2016年7月16日土曜日

ヨナニム<李妍雅祝師長>の聖書講義:7月20

2016年7月20日(水) 韓国語説教「聖書の正当性」から李妍雅祝師長の講義52分。
翻訳は韓国協会シャボン玉さん。
シャボン玉さんの記事をそのまま転載させてい頂いています。以下LIST該当記事にLINKです。










<亨進様>
7年の審判時代を通しながら、これらの膨大な危機と戦いが起こりますが
その時代の後に、キリストの三代王権と、私たちはアブラハム、イサク、ヤコブ三代。
アブラハムは国の約束をもらいますが、ヤコブまで国がありませんでした。三代。


私たちは今、この時代はイサクの時代です。
イサク時代はどのような覚悟がなければなりませんか?
皆さん、私たちは祭壇に上がって、私は死んでもかまいません。アボジ。
そのような心で国を見つめなければなりません。
祭物。祭物。
このような状況の中で神様のみ言葉と、イエス様、
お父様のすべての基本的内容である聖書の内容を理解する必要があります。
今学期も聖書の勉強をたくさんします。
皆さんも聖書の勉強をたくさんした方はおわかりでしょう。
聖書をより多く知れば知るほど、お父様をより愛するようになります。
「ああ、お父様が来られるために、これほど多くの凄まじい内容を経て来なければならなかったのか。神様はこのように凄まじい内容を経て来なければならなかったのですね。」
神様の心情と恨(ハン)をより理解するようになります。


特に文化相対主義の偽りの現代、哲学者であり偽りの共産党の教授らが、
愚かな若者たち、ソウル大、延世大の愚かな者たちに文化相対主義の哲学を教えています。それらの内容を通して「イエス様は現実の人物でもない」という内容も出ています。


ですからこの時代、特に若者たちはイエス様に対する現実性と、イエス様は本当に神様の代身者、そしてメシアであることをはっきりと知ることがとても重要なのです。
そうしてこそ、このPPTを作った、、ギデオン・ラウチという青年が作ったのですが、
私たちはそれをすべて韓国語で翻訳し、妻が聖書の勉強を前学期に教授もしたので、
今回その内容を報告するようにと言いました。
李妍雅祝司長が出て来る時に大きな拍手で歓迎(笑)


<李妍雅祝司長>
ありがとうございます。亨進様がお話されたように、今日は聖書の正当性について、
パワーポイントで、、2世のギデオン・ラウチという方がこれを作ってくださいました。これを私が今日は報告する次元でしようと思います。英語のパワーポイントをメテュー・ゴウという方が韓国語翻訳を手伝ってくださいました。もう一度感謝致します。
拍手もしてくださいますね。拍手をもう一度お願いします。
感謝しながら、では始めましょう。


聖書の正当性です。「イエス様を信じる準備をしましょう。」このようにあります。
聖書を愛することは真のお父様を愛することです
なぜ聖書を愛することが真のお父様を愛することなのか?


一度、お父様のみ言葉を読んでみましょう。


皆さん。真の父母様はすでに人類のための遺言を準備し残しました。
一生に六、七回も生死を行き来する獄苦を払いながらも勝利して準備した遺言書です。永遠の人類の教材 - 教本として八種類の本を残しました。
巻数で言えば、1千余巻を超える分量です。
あまりにも有名なお父様の「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」の時に話されたみ言葉ですね。
ではその八冊とは何か? 一つ目。「文鮮明先生み言葉選集」です。 600余巻以上ありますね。ところで、お父様の草創期のみ言葉を見てみると、常に聖書から始められています。そしてずっとみ言葉を見ていけば、もちろん、神様のことをお話しされ、神様を中心とした家庭をお話しされていますが、無数のみ言葉の中に聖書を引用されています。
「死なんとする者は生き、生きんとする者は死す。」いろいろとたくさんありますね。


そして「原理講論」でも930回聖書を引用しています。
もちろん重複する聖句もありますが、原理講論は930回聖書を引用しているので、
聖書を知らなければ、私たちはお父様を知ることができません。
そのため聖書を愛することは、まさに真のお父様を愛することなのです。


「天聖経」も同じでしょう?最初に神様で始まります。
そしてまた引き続き多くの聖書の一節を引用しています。


「家庭盟誓」では、神様が聖書で語られた理想家庭、すなわち、男性と女性が出会って子孫繁殖しながら、第1祝福、第2祝福、第3祝福の話をされています。


「平和神経」でも同じでしょう?お父様は神様を中心とした平和の時代を話されています。サタンを中心とした平和の時代ではないでしょう。当然そうですね。


「天国を開く門・真の家庭」ここでもお父様は神様を中心としたそのような理想家庭、一人の男性と一人の女性のそのような家庭を真の家庭だとお話しされました。


「平和の主人・血統の主人」も見てみると、神様の精子について話されています。
そしてまた、無数に聖書の人物を引用しています。
「ソドムとゴモラ」とか「カインとアベル」とか「アロンの杖」とか「芽が出てきて...」
このようなものもお父様がそこで多くの聖書の一説を引用されています。


「世界経典」では、真のお父様のみ言葉を引用しながら、また聖書の一節を多く引用しています。このように八種類の書籍です。


お父様のみ言葉にまた戻ってみると、


このように八種類の書籍です。この教本は皆さんが霊界に行っても読んで勉強しなければならない本です。決して人間の脳から出た言葉や教えではありません。天が可哀相な人類を救うためにくださった天道を教える教材、教本だからです。(天地人真の父母定着実体み言宣布大会2010年12月4日)


このようにお父様がくださった八冊の八大教材教本が、すべて聖書を中心としています。
聖書を知らなければ、私たちはお父様を知ることができません。
ですから聖書を愛することはまさに何ですか? 真のお父様を愛することなのです。


ー以上までがビデオの内容ー


ですから、今日のみ言葉の構造はこのようになっています。
事件と証拠資料が時間的にどれほど差があるのかを通して、聖書の正当性を調べてみましょう。ちょっと難しいでしょう?


ですから私がとても簡単な例え話を用意しました。


ソウル聖殿でもまもなくサマーキャンプをするそうです。
それでサマーキャンプをしました。全国から小学生が来ました。それで楽しくサマーキャンプをした後に、次の日の朝、寝袋で寝た子供たちがたくさんいたのですが、寝袋を片づける過程で寝袋一つが湿っていたのです。あぁ!誰かが寝袋におねしょをしたのです。


それで、先生がその寝袋を発見して「お前たち、この部屋で寝ていた子供たちは誰ですか!」それで犯人を捕まえました。チョルスがしたようでした。
チョルスの下着が濡れていたので、チョルスがおねしょをしたことがわかりました。


ですから、事件があったでしょう。おねしょをしたという事件がありました。
寝袋が濡れていたという証拠がありました。


ですから、その事件と寝袋が濡れていた証拠が時間的に短ければ短いほど、どのような事件なのか正確に知ることができます。


ところがもし寝袋を整理したけれども、先生がこれを発見できませんでした。
それで次の冬のキャンプに行きました。冬のキャンプに行って、寝袋を整理していたら、寝袋の一つに大きなシミがありました。しかし子供たちは皆、家に行き、6ヶ月前の話ですから、犯人は捕まえられないのです。ただ先生が黙って洗わないといけないのです。


そうでしょう?すでに事件から6ヶ月も過ぎているので、どのような事件で、誰がおねしょをしたのか、これが本当におねしょなのか、それすら知る由もなくなってしまうのです。


そのため、また読んでみるとですね。事件と証拠資料が時間的にどれくらい差があるのか、おねしょをした事件とその寝袋のシミ、証拠資料が時間的にどれくらい差があるのかを通して、聖書の正当性を調べてみる。


時間的に近ければ確かな証拠でしょうか?時間的に遠ければ確かな証拠でしょうか?
近くてこそ確かになります。


ゆえに聖書にはどれほどイエス様の事件があり、その事件とどれだけ近い証拠があるのかを見ながら、私たちは聖書がどれほど正確であり正当性があるのかを見ることになるでしょう。


二つ目は、聖書以外の二次資料を通して聖書の正当性を調べてみます。
何の話かというと、聖書は当然、イエス様が主であると話すだろうし、
当然、イエス様が奇跡を起こしたと話すだろうと、私たちはそのように考えるでしょう。
クリスチャンですから、皆、当然、イエス様が素晴らしいと、神様の息子だと言うだろう、、そのように考えるかもしれません。


しかし、一度見てみてください。イエス様の時代に、イエス様は私たちと同じように生活していました。ですから私たちが家にいれば、ヨンイのチョルス美容院のおばさんがいます。その美容院のおばさんは仏教徒です。


そうすると、「あぁ、イエスを信じてみたところでたいしたことないわ。」このように話すかもしれません。


「お寺に行くのが最高よ。一年に一度だけ行けばいい。」このように言うでしょう?
「お釈迦様が来られる日だけ行けばいい!ああどれだけ楽だろう〜ああこのままイエスを信じないでお釈迦様を信じなさい。」このように話すかもしれません。


それでまた、あっちのスーパーのミニのおばさんは無神論者です。
「ほら、一生の間、いい暮らしをしなくっちゃ、ここでもいい暮しができないのに、なんですって?霊界までも考えるですって。ただこのまま神を信じないのが最高よ。
ほら、そこの仏教もお金を捧げなければならないし、キリスト教に行ってもお金を捧げなければならないんだから、無神論が最高よ。」このように言われる方もいるでしょう。


それでこのような人もいるので、イエス様の時も同じなのです。
イエス様の時代に、イエス様を信じるクリスチャンたち、イエス様に従う人々は本当に篤実に、本当にクリスチャンとしてイエス様に従って行きました。命を捧げるくらいに。殉教するくらいに。そうでしょう?


しかし、ミニの家のような人もいたでしょう。無神論者もいたでしょう。
そして他の宗教を信じているヨンイの家のおばさんのような人もいたでしょう。美容院のおばさんもいたのです。「他の宗教がもっといい」このように話す人もいたでしょう。


それで聖書のほかに、二次資料、すなわちミニの家のおばさんのような人、
でなければ、私は何と言いましたっけ?向こう側にスーパーのおばさん、美容院のおばさん、そのような方たちの資料があります。そのような方たちの資料、誰ですか。イエス様がおられ、イエス様をとても嫌いだった人たちが、グループがありました。誰だったでしょうか?ローマ人がそうでした。ユダヤ人がそうでした。


なぜなら、ローマ人を考えてみてください。
「ああ、私たちの皇帝がいるのにイエスが王だって?」どれほど気分が悪いでしょう?
ピラト総督はローマ人でしたね?それでイエス様が王だというので、
それなら仕方がない、反逆罪だ。このようにして結局、後で殺すようになるでしょう。
もちろん、ユダヤ人たちがけしかけたこともありましたが、殺すようになります。
そのため、ローマ人たちはイエス様を非常に嫌いました。クリスチャンたちを非常に嫌いました。ですから、ローマ人たちの資料を見ていきます。


それが第二次資料です。またどのような資料を見るのかといえば、ユダヤ人たちの資料を見るつもりです。


ユダヤ人たちもどれほどイエス様を嫌っていたでしょうか。
私たちが選ばれた民族なのに、クリスチャンたちがしきりに、異教徒も信仰があれば選ばれた民族になるというのです。天国に行くというのです。


どれほど憎いでしょうか。ユダヤ人たちはクリスチャンたちがどれほど憎かったでしょうか。それで使徒パウロもユダヤ人、敬虔なユダヤ人だったので、そのクリスチャンを虐殺したのです。そのように虐殺して会心をしてイエス様を信じるようになるのです。


ですからそのような本当にイエス様を嫌うローマ人たちの資料。そして、キリスト教のローマ人の資料。ユダヤ人たちの資料を二次資料を見ながら、聖書の正当性を調べてみるつもりです。


それで、私が話しましたね?イエス様の生存当時と遠くない時代に生きていたローマ、ユダヤの学者たちの二次資料を見てイスラエルの経典のほかに他の国の経典を見ながら、聖書の正当性を調べてみるつもりです。


三つめは、聖書のみ言葉がどれほど唯一無二の信仰であるのかを通して、聖書の正当性を調べてみるつもりです。


見てください。このような話もたくさん聞いたことでしょう。
ドキュメンタリーもたくさん出ています。
「ああ、この聖書はごちゃまぜだ。ああ、キリスト教はごちゃまぜにして作られた。
その時代に存在していたすべての宗教の良いところを一つづつ取ってきて作り上げて、
聖書、イエス様のみ言葉になったのさ。」このように話すのを聞いたことがあるでしょう?


しかし、なぜ聖書のみ言葉が唯一無二の信仰なのか?
その時代にそれを通して他の宗教はどうだったので、イエス様がこのようなみ言葉を話され、それを通してどれほど唯一無二の信仰なのか、なぜ、神様のみ言葉であるしかないのかを見てみましょう。



事件と証拠資料が時間的にどれくらい差があるのかを通して、
聖書の正当性を調べてみることにします。

(事件と証拠資料が)時間的に近ければ確かな証拠でしょうか?
時間的に遠ければ確かな証拠でしょうか?​ 近くてこそ確かになります。

ゆえに聖書には​どれほどイエス様の事件があり、その事件とどれだけ近い証拠があるのかを見ながら、私たちは聖書がどれほど正確であり、正当性があるのかを見ることになるでしょう。 

事件がありました。どのような事件でしたか?
アレキサンダー大王という人がいました。とても有名な人でしょう?
アレキサンダー大王がいましたが、事件と証拠が近くなければならないといいましたか?遠くなければならないといいましたか?正確に知るためには近くなければならないと言いました。そうでしょう?

アレキキンダー大王が生まれて死にました。400年が流れました。その時になってやっとアレキサンダー大王が写本でこういう人だったと、いつ生まれていつ死んで、何をして、どんな戦いをして、、400年経後になってその写本の証拠が出てきます。

本当に離れていますね。そうでしょう?しかし私たちは一度もアレキサンダー大王が本当に実在した人なのか?私たちが作り出した虚構の人物なのか?そのように考えた人はいないでしょう?私たちは400年も経った資料を見ながら、しかし、アレキサンダー大王の資料について疑ったり、その人が存在したのかしなかったのかを私たちは疑いません。

では、イエス様はどうでしょうか?イエス様を証した新約はまさに紀元96年(*資料、見解により多少、差がある)に証拠資料が出てきます。60年です。イエス様が亡くなったのが30年だとか33年と推定したりもしますが、(亡くなられたのが)だいたい30年として、、60年ほどの差があるのですが、60年ではあまりにも遠いだろうと思われるかもしれません。
しかし、今、私たちが考えなければならないことは、古代の文献です。
古代文献で60年程度の差というのは本当に前にも無く後にも無いことです。


断片のみ残る最古の写本は、マンチェスターのジョン・ライランズ図書館で保管されているAD125年のものとされるライランズ・パピルス457(P52)である。

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では一度見ましょう。どれくらい実際の事件と、その後に一番最初に(※事件から一番近いものとして)発見された写本です。この時は筆写本しかなかったでしょう?
印刷技術が発達していなかったのでこの時は筆写本しかありませんでした。

有名な人たちを取り上げてみましょう。
プラトンは紀元前4〜3世紀の人ですが、一番最初に発見された写本はまさに900年になってから発見されました。では、最初に書かれたところで、プラトンという人の事件で、初めての写本の証拠が出てくるまでに1200年というギャップがあります。プラトンは西洋哲学の父でしょう。「国家論」を書いて、そして私たちはプラトンをどれほど多く勉強しましたか?私も道徳の本でプラトンについて学んだ記憶がたくさんあります。

そして、プラトンに関する本の写本の数は何冊ですか? 7冊しかありません。
ですからその1200年も、実際の事件があるのかということから、1200年が過ぎた後に7冊の本をもって今、西洋の歴史を構築したのです。驚くべきことですね。

それではプラトンに匹敵するアリストテレスがいますね?アリストテレスもこの二つと比較すれば、ほとんど1400年です。1200年から200年もより遠いですね。
そして、シーザーのような場合にも1000年。

ですから、先ほどもお話したように、60年しか差がないということは、
事件と証拠、重要な証拠資料が60年しか差がないということは、古代の文献として比較すれば、前にも無く後にも無いことなのです。

そして新約聖書のすぐ上にあるのが何かというと、※ホメーロスのイーリアスという小説です。

<参照>

イーリアス - Wikipedia
『イーリアス』は、ホメーロスによって作られたと伝えられる長編叙事詩で、最古期の古代ギリシア詩作品である。

ところが、その小説も見れば、このホメーロスがこれを書いた時期と、その後に一番最初に(※事件から一番近いものとして)発見された写本との間に500年も差があります。ホメーロスのイーリアス(の写本)はかなり多いですね。643冊にもなりますね。その写本の643冊を全部集めて、、本当に、学者たちも本当にやることが多いですね。
これをいちいち照らし合わせます。すると言えばする人たちも、また学者ですね。いちいち照らし合わせました。そして95%の正確率を誇っています。

では、新約はどうでしょうか?新約を一度見ましょうか?
ここで一つ押さえて次にいかなくてはいけません。
コピーが多いほど良いでしょうか?写本の数が少ないほど良いでしょう?
どちらの方がより正確度を知ることができますか?多ければよいでしょう?

写本は60年ほどの差がありますね。ギリシャ語で書かれたものだけでも5600冊です。
そして正確度は99.5%を誇っています。ですから、本当に学者たちは大したものです。5600冊を全部揃えて熱心に照らし合わせました。
それではその間違った0.5%は何でしょう? 0.5%はまさに綴りが間違っていたとか.. 
でなければ、「主が」と書くところを、「主イエス様が」と書いたとか、そのようなことが違うのです。


写本が多ければ多いほどわかりますね。原本を再構築するのが簡単です。
そしてシリア語、ラテン語、コプト語、アラム語による写本まで合わせると19000冊の新約があります。これにより、合計24000冊の写本があります。
24000冊の写本があり、その多くの写本があるので、嘘をつくことができません。
ですから「誰かが変えただろう」このようにはいきません。





二つ目は聖書以外の二次資料により、聖書の正当性を調べてみます。
何の話かというと、イエス様をとても嫌いだった人たち、グループがありました。
誰だったでしょうか?ローマ人がそうでした。ユダヤ人がそうでした。
何故そうなのか、ローマ人を考えてみましょう。

「ああ、私たちの皇帝がいるのに、イエスが王だって?イエスが王だって?」
どれほど気分が悪いでしょう?
ピラト総督はローマ人でしたね?それでイエス様が王だというので、
「それなら仕方がない、反逆罪だ。」
このようにして結局、後で殺すようになるでしょう?
もちろん、ユダヤ人たちがけしかけたこともありましたが、殺すようになります。
そのため、ローマ人たちはイエス様を非常に嫌いました。
クリスチャンたちを非常に嫌いました。  

ですから、ローマ人たちの資料を見ていきます。それが第二次資料です。
ユダヤ人たちもどれほどイエス様を嫌っていたでしょうか。
自分たちが選ばれた民族なのに、クリスチャンたちがしきりに、
「異教徒も信仰があれば、選ばれた民族になる」というのです。
「天国に行く」というのです。
どれほど憎いでしょうか。
ユダヤ人たちはクリスチャンたちがどれほど憎かったでしょうか。

それで使徒パウロもユダヤ人、篤実なユダヤ人だったので、
そのクリスチャンを捕らえて殺したのです。
そのように捕らえて殺して、回心してイエス様を信じるようになるのです。

聖書以外の二次資料を通して、「聖書の正当性」を調べて見ましょう。

※1) タキトゥスという古代ローマの歴史家です。元老院の一人でもありました。

" ネロは民衆によって、憎み嫌らわれた存在とされたクリスチャンと呼ばれる層に罪を被せた。
- ええ。皇帝がそうでしたね。特にクリスチャンをたくさん迫害しました。

​ティベリウスの支配下でピラト総督の手によってキリスト(クリスチャンという言葉に起源の置く者)は、極度の処罰を受けなければならなかった。
キリストに対するこの悪意的な迷信は、ユダヤ(最初の悪の起源)から出たとはいえ、
- 何故ならイエス様はユダヤ人だったでしょう。

ローマでも見ることができた。”
それでは、この人の話を一度見てみましょう。何と言いましたか?
イエス様は存在された。
イエス様はキリスト教の創始者であった。
第三は、ピラト総督によってイエス様は死刑にされた。
キリスト教の起源は、古代ユダヤ教であった。
キリスト教は後代ローマに拡散された。

このように見れます。よって、これは聖書のみ言葉と一致します。
ですから二次資料を見たときに、合っているでしょう?

二番目の人です。
※2) 小プリニウスという人です。 古代ローマの文学家であり、法曹(ほうそう/法律を扱う専門職としてその 実務に携わる者をいう)であり哲学者でした。

" 彼らは特定の日に早朝に集まる習慣があった。彼らは神を讃美するように一節を変えて、キリストを讃美する讃美歌を歌った。また彼らは詐欺、窃盗、姦通、偽の発言はしないことと、信頼を最後まで実行することを誓約して互いに盟誓した。その順序が終わると、しばらく別れた後、彼らは再び集まって軽く平凡な食事をした。"
では、小プリニウスを一度見てみましょう。
イエス様は存在した。
弟子たちはイエスを崇拝した。
イエス様は道徳的な教えを教えておられた。
キリストの血と肉を分ける儀式の存在を認めている。

そう言っています 。

次は、 ※3-1) ヨセフスです。この方は、イエス様が亡くなる前に生まれました。
そして、長生きしました。ユダヤ歴史家であり、ユダヤの祭司長です。
今まではローマ人を見ました。これからはユダヤ学者です。

※3-2) 彼を一人の人間として見たならば、この知恵のある者、
すなわち、イエスはこの時代に生きていた。
彼は驚くべき偉業を起こした...。彼はキリストであった。ピラトが彼の十字架刑を宣告したとき、イエスを愛していた人たちは、彼に対する愛を捨てなかった。三日目、彼は...。蘇生されて現れ、キリスト教の群れは...。残った。"

- 私が、「彼を一人の人間として見たならば」と、ここに線を引きましたね。
なぜなら、これもまた何を暗示しているのかといえば、その当時、イエス様は神として崇拝されていたことを暗示しています。ヨセフスは特にとてもイエス様に対して好意的に書いたことで有名です。

ですから「これはもしかしたらクリスチャンたちがまた加減したんじゃないか」とそのように考えるかもしれませんが、ほとんどの文を見れば、とても好意的に文全体をそのように書くスタイルのようです。
そして、イエス様の兄弟であるヤコブについても話をしています。その次にヘロデ王についてもこのように話をします。

" ヘロデ王の大軍の滅亡は、洗礼を行う者と呼ばれたヨハネに対するヘロデ王の行為に対する神の罰として考えているユダヤ人たちも何人かいた。"
ヘロデ王が洗礼ヨハネを殺すでしょう。ですから、「そのためにあれほどヘロデ王が悪くなったのではないか?」まあ、そのような話もあります。ですからヘロデ王の存在も認めています。

では、ご覧になれば、
イエス様は存在した。イエス様は奇跡を行なわれた。人々はイエス様をキリストと信じた。イエス様は弟子を多く持つ先生だった。そしてイエス様はピラト総督により裁判を受け殺され、十字架の刑を受け、イエス様はキリスト教の創始者であり、このような事件を文献を見れば知ることができます。ヤコブ(ジェームズ)はイエスの兄弟であった。復活を認めた。そして、洗礼ヨハネもまた存在した。このように見ることができます。また、ヘロデ王も存在した。もう一つありますね。ヘロデ王が洗礼者ヨハネを死刑に処した。
今までは、ローマ人、そしてユダヤ人を見ました。
では、他の国の経典を一度見てみましょう。

※4) バビロニア・タルムードです。バビロニア・タルムードでは、このように述べています。

" 過ぎ越しの晩、イエシュ[イエス]は絞首刑に処された。刑が執行される40日前、ある伝令官が叫んだ。「この者は妖術を行ない、イスラエルをそそのかして背教させたので、石打ちにされる。」"

このように言ったそうです。このバビロニア・タルムードでも何を言っていますか?
結局はイエスは存在し、イエスは刑に処せられ、イエスは奇跡を語られ、妖術だと言いましたね?そしてイエスは抑圧から国民を解放したと書いています。

さぁ、最後の学者ですね。この人は非常に重要な人です。
なぜなら、この人はイエスをあまりにも嫌いました。
ですからこの人の文章を見れば、イエスをどれほど憎み嫌ったか、客観的に書きもしませんでした。「私はこの人が大嫌い。」こういうことを露骨に表現しながら書いています。
ですから歴史的な資料で、ある人の客観性を証明するときに、その人を敵視する人の資料を見ることは非常に大切な資料として取り扱われます。

※5-1) ケルススという人です。

また、ケルススはとても面白いです。イエス様が生まれる前に生まれました。
そしてイエス様が亡くなった後に死にました。他の学者たちはイエス様が亡くなった後にいくらか過ぎてから生まれたのですが、この方の場合は、まさにイエス様が生きておられたとき、イエス様が亡くなられたとき、それをイエス様の当時を経験した人です。
そのため、非常に重要な学者です。なので一度これを全部読んでみましょう。

" ※5-2) イエスはユダヤの小さな町で生まれた。彼はその日その日の生活のために自ら働く貧しいユダヤ人の女性の息子として生まれた。
​  - マリアでしょう?

​彼の母親は大工だった夫によって家から追い出された。理由は姦通罪。

- ですからおそらくこの夫はヨセフでしょう?

それで大工として働いていたヨセフによって家から追い出され、名目は姦通罪、
そして、屈辱を受け、夫によって追い出された彼女は彷徨し私生児であるイエスを出産した。

-  そうでしょう?「私生児だ。」そして「姦通罪だ。」非常に強い言い方でしょう?

そして、貧しい生活のために、イエスは働きにエジプトに行った。

​   -  イエス様が子供の頃、エジプトに行かれたことも話していますね?

そこで彼はある妖術の力を得た。彼はこのような力を持ったことに意気揚々して家に戻ってきた。

​    - 力を得て意気揚々として戻ってきましたね。

またこの力により、彼は自らを神と認識した。このような珍しいことを行えた理由は妖術の力によるものだった。治癒、復活、またパンいくつかの塊で大衆に与えることができたのは、妖術師の騙しごとに過ぎなかった。この業績は呪文とある悪魔の名前で成されたものであり、クリスチャンたちはまるで、このような驚異的な力を持つように映った。"

ですからケルススは非常に辛辣(しんらつ/言うことや他に与える批評の、きわめて手きびしいさま)です。そうでしょう?

ですから見れば、この人もまた自分は意図していませんでしたが、
イエス様が存在されたことを証明して、イエスの処女懐胎説を話しました

そして、イエスの父はマリアの夫ではないということも話しました。
非常に面白いでしょう?
なぜなら、姦通罪を犯していたので、ヨセフの息子でないことを話しました
不思議でしょう?
その次にイエスは奇跡を起こした。 妖術を行なったと話しましたね?
そして、イエスが復活したという噂があることを確認しました。
そしてイエスが悪魔に惑わされたのだと考えました。
それくらいイエス様の奇跡がすごかったのでしょう。そうでしょう?
そして、イエスはキリスト教の創始者であり、弟子たちはイエスを崇拝した

それをケルススが話しています。
自分が意図していませんでしたが、このようにイエスを、主を証しするのに大きな役割を果たしたのですから、、、


<参照>


コルネリウス・タキトゥス(Cornelius Tacitus, 55年頃 - 120年頃)は、帝政期ローマの政治家、歴史家。その著作では、ローマ皇帝ティベリウス・カエサルの治世中にユダヤ総督ポンテオ・ピラトがイエス・キリストを処刑したことも書いている


博物学者、政治家、軍人のガイウス・プリニウス・セクンドゥス(大プリニウス)の甥で、養子。伯父との区別のため小プリニウスと称される。トラヤヌス帝の時代のキリスト教徒に対する処遇方法を知る事ができる貴重な資料となっている。


※4) バビロニア・タルムードの基礎知識など 仙芳丸 - 阿修羅
http://www.asyura2.com/12/cult10/msg/753.html

タルムードには二つある。パレスチナ・タルムードとバビロニア・タルムード。パレスチナ・タルムードの方が、紀元前千年頃のダビデの時代のユダヤ教の経典。バビロニア・タルムードの方は、紀元前600年頃のバビロン捕囚の際に、捕囚先のバビロンにおいて、その土地の宗教の影響をたぶんに受けて出来上がった教典。
通常、「タルムード」と呼称されるものは、「バビロニア・タルムード」のことを指す


アウルス・コルネリウス・ケルスス(Aulus Cornelius Celsus、紀元前25年頃 - 紀元後50年頃)は古代ローマの学者。

http://www015.upp.so-net.ne.jp/h-hayashi/D-18.pdf

哲学者ケルススは 178 年頃に「真の言葉」(注5)という本を書いて、「地方の広い領域において、キリスト教徒の貧民たちが屋敷の軽信者たちを作業場に集めて、イエスが奇蹟を起こしたとか、死後に墓から甦ったというような話を聞かせる。名誉ある市民の間では、キリスト教徒たちによる暴行、乱交、過激な政治思想の疑いが常にある。特に秘密主義的カルトは今も過激派と見做されており、人々は自分たちの友人や親族が彼らに誑かされないかと恐れている」と述べている

(注5)「真 の言葉」は後のキリスト教会により抹殺されたが、この本の主張は神学者オリゲネス(182 頃251)の「ケルスス反論」に引用されている。ケルススはこの本で「マリアはパンテラというロ ーマ軍兵士と不義なまじわりをかわし、イエスが生まれた」とも書いている。




<李妍雅祝師長の報告>

では、結論を出しましょう。
結論は、事件と証拠が時間的にどれほど差異があるのかを通じて
聖書の権威を知るようになります。

聖書以外の第二次資料、ローマ人の資料、ユダヤ人の資料、
バビロンのタルムードを見ながら、イエスの存在と生涯を確実に知るようになります。

聖書に対する、今後の私たちの姿勢です。
聖書を愛することは、どんな愛だと言いましたか?
真のお父様を愛すること!
標語を一つ作って、額(ひたい)に1つ付けなければならないかと思います。
聖書を愛することは、すなわち、真のお父様を愛することなのです

主(イエス)を愛することはどんな愛だと言いましたか?
再臨主を愛することです!
主を愛することは、すなわち、再臨主を愛することです。

イエス様と真のお父様は一つです。
ですから、聖書は真のお父様が書かれた本なのです。
とても衝撃的(な言い方)でしょう?
旧約は誰が書きましたか?旧約は誰が書いたのでしょう?
イエス様が書かれました。そうです。

どうやって旧約をイエス様が書かかれたのでしょう?
ありえないことではないか?まだ生まれてもいなかったのに、、
と、このようにも考えられるかもしれません。

しかし、イエス様は神様の精子から、神様のそのエッセンスから来られるので
イエス様は創造される時、神様と共におられたのです。

ゆえに、結局はすべての旧約と新約はイエス様が書かれました。
イエス様とお父様は一つであられるがゆえに、
聖書は誰が書かれましたか?お父様が書かれたのです。

ですから、今から、
聖書を愛することで真のお父様を愛さなければならないですね!

成約時代である天一国時代を生きる私たちは、
聖書のみ言葉を神様のみ言葉として
八大教材教本と同じように読みながら勉強するべきです。
それがすなわち、聖書に対する私たちの姿勢となります。

最後です。
真のお父様のみ言葉に絶対信仰、絶対愛、絶対服従するために
聖書を私達がより一層愛さなければなりません。

ー以上ー


<亨進様>

妻に大きな拍手をお願いします。
よい報告をしたね。
私たちのアメリカの青年がこれを作りました。

とても素晴らしい青年たちが立ち上がっています。
これから、お父様を証してお父様のために戦っていきますが、
これらの内容はクリスチャンたちが見ても感動します。
そして、お父様は再臨のキリストだということを知ることができる道になると信じます。
アジュ!
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シャボン玉さんが、この続編として聖書の正当性を韓国のVideoから論文を纏めてくださいました。
以下リンクです。
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