この全訳は祝福二世に訳して頂きました。全訳ですが理解しやすいように多少意訳してあります。訳にも凛とした清楚な心情を感じます。(リファレンスは韓国語版)
「今や“韓グループ”と呼ばれています。お母様も一般の堕落の血統をもった食口だったのです」
全世界の教会が滅んでいっている理由は何ですか?
もちろん、お母様の決定のためではあります。
そして、全ての幹部たちが金と地位だけを考え、お父様に唾をはきかけたからではあります。
お母様がご自分の位置を離れながら、人々がお母様に従っていきました。
“私はお父様から何も学んでいない。私は神のひとり娘である。メシアである。”このような内容がまさにサタンに行く道です。
お父様はお母様の全てを育てました。全てを教えになりました。
これを否定する教会がサタン教会になるのです。
自分の血統を敬い、原罪がないといいながら、お父様を下げ、自分がメシアだというお母様は、もうお父様の晩餐の席に共に座ることができません。
自由選択によって、お母様は自分で自分を追い出してしまいました。
天使長の言葉に耳を傾けてしまいました。
ご自分の恨みの心情の声、そして、周りにいるサタンたちの言葉にだけ耳を傾け、これからは私の時代だ、私の栄光だ、私はお父様から何も学んでいない、神のひとり娘、ですって?!そんな馬鹿な。
その後、どうなりましたか?天使長たちのサタン教会になってしまい、今や“韓グループ”と呼ばれています。
お母様も一般の堕落の血統をもった食口だったのです。
2015年 5月19日 サンクチュアリー教会 説教
“神様の愛の暗号”
亨進様説教
食口の皆さん、こんにちは。
ここ、ペンシルベニアの荒野、森の中で皆さんにまた出会えたことをうれしく思います。今日は少し短くお伝えできるように努力しようと思います。
お父様の聖霊が降りてくるので、み言葉を始めるとどうしても長くなってしまいますが、皆さんが暖かく理解してくださり、感謝しています。
今日は“神様の愛の暗号”について語ろうと思います。
ヨハネの福音書21章9節から15節まで読んでみましょう。
9:さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。
10:イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。
11: シモン・ペテロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。
12:イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。
13:イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。
14:イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。
15: 食事が終わると、イエスはシモン・ペテロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペテロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。
アージュ。アーメン。
ヨハネの福音書21章は、イエス様が復活された体で弟子たちに会いに来られた場面です。
このような場面に私たちは注目しなければなりません。
ユダヤ民族は、ダビデ王の全ての予言を通じて、ダビデ王のようなメシアを待望していました。
彼らにはメシアはその予言に従って、ユダヤ民族を集め、全ての敵を追い出し、エルサレムをユダヤ民族を中心とした栄え栄えしい国を作るために来られる方だという予言だけがありました。
なので、メシアが来れば、我々の苦痛を解放してくださり、現ローマ王を中心としたシステムを滅ぼし、ユダヤ民族を率いてエルサレムを取り返してくれると考え、将軍のような王としてのメシアを待っていました。
そのようなメシアに対する期待があったのです。
ローマ王国がエルサレムを屈服させ、ユダヤ民族を主管していたその当時、ユダヤ民族には爆発的な恨みや苦痛がありました。
韓国の方は理解されるでしょう。
他の国が自分の国を植民地化したときの、その言葉にできない恨みと苦痛。
そして、すぐにメシアが来られ、私たちの状況を変えてくださいと願う祈祷。
その国をもう一度取り戻すことができる期待と希望。
イエス様の弟子たちを見てみると、彼らもイエス様はローマ王国を滅ぼし、新しい天の政府を立ち上げ、その政府に責任をもたれる方だと考えました。
3年の間、イエス様が行かれる所々で数千人の人が集まり治癒の役事をされながら、イエス様はとても有名になられました。
それを見た弟子たちは、このように持続的に人々が集まれば、自分たちがローマ王国を滅ぼすことができると思ったことでしょう。
しかし3年後、イエス様は犯罪人として悲惨に十字架にかけられ死んでしまいました。全てが終わってしまいました。弟子たちの立場はどうだったでしょうか。
さて、どうしようか、自分たちは何をしたらいいのだろうかと思い、一人、一人と自分の故郷に帰っていきました。
このヨハネの福音書21章がまさにそうです。
弟子であるシモン・ペテロはすでに故郷に帰り、以前のように釣りをしていました。
シモン.ペテロの心情を考えてみてください。
この人はイエス様を否定した人ですが、心の中にイエス様は本当にメシアだったのだろうかと疑う気持ちがなかったでしょうか?あったことでしょう。
この場面でシモンは夜通し釣りをしていましたが、一匹も魚がつれませんでした。
そして、朝が来て、岸で自分を呼んでいる人を見つけます。
イエス様であることを知り、海に飛び込みました。
そして、シモン.ペテロが海から上がってくるとき、イエス様を見ながらどれほど罪意識を感じたことでしょう。
イエス様がこの者は私を3度否定するだろうとあらかじめ予言され、まさにその通りに最後の瞬間、シモン.ペテロが臆病者になりイエス様を3度否定したその歴史。
その後、イエス様をもう一度見たとき、どれほど罪の意識を感じたことでしょう。
どれほど苦しかったでしょう。
しかし、イエス様はなんと言われましたか?12節「さあ、来て、朝の食事をしなさい」。
多くの人がお父様の前に間違いを犯し、お父様が責任や事業を任してもそれを潰してしまいましたが、お父様にもう一度会わないといけないその瞬間、どれほど心が怯えるでしょうか。それがシモン.ペテロの心です。
しかし、そのようなペテロにイエス様はこっちに来て一緒にたべろと言われました。
15節を見ると、イエス様はシモン.ペテロに尋ねます。
お前は本当に私を愛しているのかと聞かれました。
その問いに対し、シモン・ペテロは"わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです”と答えました。
イエス様はその場面で3度尋ねました。3回ペテロに尋ねました。
“お前は本当に私を愛しているのか。”シモン・ペテロは3度イエス様を否定しましたが、イエス様は3度尋ねました。
“私を愛しているのか”と。
3度イエス様を否定したその内容を復帰することのできる瞬間をくださいました。
“私を本当に愛しているのか”3度私を否定した内容を復帰しなさいと。
なので、シモン・ペテロはイエス様が“私を愛しているのか”というその言葉を聞くだけで、聖霊の真理の刀が自分の心臓を貫くように感じました。
そして、この出会いの後、シモン・ペテロは全てを捨て悔い改めながら、何の基盤もないところで迫害をうけながらも、命を懸けてメシアを宣布し続け、この世をさりました。
十字架に逆さに掛けられ死にました。
統一教会の中でも、自分は“お父様のために死にます”といった声はよく聞きますが、最後の瞬間にお父様のために本当に死ななければならなかった時、お父様に侍る者たちがお父様を裏切りました。
その後、全ての一般シックたちがこのような内容を知るようになってからも、悔い改めることもしません。
イエス様の弟子たちは、完全ではないけれども、自分たちがイエス様の前に罪を犯したことを知り、悔い改め、命をささげ死んでいきました。
自分の金と地位、それだけを考える偽者ではありませんでした。
十字架に逆さに掛かって死んでいった使徒たち。このような弟子たちが現れず、“お母様は間違った道を行かれています”といえる弟子たちが一人もいない内容に本当に失望します。
今後我々の後孫たちが歴史を見るときに、お父様の弟子たちはイエス様の弟子に比べ、たいしたこと無かった。
ただ、カインとアベル、息子たちだけ立ち上がり、一般シックたち、お父様の愛を50年、60年、毎日直接受けることのできなかった一般シックたちがすばらしかった。
このような歴史が現れることでしょう。
そして、愛を受けるだけ受けた弟子たち、最後の瞬間にお父様を裏切った臆病者たちはこれからは最後になります。
末世には初めが終わりになり、終わりが初めになります。そのまま現れます。
このような内容をみると、神様の恩恵、恩寵、恩赦、愛が何かということを我々は知ることができます。また、5%の責任分担が何か知ることができます。
もし、この状況でシモン・ペテロが言葉だけで“はい、愛しています”といって、そのままイエス様を忘れてしまったら。全てを捨て、命を懸けてメシアのために死ぬことがなかったら。その大きな罪を蕩減できなかったことでしょう。
本当ならば、お父様を裏切った全ての指導者や幹部たちが、死ななければなりません。皆、命を懸け、十字架に逆さに掛けられ死ななければなりません。
しかし、自分の命を守り、お父様の神聖冒涜を正当化することに熱をあげています。
末世では誰が本物で誰が偽者か全て明らかになります。本当にメシアを信じて生きたのか、それとも恵みを受けるために生きたのか、全て明らかになります。
神様の愛がどれほど恐ろしいものか自覚してください。怖いです。
神様の愛を受けると、恐ろしいです。
“私を本当に愛しているのか”と尋ねられたら、恐ろしいです。
それは、私のために死になさいという意味です。
私が王宮で静かに口を閉ざし、お父様の神聖を冒涜し、お父様を削除しようとする作業から目をそらし、背を向け見ないふりをして、自分の給料と財産を蓄えようとしていたら、お父様は完全に削除されていたでしょう。
300年後に、500年、1000年後に、お父様が願われた伝統と経典、8大経典など全ての内容を削除し編集したものだけを本物だと考えるしかない、地獄の道をいく統一教員だけを生み出していたでしょう。
私が臆病者であったなら、それがより楽だったでしょう。
人間のためだけに生きていたならば、そうするのが楽だったでしょう。
しかし、真の人間は人間のためにいきてはいけません。
真の人間は神様のためにいきなければいけません。
いくら苦しくても、皆が殺そうとしても。
神様の愛は恐ろしい愛です。
神様が私たちにどのような愛をくださいましたか?ただ感情的な愛ではありません。
私たちのために血を流されるだけの愛ではありません。
私たちのために苦痛の道を歩まれるだけの愛ではありません。
私たちのために死なれる愛です。私たちのために死ぬ愛。
“私を愛しているのか”とお尋ねになる時、“私はお前のために死んだが、お前は私のために死ねるのか”という意味です。
お前は地位な金など馬鹿げた内容に執着していきるのか、それとも私のために死ぬことができるのか?
死ぬのか?死ぬことができるのかではない。死ぬのか?です。
言葉では誰でもいえます。
全てを捨て、自分の評判を顧みずに主を求めるのか。
主のために全てを捧げるのか、何の利益もなく。
偽者と本物が現れます。末世に。このような愛を私たちは理解できません。
私たちは神様の愛は心情、感情だと考えるからです。
“私のために死ぬのか?私はお前のために死んだが、お前は私のために死ぬのか?
私を愛しているのか?
”私たちがこのような内容を知れば知るほど、主の愛、メシアであるお父様の愛がどれほど深刻か、どれほど恐ろしいか、そしてどれほど美しいか知ることができます。テレビやドラマ、また歌の中の愛、そのようなものではありません。
“お前のために死んだが、私のために死ぬのか”これが本当の愛です。
天聖経の131ページを見てみましょう。
(*真の神様 第4章 真のお父様が見た神様から ヨナ様が訓読する部分は日本語の天聖経で補ってください)
では、ここで所有圏とは何なのか考えて見ましょう、皆さん。
私たちが神様の愛と恩恵を受けると、私たちのために死んで死んで、また死のうとされるその愛を受けると、私たちは神様の所有圏の中に入るようになります。
ところで、ある人が私に尋ねました。アメリカの食口ですが、“もし、私たちが間違いを犯したら、神様が直接私たちを審判されますか?”と私に尋ねました。
その人は鶏を飼っていたので、私がその方に尋ねました。
“あなたの鶏が小屋から逃げて森に入り、森の中で狼に食べられてしまったら、それはあなたがその鶏を審判したことになりますか?”と聞きました。
鶏が小屋から抜け出し、狼に食べられてしまったら、飼い主がその鶏を審判しましたか?していませんか?していないですね。審判する必要が無いですね。
自分で小屋から逃げ出し、その保護圏からでたので、飼い主の所有圏からでたので、捕食動物につかまり死んでしまったのです。
飼い主がしたことではないです。自分の自由選択で飼い主の所有圏から出て行き、狼やライオン、トラがいる所に入っていき、死んだわけです。自分が自分を殺したようなものです。自分が自分を地獄に送ったのです。小屋をでていくという自由選択で。
全世界の教会が滅んでいっている理由は何ですか?
もちろん、お母様の決定のためではあります。
そして、全ての幹部たちが金と地位だけを考え、お父様に唾をはきかけたからではあります。それは何ですか。自由選択です。
お父様の神聖を冒涜する内容を従っていくという選択をしたので、鶏小屋を出て行ったわけです。
主人の所有圏から出て行ったのです。
そして、後は捕食動物たちに食べられてしまうのです。
滅んでいくのです。
お父様が直接審判されなくても、捕食動物たちが破り、盗み、詐欺を図り、お金を横領しています。
なぜなら、滅びることを知っているからです。
より早く、多く、自分が取れるものを着服しています。
お父様の保護圏と所有圏から離れると、それはサタンの所有圏に入ります。
お母様がご自分の位置を離れながら、人々がお母様に従っていきました。
それは、お母様の位置を離れた選択に従うということです。
韓鶴子お母様だけをみて、従わなければと考えますが、お父様の前のお母様の位置、絶対対象、お父様を保護し、最後まで、お父様が願われた内容全てを守らなければならない、お父様の血統を敬い、自分を下げなければならない責任をされなかった悲惨な現実。
鶏小屋を離れれば、死にます。
サタンの所有圏の中に入ります。
五感全てサタンの所有になります。
なので、サタンが見たい内容をみるようになり、サタンが嗅ぎたい内容を嗅ぐようになり、サタンが食べたいものを食べるようになり、サタンが触りたいものを触るようになります。
幹部たちをみてください。皆、正当化しています。
サタンが見たい内容が何ですか?
“私たちは編集してない。何も変えていない、お父様のみ言葉の通りにしているだけだ。”
それは、サタンが見たい内容です。正当化。
“天一国憲法に原理講論が入らない、それは大丈夫、神様が願われることだ”
これはどういうことですか。これはサタンが願うことです。
“私はお父様から何も学んでいない。私は神のひとり娘である。メシアである。”このような内容がまさにサタンに行く道です。
この内容を見て、聞いて、従っていこうとするなら、サタンの目をもたなければなりません。サタンの耳をつけなけばなりません。サタンの鼻に変えなければなりません。
これは100%偽りですから。
お父様だけがお母様を教育されました。
お父様はお母様の全てを育てました。全てを教えになりました。
これを否定する教会がサタン教会になるのです。
精神病にかかった教会です。
鶏小屋を離れた愚か者です。
なので、神様の審判を受けるしかないのです。
私たちは神様の愛を見てきましたが、その愛がどれほど深刻で恐ろしいものか、皆さん今日悟らなければなりません。
皆さんは何のために生きていますか?
金や地位、人々が皆さんに敬礼するその位置を守るためですか?
それとも、皆さんのために死んで死んで、また死のうとされる神様の愛のための生きますか?
神様の愛のために生きるというのなら、神様のために死ななければなりません。
お父様が神聖冒涜されているとき、お父様を本当に愛する私たちが死ななければなりません。命を懸けて死ななければなりません。
そのような覚悟と心情と行動でもって前に進まなければなりません。
サタンを恐れる必要はありません。私たちが神様の愛が何かを知り、その恩恵、恩寵、恩赦が何かをしり、そして少しでもその愛を返したいと思う信仰があるのなら、私たちに恐ろしいものはありません。
聖書にこのような言葉がありますね。
“真なる完璧な愛は、全ての恐怖をとりのぞく”なぜ私たちに恐れがないでしょうか。
なぜなら、私たちは鶏小屋の中に、神様の保護圏、所有圏の中に、神様の農場の中で保護されながら生きているのですから。
恐れはないのです。神様の仕事をすることができるから。
私たちは神様の所有圏の中に、保護圏の中にいるのですから。
“神様の愛+満足=神様の喜び”神様は罪人と聖人を愛されます。
ここで、罪人と聖人の違いは、神様の愛がどれほど恐ろしいか知っているかということです。
神様の愛が私のために死んで死んで、また死のうとされる愛だったならば、私も神様のためにこの不足な命を捧げなければ。
十字架に逆さに掛けられ死ななければなりません。
“神様の愛+満足=神様の喜び”
“神様の愛+不満足=神様の悲しみ”
神様の愛は2つの状況に同様にあります。
罪人と聖人の前に平等にあります。
しかし、神様がとてつもない愛を与えたのに、罪人たちが神様に背き、自分の思い通りに生き、金と地位を着服する、このような内容、神様の愛を受けたにもかかわらず、このようなことをするとき、神様は満足されません。
そして、それは神様の悲しみを生みます。
なぜ?その人の自由選択のために。その人の責任です。
神様の心情に刀をさしてしまうこと、それは自分の責任です。
神様の愛+神様に喜びと栄光を返そうとする者達、神様の前にかわいらしくみえる者達、そういう姿に神様は喜びを感じます。
皆さんも息子娘がいるでしょう?
先ほど言った、罪人と聖人のような息子娘たちがいるでしょう?
その違いがなんですか?
父母として子供たちみんな愛しているでしょう。
では、違いが何ですか?違いが。
その息子娘が自分に喜びを返すのか返さないのか。
愛は同じですが、その子が自分に愛、誇らしさ、かわいさを返すのか。
そして、その子を見ながら、その子がかわいいということができます。
その子はその父の愛を受けるようになります。
“お父様は私たち皆を愛しています。私たちはお父様の血統を受けました。
なので私たちはお父様の神聖を冒涜し、削除することができます”という者達には、神様が満足されません。神様の心情に刀を何度も突き刺す者達です。
サタンの目で、自分のしていることを正当化しています。
末世の最後の瞬間に、全ての中傷や迫害を受けながらも、お父様のために立ちがる人たちが、お父様に喜びを返しているということを知ってください。
私たちはお父様に喜びを返しています。
なぜなら、私たちは全ての迫害を受けているにもかかわらず、お父様を放さずに、お父様がメシアであることを確実に信じる者たちであるからです。
全世界の教会が地獄にいったとしても、お父様を放さず保護する武士なのです。
お父様はそのような人たちを見るときに、愛するだけでなく、満足され、誇らしく思われます。
全ての中傷を受けながらも自分のために、自分が与えた内容を守るために前進してくれる息子娘たち、ありがとう、と。
そのような者たちが天国でお父様と一緒に座り、共に晩餐することができるのです。
お母様は全ての栄光を受け、常に王宮に住み、高級な食べ物や高級な宝石と服をもらいましたが、自分の血統を敬い、原罪がないといいながら、お父様を下げ、自分がメシアだというお母様は、もうお父様の晩餐の席に共に座ることができません。
自分のお母さんをこのように言うのが、簡単だと思いますか?しかし、現実は現実です。多くの人が霊界のそのような姿を見ました。
自由選択によって、お母様は自分で自分を追い出してしまいました。
基元節に壇上にたたれ、
“お父様だけを称えてください、食口の皆さん。
我々はお父様を信じます。
お父様は全てを解決され、聖霊役事で世界を生かすことでしょう。
我々皆がお父様、お父様と叫びながら前進するならば、天の役事を目の当たりにすることでしょう。”
このようにされたなら、どんなにすばらしかったでしょう。どんなに素敵だったでしょう。いつも、息子たちは幼いと、その幼い息子たちの言葉に耳を傾けてくださっていたら、どんなにすばらしかったでしょう。永遠の栄光を受けることができたのです。
世界が跪き、あの女史はすばらしいと称えたことでしょう。
しかし、天使長の言葉に耳を傾けてしまいました。
ご自分の恨みの心情の声、そして、周りにいるサタンたちの言葉にだけ耳を傾け、これからは私の時代だ、私の栄光だ、私はお父様から何も学んでいない、神のひとり娘、ですって?!そんな馬鹿な。
私が息子としてそれを自分の目でみることが、どれだけ息のつまる思いかわかりません、皆さん。胸が張り裂けるような思いでそれを見ていたと思いませんか、私は息子なのですよ!
このように、神様の保護圏、所有圏で多くの愛を受けたにもかかわらず、物質のために口を閉ざす者たち。捕食動物たちに食べられてしまうしかない者たちです。
4月21日に、お父様の成和3周年記念の年に、私が沈黙を破り命を懸けて、迫害と中傷の中、お父様の祝福式をもう一度地上に蘇らせました。
その時、天がどのような役事をされましたか?歴史上初めて、4つの虹が聖殿の上に架かりました。
この写真に写っています。1,2,3,4。
お父様の愛だけでなく、お父様の“満足”を感じられる虹です。
“お前は多くのシックたちから中傷や迫害を受けても、命を懸けて私を守ってくれた。
ありがとう、息子よ。
人々があざ笑っても、何の基台がなくても、お前はお父さんを喜ばせてくれた。
人気を追求するのではなく、私を追求してくれた。”と。
その日、私はお父様に本当に感謝しました。
そしてその後、公的な場で堂々と6マリアと3日行事について話しました。
その時、お父様の心情が解放されるのを感じました。お父様、ありがとうございます。
お父様、解放してさしあげます!!お父様の心情だけが重要です。
その後、どうなりましたか?天使長たちのサタン教会になってしまい、今や“韓グループ”と呼ばれています。
一体どうなってしまったのですか。
今や、食口たちから“韓グループ”と呼ばれるこの状況。全ての栄光が準備されていたのに、自分の栄光を追求するため、その全ての栄光を捨ててしまいました。
どれほど悲しいことでしょう。
息子として、どれほど恨めしいでしょうか。
全て準備されていたのに、今や歴史の前に全て捨ててしまいました。
自分の栄光のために。歴史上全ての王たちが同じように犯した失敗。
泰始王やローマ王など、おろかな王たちのように、自分の栄光を追求したら滅びるのです!
しかし、選択は選択です。全てに自由選択があります。責任を取るしかないのです。
そのような状況で、彼らはお父様の修正された偽の祝福をしようとしました。
ネパールで祝福を行おうとしましたが、地震が起きて祝福を取り消すことになりました。お父様の祝福を行うところには4つの虹が現れ、天使長の偽の祝福をしようとするところには地震がおきました。
本当に愚かな臆病者が多いです。
真実が自分の目の前にあっても、手で天を覆い隠そうとする愚かさ。
“お父様を救った、お父様は6マリアの問題があって、などなど、、、私がお父様を救った”お母様はこのようにお考えですが、それは100%間違いです。100%間違いだというのです。
お父様が3日行事を通じて、お母様の心情を解放され生かされたということを知りません。
3日行事を通じて、聖巾を通して、全ての天使長がお父様の衣をまとうことができ、お父様は新婦たちと血統をつなぐことのできる天の役事をくださったにもかかわらず、それを知らずに、“私がお父様を救った、お父様の肉身の弱点を私が救った”そんな馬鹿な!これがどうして見本になりますか?!
天一国の歴史において、これがどうして信仰の見本になりますか?!
お母様の肉身と心を救うために、お母様の肉身の弱点を救うためにくださった役事だったというのに、3日行事が。
お母様の恨みを解放してさしあげるための愛だったというのに。
メシアとして、全ての新婦たちに神様の血統を直接与えるのではなく、3日行事を通して下さったので、お母様の心情、人間的な弱さを保護され、救おうとされた愛の役事だったというのにです。
逆に、逆に、サタンと天使長は常に逆に、逆にするのです!
お母様がそのようなサタンと天使長の声、お母様をコントロールしようとする悪魔たちの声に耳を傾けず、“いいえ、お父様は私のためにそうされたのです。”
お父様が10時間、15時間、食口たちのためにみ言葉をされている時、
“2時間だけされるといわれたのに、15時間されている。アイゴ、またですか。”
そうではなく、
“食口たちをそのように愛されていらっしゃる。私も食口だった。私も一食口だった。シックたちを愛されるとき、私も同じように愛していると語られているのだ。私も一般食口だったのだから。”
このような絶対的な心があったなら、恨みが大きくなり続けることはなかったでしょう。
“また、約束を破った、また、食事が冷めてしまった、また、また、、、、”
横にいる人たちは
“お母様、かわいそうだ、大変ですね、苦労が多いですね”
恨みだけを育て、常に恨みが大きくなり続けるようにしました。
なので、このような状態になったのです。
お母様も一般の堕落の血統をもった食口だったのです。
お父様が食口たちを愛されるとき、それを見ながら、
“ああ、私をそれほど愛していらっしゃるのだな”と、横にいる人々が言っていたなら。
そのような謙遜さがあったなら。
サタンが恨みの種を植えようとするときに、その恨みを殺すことのできる力が生まれます。簡単ではないです。
誰が真のお母様の立場が簡単だと言いましたか?!
最後の瞬間、末世では誰が本物で誰が偽者か明らかになります。
誰がお父様のために何の利益無く生きているのか、誰が利益のために生きているのか、全て明らかになります。
このような状況で、聖殿に集まった全ての食口たち、皆さんは本物の食口です。
皆さんはお父様を保護する方たちです。
皆さんは人気や評判を省みず、お父様のために命を懸ける使徒たちです。
皆さんはお父様と共に晩餐の場に行きます。
カインとアベルと共に。皆さんは本物の新婦たちです。
そして、本物の神様の息子娘です。
私たちはお父様の愛がどれほど美しく、そして恐ろしいかを知り、お父様に私たちの命と愛をささげることのできる勇士となられますよう願ってやみません。
アージュ!皆さんは本物です。
ヨナ様 証
私がお父様を近くで侍りながら暮らしていた、その当時を思い出すと、もちろんその前からでもありますが、私は真のお父様が、正直にいいますと、怖かったです。
本当に、恐ろしかったんです。
なぜなら、お父様の無限な愛も感じましたが、同時にお父様が“不満足”を感じられたとき、もちろんお父様は常に私たちを愛してくださいますが、私たちが罪や堕落性を見せたとき、お父様が火の如くお怒りになられ、悲しみを表現なさるお父様の姿もまた見たので、もしも自分がお父様の前に適していなければ、お父様が私に激しくお怒りになられたらどうしようと思い、お父様が恐ろしくもありました。
一世の皆さんは、お父様がどれほど霊的なパワーが強い方かよく知っていると思います。
なので、私よりも私をよく知っておられ、私の配偶者を霊界まで全て見られた上でマッチングしてくださるだろうと信じ、お父様に全てを任せられたのではないでしょうか。
ある黒人のシックの方が証をされたのですが、夢で深い深海にお父様がいらっしゃるのを見たそうです。孤独に一人いらっしゃったということでした。
その方はこの夢はなんだろうと悩み、お父様の訓読会に行くことになったそうです。
そこで、お父様はずっと訓読のみ言葉を聞かれていましたが、急に目を開けられ、その方を見つめ、こう言われたそうです。“私がその深海にいた理由は、地球の地軸と私が相撲をとっていたんだよ!”と。
その方は本当に顎が外れるくらい驚いたそうです。
なぜなら、お父様にその質問をしてもいないのに、その質問の答えを自分の目をまっすぐに見つめながら、ぴたりとされたというのです。
その方はお父様は本当にメシアであり、お父様の霊的なパワーは信じられないものであり、自分の考えることのできる限界を超えるものなのだということを知ったというものでした。
また、あるシックの方は自分が万物復帰をしながら、拘置所に連れて行かれることがあったのですが、この拘置所、あの拘置所とまわりながら、5回手錠を掛けられることがあったそうです。
そのような辛苦を舐め尽し、お父様のマンハッタンセンターの集会にいったのですが、お父様はその時、このような話をされたそうです。
“統一教員たちがどれほど粘り強いか知っているのか、私がメシアであることを知っているので、手錠を5回掛けても逃げずに、私にぴったりくっついて離れないんだ”と。
そういわれたそうです。
その時、その方はお父様は本当に私のことを知っていらっしゃるんだな、自分が来てすぐにその話をされたのを見て、本当に驚いたそうです。
これは、お父様の霊的なパワーの一部分です。
私たちはその一部分だけを知っているのです。
聖書にはこのような話があります。
“神様を敬い恐れること、それが全ての知恵の第一歩である”私たちがお父様を敬い恐れること、それが知恵の第一歩であると本当に思います。
多くの方たちがヒョンジン様がここに来て、牧会をされているので、、、
私は数日前にある韓国の方と話をしたのですが、そのシックの方がこのような話をされました。
“じっとそこに居られたら、すべて亨進様のものになるのに、、、。
敢えて、そうする必要があったのか、少しだけ我慢されたらよかったのに、、、。
”亨進様が韓国の指導者たちと話をされた時、今お母様と先頭にたって働く、多くの指導者たちは亨進様に本当にこのように話をしました。
“焦らないでください。お母様が亡くなられた後、またお父様のものに変えても、食口たちは誰も何もいいません”このように話しました。
しかし、それは果たして可能な話なのか、2年半が過ぎた今、見てみてください。
全教会の組織が動員され、神のひとり娘の講義をしている、今この状況をみてください。
水道の蛇口を開け閉めするように、ジョン(韓国料理)をひっくり返すように、私たちがお父様を一度神聖冒頭をした後、お父様の神聖冒涜が実は間違いだったと簡単にひっくり返すことはできないのです。宗教というものは。
なので、亨進様は誰よりもお父様を敬い恐れるために、お父様が誰なのか知っているために、本当に霊界に立ったとき、“お父様、私がお父様を本当に敬い恐れ、お父様を本当に愛し、この難しい時にも私はお父様に最後まで侍り、感謝しこの道を歩みます”ということのできる息子娘を、今お父様は探しておられます。
神様の祝福が共にあるとき、神様に喜びを返すことは簡単です。神様を敬い恐れ、神様の愛を感じ、神様がこのように祝福をくださるのだな、私は神様に従順屈服します、それは簡単です。
しかし、本当に苦難が訪れるとき、私の肉身が願うことが反するとき、こうじゃないのに、これは違うんじゃないかという神様の声が聞こえるとき、自分の評判をすて、地位をすて、コミュニティーを捨て、家族が反対する立場でもここに立つということは、それは神様を敬い恐れる人だけが、神様を本当に敬い恐れる人だけが、また、神様が、お父様が“お前は私を本当に愛しているのか?”と尋ねられたとき、“お父様、私は十字架に逆さに掛けられたとしても、お父様を愛しています。”と答えることのできる息子娘を、お父様は今探しておられます。
私たちが一番苦しいとき、信仰の底にいる時にも、お父様に感謝をささげ、“お父様、あなたが神様の悲しみを慰めてさしあげたように、私はあなたの悲しみを今日慰めてさしあげます。
そして、あなたの十字架を私が負い、また、あなたを宣布することがどんなに難しくてもこの道を歩みます”という私たちにならなくてはなりません。
ありがとうございます。
亨進様
アボジ!すばらしいみ言葉でした。これが真なる女性です。
ヨナ様
天聖経307ページです。(真の愛 第一章 “真の愛とは”の冒頭部分です)一緒に読んで終わろうと思います。
亨進様
お父様の愛のために死ぬことのできる私たちになることを、祈願します、祝福します、宣布します。アージュ!
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