<原理原相論>
キリスト論における夜の神と昼の神の四位基台
(試論)
副題:三位一体論から見る夜の神と天の父母様
韓氏オモニが神様の呼び名を天のお父様から天の父母様に変えたことにより信仰的大きな混乱が起きた。
また、真のお父様も『皆さんが信仰者ならば、「父なる神様」、「母なる神様」、「真の父母様」と語りかけながら、毎日毎日、神様に喜んでいただかなければなりません。(神様が惚れ込む者となれ第一章 天地を結ぶ絆 第一節 孝心の道)』と数多く真のお父様は「母なる神」と言われ、また真のお父様は数は少ないが「天の父母様」と言われたこともあるので混迷を極めた。
これは単なる神様の名称論ではなく信仰のあり方、ひいては聖霊の役事にも関わる神学的問題である。何故なら神様は我々に働きかける霊であるからだ。
この問題を「夜の神・昼の神」と「天の父母様」の関係から明確にすることを試みたい。
なぜ真のお父様が「夜の神・昼の神」を言われたのか?
その理由の一つとして「夜の神の位相としての天のお父様」、「昼の神の位相としての天のお父様」を原相論的に区別するために使われたと考えられる。
「夜の神・昼の神」は創造以前と、創造後の同じ天宙天地創造神の、それぞれの位相について語られた。
従って、天の父母も、一なる天宙天地創造神の、①創造以前の天の父母、②創造後の天の父母、③そして夜の神と昼の神の、それぞの位相に従い現れた天の父母の位相について見る必要がある。
1.夜の神・昼の神の原相位相関係
まず①②③のそれぞれの位相について見る前に、「夜の神・昼の神」の関連性を明確にしたたい。つまり「夜の神・昼の神」という原相論における天地創造神について見てみる。
原点に帰るという意味でこの論争に双方でよく使われる原理講論の次の一節を上げる。
神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体としておられ、被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給うという事実を知る。 |
天聖経のみ言「神は真の愛の父母である。」というみ言から「真の父母の思想は創造以前から存在していた夜の神の核心思想である。」という事を述べた。
*詳細:・原理本相論試論(創造本相論編)
・原理原相試論 夜の神様の父母性
(以上の試論をより深く理解するためにこの四位基台の論文を読んでから再び読むことを推奨する。)
天聖経のみ言「神は真の愛の父母である。」の父母とは、父と母ではなく、一人なる親としての真の父母の心情が根幹であり、その父母の心情で造られた真の父母思想により原理を創造されたのであるから、この原理講論の記述も、神様が単純に男性と女性ではなく太初から父母性を持って創造されたと見ることができるので男性=父性、女性=母性として記述することが可能である。
「神は真の愛を中心とした縦的な父母である。」というみ言があるように、夜の神の真の父母思想はそのような真の愛を中心とした縦的な真の父母の愛がなければ、真の父母思想を構想することもできない。
それは夜の神の愛したい与えたいという心情が真の父母の心情による真の愛であるからだ。
それだから単に男性、女性と捉えるのでなく、夜の神の真の愛、一なる親の真の父母の愛の父母性に基き男性の父性、男性の母性と表現すことにより、より正しく夜の神の真の父母思想を表すことになる。これは夜の神の原相自体ではなく、夜の神の思想、ロゴス、原理という意味である。
原理講論の「神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、
本性相的父性と本形状的母性との二性性相の中和的主体としておられ、
被造世界に対しては、性相的な父性格主体としていまし給うという事実を知る。」
これは夜の神が「光あれ」と言われる以前、時空間の創造以前の神である「夜の神」の思考の中にあったロゴスであり、時空間光の創造以後の神様である「昼の神」という姿で、このロゴスが創造され被造世界に現れたということである。
つまりこの原理講論の記述は、夜の神に創造された創造物であり、天地創造後の神の姿のことである。
これを原相論的位相からみると、
「神様は天地創造後、父性と母性の二性性相の父母中和的主体である昼の神として現れ、被造世界に対しては性相的な父性格主体である夜の神としていまし給う」
と言うことができる。
原理でいう神様が性相的な男性格主体であるとは性相的父、つまりより根源的な創造以前の神、夜の神のことを父と言っているのであり、
父性と母性の二性正相の中和的主体の神様は光と時空間創造後の展開の中で生じる神様であるがゆえに昼の神なのである。
即ち神様の位相を「光と時空間創造・以前」と「光と時空間創造・以降」によって夜の神の位相なのか昼の神の位相なのか区分することが可能である。
もちろん、これは位相上の区分であり夜の神と昼の神が別々に存在するのではなく神様は全くのお一人である。
以上より夜の神を天のお父様と呼ぶことは非常に理にかなっており自然である。
2.夜の神、昼の神からみる天の父母様
まず先に夜の神・昼の神の原相位相関係を理解して頂いたのは、この理解がなければ、それぞれの同じ神の位相ついていの神を別の神として勘違いする危惧があるからである。くれぐれも天地創造主において夜の神と昼の神が別の存在、あるいは別に存在するというような誤解は市内で欲しい。単に位相における違いであって、まったく同じ一なる天地創造神である。
そのような一なる、この夜の神、昼の神の原相位相関係を理解して頂いた上で、天宙天地創造神の、①創造以前の天の父母、②創造後の天の父母、③そして夜の神と昼の神のそれぞの位相に現れた天地創造主である神に創造された天の父母という3つの位相について次に見てみる。
①創造以前の天の父母
また夜の神は真の愛であり、その愛は一なる親の「真の父母の愛(真の男性の父性、真の男性の母性の愛)」であるゆえに、真のお父様が神は父母であると言われ、実際に「天の父母様」と祈られたのは、その夜の神の真の父母の愛を讃えてのことである。
これが「①創造以前の天の父母」の意味である。
この「①創造以前の天の父母」についての詳細は、原理本相論試論(創造本相論編)、原理原相試論 夜の神様の父母性 、原理原相論試論『 夜の神の存在原相論』
を参考いただきたい。
しかしながら、夜の神の真の愛の性質が真の父母の愛「真の父母の愛(真の男性の父性、真の男性の母性の愛)」であるが、一人の男性にして父であり、父でありながら一なる親という意味の父母である夜の神は結局、圧倒的究極的男性であるがゆえに夜の神を天のお父様と呼ぶのがより本質である。
②創造後の天の父母
一方、昼の神は、昼の神の父性である「昼の神としての天のお父様」と、昼の神の母性である「昼の神としての天のお母様」の父母二性中和的主体と言う事ができ、昼の神を父母二性の中和的主体として見るとき、この昼の神の位相を天の父母と言うことも可能である。
つまり、「②創造後の天の父母」ということである。
光と時空間の無い夜の神は、このような光と時空間を持つ昼の神と一つになることにより光と時空間にも偏在されるようになるのである。
この昼の位相の神様に対し真のお父様が天の父母と言われたと解釈することが可能な、天の父母に関する御言もある。
このように「②創造後の天の父母」の位相における昼の神の父性もまた無形の性相的存在という意味で「天のお父様」と呼ぶことも出来る。
実際お父様のマルスムにも夜の神を指す「天のお父様」と昼の神の父性を指す「天のお母様」と言われた時の対比語としての「天のお父様」がある。
つまり「夜の神なる天のお父様」と「昼の神なる天のお父様」の二つの位相の「天のお父様」があるのでマルスムを分析する際、天のお父様という言葉のその位相は、より根源的な夜の神という意味の天のお父様なのか、光と時空間創造後の昼の神としての天のお父様なのかを判断する必要がある。
③創造された天の父母
③創造された天の父母について、お父様の御言を見てみる。
神様とは、いったい誰ですか。神様は創造主でありながら、縦的な真の愛の父母です。真の愛を中心とした、縦的な父母だというのです。完成したアダムとエバは、真の愛を中心として横的な父母です。その二つの父母が一体となるのです。 (250-38,1998.10.10)日本語天聖経2010年版P1662 |
完成したアダムとエバは横的な真の父母である。真の父と真の母ということである。
そして横的な真の父母は昼の神である。
縦的な真の愛の父母、愛の親は、真の愛を中心とした縦的な一なる父母、一なる親であるが故に夜の神である。縦的な一なる父母、一なる親なので、縦的な父と縦的な母と呼ぶことはできない。縦的な一なる父母、一なる親であるお方は、どこまでも一なるお方であるからだ。
真の父母は夜の神の創造構想の中で存在していた。
「夜の神なる天のお父様」は創造以前から昼の神の顕現を待ちわびる根源的神様本体であり、時空間を伴い展開し成長完成するという位相にはない神様である。
真の父母が夜の神の父母思想に有るということは、その実現の目的となる被造世界において
夜の神の実体愛の対象が完成したアダムとエバであり
夜の神の実体愛の対象が真の父母であり、
夜の神の愛の実体対象が昼の神である
と言うことが出来る。
つまり夜の神の実体対象が完成したアダムとエバであり、アダムとエバが完成し真の父母となり昼の神となるということであり、アダムが完成した「昼の神なるお父様」になるためには「昼の神なるお母様」が相対として必要なのである。
そして、この昼の神の顕現はエバが真の母になることによって実現する。
このようにお父様が「天のお母様」が必要だと言われたのは、昼の神についてであり夜の神に対してではない。
3. ③創造された天の父母からみるキリスト論的四位基台
以上からから昼の神とは真のお父様と真のお母様のことと単純に捉えがちだが、これに対しお父様は更に深い内容を亨進様に語られた。
これを亨進様は次のように語られた。
キリスト教神学では重要な教義があるのですが、その一番目が神様の実体の中に聖父、聖子、聖霊の三位格が共に存在しており、神様を「超越的存在」として見る「三位一体論」であり、他の一つは、歴史に現れたイエス様の人格を構成する神性と人性に関する研究である「キリスト論」です。
「夜の神」は、超越的な神様として全ての万物と時空間が創造される前の「無」の状態、夜の暗闇の状態での見えない神様であり、「有」の状態、時空間の創造後の歴史が始まった後の動きの神様、摂理の神様と呼べるその存在が即ち「昼の神」です。
私たちはこれを歴史に現れたイエス様を神性と人性を共に持つた存在として研究するキリスト論を通して見てみると、「キリストは100%神であると同時に100%人間」なのです。
「私は夜の神から、お前たちは昼の神から出てきた。」と言われたみ言を易しく説明すると、私たちは母の子宮を借りて生まれますが、真のお父様は神様の種、すなわち「精子」から出て来られたことを意味します。
“夜の神、昼の神”亨進様のみ言葉全文は脚注1)に記載 |
お父様の、神様の精子。お父様の原理本体論中心の神様の精子。精子。神様の精子!なぜ?メシアは新郎だ!神様の精子!皆さんもご存知でしょう?女はXX、男はXY、男の種は、息子も作り、娘も作ります。XX、2つXがあると女だけ出てきます。男が出て来れません。息子が出て来れません。種が下ろせません。種!精子!神様の王権は精子を通して降りていきます。父子関係。
|
この亨進様のマルスムは、昼の神も「キリスト論」的神学と「三位一体論」的神学の両方から見ることができるということである。
お父様の「昼の神は天地人真の父母である」という御言は「キリストは100%神であると同時に100%人間」という「キリスト論」的捉え方であり、このキリスト論的昼の神の一方で、聖父、聖子、聖霊の三位格が共に存在しており、神様を「超越的存在」として捉える「三位一体論」からみる「時空間の創造後の歴史が始まった後の動きの神様、摂理の神様と呼べる昼の神」があることがわかる。
また「私は夜の神から、お前たちは昼の神から出てきた。」とは真のお父様(アダム、イエス様、お父様)は夜の神の種「精子」から出て来られのであり、
真のお母様(エバ、お母様)は夜の神の創造後の御姿、昼の神がお造りになった卵子から出てこられたということである。
以上の「キリスト論」的捉え方を整理すると、
*昼の神:
・キリスト論で言う昼の神
「100%神であり100%人間である天地人真の父母様」
・三位一体論で言う昼の神
「時空間の創造後の神様、摂理の神様」
真のお母様は夜の神の創造後の御姿、昼の神がお造りになった
被造物「卵子」から出てこられた。
*「聖父、聖子、聖霊の三位格」をこの夜の神と昼の神の概念で
四位基台として表現すると
・正「夜の神なる聖父=夜の神なる天のお父様」
・分の主体「昼の神なる聖父=昼の神なる天のお父様」
・分の対象「昼の神なる聖母=昼の神なる天のお母様」
・合「聖子=昼の神なる天地人真のご父母様」
と言うことが出来る。
そして聖書にはこうある。
初めに言葉があった。 言葉は神と共にあった。 言葉は神であった。 この言葉は、初めに神と共にあった。 万物は言葉によって成った。 成ったもので言葉によらずに成ったものは ひとつもなかった。 言葉のうちに命があった。 命は人間を照らす光であった。 光は暗闇の中で輝いている。 暗闇は、光を理解しなかった。 (ヨハネ福音書 1:1~1:5 ) |
言葉は神、つまり夜の神の言葉は霊である。
真の父母思想をもった言葉なのである。
真の父母思想を持つマルスム(言葉)が具現化するとき父なる神(天のお父様)と母なる神(聖神お母様)として現れる。
この二性性相が聖霊(神の霊)である。
*聖霊の詳しい省察は以下を参照:
これを原理本体論とアボジの直筆から見てみる。
-1)原理本体論より
原理本体論の講義案では原理は神様の対象であるロゴスの二性性相が神様の形状的な実体対象として分立したのがアダムとエバであると説明している。
-2)アボジの直筆より
「天のお父様、聖神お母様」と書いておられる。 |
多くの人々が、これらの御言を天宙天地創造の神の二性性相として勘違いをしてきた。お父様が語られる御言は「③創造された天の父母」における位相の御言が数多くある。それはエバを完成真の母までに復帰する再臨主の重要な御旨があったからである。
これはキリスト論的立場、父母二性の性質を持っている言葉であるが故に昼の神の天の父として、その相対としての聖神お母様として我々に役事するので父と母に分かれているように感じるが父なる夜の神、一なる神様からの言葉の性質が実体化した姿なのである。
この言の実体が天地人真の父母様なのであり、
真の父母思想は創造以前から存在していた夜の神の核心思想なのである。
このキリスト論を四位基台の図で表してみる。
<キリスト論四位基台図>
創造以前の神様の本性は夜の神であり性相的格位は真の父母思想、み言を持つ天の父である。
これに対し、昼の神は創造以前の夜の神なる天のお父様の、真の父母の御言から二性に分立した「昼の神なる天の父」と「昼の神なる天の母」の授受作用による父母二性中和的主体であり創造後の神である。
天の母(完成した母としてのエバ)が現れアダムが天の父として完成し父母二性中和的主体を完成させた、アダムとエバが完成した真の父母となった位相を天の父母様というのであり、夜の神の属性である。
このような夜の神と昼の神という原相論的位相からみると「天の父母様」とは創造後の昼の神のことである。
この「昼の神の天のお父様(真のアダム)」は天のお母様(完成した母としてのエバ)が現れ父母二性中和の授受作用により父母一体化し「天の父母様(完成した天地人真の父母)」になる。
このように「③創造された天の父母」としての「天の父母様(完成した天地人真の父母)」は天のお母様(完成した母としてのエバ)が現れ父母一体化することにより顕現する創造後の神様、即ち昼の神が完成された姿なのである。
そして、「昼の神の天のお父様(真のアダム)」は夜の神の精子から来られたので、ここで夜の神は、完成した母としてのエバ、天宙天地創造の最終的被造物であるエバと結婚をするということになる。
天のお母様(完成した母としてのエバ)の顕現は夜の神の体となった真のお父様と、その夜の神の花嫁となった真のお母様の結婚によって成就するということである。
この結婚により「②創造後の天の父母」としての昼の神は、真の御父母様を体として真の父母様の姿で現れ霊界でも真の御父母様の姿をもって接して下さるのである。
これが天の父母様の顕現であり天地人真のご父母様が永遠の真の父母様である理由がここにある。その血統の確立が三代王権なのである。
その実体が天地人真の父母様なのであり、真の夜の神の、昼の神の位相が天地人真の父母様と一つになりなり、真の父母様を体として顕現されるのである。
真のお父様は「③創造された天の父母様」の顕現はエバが真の母として完成期完成級までの全ての責任分担を果たし天のお母様が現れることにより実現するので、それが再臨のメシアの悲願でもあるゆえに「天の父母様」と切に祈られた。
しかし、そのような神様の位相を、真のお父様のキリスト論を理解できず「天の父母様」と祈られた少ない事例を絶対化する家庭連合のその姿勢は御用神学的に盲目になっている証拠である。
夜の神から来られた真のお父様は、夜の神に対して自然に「天のお父様」と祈ってこられたのであり、我々はこの真のお父様の伝統に従い、夜の神に対し「天のお父様」と祈るのが子女の正しい心情姿勢である。
子女である我々の前に昼の神が天の父母様として顕現されるのだから、我々が霊界におられ、昼の神となられた真のご父母様のことを天の父母様と呼ぶこともあろう。
お父様の御言を正確に読み取るためには、そのようにキリスト論の「③創造された天の父母」でみる、昼の神、天の父母の概念と、天宙天地創造の神の「①創造以前の天の父母」、「②創造後の天の父母」この3つの位相における、それぞれの3つの「天の父母」が存在することを知り、それを明確に区別して、お父様の御言を読むことが必要である。
4.家庭連合と韓氏オモニの誤謬
韓氏オモニを始めとする家庭連合の誤りは①創造以前の天の父母、②創造後の天の父母、③創造された天の父母の区別が付かず、「夜の神なる天のお父様」と「昼の神なる天のお父様(真のアダム)」を混同してしまい、「昼の神なる天のお父様(真のアダム)」を無視し、時空の無い夜の神が時空性の有る創造後の天のお母様とが直接結婚することによって完成するという神学に陥っている。
天のお母様を迎える必要性がある、そのような時空を伴う天のお父様の位相は明らかに「昼の神なる天のお父様」の位相である。
このように、家庭連合は光と時空間の無い創造以前の夜の神と、時空間を持つ創造後の昼の神の二性の一つである天のお母様が直接結婚し一つになるという自己崩壊、即ち、創造以前の神と創造後の神が一つになり夜の神の「時間も空間も存在しない創造以前」という神性を破壊する自己矛盾に陥いっている。同時に父母二性からなる男性格である天の父母様を、家庭連合は一つに中和体と言いながら、それぞれ男性格と女性格の二極を根本根源とすることにより二元論に陥ってしまっている。
我々は、男性はイエス・キリストの体となり女性はイエス・キリストの花嫁となり家庭をもつ如く、基元節における夜の神との結婚は、
真のお父様は夜の神の体、父なる昼の神の実体となり、
真のお母様は夜の神の花嫁、母なる昼の神の実体となって
真の父と母が一つになることである。
しかし韓氏オモニは夜の神の体である真のお父様と一つになるのではなく、夜の神と直接結婚し肉体を持つ神になろうとした。
つまり母なる昼の神である韓氏オモニは肉体をもって夜の神と結婚することにより絶対主体になろうとしたのである。
夜の神の代身ともいえるお父様に対する、昼の神の代身ともいえる韓氏オモニのこの思想と行動を評して、お父様は「夜の神と昼の神が戦っている」と言われたのである。
このように本来、昼の神を意味する「天の父母様」は夜の神を自分の夫とし私が神になったという意味の「天の父母様」に置き換えられてしまったのである。これは夜の神を対象とし自分が主体となることにより夜の神までも体内にとり込む子宮神学になったのである。このように家庭連合の天の父母神学は子宮神学とも言える。
これを図に表わしてみる。
家庭連合が配布した成約摂理解説の四位基台
家庭連合の夜の神と昼の神の位相図
<天の父母様> <天地人真の父母様> 「夜の神なる 「昼の神なる 主体 天のお父様」 ⇄ 天のお母様」= 韓氏オモニ (性相的父性) (形状的母性) ⇅ 真のお父様 = 「昼の神なる 対象 天のお父様」 |
一言で家庭連合の神学を言うならば、韓氏オモニは真のお父様の前に絶対主体として立った実体の昼の神であり夜の神の妻であるということなのである。
5.キリスト論的、昼の神の責任分担
昼の神なる天の父母様の顕現が2010年5月8日天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会でありその完成、夜の神と真のお母様の結婚式が基元節の時である。昼の神の顕現が即昼の神の完成ではないのである。
それは本来韓氏オモニが完成期完成級の責任分担3%を果たされたとき完成されるはずであった。
その予定された天暦2013年1月13日に真のお父様と完全一体化したという証、つまり真のお父様が決めた相続者を高く上げるという燔祭が韓氏オモニにできるかという責任分担があった。
しかし、この燔祭を失敗し、自分を神の位置に立て「昼の神なる天のお父様」である真のお父様との結婚ではなく、夜の神と称しながら絶対権力、この世の栄誉栄華と結婚してしまったため、この基元節は偽基元節となり韓オモニの失敗の時として摂理歴史に刻まれてしまった。
2015年5月までに勝利したカインアベルの元に帰れば勝利するという道も残されていたが、これも水泡となり消えてしまった。
この責任分担はヨナニムに移行し、ヨナニムの亨進様と三代王権に対する絶対服従宣言された信仰基台の上に亨進様は2015年5月26日三代王権相続式を行われ、2015年8月30日、真のカインである文國進夫妻が二代王夫妻に戴冠式をされた真の基元節のとき韓氏オモニが出来なかった責任分担が果たされたのである。
*’15年 4月26日 ヨナニム三代王権花嫁の誓
*5月24日 真の女性奉献、三代王権代身者相続の儀式
*8月30日(天暦7月17日)二代王戴冠式
*真の基元節
脚注1)
“夜の神、昼の神”亨進様のみ言葉天基3年天暦1月7日(陽暦2012.1.29)天福宮
今日、特別に皆さんにお話したいことは「夜の神、昼の神」についての内容です。天福祝祭の期間が終わりに近づいている今、私たちはもう一度、真の父母様がどのような方であるかについて考えてみなければなりません。これを正しく知らなければ、すべての統一家の価値が無意味なものになるかもしれません。
初めて真のお父様が「夜の神、昼の神」という漸進的な啓示を下さった時、その表現自体が非常に微妙で理解しづらいものでした。
キリスト教神学では重要な教義があるのですが、その一番目が神様の実体の中に聖父、聖子、聖霊の三位格が共に存在しており、神様を「超越的存在」として見る「三位一体論」であり、他の一つは、歴史に現れたイエス様の人格を構成する神性と人性に関する研究である「キリスト論」です。
この二つの教義は互いに性格が異なりますが、この二つをよく理解することが「夜の神、昼の神」を正確に理解するのに非常に重要です。
「夜の神」は、超越的な神様として全ての万物と時空間が創造される前の「無」の状態、夜の暗闇の状態での見えない神様であり、「有」の状態、時空間の創造後の歴史が始まった後の動きの神様、摂理の神様と呼べるその存在が即ち「昼の神」です。
天福祝祭を始める前に、真の父母様は私たちに驚くべき歴史の転換点をくださったのですが、それは去る1月に行われた「天地人真の父母国民支持大会」でした。行事の最終日、お父様は私たちに、ご自身と私たちの違いについて問われ、「私は夜の神の管理を受け、お前たちは昼の神の管理を受けているのだ。」と説明してくださいました。お父様は存在論的に私たちとキリストの違いを非常に明確に決定し発表されるフィナーレをしてくださったのです。
真のお父様は人類の堕落歴史を通して現れた昼の神から来られたのではなく、夜の神、罪のない神様、堕落の痕跡に触れることが出来ない夜の神から来られたので真の血統を全人類万民に恵む驚くべき祝福を下さることができ、私たちの霊魂と肉身を救ってくださることができるのです。
そしてこれが真の父母様の真の価値であり、真の父母様から出てきた私たち統一家の価値を決定する重要な内容なのです。
私たちは原理を通して「メシアは人間である」という教えを受けてきましたが、私たちはこれを歴史に現れたイエス様を神性と人性を共に持つた存在として研究するキリスト論を通して見てみると、「キリストは100%神であると同時に100%人間」なのです。
また、メシアが来られて、ご自身のアイデンティティをいつ認知され、世に示されるかに対する「メシア的認識(Messianic Consciousness)」についても研究することになるのですが、真のお父様は、国民支持大会の最終日、まさにご自身のアイデンティティに対する存在論的立場を初めて宣布されたのです。
これを通して今まで大きな違いを持っていた私たち統一教会とキリスト教、カトリックの教義的距離を縮めて、私たちが彼らを天の前に今後導くことができる驚くべき時代が開かれたのです。
「私は夜の神から、お前たちは昼の神から出てきた。」と言われたみ言葉を易しく説明すると、私たちは母の子宮を借りて生まれますが、真のお父様は神様の種、すなわち「精子」から出て来られたことを意味します。
アダムとイエス様と真の父母様すべてが「神様の種」でしたが、この種がすべて完成した木になって実を結んだのではなく、ただ「天地人真の父母勝利解放完成時代」を開いてくださった真の父母様だけが木となられて全世界を実で覆ってくださったのです!
夜の神、昼の神をどのように理解するかによって、私たちは、キリストを正しく認識するようになり、真のお父様がどのようなお方であられるのかを正確に見るようになるでしょう。
超越的な神様の本質から出て来られた真の父母様を完全に理解することによって、私たちは統一家の価値を高めると同時に全宇宙と時空間の次元よりも大きな価値を持った真の父母様に出会うことになるでしょう。
アジュ! |
以下もご参考ください。
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