恐れるな!聖書を持って聖句で論戦
2024年2月28日テネシー清平水曜礼拝
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文亨進二代王
翻訳監修編集:fanclub三原
2024.0228 성전교회 수요예배_韓国語水曜礼拝
使徒行伝2:21
そのとき、主の名を呼び求める者は、
みな救われるであろう
しかしテネシーが何かといえば、バプテスト教会が強いです。ここは。
おそらく私たちが鉄の杖祝祭に出て行く時、いつもデモをするバプテスト教会のおかしなクリスチャンのおばさんがいるではないですか。
そのおばさんがおそらく出てきて「ムーニー!ムーニー!出て行け!」とすることでしょう。おそらく何人かいるでしょう。常に私たちは期待しなければなりません。水を飲ませたら良いです。「一生懸命やってください。あなたたちは地獄に行く。一生懸命やってください」と。
だから、一度見てみましょう。使徒行伝2章に有名な内容が出てきます。ペンテコステ、五旬節が出てきますね。有名な使徒行伝2章。五旬節の役事が出てきますね。
そうしながらペテロと弟子たちは何を言うか。21節。使徒行伝2章21節。
使徒行伝2章21節です。一緒に読みます。
使徒2:21そのとき、主の名を呼び求める者は、みな救われるであろう』。
2:21 And it shall come to pass, that whosoever shall call on the name of the Lord shall be saved.
皆、主の名を呼び求めるものは救われるであろう。
クリスチャンたちは皆、私たちは地獄に行くというではないですか。クリスチャンたちは「お前たち、統一教会員たちは地獄に行く。文鮮明総裁が地獄にいる」、このように言う時、使徒行伝2章21節を見せなさい。誰でも、統一教会員であれバプテスト教会員であれ、仏教徒であれ、主の名前を呼び求めるものは救いを受ける。
私たちは統一教会員として、お父様イエス様、統一教会員としてお父様の権威圏(にいる)本当の統一教会員として、私たちはすでに主の名を呼びます。そうですか?そうではないですか?
どうしてですか?イエス様と再臨のイエス様は同じ方です。私たちの立場においてクリスチャンが「お前たちは地獄に行く」という時、使徒行伝2章21節を見せて私は神様に感謝していますと、説明しないといけない。
「あなたは神様でなく、神様の御言。あなたが神様でないことはとても感謝なことです。」と。
「神様の御言で誰でも主の名前を呼ぶものは救いを受ける。」そして説明しなさい。「イエスキリストは死んで、次に復活して天のお父様の右側に座っていらっしゃる」。
これを説明します。
「私たちもこれを信じています。それなので誰でも主の名を呼ぶものは救いを受ける。私たちはこれを得ました。クリスチャンの立場でも私たちは救いを得ました」。
私たちは悔い改めもするではないですか。私たちは本当に悲しい気持ちで悔い改めもするではないですか。蕩減もするではないですか。そうですか?そうではないですか?
だからあるクリスチャンが私たちに「あなたたちは地獄に行く」とは言うことができません。私たちの問題は何ですか。私たちの問題は、クリスチャンが私たちにこのように言った時衝撃を受けます。だから、お父様の権威圏にいる統一教会員たちはクリスチャンを伝道しているので、そいつらがこれを引っ張り出すやいなや言わなければなりません.使徒行伝2章21節。覚えなさい。
私たちは地獄に行く。文鮮明総裁は地獄に行った。このように説明した時、「私は本当に感謝です。あなたは神様ではなく、神様の御言が神様。神様の御言というものが中心であることがとても感謝です。あなたは神様ではない。神様の御言を見なさい。使徒行伝2章21節に何が出てきますか?誰でも主の名を呼ぶものは救いを受ける。」
私たちは救いを受けました。私たちは悔い改めもします。私たちは蕩減もします。聖書はバプテスト教会員たちに「主の名を呼ぶものは救いを受ける」と言われましたか?メソジスト教会、プロテスタント、カトリック。神様の御言は何と言っていますか?
だからこれが問題です。
私たちは聖書で戦うことを知りません。これが問題です。聖書で戦う。
クリスチャンが「あなたたちは地獄に行く」と言ったら、聖書の句節、聖書を見せなさい。私が聖書を見せてあげます。どうして救いを受けるのか。使徒行伝2章21節。あなたたちがこれを嫌いでも、これは神様の御言です。彼らが神様ではありません。神様の御言が神様です。
それなのでお父様の権威圏、成約時代のキリストに従うものはそのような恐れがあってはいけません。クリスチャンたちは私たちを「地獄に行く」と、当惑して当惑して、「アイゴ、アイゴ、分かった」このようにしてはいけません。彼らがそのように言う時、「あなたはどうしてそのように言うのか。聖句を見せてください。私たちはあなたたちに聖句を見せます。使徒行伝2章21節。」
これはただ 覚えれば良いです。 簡単です。 ただ覚えてこの句節、使徒行伝2章21節。ただ引っ張り出せばいいだけです。そして聖書をいつも持って歩かなければならない。聖書を持ち歩いて、「あー、一度見ましょう。」と。開けばいいです。「一度見ましょう。あなたは神様ではないです。神様のみ言はどうか見せてあげよう。」
使徒2:21そのとき、主の名を呼び求める者は、みな救われるであろう』。
And it shall come to pass, that whosoever shall call on the name of the Lord shall be saved.
誰でも、バプテスト教会、メソジスト教会、カトリック教会、正教会、違う。言わなかった。誰でも、誰でも!主の名を呼び求める者は、みな救われるであろう。そしてその人達が「やあ、だが聖書はそのように言うが、お前達がただそそのかしている。」
「違う。私達は」これ(画面を指されて)を全部読まなければなりません。私達は全部信じる。
イエス様が死んだことも信じて、イエス様は罪をお赦しになることも信じて、私達は霊的救いだと言いますが、しかし、救いではないですか。キリスト教の立場で救いです。イエス様が復活したことも私達は信じているではないですか。神様の右側に座っていらっしゃることも信じているではないですか。全部信じます。そして、私達は悔い改めるではないですか。私達も悔い改めるではないですか、主様に。クリスチャン達と特別なことはないのです。
私達はその人達に有ることが、全部、有ります。
そして、その人達には無いことまですべてあるでしょう。ハハハ。
何ですか?神学、訓練とコミュニティ、その次に憲法。無いことがすべてあります。実際的な天一国があります、私達には実際的なものが。
だから、この人らが、同性愛者達と戦わず、常に自分の教会を大きく作ろうとしながら、自分達がそのような迫害を受ける内容を一つもしなく、だがその人らは何故私達を迫害するのか?私達を迫害すれば、その人らが迫害を受けないではないか。むしろ称賛を受けるではないか。
だが、(どうして)その人らは何故LGBT同性愛者と戦わない?その人らはLGBTと戦えばどうなってしまうのか?攻撃が入って来るではないですか。
つまりどういうことですか?
この人らがLGBTの奴らと戦わず、私達と戦います。ところで、私達は既に、使徒行伝2章21節。私達は既に救いを受けた人達だ。クリスチャン達のように。何故、私達と戦う?もっとはるかに大きい敵、LGBTの奴らと戦わなければならないではないか。だが、何故戦いたくないのか?そいつらと戦えば攻撃が入って来る、攻撃。
私達はこの人らよりはるかに小さいが、私達は、戦うではないですか。これが、差です、差。この人らは、ポリティカリー・コレクト(polytically correct)人気があることだけ追求する。人気があること。辛い事をしない。
私達が攻撃を受ければ、攻撃を受けなかったではないですか、この人らは。LGBTの奴らを迫害すれば、攻撃を受けるではないですか。だからしません。
何故?臆病者詐欺の奴らだからです。本当の悪と戦わない。
そうしながら、私達はその人達の迫害まで受けて、LGBTの奴らとまで戦わなければならないではないか。クリスチャン達は完全に臆病者詐欺の奴らだ。
だから、そのような奴らが、ここに出て来てデモをすれば、「や、お前達地獄に行く。お前の父、文総裁は地獄…」とこのようにする時、「使徒行伝2章21節、読んでみなさい。私達は神様のみ言によって、私達は救いを受けた。お前は神様でなく、お前は私達を地獄に送ることはできない」と。
合っていますか?合っていませんか?
「使徒行伝2章21節に私達は救いを受けるという約束も受けた。私達は悔い改めたし、私達は主を信じ、私達は主の名前を呼び。」それではこの人らは力がバーッと微弱になる。ビシビシと。合ってますか?ビシビシ。風船から空気が出る時どのように言う?いや、何の音か?ハハハ。そのような特別な音がないね、韓国の人達?ただシューッと?アー、つまらないね。ビシビシがもっと面白いではないですか。オノマトペ(フランス語、英語の擬声語)、英語で言えば。そうだろ?オノマトペ。何の話か分かるでしょう?
こいつらがまさにデモしようとしたら、こいつらが「お前達は地獄に行く、地獄に行く」(と言ったら)、ただじっとしているのでなく、当惑するのでなく、そのように当惑してはいけません。
その人らが神様ではない。それはただ自分の意見だろ。神様のみ言から出るではないですか。神様のみ言が中心だろ、この人らが中心ではない。だからこのような人達、このようなクリスチャン達を絶対に恐れてはいけません。
私達は神学的に戦えば、クリスチャン達はついて来れません。だから、私達、お父様の権限圏にいる方達は、私達はクリスチャン達を天一国に連れて来なければならないから、これをよくしなければなりません。よく理解するだけでなく、覚えなければならないだろ。聖書を持ち歩かなくてはなりません。
クリスチャン達が「お前達は地獄に行く、文総裁に従えば」とこのように言えば、「あなたは神様ではない。神様のみ言を見よう。神様のみ言でどのように出るか。使徒行伝2章21節。」重要な句節です。これをいつも覚えていなければなりません。使徒行伝2章2…、何章、何節?何章、何節?はい、使徒行伝2章21節!
これを覚えなければならない。これ章と節この部分だけ覚えても聖書を持って歩けば、句節まで覚えなくてもただ、メント(発言)をよくしなければなりません。
ロマ書10:9
自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。
その次の、重要な節は何ですか?救いに対するとても重要な句節。ローマ書10章!これは、ほとんど、ペンテコステ、何だ?五旬節教会?合っていますか?ペンテコステ教会がこの句節を完全に中心の柱にします。ここ南方地方はバプテスト教、ペンテコステ教が強いですね。フロリダのような場合はペンテコステ教も大きいでしょう。
さあ。ローマ書10章9節、見ましょう。
(王妃様:ローマ書10章9節です。)
10:9すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。
見なさい。私の口でイエスは主だと証しし、認めれば、その次に神様が、死人の中から、だから復活されたのでしょう、復活されたのを信じれば、救いを受ける。
私達は救いを受けました。私達は救いを受けたのだ。
そして、私達は何かのゲームのように救いを受ける、このようなことではないではないですか。私達は真実にイエス様を信じるではないですか、主を真実に。そうですか?そうではないですか?
イエスと再臨イエスは同じ神様ですか?違いますか?同じだ。だから、この人らが「お前達、統一教、文総裁を信じればお前達地獄に行く」このように言う時、何ですか?
使徒行伝2章21節を見せてあげて。その次に更にこの人らは、他の話をするだろう。「あれこれ、だがお前達最初のキリスト…」このように言うだろう。
それとは関係せず、「ローマ書10章9節を見よう。そうしながら、10章9節で、私達はイエス様を主と認め、私達は死んだ者をよみがえらせる、それを信じながら、救いを受ける。お前は神様でない。あなたは神様でない。神様のみ言から、私達が神様の救いを受けたと出るのだ。お前達は神様でない。神様のみ言で私達は救いを受けたことを見せることができる」と。
理解しますか?だからこのような準備をしなければなりません。この人らがこのように出る時、その人ら。何故、何故この句節が重要ですか?この句節がただ一つ、二つ、聖書に出る句節でもなく、この人らの柱です、柱。この人らの神学で救いの柱です。
だから、特にペンテコステ 教会において、市民たちが教会で新しい人が前に出て「救いを受けたい人は手を上げてください。 前に出てきてください」、 このようにする ではないですか。
その次に牧師様とメント(発言)もするではないですか。メント(発言)はほとんど、ほとんど、ほとんど、100ならば100、ローマ書10章9節です。
だから、これがただ聖書に出るある句節でなく、これはその人らの中心神学です。理解されますか?
人は、死んだ者が救われた者に変化することができる信仰の告白。どこで出るか?ローマ書10章9節!中心神学的句節です。分かりましたか?
ただ一般の句節ではない。これはその人らの中心的な柱です。
それではその人らの基準で私達は救いを受けたのだ。その人らの中心柱、基準で私達は、お父様の権限圏にいる天一国、成約時代のクリスチャンとして、私達は救いを受けたと。
聖書句節の柱、基準で見れば。クリスチャン達は何を言う?その人らは神様ではないではないか。神様のみ言で、私達に見せてくださったではないか。理解されますか?(日本語で)分かった?分かりますか?
だから、自信がなくてはならない。自信。知らなければ自信がありません。合っていますか?合っていませんか?
分かれば、この人らの中心句節が何かを知って、その人らの基準。地獄へ行くのか、救いを受けるのか、この基準が何か分かって、その基準でも私達は救いを受けたのだ。
その人らの神学、バプテスト教会、ペンテコステ教会基準で私達は救いを受けたのです。その人らは大したことはない。理解されますか?
だから私達は聖書の別の解釈が、事実、救いを受けたなら、私達は天国に行っています。ただ私達は別の聖書解釈があるために、私達は、その人らの神学で、その人らの神学では一度救いを受ければ永遠ではないですか。ハハハ。
だから、その人らの基準では私達は既に永遠の救いです。ハハハ。
だから、この人らはこのような声を一度も聞けなかったではないですか。統一教員達は「お前達地獄に行く」と言って、統一教と言えば逃げて行ったではないか。または「アイゴーお前達、文総裁。」こんなふうにするではないですか。ダメだ、ダメだ。このようにすれば失敗する。このように失敗する。「お前達地獄に行く」と言えば、聖書で。聖書が剣です、聖書が剣。聖書の剣で、み言の剣。そうでしょう?
エペソ人への手紙6章。エペソ人への手紙6章で、神の武具が出るではないですか。神の武具の剣は何ですか?み言。聖霊の剣、み言。み言の剣。お前達、これ、初めて聞くだろう?え?ハハハ。
だから、このようなことを分かってこそ、自信がつくと言うのだ。自信。そして、その人らがどんなに迫害しても、私達は聖書で行くことができるではないですか。聖書で行き、聖書で見せてあげることができるではないですか。
何を?
「お前達は地獄に行くと言うが、聖書のみ言は、神様のみ言は、私達は天国に行くと言っているではないか。お前達の心が狭いということだ。私達は死んだ時、私達はお前達と(一緒に)天国にいるだろう、何を言っているのだ?ハハハ」。
このように言えば、その人らは「あー!」(と驚く)。ハハハ。ハハハ。
理解できますか?
自分の神学でも、自分の基準の神学でも私達は救いを受けました。私達はただ句節を中心にして伝道をできないから、しなかったから、理解もしないでしょう、これを。
ただ、「このようなイベントに来てください。」このような伝道だけしたでしょう?「こんなあんなイベント来てください。このような講義に来てください。」こんなふうに伝道してきた。論戦伝道をしなかったでしょう?論戦伝道。
だから、このような人達が来た時、この人達が論戦的に見てみたら、「お前達、地獄に行っている」と言う。
だから、私達の論戦は何ですか?「お前達の救いの中心柱の句節は何か?使徒行伝2章21節、ローマ書10章9節。二つ見よう。二つを見ても私達は救いを受けた。お前達の神学の中心の救いの句節だ。お前達の神学の中心柱の句節を基準としてだけ見ても、私達は救いを受けたのだ。」理解されますか?
だから自信を持ってしなければならない。自信を持って。その次にもっと深く入って行ってら原理に入っていけるでしょう。原理を易しく。はるかに、もっと私達は確実に勝つでしょう。原理に入れば。
この人らは原理に入れないようにするではないか。「こいつらは地獄に行く。行くな。」このようにしたではないか。そこで終わりにしようとするではないか。「そいつらが地獄に行く。お前らは地獄に行く。見ろ。言う言葉がないではないか。地獄に行く。」終わりではないか。
その人らがそのように言う時に、「使徒行伝2章21節!ローマ書10章9節!」
(画面の聖句を読まれる)
ロマ書10:9 すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。
ハハハ。理解されますか?だから恐れてはいけません。クリスチャン神学を恐れてはいけません。何の話かお分かりでしょう?
この人らがこのような内容に集中せずに、私達に攻撃することに集中するではないか。
何故?その人らは悪口を言われないから。
何故、そのエネルギーを私達と一緒に手を繋いで、同性愛者達と戦おう。児童性暴行者達と戦おう。
何故それをしない?それをすれば、自分の大きな教会が悪口を言われるではないですか。臆病者達だ、臆病者詐欺の奴ら。
だから、米国も今滅びているのに、左派の奴らを皆捕まえなければならない。キリスト教牧師達、キリスト教徒はただ沈黙(人差し指を口の前で立てられて)でしょう、沈黙。沈黙ではないですか、沈黙。え?
ロマ書10:13
なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。
ロマ書10:13なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。
10:13 For whosoever shall call upon the name of the Lord shall be saved.
これはローマ書10章13節で出るではないか。使徒行伝2章21節のように。そうでしょう?
だから、キリスト教の立場、基準で私達は通過したということだ。私達に悪口を言えない。理解しますか?その人らの基準で私達は通過したのだ。アハ。
だから私達に地獄に行くと言えないでしょう。むしろ私達と手を繋いで悪い奴らと戦おうということだ。
私達はただ地獄に行くなどと言ってエネルギーを浪費しないで、手を繋いで一緒に、左派の奴らと児童性暴行者達と政治サタン主義と戦おう!このような話だろ。合っていますか?合っていませんか?
だがこの人らはしない。そのようにしたら、悪口を言われます、悪口。迫害を受けます。ジョージ・ソロスの支援者、同性愛者の奴らが記事を通しながら、いつも悪口を言う。ハハハ。
お父様の後継者相続者代身者2代王に悪口を言う記事がどんなに多いですか?多いですか?(多く)ないですか?ハハハ。皆、悪口を言うではないか。サタン側に。BBCまで来るではないですか。私に悪口を言いに。
ところが、悪口を言えば言う程、天一国が強くなります。何故?私達はキリスト教の立場でもこの人たちは言う言葉がありません。
事実、聖書を見てみれば。聖書を見てみれば言う言葉がない。そして、私達はその人らがしない事、難しい事、政治サタン主義、地上にいるサタンの手足と、私達は直接戦っているのに、この人らは沈黙しながら、震えながら後ろで隠れている。
大きな教会の中で。大型教会で。臆病者詐欺の奴ら。自分らがお金を稼げるように。
だから、私たちはこの人らがそういう悪口をするとき絶対に恐れてはいけません。
どういう意味か分かりますね。
恐れてはいけない。返答がないといけない。返答が。どう答えればいいかわからないと、当惑し、恐れ、避けようとするじゃないですか。返答神様のみ言でするのです。いつも。クリスチャンと。分かりますか。こんな訓練受けてないではないですか。
クリスチャンへの返答はいつも聖書。聖書で見せないといけない。「違う、我々は救われる。あなた達の基準で救われる。私たちに悪口を言うのではない。むしろ私たちと手を繋ごう。手を繋いで、私たちより千倍、万倍悪い奴ら、今米国を殺している奴らと(戦おう)。
お前たちは携挙を待って何もしないではないか、この詐欺野郎。本当に。休憩だけしたいこの携挙。携挙、休息詐欺野郎(韓国語発音で携挙휴거と休暇휴가は似ている)。それは事実ではないですか。
「そうするのではなく、米国を助ける活動に参加しろ、」と、こう言うのです。
鉄の杖祝祭がそうではないですか。その人たちが来てデモして、何をしても、私たちはこういった句説を分かち合えばいいのです。
もちろん、そいつらはまだ何か叫ぶだろうが、こうして聖書的にずっと対すればするほどそいつらは弱くなる。言うことがなくなる。
なぜ?そいつらは神様ではないから。客観的神様のみ言葉として救いを受けたから。分かりますか?
だから恐れてはいけない。もちろん、一人二人やってきて騒ぐかもしれないが、それでも、私たちはこのような返答があればあるほど、そいつらがいつも同じ攻撃をするのです。自分の教会、自分のところの牧師がいうことをただ反復するのです。
だから、その人たちに会うたびに、「そうじゃない。使徒行伝2章21節、ローマ書10章9節を見よう。神様のみ言をみよう」。
そうするとその人たちの文化的に「あっ」となる。こいつら、「思ってたより聖書を分かってるな。思ってたより中心救いの聖句を知っている」。
そうなる。どういうことか分かりましたね。。
キリスト教は、バプテスト教は、自分たちがそういうから、そこで分派からでてきたから、あなたは救いを受けて、このようなことはできません。神様の御言をしなければなりません。神様の御言をしなければなりません。
だからその人たちがすることはただ文化的に牧師が私たちを嫌っているので、ムーニーたちと話をすると、1960年代70年代に話をたくさんしたところ、たくさん伝道されたので、「話し自体をするな」そのように訓練したではないですか。その講義自体を聞くな。どうして?説得されるから。どうして?聖書中心だから。
だから悪口だけを言います。「お前たちは地獄に行く。お前たちは文総裁はサタンだ。偽キリストだ。」このように悪口だけを言うではないですか。それだから討論しなければなりません。私達は当惑してはいけませんね。むしろその人たちが攻撃する時、私たちは聖霊の剣でパンと再び打たなければなりません。
どうして?本当に打つのではないから。聖霊の剣で打つのです。その偽りの内容を。「お前たちは文総裁に従がったら地獄に行くと言うが、一度私たちは聖書を見てみましょう。私たちはイエス様を否認否定しますか?メシアではないと言いますか?神様の実態ではないと言いますか?」と。
私たちが何を否定しますか?キリスト教が認めているものは私たちも認めています。特にお父様が、昼の神様、夜の神様の進学を暴露されたので。その人たちを基準にして私たちには言うことは何もありません。私たちは異端、このように言うことはできません。
私たちはモルモン教よりも1000倍1万倍キリスト教に近いです。私たちはエホバの証人よりも1000倍1万倍キリスト教に近いのです。私たちはそのような異端と一緒でもありません。どういうことか分かりますね?
聖書を持って論戦しなさい
だからその人たちが悪口を言うとき「聖書をお持ちですか?聖書を見ましょう」。
タンタンタンと打つのです。それをすればするほど文化的に学びます。
「その人たちにそのようにしても、その人たちの答えはあります。聖書の句節に。聖書の聖句を引っ張り出してくる」。
このようなことをするのです。
そのためエホバの証人は伝道をたくさんするではないですか。聖書の句節を中心として伝道します。
韓国でもオンマ(二代王妃)もその写真があるでしょ?天福宮にいた時、私たちは路傍伝道にもよく行ったではないですか。食口達と。
路傍伝道に行って黄色い統一教会のチョッキを着てしたではないですか。写真もありますね。金勧士ニムの写真ですか?私たちは一緒に黄色いチョッキを着てソウル市で、後ろには統一教。ハハハ。隠しもしない。統一マークと統一教。これはどれほど大きなキンタマですか。大きな睾丸の訓練。ハハハ。(日本語で)金玉。鉄金玉訓練。それがどれほど良い訓練か。
とにかく、黄色いチョッキに統一教。
エホバの証人は聖句を「あれこれの聖句に、創世記に」と、このようにとするではないですか。
それなら私たちはどうですか。
「聖書の句節を見ましょう。ヨハネによる福音書9章を見ましょう。使徒行伝・・・」。とにかくこのようにします。このようにするのでエホバの証人の伝道師たちは言う言葉がありません。聖書で戦うので言う言葉がありません。
その人たちは伝道プログラムで聖書の聖句を覚えるではないですか。だからそのようにして伝道しながら一般市民たちが聖書の聖句を覚えてないので、エホバの証人の人たちははるかによく知っていると感じるではないですか。人々は。そうしながら「あの人は聖書の聖句をよく知っている。一度聞いてみなければ」このようになります。
しかし、エホバの証人の人は聖書の聖句を覚えた人に会ったら「あ・・・。あ・・・。あ・・・。」このようになってしまいます。
そのように、クリスチャンは、バプテスト教が強いので、ペンテコステ教が強いので、その人たちが出てきて「あなたたちは地獄に行く。ムーニーは!」このように言う時、「使徒行伝2章21節を見ろ」。
次にそれをもし覚えることができるなら覚えて。今は韓国語で覚えることはできませんね。米国なので。
ローマ人への手紙10章9節13節を見てみましょう。そうですね。そしたらどうなりますか?「ああ・・・。ちょっと待ってください」。
そしてその人たちが話をしようとしたら「あなたたちは神様ではない。神様の御言を見なければならない。神様の御言によって私たちは救いを受ける」。
むしろそのようにひっくり返す事が出来るではないですか。
だからこの人たちがバカのように見えるのです。こいつらが、心の狭いでそのような他の人に悪口を言いたい、そのような人に見えるではないですか。神様の御言に従うふりをして他の人の悪口を言って。
むしろ私たちは(聖書の)み言で反駁するので、御言では返答するので、原理のように御言で返答するので、むしろその人たちがバカだということが暴露されます。理解できますか?
だから、聖書の聖句は剣です。武器です、武器。だからこれを、聖書を常に持ち歩きます。自分が持ち歩くカバンにも常に聖書を持って通わなければなりません。
そうしながらクリスチャンがそのような悪口を言ったら、「わかった。一度見よう。」
どういうことかわかりましたね? このような部分がとても重要です。
そうすれば私たちも自信が生じます。 キリスト教に対して恐れずに、むしろ幼稚なゲームを理解して、彼らがどんなゲームで私たちを防ごうとしているのか分かり、彼らが幼稚なゲームをしていることが分かり、次に、私たちは御言で彼らに打ち勝って、一般のクリスチャンたちが容易く来ることが出来る様になります。何故なら私たちは聖書の御言で戦うからです。
だから論争がとても重要です。
とにかく今回BBCが来て、テネシーで小規模な鉄の杖祝祭をする時、多分左派と反対する奴らが来るだろう。
LGBTの奴らがどれだけ来るか見てやろう。(笑)
テネシーのLGBTの奴らがどれだけ強いか見なきゃいけないな。
ここは明らかに弱いだろう。
ペンシルバニアの奴らは強い。ニューヨークのすぐ隣だから。フィラデルフィアも大きな本部だから。
しかしここは...
しかし、ここで同性愛者よりもっと反対するのは、バプテストとメソジスト、五十節教(ペンテコステ派)。こいつらがむしろ反対をします。
だから彼らが来た時に、この様な御言の句節を言える様にならなければならない。
ここで私がテネシー鉄の杖祝祭の時、御言も話さなければならないので、御言を嫌がる時から、「多くの分派たちが、ムーニーたちが、私たちが地獄に行くと言うが」と、むしろこのように言って始めようかと思う。
堂々と最初からバンと早く言って、アイスブレイクを先にしてから御言に入ろうかと思う。
それはいいですか、悪いですか?(笑)勝っておいて。
何故ならここは大衆が違うから。
ペンシルバニアや北側ニューヨークはカトリックが強いではないですか。
でもここはカトリックがとても弱いです。ここはプロテスタント、メソジストらが強いです。
だから「ムーニーたちは文総裁に従って地獄に行くと言うが、聖書の句節を見れば、私たちムーニーたちは通過する」、ハハハハ
私たちは神学、聖書、教会で出来ない事をしています。そして出来ない文化もお父様が設置されました。それから憲法まで!オーマイガー!終わった。
カトリック、宗教会、プロテスタントらが何も出来ない。
国を作る事が出来ません。ただ再臨主と権限圏にいる私たちだけが、お父様の王権、後継権、相続権、みな私たちにはあります。全てある。
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