2020年10月7日水曜礼拝<全文>
私達が弱いとき神は私の力
우리가 약할 때, 하나님은 나의 힘 (성전교회수요예배 10/07/20)
こんにちは、シックのみなさん、こんにちは。
なんと。明日から、明日からとうとう、鉄の杖祝祭の行事が始まります。なんと、なんと。なんと、なんと、なんとなんとなんと、、、、なんとなんとなんと(笑)
このように早く時間がこのように迫ってくるとは誰がわかったでしょうか?なんと。とにかく、明日から我々の鉄の杖騎馬部隊訓練と、・・・訓練ではありませんね。訓練行進。行進と真の父母様の行事を含めて我々の行事が明日から始まります。明日我々は戦争勇士たちとともに鉄の杖騎馬訓行進をしながら、ベトナム戦争の壁を侍り(ながら運んで)来る事になっています。
その内容として、今やみなさんも、今その鉄の杖の祝祭の場所、カーアームスの場所に行くと、今も急いでそこで準備をしていますね?すでにテントなども立てられていて、真の父母様記念館も、金曜日ですね?金曜日。金曜日にビルディング(建物)だけ、ビルディング(建物)だけ開いて、、、。What is call?オープニングセレモニーがなんですか?開幕式?開館式?開館式。とにかくビルディング(建物)だけ、周辺の内容はまだ、(飲み物を召し上がられて)、中心ではないので。とにかくビルディングだけを奉献するのですが、ビルディングもとても美しくなりましたね。
それからシックの方々が来る前に我々の外部の方でカヤイという方が階段を急いで設置します。階段を。我々のシックたちがその階段を上って真の父母様記念館の上の御母様の安息所に挨拶が出来るように、よりもっと簡単に挨拶が出来るように階段がつけられます。21段がはじめの段階で2番目の段階は7段の階段、3番目の段階は13段。このようにして、みなさんが上がっていくのがより楽になることでしょう。
カヤイ氏がすばやくそれを進めているので。(飲み物をまた一口)鉄の杖の祝祭がすでに差し迫っていますね。何と。すでにすぐに差し迫っています。明日から行進や全てのことが始まるので、今日は礼拝堂ではなくて、キングスレポートスタジオから皆様とともに礼拝をお捧げします。
ここで、たくさんの行事、たくさんの祈祷とたくさんのみ言葉を語らなければなりませんから、たくさんの論文も書かなければなりませんから、我々の側は忙しいのですが、それでも、それでも鉄の杖の祝祭がいよいよ始まりますので、鉄の杖の祝祭がすでに迫っていますから、これからはみな、ともに祈祷をたくさんして、お互いのために祈祷を捧げ、全てのチーム員たち、全てのスポンサー、全ての外部の方々、我々のチームにいる教会員でない人やアベル圏クリスチャンのために祈祷する、そういう心で準備しなければなりません。
さて、今日はどこ?今日はコリント人への第2の手紙13章。コリント人への第2の手紙13章。
王妃様:コリント人への第2の手紙13章です。1節から読みます。
13:1わたしは今、三度目にあなたがたの所に行こうとしている。すべての事がらは、ふたりか三人の証人の証言によって確定する。
王様:ストップ。2~3人の証人の証言で。これはDeuteronomy。 Deuteronomy はなに?申命記。韓国語で申命記。Deuteronomy申命記に出てくる聖書の句節を、パウロはこの聖句から話しています。
この内容で Deuteronomy申命記から、死刑についての内容について、2~3人の証人が必要でした。
だから大きな刑罰を受けるときには2~3人の証人が必要であると、パウロは旧約聖書の Deuteronomy申命記?申命記?申命記(の聖句)について話しをしています。さあ。
13:1わたしは今、三度目にあなたがたの所に行こうとしている。すべての事がらは、ふたりか三人の証人の証言によって確定する。
13:2わたしは、前に罪を犯した者たちやその他のすべての人々に、二度目に滞在していたとき警告しておいたが、離れている今またあらかじめ言っておく。今度行った時には、決して容赦はしない。
13:3なぜなら、あなたがたが、キリストのわたしにあって語っておられるという証拠を求めているからである。キリストは、あなたがたに対して弱くはなく、あなたがたのうちにあって強い。
13:4すなわち、キリストは弱さのゆえに十字架につけられたが、神の力によって生きておられるのである。このように、わたしたちもキリストにあって弱い者であるが、あなたがたに対しては、神の力によって、キリストと共に生きるのである。
13:5あなたがたは、はたして信仰があるかどうか、自分を反省し、自分を吟味するがよい。それとも、イエス・キリストがあなたがたのうちにおられることを、悟らないのか。もし悟らなければ、あなたがたは、にせものとして見捨てられる。
13:6しかしわたしは、自分たちが見捨てられた者ではないことを、知っていてもらいたい。
13:7わたしたちは、あなたがたがどんな悪をも行わないようにと、神に祈る。それは、自分たちがほんとうの者であることを見せるためではなく、たといわたしたちが見捨てられた者のようになっても、あなたがたに良い行いをしてもらいたいためである。
13:8わたしたちは、真理に逆らっては何をする力もなく、真理にしたがえば力がある。
13:9わたしたちは、自分は弱くても、あなたがたが強ければ、それを喜ぶ。わたしたちが特に祈るのは、あなたがたが完全に良くなってくれることである。
OK. ストップ。
では、コリント人への第2の手紙でパウロはコリントにある教会にこのような手紙を書いています。話をしているということも出来るでしょう。
その内容を通して、都市にあるのでその都市にいるクリスチャンたちが様々な異邦神や様々な異端の内容について教えていたのです。例えて言うなら、救いを受けたならば、救いを受けたならば、堕落しても 救いを受けたならば、堕落しても罪を犯しても関係ない。常に永遠に救いを受けることができる。といったこのような異端の内容を語っていました。
一度救いを受けたら永遠に救いを受ける。だから娼婦と毎日寝ても、快楽主義の奴になってそういう風に生きても、悪なる内容をして殺人をしたとしても、救いを受けるのだと。児童性暴行をしても救われる。これは話にならない、話になりません。
神様は、私を愛するならば私の命令に従いなさいとおっしゃいました。
神様が救いを下さいましたが、愛によって救いを下さいましたが、我々は神様に再び背を向けてその救いから出て来ることも出来ます。再び堕落できます。
だから、そのコリント人への手紙のコリントにある教会でそういう問題が発生しました。だからその堕落と快楽主義と児童性暴行と娼婦と寝たい人たちがずっと、「パウロは本当の使徒ではない」と、このように言うのです。パウロは「キリストはあなた方の中にある。」「あなた方を容赦しない」と、こういう内容が継続して出てきますね?そうですね?
なぜならば、こいつらはこういうとても悪なるサタン主義を、簡単に言うと教会に引きずり込もうとした、無責任に引きずりこもうと、、、。
さあ、そういう内容が来る前に、人々は・・・、何故人々はそういう風に考えたのか?なぜか?
罪が何であるか分からないのです。罪がどれほど深刻なのかも分からないのです。
ですから、我々は罪について考えたら、悪い奴ら、ヒットラー、毛沢東、レーニン、ジェフリー・ダーマーこのような人と比較をしますね。私はそういう人たちと比べたらましじゃないか、自分はましだ。人殺しもしていないし、なんだかんだ、、。自分は姦通もしてないし、自分に何故罪があるのか、、、。
こういうふうに考えますね。そうですね。我々は他の人たちと比較しますね?
ところで神様のみ言葉、神様の十戒には、人々と比較するのではなく、我々は神様と比較するのです。神様と。うん?神様と比較したならば、どれだけ自分が善良な人だと考えても、どんなに自分が人々を殺人もしないで、人々になんとかかんとか、姦通もしないで、人々をヒットラーのように大虐殺しなかったとしても、神様と比較をしたら、その人々が話す小さな嘘などがそういうことまでもが、真っ赤な傲慢な巨大な罪なのです。
なぜか?神様と比較したら、神様の中で、神様は真理であられるので、嘘、嘘つきは神様の傍らに行くこともできません。焼かれてしまうのです、そのまま。聖書の中で神様が現れたときは完全に炎のように、そうでなければとてつもない、目がくらむような太陽のごとく、現れます。そうですね?神様は現れるときはただ、「ああ、抱きしめて下さる」こういうのではありません。
神様の前に出て行くことは、本来聖書に出ているのは人々は敬拝を捧げて、地にひれ伏し、その神様、神様の在り様、(その場に)臨まれていることがとても強力なので、人々はひれ伏してしまう。神様の神様のプレゼンス(Presence)がなにか?神様の臨在、存在がとても強烈なため、どんな罪もそばにいくことができないのです。
マグネットがなんですか?磁石。磁石のプラスとプラスが会うとパーンとはじきますね。完全に押し返して、このようにピョーン、ピョーンとなりますね。
そのように我々は罪があれば神様の前に行こうとしても、ピョーンとなって、飛んでいってしまうようのです。
だから人々はあー私が話した多くの小さな嘘、自分が盗んでしまった小さな内容、生きる時間も盗んできたし、または、インターネットをダウンロードしながら不法的に盗んできた、こういう小さいことたちは人々と比較したら、みんなやっているのに、、、。こういうことではないのです。
なぜならば我々は比較することが人と人ではなく、私と神様を比較するのです。だから、そのような悪なる小さな内容が、嘘であれ盗みであれ、人々を根本的に憎んだり、他の女や他の男を見ながらうらやましく思うことは十戒を破ることです。
男性たちもポルノを見たらそれも罪になるし、女性たちも女性ポルノであるドラマを見たらそれも罪になるのです。なぜか?他の男性、他の男性を願うようになるので、欲する、これが罪です。
神様はそういうところがありませんね。神様と比較したならば、、。イヤー、我々の小さな罪がどれだけ巨大であるか今やわかりましたね? そのような巨大な小さな罪がそのように巨大なのに、我々善良な者達、善良だと考える人々でも神様の傍らに行くことは出来ません。
すなわち神様と孤立した人生、神様と孤立した人生、地獄で生きることになります。死んだならば。そうですね。だから我々の小さな罪が我々は小さいと思うけれど、神様の完全なることと比較したならば聖書のみ言葉にあるように汚い雑巾のようだ。汚い雑巾、我々の義、義だと我々が考える義は、我々の義は汚い雑巾だ。我々の全てのよい行いも全てのよい出来事も、この神様と比較したならば聖書の言葉どおり汚い雑巾です。ウンチのついた雑巾。だから神様の前に行って誇ることが出来ません。人は、どんな人も皆。
我々の罪がこのように深刻であることが分かれば、小さな罪もそのように深刻です。聖書のみ言葉ではうそつきも神様の王国を相続することは出来ないと言います。フリーセックス、姦通、性に対する問題、性行為、うそつきの奴ら、盗人、そういう奴らも神様の王国を相続することは出来ないとなっています。み言葉では。
なぜか?我々の義では神様の横に行くことができません。行くことができません。
そういう現実が分かれば、ああ、私は神様の前で、神様の横で、その澄んだ、、、。霊界に行くようになったならば、神様の居られるところは、澄んだ愛、澄んだ愛の空気、空気ではないですか、空気のようなものでしょう?霊界は。
そこで息が出来なければ、のどを絞められているようでずっと、死んでしまう。
地獄ですね?地獄。神様の愛を飲むことが出来ないから。神様の傍らに行くことができないから。
それを万が一、分かったならば、悟ったならば、ああ、神様の愛はどれだけ偉大であるか、キリストを送られて、私は神様の前に行くことができない人なのにキリストを送ってくださってキリストを、独生者、独り子を送ってくださって、私を救おうとおくられた。それは何の話でしょうか?
私をカバーして私の罪をカバーして、私はそういう多くの罪が、、、。小さな罪も罪ですから。多くの罪を神様の前で覆ってくださり赦してくださって神様の前に新しくはじめることが出来る愛を与えて下さったということです。
その愛を知ったならば。ああ、私は監獄へ行く身であったのに、、、、。小さな罪でも小さな罪があっても代価があります。小さな罪があってもこれは完璧なる神様の前で比較することになりますから。その有罪判決は無限大にあるのです。無限大。無限大的に大きいのです。だから、小さな嘘も神様の完璧さの前では無限大の、有罪判決が出ます。何のことかわかりますね?
これが問題ですね?
だからわれわれは神様の法廷に立ったら我々は100%有罪です。有罪。有罪。無罪ではありません、有罪。また、我々がどんなに罪が小さいと考えても、これは完璧な神様と比較することになるので、無限大的な有罪判決です。
しかし、その状況で、イエス様は、キリストは、真のお父様は、私たちの罰金を払って下さいました。それだけでなく、私たちの前に立って私たちを覆って下さったのです。
ですから、判事が私たちを見たとき、前にいらっしゃるイエス様、真のお父様を見るようになります。このように掴んで下さいます。このように皆。
本来写真ではイエス様がこのように(前で)抱いていらっしゃいますね。(そうではなく)後ろ、後ろで抱いていらっしゃいます。どうして?前は神様に本人を見せることができる。どういう意味か分かりますね?それも不思議でしょ?
聖霊の巻物があると言う意味はそういう事です。聖霊の巻物。お父様の聖霊が私たちを覆うのです。覆いながら私たちの罪を神様の完璧な目の前に見えないように、独生子、ひとり子の勝利を見せるようにします。
ですから、私たちは最も深刻な事実を知るようになれば、神様の驚くべき愛を理解するようになります。愛を。神様の驚くべき恩恵、恩寵、恩賜。救いを受けることが出来ない人、救いを受けるだけの自分ではない私を神様は愛して下さるので、私のような罪人を愛して下さるので恩恵を施して下さいます。
最も愛する息子を私のために、生死の峠、死、血を流し、苦痛、罰、私の有罪判決の罰、全て受けるようにされます。キリストを私の代身に(されます)。
それを理解したら私の心の中にある感謝、私の心の中にある驚き、私の心の中にある「どのようにしてこれをお返しすることが出来るだろうか」という悩みが大きくなるしかありません。
そうしながらその感謝と、その愛が大きくなればなるほど、私が神様に感謝して感謝するだけでなく、神様を賞賛したくなります。賞賛。偉大な私の父を、栄光の主(である)神様、愛に満ちた天の父に感謝、このような内容がただあふれるだけでなく意味のある、私と、私の人生と、私の人生と繋がり意味ある感情が充満した、心情が充満した、知識が充満した、意思が充満した愛を感じるようになります。
そのような状況で神様を賞賛したくなります。神様の愛に対して歌を歌いたくなります。神様に感謝を見せたくなります。ですから、賞賛はこういうことです。荒野の歌詞を見てみましょう。荒野。
全ての本当の賞賛は、歌詞が全てこのような思いから出てこなければなりません。一番の深刻さに目覚めた心、一番の深刻さを通して私を救ってくださったキリストの愛、恩恵、恩寵、お返しすることができない愛。そのとてつもない愛の前に私の心に起こる熱い聖霊の涙。その涙と私の心に湧き上がる歌として神様を賛美する歌詞。
歌詞はどこにある?歌詞だけ見てみよう。その様な賛美は全てそこから出て来ます。ですから、多くの無神論者達が「聖書に出てくる神様は愚かな自分だけが賞賛を受けたい狂ったサイコパス。子供のような偽者だ」このように言います。
しかし、無神論者達も、そいつらも常に何かを賞賛します。無神論の哲学者を賞賛しますね。無神論の詩人を賞賛します。無神論者も美しい自然環境を賛美するでしょ?賞賛しますね?
ですから、自分達は賛美しながら、自分達も知らないで賛美と自分達が愛する物を見ながら賛美と賞賛をしているのに、クリスチャン達がしたら「神様は利己的な子供のような自分だけが賞賛を受けたい神に仕えているからそうだ。」と言うのです。自分達は馬鹿な詩人たちも賞賛しているのに。無神論の詩人を。キリスト教を憎み罵る哲学者達をも賞賛するのに。そいつらは、無神論者の賞賛を実際沢山します。サタン側の内容の賞賛を沢山します。
キリスト教の哲学者がこのように言いました。賞賛は、例えばもの凄い美しい環境を見た。運転して峠を上っているのだが峠を越えたら驚くほど(美しい)山の景観が現れた。その瞬間太陽の光が金色に光り地上に光が現れた。その様な景観。
それを見たら全ての人が、神様を信じていようと信じていまいと、それを見て「わあ!わあああああ!これを見てみろ。子供達、見ろ、見ろ!」このように言う。何故なら、人間としてとてつもない景観を見ながらこれを表現することが出来ない状態なら、口を塞がなければならないなら、そのとてつもない感覚を自分の中だけで隠さなければならないなら、私たちはそのもの凄く美しい場面と、何か完成できない失望するような感じが出てきます。
しかし、私たちはそれを見ながら「わあああああ!これを見ろ!」とこれを見ながら、これを表現することによって、このとてつもない景観と私が受けたこの瞬間と経験が完成するのです。
そして他の人に「ほらほらほら、これを見てみろよ。呆れるほどほどすばらしくないか?」他の人も「わああ!驚いた!」と言って、私がこれを表現しながら、他の人がこれを聞いてこれを表現して、私が他の人の表現を聞いたとき、そのとてつもない芸術が千万倍その場面が芸術として超越的な内容を表現するのです。どういうことか分かりますね。これが賛美だ。馬鹿野郎達。それが賞賛だ。
どのように美しい自然、環境、景観、美しい金色の光、それより数千万万万万万万億億億億億倍よりも美しくすばらしい神様を知るようになれば当然賛美したいだろ。当然口を開いて表現したくなるだろう。当然他の人に話したくなるだろう。
何故、そのとてつもない経験、場面、関係、愛、義。もしも自分の中だけで集まってしまうならば、自分の内で、何というか抑えなければならないなら、押さえなければならないなら、捉えなければならないなら、このような苦痛、表現できない苦痛だ、苦痛。苦痛だよ、苦痛。
まさにその瞬間、神様の恩恵を、新たに出会ったという感覚を、「アボジ!感謝します!栄光をお受けください!」このような表現が、その金色の滝、金色の光(輝き)、金色の山々、金色の光の美しい庭園。千倍万倍更に美しいその愛を、もう一度新たに、泉の水のように飲んだ時、それは、讃美しない訳にいきません。いや、美しい山々や美しい木々だけを見ても讃美したくなるのに。その山々や木々、陽が落ちるその場面、その宇宙を創られた主、神様を知るようになって、その愛を新たに泉の水を再び飲んだ時、毎日毎日新たな泉の水を飲む。どうしてこれを讃美せずにいられるでしょうか。
松の木を見て賛美するのに、秋になれば紅葉が美しいのを見て、「わぁ、とてもきれいだ。わぁ、すごい。」このように讃美するのに。
神様との本当の関係があれば、そしてその泉の水を新たに毎日毎日飲むようになれば、どうして讃美せずにいられますか?ん?それは、その賛美は、本当の神様の関係からではないという事でしょう。でも勿論、悪人でも、神様との関係がない人でも讃美をすることがあるでしょう、実際。しかし、意味がないのです。意味がありません。そして、深みもありません。そして、真実もありません。え?いくら歌を上手く歌っても、神様とのその関係、最大に悟り神様の愛の関係がなければ、その人から出て来る讃美の声はただの声で 愛ではありません。
その人から湧き出てくる内容が愛であってこそ、神様を愛する別の人も、それを聞いたときに素晴らしい恩恵にあずかります。何故なら我々には同じ主体があるので。神様、神様。神様に対する声、愛の歌詞、愛の内容。
これは無神論者たちは、「いやぁクリスチャン達が、神様を、愚かな神様に賞賛されたくて神様を愛するとか、低能者たちが神様神様と、どうしてあんなに幼稚に、幼稚だ、自達だけ賛美を受けて。」そうしながらそいつ等も幼稚なことを讃美するようになる。ハッハッハッハ。
いや、タッカーカールソンはどうしてあんなに、タッカーカールソンには全く驚く、天才だ、ホントに天才だ。この左派野郎どもがナンシー・ペロシからクオモ_ニューヨーク市長(州知事)と狂った詐欺野郎が、こいつらが皆、韓国のように、法的に左派都市で、外に出る時にはマスクをつけなければ罰金を取られるのだ、今では。カリフォルニアでは1000ドルか?ニューヨークが1000ドルか?とにかく。世界共産主義者たちが韓国ですでにテストしたのを、今や左派都市がしています。米国で。始まりました。
しかし、そいつ等がそんな法を作ったのに、あ、バージニアだ、バージニア。ラルフ・ノーサム(バージニア州知事)、あの野郎だ、あの詐欺野郎。あいつ等がしたんだ。しかし、ラルフ・ノーサムの場合は、「私たちはマスクをしなければいけない。法をこのように作りました。」と法を宣布したまさにその次の日に、次の日に!、だから、火曜日に宣布したら水曜日に!あの野郎は外で人といて、マスクをしていなかったのだ。
ナンシー・ベロシも同じだ。ナンシー・ベロシもカリフォルニア州でその法を作ったではないか。そうしていながら自分がヘアサロン、ヘアサロンに行くのにマスクをしていなかったのだ。カメラが全て映していました。今その撮っていた女性が、左派野郎たちに迫害を受けて、そのヘアサロンは店を閉め、今では下院選挙をしている!ハッ!ハッハッハ、あんなに有名になったから。暴露したから。
とにかく、更に、クオモのような詐欺野郎、CNNに出てくるクオモ、(顔をゆがめながら)「ドナルドトランプはこのように出て来て、コロナウィルスに勝ちながら、ホワイトハウスを盗聴しながら、マスクを外した。」こういう奴がいる、CNNに。
「マスクを外した!これがどれほど無責任なことか、あの詐欺師め」と悪口まで、CNN放送で悪口まで言った!分別が無いと! CNN放送で。犬畜生め。こんな風にしたのだ。
しかし、クリス・クオモは自分がコロナにかかったではないか。 CNNアンカーが。アンカー、アナウンサーがニューヨーク市長(アンドリュー・クオモ州知事)の兄弟です。弟か兄かは知らないが。とにかく兄弟です。 CNNで仕事をしている奴が。あいつが、アンカーでしょ、あいつがコロナだった。あいつがコロナにかかっていた時に自分が自己隔離していたと嘘をつきながら、27回自分が自分の地下室で報道した。CNNで。自分は自己隔離を良くしていると。
しかし、その自己隔離のふりをしている時に、人が写真を撮った。それが、あいつが秘密裏に自分に家を出て、マスクもせずに、あんなこんなレストランに行っているのを市民たちが撮った。ハッハッハッハ、
だから左派野郎たちは何をしているのだ!こいつらは、私たちだけが外に出られずに、私たちだけがマスクをしていなければ罰金を払わされ、このような偽りのようなサタン主義法を作って、自分たちがしたら「それは当然だろ」とこう言うのだ。スーパーエリートまで。これは100%左派野郎たちが、常にすることだ。
市民たちに課す法、自分たちには別の法。このアカ野郎は常にこうする。なのでこいつらは常に中央政府を作りたがる。中央政府を通して、億万罪悪、億万犯罪、億万殺人、億万大虐殺。全てする事が出来る。人々の資産を全て盗んで行く。
だから666、偽キリストシステムは、政府だ!政府!どのような犯罪組織、どのようなやくざ組織よりも、更に多くを殺す組織は何か?政府!
政府はどのくらいだ?韓国語では何だ。2000億、いや、100万はミリオンで、1000万は10ミリオンで、万万はいくらだ、1億だろ?1億は10万ミリオンだから、2億2千万人。2億2千万人。共産主義は20世紀に2億2千万人を殺したのだ、世界的に2億2千万人を。合っているだろ?2億2千万人、そうだろ?
同じ100年の間に、世界的に犯罪者が何人殺したか?犯罪者が、その同じ時節に、20世紀に犯罪者が、だからやくざ組織は何人殺した?10万人。さぁ、2億2千万人と10万人を比較してみなさい。勿論10万人も多いけれど、2億2千万人がどれほど多い!?
↓ 48:03 翻訳jongjong
だからこれくらいのやくざよりずっと危険なのは、スーツを着てネクタイをしている政府だ。これは、ヤクザたちがいい奴だということじゃない。ヤクザの組織よりもっと危険な中央組織は政府だ。歴史を見たら。特に左派政府。左派政府が一番危険だ。
どうして、このような現実を若者たちが学校で学ばないのか。政府の学校で。当然だ。政府の学校だから。自分たちが一番大きなヤクザ組織だと知られてはいけないから。自分たちが一番多くの犯罪を行っていることを知られてはいけないから、自分たちが一番多く世界的に貧しい人々を大虐殺したことを知られてはまずいから。出てきて、「貧しい人々を救う」などとウソつき、詐欺野郎ども。
左派政府の奴らが貧しい人々を一番殺してきた。2億2千万名、100年の間に。全ての世界大戦を合わせても比較にもならない。すべての世界大戦を合わせてみなさい。(英語で)第一次世界大戦と第二次世界大戦の死者を合わせてみなさい。比較することもできないほどだ。
左派政府たちは比較もできないように、最も危険な・・・、第一次世界大戦で1700万人、第二次世界大戦で6000万人(の死者)。だから、合わせて7700万名。それは、中央政府と比べると、中央政府は2億2000万名(を殺した)。三分の一ほどだ。比べ物にならない。もちろん中央政府も第一次世界大戦、第二次世界大戦を作った。しかし、その戦争を除いても2億2000万名。その戦争も政府が始めたから、それも含めると2億2000万名プラス7000万名。戦争まで含めると。どうして?馬鹿な偽キリストの中央政府が続けて戦争を起こすから。
こんなことは完全な詐欺だ。当然若者たちはこのようなことを学校で学ばない。学校は、政府洗脳センターだから。政府の学校だから。政府の先生だから。政府の職員は政府が望むように教える。自分の給料は政府から来るから。政府は市民の資産を奪っていくことで出てくる資産だ。政府のお金ができるのだ。
馬鹿な左派教会たちは、「マルコの福音書12章とマタイの福音書22章にでているじゃないですか。聖書にこう出てくるじゃないですか。カイザルのものはカイザルに与え、神様のものは神様に返せ」と。詐欺野郎ども。
カイザルとはどういう意味か。カイザルとは王という意味だ。神様は市民たちを自分の国の王としてたてたでしょう。その意味は、政府は市民たちにすべての市民の権利を与えなければならないということだ。カイザルは、政府ではないから。カイザルは市民たちだから。カイザルは市民だろう。特にアメリカ、天一国憲法では、カイザル、王は市民たちです。市民は自分のものを政府に与えるのではなく、政府が自分たちのものを市民たちに与えなければならない。マルコの福音書12章、マタイの福音書22章を見れば。左派詐欺野郎は常に、(左派)教会は常に、左派政府の中央政府の666システム、偽キリストシステムを奨励する。
ですから、コリント人への第二の手紙を見ると、私たちもちゃんと振り返ってみなければなりません。左派野郎のウソ、洗脳の内容がどれほど私たちをサタン主義へと行くようにするのか。どれほど私たちを辛い人々にさせるのか。私たちを利己的な快楽主義、サタン主義にするのか。これが分かるようになります。
しかし、もし、私たちが罪について本当に悟るようになれば、私たちはほかの人と比べるのではなく、神様と比べなければなりません。神様の完璧さと比較すると、私たちの罪はどれだけ多くの問題であるかを悟るようになります。この大きな問題のために神様は、永遠に遠いところにいるしかないのです。
しかし、神様は私たちを愛しているから、私たちを生かしたいから、私たちの潜在力を信じているから。一番尊い愛する独生子、独り子、息子を送り出して、私たちが受けなければいけない罰を代わりに受けて、私たちを包んでくださり、神様の前に行けるようにしてくださるのです。
だから讃美するのです。それは金色の光の美しい自然環境を讃美して「わーわーわー」とこのようにするのではなく、それより千億万倍、創造主、それを創造された方との関係と愛を理解し感じて、実感することができたとき、讃美が自然に湧き出てくるしかない状態になります。そんな状態で他の人たちも神様を讃美するのを聞いたら、私の中にある私の心にある喜びが拡大します。大きくなります。100倍大きくなります。
その感覚、その美しい実感、すばらしい関係、そのすばらしい愛、救援、恩恵を感じながら、神様にすべての栄光と賛美と愛をささげる天一国の市民にならなければなりません。
そのような気持ちで、鉄の杖祝祭が明日の行進から始まるので、皆さんも多くの精誠を尽くして、またお越しになる方たちが、安全に到着できるように祈って、すべてのアベル圏にいるキリスト教徒たちが、お父様の後継者、相続者、代身者である二代王と三代王権、カインとアベルと共に一つとなり、神様を讃美し、自由を感謝しながら、鉄の杖王国について学びながら、鉄の杖祝祭に勝利的に、安全に、左派のやつらが問題を起こそうとしても、安全に勝利的に完成、完結、完了するように祈って、来週の水曜日、祝福式と21日修練と祈祷の精誠がアメリカだけでなく、世界のために祈りながら、特に中国共産党が倒れることが出来るように深刻に祈祷をします。
この多くの内容を通して、トランプ大統領が再選するまで、21日であれ100日であれ、私たちは死を覚悟して帰ることができない状況になるかもしれないので、覚悟して、命を懸けて、各国のみなさんだけでなく、世界のために戦い、一戦でミクロコスモス三代王権、カインとアベルと共に聖霊とともに役事をしながら、マクロコスモスがついてくるように、勝利的についてこられるように、神様の導きと神様の聖霊の火で勝利することができると信じています。 アジュ、アジュ、アジュ。
では讃美チーム上がってきてください、神様にそのような気持ちで、聖霊を感じながら、罪人の立場で神様の愛を受けた、主の国を覆うように愛を受けた、その恩恵をかみしめながら、讃美をお捧しましょう。アジュ、アジュ、アジュ。