2025年9月2日火曜日

ヨセフ路程と私たち ◆2025年8月24日英語日曜礼拝 ”路程”<> リチャード・パンザー米国大陸会長

 ヨセフ路程と私たち

2025年8月24日英語日曜礼拝 ”路程”<>

リチャード・パンザー米国大陸会長

"Course"Sanctuar Church Sunday Service 08 24 2025 


皆さん、おはようございます。それでは、祈りを捧げ、礼拝を始めましょう。


愛する天のお父様、

この美しい新しい一日を感謝します。

私たちの人生に感謝いたします。どうか、あなたの御心がこの地になされ、私たちがあなたと一つになって歩むことができますように。天のお父様、私たちは自らの人生を通してあなたに喜びをお捧げし、御心を成就したいと願います。

本日、そして今日一日、この一週間、この一ヶ月、この一年を導いてください。天のお父様、二代王様と王妃様の勝利、そして世界中の兄弟姉妹たちの勝利のために祈りします。

本日、この場に共にいる祝福中心家庭の名において、この短い祈りを捧げます。アーメン。



ヨセフ路程


さて、

私たちにはスライドがあります。今日は「ヨセフ路程と私たち」というテーマについてお話ししたいと思います。これが今日の内容です。


皆さん、ヨセフと彩り豊かな長袖の衣の話を覚えていらっしゃると思います。創世記の37章から読んでみましょう。

2 ヤコブの子孫は次のとおりである。ヨセフは十七歳の時、兄弟たちと共に羊の群れを飼っていた。彼はまだ子供で、父の妻たちビルハとジルパとの子らと共にいたが、ヨセフは彼らの悪いうわさを父に告げた。

3 ヨセフは年寄り子であったから、イスラエルは他のどの子よりも彼を愛して、彼のために長そでの着物をつくった。

4 兄弟たちは父がどの兄弟よりも彼を愛するのを見て、彼を憎み、穏やかに彼に語ることができなかった。


ですから、ヨセフは兄弟たちからあまり人気がなかったのです。

では、この後どうなるでしょうか?

5 ある時、ヨセフは夢を見て、それを兄弟たちに話したので、彼らは、ますます彼を憎んだ。

6 ヨセフは彼らに言った、「どうぞわたしが見た夢を聞いてください。

7 わたしたちが畑の中で束を結わえていたとき、わたしの束が起きて立つと、あなたがたの束がまわりにきて、わたしの束を拝みました」。

8 すると兄弟たちは彼に向かって、「あなたはほんとうにわたしたちの王になるのか。あなたは実際わたしたちを治めるのか」と言って、彼の夢とその言葉のゆえにますます彼を憎んだ。

そして、彼の父が牧草地にいる兄弟たちのところにメッセージを伝えるために、ヨセフを遣わしました。

18 ヨセフが彼らに近づかないうちに、彼らははるかにヨセフを見て、これを殺そうと計り、

19 互に言った、「あの夢見る者がやって来る。

20 さあ、彼を殺して穴に投げ入れ、悪い獣が彼を食ったと言おう。そして彼の夢がどうなるか見よう」。

21 ルベンはこれを聞いて、ヨセフを彼らの手から救い出そうとして言った、「われわれは彼の命を取ってはならない」。

22 ルベンはまた彼らに言った、「血を流してはいけない。彼を荒野のこの穴に投げ入れよう。彼に手をくだしてはならない」。これはヨセフを彼らの手から救いだして父に返すためであった。


つまり、その情け深い兄は、殺すのではなく穴に投げ入れることを提案したのです。

23 さて、ヨセフが兄弟たちのもとへ行くと、彼らはヨセフの着物、彼が着ていた長そでの着物をはぎとり、

24 彼を捕えて穴に投げ入れた。その穴はからで、その中に水はなかった。

25 こうして彼らはすわってパンを食べた。時に彼らが目をあげて見ると、イシマエルびとの隊商が、らくだに香料と、乳香と、もつやくとを負わせてエジプトへ下り行こうとギレアデからやってきた。  

26 そこでユダは兄弟たちに言った、「われわれが弟を殺し、その血を隠して何の益があろう。

27 さあ、われわれは彼をイシマエルびとに売ろう。彼はわれわれの兄弟、われわれの肉身だから、彼に手を下してはならない」。兄弟たちはこれを聞き入れた。

28 時にミデアンびとの商人たちが通りかかったので、彼らはヨセフを穴から引き上げ、銀二十シケルでヨセフをイシマエルびとに売った。彼らはヨセフをエジプトへ連れて行った。


これはかなり問題のある家族だと言えるでしょう。弟を殺そうとするのですから。

そして、情け深い方の兄ですら、奴隷として売るという選択をしました。これは相当がっかりする話ではないですか?きっとヨセフは「自分の大きな夢は一体どうなってしまったのだろう?」と思ったことでしょう。

では、その後どうなるのでしょうか?ヨセフは奴隷としてエジプトに連れて行かれました。やがて彼は宮廷の警護隊長ポティファルの家に仕えるようになります。ヨセフはとてもよく仕えたので、ポティファルから信頼され、家の全てを任されるようになりました。多分、他の事業も任されていたのでしょう。

不幸なことに、ポティファルの妻がヨセフを欲し、彼を誘惑しようとしました。私たちは知っていますね。ヨセフは「ノー」と言って逃げたのです。私たちはそのことを知っていますね。


信仰と試練の路程


私は考えました。

きっとこれは初めての誘惑ではなかったと思います。ポティファルの妻は何度もヨセフを誘惑したことでしょう。その時、ヨセフがどのような計算を心の中でしたでしょうか?

なぜなら、彼はポティファルが自分の主人であることを知っていたからです。彼は主人に仕えなければなりません。

しかし同時に、この家で非常に重要な存在はポティファルの妻でもあります。ですから、きっと彼はこのように考えたと思います。「どうすれば主人に忠実に仕えつつ、その妻を怒らせずに済むだろうか?」と。


そして実際に起こったのは、ポティファルの妻が彼を誘惑し、彼の服をはぎ取って、ヨセフは裸のまま逃げたのです。すると、彼はやっていない罪を着せられてしまいました。その結果、牢獄に入れられてしまいました。


私たちは、この時点からでもヨセフの路程からいくつかの教訓を学ぶことができると思います。それは、神が私たちに使命を与え、そして夢をくださる時、その夢は単なる夢ではなく、預言的な夢でした。少なくとも二つの預言的な夢があったのです。そうであれば、私たちは必ず試されるということを知るべきです。


ヨブ記のようにサタンは試練をする


そうですね。お父様はいつも語られました。今日はその全てを共有することはできませんが、お父様はこの世で教えてくださいました。

私たちが乗り越えるのは、神様からの試練だけではなく、サタンからの試練でもあるのだと。

なぜなら、サタンは絶えず神に訴えているからです。「この人はあなたが造ったと言いますが、実際には私に属しているのです。私はこの人の人生を台無しにし、罠にかけて見せます。神様、あなたに証明して見せます」と。

ヨブ記を読めば分かります。


同じことが書かれています。

サタンは神のもとに来て言いました。「あなたはヨブが敬虔であなたを愛し、あなたに仕えていると言いますが、私に彼を少しでも傷つけさせてみてください。そうすれば、ヨブがあなたに属しているのではなく、私に属していることを証明して見せます」と。

実際に、ヨブの妻でさえ、子供を失い全身に悪性のできものができた時、「なぜ生きているのか、もう死んだほうがいいのではないか?」と言いました。

彼の妻自身がそのように言ったのです。


お父様が私たちに説明してくださるのは、これこそ私たち全員が通らなければならない模範の路程であるということです。神様の摂理に参加するのであれば、私たちは人生の多くの場面で必ず試練を通過しなければなりません。


お父様は個人の段階、家庭の段階、氏族の段階、国家の段階、世界の段階と語っておられます。私たちはその全てにおいて試練があることを覚悟しなければなりません。サタンが訴える時、人々が私たちを責める時、もちろん実際に命を狙われることはないにしても、しかし必ず試練があるのです。


獄中のヨセフ


私はまた、牢獄にいたヨセフのことを考えました。

聖書によれば、彼は数年間牢にいたのです。

考えてみてください。私は信じています。ヨセフは牢獄の中でも神と交わっていたと。

牢獄の中でも神の臨在が彼と共にあったとそのように信じています。


しかし同時に、彼にはこうした思いが出てきたに違いありません。

「自分の兄弟たちは私を殺そうとした。そして、情け深い兄ですら、殺さないで自分を奴隷に売ることにした。ようやくポティファルの家に仕え、主人に信頼され、最善を尽くしてきた。ところが、その妻に誘惑され、やっていない罪で告発され、牢獄に入れられた。」


きっとその時、サタンは彼の耳元でささやいたことでしょう。「見てみろ。お前は本当に神に召されたと思っているのか?神がお前に夢を与えた?実際にはお前は何者でもない。誰もお前を気にかけない。誰もお前を尊敬しない。お前の夢を預言だと思う者などいない。お前はただの落伍者だ。」このような言葉をサタンから彼は聞かされたに違いありません。


しかし、私たちは知っています。この模範の路程を通過する時、私たちは信仰的でなければならないのです。信仰を守り、乗り越えて勝利しなければならないのです。


夢の解釈と再会


さて、物語を続けましょう。

牢獄にはもう2人の人物がいました。王の給仕役の長と料理長です。彼らは二人とも夢を見て、ヨセフはその夢を解き明かしました。

ヨセフは給仕役の長に言いました。「あなたは三日のうちに牢を出て、再び王に仕える地位に戻るでしょう。」そして料理長にはこう言いました。「あなたは処刑されるでしょう。」その通りになりました。

ヨセフは給仕役の長に頼みました。「あなたが王の元に戻った時、どうか私のことを王にお伝えください。私は牢獄にいるべきものではありません。元の仕事に戻れるように王に取りなしてください。」しかし、給仕役の長は忘れてしまいました。ヨセフのことを思い出せなかったのです。実際には、彼が牢屋にいた期間は、解説によれば10年ほどだとも言われています。


その後、ファラオが夢を見ました。とても不安になる夢でした。その夢の中で7頭の肥えた牛を見ました。そして次に7頭の痩せ細った、飢えた牛を見たのです。その夢は非常に力強く、ファラオはその意味を強く知りたいと願いました。しかし、周りの誰一人としてその意味を解くことができませんでした。すると、給仕役の長が思い出しました。「そういえば、数年前牢にいるヨセフが私の夢を解き明かしてくれて、その通りになったのです。」


ヨセフの知恵と摂理


それでファラオはヨセフを呼び出しました。ヨセフは夢の意味を解き明かしました。その夢の意味は、エジプトに7年間の豊作と繁栄が訪れ、その後に7年間の飢饉と飢えと死が訪れるということです。

ファラオは尋ねました。「では、私はどうするべきでしょうか?」

ヨセフは答えました。「7年間の豊作の間に、全ての小麦の五分の一を集めて倉に蓄えることのできる人物を選ぶべきです。そうすれば、作物が取れない7年間を生き延びることができます。」

そこでファラオはヨセフをその責任者に任命しました。彼は7年間、収穫の20%を税として納めさせ、それを倉に蓄えました。残念ながら、これは大きな政府の支持者のようにも見えますね。自由主義者たちは喜ばないかもしれません。

しかし、この政策によってエジプトは生き延びることができたのです。

そしてもっと重要なのは、彼の血統が守られたということです。なぜなら、彼の父と兄弟たちは飢えていたからです。


飢饉は2年間続き、地域全体に及び、人々は食べ物をほとんど持っていませんでした。ヤコブは息子たちをエジプトに遣わし、食料を買わせました。「エジプトには食料があると聞いた。行って買ってきなさい」と。

そして物語を進めると、兄弟たちはエジプトに来て食料を買いますが、ヨセフを認識できませんでした。本当に気づかなかったのです。彼らは彼が死んだか、どこかで奴隷にされていると思っていたのです。


神の計画と赦し


さて、創世記45章にはこのようにあります。

4 ヨセフは兄弟たちに言った、「わたしに近寄ってください」。彼らが近寄ったので彼は言った、「わたしはあなたがたの弟ヨセフです。あなたがたがエジプトに売った者です。

5 しかしわたしをここに売ったのを嘆くことも、悔むこともいりません。神は命を救うために、あなたがたよりさきにわたしをつかわされたのです。

6 この二年の間、国中にききんがあったが、なお五年の間は耕すことも刈り入れることもないでしょう。

7 神は、あなたがたのすえを地に残すため、また大いなる救をもってあなたがたの命を助けるために、わたしをあなたがたよりさきにつかわされたのです。

8 それゆえわたしをここにつかわしたのはあなたがたではなく、神です。神はわたしをパロの父とし、その全家の主とし、またエジプト全国のつかさとされました。


これは驚くべき場面です。しかし、正直に言えば、このように思えます。

「神は最初から全てを計画しておられたのだろうか?」

兄弟たちは自分たちがしたことを長年、罪悪感と恥を抱えていました。お父さんに嘘をついて、父に深い悲しみを与えたのです。そのことで彼らは悔い改めたに違いありません。

そして、さらに考えるのは、サタンさえも思ったことでしょう。「私は神の血統をここで破壊してやろう。メシアの血統をここで今絶ち切ってやる。」

しかし結局のところ、その全てを通して神が働いておられたのです。神様が働いておられました。

これは私たちにとって非常に重要な理解だと思います。なぜなら、私たちが困難を通過する時、ただ混乱しか見えないことがあるからです。


二代王様の試練と勝利


私はこの教会に導かれ、神がご自身を現されたと確信し、そして今、摂理のキリストの時代に生きていると悟った後、そのように感じても、しかし現実を見れば時々、「一体何が起こっているんだろうか?」とそのように思うことがあるのです。


そこで、私は一枚の写真を見つけました。亨進様ヨナ様、國進様チェ様一緒の一枚の写真。多分、よく分かりませんが、おそらく20年前でしょう。皆さん、まだ若く、とても幸せそうな場面ですね。


この写真を見ながら、私は二代王様の路程を考えました。

彼は試練に立ち向かい、勝利しなければならなかった。その路程を考えました。お父様もそうです。兄弟姉妹から、「あなたたちは不幸な子供たちだ。なぜお母さんを敬わないのか?」などと責められ、そのような路程でした。

しかし幸いにも、彼は勝利されました。信仰的に神様に対し、そして真のお父様に信仰を立てて歩んでおられました。私たちはお父様の御言葉を保存し、また、文鮮明真のお父様を称え、その驚くべき使命を継いでいます。これは私たち全てにとって本当に大きな模範であると思います。


皆さんはニューヨークタイムズや他の新聞が、第三次大戦や共産主義中国が台湾を侵略する可能性について書き続けているのを読んでいることでしょう。


では、二代王様は私たちにどこに向かうと言われましたか?「私は台湾に行きます」と。こんなことは作り話ではないのです。とにかく、神様がそこでも彼と共におられると確信しています。神様に感謝します。


お父様のダンベリー勝利


さて、話を戻しますが、この問題については新約聖書にも触れたいと思います。

ピリピへの手紙の1章を見つけました。使徒パウロは少なくとも二度獄中生活をしましたが、その中で彼が記した言葉です。今まさに牢獄の中で彼がこう書いたのです。

20 そこで、わたしが切実な思いで待ち望むことは、わたしが、どんなことがあっても恥じることなく、かえって、いつものように今も、大胆に語ることによって、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられることである。

21 わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である。

22 しかし、肉体において生きていることが、わたしにとっては実り多い働きになるのだとすれば、どちらを選んだらよいか、わたしにはわからない。

23 わたしは、これら二つのものの間に板ばさみになっている。わたしの願いを言えば、この世を去ってキリストと共にいることであり、実は、その方がはるかに望ましい。


これは本当に興味深いことです。なぜなら、パウロは霊的な体験を持ち、その世界がいかに素晴らしいかを彼は知っていたからです。


実は、このテーマについて皆さんにお見せしたいものがあります。

お父様は、霊界の存在と死後の生命について明確な証拠が現れると預言されました。そして実際に、その情報は洪水のように今あふれてきています。

ですから、皆さんにそれをお見せしたいと思います。


しかし、使徒パウロも霊的な体験を持ち、彼の心の中では、「イエス様と共に霊界に行きたい。これが一番良い」とそのように思いながらも、「いや、この世でやるべき仕事が多くある」と葛藤していたのです。彼自身が決められることではなく、最終的には神様がその主権を持っておられると考えていたと思います。


では、ここでお父様の御言を読みたいと思います。

「霊界はどこにあるのでしょうか?あなたの体の底にあるのでしょうか?それとも体の中に入り込んでいるのでしょうか?霊界は体の中にまで浸透しているのです。あなたは霊を肩に乗せて歩いており、どこへ行ってもそれを担ぎ抱えているのです。そこから逃げられるでしょうか?不可能です。ですから、私はどこへ行っても心が常に自信に満ちており、反対を受けても揺らがないのです。」


私は時々思い返します。

お父様がダンベリーに行かれた時、それは1984年でした。私は打ちのめされました。

神様のことについて非常に幼稚な理解しか持っていなかったのです。

私は、「なぜお父様は、神様のことやイエス様の使命、そして神様の創造本然の目的で何が起きたのか、そうした驚くべき洞察を教えてくださっているのに、なぜお父様は牢獄に行かれるのか?」と衝撃を受けたのです。


私だけでなく、多くの人が同じように内的なショックを受けていたと思います。しかし、お父様は「これは大したことではない。むしろ休暇のようなものだ」という印象を与えられました。本当にそのように感じさせられたのです。


ちょうどその頃、イーストガーデンにいた見習いも覚えていることと思います。お父様が牢獄の中でも外出が許され、イーストガーデンに戻ってこられると、見習いは、お父様が着られていた服を洗濯しました。すでに400人もの囚人が牢獄で使った、汚れていたリサイクルの下着まで洗いました。それが現実でした。


とはいえ、アメリカの刑務所は、北朝鮮や韓国でお父様が入られた刑務所に比べれば五つ星ホテルのようなものだったかもしれません。

しかし、肝心な問いはこれです。「なぜお父様はあれほど自信に満ちておられたのか?」その理由はただ一つです。それは、お父様は霊の実在と神様の実在を知っておられたからです。だからこそ、あのような確信を持って歩まれました。


死の恐怖に対する、主への愛による屈服


もう一つお父様の御言葉を紹介します。

「神様が喜ばれる日はいつでしょうか?あなたが肉体に生まれた日ですか?それとも神の息子・娘として生まれ、無限の世界で生き、愛するようになる日ですか?なぜこのことを言うのでしょうか?死から解放されない限り、神様との関係を築くことはできないからです。」


考えてみてください。私たち皆さんも、死の恐怖から解放されなければ、神様との関係を築くことができないのです。これは私たちが考えなければならないことです。なぜなら、サタンが人々をどのように支配するかを考えてみれば分かります。

このサタン世界において、暴君たちはその切り札を握っているのです。


彼らの切り札とは何でしょうか?「私は軍を掌握している。私は警察を支配している。そして、もしも私に従わなければ、あなたを殺すことも、家族を皆殺しにすることも、牢獄に送ることも、あなたを奴隷にすることも私はできる」というような脅かしです。

それがサタンの切り札であり、人々がサタンによって支配されている世界の仕組みなのです。


そして驚くべきことは、キリスト教がローマ帝国を征服することができたことです。なぜなら、キリスト教徒たちはそれを経験し、多くの人々がそれを経験して、「私を殺しても構いません。私はイエス様と共にいます。もし私を殺すなら、私はもっと早くイエス様の元に行くだけなのです」と言ったからです。

そのような態度だったのです。それは使徒パウロの態度にも見られます。


しと変容


お父様はサタンの屈服について語られました。

私たちはカインを屈服させなければなりません。カインは基本的に私たちを殺そうとしますが、私たちはカインを殺して屈服させるのではなく、奉仕を通して、カインを愛することを通して屈服させなければなりません。


使徒パウロはその最大の模範です。パウロはかつてサウロと呼ばれていた時に、彼は異端のトップであり、キリスト教徒たちを迫害し、牢獄に送り、多くの人がそこで死にましたね。

多くの学者たちは、彼がステパノが石打ちで殺される場面に立ち会い、それを承諾したと考えています。


それにもかかわらず、イエス様はサウロを選ばれ、「サウロよ、私はあなたを選んだ」と言われました。

彼は目が見えなくなりましたね。覚えておられますでしょうか?ダマスコへ行く途中で盲目となりました。その時イエス様は、「私はあなたを選んだ。これからは私と私の弟子たちを迫害する代わりに、私に仕えるのだ」と言われました。


それは本当に驚くべきことです。

パウロは当時の世界、ローマや近東など、ほぼ全世界の伝道に責任を負った人でした。そして彼と彼の弟子たちはイエス様の教えを広めました。

ですから、私たちは真のお父様を最も迫害した者、また二代王様を最も迫害する者について考えるべきです。

そして、神様はその人を選び、その人を完全に変えられるのだと考えなければなりません。それは実際に起こりうることです。確かに可能です。


この文脈で、私は死の恐怖からの解放について考えました。

そして思い出したのは、二代王様が私たちにさせたことです。

飛行機から飛び降りさせたり、真冬に凍った池に飛び込ませたりしました。

そこにはそのパターンが見えてきます。

とにかく、私たちの考えを変えさせようとされたのです。何が重要であるのか、自分の限界がどこなのか、そうした概念を変える訓練をしてくださったのです。それは良い訓練だと思います。


臨死体験と死後の世界


さて、ここで二つの映像をお見せしたいと思います。

まず最初の映像を見ましょう。

この人はすでに死んでいました。心臓を止められ、何もされる前にすでに死んでいたのです。30秒以上が経過していたので、完全に死んでいました。本来、麻酔科医の報告によれば、そのような状態に人を保つのは50分が限界で、それ以上はできないと言います。しかし、この人は92分間その状態に置かれていました。最大時間の2倍です。彼はすでに臨床的に死んでいました。

心臓を止められ、脳を冷やすために氷の塊が頭の両側に置かれていました。


非常に繊細な状態でした。手術が行われましたが、執刀医は何度も中止しようとしました。しかし麻酔科医は「いや、続けましょう。もう一度やりましょう」と励まし、最終的には手術は成功しました。


後で麻酔科医がICUに行くと、その患者がいて、彼は「先生」と声をかけました。麻酔科医はスクラブ姿で名札をつけていませんでした。驚いて「どうして私の名前を知っているのか?」と尋ねました。その患者は言いました。「あなたのことはどこにいても分かります。なぜなら、彼らが手術をやめようとした時、あなたが私を生かし続けてくれたからです。あなたに命を救っていただいたことに感謝します」と言いました。


麻酔科医は驚きました。そして、「どのくらいの間、上にいたのですか?何を見ましたか?」と尋ねると、患者は冗談めかして、「体から抜け出して上にいる時にできることなんて限られてます。ただあなたたちを見ていただけです」と答えました。

さらに彼は言いました。「手術台の上に三つのライトがありますよね。その裏側には、それは床からは見えないその場所に、後ろの場所に製造番号が刻まれています。」研究によれば、それらの番号は通常7から10桁の英数字です。三つのライトにそれぞれありました。


そこで麻酔科医は紙とペンを取り出し、患者は三つ全ての番号を正確に伝えたのです。しかし、驚くことに、医師本人が自分で小さな踏み台を持って行き、番号を確認しようとしましたが、うまく回り込まず番号を確認できませんでした。

そこで看護師が来て見せてくれたのです。なぜならライトは常に掃除しなければならないからです。

医師は三つの番号全てを書き移し、患者は三つの番号全てを正確に答えました。7から10桁の英数字が三つですから、少なくとも21桁の英数字ですが、全て正確に答えたのです。


その後、この医師は懐疑的な人々と長い議論をしました。議論は100ページ以上に及び、私は全て目を通しました。懐疑的な人々は医師を悪気はないが、「それは大げさすぎる。簡単に説明できるだろう」と言いました。「この人は最初に部屋に入った時、上に何があるか見た。手術室に入れてもらいたい。踏み台に上がり、誰も気づかない数字を確認できるだろう」と


しかし麻酔科医は、「おい、失敗したな」と言いました。「入ってきた時、彼は臨床的に死んでいたのです。心臓を止めた後も死んでいました。この人は死んでいたのです。」それで理解できましたよね。


懐疑的な人々は論文を作ろうとしました。

「結局、誰かが事故で脳に損傷を受け、90分間の手術が必要で、心臓を止め、脳の血流を止めました。しかし、その患者は麻酔科医の名前や、天井のライトの製造番号を知っていた」となると、説明できません。

このことは非常に興味深いことですね。皆さんも賛同しますか?


さらに面白いことは、懐疑的な人々の反応です。「あ、多分彼ははしごに上がったのだろう。交通事故で死にかける前に」と言って、全く理にかなっていません。その否定のレベルが非常に高いのです。

さて、これが一つ目の映像です。


悪い臨死体験


次の映像を見ましょう。それは通常、美しい臨死体験の証言を耳にします。地上で見たどんなものよりも素晴らしい体験ですね。

しかし、悪い臨死体験をする人もいます。およそ23%の人が悪い臨死体験をすると言われています。そのビデオをお見せします。


この映像はハワード・ストームの体験です。彼は大学教授で、人生のほとんどを無神論者として過ごしました。フランスで妻と休暇中、倒れて心臓手術が必要になりました。

しかし週末でフランスの医師は週末に働かず、手術をする人がいませんでした。彼は死にかけて、この体験をすることになったのです。

見てみましょう。

「私はここで時間の感覚を全く持っていませんでした。

でも自分がどこにいるのかも分からなかったのです。最初は病院にいると思いました。しかし、周りの人々と共に灰色の空間を歩くうちに、そこの病院はそんなに大きくないと気づきました。


私たちは三階から始めましたが、上下階に行くこともなく、特徴も壁も天井もなく、ただ灰色の空間だけです。

でも足元は地面を歩いている感覚がありました。そして生きている感覚がありました。現実よりもずっと現実的に感じました。


ある人々を見ました、灰色が次第に濃くなる中で、彼らは近づいてきました。しかし、最初は十分遠くにいたのではっきりとは見えませんでした。見えたのは全て灰色で、病院の服のように見えました。Vネックの半袖と飾りのないズボンでした。それはまるで病院のスタッフのようでした。」


「そうです。その通りです。それで、歩いていくうちに暗さがどんどん増して、彼らはどんどん私に近づき、周りにより多くの人々が集まってきました。私が『どこへ行くのか?あとどれくらい?』と質問すると、彼らはとても無礼になって、『黙れ。質問するな。すぐに分かる。知る必要はない。進め、進め』と動けと言いました。私はかなり威圧され、それは恐怖に変わりました。それは恐怖。つまり、これは何マイルも続く旅の間のことです。」


「やがて暗闇は極限に達し、何も見えなくなりました。私はもう終わりだと思いました。もう進まないと言うと、彼らは『いや、進むのだ』と言いました。私は行かないと言いました。すると、彼らは私を引っ張り、私は高校でフットボールやレスリングをしていたので、その戦い方をしていました。ですから、自分を防御しようとしました。

私はパンチを打ち、押し返し、そして彼らは引っ張ったり押したりしました。彼らは単に私と遊んでいたのです。


最初は押すとか蹴るとか、引っ張るとか叩くとかだったのですが、しかしそれは次第に噛むとか爪で引き裂くようになりました。

彼らは私の体の一部を奪い、そして多くの笑い声と非常に汚い言葉が飛び交いました。

さらに彼らは侵略的になり、その残虐さはホラー映画や本でも表現できないほどでした。

彼らの残虐さは純粋で、純粋にサディスティックでした。彼らは何の利益も得ておらず、ただただ私が叫び抵抗するのを楽しんでいたのです。」


「そして、私の力が弱まるほど、私が抵抗する力が弱まるほど彼らの興味は薄れました。私はひどく傷つけられ、片目を失い、耳もなくなりました。

そして私は床に横たわり、その感情的な痛みが、肉体的な痛みよりもはるかに強いことを感じました。その痛みは頭から足まで全身に及ぶ非常に激しい痛みで、10段階中の10の痛みでした。しかし、それは内面で感じた絶望感には及びませんでした。

想像しうる最悪のことが私に起こり、それ以上のことも起こりました。その場所で声がしました。聞こえました。これは自分の声だと分かりましたが、喉や口から出たものではなく、その声は胸の奥から出ているように感じました。


その声は『神に祈れ』と言いました。私は『神など信じていないし、祈らない』と言いました。しかし、その声は繰り返しました。『神に祈れ』と。

私はどうやって祈ればいいのか分からないと思いました。


子供の頃、日曜学校で祈りを教えられたことを思い出しました。最初に思い浮かんだのはゲティスバーグの演説や、ベニスの商人のシャイロックの演説、『慈悲の精神は強制されない』という一節、中世の誓いなどです。」


「神に言及する部分があり、それが『天におられる我らの父』に結びつきました。それしか思い出せませんでした。祈りの言葉を思い出そうとつぶやきながら、何か祈りに似たものを探しました。

当時は、祈りとは教えられて暗記したものを覚えることだと思っていました。

しかし、その時点ではどの祈りも見つからなかったのです。

その後、私は『主は私の羊飼い』や『死の谷を歩む時も恐れず』などを思い出しました。また、『天におられる我らの父』といった祈りのフレーズも覚えていました。

それを呟き始めると、周りの人々は耐えられなくなりました。


彼らはこの世で聞いたことのない言語で、下品で冒涜的な言葉を浴びせ、『神はいない。誰もあなたの声を聞かない。今から本当に痛い目に遭うぞ。これまでの体験は何だと思っている?』と言いました。

今、もしやめなければ、今からお前の番だと言われました。これにより私はもっと祈りたくなりました.


なぜなら、初めて彼らに反撃できたからです。それはまるで彼らを打ちのめすような力がありました。


また私は気づきました。

神に関係する言葉、例えば『栄光、栄光、ハレルヤ』、『真理は進む』といった言葉をつぶやくほど、彼らはどんどん後退していきました。これは視覚ではなく聴覚で確認できました。彼らが後退していることが分かったのです。」


皆さんが興味深く感じてくれたことを願います。私は話の全てを示したわけではありません。


最初、彼が自分の体の外にいた時は美しいものでした。彼の感覚がこの世の千倍も鋭かったと言っています。そしてそれは美しいものでした。

しかしその後、彼は病院のスタッフだと思った人々が来て、「こっちに来なさい」と言いました。その後の証言では、彼はこれらの霊は自分と同じような人々だと気づいたとそのように証言しています。


考えてみてください。

彼らの態度、あるいは皮肉さ、そして明らかに神に対する尊敬の欠如。明らかにそうですよね。彼は多くの彼らの態度を見ました。

「これは私がバーに行く時や、無神論者の仲間と話す時にいる連中と同じだ」とそのように言っているのです。皮肉な仲間たちです。


他の臨死体験1


これは別の証言にも関係しています。

今日はその全てを見せませんが、ある若者の話です。その若者は20歳前後で、酔っ払うのが好きでした。

ある自動車事故で病院に運ばれ、彼の霊は体外に出て悪霊に攻撃されました。そして彼はこう考えました。

「この世界でサタンが支配しているのだから、サタンに従った方がいいのかもしれない」と。

彼は証言でそう述べています。かなり衝撃的ですが、正直です。

彼はこれらの霊は自分に悪意を持っている。だから自分も彼らより悪くなるべきかもしれない、そのように思ったのです。


考えてみてください。

人が死んで霊界に行く時のことを考えてみてください。お父様は私たちに説明してくださいました。霊界で行き先を決めるのは神ではなく、自分自身なのだと。自分の良心が利己的であったのか、あるいは人を愛し、奉仕しようとしたかを知っているのです。


これが私たちが「天国」とか「地獄」と呼んでいるレベルです。しかし、様々なレベルがあります。では考えてみてください。あまり良い人生を送らなかった人が霊界で、どうして他の人間を苦しめる悪霊になるのでしょうか?

それは堕落です。あなたが攻撃され、拷問され、人々が楽しんであなたをそのように扱うのです。


先ほどの若者は、「サタンの王国に加わり、悪事を行うべきか?」とそのように考えました。理解できますか?

幸いにも彼はその方向には進まず、祈り、そして彼は守られました。彼は救われたと言えますね。


他の臨死体験2


そしてさらに別の証言もあります。

あるクリスチャンの女性で、確か彼女は教会の牧師の妻だったと思います。彼女は一週間に何度も教会に行き、聖書を読んで、人々のために祈り、全てを行っていました。

しかし、ある時、臨死状態になり、霊界に行きました。

二つの問題があります。一つは彼女が噂話をしていたことです。教会の他の女性たちに、祈りのための依頼をされた人々について噂話をしていました。祈ってあげなければならない人々について噂をしました。


彼女が挙げた例で、ある礼拝で三人の子供を連れた女性が来ました。彼女は疲れ切って見え、子供たちは手がつけられませんでした。そしてそこに夫は不在でした。それで彼女は他の教会の女性たちに、「彼女を見て。あの人、夫がいないのよ。結婚生活に問題があるのかも」と話し、状況を推測し、彼女について噂をしたのです。


イエス様が彼女に言いました。「人々のことをあのような形で話すことで、多くの害をもたらした。」実際、夫は軍に所属しており、として呼び出され、イラクかどこかで勤務していたのです。

しかし、その女性は教会を離れました。他の教会員から裁きや非難を受けたと感じ、実際に彼女は教会を去ったのです。

私たちは人々について話す際には慎重である必要があります。


他の臨死体験3


次に、別の女性の証言があります。彼女も非常に献身的なクリスチャンでした。

彼女は臨死体験を経験して、自分が地獄にいることに気づきました。その理由は、「許さない心」だったのです。

イエス様は、彼女が人々に対して恨みを抱いていたことを示されました。彼女はクリスチャンで神とイエス様を信じていました。また信仰心もありました。


しかしイエス様は言われました。「あなたの心に許さない心がある。だからここにいるのです」と。


お父様もイエス様も非常に明確に教えておられます。新約聖書を読めば分かるように、ただ単にイエス様を信じることだけが問題ではありません。

人々にどのように接するかが非常に重要な側面なのです。

特定の神学とか、イエス様についての知識を持つことだけが重要なのではなく、それと同じくらい人との接し方が重要です。もちろん信仰は重要ですが、人との関わり方も同様に重要なのです。


以上が今日のメッセージです。皆さんにとって興味深く、また考えるきっかけになることを願っています。それでは祈りましょう。


終わりの祈り


愛する天のお父様、

この美しい日をありがとうございます。私たちの生命に感謝します。

どうぞ、地上で御心が行われ、私たちが見心に沿って歩むことができますように。

天のお父様、私たちがただ単にあなたを信じることやイエス様を信じること、あるいは真のお父様を信じることにとどまらず、私たちの生活の中で本当にあなたを理解し、実践することができますように。


お父様、私たちは試練を受けます。もちろん、私たちは皆、全員が復帰の道を歩まなければなりません。そこではサタンが私たちを試します。しかし、私たちが勝利できるように祈ります。お父様、あなたとの関係において勝利し、また愛と教えと理解したことを分かち合うことにおいて勝利することができますように。


天のお父様、今日の礼拝に参加している、また世界中でこの話を聞いている全ての兄弟姉妹のために祈ります。試練にあっても、真理を体験し、実践し、分かち合うことができるように祈ります。


サタンが私たちの耳元でささやき、私たちを拒絶させたり、信仰や希望を失わせようとする時、私たちがあなたを高め、そして祝福することができますように。お父様、全ての栄光と愛と尊敬をあなたに捧げ、多くの人々と共に今後数ヶ月、数年にわたってこの素晴らしい真理を分かち合うことができますように感謝します。


この祈りを祝福中心家庭パンザーの名においてお捧げいたします。アーメン。

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