キングスリポート5月11,12(2日分)
2020年5月12日(火)キングスリポート
偽預言者を恐れるな
Don't Fear False Prophets (The King's Report 05/12/20)
キングスレポートへようこそ。
今日の天一宮の天気は曇りになりそうです。
今夜は氷点下に気温が下がるそうですね。
でも、今日以後は気温がかなり上がり、本格的に暖かくなる予定です。
コロナウイルスの状況は、約286,000人が全世界で感染死亡しているという統計です。
しかし、アメリカの情報局は中国の実際のコロナによる感染死亡確定者を集計すると、約400,000人を超えるだろうとも言われています。
この数字の集計はもうこれ以上信頼できませんね。 アメリカではまだ経済ロックダウンをしているのですが、アメリカのあちこちで、これ以上ロックダウン、自己隔離しないとデモを始めました。
フロリダ州では、ジム(運動センター)を開かなかったため、それをデモするために、人々が裁判所の前で運動をしながらデモをしているという"笑い話"も起こっています。
では、リマに行きましょうか? 今日の聖句リマはテサロニケ第一、5章です。
1兄弟たちよ。その時期と場合とについては、書きおくる必要はない。 2 あなたがた自身がよく知っているとおり、主の日は盗人が夜くるように来る。 3 人々が平和だ無事だと言っているその矢先に、ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むように、突如として滅びが彼らをおそって来る。そして、それからのがれることは決してできない。
4 しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。
14 兄弟たちよ。あなたがたにお勧めする。怠惰な者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。
16 いつも喜んでいなさい。
17 絶えず祈りなさい。
18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。
ローマ時代には帝国を運営しながら、いつも使っていたスローガンは"平和と安全"だったそうです。
ところが、キリスト教徒は再臨主がいらっしゃると患難に見舞われ混乱をきたすだろう、と聖書はローマ時代が当時追求していたことと反対のことを言いました。
*プロテスタントキリスト教終末論:テサロニケ第一4:16すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、 4:17それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。
しかし、そのような神学はキリスト教でも非難されます。 なぜなら、聖書にそのようには書いてない上、キリスト教徒が政治的なものに全く関心を持たないようにさせているのです。
どうせ世の中が患難に見舞われても、自分たちはすべて天に舞い上げられるはずなので、政治的な関心を持つなという論理です。
パウロは、イエス様が自分の生涯のうちに再び復活するだろう、患難の時代がまた来て、イエス様が戻ってくるだろうと強く信じました。
そして'申命記'第18章22節では、
”22 もし預言者があって、主の名によって語っても、その言葉が成就せず、またその事が起らない時は、それは主が語られた言葉ではなく、その預言者がほしいままに語ったのである。その預言者を恐れるに及ばない。 ”
となっています。
そしてこの一節を利用して、多くの他の教団を異端だと規定したりします。 例えば、その論理によると、真のお父様が原理講論では第3次世界大戦が起こるかもしれないと言われましたが、実現しなかったので、彼はにせ物だ、とこの一節を利用して論理の結論を作るでしょう。
しかし、この一節を使ってそのような論理を作ろうとすれば、実はパウロも偽の使徒であり預言者になるのです。
なぜならば、パウロの書信では、イエス様が自分の生涯のうちでいらっしゃると信じて予言をしたからです。
また、真のお父様がお生まれになる頃に第1次世界大戦が起り、ロスチャイルドによって世界銀行が至るところに作られ、特にアメリカに連邦銀行が作られ、少しづつ亡びることになったのです。
パウロが言ったように、キリストに従う人生は、常に完全に神聖であり、傷のないように保全されるように努力しなければなりません。 それは私たちがどんな困難や大変なことに出会っても、出会わなかったにしても、 そのように生きていくべきでしょう。
しかし多くの人々が現世を末世だと言っています。 特にコロナウイルスで全世界が打たれながらそんな事を言っています。
そして、'ヨハネの黙示録'に出てくる、主が戻ってくる前に3年半の患難を言ったりします。 ダニエル書で予言やヨハネの黙示録の中に3年という期間が書いてあるようにです。
しかし、我々が原理講論で勉強して知っているように、3年という数字は30年も300年にもなるかもしれません。 また、新約の半分を書いたパウロも、彼が言ったように"主が速く来られる"というタイムラインを2000年も言い間違えました。
それでは彼が嘘の預言者として言ったのですか? 彼の予言が間違っているから、私たちは彼の手紙を捨てなければならないということですか?
違います。それは使徒パウロが言った彼の予言のタイムラインは、まさに数字をただ単に言っているのではなく時間の区間として予言しているのです。
これはウィリアム·レインクレッグ(キリスト教で最も有名なキリスト教弁証論者)が宇宙の生成歴史を語る時、聖書の6000年の歴史で語らずに、'神様が7段階'という時間を通じて作ったはずだ"と説明することとその脈絡が一致するといえます。
したがって、真のお父様が再臨の主として予言されたものが、それが成し遂げられなかったということは、予言タイムラインが私たちの考えるタイムラインではないということを改めて想起しなければなりません。
改めて申し上げますと、それはまるでパウロが思っていたイエスのいらっしゃる時間が2000年も持ち越されたようにです。
あるキリスト教信者が、真のお父様の再臨主性を否定し、申命記18章の聖句を私たちに投げかけることもできます。 しかし、私たちはそれを恐れてはいけません。
我々は'真のお父様'が'再臨主'というアイデンティティをみ言によって守護できなければなりません。
もちろん、それが短時間でできるわけではないのです、時間がかかるのです。
私もほとんど7年の荒野期間の間、私は患難の時間を多く語り、準備をしなければならないと人々に悟らせました。 しかし7年が経って何も起こらず人々はレストランに行ってデパートに行ってハハハホホと笑いながら過ごすことができました。
私も人間なので、そのような状況で私が間違った啓示を受けたのか、心が痛みました。
しかし、私が膝を怪我をし、すぐ中共肺炎がやってきて、世界的な患難、経済難に見舞われました。
多くの人々は私たちが狂ったように、何でもないことでパニックに落ちて準備する無知な田舎者だとからかいました。
しかし、中共肺炎が押し寄せて、そんな言葉は全部消えました。
我々が再び今日、リマの内容に戻り、皆さんが伝道しようとするとき、誰かがこの申命記の18章の内容を投げかけながら、"あなたが信じるメシアは再臨主ではない"と話しても心配しないでください。
キリスト教の弁証論者の中でも、お互いに意見が分かれているのは事実です。
私たちは新しい名前(文、鮮、明、私たちの再臨主)でいらっしゃる主もまた、聖書の言語(栄冠の賜物)を知っている、どんな長老も聞いたことがない新しい歌が鳴り響き、太陽と月で処女を包んで、東から来られて鉄杖で万国を治める後継者を生む、その方は誰ですか?
黙14:3彼らは、御座の前、四つの生き物と長老たちとの前で、新しい歌を歌った。この歌は、地からあがなわれた十四万四千人のほかは、だれも学ぶことができなかった。
黙12:1また、大いなるしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた。
12:5女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。この子は、神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた。
ヨハネの黙示録の予言を実現させるその方は、すなわち再臨主、真のお父様です。
私たちはそれを忘れずに記憶しなければなりません。 今日も祝福される一日になられることをお祈りします。 アーメンアージュ
(休み時間)
(今日は 都合上 ここまで 翻訳を します。 またお目にかかりましょう。王妃様)
2020年5月11日(月)キングスリポート
神のためにお互いを守る。
Protect One Another for God (The King's Report 05/11/20)
キングスレポートへようこそ。 皆さんのホスト、天一国2代王の文亨進です。 天気予報を見ることにします。
現在、華氏41度(摂氏5度)で雲が立ち込めている天気です。 気温が零下に下がるという警告があります。 明日の朝は柔らかい新芽の植物を保護する必要があります。最高気温は華氏58度(摂氏14度)で雨が降るでしょう。 夕方には華氏30度(摂氏―1度)になります。 冬の天気は2日ほど続くでしょう。 しかし、華氏70度(摂氏21度)にすぐなることでしょう。
コロナウイルスの状況を見ます。 ジョン·ホプキンスの地図を見ると、世界的に410万、米国では130万人が米国で感染し、アメリカでは8万人が死亡したそうです。
そして、トム・ウルフ知事は間もなくペンシルベニアの北西と北中央と南西の閉鎖を解除し、再開すると言いました。 特にフィラデルフィアの郊外は、州知事が何を言おうとも、自分たちはすべて再開するそうです。
私たちがいる北東のペンシルベニアは善良な男の子たちと女の子たちなので自治州では何のニュースもありません。 どうやら州知事に従っているようです。
狂った内容です。 凍った冬は家に帰りたくないようです。 どんな植物も育てるのが本当に難しいです。
今日の生命水であるリマを見てみましょう。 雅歌2章を見てみましょう。 植物について語っています。
(雅歌2章1~17節朗読)
2:1わたしはシャロンのばら、谷のゆりです。
2:2おとめたちのうちにわが愛する者のあるのは、
いばらの中にゆりの花があるようだ。
2:3わが愛する者の若人たちの中にあるのは、
林の木の中にりんごの木があるようです。
わたしは大きな喜びをもって、彼の陰にすわった。
彼の与える実はわたしの口に甘かった。
2:4彼はわたしを酒宴の家に連れて行った。
わたしの上にひるがえる彼の旗は愛であった。
2:5干ぶどうをもって、わたしに力をつけ、
りんごをもって、わたしに元気をつけてください。
わたしは愛のために病みわずらっているのです。
2:6どうか、彼の左の手がわたしの頭の下にあり、
右の手がわたしを抱いてくれるように。
2:7エルサレムの娘たちよ、
わたしは、かもしかと野の雌じかをさして、
あなたがたに誓い、お願いする、
愛のおのずから起るときまでは、
ことさらに呼び起すことも、
さますこともしないように。
2:8わが愛する者の声が聞える。
見よ、彼は山をとび、丘をおどり越えて来る。
2:9わが愛する者はかもしかのごとく、
若い雄じかのようです。
見よ、彼はわたしたちの壁のうしろに立ち、
窓からのぞき、格子からうかがっている。
2:10わが愛する者はわたしに語って言う、
「わが愛する者よ、わが麗しき者よ、
立って、出てきなさい。
2:11見よ、冬は過ぎ、
雨もやんで、すでに去り、
2:12もろもろの花は地にあらわれ、
鳥のさえずる時がきた。
山ばとの声がわれわれの地に聞える。
2:13いちじくの木はその実を結び、
ぶどうの木は花咲いて、かんばしいにおいを放つ。
わが愛する者よ、わが麗しき者よ、
立って、出てきなさい。
2:14岩の裂け目、がけの隠れ場におるわがはとよ、
あなたの顔を見せなさい。
あなたの声を聞かせなさい。
あなたの声は愛らしく、あなたの顔は美しい。
2:15われわれのためにきつねを捕えよ、
ぶどう園を荒す小ぎつねを捕えよ、
われわれのぶどう園は花盛りだから」と。
2:16わが愛する者はわたしのもの、わたしは彼のもの。
彼はゆりの花の中で、その群れを養っている。
2:17わが愛する者よ、
日の涼しくなるまで、
影の消えるまで、身をかえして出ていって、
険しい山々の上で、かもしかのように、
若い雄じかのようになってください。
(私の庭で)今年はあまり大きくならない植物や果物について話しています。
聖書ではsharonのバラ( 無窮花、ムクゲの花)とユリについて話しています。 sharondのバラの画像を見てみましょう。興味深い ことに、真のお父様も天一国の花をバラと白ユリに決められました。
どんな様相をしていますか? sharonのバラが無窮花ですね。 ムクゲは韓国の国花です。 乙女は自分をムクゲと谷間のユリに比較しています。 彼女はただ、たくさんある野花で表現しています。 ソロモンは、他の女性たちの中にいるその娘を、棘の中の花として表現しています。
その娘は答えとしてソロモンを他の木々の間で目立つ耕作されたリンゴの木で表現して褒めます。 りんごの木は中東で値段の高い果樹でした。 美しく水分が多くて甘い果物でした。
雅歌はソロモンと娘のロマンチックな愛を表現する、とても興味深い本です。 神様の愛と人類を象徴する… ソロモンが娘を求めるように、神様は私たちを求めます。 とても興味深いです。 なぜなら、伝統的にキリストの新婦は教会を意味します。 しかし、真のお父様は、そこには問題があるとはっきり言われました。
教会には男性と女性がいます。 それで女性はキリストの新婦として新郎の愛を感じ、そして彼女たちに向けられた神様の愛を新郎の愛、またはロマンチックな愛として反映することができます。 ここで私たちは性的な欲求の要素を見ます。 それはロマンチックな愛をより強くし、溢れるほどロマンチックな愛を感じさせます。
しかし、問題は男です。 男性がキリストを新郎として見るのが問題です。 それは同性愛を表すからです。 キリストが私たちにロマンチックな欲求と愛を消耗すると、これは同性愛になります。
どうしてこれがそんなに危ないのか?カトリック教信仰とプロテスタント信仰の伝統的な見解は、教会はキリストの新婦で、神様はロマンティックなカサノバダだというのです。
そのため、このような内容を多く目撃します。 それは一つの要素です。 クリスチャンの核心的な身分です。
新郎が新婦を求め、そして男性も新婦なら、神様は男性である私たちをロマンチックに求め、これは同性愛を作っているということになります。 それでカトリック内で多くの同性愛が起こります。 そしてプロテスタントの牧師の間でも起こるそうです。
特に都会でです 。
新郎はキリストの身分の中で一番核心的な部分です。 一人の人間が自分がイエス·キリストとロマンチックな関係を想像するとしたら、これがどれほどおかしなものかご存知ですか? これがはっきりしないので、同性愛に溺れる人が多いのです。
彼らは自分たちがイエス様の新婦だという教えを受けてきたからです。
そして雅歌では、ロマンチックな恋人が自分の愛する者を炎のような欲求で追い求めるのです。
これがどのように深刻な問題になるのか見えますよね?
真のお父様は3日行事を通じて明確にしてくださいました。 女性がキリストの新婦の立場に立つのです。 これは神様の本来の目的でした。
エバがキリストの新婦になることでした。
神様の息子のアダム 、そして男性はキリストの新婦ではありません。 なぜなら、それは女性の役割だからです。 しかし、男性は神様の息子の立場に立たなければなりません。
彼らが天使長の位置から救われた時、 堕落した人間の立場から。
これは聖書的にも一貫している内容です。
なぜならイエス様は「あなたは私の兄弟だ。」と言われたからです。
男性として、イエス様を兄として、同時に神様の息子としてつなげることができます。
もしキリストの新婦として引き続き自分に反映すれば、間違いなく問題になります。
神様がロマンチックに性的に自分を求めると思うからです。
もちろん雅歌はソロモンが神様の立場で自分が愛する者として隠喩しており、彼は彼女をロマンチックと性的に求めます。 女性はロマンチックに求められることが好きです。
男性はこれをキリストの新婦に向けた神様の愛だということを知るべきです。
キリスト教の歴史上この内容を明確にした人はいませんでした。
真のお父様はこの真実を明かされました。
これがなければ、ものすごく混沌としたはずです。
キリスト教徒は男性が男性を求め、ロマンチックな欲求がその間に芽生えれば危険だということを知っています。
しかし雅歌で神様が皆さんをロマンチックに求めるという内容に出くわします。 もしあなたが自分が新婦だと思えばですね。
そして、ただ単に強く求めているとは言い切れません。 これは性的な追求です。 聖句を直接お読みになれば、イチジクの木やリンゴは、性的欲求に関係したことです。 花とこのすべては性的な教材です。 彼は彼女を性的に求めています。 新郎が新婦をそのように求めることは正常で神的な内容です。
しかし新郎が男性を追うのは良くないです。 とても悪いです。 男性が「私は新婦だな」というアイデンティティに陥るので、私は神様の息子でありキリストの勇士だ、ではなくなるのです。 教会はこの内容に焦点を置きたがりません。 彼らはキリストの勇士です。
雅歌22章が思いだされます。
イエス様がマントを売って刀を購入しろと言います。
マントは当時、非常に必須の避難所でした。 私がテントを張るのと同じようにです。
私は既にbug-out bag(生存に必要な物品が入っているカバン)の哲学を発達させています。 何年間このことについて教えました。 bug-out bagを聖書的にアクセスする方法があります。 ブッシュクラフティングの伝統の避難所は、皆様に最も重要なポイントとして紹介されています。
しかし、雅歌22章を読んでみると、イエス様はそう言っていません。 マントを売るようにと言っています。マントは避難所です。 そして刀を買えとおっしゃいます。 キリスト教徒にとって、自己防衛の能力は必須です。 なぜなら、世の中で嫌われ、獲物として攻撃されているからです。 それで、キリスト教徒のbug-out bagは刀から始めなければなりません。 興味深くありませんか? 防御の要素から始めています。
その次に5Cが追加されなければなりません。 それが皆さんの応急セットを準備する聖書的かつ哲学的な方法です。 ただ単に水と食べ物と避難所と火を作る要素と切る道具とロープとコンテナと覆いのカバーだけでなくです。 防御要素から始めなければなりません。 そしてキリスト、牧者に似ていくために自分の責任を果たしていくことです。
雅歌では神様を牧者として隠喩しています。 自分の愛する者を求める牧者、 愛する花嫁を求める。 これをマタイの福音書でも見ることができます。 10人の娘の聖句のところで す。みんな女性です。 あなたは性別は関係ないと言うかもしれません。 しかし、性別の混乱は非常に深刻な内容です。 そして現代のトランスジェンダーを支持する内容に繋がるのです。
とても深刻な内容です。 神様が男性と女性を造られたのには理由があります。 必須的な理由です。 確率で成されたのではなく、不具合によるものではありません。 女性がキリストの前に新婦として現れること、そしてキリストの前に出る男性は、彼の息子または息子の位置に立ち、きちんとアイデンティティを表すことです。
これを理解することは私たちの位置を明確に理解するのに役立ちます。 そして、キリストとの関係をその枠組みの中で結んでいかなければなりません。 聖書では友人または兄として示しましたが、正確には父親と一つになったので、息子になります。 それが私たちが作っていくべきキリストとの愛です。 私たちはキリストを愛しますが、父として愛さなければなりません。
そしてキリストは私たちを息子として愛しています。 これが健全な関係です。 ロマンチックでエロチックな愛ではありません。 純粋に父と息子の愛の関係です。 深く信頼し、 父親を心から喜ばせてあげたい心、これが男性にとって正常な関係です。 性的な内容だと考えれば、たくさんの問題に繋がります。
しかし、父親が息子を求めること。 失った息子を取り戻すこと。 父親がその息子を探すこと。 それが私たちが言うちゃんとした関係です。
真のお父様はこのことをとても明確にしてくださいました。
そしてキリストの体として非常に重要な内容です。
男性はキリストとの関係のおいて一点の性的欲求があってはなりません。
父と子の間柄です。 父と息子がお互いに愛する間柄です。 全く性的ではありません。
聖書ではキリストの新婦であることは核心的なアイデンティティです。 それは女性のためのものです。 それはキリストの前に出る女性のための特別な位置です。 キリストの娘だけではなく、新婦です。
神様はキリストの新婦をロマンチックにそして情熱的に追い求めます。 雅歌ではよく理解していました。 そういう意味で、エバに代わる世界にいる女性は神様の新婦になります。 二人がひとつになって、 結婚生活を神様を中心にして暮します。夫は神様が新婦にくださった息子です。 真のお父様に代わって愛してあげられる男性。 そのため、順序があります。 神様と男性、次に女性、次に子供たちです。
我慢して父に代わって愛してあげられる男。 そのため、順序があります。 神様と男、次の女たち
(通訳をここまでにします。ありがとうございます)
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