2018年1月24日康賢實・真のお母様のみ言葉
15:00~31:32翻訳:ここからJHON
皆さん、お会いできて嬉しいです。今日は…(マイク設定)できましたか?はい。
今日は数名しか来られませんでしたね?それでも、王様が水曜日礼拝を導きなさいと言われたので、私がみ言に従順であるという意味から、今日はここに出てきました。
聖書のみ言は、ピリピ人への手紙3章20節にあるみ言です。どんな内容かと言えば、わたしたちの市民権は天にある。
今日、皆さんは、アメリカの、とても取得が難しいアメリカの市民権をもらって、ここに来る事ができたと理解しております。ところで、そこにはどのような内容が記録されているのかと言えば、「わたしたちの市民権は天にあるのである。」
今日、皆さんは「天の国の市民権を、私がもらって生きている。」これを考える時、本当に皆さんは重要な位置にいるだけではなく、今日、皆さんが本当に望んで、願ってきた天の国にある天国の市民権を持って、今日、皆さんがここに参加されたと考える時に、私たちは皆、嬉しいのです。
地上で何も知らずに生きる人々が多いです。霊界があるのかないのか? この霊界に対して、この世の中の80%以上(の人)が霊界を知らないで、生きています。また、それだけでなく、霊界を知ってると言っても、それでも、彼らは本当に神様がいらっしゃるのか、本当に霊界があるのか、この確信を持てずに生きる人々が多いのですが、今日、皆さんは霊界があることを、私は知って生きていることだけでも、どれほど幸せな皆さんであるかということを、皆さんは幸福なのかわからないのですが、実際は非常に恵まれた位置に、今日、皆さんは置かれているのです。
私が神様を知って、天地万物を創造された神様を知って、また、それだけでなく、私は死んだ後に行く霊界があるということ、天国があるという、これを私が信じて生きることができる位置に置かれているという、それ自体が非常に福なる立場なのです。ですから、今日、皆さんは本当に自負心を持って、私は本当にあきらかに霊界があることを信じています。
それだけでなく、今後、その霊界に生きておられる神様がおられるところ、私たちの真のお父様がいらっしゃるところだけでなく、イエス様がおられる、その場所に私は必ず入って行くことができますという、この自信を持つだけでも、この信仰を持つようになれば、持つほど、皆さんがその位置に立つことができるということを、皆さんが信じなければなりません。霊界があることを本当に信じている人はどれくらい信じているのか?
私が80%ぐらい何を信じているのか?50%ぐらい信じているのか?30%くらい信じているのか?信じている、このパーセントによって、今日皆さんが信じているその位置に行くことができるのですが、私が願うことは、本当に私たちは、神様は生きておられて、遠い将来、生きておられるその神様と一緒に霊界に行って生きること、これを皆さんが感じるだけでなく、知っているだけでなく、本当に皆さんが実感しながら、これに対する確信を持ってくださったらいいです。
どんな確信?絶対的な確信を持たなければなりません。100%、200%ではなくて、非常に、絶対的に、本当に私はこれを信じています。信じることができる、その信仰を持った方々は、皆さんが望んで、願っていたその位置に必ず、必ず、行くことができることを信じられることを願います。
私が最近はですね、天聖経を読んでいるのですが、その内容を見ながら私が、・・・ここに動画もありますが、一人で話をたくさんします。ああ、このように良い所だったのだなあ!このような所を神様が、本当に子女になる私たちのために準備しておかれた神様であられたのだなあと考える時、その父がどれくらい会いたくて、本当に何かと言えば、その父と一緒に私が、その中で生きて、父は私の中に来て、一緒に住んでいるという自信をもっています。
今日、皆さんも全て、皆さんが... ある人々は皆、このような話をします。「私は信仰がありません」という人々が多いです。「私は天国があるのかどうか、霊界があるかのかどうか、私はわからない」という人々が、私たちの食口の中にもたくさんいますが、ここに対する確信を持っている人々は、これを絶対的に信じている人は、いくら押し出して、手で叩いても、今日ここを離れることができません。なぜ、離れらないのかと言えば、本当に私が知って、本当に私が信じて、本当に私がその中で生きているので、誰が来て何と言っても、私たちは不信できず、離れることができず、行かなければならないのです。
だから、今日、私たちは一緒に行きましょう!天国は皆で一緒に行かなければなりません。一緒に行かなければならないので、みんなで、私たちは一緒に行くようにしましょう。
今ここに来られた... 今日、数名しか来られませんでしたが、皆さんが本当に行く道がそのように平坦な道ではありません。特に聖殿食口は、さらに悪口もたくさん言われて、多くの人々に後ろ指をさされて、また家庭連合の方々から、人としての扱いも受けられず、また、私たちに対して非常にそれこそ、何の信仰もないようなこととして考えられていますが、今日、私たちは、今日、この時間、ここではああ、私たちはそのようではないと、本当に生きておられる神様が、私たちの側になって一緒に同行、同事、同役しているという信念を持たなければなりません。この信仰を持たなければなりません。そうしてこそ、今日、皆さんが信じていた、その位置に行くことができます。今日、皆さんが本当に今まで信じながら、悪口を言われ、皆さんが信仰の道を来ながら、迫害を受けてきたすべてのものがみ旨の中で解かれて解決されるのです。
だから、実際に天国という所は悪口を言われる人が入って行く所なのです。聖書にそのように書かれています。何と書かれているかと言えば、あなたたちが多くの人々から、苦痛を受け、悪口を言われ、違うと言われる、そのような立場に置かれている。手で打たれても心配するなというのです。
「喜んで楽しくせよ」なぜそうなのかと言えば「天の報いは大きい。」このみ言がマタイ5章を見れば、山上の垂訓に書かれています。
こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。本当に世の中を生きながら、罪がないという人はいません。皆、罪をたくさん犯して、生きてきました。ところが、その罪をこれが間違いだったなあと考えて、皆さんが深く悔い改めて、深く皆さんが真の涙を流しながら、自白して、深く皆さんが謝罪するようになる時に、その父は全て、皆さんの罪を、私たちの罪を記憶なさらずに、本当に許してくださるということ!
ですから、イエスを信じる人々の大多数がそうです。イエスを信じて、なぜイエスを信じるかと言えば、天国に行こうと信じています。天堂(天国)に行くと信じています。良い所へ行こうと信じています。皆、そのような話をするのですが、クリスチャンだけがそのような話をするのではありません。クリスチャンはクリスチャンなりに、私は天国に行くために信じています。
仏教徒に聞いても同じです。そのお金、多くの仏教徒が何を話しているかと言えば、なぜ釈迦を信じるのか、と言えば、それこそその良い極楽世界に行くと、私は信じています。また、それだけではなくて、さらに儒教人たちの信仰は、どのように話をしているのかと言えば、私は真の人、真人に真人が行っているその道、磨いてきたその位置、道の実を結んできたその位置に行くために信じています。
すべてが信じるのに、目的があります。どこか?天国に行く。その次には極楽に行く。その次には、楽園に行く。また、世の中の人々は、何だと話しているのですか?私は本当にこのように信じて、パラダイス!パラダイスが天国です。そこを皆、目標としながら、信じているのです。
今日、私たちの胸の中にも...私たちは悪口をたくさん言われました。私も実際に既成教会にいる時は、あまり悪口を言われなかったのですが、統一教会に入って来て、悪口をものすごくたくさん言われました。人としての扱いをされずに、まさに蹂躙して、ずっと押さえつけ、罵って、このようにして来ましたが、私は、それでも統一教会を私は心の中で一度も捨てることなく、心の中で一度も悪いと考えなかったので、お父様が私を見て、言われたのです。あなたも統一教会を反対しなかったのか?それで、ああ。私は反対しませんでした。いつでも統一教会、それならば、私の心なのか、神様の心なのか分かりませんが、どのように考えているかと言えば、本当に、本物の、真の道、真理の道、神様が認定する道、神様が共鳴してくださる道であることを私は知って、信じて、一度も私は反対しませんでした。そのように言ったのです。
そうだったのですが、今日ここにいらっしゃる皆さんもその心を持ちましょう、私たちが。
世の中で悪口を言われ、蹂躙され、迫害を多く受けてきて、手で打たれても、私たちの心の中で、本当にこの道は、真の道であって、神様が一緒にされた道であって、この道を通して神様が役事しておられるということを、これは100%、絶対的に、1000%、皆さんが信じて進んでいく時に、この信じてきたすべての信仰が、皆さんが天国に行くことができる材料になります。
天国には誰が入って行くのか?いつも私たちがたくさん聞いたでしょう?為に生きる人々である。犠牲になって奉仕して、受け入れて仕える人々が、仕えることを受けようとするのではなく、仕える人々が入っていく。このように今なっているのです。だから、天国は誰が入って行くのか?自分のために生きた人は一人も入って行けなかったというのです。見たところ。お父様のみ言を見ると、そうなのです。
自分のために生きて、自分のために動いて、自分のために一生を、お金を稼いで、何、たくさん犠牲になって、奉仕をしてきたとしても、自分が入っているので、ダメです。だから、自分を全て捨てて、踏みつけられて、すべてのことを皆、犠牲にして奉仕しながら、生きた人々はどこに行くのかと言えば、天国に入って行くことができるのです。
ですから、今日、私たちは天国に行くのに、このチケットを神様が、何かと言えば、行きなさいとしてチケットを下さるのではありません。このチケットは、どこで私たちが受けることができるかと言えば、天国に行くことができるチケットは一番初めにサタンから受け取らなければなりません。サタンからこのチケットを受け取らなければならないのですが、どのように皆さんが、受け取らなければならないかと言えば、2000年前、イエス様も話しました。サタンが全て嘲弄して、サタンが本当に殺そうとする、その恩讐の前でも、祈りながら平安な心で、彼らのために、彼らのために愛して、彼らのために奉仕して、彼らのために祈って、恩讐まで愛する、その境地にイエス様自身が入って行ったのですよ。それを、万一できなくて、なさらず、イエス様自身が恩讐を憎み、私を殺す者に対して悪口を言って迫害したなら、歴史は変わったことでしょう。そうだったのですが、イエス様自身が敵のために祈ることができる心を持っていたのです。
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今日、ですから私たちは生きながら本当に神が認めてくださって、ああ、あなたは本当に天国の民である、そのように生きれば天国を所有することができる、というその場に入って行こうとするならば、犠牲になり、奉仕して、ために生きなければなりません。そうです、お父様がいつも言っておられました。数年にわたって説教されたのですが、私が覚えています。その説教の内容が何かというと、すべてために生きろ、ために生きなければいけないということ、ですから今日小さいことから大きなことになるまで、為に生きる生活をする時に、私たちに来るのは、天国が尋ねて来るようなって、神が尋ねて来られ、お父様が尋ねて来られ、イエス様が尋ねて来られ、全天宙が私たちに尋ねて来ることがありますが、それをできないようにされた時は、いくら自分のために犠牲になり、奉仕し、自分のためにお金を使っていたとしても、これは合格ができないのですよ。
それで私が天聖経を読んでみると、書いてあるのです。お父様も、霊界に行ったとき、神様があなたは地上で何をしてきたのか、そういうことなのですよ。私は地上で多くのお金を使ってきました。もしそうならば、それは合格にならないのです。お父様でもできないのです。そのため、使うには、ために使うようになって他人のためにするようになったらば、これは合格になりますが、自分のために私の名前のために、私の統一教会だけのために使った場合は、これはすべて何にもならないと言われたのですよ。
そのため、今日、私たちは、今朝ひとつだけ学んでいきましょう。何を学んで行くのかと言うと、本当にために生きる生活、奉仕する生活、他人に仕える生活、高める生活!するにおいては、自分のために使えば本当に一つもできないのですよ。だから何かと言えば、本当に国のために、民族のために、世界のために、世の中のために、私たちはすべて心の中から血の中から骨の中から胸の中から染み出るその心情を持って、私たちはお金も使って、私たちが犠牲になり奉仕するようになるときは、そこには非常に素敵な天国が、来るなと言っても来るのだそうです。押し出しても押し出されるのではなく尋ねて来るとおっしゃいました。そのため、どれだけ私たちがために生きる生活をして行くのか?
本当に霊界というのは恐ろしい場所だそうです。
私はそのみ言葉を読んでみて、本当に感動をたくさん受けながら、お父様は人ではないんだなあ、本当に神様のような心を持って生きて来られ、神様の心と同じ生活をされ、神様の心と同じ心で、私達に教育し教えてくださった。ああ、こんなことを考えるときに本当に私は読みながら、たくさん泣きました。世の中にこんな方がおられたのだなあ。
でも私たちはただそれをどのように知っていたかというと、自分なりに考えて分析し、自分なりに何かというと、決定してみたが、分かってみれば、それは違ったのですよ。
今日、私たちは本当にお父様が来られた方だということ、地上でイエス様が責任をすべて果たせなかったことにより、再び来ると言われましたが、もう一度来るとされたその再び来られた方であると、これを私たちは心の中深く考えなければならなりません。
ですから私は、そのみ言葉を読みながら、わあ、再び来られた方に私が会うようになったのだなあ、再び来られた方と一緒に、私たちは、この地上に神様が願われ、ご希望される天国に私が入っていくということを見て実現するために骨を折られ、努力しているか、これを考える時にどんなにありがたく感謝であるかわかりません。
それで、私は地獄というところに行ってきました。地獄、地獄がどんなところであったかと言うともちろん、既成教会員達が知り、仏教家の知る地獄というところは恐ろしいところであり、まさに硫黄の火がごうごう燃える火の淵だと思っておりますが、もちろんそんなことも地獄でありましょうが、地獄はどこが地獄かと言えば、神様が私から離れて(神様が)いらっしゃらないところが地獄です。私が神様の主管を受けることができず、私が神様と一緒に住むことができない、神様からの干渉を受けることができず、神様がさせるとおりにしない、その場所が地獄であることを私はたくさん感じたのですが、それ本当に辛いことなのです。神様が私から離れていらっしゃらないで私の勝手に、私の意のままに、私を中心として、自己中心で生きるならば、いくら世の中で良いことをたくさんして何をしたとしても、天国には行けないようになっているのです。私がそのみ言葉をすべては読めませんでしたけれども半分以上を私が読みながら多く感じたことなのです。
今日、皆さんも天聖経をちょっと買っ、ちょっと読んでいただきたいと思います。その中に全く本当に無尽蔵に深い真理が、み言葉が、宝が隠れているのです。私はそれを読みながら長い間信仰生活をしましたが、感じられませんでしたが、ああ、このようなところが天国だなあ、このようにしないならば、神様に会うこともできず、また、イエス様もお父様も会うことができないということを感じたのです。
それで遠い昔、お父様がいつだったかそのようなみ言葉を語られました。何とおっしゃったかというと、もう、復帰歴史がすべて終わり、人々を皆天国に送って、地獄に行った人々が一人もいなくなったときに、神様も本当にああ私が責任をすべて果たしてこのように皆天国に来たなあ、お父様もそのような心を持って、いざ神様とお父様が再会したときに...お父様がこう言われました。
ああどのくらい世の中で苦労をたくさんしてきたのか?苦労をたくさんしたのか?本当に息子としての責任を果たそうとして他の人が感じることができなかったことを感じて、他の人が知らないことを実践されながら生きてきて、神様がお疲れ様とおっしゃるときに、真のお父様が答えを何と言われたかというと「天の御父様のご苦労と天の御父様が成し遂げておいたすべての役事は、私がしたものの数千数万倍になります。」そうしながらお二人が抱き合われながら本当に握手をしながら「成し遂げようとされたその世界をこの地上に成し遂げられました。探し求められたその世界を見つけました。全地に人類一人も残りなく全員が真の天国で生きることができる全員が地獄のすべてのくびきを脱いで、天国で生きることができるような世界を作り、そのような人々を作り上げました。」としたときにお二人が非常にそこから非常に深刻な、その場面のことをお話しされるのを私が聞きましたが、わあ、本当に天国というのはどんなところなのか?自分がいいところに行き、自分がよく食べ、よく着て、よく生きようとしたということより、本当に世の中に生きているすべての人々が共に万国の万民が皆胸の中に天国を成し遂げ生きることができる、その世界を作り上げたときに、そのみ旨が成されたときに、神様が探し求められた世界が見つかったので、この本然の世界が成されたときにどんなに嬉しく思われることでしょうか?
今日、皆さんも胸の奥深く私は天国の良いところに行かなければない、そのような人は絶対に行けないのです。私は良い天国に私入らなければならない、まあ扶助(援助)をするとか、これぐらいなら私は他人のために生きただろう、このように考えても、自分がそれに入ればだめですよ。自分が混ざればだめなのです。
そのため、非常に絶対的に自分を捨てて、その、そのイエス様もそうじゃないですか。自分を捨てて、さらに十字架を背負って、私の背中に従わなければならないと言われたのと同じように、今日、皆さんもそのような言葉、そんな生活をして、そのような私になったときに、今日、私たちは、この地上に来たその目的は全て成し遂げた位置に立つことができるのです。
この天国というものを説明したのですが、見たら、その世界はどれほど・・・この世界が問題ではありません。ですから皆さんは、死ぬという恐れを一つも出さないでください。なぜそうなのかというと、今後、私たちに近づいてくる世界、これから私が行くべき世界は、この説明では、することができないような素晴らしい世界です。ないものはなく、考えたらすべてが結果としてすぐに現れるというのです。1分、2分に全体がすべて成される世界、私は本当なのか知りませんが、本当にそのような世界が天国であるというそのみ言葉を私は見て、わあ、本当に何、そのように病気になったといって私が死ねば大変なことになるとか、私は薬を飲んだりする必要がないな、今や行くところはこの世界よりは千倍万倍、数千億万倍、もっと良いところが私達のために用意されている。今日その世界に一度行ってみることにしましょう。(はい)本当にですよ。
今日、皆さんがこの聖殿教会に出てきたからと言って、そのように悪口を言われ、皆さんが、私も人の扱い一つ受けられずにいます。
康賢実といえば、誰もが、あぁ、何かというと、お母様を捨て家庭連合を捨て、すべて異端側に行ったと、騒動を今騒がれながら人扱いされないでいるのですが、、それは問題ではありません。私たちは、迫害を受けて、本当に悪口をたくさん言われたときは、真の道を行くときは、その悪口がその迫害がすべて今日、皆さんに天国に行くことができる材料となるものであり、天国に行くことができる内容になるのですよ。
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だから一つも皆さんが心の中で、あぁ、みんな悪口言う道を私が行っているんだなぁ迫害する道を私が行っているんだなぁと考えないでください、もう。本当に良い世の中が来るようになり、霊界はとてもいい所ですが、入る資格を私達が本当に磨かなければなりません。だからどんなに忙しいか分かりません、皆さん。皆さん忙しくなければなりません。なぜかというと、その資格を地上でこれは磨かなければならず、霊界に行ってからは出来ません。地上に住んでいる時に住んでいるところで私がしなければならないため、このようなことをおいて考えるならば、皆さんが欲張らず、意地を張って生きず、本当に為に生きる皆さんになったときに、神様が訪れ、お父様が訪れ、イエス様が訪れて、総霊界が全て訪ねて来て、天宙が皆さんに訪ねて来て抱いて下さり天宙が皆さんに訪ねて来て愛して下さるその世界。
私は、、、時には本当に懐かしい時があります。神様が創って下さった最初の本然の世界が懐かしいです。その世界を私に見せて下さりその世界を私が私の中に築いていけるようにして下さり、その世界が私の世、私の世界になるようにしてください、と祈る時が度々あり、老いたものが時々そんな考えをする度にその私があの御言葉を見ると夜明けの3時まで4時まで5時まで夜を徹してみるときもたくさんあります。嘘じゃないです。これを友美さんが全部見ていますが、この友美さんがいくら私と競争をして自分も寝ずにしなければならないと思ってるようでも、私がそれで聞いてみた。そうではないのかと、そしたらそうなんですって。でも本当にお父様の御言葉は本当にどこかで考えることの出来ない御言葉、どこかで聞くことの出来ない真の御言葉を私たちが知って、また、その次に信じて私たちが実践できる段階に入ったということを胸の中深く皆さん達はありがたい心、感謝の心を持たなければならないのです。そうなったら、感謝したその場その場がまさに私の場所になってそれが私のものになりうるということなのです。
私ももう一生を、み旨のために生きようと苦心しました。苦労もまた多く、そう、お父様が私を見て、康賢実にすまない事が多いと言われました。何をどうしてそうなのか分かりませんが、すまない事が多いが、本当に伝道に行って帰って来ると、その場で何と言われるかと言うと、一晩寝てからそうしない。一時間後におっしゃることもありません。その場で"またいつ行くか?また、出て行かねばならないだろ?"いつもそうでした。それで私が'わあ、あの方はどうしてあんなに私たちが思う、私が世の中の人について考えろと言われれば、本当に別世界で生きているんだな'ということを感じたものです。今日私たちが本当に聖殿の食口達を思う時に私もここに来ながら思う時に、本当に悪口もたくさん言われ迫害を受けましたが、その非難され、迫害を受けた事は、そこに自分がそこにプラスになって自分を中心にやったと言えば、いくら非難され、どんなに迫害されても、何一つ無駄です。本当に真のお父様の御言葉のとおり、為に、天の為に、神様の為に、み旨の為に、民族の為にしたその様な事が価値あるものとして現れ、そこで本当に何かと言えば願いをかなえることができ、私たちが考えてきたすべての全体のみ旨が成就されますが、それがないときは自己中心でするようになる時は一つも効力がないということを私はたくさん...事実そうなんです。
だから私たちは本当にどう生きなければいけないかと言うと、お父様が望みそのみ志のまま生きなければならないのに、本当に一生というのは瞬間なのに、どうしてこの世で私たちがあまり資格があるわけでもないし、何でもない私たちが神様を知り、真のお父様を私たちが訪ねるようになりイエス様と因縁を結び霊界と因縁を結ぶことになり、天宙と因縁を持って暮すことができるこの幸福で貴い位置に私たちを立てて下さったことを考えると本当にありがたく、感謝の気持ちを私たちが持ってこそ...感謝してますか。皆さん。どうですか。ありがたいでしょう?その多くの人たちの中で私たちは本当に天国を私たちが実質的にあることを知り、信じて天国内に入ることができる、そんな資格を私たちが作って暮らすという事はこれはとてもありがたく、感謝することです。
今日、一生私のために暮らすそのような価値のない生活をしないで本当に為に生きて逝く今日、皆様になって、私もそんな風に本当にならねばいけないのに、それが上手く出来ません。出来ない故に'あ、神様そんなに大変ですか。そんなに大変な道ですか。なぜこんなにうまくいかないのか。心からそう生きんとするそのままになされていません'とする時が多々あります。それで本当にそれで今日はお父様がされたその祈祷の内容をちょっと読んでみようと思っています。あれ私が持って来なかったか。お父様がされたその祈祷の内容が、一言一言本当に血と汗とその何かと言うと骨の髄からにじみ出る心情を持って祈祷された時に私もたくさん泣きました。本部教会でお父様が祈祷されながら本当に慟哭をしながらお祈りしましたが、それを本当にお父様のように感じながら生きなければならないのに感じない時が多々あります。
今日皆様もお父様がされたその祈祷の内容これを今、うーん今日何かというと一つも見えません。見えないため出来ません。大丈夫、大丈夫です。大丈夫ですよ。そう、いやいや大丈夫です。今どこにあるのかも分からないね。全部探して来たのにもかかわらず、目がこんなに物体がよく見えません。それで、あ、そうかあまり残ってないなあ、と思いながらそれで、今日出てきました。私が願う事は、お父様が本当に皆さんが暮らしながら、もちろん自分のために生きるなとたくさんおっしゃっりましたが、何を私たちが感じなければならないかと言うと、本当にお父様の祈祷の内容を私が聞く度に何を感じたかと言うと、本当に昔は慟哭をしながら祈祷をされました。
ただ泣きながらお祈りしたんじゃないよ。とても慟哭をしながらこの骨の髄から、肉の中から、血の中から、胸の中からにじみ出るその爆発した心情で祈祷された時が多々あります。その時に共に一緒に泣きながら過ごしたのです。
今日皆様もお父様と同じそのような心情をたくさん皆さんが感じ実践して御言葉通り実践してその様に過ごす時に今日皆様が行けるところは本当に神様が予め準備しておかれた所があります。皆さんのために本当に準備しておいた所が必ずあると知っています。だから私たちは本当にこのように導かれた場所にこの様に今日私たちがたくさん探して願ったその場所、これを探して我々はそこで暮らしている事をありがたく思い、感謝しなければなりません。昔イヨンド牧師という方がいました。金永雲先生もよく知っている方ですが、メソジスト教会で監理師としていた方です。ところで悪口をたくさん言われ、メソジスト教会から追い出されました。追い出されてこのようにしましたが、その方が言った言葉をみるとどうかというと、本当に食べることもイエス、着るのもイエス、お祈りもイエス、望みもイエス、希望もイエス、あまりにもイエスと言って狂って暮らした方がいます。
だからその方のお話を聞くと、メソジスト教会の監理師なのに何かと言うと、その方のお話を聞くとイエスを全く信じなかった人でもその場に来て後で監理師になった人がたくさんいます。その場に来て信じて、まるで新しい人になって帰って行くような人たちがたくさんいます。今日皆様も真の人になり、まっすぐに生きて私たちが行かなければならないでしょう。そのまま何かというとサタンが讒訴できる、サタンがあの人は駄目ですと言える、そういう位置に入ってはいけないんです。全てが皆、神様から私たちは本当に決定を受けて、どんな決定、天国に入ることができるという決定を認定を受けて決定を受けて判定を受けて、本当に天国に入ることができるチケットを我々が受けても残ることの出来るその様な位置に今日我々が入ることが希望であり、また更にはそれを私たちに要求して願われているので、今日私たちは私を全て踏みにじって私は何もありません。本当に私を通じて神様のために生き、また、すべての人たちの為に与えることができる自分になるために努力をたくさん一度やってみましょう。
出来なくても私たちが出来ないと考えずに、私たちがやっていく時にここに驚くべき奇跡の役事が必ずあると私が知っています。なぜかというと、ここに今、今日来られなかったんですが、協会長だった方の奥さんいるじゃないですか。美穂さん!美穂さんが、彼女は私たちを一度招待しました。自分の家に。招待をしましたが、ビビンバをとてもおいしく作ってくれて韓国人十五人ぐらい頂きました。誰でもができないんです。十五人ぐらい招待をしてとてもおいしく昼ご飯を、夕食だったか、それをそこで食べたんですが私が言いました。今日こんなに牛肉にキムチにおいしい物をとてもたくさんしました。それで"まあ今日こんなにお金をたくさん使って月給を全部使ったんじゃない?"私がそう言ったら、彼女が何と話したかと言うと,"いいえ。今日、私が本当にそんな風に望んだわけではありませんが、使ったお金の何十倍を神様が全部下さいました。"それで惜しい思いでするのではなく、本当に為にする心をもってもてなして、為に思う心を持って愛する心を持ってしているのを見て、日本人なのにすごい方だという事を感じました。
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今日、我々は陰にある隅で光もなく、名前もないそこに本当に為に生きる生活をして私たちに、神様が為に生きることができる、神様が私たちの為にしてくださって、お父さまが本当に有難く、そして立派で、貴重で、訪れてくださるイエス様が本当に一緒にできるそんな生活を私たちがするときに、全てのことに、小さな事から大きな事に至るまで神様と真のお父様とイエス様と全霊界が私たちとともに、同行、同事、同役してくださるのです。やることごとに役事してくださり、やることごとに干渉してくださり、やることごとに主管して下さるというこれを知って、神様に記憶していただける今日の私たちになりましょう。(拍手)
神様が記憶してくださらなければなりません。今日皆様、他でもなく、神様が私たちによくやったと言われ、資格があったと言われながら、本当に苦労したと言われながら、その遠い未来、神様とお父様にお会いしてお互いが本当に苦労したと、父は息子を前に苦労したと言い、息子は父に本当に、本当に苦労しましたと言うときに、その場がどのような場になるかというと、本当に慟哭の場になって、その場が本当にこの地上に本来の世界をなし、本来の人間を作っておいたときに、そのようなことが起こるだろうということです。
今日私たちがまた、本当に為に生きるその心を持って暮らせるようになったら、地上に良いことが起こるのです。そういうことが起こるのです。ところがこれを感じずに生きていくことが多いのです。これを一度感じてみて思った通りに実行しながら、実践するだけでなく、本当に私たちのその働いてきた全体本体になって私たちが光を放つことができる発光体にならないといけません。
多くのところを明るく照らすことができる発光体になって、神様を喜ばせて、私たちは真のお父様を喜ばせて、イエス様を喜ばせて、ひいては、私たちが嬉しく思わなければならないことは何かというと、本当に今や王様を立てて、王妃様も立てましたが、これから私たちが考えるときは、不可能なことだというのが不可能なものではなく、すべてのことが可能であり、実を結んでいるということです。実際にすべてがよいこととして現れていることを見る時に、天が本当に役事しており、神様が一緒になさるということを感じました。
今日皆さんまた、何を感じなければならないのかというと、私の中に神様がいらして、神様を本当に皆さんが感じながら生きるのではなく、知って生きなければならないし、またそれだけでなく、私たちが為に生きる実を結ぶことのできる、為に生きる実践の実を結ぶことができる今日の私たちになるときに、ここに良い歴史が必ず現れて成し遂げられるということを皆さんが記憶されることを望みます。
それで今日私が本当に、・・・人々は行ったり来たりするのです。礼拝もなく、行ったりきたり、していて、私はお父様のそのみ言を見ながら何を感じたかというと、まあ、お父様が本当に、本当にイエス様のように復活して出ていらしたらたらいいなあ、復活してくださったらいいのになあというようなことを考えました。一句一句すべてみ言葉を話して…本当にそのようにみ言葉を語られたことにとても感謝しました。
同様に今日皆様もみ言葉の実体になりましょう。(はい)。み言葉の実体になってこそ、本当にエルダーさんが話したようにこれをはやく、はやくにこの戦いが終わり、母と息子との戦いが終わって、この地に万国に万民の心の中に本当に神様がつけてくれたその本来の人間を自分の中で探さなければいけません。私が実践しなければならないし、私が行くところにはそこを満たすことができるそのような境地に入った場合は、この天国が早く来ると思います。
それで私たちは天国に行きたいと努力しないで、何をするのかというと、天国を本当に伝えることのできる私たちにならなければいけないと思います。天国を作っておくことができる我々になって、私たち聖殿食口たちが行くところにくまなく、ここには人間たちが想像できなかった天国の世界を想像して、暮らせる世界人類を私たちはみな作らなければいけません。それで万国の万民全部が、神様が初めに建てたかったその本来の人間に帰って、神様にお父様にイエス様に本当に喜びをお返しできる今日の私たちにしてくださいと申し上げました。
それで祈祷を一度を差し上げましょう。これはお父様がなさったお祈りです。これいつしたものかというと、1950年度に祈祷されたみ言葉です。
愛するお父様、私たちに残された...これではないみたいですね。
翻訳ここまでjongjong、ここから最後までMinion
報告祈祷
お父様、天倫の全体摂理を導いてこられたお父様の前に主管を受けることができる私たちになるようにしてくださり、全ての地上の人類が、全ての地上に万国の万民のすべての人類が、創造してくださった最初の姿を心に成して暮らすことができる力を私たちに許諾してください。私たちは虫よりも劣る何もできない私たちでしたが、私たちの中に神様が来て一緒にしてくださり、私が神様の中で生きるようになる時、ここに驚くべき奇跡の役事を起こすことができるためお父様は本当に私たちにきてくださり一緒にして下さい。
昔お父様が御言葉を語られる時、どれほど有りったけの力を尽くし、精誠を尽くして御意を尽くして語られるので、背広の上着が水をこぼしたようにびっしょり濡れて干さないと着られないほど、お父様は血と汗と涙をまた、そのすべての精誠を尽くして、今日私たちに注いで下さいましたので、私たちは本当にありがたい心、感謝の心を持って、残してくださったこの御言を実践してもあまりある、残してくださったこの内容をこの歴史を万人にすべて伝えてもあまりある驚くべき恩寵をここに与えてくださり注いでくださり満たしてくださるよう、お父様切にお願いいたします。
今日この席は韓国の方たちが中心となった席でした。お父様はどの国の人よりも韓国人を重要に考えられて韓国人を中心として、お父様の役事を多くしてこられましたが、私たちはお父様が望み願われるように生きることができない時があまりにも多かったです。
許してくださり、この時間もお父様がどれ程気を揉みながら望まれる内容があります。このお父様が望まれるみ旨とお父様が成そうと願われた内容の役事が一日も早くこの地で成し遂げられるようにして下さることを切に切にお願いいたします。
そうしようとするなら、今日私たちはお父様の前に真の孝子になり、孝娘となり、忠臣になり、烈女にならなければなりません。それで私を全て捨ててひたすらお父様が願われた望まれた我々自身をこの地で成し遂げて作って行くことができる私たちにして下さることを切に切にお願いいたします。
今日このように少数の群れが集まりましたが、本当に一分でも心の中の隅で神様の相対になれるし、お父様と一つになることができる心の座を持つ方がいるとするならば、その方を中心にしてこの地の上には新たな復興の役事が新しい火の役事が新たな奇跡の役事が起こることができるようにお父様が助けて下さることを切に切に願います。
御旨と愛が私達と共に一緒になって、私たちの二代王様また、カインとアベル三代王権を中心として、成し遂げようと願われたすべてのみ旨が成されるようにしてくださり、今お父様、(二代王が)外出中ですので無事にお父様、ここに帰ってくることができるよう共にしてくださり、今、聖殿食口たちをもって、本当にこの時に私の責任が何かを知って責任をはたすことができる私たちになり、私たちに本当に来て下さり共にしてくださることを信じておりますので、共にしてく下さることを懇切にお願い申し上げます。
み旨と愛がとこしえに今日私たち全世界にいる食口たち全世界にいるすべての人たちに祝福して下さり本当にこの地が、一日も早く天国になるように役事して下さることを切望して望みながらこのすべての言葉を祝福中心家庭康賢實の名前で切に報告し祈祷申し上げます。アジュ。
(エルダー本部長:お母様ありがとうございます。)
お母様:はい、ありがとうございます。
(エルダー本部長:拍手を、拍手でお礼申し上げます。)
康お母様:拍手することもありません。ただそうなのです。
とにかく私たちがよくして、神様が助けざるを得ない、真のお父様が助けざるを得ず、霊界が助けて、天宙が一緒に出来る、今日私たちになるために努力をたくさん・・・、ところでこれは為に生きる事は私が努力しなければならないのです。私が全てしてこそ、ただ座ってその世界が来てみ旨が成されるわけではないので、私たちがじっと座っていないで本当にしなければならないことをしてもあまりある私たちとなっていきましょう。
(エルダー本部長:わかりました。ありがとうございました。もう一度拍手を送りましょう。)
康お母様:拍手はすることはありません。
(エルダー本部長:お母様がおっしゃるように、私たちは天国に行く天国に行く、このような考えはしないで、私達が天国をこの地に作っておく、このような確信に生きなければなりません。お父様が昨日…)
1:16:12
(この後、康お母様のお話しが続いたようです。)
み旨に狂ってこのように通過する時に、神様が役事してくださいます。真のお父様が役事してくれました。
どういうことかといえば道端で人相を見ているおじさんが私に何と言ったと思われますか。私がただ道を歩いている時にした話ですが、「あなたは大真理を所有していた人です。」ですからびっくりしました。まあ,あの人と私は何の縁もないし何の関係的な知り合いでもないのにどうしてあんな話をするのだろうか。「あなたは何を持っているかといえば、あなたは大真理を所有している人です。」そう言ったから私がびっくりしたことがあります。
また、一度は道を歩いていたのですが、道端でサツマイモを売って座っていたおばさんが、私を見てまたいう話が、どんな話をしたかと言えば、「あなたは今歩いていますが歩いているのではありません。私がじっと見たら飛行機のように飛び回っています。鳥のように飛び回っているようです。もしかしたら、その足の動きが本当に人が歩くのではないように見えます。」このようにおっしゃっいました。
その昔、どんなことがあったかと言うと、お父様が私を見ていつもそうでした。ちょうど伝道に出ようと、どれほど大騒ぎして悪口を言って、まさにこのようにしたのです。そうしたのですが、お父様がおっしゃるお話が、どうしてまた出なければならないのかと言いながら、お話しを何故されたかというと、そうしてこそあなたにも道が開かれるが、さらには世の中が変わるというのです。世の中がどのように変わるのかと言えば、昔にそうでした。
どういうことかと言うと、世の中がどのように変わるかといえば、本当にそんなに叱られることによって、ある時は殴りながら大騒ぎしました。それで内心はこう思いました。アア、再臨主と言いながら、人を殴るのか。私がそんな言葉、そのような心まで抱いたのですが、今大騒ぎしたことは他でもなく、本当に忙しいのです。今一日にも、多くの生命が死んで行くのに黙ってただ座っていていいのか?今日私たちもこの切迫した心をちょっと持たなければなりません。そうしながら、伝道に私を送っておいて、どれほど祈祷ををたくさんして下さり精誠を尽くしてくださった事を覚えています。
今日皆様が本当に他の人がすべて証ししてくれる、その、さつまいもを売っていたおばさんも証しして、ある時は食堂の隅でとてもお腹がすいてラーメン一杯を買って食べたのですが、後で見たらラーメンのお金を出したそうです。誰が出したのかと言ったら、知らないと、あの隅に座っていた人だと。食事代も払わないそういう役事が起こりました。
ですから、神様の記憶に残る私達にならなければいけません。神様が手伝わざるを得ない、共にせざるを得ない、私たちになった時は、ここには本当に考えられなかった奇跡が起きます。一度そんな奇跡を起こしてみましょう。(はい!)
エルダーさんしか「はい」と言う人がいません。他の人は「はい」と言う人が一人もいませんでしたね。(はい!)そうしましょう。(大勢で:はい)
本当にそうすることができる時がもう近くに来ました。時がもう近くに来たので、近い時と私達が本当にぴったりと一致しなければならないから、そのように一度生きることができるように努力いたしましょう。(はい)ありがとうございます。はい。
1:21:28
ー 賛美の礼拝 ー
私の姿そのまま
ダビデの歌
十字架で私は十分です
ここで
毎日州とともに