2018年11月24日土曜日

黒帯獲得所感・康お母様に祈りを・真のお父様を明かす世界メディア ■キングスリポート11月22日,23日(2日分)


亨進様の黒帯獲得所感・康お母様に祈りを・真のお父様を証す世界メディア

キングスリポート11月22日,23日(2日分)

今一番重要なことは康お母様への祈りです。(と二代王が言われたそうです。祈りの協助お願いします。)

VICE、11月24日現在56万視聴、9691のいいね! 良くないはその8分の1の高評価!

英韓訳:ヨナ王妃 韓日訳:yuko Morita 訳修正編集:ファンクラブ

Welcome to the King's Report!
キングスレポートへようこそ。

今日は秋収感謝祭の日です。 この放送をご覧になっている全ての方々が豊かな秋収感謝祭の日を送られることを願います。
寒い秋収感謝祭の日です。
1960年以来最も寒い秋収感謝祭の日であり体感温度も氷点下です。
寒い天気は本当にいいです。 私はこの寒い冬を愛しています。
最近、私が新しい季節について説教してきましたが、私の柔術の季節にも新しい季節を迎えました。


ジョジョ師範が今週火曜日に私を黒帯に昇段させました。
「(実力は)まだのようだけど本当にそうするのですか?」と私が黒帯を断ろうとする姿が見られます。

黒帯を取る時間がほぼ25年かかりました。
14才に柔術をはじめ、ブラジル摂理があるときにブラジルで訓練し青いベルトをゲットしました。
榮進(ヨンジン)様が亡くなってから(ほとんど1999年)私の人生が完全に覆されたので、このような訓練が何の意味があるのか、また人生が何の役に立つのかなどという多くの悩みの時間を経験しました。
ヨンジン兄さんの本の中で東洋思想の本を読みながら、ハーバードへ行くことになりました。
そのようにほとんど10年間訓練しなかったし、2008年から真のお父様に仕える警護チームを結成し、訓練をやり直しました。
2012年真のお父様の聖和まで続けて訓練し、その時、紫色のベルトになりました。
真のお父様が聖和をなさって会ったジョジョ師範との関係が今でも続いています。
2013年にジョジョ師範と知り合ってから5年くらいになりました。
そうやって一緒に訓練をしながらジョジョ師範が私を黒帯に昇段させたのです。
私まだその事実を信じることができません。
昨日のキングスレポートでもティム本部長が話されたようですが、多くの武術の中でも黒帯を持つことが最も難しい武術が柔術です。
違うベルトで昇段された時はこのようなに感じなかったのですが、今も本当に信じられないほどです。
昨日はスペイン国営放送が私たちの訓練を撮影しに来ました。
今彼らが撮影をしているのです。
1時間、総合格闘技訓練をしてからこのようにフィリピンの棒戦訓練をしています。
私が訓練をする若者に言う言葉は、私が柔術の黒ベルトだとしても私は絶対武器を使う相手に勝てないということを言います。
私は絶対に、私は手ぶらでどんな武器と向き合っても天下無敵だ。 こんな勘違いはしません。
ブラジルでもある犯罪に巻き込まれたブラジルの黒ベルトの師範が銃を3発撃たれて死を迎えました。
相手が銃を取り出して脅している状況下でもそれを解決しようとする黒帯の師範を見ますがいくら黒ベルトであっても武器に対抗しては戦えません。
だから武器の扱い方を必ず学ばなければならないといつも言います。
ジョジョ師範は大会のチャンピオンであり、無数の競技で勝った実力のある方です。
今日の聖書リマはマルコ福音11章15節からです。
イエスが聖殿をきれいにする場面です。
11:15それから、彼らはエルサレムにきた。イエスは宮に入り、宮の庭で売り買いしていた人々を追い出しはじめ、両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえし、11:16また器ものを持って宮の庭を通り抜けるのをお許しにならなかった。 11:17そして、彼らに教えて言われた、「『わたしの家は、すべての国民の祈の家ととなえらるべきである』と書いてあるではないか。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしてしまった」。
神様が最初に聖殿を構想して人々に下さった時には神様の家でした。
しかしイエス様時代が来て神様の家であった聖殿には商人や両替屋が沸き泥棒たちの巣窟に転落してしまいました。
そんな状態に転落した聖殿の中でイエス様はムチを作って人々を追い出すのです。
今ご覧の映画の一場面ではイエス様がカバンも持っておられますね。
当時の基準として見る時はイエス様の行動は、ムチを持って、武力を使って、聖殿の中で不法な行動を犯す人を追い出して聖殿を占領されたということです。
汚れた神殿を清潔にしようとされるイエスの姿です。
神様の家が汚されたことをそのままにしては置けないと言う意志をイエス様が見せてくれる事件です。
公義の怒りと力をイエス様が見せてくださるというのです。

ヘロド聖殿と呼ばれる聖殿がイエス様当時にあったのですが、これはアメリカンフットボール場の4倍になる規模だったそうです。
この聖殿ではユダヤ人の男性と知り合いのユダヤ人の男女が行く場所と異教徒が行く場所に分かれました。
イエスは多分、聖殿内のすべての場所を周りながら、イエス様はその聖殿を清潔にすることを決定されたのです。
イエスは神様の本体として地を歩かれながら自分の家を清潔にされるのです。
11:18祭司長、律法学者たちはこれを聞いて、どうかしてイエスを殺そうと計った。彼らは、群衆がみなその教に感動していたので、イエスを恐れていたからである。
ここを見ればイエスの聖殿清潔事件は、結局は大祭司長たちがイエス様を殺そうと策略し始めたのです。
昨日はスペイン国営放送と訓練戦でもインタビューしました。
2時間30分もの長いインタビューでした。
最後には私にインタビューした。方も銃器所有に対して同意する姿勢でした。
しかし結果物では、そのような肯定的な結果を期待するのは難しいと思います。
カトリックの実状や十字軍戦争が防衛的な戦争だったなどについてたくさん話しました。
「30,000人を1年に殺す銃器をどうやって支持できるか?」という質問に、私は「それはヒラリー左派がいつも使う統計であり、その中の16,000人は自殺であり、銃器もない日本や韓国の自殺率はアメリカよりもっと高い」と言いました。
「また残りは、銃器で死亡する人々の数も不法に銃器を持って、お互いを殺しあうチンピラたちの集団のけんかでの殺しであって、銃器合法所有者たちが作る犯罪殺人率は確率的に非常に低い」と説明しました。
これは左派が銃規制するために悪質的に広めた統計だと指摘してあげました。
多くの関心を持ってスペイン国営放送の取材陣がこのメッセージを聞くのを見ました。
もし北朝鮮の一般市民に銃所有の自由があったなら、今の北朝鮮の金氏一家の政権をひっくり返せる力があったはずです。
でも現実は全く違うではないですか。
一般市民がAR15を持つことは歩兵の基本です。
いくら最先端技術を持った米軍もタリバンとべトコンを倒せませんでした。約15年間戦ったのですが、結局ベトナムで米国は大きく自尊心が傷つき後退せざるを得ませんでした。
空軍が爆弾だけを投下すればいいということではありません。
アメリカの左派は右派たちが銃を政府に渡さないと言えば、ただ爆弾を投下して殺せばいい、 核爆弾を投与すればいい、そんなことを言うのですが、それで絶対アメリカ人の半分の銃器所有者をすべて殺すことはできないのです。
また軍隊や警察は、隣人や知り合いの銃器所有者を殺すために多くの道徳的煩悩があるだろうし、彼らの中にはそれを拒絶し、民兵に加入する人々もいるはずです。
米国の銃器所有者の数は米国全体の軍隊の数を7倍も上回っています。
オバマ政権の時は、軍隊と警察が一般市民のように見える銃器のターゲットを使いました。
これは一般市民を武力で鎮圧しなければならない時に、心理的に圧力をかけることを取り除くのです。

まるでイエス様を見て大祭司長や書記官が恐れているように、我々の聖殿教会を左派たちが恐れ震えるというのです。
ワシントンポストが来て私たちを取材してデンマーク国営放送が来て私たちを取材して、真のお父様の名前が再臨主だということがマスコミを通じて全世界に宣布されたのです。
昨日スペインでも真のお父様のお名前が再臨主として今回放送されることになりました。
スペインでも主権を愛する人々が必ずいるはずです。
この放送を見てムン・ソンミョン先生は本当にこのような神様の王国を話したのか、その方は本当にメシアだったのだと気づく人たちがいるでしょう。
物論、私たちを中傷して私たちを嫌悪集団と呼ぶ人もいるだろうが、彼らはすべての保守が 狩りを楽しみ、市民銃器所有をしているという事実だけでも私たちを嫌悪するというのです。
今回スペイン国営放送で放送されたら、うちの方でも録画した放送を流します。
今回バイスの放送があってから私どもがインドからもメールをもらいましたが、その方は私たちの放送を見てうちの教会員になりたいと言いました。
(バイスの放送をつけると、バイス放送側の著作権問題にかかり、私たちの放送がキャンセルされるようになります。 だからつけられないことをご了承ください。)
インタビューでの質問のうちで、銃乱射事件が続けて起こり多くの人が死んでいくのに、これにはどう思うのかという質問もありました。
それで、「フランスのニースでは自動車で200名の死傷者と負傷者が出ましたが、そうすれば我々は今後車を禁止しなければならないだろうか?本当に人を殺そうとする人がいたら、ネズミを殺す毒薬を食べ物に入れて殺すだろう」と言いました。
「私たちは道具のせいにし、その道具さえ無くせば私たちは殺害事件が存在しない国になると考えるのは妄想だ」と言いました。
ヒラリーが、何かの黒魔術で軍隊と警察の80%を自分の手に入れて、一般銃器所有の市民たちを殺せという命令を送ってきたとしても、アメリカの人口の半分の銃器所有者を全ての国の市民戦争へと拡大しないことにはそれを勝ち抜くことはできないのです。
アメリカの市民は本当に多くの技術を持っています。
一般市民の中でも鉄を扱って最先端技術で戦える多くの人々がいます。
そうです、左派たちは鉄の杖の王国を恐れています。
私は「もしもスペイン市民にも銃器所有が立てられたなら、スペイン政府が何かをする前に自分勝手にやるのではなく、常にスペイン国民と交渉をして、自分のポジションを譲ろうとするだろう」と言ったところ、そのインタビューをするスペインの方も私と同意しました。
英国の現実をご覧ください
イギリスはブレグジットを市民たちが投票しても、投票しよう、投票し続けるよう、私たちが(政府)望む結果が出るまで投票しようと言うのです。
それは本当の自由が市民にはないからです。
私は攻撃して戦おうと言っているのではありません。
私は、我々と我々の家庭、我々の王国を保護できる力を準備しようと言っているのです。
私は私の教会が絶対戦争をしようと督励するのではないことをはっきりさせました。
私は私たちが万一の事態に備えて準備しようという防御的な準備態勢だと言いました。
事実、いかなる市民も銃器所有者も政府より危険ではありません。
政府は20世紀に一番多く人を殺しました。
アメリカの建国の父たちは馬鹿だったので権利章典の第2条に市民銃器を入れたのではないというのです。

英韓訳:ヨナ王妃 韓日訳:yuko Morita 訳修正編集:ファンクラブ

キングスレポートへようこそ。
今日の天日宮の天気は氷点下の寒い天気です。
しかし、風が全く吹いてないので体感温度はそんなに低くありません。
週末になると天気はもう少し暖かくなると思います。
アメリカでは、感謝祭の次の日をブラックフライデーとして、多くの割引がある日です。
多くの方々がこの日にショッピングをします。

VICE映像がほぼ500,000人を超える人たちがこの映像を見ました。
初期には多くの否定的な書き込みがありましたが、今はたくさんの肯定的な書き込みが殺到しています。
シャーロットというアンカーが、ワイス映像のメインアンカーとして私たちの映像を撮ったのですが、彼女は実際、様々な思想とグループを他の'バイス'のアンカーより開かれた姿勢で私たちに対したことは事実です。
デンマークのチャンネルで私たちを取材したのもとても肯定的でした。
デンマークの国営放送で放送されました。
スペインの国営放送の件も、今回取材が終われば放送されるまでほぼ数ヵ月かかるでしょうが、また多くの反対をする人もいると思いますが、その放送でスペインでも銃所有の自由について目覚める人々が生じることを祈ります。
秋の収穫感謝祭は昨日チーム本部長が報道した。ように、市場経済の勝利を象徴する日です。
2年間の社会主義の実験は全移民者の半分を寒い冬と収穫量不足で飢え死にさせました。
国のあちらこちらで収穫量を保存し、フライ・マイト植民地領(?)で土地を政府が所有した2年の社会主義は去り、人々に土地私有化と国家中央区間がなくなるとより一層人々は一生懸命働いて、余剰生産物で収穫感謝節ができるようになりました。

昨日感謝祭の夕食は天一宮でとりましたが、真のお母様は、もう一ヶ月間一階に降りることができずお部屋におられるほど苦しんでおられました。
ですが昨日は1階に降りて来られ招待されたお客様と楽しい時間を過ごされました。
今日の聖書のリマを私が開けた部分は、旧約と新役がつながる部分です。
それで聖句がないですね
しかし、私が持っている聖書では、マラキ(旧約の一番最後の聖書)とマタイ福音の中間の説明部分が出てきました。
エスラとヌヘミヤと共にペルシアの植民地をしましたが、再びイスラエルの聖殿と城壁を復帰する作業を始めました。
ギリシャがペルシャを占領し、エジプトは続けてイスラエルを脅かす状況になり、イスラエルは不安な状況が続きました。
私が忘れる前に一つ申し上げたいことは、無神論者たちで聖書を信じる者は、ユニコン(想像の動物)を信じる狂った人だと言いますが、イスラエルの民が出エジプト(エジプト-アフリカ)をしたことを考えると、イスラエルの民はアフリカで暮らしました。
そして当時のユニコンという言葉はサイを指す言葉でした。
ですのので、もしも無神論者たちがそのようなうわごとを述べればそれを指摘してください。
それでは再び旧約と新約をつなぐ私の聖書の説明部分に戻ってみましょうか
非公式の逸話を見ると、アレキサンダー大王とユダヤ人との関係はそれほど悪くなかったように見えます。
アレキサンダー大王は、マケドニア(ペルシャ)の文化を広めるよりも、むしろヘレニズム(ギリシャ)の文化を世界的な征服過程に広めることになります。
唯一神を信じるイスラエル人には、異邦神と多神教を信じるヘレニズムの文化は、信仰の多くの混乱をもたらします。
ペルシャ(マケドニア)が二国(史実はマケドニアのアンティゴノス朝、エジプトのプトレマイオス朝、シリア「ギリシャ」のセレウコス朝の3つ)に分かれることによりヘレニズムの文化の性向はさらに強くなります。

エジプトを中心としたプトレマイオス朝(アレキサンダー大王のペルシャ(マケドニア)から分裂した。2(3)国のうちの一つ)領でに属することになったイスラエルは、ヘブライの旧約をヘブライ語に翻訳する(70人の聖書)など、継続してヘレニズム文化の影響を受けることになります。
アンティオコス4世(マケドニア分立国の一つ、ギリシアセレウコス朝の王。二代王は3世と言っておられるがアンティオコス3世はユダヤに寛容であった)は、エジプト王国のプトレマイオス朝を脅し戦争を起こしながらイスラエル(エジプトへ行く途中に置かれています。 )に続けてギリシャ文化で同化されることを強圧しました。
当時、ギリシャ人の名前をユダヤ人に使うことを強要し、ギリシャの建物がイスラエルに建設され始めました。
ある安息日の日に、アンティオコス4世王はイスラエルを奇襲攻撃し聖殿を占領してイスラエルの経典を燃やしました。
ユダヤ人の中にはギリシャ(シリア)王に降伏した人もいましたが、そうでないユダヤ人もいました。
そしてギリシアセレウコス朝の王に服従しないグループを中心として、マカバイ革命が起こりました。
イスラエルの南部地方で起こった異教徒的祭祀に反対して、ユダ・マカバイ将軍とその息子5人はゲリラ戦でギリシャ(シリア)王を打ちました。
ある安息の日に、ギリシャ(シリア)軍人の奇襲攻撃で(安息日には仕事をしない有のはユダヤの伝統)多くの死傷者が出ましたが、安息日に争うことはモーセ法を違法することではないという許諾が許容され、彼らはより一層強く戦うようになりました。
そうやって3年間シリア(ギリシャ)セレウコス朝の王に占領されて神聖冒涜されたイスラエルの聖殿はマカバイの革命で再びユダヤ人の手に入りました。
また、ハスモン王国が誕生しました。
また、このマカバイ革命の勝利で聖殿に入り、再びメノーラー (ユダヤ人たちの燭台)にろうそくの灯をともしたことがハヌカーの起源となりました。
ハスモン王国にシモン王が誕生し、イスラエル人に税金を軽くしてあげ良い統治を行いました。
しかしシモンと二人の息子マタティアとユダ娘婿プトレマイオスに暗殺され、ハスモン王国は再び不安な状況を迎えました。
そのように政治的に不安定なハスモン王国の状況を、エドムという国が自分に有利に使い、ハスモン王朝のユダヤ王国を攻撃し始めました。
ユダヤ人社会にこれ以上マカバイ革命時代の強い信仰は存在せず、ヘラの文化が再び流れるように降り始めました。
ユダヤ社会の中でもサドカイ派は(パリサイ人たちと一緒にイエス様が多くの非難を浴びたユダヤ人の派)は、ギリシャの異邦人を好む派として知られています。
政治的に軍事的な攻撃がユダヤ王国のハスモン王国で絶えない中、サロメ・アレクサンドラ王妃は7年間、2人の息子と王国を治めその中でもサドカイ派のユダヤ人とパリサイ人派のユダヤ人の分派がユダヤ王国でも絶えず起きました。
アレクサンドラ王妃が死ぬと、ハスモン・ユダヤ王国での二つのユダヤ派たちの分派はより一層激しくなりました。
ユダヤ王国がこのように混乱しているとき、世界情勢は再び変わり始めました。
ローマが全世界を征服し、ユダヤ王国もその征服対象になりました。
そのような中、外交戦が上手な技術を発揮したエドム王国のヘロデ王は、ローマの軍隊を得てイスラエル王国の地を掌握しました。
ヘロデ王には10人の夫人がいました。 彼はとても残酷な人で有名です。
その残酷性がどんなにひどいのかと言えば、彼の妻になるより豚になった方がましだと人々は言うほどでした。
ヘロデ王はユダヤ王国の聖殿を再建しました。 (ユダヤ人を治めるのに役立たせるために再建をします。 )
それゆえに、イエス様が歩かれていた聖殿は、建設されてからあまり経たない聖殿であるのです。
イエス様当時、パリサイ人はイエス様をたくさん攻撃しました。
ジョセパス・ユダヤ学者によるとパリサイ人はユダヤ人の信頼をユダヤ人の多くの派の中で一番よく代表するグループだったそうです。
しかし彼らはモーセ法を徹底的に守ったので、多くの儀式や法律に完全に閉じ込められていました。
イエス様は、パリサイ人たちが初めてモーセ法をユダヤ人たちにくださった神様の本当の動機を忘れ、(神様だけに仕え心から愛して生きろ)法に執着ばかりするようになりました。
しかし、サドカイ派との相次ぐ争いで、パリサイ人のそのようなモーセ法の執着はもっと深まりました。
70 AD 頃にローマ軍によってユダヤ共同体が完全に全滅し、大虐殺されたとき、パリサイ人も彼らの終わりを見ることになります。
ユダヤ共同体はエッセネ派(砂漠に住んで信仰生活をする)につながりましたが、このエッセネ派はクムランというところに住みました。
女性は子供を産まず養子をもらいました。
エッセネ派に関する情報はあまり多くありませんが、ヨゼフス、ユダヤ学者によると生活を清潔に生き、不正腐敗が隙間に入らない暮らしを強調した。と伝えられています。
エッセネ派は道徳的に優位のユダヤ派だったとはいえ、彼らは異教徒や職業に貴賎を置いて、人々と付き合うことを嫌がっていました。
自分たちに彼らの霊的不潔さが伝染するかもしれないと思ったからです。
しかしイエスはそうされませんでした。イエスは罪人といっしょに食事をして福音を伝播されました。
神様の愛を伝えられました。
今日のリマは少し難しい歴史勉強になったと思いますが、イエス様を理解するのに少しでも役に立つことを願います。
ー 時事キングスリポート省略 ー

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