原相論堕落論(試論)更新案内:どのようにして、天使長が神が人間に与えた責任分担を手にしたか、その結果どうなったかを加筆しました。3-4.責任分担を主管し天宙を簒奪した天使長を追加
原相論・堕落論試論 参考編
天使の第二堕落(集団堕落)と霊的存在の誘惑
天国が打ち建てられても1000年後、サタンがまた復活して王国を破壊しようとするというのです。天一国が確立し偉大な自由と責任が機能し始めて、人々は神様の栄光を讃美し神と共に生活するようになったとしても、破壊の危機を迎えるというのです。サタンとその一味が王国の破壊を試みるというのです。
文亨進様:2016年8月28日説教 「王国の救い主」より
亨進様が懸念される1000年後、サタンがまた復活して、天一国が破壊の危機を迎えることを預言された。
つまり、この天一国の黎明期にあたり既にその危険性が潜んでいるということであり、この論文はその危険に備えることを目的とする。
最初に天使論から展開する。
アダムとエバが完成していれば天使も実体の人間の子孫を持つようになっていた、地上における天使の子孫らとの人間との共存、それが神の願いだという声を時々目にし耳にする。
ところが聖書によると、天使の実体子孫がかって繁栄していた時代があった。
この内容からそのような天使の種による実体の血統が、もたらした結果と、同時に信徒が霊的存在に魅了され誘惑されるその起源と危険性、それに対する対策を論じていく。
1:天使の子供たちが繁殖した時代がノアの時代。
聖書を見るとエバが自ら望んで天子長の子を孕むことを望んだように、太古より、人は天使との結婚、そしてその子を産むことを求めてきた。
実際に聖書には天使と結婚し、その天使の子どもとその子孫が繁殖した時代がノアの時代にあった。その内容を次に見ていく。
創世記 第6章
6:1人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、 6:2神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。 6:3そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼(ノア)の年は百二十年であろう」。6:4そのころ、またその後にも、地にネピリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった。6:5主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。 6:6主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、 6:7「わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。人も獣も、這うものも、空の鳥までも。わたしは、これらを造ったことを悔いる」と言われた。 6:8しかし、ノアは主の前に恵みを得た。
ここにあらわれる神の子とは堕落天使のことである。
神の子=原語のヘブル語「ブネイ・エロヒム」は、旧約聖書では例外なく「天使」(堕天使も含む)を指している。
参照:
天使は人間の女と結婚するのでしょうか?
ネピリム(ネフィリム)という勇士、有名となる超人達が存在したと聖書にあるがこのネフィリムが天使が繁殖させた天使の実体の子孫ということである。このネピリムは超人であると同時に神が全てを滅ぼすと決意される程の悪を行う存在であった。
この天使について、非常に詳しく書かれた、今は外典となってはいるが新約聖書でも引用されるほどよく読まれた旧約聖書がある。それがエノク書である。
このエノク書は当時、よく読まれた旧約聖書であるため当時の12弟子達の信仰を研究することと、天使と人間の堕落の研究において最近注目されている外典である。
新約聖書の『ユダの手紙』1章14-15節は『エノク書』60章8節と1章9節を引用している。
ユダの手紙
1:14アダムから七代目にあたるエノクも彼らについて預言して言った、「見よ、主は無数の聖徒たちを率いてこられた。 1:15それは、すべての者にさばきを行うためであり、また、不信心な者が、信仰を無視して犯したすべての不信心なしわざと、さらに、不信心な罪人が主にそむいて語ったすべての暴言とを責めるためである」。
2.天使の二度目の堕落、集団堕落の概略
エノク書の概略を記述する。
概略詳細は以下リンク先参照:
『エノク書』に記される伝説では『エノク書』第6章によるとヘルモン山に200人の天使たちが集まったが、彼らのリーダーはアザゼル、シェムハザ、そのほかアラキバ、ラメエルなどの20名であり、もともとは神に命ぜられて地上の人間を監視する「見張りの者たち」(エグレーゴロイ)であった。
アザゼルら見張りの天使の首長たちは、人間を監視する役割であるはずが、人間の娘の美しさに魅惑され、彼らは互いに誓いをたて、妻に娶るという禁を犯す。アザゼルらとともに200人ほどの見張りの天使たちが地上に降り、人間の女性と夫婦となった。『第二エノク書』では、この堕天使の一団はスラブ語でグリゴリ(Grigori=見張り)と呼ばれる。
人間の娘たちを妻にめとったその際、人間に禁じられた知識(呪術、薬草、剣、盾、胸当てなど武器の作り方や腕輪、眉毛の塗り手入れの方法の仕方、占星術など)を地上の人間たちに教えたが、それによって男は武器で争うことを、女は化粧で男に媚を売ることを覚え、地上には不敬虔や姦淫など様々な悪行がはびこることになった。
堕天使と女性たちとの間には(ネフィリム)が生まれ、彼らは地上の作物はおろか、鳥や獣、人間を食い尽くし、最後には共食いまで始めた(7章)。
やがて滅び行く人々の声が地上に届き、ミカエル、ガブリエル、ウリエル、ラファエルの四人が地上で暴虐が行われているのを見た。神は大洪水によって地上のものを滅ぼすことにし、ラメクの子ノアとその家族だけは助けるため、ウリエルを遣わした。神はラファエルに命じてアザゼルをダドエルの穴に閉じこめさせ、ガブリエルに命じて堕落した者たちを相争わさせ、ミカエルに命じてシェムハザとその仲間たちを大地の地下の下に永遠の審判の日まで閉じ込めさせた(10章)。
このようにノアの時代、神が洪水審判を決意される程の「血に暴虐が満ちた」とは、200人にもなる天使と人間の集団淫行による天使の子女繁殖とその子孫たちによる暴虐であった。
*注)ネピリムはノアの洪水後も出てくる。つまりその後も人間と天使の結婚があったと思われる。
3.神は天使と人間との間の子を望むのか?
このようにノアの時洪水によって滅ぼされた天使の子孫達は、ルーシェルとエバの堕落の時と同じように、天使の精子で受精した卵子を持った女性が実体の男性と交わって生まれた天使直系の子孫ネフィリムであったのだ。
真のお父様は本体論で「カインはルーシェルの実子だった」と言われたが、これはカインがルーシェルの精子(霊人体)そのものから生まれたからである。
カインに比較すると次子アベルは、ルーシェルの要素を受け継ぎ汚れたとは言え霊人体も肉体もアダムの精子から生まれた子である。
これがサタンとなった天使長がカインを愛してやまなかった理由、神が取れなかった理由である。
カインはいわば最初のネフィリムであった。
しかし天使たちの集団堕落によって生まれたネフィリムを神は洪水審判で滅ぼしてしまわれた。
以上から言えることは
1)取って食べるなという神の戒めは、人間には責任分担であったが、天使には律法、戒律であった。
2)天使はルーシェル以外の天使も人間の女性と交わり子を成すことができる。人間の女性は天使の子どもを生むことが可能である。つまり天使という霊界の存在は人間の卵子と受精し子を持てる精子を持っている。
3)天使と人間の間の子は、超人であるが神が願わない悪なる暴虐を行い神の心を痛める存在になってしまう。
4)このように天使は人との間で繁殖できるが、神の心を大変痛め、ついには神は洪水審判で滅ぼしてしまわれるほどに、その存在は悪である。つまり天使は人間との間で子を産み繁殖できるが、それは神の創造目的ではない。
ということである。
実際聖書によれば神は明確に人間と天使の間の性関係に敵意を持っておられる。
口語訳:創世記3章15節
3:15わたしは恨みをおく、おまえ(天使)と女とのあいだに、
おまえのすえと女のすえとの間に。
彼はおまえのかしらを砕き、おまえは彼のかかとを砕くであろう。
新共同訳:創世記3章15節
3:15わたしは、おまえ(天使)と女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。
このように神は天使と人との間、それどころかその子孫と人の子孫との間の性的関係をかくも忌み嫌っておられるのである。
原理講論によれば神は天使を人間よりも低級に創造された。そのような低級な存在として創造したのに自分の娘の結婚を神が望むはずもない。
まして、人間よりも低級な天使長の愛の力ぐらいでは、到底神を中心とした、彼ら夫婦の愛を断ちきることはできなかったはずである。
堕落論第三節 (三)信仰のための戒めが必要な期間
真のお父様が、アダムとエバの13世代後の女性の内ルーシェルが望む女性を妻として与えると言われたという話があるが、その話が本当であったとしても、その女性との間に子供を生まれることは認めておられなかったことがわかる。もしもそれが認められているのなら、ルーシェルはわざわざエバを誘惑する必要がないからだ。
ここに大きな疑問が出てくる。
人間との天使の間に子が生まれることをこれほどまでに敵意を抱かれたのに何故神は、天使と人との間で子を持てる能力を持つ性器と精子を天使に与えたのかということである。
その創造目的については原相論堕落論(試論)天使の天宙簒奪編にてその試論を述べたので、参考頂けることを期待し、ここでは割愛する。
4.人はなぜ神よりも霊的な存在や力に憧れ望むのか?
堕落した人間は、創造目的を完成した人間としての価値を備えていないので、自分より低級に創造された天使を仰ぎ見る程度の卑しい立場に落ちてしまった。
原理講論 キリスト論 第三節 堕落人間とイエス
天使は人間よりも低級に創造された。人は神、聖霊、霊的な力のある存在に憧れるが、それを手に入れたいという欲望はこの人よりも低級に創造された天使との性的関係をもった情念の表象である。
エバがルーシェルの力を望んだように(神のように目が開けることを望んだこと)、ルーシェルが人間界をも支配しょうとしたように、人はその子孫であるがゆえに人は神に背信してでもその超人的力・霊的力を得てこの世を支配したいという情念に我知らずかられることがある。そのような卑しい存在になったということをこの原理講論は言っている。
そのような人の霊的存在に対する欲望を利用し、堕落天使は光の天使、神、聖霊を装うが、人はそれに惹きつけられるのである。
聖霊は独立した霊的存在ではない。神のみ業の女性的位相(表象)であり、個体として存在するのならそれは悪霊である。
実際の堕落天使はイメージされる黒い醜い姿ではなく、ときには神、ときには聖霊、時には光の天使を装って、そのような光を装って我々を誘惑してくる。
このように人は神様の存在を分かりながらも、勝利されたキリスト真のお父様を知りながらも霊能的存在、霊的力に強い憧れを持ちそれを手にしたいと思うその理由は、
①堕落した人間は、創造目的を完成した人間としての価値を備えていないので、自分より低級に創造された天使を仰ぎ見る程度の卑しい立場に落ちてしまった。
②エノク、ノアの時代の人が天使と交わることで超人的な力を得てその力に魅了された時代があった。
③その思いの源流が、エバが天使と交わることで神のごとく目が開けること(霊的力を得ること、力への欲望)を望み、その誘惑のまま自ら天使長の腰に股がった(原理本体論講義)。
④さらに根本的要因は、天使長ルーシェルは人間界への支配欲権力欲をもった。
人間はこのような天使長とエバの、神に反するその情念により生まれた子孫であるが故にということである。
それだけに夜の神様の精子神学から考えると、このような霊的存在との性を望むことは、神様の精子を破壊しようとする夜の神様の絶対性、唯一性、そして絶対唯一なる真の父母を否定する二元論、多元論となってしまう。
5.再び堕天使の虜になった韓氏オモニ
韓氏オモ二の神学は夜の神と、その妻聖霊実体としての女性神という二元論である。一なる夜の神様の神性の一つとしての天の父母様ではなく父なる男性神と母なる女性神という二元論の天の父母様である。
本来時空間も二性性相も持たない夜の神様は、被造世界という夜の神様が作った時空間の世界に現れる際、神霊という男性位相と聖霊という女性位相の二性性相によってその役事をなされる。
この女性的位相が聖霊であり、癒やし・感動・悔改などの女性的役事をされる。あくまでも夜の神の女性的御業のことであり、独立した霊的存在ではない。
ところが韓氏オモ二は、この夜の神の女性的位相、女性的役事の基が自分であり、自分がその聖霊実体として生まれたと認識してしまった。
そのような二元論神学ゆえに、自分自身は夜の神様と結婚すべき、やがて天宙を主管する女性神となる存在であると錯覚してしまった。
キリスト(真お父様)の花嫁(韓氏オモニ)はキリスト(真のお父様)の体を通さないと夜の神様とは結婚できない。
ところがこの二元論による誤った認識により、韓氏オモ二はエバが天使長という霊的力(権力)を求めた如く、神との直接の結婚を切望した。
亨進様は「韓氏オモニはアボニムに嫉妬した。皆がアボニムだけを賛美し愛することに嫉妬した。」と言われた。つまりその嫉妬故にエバのように自分も神になることを望み二元論に陥ってしまい自分が神になろうという絶対権力の虜になったのである。
そのようにエバが神のように目が開けること(権力)を望みアダムを軽視し自ら天使長の腰にまたがったように、韓氏オモニはキリスト(真のお父様)を排除し神様と直接結婚し絶対権力を手に入れるために聖霊実体・母なる神になろうとして、金孝南が連れてきた神と結婚式を挙げてしまった。
ルーシェルの誘惑に自ら彼の腰に股がったように、金孝南が連れてきた神という名のサタン的悪霊、堕落天使と自ら結婚(性的堕落)をしてしまったということなのである。
こうして堕落天使は真のお父様が真の父母になることによって失ったサタンの人類の偽りの父母の位置を、真の父母になった韓氏オモニと結婚し韓氏オモニを虜にすることにより再び人類の偽りの父母位置に立つようになったのである。
家庭連合の言う天の父母とは、このサタン的悪霊を父としその虜となりエノクの時代のように堕落天使の超人的力を手にした韓氏オモニを母とする偽りの天の父母のことなのである。
上記「4.人はなぜ神よりも霊的な存在や力に憧れ望むのか?」で説明したように、韓氏オモ二は霊的力(絶対権力)を持つ神になりこの世を支配したいという情念に我知らず支配されてしまった。
これは韓氏オモニだけの試練ではない。
いつでも我々信徒に襲いかかる可能性のあるエバとルーシェルの時からの情念であり、堕落天使達はいつでもその相対基準を造成し侵入できるよう常に誘惑していることを忘れてはならない。
6.霊的堕落の失敗を繰り返さない為に
以上のように人は神に背信してでも霊的な力や聖霊の力を得たいという情念がある故に、それが動機で人は生まれてしまったが故に常に堕落天使達の誘惑にさらされている。
韓氏オモニだけではなく、数多くの信徒たちが霊的力に魅了され悪なる霊の虜になっていった。
このような霊的な誘惑にどのように対処すべきなのだろうか。
亨進様が言われるように、常に旧約・新約・成約のみ言により霊的な内容を聖別することがまず重要である。
ここに、旧約と新約のそのために必要な重要な聖句を記す。
*旧約聖書から
新共同訳:創世記3章15節
3:15わたしは、おまえ(天使)と女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。
*新約聖書から
マルコによる福音書12章
12:28ひとりの律法学者がきて、彼らが互に論じ合っているのを聞き、またイエスが巧みに答えられたのを認めて、イエスに質問した、「すべてのいましめの中で、どれが第一のものですか」。12:29イエスは答えられた、「第一のいましめはこれである、『イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。 12:30心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
まず聖霊や天使、霊能力など、霊的力に魅了されるその自分の思いに接した時、その思いに敵意を置きその思いの頭を砕くのである。それはサタンの我を拝せよという試練でもあるからだ。
そのような霊的な内容に魅了されることは二元論であると戒め、その魅了される頭を砕き、 心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神とキリストを愛せよという第一の戒めに徹することである。
霊的な力として例えば聖霊を主キリストよりも求める場合がある。
聖霊の御業が神の主体ではない。
主キリストではなく聖霊の役事自体を望むのは二元論を求める邪な思いである。
心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なる神を愛するその姿に神が感動し与えて下さる神の恩寵が聖霊の役事であるからだ。
聖霊などの霊的な力を求める信仰は第一の戒めを破ることであり、やがて霊的力の主管を受けてしまうことになり韓氏オモニのような失敗をしてしまう。韓氏オモには聖霊実体なる神になることを求めて失敗した。
そのような霊的な感動や力を第一に求める思いの頭を砕き、心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なる神、キリストを愛するという第一の戒めにこだわり貫き通す信仰が、サタン的悪霊の誘惑に打ち勝つ方法である。
亨進様は1000年後、サタンが復活し反キリストが現れ混乱が起きる可能性を示唆された。
恐らくは、このような霊的力に魅了されサタン的悪霊の誘惑に負ける事件が起きるということだと予測される。
我々は霊界に行っても、1000年は戦っていかなければならないようである。
参照:全部試論です。
- 以下もご参考ください。
原理原相論試論.◆創造原相論◆堕落論◆夜の神昼の神
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