キリスト教徒、左派Viceメデイアに王冠銃器所有を覚醒す!!
英語説教 11月18日,25日の2回分
この二回の英語説教は、左派VICEメディアがつくったビデオによりどれだけ世界の人々がキリスト教の銃器所有に覚醒し、世界中から聖殿に新しい信徒が現れることを示す、その聖霊の役事を体験できる内容です。
左派であってもキリスト教徒であれば市民が王と王妃でありその権威として鉄の杖を持つ、それが聖書から来るというところに心霊がスパークし聖霊の役事が起きる保守はもちろん左派クリスチャンが沢山いるということでしょう。いよいよキリストの世界的リバイバルです。
VICEvideo、、12月6日現在僅か3週で
サンクチュアリNEWSさん翻訳作成字幕video前半、後半↑
上の前半後半を、こちらで一本にしたもの↑
サンクチュアリ NEWS さんからの全文転載です。字幕化は2nd Israelさん。教会ブログであるため御言をコレクションしています。聖殿食口以外からも読んで頂いています。ありがとうございます。
2018年11月18日日曜礼拝 英語説教
翻訳:BAMBOOS
最高にアメリカ的な教会
(Viceのドキュメンタリー動画は)全体としては非常にいいものでした。5日間で31万ビュー以上です。レバレンド・ムーンは終わりだ、消え去った、と思われていましたが、レバレンド・ムーンがインターネットでまた扉を開いているのです。
ここにあるのがコメントですが、興味深いものです。明らかに大部分は、やかましく狂った左翼たちで「死ね、死ね、死ね」とか、「お前はクリスチャンじゃない」といったものでした。それで結構。真新しいことや驚くようなことは何もありません。
しかし、コメントの中には私たちを支持する人たちもいます。我々の仲間に加わっていなくても支持する人がいるのは、彼らには我々が向かおうとしている主権と本当の人権を持つ王国が見えるからです。そこでは政府が人々に税金を掛けることができず、政府が主人として支配できません。政府の官僚は僕であって主人として支配できないのです。
彼らはそういう方向に向かう運動を、またそれが起こっているのをクリスチャンの歴史の中で始めて目にします。なぜならインターネットのおかげで広まることができるからです。またそれは、文鮮明師の三大王権の渦の中で起きていることです。それがまた彼らをイライラさせ、怒らせるのです。
しかしその中の一部の素晴らしいコメントを見てみましょう。否定的なコメントの中で、我々を本当に支持している人たちです。左翼は非難し嘲笑しようとしていますが、それは驚くことではありません。というのも、彼らは管理中毒で、人々が強くなることを望まず、女性が強くなることを望まず、人々が怖がって政府や機関に守ってもらうよう懇願するようにさせたいと思っているからです。彼らは、自分ではできない、守れないのだといつも言いますが、大嘘です。
そうやってがむしゃらに批判する人たちがいる中であっても、支持者がいますのでそのいくつかを見ていきましょう。
「彼らは銃を崇拝しているのではない。神を崇拝して、銃を自分たちと信仰を守る手段と見なしている。よくできているし、偏見のない動画だ。気に入った」
冷静な人からの良いコメントです。
「何でも嫌いなものは嫌いだと言えばいい。シカゴの南側で暮らすぐらいならこのカルトと一緒に暮らすだろうね」
良いでしょう。彼は現実に留まっています。
「この教会に参加したい」と言っている人もいます。
別の人がこう言っています。「すごい。少数派が自己防衛の権利を持っている」
(中略)
「彼らを裁いている人たちは恥を知れ。彼らは銃を持っていても何も間違ったことはしていない。アメリカ合衆国の憲法で許可されていることだ」
その通りです。ここに来た人が気づくことは、我々が狂った人たちではないということです。我々はちゃんと法を順守する市民です。見て分かるように正直な人たちです。もちろん神様のために燃えています。神様が準備されている人たちのために熱狂しています。魂の救済を願っています。人々が地獄の支配から逃れることを願っています。イエス様と共に生活を送るようになることを願っています。そういう意味で、世の中の人は我々を狂っていると言うでしょう。しかしそれは全てのクリスチャンにも言えることです。
来てみれば普通の人たちです。危険ではありません。ほとんどの人が武器を持っていますが、危険な場所ではありません。実際はより安全な場所です。悪い人がやって来て何かしても、同様の反発力を受けることになります。
コメントに戻りましょう。
「これには何も間違ったことはない。反対する人は全員、銃をひったくる共産主義者だ」
「この牧師は分かっている。悪がどこに隠れようとも私は戦って殺す。神は私に力を授けた」
退役軍人かもしれませんね。分かりませんが。明白なこととして我々はドキュメンタリーの中でそうは言っていません。鉄のつえは防御であり守ることです。聖書で鉄のつえで治めると言っているところで、「治める」とはポイマイノ、羊の世話をすることであり、守ることを意味します。羊の世話をするということであって、狂った悪いことをするのではありません。守ることです。
「私は参加したい。左翼は我々の権利を全て損ない、今度は言論や銃を狙っている。それが最後の障害だ。我々は決してそれらを諦めない!この男が狂ったカルトリーダーだという混乱したコメントを左翼がしているのが分かる。彼らは自分たちがカルトだと分かっていない。左翼主義こそが彼ら全員にとって最も危険なカルトだということが」
全くその通りです。左翼主義、国家主義では、神様は国や政府の官僚に置き換えられます。恐ろしい、ひどい、不完全な人たちに。それは全くのカルトですが、彼らを批判するとヘイトスピーチだと言われます。オバマ政権下のDSM―5(精神障害の診断と統計マニュアル第5版)で、精神障害とされています。政府を批判し、政府に対して問題があれば精神障害者とされます。反抗挑戦性障害、ODDと診断されるのです。あなたはODDですね、と。そうするとトランプもODDになってしまうでしょう。自由のために立ち向かう人はみなODDだ、と。全くばかげています。
どれほど躍起になっているか、狂気じみているかが分かります。彼らこそが独占を支援している人たちであり、この国を破壊し続けている人たちです。雇用を中国に輸出しています。またAmazonの出荷ごとに1ドル57セントを違法に与えている人たちです。普通の人はそういうことはしません。そうした違法な活動に普通の人たちは関与していないのです。
全てはこのような政府機関、政府の役人、腐敗したナンシー・ペロシ、マキシン・ウォーター、ヒラリー・クリントンです。彼らが反抗挑戦性障害という偽の医学的なものを作り上げています。ヒラリー・クリントンに逆らえば反抗挑戦性障害だということです。学校や大学に行って、教師に逆らえばあなたを放り込むことができます。DSM-5に従ってODDのレッテルを貼ることができるのです。ばかげたことです。それは、ナチスが医学を利用してユダヤ人を他の民族と比較して検査したのと同じです。全く不条理な科学です。偽の科学を利用して政府の権力を独占し管理しています。まさに左翼と共産主義者がやっていたことです。
我々は共産主義に非常に良く感づきます。家族全体が北朝鮮出身者です。真のお父様は北朝鮮の出身です。遠く離れたところからでも共産主義者を嗅ぎ付けます。
この(コメントをした)人たちは内部の人ではありません。
「この人たちは分かっている。コメントしている人の大半は動画を間違って解釈している。彼らは銃を崇拝していない。ほとんど神様の王国を守る手段として使っている。教会に銃を持ってきて、弾丸の王冠を被るのは少しばかげているという点には同意するが、誰も傷つけずに、留まることを強制しないのであれば全て賛成だ。さらに彼らは神の言葉の一部を複雑なままに解釈している。彼らが本当の普通の教会に行ってそこに参加することを願う。それでもこれは現代では実にましな教会の1つだし、カトリックよりは確実に良い」
「私は銃支持者だが、これには何も間違ったことは見いだせない。私は自分の国を愛しているし、これは自分にとっては大丈夫だ。でもリブタード(訳注:リベラルと愚かを意味するタードを組み合わせた造語)が見たらパンツに大を漏らすね(笑)」
「これはおそらくこれまでで最高にアメリカ的だ」
「これを『カルト』と呼ぶなら、私は入りたい!共産主義的なメリーランド州にこういう教会がいくつかあればいいのに。世界にこういう教会があれば悪は滅ぶだろう!」
まさにそうです。ですから左翼はこのメッセージ、鉄のつえの王国のことを恐れています。というのも、普通の人たちが聞いたら、自分たちが抑圧され、策略の中、システムの中にいるのだという事実に目覚めるからです。どうしてアメリカ人が自分たちよりもっと人間らしいというのだろうか、と。彼らにその権利があるなら、どうして自分たちは持てないのだろうか、と。それは人を奴隷化している国ではとても悪い問題なのです。そういうわけで左翼はビクビクしています。中傷と非難をするしかありません。しかしその過程で自分を暴露し、自分を傷つけることになります。なぜなら普通の人たちはその正体を看破するからです。
(中略)
「おい、彼はヒラリー・クリントンと左翼の気取り屋を非難したぞ。自分はAR-15を持っているから鉄のつえに参加できる。どこで登録したらいいの?」
いいですか。お父様は左翼ではありませんでした。共産主義者ではありませんでした。家庭詐欺連合はお父様を共産主義者、左翼として描こうとしています。お父様は民主党を支持したことは全くありませんでした。民主党は社会主義なので支持したことはありません。反対でした。民主党も今や共産主義の党になっています。完全な中央集権。完全な課税。完全な強奪。道徳の盗難。不道徳の党です。
もちろんお父様は共和党のネオコンのことを決して喜んでいませんでした。彼を非難しました。ブッシュ大統領をサタンの王と呼びました。ブッシュ大統領をサタンと呼んだのです。お父様はネオコンでもありませんでした。ワシントン・タイムズも、共和党が関わるワシントンDCの小児性愛犯罪ネットワークを暴露しました。ですからお父様はネオコンも追求していたのです。
家庭詐欺連合は完全な歴史的戦いの中にあります。なぜならお父様を左翼主義者、民主党として描こうとしているからです。何とばかげた話でしょうか。愚かです。まさか!「はい、真のお父様はヒラリー・クリントンに投票していたでしょう」だと。ふざけているのでしょうか。
次のコメントに行きましょう。
「これは新しい建国の父のようだ!」
「アメリカ中でこれが必要だ」
これが彼らの恐れていることです。もしこれがアメリカ中に広がれば、ヨーロッパに広がり、ラテンアメリカに広がれば・・・。というのも、次の本は各国語に翻訳されるからです。そしてまた、歴史上はじめて、なぜ善良な人たちが自分とその王国、主権を防衛する手段を持たなければならないのかを明かすからです。ですからこれが広まって欲しくありません。
人々は考え始めています。教会が社会主義のメッセージを教え始めていると。それは様々な政府支援のプログラムを獲得するためです。非常に危険です。政府は言って良いことと良くないことを指示するようになります。ヘイトスピーチという理由で。
すると福音を説教することができなくなります。カナダで福音を説教できないのと同じように。レビ記から、同性愛は嫌悪すべきものだ、という内容を読むことが違法になっています。意見ではなく聖書を読んでいるだけだというのに。カナダではヘイトスピーチとみなされ、許可されていません。ヨーロッパでは全くの全体主義になっている国もあります。シャリア法に反することを口にしたら牢屋に入れられるのです。ばかげています。
(中略)
コメントに戻ります。
「『多くの人にとって心配』。誰が?学校での銃乱射と銃を祝福する教会の共通点は、2つのことが銃に関係しているという事実以外にはない。これについて心配している人たちは、違いが分からない人たちだけだろう」
「この人たちは現実的だ。警察や政府が助けてくれると思っているのは羊のように従順な人だけだ」
小さなことであっても十戒を破っていないか
ヨハネの福音書3章16節から行きましょう
16:神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
本物のクリスチャンは燃えています。神様のために燃えているのです。神様の願望のために燃えています。本物のキリスト信奉者は神様の願望のために燃えています。神様は人々が救われて欲しいと願っています。人々が自由に・・・「自由に」という言葉に注意してください・・・キリストを信じることを、人生をキリストに捧げることを選択して欲しいと願っています。
これが本物のキリスト信奉者であり、彼らが望むことです。なぜなら、それは彼ら自身の願望ではないからです。神様の願望なのです。この点においてそれは心情世界と呼ばれます。お父様が語られていた心情世界のことです。言葉の翻訳にとても戸惑いを感じますが。
人々が救われて欲しいと願う動機です。人々の人生が変わるのを見たい、という興奮。自分のためだけでなく、他の人が変わるのを見たい。神様が他の人に働かれるのを見たい。人々がドラッグ、アルコール、タバコ、フリーセックス文化、また民主党やネオコンなどによって置かれているプランテーションから解放されて欲しい。何であっても、人々が解放されて欲しいと願う内面の要求があります。また人々は自由意志を行使するのであって、強制してキリストに人生を捧げるように、自由意志を行使させることはできません。
それは内面で燃える火のようなものです。自分から出たものではありません。聖霊を受けた時に我々の内に置かれたものです。また自分自身の欲望が焼き尽くされて、神様のことが意味を持つようになるのです。
我々は超自然的で壮大な人生を送ります。自分はどんなふうに見えるだろうか、といったようなつまらない惨めな人生を送っているのではありません。我々は、戦いに満ちた、また悪魔が反対して来るという意味で迫害に満ちた、超自然的な壮大な人生を送っています。
困難はありますがそれほど壮大なものはありません。みんな困難はあります。荒野のどこかで10キロ、100キロと歩いて旅行することもあるでしょう。困難はつきものです。足の指の爪の痛みで、這って行くこともあるでしょう。小さな足の爪のことでも動揺する場合があります。
途方もないことですが、自然の中にいる時だけでなく、神様の動機、神様の心情、その内なる願望、願い、人間に対する希望とつながって・・・。神様は、希望と未来を与えよう、と言われますが、神様が希望を持っていると思いますか。神様も希望を持っています。
我々は神様の希望と一致する時、力が、アノインティングが得られます。自分が触った人が癒されます。人々が解放されます。なぜなら我々にはアノインティングがあるからです。力があります。
今日の聖句に行きましょう。
ローマ2章。重要です。私が祈っている最中、神様に今日のみ言を与えてください、と言うと、神様がローマ2章を与えてくれました。とても大切なみ言です。見てみましょう。
思い出してください。以前取り上げたことのある内容ですが、興味深いことです。神様は、やったことのあるみ言を与えて、我々がもう一度聞くようにさせることがあるということに注意してください。
私がある時に言ったことを覚えている人はどれだけいるでしょうか。覚えていませんね。もちろんです。柔術やMMAを教える時、私が一度見せてからやってみなさいと言うと、みんな「もう一度見せてもらえますか」と言います。ですから神様は再度聞く必要のあるみ言を与えることがあります。今回は違ったように感じるかもしれないのです。もしかしたら今回はもっと深く感動するかもしれません。
いいですか。教会が発展して人々が救いを受けると何が起こるでしょうか。ユダヤ人たちは、新しく来た非ユダヤ人はユダヤの律法に従っていないと言って不満を表しました。新しい人に対して文句を言ったのです。いわば新しい人たちを裁いたということです。彼らは信仰的でない、この儀式をしていない、などと言って。比較的に覚えのあることですね。ここではありませんが過去にありました。そういう背景があります。
2章を一緒に読みましょう。
1:だから、ああ、すべて人をさばく者よ。あなたには弁解の余地がない。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めている。さばくあなたも、同じことを行っているからである。2:わたしたちは、神のさばきが、このような事を行う者どもの上に正しく下ることを、知っている。3:ああ、このような事を行う者どもをさばきながら、しかも自ら同じことを行う人よ。あなたは、神のさばきをのがれうると思うのか。4:それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。5:あなたのかたくなな、悔改めのない心のゆえに、あなたは、神の正しいさばきの現れる怒りの日のために神の怒りを、自分の身に積んでいるのである。6:神は、おのおのに、そのわざにしたがって報いられる。7:すなわち、一方では、耐え忍んで善を行って、光栄とほまれと朽ちぬものとを求める人に、永遠のいのちが与えられ、8:他方では、党派心をいだき、真理に従わないで不義に従う人に、怒りと激しい憤りとが加えられる。9:悪を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、患難と苦悩とが与えられ、10:善を行うすべての人には、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、光栄とほまれと平安とが与えられる。11:なぜなら、神には、かたより見ることがないからである。
彼がコミュニティの中のユダヤ人を叱っているのに気付いたでしょうか。あなたたちは選ばれた血統の者ではないと言っていました。つまり、ユダヤ人でなく非ユダヤ人、ローマ人だ、と。韓国人指導者からそういう経験を受けたことのある人はどれくらいいますか。ある種の人種差別ではないでしょうか。ほとんど人種差別です。韓国人が人種差別主義者になり得ると知っている人がどれくらいいますか。ここでは違いますが。アジア人が人種差別主義者になる場合もあります。
神様が何と言っているか見てください。彼はただ、悪を裁くなと言っているのではありません。その背景は何でしょうか。聖句を知らない無知な人たちはこうです。「ああ、悪を裁いてはいけないということか」と。そんなことを言っているのではありません。ばか者。
彼が話しているのは新しい改宗者たちのことです。キリストに人生を捧げた人たちのことを話しています。サタン崇拝者のことを話しているのではありません。そういう人たちは正しく裁かなければなりません。
聖書ははっきりと、正しい裁きをしなさいとしています。悪いことをしているなら、裁かなければならないのです。しかし。ここではその話をしているのではありません。新しい改宗者のことを話しています。新しい人たちをそのように厳しく裁くのは止めなさいと言っているのです。なぜなら、彼が言っているようにあなたも完ぺきではないからです。
それで彼は、ユダヤ人をはじめ・・・と繰り返し言っています。彼らがユダヤ人でないことを自分は理解しているが、神様はそうした非ユダヤ人にも神の摂理を開かれたのだ、ということを思い出させているのです。確かにその人たちは全ての規定を守っていないかもしれませんが、全ての規定を守っている人も神様から遠い場合があるのです。
儀式をよくやって本当に宗教的な行動をしているかもしれませんが、神様にはあまり忠実ではないかもしれません。同じようにパウロはこのローマの教会を批判しているのです。ローマの教会が大きくなっている中、パウロは「何をやっているのだ」と言います。「この人たちは新しく来た人たちなのだから、彼らに対して神様の愛を持とう」と。
12:そのわけは、律法なしに罪を犯した者は、また律法なしに滅び、律法のもとで罪を犯した者は、律法によってさばかれる。13:なぜなら、律法を聞く者が、神の前に義なるものではなく、律法を行う者が、義とされるからである。
ですから彼は、神様の律法が不必要だとは言っていません。イエス様は、自分は律法をなくすためでなく成就するために来たのだと言われました。キリストの体には、イエス様は立法を超越するために来たのだ、という人がたくさんいます。多くの繁栄の教師がそう教えています。
律法が全てです。同じ神様だということに気づいてください。律法によって救われるという意味ではありません。神様の律法に注意を払う時・・・。例えば偶像崇拝をしてはいけないとか、他の神々に浮気してはいけないとかいうことです。それは往々にして小児性愛やサタン崇拝につながることです。それは重要です。そういったことは神様にとって重要です。神様との関係性にとって重要です。
そういったものは救いを与えません。全ての宗教が、これをすれば救いを受ける、解脱する、悟りを得る、仏陀になる、というようなことを言います。何かをすればこのことから解放される、と。しかしそれは福音ではありません。そういうものではないのです。自分の救いになることは何もできません。なぜなら私たち全員が、嘘をつき、盗み、姦淫し、神を冒涜しているからです。全ての人が、です。
小さなことであっても十戒を破っています。全ての戒律を破っているのです。神様の前に立って、私は完璧だ、私は善良だとは言えません。善良ではありません。それは福音の力のようなものです。犯罪者と比べたら良い人かもしれません。しかしそれは神様がされていることではありません。
今度は自分を神様と比較してみます。律法はあなたを他の人ではなく神様と比較します。正義の聖なる完璧な神様の前では、あなたはひどい罪人で全く汚れています。全く汚いのです。これを理解するのは重要です。というのも、一度理解すれば、これをきれいにしようとしても何もできないと気づくからです。
あなたには力がありません。それは人から出て来るものではありません。あなたは神様の介入を受ける場合にのみ、神様のように清くなります。いわば、自分の努力に基づくものではないということです。ローマ2章の背景を理解することが重要です。彼はそのような態度に対して警告しています。
14:すなわち、律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、・・・
それは良心のことですね。聖書には、全ての人の心に神様の律法が書かれている、とあります。また我々の心が固くなっているともあります。心が固くなっているので良心がはっきりと表れません。それを聞くことも見ることもできません。味わうこともできません。心が固くなっているためです。
そのため神様は石のような心を取り上げて、肉の心と入れ替えます。肉の心は神様の促しに敏感な心です。神様の心情的な性質を感じることができると言うことができるでしょう。神様の霊的な願望です。神様の最も奥底にある願望です。こういったことが今話している内容です。
14:すなわち、律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、たとい律法を持たなくても、彼らにとっては自分自身が律法なのである。
それは彼らが律法を作っているという意味ではありません。心の中に書かれているのです。良心を持っています。なぜなら神様のかたちに造られているからです。神様だという意味ではなく、神様のかたちに造られているということです。
15:彼らは律法の要求がその心にしるされていることを現し、そのことを彼らの良心も共にあかしをして、その判断が互にあるいは訴え、あるいは弁明し合うのである。16:そして、これらのことは、わたしの福音によれば、神がキリスト・イエスによって人々の隠れた事がらをさばかれるその日に、明らかにされるであろう。17:もしあなたが、自らユダヤ人と称し、律法に安んじ、神を誇とし、
そうしてまた全体の議論の中へと進んでいきます。とても長い章です。割礼の話にまで及びます。割礼を受けているかもしれないが、罪を犯していれば実際は割礼していないことになるという話です。パウロは人々を批判し始めます。
今週食中毒になってそのために訓練をしませんでした。神様が癒してくださって回復し、昨日は練習ができました。しかし我々は神様が新しい入口に導く場所にいます。私たちはローマ2章と全く同じように、この場所にいます。収穫が準備されているその入口にいるのです。お父様の権威の下にある私たちの仲間の内側の神様の霊、神様の火は、あふれる場所に向かっています。個人的な患難があり、そういった全てを克服しなければなりません。悪魔によって私たちに抵抗する物があります。しかし火が起こっているのです。また火があふれようとしています。
韓国メンバーの400、500名の鬨の声(バトルクライ)のビデオを、技術チームはすぐに出してください。クムサンで集まってインターネット経由で約1時間半私も一緒に過ごし、礼拝をしました。火がその場に届きました。鬨の声を見てみましょう。
悪魔を追い出す鬨の声です。同時にそれは自由を宣言します。鬨の声には複数のレベルの意味があります。サタンからの解放を示す強力な例です。その自由とは神様が我々にその主権を有するように与えたものです。私たちが悪の独裁者になれるようにするためではありません。私たちは神様の王国の憲法を広める人になることができます。自由の保護者、守護者です。
(訳注:この後韓国の録画がすぐに準備できないということで、イギリスの教会の鬨の声を視聴しました。)
「バスの計画」に着手しなければならないかもしれません
女性たちは自分たちが直感的に強い男を好むことを知っています。危険を顧みず、成功して勝利する男性を。また男性も直感的に、強くて能力があり、子供たちに優しく、またより大きな目的を持つ女性を好みます。
若い男性、女性は、非常に自己中心的になり、自分のために生きています。高尚な目的はどうしたのでしょうか。使命はどうしたのでしょうか。そのため神様を信じる男性、女性は非常に魅力的です。
そういうことから、サタンはいつも神を信じる魅力的な男女を追いかけます。いつもあなたを破壊させようとし、狂ったように見せかけようとします。というのも、彼らにとってはみなさんが低質にされなければならないからです。苦しみは仲間を愛し、惨めさは仲間を愛するからです。あなたが彼らの気分を良くすることができるようにするために。
彼らは罪を犯し悲惨な生活をしているので、あらゆる問題、依存、最悪の関係などを抱えています。だからあなたの人生を破滅させなければならないのです。そうして自分たちがより満足を感じ、それが標準化されることで、自分たちの生活が良い生活になるからです。悲惨で低質な人生であり、自分でも毎日心の中で、低質の人生を選択したことで苦しんでいるのが分かっているというのに。
そういう理由から左翼と国家統制主義者は、誰とでも寝たくない、フリーセックスを望まない、結婚のために自分を守っている高質の女性を嫌います。彼らはそういった女性を破滅させたいのです。
結婚するまで待つという男性には、「禁欲的過ぎる」「カルトだ」「15人の女性とセックスすべきだ」などと言います。違います。そういったことをしても何の足しにもなりません。
配偶者と素晴らしい関係を持ったらどうですか。輝かしく素晴らしい結婚をして、人々が見たら「何ということでしょう!私も結婚したい」と思われるようになったらどうでしょうか。明らかに自分の栄光のためでなく、神様の栄光のためです。全くばかげています。しかしこれが悪魔の嘘なのです。
非割礼についての部分に行きましょう。25節まで飛びます。
25:もし、あなたが律法を行うなら、なるほど、割礼は役に立とう。しかし、もし律法を犯すなら、あなたの割礼は無割礼となってしまう。26:だから、もし無割礼の者が律法の規定を守るなら、その無割礼は割礼と見なされるではないか。27:かつ、生れながら無割礼の者であって律法を全うする者は、律法の文字と割礼とを持ちながら律法を犯しているあなたを、さばくのである。28:というのは、外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、外見上の肉における割礼が割礼でもない。29:かえって、隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、また、文字によらず霊による心の割礼こそ割礼であって、そのほまれは人からではなく、神から来るのである。
天使長的な韓国人指導者が作ったある種の文化の中で、これを感じた人がたくさんいることを知っています。新しい人に対して絶えずパリサイ派のようになろうとするこの文化。
彼らが立ち上がって、ヤン氏でも、キム氏でも、パク氏でもその権力を奪うとしたらどうなるでしょうか。クリスチャンの牧師が来て、とても力強く神様の火によって、「レバレンド・ムーンは再臨のイエスだ」と言ったらどうでしょうか。世界中の人が喜んで「おお、洗礼者ヨハネのように牧師たちが声を上げている」と・・・。
ところが韓国人指導者はどうするでしょうか。「あなたたちは私の下でなければならない」「今日は忙しいので来てはいけません」「家にいなさい」。彼らはそういう栄光を(他の人に)望みません。権力を守りたいのです。神様を動機としてそうしているのではありません。心情的なことについて語りますが、心情的なことがどういうことか分かっていません。
彼らは神様と調和が取れていません。神様の霊と一致していません。迷っている人が救われ、目の見えない人が見えるようになることを望む者ではありません。まるで共産主義者のようです。隠れた共産主義者です。権力のことばかり気にかけています。それだけです。
それは教会が非常に成功してから起きたことでした。初期の信者はみなキリストを信じていました。真面目な福音派でした。しかし教会がとても成功して繁栄し、キリストのためではなく物質的な豊かさのために人が入ってくるようになりました。物質的に繁栄すると多くの指導者たちが、これによって裕福になれるのでこれに参加しよう、と言うようになりました。彼らは利益、お金の崇拝者となったのです。
しかし神様には計画があります。最終的にはそれが暴露されるのです。実を結ぶためのえさとして利用しています。それが収穫を生み出します。
この場にいる人たちが神様の収穫に対して燃えているということを知っています。教会を改修したりするのは、自分たちのコミュニティにとってきれいな場所になるようにするためだけではありません。これは収穫のための準備です。ワゴン車にも「サンクチュアリ教会はトランプ大統領を応援します」と入れたいのです。大きなステッカーを張りたいです。
NFの本部聖殿のロビーも改修・改装が進んでいる
ブラウン牧師がやっているようなことをやりたいです。彼はラテン系の地域や様々な所からバスで人々を連れてきます。バスで人々を招待するのです。
我々は明確なメッセージを持つことができます。トランプを支持する女性、トランプを支持するラテン系、トランプを支持する黒人、トランプを支持するアジア系。立場を明確にします。
我々は山羊を集めるために、共産主義者のために、聖域を持たない人を集めるためにここにいるのではないのです。
アフリカ系アメリカ人の40パーセントが今、大統領を支持しています。40パーセントは多数です。多数の人たちです。しかしその多くが・・・アル・シャープトン、左翼がコミュニティを支配しています。教会はみな社会主義です。主権のために立ち上がろうと思っている黒人のための安全な避難場所、聖域はありません。トランプが神だと言っているのではなく、トランプが守ろうと戦っている物を支持して立ち上がっているということです。
今ラテン系は多くがトランプ大統領を支持しています。明確な比率は知りませんが、黒人では40パーセントです。私たちのまわりで、多くのアフリカ系アメリカ人が神様を礼拝する場所を持たずにいるということです。トランプ大統領を支持するというだけの理由で迫害されています。
彼らは信仰を持つ他の人たちとつながる場所にいたいと思っています。自分たちが神の子となることができ、キリストに人生を捧げることのできる場所にいたいと思っています。解放されて自由になる場所にいたいと思っています。神様の王国に立ち、会い、見ることができる場所にいたいと思っています。
ですから、バスの計画に着手しなければならないかもしれません。インナー・シティ(訳注:都市の中心に近く、社会的、経済的問題の多い地域)に行って、「日曜日に暇があればここで会いましょう。バスで送りますから教会に来てください」と。新しい人が来て、美しい場所を見ます。それが来る理由ではありません。動機、内的な願望、心情です。神様の霊とその願望と一致する人は、人々の魂が救われるのを目にするでしょう。人生をイエス様に捧げ、再臨主を切望し、キリストを切望します。それが我々の願望です。
それはどういうことでしょうか。もし新しい人を連れてくれば、我々のコミュニティは神様の火があふれる場所になると確信します。神様は収穫のために準備されていると信じます。神様は私にみ言をくださいました。我々はラテン系コミュニティに接触しなければなりません。少数派コミュニティに接触しなければなりません。人々は準備されています。自分たちの場所に聖域がないのです。
ハワード・ブラウンは1週間に7千ドルかけて、9台のバスを使ってインナー・シティの人を救うために教会に人を連れてきます。聖霊の働きによって彼らの人生を転換させたいという願望のためです。
私が話しているのは白いワゴン車のことです。まだバスは必要ありません。今持っているワゴン車に、「サンクチュアリ教会はトランプ大統領を支持します」と掲示してください。メッセージに同意したら教会に来ます(笑)。このメッセージに同意するなら、北ペンシルベニアにある最も多文化、他民族の教会に来る必要があります。
それを考えています。素晴らしい考えだと思います。彼らが来たら、スモール・サンクチュアリの部屋を準備して、簡単な食事でもてなします。初日には原理を教えます。堕落について教えるのです。「ここはサンクチュアリ教会で、こういうわけでやっています。ここで福音を教えて、福音のために迫害を受けています。今日来てくれたことを感謝します。なぜなら我々は、神様があなたに対する計画をお持ちだと知っているからです。また神様は使命を持っておられます。あなたがつながる神様の摂理があります」
私は神様が、私たちのまわりに人々を収穫のために準備していると確信しています。聖書でも、「収穫は多いが働き手は少ない」とあります。しかし神様がみなさんに火をつければ、みなさんは人々が収穫されるのを望むようになります。これは神様があなたの心に与えるものです。情熱を感じ、神様の動機が自分の中に脈打つのを感じます。神様の情熱、火があふれて人々を救おうとします。すると、あなたはこのチームの仲間ということになります。
最初から10台のバスは準備できませんので1台のバスで始めます。しかしチームと一緒に始められます。ラテン系コミュニティに接触するラテン系チームが、そのコミュニティに接触してここに来るよう招待します。キリストに人生を捧げ、告白の祈りをすれば「神か大工か」や「鉄のつえの王国」をプレゼントして、ここでご馳走します。初日には原理を教えます。
私はこの話を秘密の部屋で話して、イベントの計画をしようとしているのではありません。誰でも見ることができるインターネットで話しています。なぜなら私たちは、イエス・キリストと再臨のキリストの福音によって燃えている人にとって当然のことをしているからです。当然のことをしています。それは人を救おうとすることです。
しかし、もう一度言いますが、神様はすでに国を分立するためにトランプ大統領を準備しました。右と左というだけのことではありません。羊と山羊のことを言っているのです。
そちらがもっと重要な区別です。狼に気付くのは簡単です。しかし羊と山羊の分立が起こる必要があります。なぜなら、羊は神様の王国のために立ち上がる人たちを集めなければならないからです。集めなければならないのはそういう人たちです。またお父様の翼の下に聖域、安全、避難所を持たなければなりません。
それについて気持ちが高まり、心に火がついて、人々に訴えかけて救いたいと思うなら、礼拝のあとで話しに来てください。神様は私とここにいるたくさんの人たちに火をつけています。そして今まさに人が準備されているということを知っています。
この場所を、客を招待するために準備しているようですが、同時にもっと深いものがあります。良い印象を与えるためだけではありません。彼らが参加しなくても気にしません。ただ救われることを願っています。少なくとも原理は聞いて欲しいと思います。少なくとも正義の王冠は得て欲しいと思います。全く最低限のこととして。
今日祈る時、自分の心の中を深く探ってください。神様があなたに呼びかけているなら、その火を与えてください。感情的なものにしないでください。神様の火が内面にあるなら、あなたは人々が救われて欲しいと願います。
我々はこの地域の少数派コミュニティに接触します。ヘイザの町には大きなラテン系コミュニティがあります。ポコノ山には大きな黒人コミュニティがあります。こういったコミュニティに接触します。彼らは民主党の指導者によって投獄されています。社会主義の教会によって投獄されています。それらは別の考え方を許さないのです。
しかし、トランプ大統領を支持しようと立ち上がっている人がたくさんいます。彼はアメリカ人の本当の内的なイメージ、本当の内的な願望に過ぎません。それはこのゴリラを私の背中から取り除いてくれ、ということです。「この800ポンドの連邦化された政府を背中から取り除いてくれ。私を自由にしてくれ。私は動物ではない。自由をくれ」と。
ドナルド・トランプは神ではありません。イエスではありません。キリストではないのです。彼は人々の意志の表れでしかありません。それだけなのです。トランプが、黙示録にあるように羊と山羊を分けると誰が分かったでしょうか。知っていましたか。私は知りませんでした。
おわり
2018年11月25日 日曜礼拝
翻訳:Harry
キリスト教界も勇敢でなければならないことに気づき始めました
今日はこの素晴らしい章(聖句)をまなんでいきましょう。
ちょっとそのまえに、VICEのドキュメンタリに対するコメントを見ることにしましょう。現在の視聴回数はどのくらいですか?60万回を超えているそうです。あのドキュメンタリを見た人が100万人の半分を突破しました。(拍手)
それにフェイスブックを通して観た人がプラス20万人。ということは80万の人がすでに視聴したことになります。最初の頃は大勢左翼の気違いが、コメントで叫んだりわめいたりしていました。魔女を投入して、妖術をかけようとしたりしていた。(笑)
おもしろいことは他のVICEのビデオでは視聴回数が30万、40万までいくと頭打ちになって・・もちろんそれでも大勢の人には違いないのですが、でも30万、40万までいくとそこでストップして伸び悩んでしまうものもあるのですが、(サンクチュアリの)このドキュメンタリはとどまることなく増え続けています。たとえ荒野の中にあったとしても神様の祝福、神様のアノインティングがここにあるのです。だから荒野の地であっても、イエス様と12弟子が世界を変えたように、神様はこの地を用いておられるのです。そしてここに集った者たちを。これはもう私たちを超えた強大な力が働いています。人の手でできることではありません。フェイスブックだけでも20万の視聴回数です。コメントで面白いことは、見る人が増えるにつれて、保守的な人びとがどんどんシェアしていることです。もちろん銃コミュニティの人びとは仲間の人々にシェアします。大きな支援者を獲得しつつあるのです。
最初内コメントは、左翼の叫びでした。9対1の割合でした。「いいね」が「よくない」の9倍であるにもかかわらず。やかましい左翼、弱虫の左翼の連中が炭鉱でも爆発したような騒ぎでした。怒りをぶちまけていました。「死ね、死ね、死ね、死ね・・・」のようなコメントです。
それが毎日、10万、また10万と視聴回数は増える。世界中で多くの人がビデオを見たのです。するとどこからともなく私たちの見方をする人たちが現れ始めたのです。どんどん増えています。コメントを見ると分かりますがなんと半分の人が私たちに賛同しているのです。いくつかコメントを見てみることにしましょう。
少年スー:愛国的な退役軍人はこのメッセージに賛同する。
ジャスティン・ガルパン:迷彩柄のスーツ、こんないいもの始めて見た。
e-Bay(イーベイ)のスーツが役に立ちました。(笑)
カブルーシュ19:極端な信仰をもつ極右的観点。ここに積極的で様々な人たちが集まって互いに守ろうとしている。リベラルの脳が破裂するぞ!(笑)
この郡団のような人たち。お互いにつながっているわけではありませんが、聖霊によってつながっています。私たちのために立ち上がっているのです。
エレクトリック・アイ2:軍隊にいたとき1年間韓国で過ごした。韓国の人たちが大好きだった。この教会は「驚くべき考え方」を持っている!この教会がどんどんとアメリカのすべての州に増えてほしい。GOD BLESS!(拍手)
(二代王)神様の為されることは誰にもわかりません。
クレリック77516:分かり切ったことだが、彼らの祖国の隣人は北朝鮮だぜ。極端に抑圧されているんだ。彼らはそれがどんなものかよく知っているんだ。
(二代王)これも今までよく言ってきたことです。
ハウリング・サンダー26:銃が人を殺すのではない。人が悪を行うのだ。歪んだ人間がやる・・・・心配するな、警官が3分でやってくる?3分間にどれだけ撃てると思っているんだ。武装し訓練したグループに対して、いったい何人の人間が攻撃できると思っているんだ。
(二代王)理屈の分かる人がこれを書いています。
スパム・レシーバ4201:もう一度、自分も教会に通わないといけない気がする。
アフメッド・ハリス4:噓じゃない。弾丸の王冠は超カッコいい。
エカミ:ワーオ。全くリバタリアン(完全自由主義者)だ。神が与えた人権として自分や財産、家庭を自分で守る権利ってまったくアメリカ的理想だ。
ジャスト・ア・レギュラーガイ:これをカルトと思おうがどうであろうが、彼らは基本的にクリスチャンだ。銃を愛し人から何も求めず、互いに助け合う。正直言って、全然悪くないね。
イライジャ・ガルシア2:彼(ショー牧師)は的を射ている。サタンは世界政府の支配者だ。マタイの福音書にもあるが、悪魔は自分を崇めるなら世界政府を丸ごと与えるといった。われわれにはAR-15やAK-47といった武器が必要だ。それを崇拝するのではなく自分を守るためにね。
クリストファー・バーグ:自分もクリスチャンだが、一点賛成するのは、悪から守る必要性が十分にあるということだ。
(二代王)隠れたところに仲間がいるということです。踏みつけられたところに。彼らはs守護者です、守護者層なのです。いざ何かが起こったとき、立ち上がって悪に立ち向かう人々です。彼らは韓国が好きだと言っているのです。全く左翼の教会で、狂った男たちだというのに。ユジンはいますか? 韓国語礼拝にはいるんですが。
韓国人はユジンのユーチューブを攻撃しています。彼女のユーチューブ・チャンネルは韓奥にとってはとても保守的です。だからあれこれと攻撃するのです。彼女はとてもいいビデオを作りました。誠実にありのままの自分を出しているのです。VICEのドキュメンタリに彼女も出ていたでしょう。彼女は自分の受けた批判に対して応えています。若い女の子にしてはとてもいい対応であり、彼女は勇敢です。立ち上がって「私は今、サンクチュアリにいます。家庭連合、韓国統一教会にはいません。彼らは共産主義者です。」こういったのです。
(コメントの続き)
ターゲッティッド・イン・カンザスシティMO2:この教会にぜひ参加したい。カンザスシティ(ミズーリ州)は悪人が溢れ、神を信じるものを標的にしている。私も昔からそうされてきた。
ストレート・ビランズ1:やっと指示できる教会に出会った。
リガ-m1:OK,どこで(サンクチュアリに)登録できるの?
ケイラニ・ケイレブ4:誰もこの教会を狙わないね!
リク・ストール2:彼らに一理あると思う。彼らのような人びとが世界のために立ち上がるべきだ。
ブランドンU1:僕はあの韓国人女性(ユジンのこと)と結婚する!(笑)
もっとあったでしょう。これだけですか。私はもっと笑えるコメントを見ましたよ。今日はここまでですね。OK
来週もっと見ることにしましょう。本当に面白いコメントがありました。ユジンは来ましたか?きたら証をしてもらいましょう。
本当にいいコメント、おもしろいコメントがあったんです。来週見ましょう。なかには論文のように書いている人がいました。3ページ分も書いていました。銃に関する統計から、色々・・・。退役軍人です。準備されたアベル型の人たちです。彼らのことは話しても来ましたし、祈っても来ました。炎に満たされて、彼らに手を差し伸べてきました。だから準備されていることが分かるのです。本当によく分かる。
國進兄さんが今朝、話してくれたことですが、ブルネイってどこにありましたか?インドネシアかマレーシアのあたりですか。東南アジアのメンバー、ブルネイはどこですか。もちろんイスラムの国です。そのブルネイでは、クリスマスを祝った者は5年の懲役です。クリスマスを祝ったら刑務所に入れられるのです、国家権力によって。SWATチームが家にやってきて捕まえられるのです。
これが世界の現実です。分かりますか。
キリスト教界もいよいよクリスチャンは勇敢でなければならないことに気づき始めました。一家庭からキリスト教のすべての家庭、一つの家庭、一つの王国にならなければならないのです。ブルネイの兄弟姉妹、その他の地域のすべてのサタンと抑圧者の思うままになっている兄弟姉妹を無力なままに放っておくことはできません。
神様がどう働かれるのか知るすべはありませんが、鉄のつえのメッセージは拡散しています。トランプ大統領がもし決断するなら、トランプ大統領が世界中のキリスト教徒を助ける、力を与えると決断するならば、例えば、ベネズエラに関して考えられているそうですが、あるシンクタンクで話しています。たとえば、国民に武器を与えて政府を転覆させる。そうしてアメリカ的な憲法を制定する。彼らが民主主義的で共和的な体制を取るようにという、一つの警告です。
神様がどう働かれるか分かりません。しかし神様は「主権」の扉を開いておられます。アベル型クリスチャン、準備されたクリスチャンは今が終末だということを知っています。いまのような在り方は続かないのです。クリスマスを祝うと国によって、政府によって強制的に、銃で力づく血を流しながら投獄されるのです。5年間も! 考えられますか。
潜伏して祝う。クリスマスを祝うこともできないのです。下手をすると殺されるのです。これは多くのイスラム国家、シャリア法の下にある国で起こっていることです。これが海を隔てたところに住むわれわれの兄弟姉妹の現実です。
だからすべてのキリスト教派は、お父様がされたように、イエス様と聖霊の名によって横断的に一つにならなければなりません。神の家族が勇敢になるとき、そしてなにがアメリカをブルネイよりも人間らしくしているのか、フランスやドイツよりも。すべての人は神をかたどって造られ、そして救われ再生した聖霊を宿した人間です。兄弟姉妹の絆があるというのです。分かりますか。その(迫害される)人々も心の内で分かっているのです。何かが変わらなければならないことを感じています。いまのシステム、国家、サタン世界がこれまでのように続くことはないのです。分かりますか。
いま生きている時代は強烈な時代なのです。素晴らしいことはユジンがどうしたとかいう問題ではなく、多くの人々、皆さんの多くがその証によって、私に恵みを与えてくれているのです。礼拝後に前に出て、あるいは手紙で知らしてくれているのです。皆さんの証が私に恵みを与えてくれるのです。それは私にとって恵みであり、大きな励みを与え、聖霊で満たしてくれるのです。それによって皆さんの人生の中で神様がどのように触れ、働かれているかが分かります。
その証は私のためだけのものではありません。皆さんが私に証することを願うのは聖霊に満ち溢れて素晴らしいことが起きることを知っているからです。それはすごいことです。また皆さんが私に証をしたいという願いは私にとって恵みなのですが、証はコミュニティ全体にとっての恵みなのです。キリストと共にある兄弟姉妹は証を聞くことで恵みを受けます。だからもし証があるなら、またそれを分かち合いたいと思うなら、もし神様が証を与えるときそれは一人の個々とにしまっておくためにそうするのではありません。それが目的ではないのです。神様が証を与えられたとき、それをもって誰かが希望で満たされるようにしなければなりません。それがみ言葉であり、人生における神様の役事なのです。
他の人を助け、信じる霊を与えるのです、恐れる霊ではなりません。だから皆さんが何か証を持っているなら、コミュニティとして分かち合いましょう。もし私に証をもってきたとするなら、来週礼拝に呼ぶかもしれません。あなたが見たもの、感じたこと、あなたが出会ったことを皆と分かち合ってくださいといって。それはとても素晴らしいこと驚くべきことではないですか。誰かが霊の賜物を授かり、霊的に天に触れられたのですから。素晴らしく神秘的なことです。それを自分だけのものにしておくのですか、私にはできません。私に話してください。あなたと私だけの秘密にしておくのではありません。神様と人々の間の問題です。
街を揺るがす神様の霊
今日の聖句を読みましょう。使徒行伝16章です。
ところで証があるでしょう。ロザンヌ、素晴らしい霊的な体験をしましたね。ロザンヌから先に証をしてもらいましょう。キャメロン王妃(ロザンヌさん)です。今日の聖句に入る前に手短に証をしてください。
ロザンヌ:みなさん、こんにちは。(二代王様が)牧会を始められて、心に抱えているものを解放しなければならないと言われましたが、日曜が来るたびに恵みを受け、毎週少しずつ心に積もっている者がはがされていく体験をしました。
ある日曜に、亨進ニムが私の名前を呼ばれました。
その日、神様の助けが必要な3つの問題を心に抱えていました。亨進ニムはそれを知るはずがありません。その内の1つは、ときどき打ちひしがれて、恐怖を感じ、つい考えすぎて、もしああなればどうしよう、こうなればどうしよう、あの人にどういって説明しようかなどと、ちょうどそういうことを思っていた時に名前が呼ばれ、前に出るように言われました。
そしてお祈りを受けている時、こう言われたのです。「恐れる気持ち打ちひしがれる気持ちを吐き出しなさい。」まさに、ぴったりの言葉でした。
それがあった週から、毎週、自分はできると思えるようになりました。打ちひしがれる思いが起こるたびに、「神様は私に対して御計画がある。神様は私たちについての計画を持っておられる。われわれすべてに対する御計画を神様は持っておられる」こう思うことができて救われるのです。
二代王:皆さん、神様をほめたたえましょう!神様は多くの方法で一人一人に介入されます。だから恥ずかしがらずに、遠慮せずに礼拝後に私の所に来てください。心を解放しなければなりません。
では本日、使徒行伝の16章を読みましょう。先ほどの証に感謝します。
第25節です。パウロとシラスのやり取りをざっと見ましょう。彼らは別の場所にいて別の使徒たちといたようです。旅をしながら説教をしていました。教えていたのです。25章で何かが起こります。少しだけ戻って22節を読みます。
22 群衆もいっせいに立って、ふたりを責めたてたので、長官たちはふたりの上着をはぎ取り、むちで打つことを命じた。23 それで、ふたりに何度もむちを加えさせたのち、獄に入れ、獄吏にしっかり番をするようにと命じた。
24 獄吏はこの厳命を受けたので、ふたりを奥の獄屋に入れ、その足に足かせをしっかりとかけておいた。
2人の足に鉄球とクサリをつけたのです。こうして縛り上げ、石の洞窟のようなローマの監獄です。街の人々がこぞって反対して集まってくる様子を見てください。
パウロとシラスの二人はこの町を揺るがしたのです。神の御力です。聖霊の力です。その街の人々を揺さぶったというのです。生活は変えられ、彼らは奇跡をみたのでした。聖霊を通して直接イエスに際限なく出会ったのです。人々の人生が変えられました。
どうなったかというと、信仰なき者は「あなた方キリスト教徒は自分たちだけでキリストを信じていればいい」それに対して「信仰を自分たちだけのものにしないというのが私たちキリスト教徒の信仰です。神様がわれわれに見せてくださった偉大な大いなる御業を、私たちは証言しなければなりません」「静かにして黙っていることはわれわれの信仰ではありません」
分かりますか。力強い雄叫びを上げることでエリコの城壁は崩れ落ちました。そこにアノインティングがあるからです。神様の注がれる油で満たされているのです。その霊から多くの賜物を受けているのです。天からの賜物です。それが溢れるので分かち合うのです。それが溢れるものの自然な結末なのです。私たちに注がれた神様の愛は石の心を取り除くのです。聖句のいうように、その代わりに肉の心が与えられる。肉の心は神様の「心情(Shim Jon)」に敏感です。
先週、シムジョンについて話しましたね。シムジョンをheartistic(ハーティスティック)と訳すのはまずい訳です。シムジョン、これは神様の霊、御心と一つになれば即、分かるのです。
神様が望むように望み、神様が憎むものを憎む。神様のみ旨が成ることを望む。
このシムジョン(心情)世界は、その圏内では、神様の霊と一つになるのです。それを言っているのです。心情圏の話です。これをハーティスティックと訳すのは、いったいどういう事でしょう。ハーティスティックとはどういう意味ですか。神様の霊と一つになること、こっちの方が良く分かるというのです。私たちの最深部にある本質の完全性、これと一つになる、その体験。神様と一つになることです。
歩くときも神様が望むことを望み、神様が欲することを欲する。私たちの願いではなく神様の御心が成就することを願う。われわれの願う国ではなく、神様の御国が来ることを願うのです。神様が喜ぶときに私も喜ぶ。神様が悲しむとき私も悲しむ。神様と霊において一つになることです。そう考えると理解しやすいでしょう?ハーティスティックでは複雑すぎます。
牢獄に天からの音楽が降るように流れてきた
聖句に戻りましょう。パウロとシラスがどうなったか。彼らは伝道していたのです。
どうなりましたか。彼らは石の牢獄に入れられました。「その足に足かせをしっかりとかけ」られて。鉄の足かせと鎖です。鎖でつながれて牢屋に放り込まれました。
今や2人は国家による囚人です。なぜか。
それは人々の人生を変えたからです。国はそれを憎みます。人の人生を変えるのは国の役目だからです。すべての問題を解決するのも国の仕事ということになっています。国が「神」の役割を果たすのです。皆に与え、母さんやおばあさんの健康の問題をケアする。言い換えれば、国は抑圧された家庭の一員のようになっている。抑圧者でありながら家族の一員のようです。奇妙ではないですか。
何か皆さんが被害を受けると、国をあてにするではないですか。「警察」「警察」といって。裁判を求めれば裁いてくれるではないですか。あたかも「国」が一家の主人のようではないですか。もちろん偽りの父であり、淫行の父で、家庭に介入してそこから女性を奪っていきます。あたかもサタンが夫のアダムからエバを奪い去ったように! 分かりますか。
おもしろい話です。国は彼ら(パウロとシラス)が人の人生を変えるから、人々を救うからといって牢に閉じ込めました。そして国家、ローマ帝国はすたれて崩壊していきます。
神様の霊がすべての人々を引き上げます。人生を変え、盲目のまま生きていた人の目を完ぺきに開きます。神の王国が開かれるのです。だから多くの強力な証がでてきます。
長血をわずらう女のように自分の証を皆にするのです。井戸のそばにいた女はどうしましたか。イエス様が来て彼女に言いました、「その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。その後彼女はみんなの所に行って証をしました。
このようにパウロとシラスは社会を揺り動かしました。その地域を動かしたのです。それが許せなかったのです。あまりにも多くの人がローマ帝国、ローマ皇帝シーザーよりも神様に注目するようになったからです。人々の心に火をつける聖霊の力と油注ぎをもって役事する神様に仕えたのです。
その素晴らしい体験を自分の胸の内にだけ留め置くことはしませんでした、心に火がついたからです。他の人が救われ、自由になる姿を見たくなったのです。分かりますか。
人々に対する愛、周りの人に対する愛、それがあふれ出したのです、器からあふれ出した。満たされるだけでなくあふれるのです。
フーゥ、聖霊を感じます。
穏やかにしようと押さえています。そうでないと、皆さんはこの部屋を走りまわることになったでしょう。(笑)
22 群衆もいっせいに立って、ふたりを責めたてたので、長官たちはふたりの上着をはぎ取り、むちで打つことを命じた。23 それで、ふたりに何度もむちを加えさせたのち、獄に入れ、獄吏にしっかり番をするようにと命じた。(使徒16)
この時代、このような命令を受けた獄吏がもし仮に囚人を逃がすようなことがあればどうなると思いますか。首を刎ねれられます。命がないのです。いいですか、あなたが獄吏で、囚人が逃げればそれは死を意味します。そういう穏やかで優しい強制があるのです。(笑)
国の愛に溢れる強制です。死の強制ですが、優し気に愛ある父親のように「国」は振る舞います。
どうなったかつづきを見ましょう。25節です。
25 真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた。
彼らは服をはぎ取られて裸です。暗い暗い牢獄の中で低体温に陥っていたことでしょう。
洞窟のような牢獄の中で、足かせと鎖でつながれた彼らは意気消沈してふさぎ込み、ただうろうろしていたでしょうか。「ああ、主よ」「ああ、主よ」といいながら。
そうではありません。神に祈り、賛美を歌った。そうです、賛美歌を歌ったのです。牢獄がどれだけ静かな場所か分かりますか。全く静かなのです。水滴が上から落ちるだけでも聞こえるでしょう。時には叫び声が上がることもあるかも知れませんが静かであることは想像できます。ローマ兵たちが「昨日の女はいい女で・・・」などという話も聞こえたでしょう。(笑)
「きのうコロシアムの試合で勝ったのは誰だった?」
「よくわからないが、ひげをはやした奴だと思う・・」
「おまえバカか、剣闘士はみなひげ生やしてるよ」とかなんとか。(笑)
恐らくそういう話が聞こえたでしょう。
「おれは、ライオンに食われる奴を見たぜ」
「おれはキリンに食われる奴を見た」(笑)
これは聖句にはありません、私が勝手に想像しているだけです。
ところで、左翼や無神論者は「ユニコーン(一角獣)」を話題にするのを好みます。その理由はジェームズ王欽定訳聖書に5回登場するからです。(注:民数記、ヨブ記、詩編、イザヤ書に記載されている。ちなみに現代の聖書では「野牛」と訳される)
知っていた人は手を上げてください。
欽定版の訳語の話です。これをもって左翼は「あなた方はバカだ。神話のユニコーンなんて信じているじゃないか」などと言って。彼らの頭の中には「角をもった白い馬」があるのです。トム・クルーズの映画か何かにあったでしょう。何という映画でしたか?「レジェンド」?私が覚えているのは全身真っ赤で二つの角をはやした悪魔がいて、そこに角をはやした白馬がたてがみをたなびかせて走る姿がスローモーションになって映っていました。これこそ神話のユニコーンです。
15世紀につくられたジェームズ王欽定訳聖書は・・・15世紀ではなく1611年刊行でした。それが編集されたとき、ユニコーンと訳された言葉はギリシャ語のモノケロースからきています。実はこれは「サイ(犀)」のことです。ユニコーンはただ一本の角をはやした動物を意味するだけの言葉なのです。
それを左翼はあざけるネタとして使っているのです。「あなたは聖書にユニコーンがいるっていうのをまともに信じてるの?」。彼らはそれがサイだということを知らないのです。出エジプトで、イスラエルはアフリカ大陸から移動しましたよね。エジプトはアフリカ大陸の国ですよ。アフリカにはサイがいますよ。サイは古代、戦闘に使われていました。これが欽定訳ではモノケロースを一角獣、つまりユニ・コーンと訳した。
だから聖書が記されたとき、誰も一本の角を持つ白い馬など想像もしていなかったのです。それは馬鹿げています。これはサイのことです。
それはともかく、(使徒行伝に戻る)彼ら(パウロとシラス)は神に祈り、さんびを歌いつづけました。他の囚人もそれを聞いたことでしょう、あまりに静かな場所ですから。
うめき声やら「死にたい」というつぶやき声やら獄吏のローマ帝国内で起きた世間話やら聞こえたでしょう。そこに突然、その静かな牢獄で、落ちる水滴の音さえ聞こえそうな場所で、囚人といえば大抵いかつい男たちばかりでしょう。その静かな場所に突然、
「♪ハーレールーヤー、ハーレールーヤー♪」
皆それを聞いたのです。殺人者や様々な者たちが。牢獄に天からの音楽が降るように流れてきた。神を賛美し始めたのです。
サタンの王国から神の王国に
想像してみてください。
監獄の中でそのような奇跡が起こることを。希望のない死だけを待つその空間です。それを目で見るように想像できますか。心の目で映像化できるのかというのです。衣服をはぎ取られ、足かせと鎖をつけられて、(賛美の)歌が湧き上がってきますか。大きなスピーカもありません。牢獄の中は静かに違いありません。いったい何時間、パウロとシラスは歌ったのでしょうか。響き渡るような声で何時間も歌うことはできないのです。声も出ないでしょう。何かが彼らの心で解き放たれたのでしょう。
私たちが想像するようにドラマチックなものではなかったでしょう。突然大きな声で歌い出したのでもないでしょう。とても静かに歌っていたに違いありません。ささやかな信仰から出たものに違いない。そこにいる囚人を力づけるつもりだったかもしれません。そしてどうなったか。
25 真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた。
ローマの洞窟を知っている人もいるのではないですか。カタコンベ(地下の墓所)に行ったことがある人もいるでしょう。牢獄はアリの巣のように掘られた洞窟です。だから声はあちこちでぶつかります。その声が遠くまで聞こえると思いますか。普通は不可能です。しかし神様の神秘的な力が加わるとき、その感謝の言葉が通り抜けるのです。すべての囚人の耳に届くというのです。
ある囚人は房の片隅にいたかもしれません。あるいは興南監獄の囚人たちのように、狭い所に20人が折り重なるようになっていたかもしれません。8フィート(約2.4メートル)四方に20人です。横向きでないと寝ることができません。そこに聞いたことのない歌が聞こえてくるのです。普通聞こえてくる声といえば「ああ、死にそうだ!」こういう叫びが一日中聞こえてくるのです。それは次元の違った王国の声、その王国は「ああ、死にそうだ」「なんでこんなところに閉じ込めるんだ!」このような叫びが響く王国です。おそらく日常的にはそうでしょう。
ローマ帝国時代の牢獄
そこでみなが耳にしたのは洞窟の牢を通して聞こえて来る歌。そこで彼らが聞いたものは、神への賛美です。ここで何か思い出しませんか。死の監獄にいた人のことです。お父様のことを監獄生活を通して守ってこられた神様の霊に思い至らないでしょうか。死んだ人の口の中から、穀粒を奪いとる世界です。
パウロとシラスの2人と牢獄のすべての囚人たち。2人の信仰がすべての人を変えるというのです。そのすべてを。信仰に関していえば、もちろんパウロはリーダーです。私の想像では、パウロがシラスに「共に祈ろう」「賛美しよう」と誘ったのでしょう。
25 真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた。とあります。
たった一人でもその周囲の雰囲気を変えることができるのです。サタンの王国から神の王国に。ただ一度のアノインティングをその人に与えるだけで牢獄の雰囲気を変えることができるのです。みなが絶望している場所です。最終的には死刑になる人達、死のまな板上にいる人々です。ただ一人でいいのです。兄弟シラスもいましたが。ただ祈って歌うだけです。それ以上何ができるでしょう。服ははぎ取られ鞭打たれ、死の牢獄にいるのです。何ができますか。諦めて死ぬこともできるでしょう。他の者たちのように。しかし彼らは信じることに決めました。恐れる霊ではなく、信じること信仰を保つことを選びました。
救われていない人は悪魔から来る恐れる霊に取りつかれています。始終、恐れに取りつかれているのです。いつも怖れに支配されています。しかし霊において再生した人、聖霊を持つ人にはもはや恐怖はありません。恐怖をもつとき、それは悪魔が攻撃しているのです。恐怖は神様のものではないからです。神様の霊ではありません。分かりますか。
その力を見てください、何が起きたか。その魂が新生した人、聖霊と一つになった人、シムジョンと一つになった人がそうする時に。
26節です。
26 ところが突然、大地震が起って、獄の土台が揺れ動き、戸は全部たちまち開いて、みんなの者の鎖が解けてしまった。
賛美の歌をうたっていると突然、天の神秘の力が働いて大地が揺れたのです!神様のアノインティングがあるとき大声を出して叫ぶ必要はありません。神様が代わりにしてくれるというのです。自分なりの特殊効果は必要ありません。
神の霊を宿す多くの人は他の人を祈りで癒し、悪魔を追い出す力を持っています。ただそれを信じていないのです。それを信じない。「もし祈っても何も起きなかったらどうしよう」。それはあなたが心配する問題ではないのです。もし神様が祈りなさいというなら、ただその人のために祈ればいいのです。特別な結果は神様が責任をもたれるのです。分かりますか。皆さんの問題です。
一般的な話として、ほとんどの人は神様のみ言を真に了解していません。これが問題です。たとえば、切実に祈りを必要としている人がいる場合、あるいは声をかけるべき場合、それはスーパーマーケットでもガソリンスタンドあってもどこでもいいのです。ある人にみ言が必要な時、あなたの心に神様がりなさいと語りかけても、尻込みしてしまう。その経験がある人、手を上げてください。
「ああ、何という事だ」と。神様がその人のために祈りなさいと言われたことを知っているのに。あとで「ああ、しまった」と。「まあ、この人とは2度と会わないだろう」。
一回限りのチャンスです。その人に触れなさいと神様がいわれる。ひょっとして自殺しようとしている人、何か深刻な危機に陥っている人かもしれません。色々な場合があるでしょう。だから神様の御心に敏感になって、神様が祈れというとき、「あなたのために祈ってもいいですか」というのです。「おかしなことと思われるかもしれませんが祈らせてください」と。
私たちはよく、ウェグマンやサムズ・クラブ(どちらもスーパーマーケット)に行って、普通に歩いている人に「すみません、あなたのために祈らせてもらってもいいですか」と声をかけたものです。「ええ、いいですよ」とたいていは応えました。「何について祈りましょうか」と聞くと(子供たちのために・・)、「もうすぐ手術受けるんだけど・・・」とか様々でした。そしてその場で祈りました。見返りなど何も求めていません。神様の訓練でしたから神様の願った通りのことが結果として出るのです。
私たちも「神様が大きな役事をしてくださるのでは」と期待していました。「ありがとう」とだけ言う人、「うわぁ、本当によくなった!」「腰の痛みがなくなった」という人。あるとき、一人のカトリック教徒の婦人のために祈ったことがあります。心開いた人が喜んで受け入れてくれることに驚いたことがあります。スーパーマーケットでたまたま行き会った人たちです。ウォールマートにも行きました。肉のコーナーで、あるいはチーズの売り場、カップケーキだったかもしれません。(笑)
神様の霊が「あの人に祈りが必要だ」といいます。それが誰か分かるはずもありません。ひょっとすると、お孫さんを失った人かもしれないのです。何が起こったか、あなたには分からないのです。そこに神様の神秘な働きを見るのです。そして事情を聴くと、「ああ、誰かが祈ってくれると思っていました!」というのです。「一体どうして私に祈りが必要だということが分かったのですか?」
私は知りませんでした。神様が知っておられたのです。(そういうことを経て)私は神様の求めに対して敏感になりました。神様の願い、神様の好み、神様の要求に対して。言いかえれば、神様のシムジョン(心情)です。神様の魂、その御心。これでシムジョンが分かりやすくなったでしょう。
パウロとシラスは本当にリラックスしていました。マイクもなかったのです。(試しに亨進様がマイクを外して話される)・・・
マイクがないとどれだけ静かか分かりますか。6メートルから9メートル離れたら、普通に話すことが同じ部屋にいても聞こえないのです。これが洞窟ならどうですか、曲がりくねった、ある場所では90度曲がったような洞窟です。そこにどうして声が響き渡るのでしょうか。カタコンベに行ったことがある人は手を上げてください。どれほど入り組んで複雑に曲がっていたでしょう。そこにどうすれば声が通りますか。そのためにはサムソンか、アップル社製のマイクが必要です!普通ならあり得ないことです。岩や石が音を反射しても、そのうち吸収されて消えます。おそらく静かな声だったでしょう。
しかし彼らが神を賛美した時、神様の霊と一つになるという意志のもとで神秘の力が働いたというのです。
おわり
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