2019年3月17日英語説教
◆康お母様聖和式前日の御言
サンクチュアリ NEWS さんからの全文転載です。字幕化は2nd Israelさん。いつもありがとうございます。
2019年3月17日 日曜礼拝 英語説教
翻訳:BANBOOS
(前略)
明日は聖和式でもありますが、同時にプリム(訳注:エステル記の主人公である王妃エステルにちなんだユダヤの祭日。2019年のプリムは、3月20日の日没から21日の日没までとされています。どういうわけで2日早い日をプリムとしているのかは不明です。)の日でもあります。エステル記2章17節から行きましょう。
概要を話していきますが、まず17節から始めましょう。
ここでの王とはペルシアのアハシュエロス王のことです。
エステル記2章
17:王はすべての婦人にまさってエステルを愛したので、彼女はすべての処女にまさって王の前に恵みといつくしみとを得た。王はついに王妃の冠を彼女の頭にいただかせ、ワシテに代って王妃とした。
エステルはユダヤ人の女性です。王はエステルを見て恋に落ちました。それから何が起こったかは、3章、4章でわかります。
3章に飛びますが、ハマンという人が大臣に昇進します。ディズニーのアラジンの映画を覚えていますか。ジャファーという大臣が出てきて、王を洗脳して全てを支配してしまいます。それと同じことがここでも起きます。
ハンメダタの子ハマンという人が昇進して、アハシュエロス王の下でペルシャ帝国の大臣になります。エステルのいとこが、彼女を養子にして自分の子供として育てていました。
宮殿である計略が発覚します。2章21節に戻りましょう。
21:そのころ、モルデカイが王の門にすわっていた時、王の侍従で、王のへやの戸を守る者のうちのビグタンとテレシのふたりが怒りのあまりアハシュエロス王を殺そうとねらっていたが、22:その事がモルデカイに知れたので、彼はこれを王妃エステルに告げ、エステルはこれをモルデカイの名をもって王に告げた。23:その事が調べられて、それに相違ないことがあらわれたので、彼らふたりは木にかけられた。この事は王の前で日誌の書にかきしるされた。
今度は3章4節に飛びます。
大臣となったハマンにモルデカイは敬礼しませんでした。ユダヤ人だったからです。神様を裏切りたくないからです。するとハマン大臣は怒りました。それでモルデカイを殺そうとしました。エステルも。
5:ハマンはモルデカイのひざまずかず、また自分に敬礼しないのを見て怒りに満たされたが、6:ただモルデカイだけを殺すことを潔しとしなかった。彼らがモルデカイの属する民をハマンに知らせたので、ハマンはアハシュエロスの国のうちにいるすべてのユダヤ人、すなわちモルデカイの属する民をことごとく滅ぼそうと図った。
(略)
それからハマンは、アハシュエロスを説得してユダヤ人を虐殺させようとします。彼らが問題のある民族で、危険な人々で、反抗的だからです。
ペルシャに囚われの身になっているユダヤ人の残存者に、途方もない危機が迫ります。すべては宮殿で起きたモルデカイの事件のためです。彼らは知らなかったでしょうが、突然大きな刀が自分の首に掛けられようとしていました。非常に深刻です。ユダヤ人を皆殺しにしろ、ということです。
今度は7章を見ましょう。宴会の席に王様とハマンはエステル王妃を伴って参加しました。彼女は王の最愛の女性だったので、王妃の冠を授与されていました。
2:このふつか目の酒宴に王はまたエステルに言った、「王妃エステルよ、あなたの求めることは何か。必ず聞かれる。あなたの願いは何か。国の半ばでも聞きとどけられる」。
3:王妃エステルは答えて言った、「王よ、もしわたしが王の目の前に恵みを得、また王がもしよしとされるならば、わたしの求めにしたがってわたしの命をわたしに与え、またわたしの願いにしたがってわたしの民をわたしに与えてください。
4:わたしとわたしの民は売られて滅ぼされ、殺され、絶やされようとしています。もしわたしたちが男女の奴隷として売られただけなら、わたしは黙っていたでしょう。わたしたちの難儀は王の損失とは比較にならないからです」。
5:アハシュエロス王は王妃エステルに言った、「そんな事をしようと心にたくらんでいる者はだれか。またどこにいるのか」。
6:エステルは言った、「そのあだ、その敵はこの悪いハマンです」。そこでハマンは王と王妃の前に恐れおののいた。 7:王は怒って酒宴の席を立ち、宮殿の園へ行ったが、ハマンは残って王妃エステルに命ごいをした。彼は王が自分に害を加えようと定めたのを見たからである。
まるで映画のようです。ハマンは見えないところではジャファーのようでしたが、今度はあーと嘆いて命乞いをします。サタンは捕まるとこういうことをします。
それから彼が何をするかというと、王妃エステルに自分の命を救ってくれるよう頼むのです。
(略)
王は出て行き、ハマンは王妃にすがります。彼女の足に平伏して、足に口づけするようにしながら、今にも短剣で刺そうとしているのです。しかし、弱さを見せた瞬間・・・もし王妃が失敗すれば、彼女が死ぬだけでなく同胞もみな死んでしまいます。一瞬の弱さで民族全てが死んでしまうのです。
もし真のお母様が韓国で、数人の姉妹から真実を聞かされていたら、みなさんが経験したのと同じ葛藤に見舞われていたでしょう。なぜなら、決断を下さなければならないからです。
姦通者と夫が混じり合うことはないからです。善と悪が混じり合うことはないからです。同じベッドで寝ることはできません。
韓国でそうした圧力と迫害がありました。突然悪魔が、ちょうどハマンのように、「姜(康)夫人、やめてください。全てを失うことになります」と言ってきます。家庭連合はやめなさいと言って止めようとしました。ハマンと同じです。
「二代王は死んでしまうのだから放っておきなさい。とにかく何もできないのだから」「ここにいれば宮殿があり、シルバータウンがあり、アメニティーも整っていて3食十分に食べられます」「年金があって毎月数千ドルもらえます」「すべて失いますよ」
彼女(エステル)も同じ戦いをしなければなりませんでした。
真のお母様は90歳でその戦いをしなければなりませんでした。それは大変なことです。
真お母様は韓国で最初の弟子でした。お父様は教会の母と呼ばれました。文字通り、真の母となるのに最もふさわしい女性でした。際限なくご自身を前線に置いていました。それでも、もっと若く美しい韓オモニの陰に隠れていました。
康真のお母様は身体的にすごい美人だったわけではありませんでした。6フィートもあるミス・コリアではありません。カーの王妃はミス・コリアですが(笑)。康お母様はまさにドワーフのようです。体の小さい女性です。ものすごい身体的な美を与えられてはいませんでした。
しかしその精神は巨大です。信仰は巨人のようです。人々を救おうとしてどれほどの愛を示されたかというと、パゴダ公園で6年以上辻説法を毎日続けられたほどでした。
光州でも、全ての初期の教会も彼女によって始められました。何の基盤もない時です。
(略)
康お母様は何十年もずっと前線の仕事を通過しなければなりませんでした。何十年もずっと認められることなく、誰にも感謝の言葉を受けずに、何十年もずっと神様に仕えて来られました。ときたま彼女の年齢か何かのことで表彰されるだけです。
いつも裏方で、若々しい心情、神様に対する信仰、キリストに掛けた命を中心とした信仰を決して失わずにいました。自分の命を神様に捧げたその最初の日を決して捨てませんでした。70年間前線で、それを心の中で新鮮に保ちました。
全世界の教会でも、康真のお母様より真のお母様としてふさわしい人は1人もいません。
最後の時、追い込みの時、土壇場で、韓オモニが自身の栄光と今や失いつつある財産のために、ゴールから後戻りしたためです。裏切った人は決してうまく終わることはありません。
最後の瞬間のことです。草創期からの大先輩たちは、誰もお父様の王権のために、お父様の相続人のために立ち上がりませんでした。あの巨大な宮殿で、清平のスタジアムに集まった中で誰も。誰も我々のために立ち上がりませんでした。
しかし、26歳のときにお父様に出会った小柄な背の低い女性が・・・。スタジアムの最前列でも2列目でもなく、ずっと後ろで忘れられていた人。彼女はその腐敗や悪とは無関係でした。
お父様を愛しますと言い、裏切りません、仕えますといった人たちが全員、混乱状態になり選択を迫られる時、誰もできませんでした。1人の小柄な女性を除いては。26歳の時にたまたま釜山にいた彼女が、段ボール小屋で狂った自称メシアを目撃したのです。信じられますか、みなさん。ハレルヤ!
彼女は全てを失いましたが全世界を得たのです。というのも、王国が到来すれば、主権を持った市民、天一国の王と羊飼いたちは、彼女を称賛するからです。永遠に。彼女の行いを称賛します。
人生は物語だと言われます。世俗的な世の中の人たちの多くは、自分の物語を作りなさいと教えられます。しかしそうした物語は全て、時が経てばつまらないものとして消えて行きます。広大な海の中のちっぽけな砂粒です。永遠の時間で考えてみれば・・・。
しかし中には、自分の物語を書くことだけを選択せずに、神様の物語の中で神様と歩もうとした人たちがわずかにいます。
そういう人たちは特別です。大衆と違って、ただ自分の物語を追及しないからです。彼らが見たいのは神様の物語です。なぜなら、彼らはそういう高尚な物語と高尚な目的と使命のために生きるからです。彼らの人生は全く異なります。全く異なるように見られ、記憶されるのです。ただ生まれて死ぬのではありません。砂粒ではありません。英雄的な物語となります。
長年の奮闘――善悪の壮大な戦い。我々は観客であるだけでなく参加者でもあります。その物語を神様と共に歩んでいます。自分の物語のため、自分の栄光のためではありません。神様がご自身の物語で栄光を受けることができ、ご自身の物語に参加することができます。そしてそれが我々を満たしてくれるものです。
そういう集団であるので、そういう人々であるので、世界を変えるのです。
男性たちの物語がたくさんあります。少年少女のささいな物語がたくさんあります。最も困難な時代を過ごし、戦争の不透明さを見通すことができた人たちの物語は少ししかありません。多くの場合、ただ神様の恩寵によって。正しい場所と正しい時、または何か意識で分かったことで。またなんとなく引き付けられて。
神様が血を流したその物語にほとんど屈服するようにして。神様がその物語の中で願いをかなえるのを見ることにもっと集中して。神様が物語を完成させるようにして。その役割を担うことができるのであれば、私はどんなことでもやります。
私たちが自分たちの人生の物語を2番目の部類に置き、神様の物語を最優先させることを選択したために、我々の人生に神様が何をされたか考えてみてください。
友人を失いましたが、偽物だったのです。本物ではありませんでした。世界中から、きちがいだといって嘲笑を受けたかもしれません。しかし我々が獲得したものを見てください。まわりにいる人たちは完璧ではないかもしれませんが、高潔さを持っており、正義を追求し、神様の王国を追求しています。正しいことをしたいと思っているのです。神様に従いたいと考えています。ただ世の中に受け入れられることを望んではいません。
知っての通り、サンクチュアリには様々なグループがあります。ときにはこちらのグループがあちらのグループと争うというようなことがあります。家族のように言い争って。しかし、このようなことで集まる時、真のお母様に感謝を捧げます。
こちらのグループもあちらのグループも、それぞれの道で、お父様のために立ち上がりました。重要な時に立ち上がったのです。ここにいる理由は、我々が未知の海へと向かう中で、まだ三大王権と共に歩み、我々と共に歩んでいるからです。我々が神様によって、最前線でこのキリスト教の勇士たちと話す中で。
(略)
彼女を真の母のままにしてください。お父様と共に、彼女自身のままにしてください。お父様はそれを愛されるからです。偽りの女神にすることは望んでおられないからです。彼女の本当の姿を好まれるのであって、偽りの姿ではありません。
みなさんも自分の王妃の偽りの姿ではなく、本当の姿が良いとは思いませんか。お父様は王妃の中の王妃の本物の姿を好まれます。
宣教や前線ばかりで過ごされた、驚くほどの人生を歩まれて、彼女の信仰と愛は常に前線にありました。アフリカや、ヨーロッパ、ロシアなどどこにいても、数人のメンバーが集まっている場所でも、スタジアムがいっぱいになるかは心配ではないのです。栄光のために行ったのではありません。
ロシアでの驚くべき逸話があります。宣教に10個のカバンを持って行かれました。ロシアの兄弟姉妹が、カバンを10個持ってやって来る人は誰だ?と言うのです。宣教者だからマザーテレサのような、貧しい姿で来ると思っていたのに、と。彼女がカバンを開けるとそこには、お父様が彼女に与えた服や様々な物が入っていました。彼女はそれをロシアの兄弟姉妹に与えたのでした。そのような女性なのです。女神のような女性になりたいというような偽物ではありません。
彼女はとても本物の人なので、とても素晴らしいのです。いつも自分は不十分だと言って、とても謙虚で、とても傷つきやすかったのです。自分が完璧だと見せかける必要はありませんでした。1度でも自分を崇拝するように言ったことがあるでしょうか。全くありません。
明らかに、お父様がされる特別な儀式の際には、お父様と共に王座におられるでしょう。お父様の代身者がいて、それぞれの世代がこの世にいて、お父様は儀式の際お母様と共に天国におられるでしょう。
しかし他の時には、椅子に座りっぱなしではなく、飛び回っていることでしょう。霊界でわくわくするような生活を送られるのです。霊界では、天使が彼女を追いかけまわすでしょう(笑)。その様子をビデオに収めて見てみたいものです。
我々はお母様を称え、愛し、彼女がしてくれたことに感謝するでしょう。娘や孫娘にお母様のことを話すのはもちろんのことです。しかしもちろん、お母様を神様として崇拝しないよう教えます。なぜなら、決してそういう女性ではなかったからです。その点を誤れば、子供を悪魔に変えてしまうことになります。その小さな過ちで。お母様を彼ら自身のイメージするものに変えてしまうのです。
(略)
お母様の人生は全てがお父様のみ心を行うことでした。そのような方でした。ですから我々は、お母様を偉大な王妃の中の王妃、神様の偉大な勇士、キリストの花嫁の長、女性の中の女性として称えます。
しかし彼女がどういう女性であったか覚えていてください。人の形に造られたのではなく、神様の形に造られた方でした。自分の人生を神様が望まれる通りに形作られました。だから彼女は偉大なのです。ですからそれぞれの世代が彼女に従い、称えるでしょう。お母様を称えるたびに、そのようなお母様を送ってくださったことに対して、お父様へと賛美が捧げられます。お父様はいつもそばにおられるのですから。
今日は哀悼の場として最後の日です。ここにいる間に時間を取って最後の言葉をかけてください。お母様は霊界に行かれて、活動されると理解しています。すでに移っていこうとしておられます。しかし、それでも神様の霊として、また神として移るのではありません。私たちと共に移り、先祖、霊界と共に移り、お父様が与えられた方向に向かわれるのです。いつもそうであったように。
栄光がどこに行くものか覚えておかなければなりません。天宙の中心が誰であるか覚えておかなければなりません。そこには(神様の)息子がいます。
それを覚えている限り、神様の恩寵に留まり、それぞれの世代は悪魔の策略から守られていきます。自分の王権を守ってください。みなさんはそれに対する責任を与えられています。お父様はあなたの王国という途方もない贈り物を与えました。あなた自身の栄光のためではなく、神様の栄光のためです。自分の子供たちの財産のためではなく、神様の栄光のためです。なぜならその恩恵とともに、責任も生じるからです。
自分の王国を守り、自分の家庭を守りなさい。自分の心をうそと偶像崇拝から守りなさい。イエス様がされたように、お父様がされたように、我々がいつもするようにお父様の栄光を称え続けるのです。なぜなら、そうすることで、真のお母様はあなたを背後で支えてくれるからです。お父様の栄光を称えなさい。そうすればお母様は祝ってくれるでしょう。
「真のお母様、あなたの栄光を称えます。あなたは女神です」と言うなら、「それを止めなさい。ばか者。悪魔が背後から迫っています」と言われるでしょう。夢の中でお母様があなたを褒めるのを見るなら、それはあなたがサタンを崇拝しているためであり、お母様ではありません。彼女はそれを決して好まないし、全くそのようになることはありません。それは錯覚であってお母様ではありません。本物のお母様なら、お母様がお父様の栄光を称えることでそうだと分かるのです。
お母様が赤と紫のローブを着て、「私は女神であり私がお父様を救った」と言うのであれば、みなさんでもお母様ではないと分かるでしょう(笑)。
彼女はそのようなことは決してしませんでしたし、することはありません。生涯を通してそれを証明されました。最期の時までその約束を破りませんでした。神様とのその誓いを、1度も破りませんでした。
ですから、神様の王国はとても恵み深いのです。だから繁栄するしかありません。なぜなら、彼女がそのような王妃の中の王妃であるからです。
我々は恵みを受けています。本当に恵みを受けています。今日は最後の哀悼の日となり、明日は素晴らしい聖和式となります。それに備えて、我々のために祈ってください。万事うまくいくように。明日聖和式で会いましょう。
(おわり)
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