に関係のことについてうまく解けません。それがIQ基盤だけの人の問題です。あなたはこのIQで人生の特定問題を解くことができるかもしれませんが、関係があなたの計画を挫折させるでしょう。実際の関係では感情の世界が多くあります。関係を上手に結ぶためには、高いレベルのEQを持たなければなりません。IQはあなたに勉強を熱心にやらせたり、お金をたくさん稼いだり、弁護士になったり、会計士になったりすることを助けてくれますが、あなたが良い夫になるためには助けてくれません。そして、女性またはあなたの妻と恋愛することにおいても助けてくれないのです。(笑)。
私はなぜこれを教えなければならないのかわかりません。これはとても基本的なことです。時々私を狂わせます。私を狂わせます。主よ、慈悲を施してください。神様、ありがとうございます。神を讚美せよ。私に何ができますか?神を讚美するだけです。私は神を讚美するだけです。とにかく皆が白帯から始めなければならないのです… これは過程です。もどかしいですが、これは過程です。全ての人が白帯から始めなければなりません。あなたは黒帯にはなれません。IQでは黒帯かもしれませんが、EQでは黒帯ではありません。あなたは白帯です。あなたはEQの黒帯かもしれませんが、IQの黒帯ではありません。わかりますか?両方とも必要です。両方とも必要です。
しかし、私は実際に関係するためには、EQの方がもっと重要だと思います。もっと重要です。それがあなたの知恵の数値です。賢いより賢明な方がいいのです。たくさんの利口な人々がいるのですが、彼らは邪悪です!彼らを見てください。エリートたちを見ても彼らは全部知能的です。IQ的です。世界を操縦し、操作しようとする狂った科学者たちです。この人たちは、IQ的でEQ的ではありません。しかし、私はいつもEQが関係においてもっと重要だと言いますが、IQもとても重要です。IQが必要ないというのではありません。EQな人たちが、すでに歓呼しているのが見えますね。 「イエ~イ!王様がEQが良いと言われた!」 いえ違います、あなたは聞いていませんね。あなたの問題を解決して感情を制御するためにIQはとても重要です。EQ的な人々の問題は、和合するにはとても上手ですが深い憂鬱に陥ります。それはとてつもない弱点です。とてつもない弱点です。だから、EQ的な人々も同じです。
私としては、私は賢いかもしれませんが、ハーバードのような世界で一番高い学校でもよくできました。もちろん、私は「賢いです」ですが、私のEQが高かったとはっきり言えます。私がIQを持っていても、EQの方がもっと高いのです。言い換えれば、EQは重要ですが最も重要ではありません。なぜなら、社交性は良いかもしれませんが、ダウン(憂鬱)する時、ものすごくダウンするのです。反面、IQ的な人々はより安定的です。だから、それをIQの世界から学ばなければなりません。安定性を備えることを学び、感情的な変動を取ってはいけません。これは非常によくありません。とても悪いんです。それは確かに白帯レベルです。そうでしょう?EQ的な人々は彼らが持っているハイ(喜び)とダウン(憂鬱)のおぞましい変動について努力するべきです。あなたがIQを上げてこそ可能なのです。
これが核心です。「あなたがダウン(憂鬱)、その大きな感情的な低さを解決する方法は、IQを増やし、ダウン(憂鬱)を合理的に扱うことです。IQを使って自分を落ち着かせなければなら、自制力を失わずにそれに集中しないように教えるべきです。ダウン(憂鬱)のとき、IQがあなたを助けることができるようにしなければなりません。それがEQ的人々の問題です。EQ的な人々は社交性の関係では良いかもしれませんが、彼らは巨大なダウン(憂鬱)を持っています。これは一般的に言われていることです。いつもそうだというわけではありません。おそらくこのタイプの優勢な特徴です。
IQ的な人はより安定しているかもしれませんが、彼らは紆余曲折を経験する人たちと共感することができません。IQ的な人たちはEQ的な彼らを導くことができません。多くの場合、あなたの妻はEQ的でしょう。あなたがIQ的なら「私はこの狂った女を理解できない!彼女に何も説明できないし、いつも感情的だ!」どうですか?これが問題です。あなたにはEQがないので。
それで要点は、私たちは皆がRQ(関係指数)を上げることを望みます。それはどうすればいいんですか? 私たちが、IQとEQを 一緒に上げなけれいけません。神が下さった基盤が異なるので、全ての人のIQとEQのレベルが異なります。しかし変えるために、それを上げるために努力しなければいけません。私たちがそうすればするほど、私たちの関係をもっとうまく築くことができます。
私たちが聖書で学んだことを私たちの人生にもっと上手に適用することができます。神の王国の根本である私たちの関係においてもです。根本です。良い王と祭司長、王妃と伝道師になることが絶対的に重要です。絶対的に重要です。だから、そうしましょう。
そしてもちろん、復帰された清平の場所は、それらに焦点を当てます。我々のIQの世界を強化し、理解するということにです。EQの世界もそうでなければなりません。成熟された中で育ち、共感の世界を理解するためにです。私たちが神の真実について知ることを私たちの関係に、またはRQの世界に適用するうえで、よりうまくできるようにしなければなりません。アーメン
それで我々は人々に「腰に痛みがある」とただこんな理由で来ることを望んでいません。違います。我々はあなたがそこから離れる時、もっと良くなってほしいと願います。あなたはお父様の障害路程をよく知ることができ、神とより近い関係を持ったことが分かるでしょう。そこでそのことに対して努力を傾け、集中する態度でそれをします。それが修練会です。集中的で強烈な過程と同じです。すべてのものから離れ、その事に集中するという集中的で強烈な期間です。何をするのかですって?神を中心に関係においてIQ、EQ、RQを上げることです。神が任命された他の部分で、それが牧会であれ、子供たちを牧会することであれ、妻を牧会すること、または善良な王になったり、公正な王、公正に治めること(羊飼い)を持つようにですね。これらすべてがかかわっており、あなたのIQ、EQ、RQのレベルにつながっているのです。それで、皆がこのすべてのことからレベルが上がることを望んでいます。あなたのレベルが高いほど、あなたはよりよくなるでしょう。アーメン
いいですね、皆さん。今日は時間がとても超過しましたね。そのことについてお詫びします。
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