選民よ、主を否定すれば審判が来る
◆2023年11月9日韓国順天天地人真の父母様三代王権歓迎救世促進大会
<2>
文亨進二代王
韓国「天地人真の父母様三代王権歓迎救世促進大会」
シオニズム詐欺聖句
「イスラエルを呪うものを私は呪う」
だからアメリカのキリスト教徒たちはイスラエルであれば「私たちはイスラエルを祝福しなければならない。イスラエルを祝福してこそ私たちも祝福を受けることができる。イスラエルを呪う者を私達は呪う」このように言う。
どうしてそのように言うのか、聖書には創世記12章に出てくると言う、ユダヤ人たちは。
一度見てみよう。テックチーム準備して。ここにテックチームのコンピューターがありますか?
聖書を見せることができますか?
創世記12章、1節から3節まで。
12:1時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。
ですからこれをアブラハムの契約と言いますね、キリスト教では。
アブラハムの契約はどのように出てきますか?2節。
12:2わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。
12:3あなたを祝福する者をわたしは祝福し、
あなたをのろう者をわたしはのろう。
「わたしはあなたを大いなる国民とし、12:3あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう」
このように言われたではないですか。そうですか違いますか?
スコフィールドは、スコフィールドはところで誰ですか?ロスチャイルドが支援した牧師。その聖書スコフィールド聖書ではどのようにしましたか?その注釈で変えました。
3節でアブラハムに対して出て来るかといえば、
12:3あなたを祝福する者をわたしは祝福し、
あなたをのろう者をわたしはのろう。
このように出てくるではないですか。
スコフィールド聖書ではどのように出てくるのか?イスラエルの名前を置きました。イスラエル。
ですからスコフィールド聖書ではどのように書いたのか?
イスラエルを祝福するものに私は祝福し、
イスラエルを呪うものを私は呪う。
このように変えました。こいつらは。そうしながら牧師たちは30年40年これを教育しました。
テレビで有名なジョン・ヘイギー(JohnHagee)はテキサスで有名な大教会を営む大きな牧師です。
この方は完全にイスラエルを聖書の言葉とは反対に話をして「イスラエルのために私たちは全てのことを」そう言いながら、この牧師は、お父様がたくさんお叱りになった米国の偽りの保守たち、続けて戦争を作っている偽の保守プッシュ大統領のようなマケイン下院議員のような悪いやつら。
このようなやつがジョン・ヘイギー(JohnHagee)牧師ととても親しい友なのです。
1:06:35 翻訳grazia
だから、どのようなことを広めたのか?アブラハムの種を祝福しろと仰るのだが、神様のみ言葉に、特に創世記22章にまた出てきます。イサクの試練を通してアブラハムに対して、より具体的に仰っています。
「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう」だけでなくそれは種までも、種。
アブラハムの未来に来るイスラエルの国ではなく、アブラハム、あなたを呪う者をわたしは呪い、あなたを祝福する者をわたしは祝福する」とこのようにおっしゃいました。
ところがこのキリスト教牧師たちがこれをすり替えました。イスラエルの国に無条件支持し、無条件に従わなければいけないと。
ではイスラエルがどんな国か、同性愛一番の国になったではないか、今。左派一番の国になってしまったではないか、今。
これが話になりますか?これが聖書にでてくるイスラエルですか?神様に従うイスラエルですか?神様に従わないイスラエルだ!
しかしキリスト教文化において、こいつらは今キリスト教文化を使って(利用して)います。「私達はイスラエルと共に戦争をしなければならない!」と。
自分たちが自分達の国防問題を説明できなくても「説明する必要がない、ただ戦争をしよう」と、狂ったことを。これを通して第3次世界大戦に拡大しようとしています。狂った奴らだ。
ですから、キリスト教から出たシオニズム思想は、これは完全に戦争と連結しているロスチャイルドの支援を受ける、聖書のみ言葉を変える思想です。
韓国はまだ、ここはスーパーパワーはないから韓国牧師たちは支持していないようだが、アメリカでは完全に第1スーパーパワーです。今アメリカでは大変です、アメリカの牧師たちは大騒ぎです。狂った戦争の血の海を見たい気狂いのように出てきて、イスラエル!我々は戦争を!と。冗談じゃない、話にならない。
イスラエルが間違ったので、イスラエルが先に悔い改めねばならない。無条件にただ戦争するのではない。
しかしシオニズム思想が今アメリカを完全に席巻している。戦争を抱こうと、キリスト教徒たちが!
皆さんみましたね、創世記にはそのように出ていません。
「イスラエルを祝福する者をわたしは祝福し、イスラエルをのろう者をわたしはのろう」、このように出てはいません。
「アブラハムを祝福する者をわたしは祝福し、アブラハムをのろう者をわたしはのろう」、違いますね、違います。
シオニズム詐欺聖句
「アブラハムの種、イエス・キリスト」
創世記22章、創世記22章15節、イサクの事件の後に、15節から18節、神様はどのように言われたのか、王妃が読んでみよう。
王妃様 創世記22章15節から訓読します。
22:15主の使は再び天からアブラハムを呼んで、
主の使とは、天使ではないか、天使。主が送った天使。
22:16言った、「主は言われた、『わたしは自分をさして誓う。あなたがこの事をし、あなたの子、あなたのひとり子をも惜しまなかったので、22:17わたしは大いにあなたを祝福し、
ひとり子を惜しまなかった、イサクを殺そうとしましたね、それを天使が止めました、そうですね。
大いにあなたの子孫をふやして、
네 씨가 크게 번성하여(あなたの種が大いに繁栄し)
お前の何だって?種!お前の子孫をふやして。さあ。
天の星のように、浜べの砂のようにする。あなたの子孫は敵の門を打ち取り、
(子孫:韓国語では씨種、英語聖書は descendants 子孫)
あなたの種(子孫)によって
22:18また地のもろもろの国民はあなたの子孫によって祝福を得るであろう。
22:18In your seed all the nations of the earth shall be blessed, because you have obeyed My voice.
(英語聖書では18節で seed 種)
祝福を、天下のすべての祝福を
あなたがわたしの言葉に従ったからである』」。
さあ、このように出ていますね。
アブラハムの言約(契約)にさらに出てきますね、イサクについて出てきますね、22章で。
使徒行伝3章25節。
使徒行伝3章25節です。
3:25あなたがたは預言者の子であり、神があなたがたの先祖たちと結ばれた契約の子である。神はアブラハムに対して、『地上の諸民族は、あなたの子孫によって祝福を受けるであろう』と仰せられた。
そうですね、同じことを言っています。
創世記22章に出てくることをそのまま言っています。
さあ!そして、アブラハムの種を送ると。26節
3:26神がまずあなたがたのために、その僕を立てて、おつかわしになったのは、あなたがたひとりびとりを、悪から立ちかえらせて、祝福にあずからせるためなのである」。
神様は誰を送りましたか?この韓国の聖書には出ていませんね、僕を立てて、しかし名前が出ていませんね、韓国の聖書には。
KJV Acts 3
3:26To you first, God, having raised up His Servant Jesus, sent Him to bless you, in turning away every one of you from your iniquities."
本来、聖書には何と出ていますか?神様の僕ではなく、神様の息子イエスと出ています。
(注:KJVでは、しもべイエス、息子イエスではない)
除きましたね、これを。韓国の聖書から除きましたね、これを。え?外したんだな。僕をいれて、神様の息子イエスとなっているのに、外したのだな、これは。
それだからアブラハムの種を通して全世界に福を与えると言うのだが、誰に、誰を通して?神様の種、息子、イエスキリストをとしながら。
ではアブラハムの種は、実は誰か、イエス様。何故?イエス様は誰ですか??神様の息子、何がありますか、血筋、血、血統。
そうですか?違いますか?
全てのアブラハムの子孫だけでなく、子孫も多いですが子孫も堕落するではないですか、その多くの子孫の中から一つの種が生まれます。誰の、聖書に出ています、使徒行伝に出ています、誰、息子、イエス!韓国の聖書には出ていませんね、除いた、除いた。わあ、いやあ。
預言者を、主を石で打ち殺すエルサレム
ヨハネの福音書4章20節
ヨハネの福音書4章20節です。
4:20わたしたちの先祖は、この山で礼拝をしたのですが、
井戸で、井戸で女性に出会うではないか、イエス様が。井戸の女性と言っていますね。
あなたがたは礼拝すべき場所は、エルサレムにあると言っています」。
だから、先祖がエルサレムで礼拝をしたと言っていますね、女性が。
イエス様はどのように言いましたか。
4:21イエスは女に言われた、「女よ、わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。
この山でもなくエルサレムでもない!我らの父を礼拝する、このように言っています。
ですから約束の地、首都であるエルサレム、それよりもより重要なものは何か、神様の種!息子がより重要だ。そうですか?違いますか?神様の種。
22節。
22節です。
4:22あなたがたは自分の知らないものを拝んでいるが、わたしたちは知っているかたを礼拝している。救はユダヤ人から来るからである。
こう言っています、救いは何処から来るのか?ユダヤから出てくる、そう言っていますね。そのように言っています。救いはユダヤから出ます、そうですね。
誰が出ましたか、ユダヤから。イエス様!イエス様が出たではないですか。
創世記ですでにアブラハムの種、え?に対して出ていたではないですか、使徒行伝でさらに見ました、その種は誰か、イエス様!
主の、神様の血筋、血統、種。アブラハムの種、次に何だって?ユダヤから救いが来る。そう出ていますね。ユダヤから誰が出ましたか、イエス・キリスト。だから、ユダヤから救いが出る。
1:17:38 翻訳minion
さあ、23章。
4:23しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。4:24神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。
アジュ、アーメン
ルカによる福音書13章31節
ルカによる福音書13章31節です。
13:31ちょうどその時、あるパリサイ人たちが、イエスに近寄ってきて言った、「ここから出て行きなさい。ヘロデがあなたを殺そうとしています」。13:32そこで彼らに言われた、「あのきつねのところへ行ってこう言え、『見よ、わたしはきょうもあすも悪霊を追い出し、また、病気をいやし、そして三日目にわざを終えるであろう。13:33しかし、きょうもあすも、またその次の日も、わたしは進んで行かねばならない。預言者がエルサレム以外の地で死ぬことは、あり得ないからである』。13:34ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人々を石で打ち殺す者よ。
ああ・・・。ストップ!ストップ!
エルサレム、エルサレムと言われたではないですか。イエス様が。「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺す者よ。」
イエス様はエルサレムを罵っています、今。どうして?約束の地よりも、約束の地、首都エルサレムよりも、ここにある聖殿よりも、もっと重要なものは誰ですか?主!がもっと重要です。生きている神様、息子です。そうですか?違いますか?聖書ではこのように言っています。
さあ、再び34節。
13:34ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人々を石で打ち殺す者よ。
預言者たちを殺し、交わされた人々を石で打ち殺す。
ちょうどめんどりが翼の下にひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。13:35見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。わたしは言って置く、
『主の名によってきたるものに、祝福あれ』
とおまえたちが言う時の来るまでは、再びわたしに会うことはないであろう」。
お前たちの家は何ですか?見捨てられてしまう家。どんな家?エルサレム。どうして?主を受け入れなかったから。理解できますね?
本来、キリスト教の思想において、イスラエルあるいは国、その国、選ばれた民族、選民思想、それだけでなくキリスト教は、ユダヤ人たちの責任者だけでなく、ユダヤ人たちの責任、パリサイ人の責任者たち、ラビたちが支持してイエス様を殺したではないですか。
戦争を拡大するな。イスラエルはイエス様を否定する国
今、現在のキリスト教はどのように言っていますか?「イスラエルは救いをくれる国だ。イスラエルは救いを。」このよう言っているではないですか、反対に。主が救いなのに。イ
スラエルはアブラハムの種だ。イスラエルはアブラハムの言約(契約)だ。これは聖書には出てきません。むしろ、イスラエルはイエス様を殺し審判を受けます。
エルサレムは、主を捨てた、主を捨てて主に反対する審判が出てきます。賛美は出てきません。
しかし聖書にこのように出てきているのに、どうしてキリスト教徒たちは「イスラエルは戦争をしよう!しよう!」このように言うのですか。話になりません。
イスラエルも間違ったら、「お前たちが間違ったということを認めて悔い改めろ。」このように言わなければならない。
イスラエルの国が「自国の国防のために1300名殺したので、世界大戦しよう!これは狂ったことでしょう。
しかし今、ロスチャイルドのやつらがキリスト教徒をこのように使っています。
イスラエルは神様の国だ。イスラエルは・・・。イスラエルはキリスト教・・・、キリスト教を広めることができません、法的に。イスラエルはイエス様を否定する国です。イスラエルの市民になりたければイエス様を否定しなければなりません。
(注:事実ではありません。イスラエルのキリスト教徒市民は1.9%。 )
このような国が攻撃された時、そして国防に大きな問題が生じて、このように多くの人が死んだ時、全ての米国のキリスト教は今、「戦争!戦争!戦争!」このように言います。
今戦争の雰囲気を少なくしなければならない。拡大してはいけません。そうですか?違いますか?
戦争の雰囲気を続けて拡大している。
イスラエルはソドムとゴモラ
ヨハネの黙示録11章8節
ヨハネの黙示録11章8節です。
11:8彼らの死体はソドムや、エジプトにたとえられている大いなる都の大通りにさらされる。彼らの主も、この都で十字架につけられたのである。
主が十字架につけられたのはどこですか?どこですか?エルサレムではないですか、エルサレム。
聖書のみ言葉で、エルサレムはどんな都市だと言いますか?ソドムのような都市。見えますか?見えますね。ソドムのような都市。性淫乱の都市。
次に、エジプトのような国。エジプトは何をしましたか?イスラエル民族を400年間奴隷にしたではないですか。イスラエル民族を抑圧したではないですか。
聖書の御言葉で、イエス様が十字架につけられた場所はソドムとエジプトだ。このように言っているではないですか。
大きな罪を犯した国。そうですね?
韓国も同じです。選ばれた民族が、主に侍らなければ、その全ての国が審判を受けます。審判。
ここに出てくるではないですか。8節に。エルサレムはソドムとエジプトのような国だと。いやあ・・・。
無条件に戦争したいので、ベン・グリオン運河を作りたいので、戦争をしたい。・・・戦争を支持してはいけない。
イザヤ書1章9節
イザヤ書1章9節です。
1:9もし万軍の主が、
われわれに少しの生存者を残されなかったなら、
われわれはソドムのようになり、
またゴモラと同じようになったであろう。
ああ!イザヤは今どこにいますか?誰に話していますか?イスラエル!ユダに話しています。1節でユダとエルサレムに話しています。1節の部分で。
1:1アモツの子イザヤがユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの世にユダとエルサレムについて見た幻。
次に、イスラエルは3節に出てくるではないですか。
1:3牛はその飼主を知り、
ろばはその主人のまぐさおけを知る。
しかしイスラエルは知らず、
わが民は悟らない」。
イザヤは、旧約聖書ですか?新約聖書ですか?旧約聖書ですね。
ユダヤ人たちは旧約聖書を、神様の御言を完全に仕えなければならないではないですか。神様の御言、旧約聖書、ユダヤ人たちに神様の御言は旧約聖書ではないですか。モーセ五書と預言者たち。タナク(タナハ)と言う。
しかし、旧約聖書でもイザヤは何と言っていますか?
エルサレムはどんな国ですか?ソドムとゴモラ。悪い国だと、このように言っているではないですか。聖書の御言で。
そうですか?違いますか?
だから、キリスト教の宗教のカトリック、この教会などはイスラエルに無条件に従わなければならない。このように教えません、実際。
今誰がこのようなことを教えていますか?プロテスタントがこのようなことを教えています、今。戦争をしようと。
どうして?それを支持する政治家たちがお金をとてつもなく儲けるでしょう。戦争を通して。
イスラエルの詐欺師たち、政治家たちも、お金をたくさん儲けるでしょう。
ソドムとゴモラと言っているではないですか。ソドムとゴモラ。エルサレム、ユダ、イスラエルをソドムとゴモラだと。誰が?旧約聖書イザヤ預言者が。
ユダヤ人たちはこのイザヤ預言者の言うことを聞かなければならない。どんなラビ達よりも。
だから聖書にこのように出てきます。国が神様を捨てたら、どのようになりますか?国が神様を捨てるようになれば、国が審判を受けるようになります。ソドムとゴモラだと言ったではないですか。
イスラエル、約束の地であったとしても、イスラエル、約束の地であったとしても、イザヤ預言者から悪口を言われるではないですか。審判を受けたではないですか。無条件に賛美するのではありません。
今、プロテスタントでシオニズム思想を押して「戦争しよう、戦争しよう」と。この思想は、無条件イスラエル賛美。これは話になりません。
聖書の御言を通して、パレスチナで、ガザで悪いことをする時、それを審判しなければならず、イスラエルが悪い行動をしたら、イスラエルも審判しなければなりません。このようにしてこそ、御言葉の指摘です。指摘、指摘
ガザも悪い行動をしたではないですか。テロのやつらも、ハマス。そいつらも指摘しなければならない。同時に、イスラエルの問題、イスラエルは今、戦争を拡大、拡大、拡大。イラクと戦争をしろ。それならば、それを指摘しなければならない。キリスト教徒たちは。そうですね。
キリスト教徒たちは特にそれをしなければなりません。無条件に支持してはいけません。
イエス様を信じる者が聖霊やどる聖殿となる
コリント人への第1の手紙6章19節
コリント人への第1の手紙6章12節です。
6:12すべてのことは、わたしに許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことは、わたしに許されている。しかし、わたしは何ものにも支配されることはない。
19節。もう一度。コリント人への第1の手紙6章19節
6:19あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。
これはどれほど、爆発的な内容ですか。ユダヤ人たちに、これは完全に異端まみれな内容です。
イエス様を信じるものは、聖霊の聖殿になるではないですか。そのように出ていますね。そうですか?違いますか?この言葉は、ユダヤ教で、完全に異端の極みです。異端の中の異端です。
どうして?エルサレムに聖殿があるではないですか。その聖殿に全てのユダヤ人は世界的に男性たちは来なければなりません。毎年。仕える時、男性たちが来て、聖殿で礼をして儀式をしなければなりません。
だから初期のキリスト教徒たちは、このように言っています。コリント人への第1の手紙では、これは、異端の中の異端です。ユダヤ人たちはこれを、人々を殺します。このようなことを言ったら。
どうして初期のキリスト教徒たちだけがたくさん殺されたか、今分かったでしょ?この言葉は何ですか?エルサレムの聖殿は必要ないということです。エルサレムの聖殿は必要がなく、私たちは主と一つになってこそ、聖霊を通して私たちは聖殿になる。ああ!これは、人を殺す言葉です。理解できますね?
いやあ・・・。爆発的な内容です。御言。
コリント人への第一の手紙3章16節。
コリント人への第1の手紙3章16節です。
3:16あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。
いやあ・・・。あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。
これはユダヤ人たちは受け入れることが・・・、これはエルサレム聖殿を否認する言葉です。
見えますね?キリスト教の伝統において、ユダヤ、エルサレムとユダヤ教を無条件に支持することはありません。ありません。むしろ、指摘をたくさんします。指摘を。
しかし今はどうなりましたか?イスラエル、イスラエル。イスラエルが主になりました。イスラエルの国、ロスチャイルドが建てたイスラエル。同性愛一番の国。
これは、無条件にこれを支持して、無条件にこれを通して世界戦争をしよう!このような狂った内容です。
聖書を見たら、聖書はエルサレムの指摘をたくさんします。無条件に従いません。
なぜなら、イエス様を殺したから。
イスラエルの王は誰ですか?誰ですか?イスラエルの王。誰ですか?イエス様!自分の王を殺したではないですか。ラビたちの言うことを聞いて。いやあ・・・。
アブラハムとの契約は、主を信じる異民族に
出エジプト記19章5節
出エジプト記19章5節です。
19:5それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、
わたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば!今、イスラエルの国は、神様の契約と御言をよく聞いていますか?同性愛一等の首都。話にならない。
さあ。
19:5それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。19:6あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となるであろう』。
聖なる民となり、祭司の国となる。このように大きな祝福を受けました。イスラエルは。
しかし、この全ての祝福の種、実、イエス様、王の中の王が来られた時、どのようにしましたか?殺したではないですか。それでは、その祝福は、なくなりますね。審判を受けるようになりますね。
ヨハネの黙示録5章9節
ヨハネの黙示録5章9節です。
5:9彼らは新しい歌を歌って言った、「あなたこそは、その巻物を受けとり、封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない、5:10わたしたちの神のために、彼らを御国の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう」。
「あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、すべての国々。彼らは地上を支配する」。
聞きましたね?全ての民、全ての民族、全ての国語、民と国から出てくる人々は、主を通して王の役割をするようになる。(地上を支配するに至る)祭司長たちの国になる。
これは何ですか?これは、ユダヤ人たちにくださった約束ではないですか。出エジプト記19章に出てくるではないですか。同じ言葉が出てきます。出エジプト記19章に。そうですね?エジプト記19章に同じ言葉が。
しかしこの契約、この約束は、ユダヤ人たちに行ったではないですか。
しかし、新約聖書を見たら、この約束は今や、イエス様を信じる者たちに行きます。主を受け入れる者たちに。イスラエル人でなくても。これは完全に異端の中の異端です。これはユダヤ教において、完全に異端の極みです。
(ユダヤ教において)ユダヤ人たちだけが、神様の契約を受けるようになります。神様の約束を受けるようになります。外の人はどうですか。イスラエルの外国の人は、何と言いますか。ゴイムと言います。ゴイムと言ってみなさい。(ゴイム)これは人を、大変低く見るのです。
しかし新約聖書で、ユダヤ人だけでなく、ゴイムまで、イスラエルの契約と約束を全て受けることができます。
誰を通して?誰を通して?主を通して。主が中心。完全に中心点です。主を通してのみ、イスラエルのすべての約束があなたにも来ることができる。こういうことです。
見えるでしょ?この聖書に。いやあ・・・。
レビ記26章11節
レビ記26章11節です。
26:11わたしは幕屋をあなたがたのうちに建て、
そうですね?幕屋をどこに建てると?さあ、
心にあなたがたを忌みきらわないであろう。26:12わたしはあなたがたのうちに歩み、あなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となるであろう。
「わたしはあなたがたのうちに歩み」あなたと一緒に歩くという意味ですね。そうですか?違いますか?そのように出ているでしょう?
コリント人への第2の手紙6章14節
コリント人への第2の手紙6章14節です。
6:14不信者と、つり合わないくびきを共にするな。義と不義となんの係わりがあるか。光とやみとなんの交わりがあるか。6:15キリストとベリアルとなんの調和があるか。信仰と不信仰となんの関係があるか。6:16神の宮と偶像となんの一致があるか。わたしたちは、生ける神の宮である。
私たちは神様を愛する、生きていらっしゃる、神様の聖殿だ。わあ。ユダヤ教の立場でこれは、完全に異端の極みです。再びエルサレム聖殿を否認する言葉です。いやあ・・・。
さあ。私たちは神様の聖殿だ。続けて、16節。
神がこう仰せになっている、
「わたしは彼らの間に住み、
「わたしは彼らの間に住み」同じ言葉ですね。同じ言葉です。レビ記26章に出てくるのと同じ言葉です。「わたしはあなたがたのうちに歩み」と同じ言葉です。聞きましたね?
神様はその約束をユダヤ人だけに与えたではないですか。レビ記26章で。
しかしその約束は、キリスト教徒たちに、イエス様を中心として。なぜなら、イエス様はアブラハムの種だったではないですか、種。アブラハムの真の実。アブラハムのすべての約束が実践される実。そうですね?
主を通して、イスラエルのすべての約束が、今、ゴイム、ユダヤ人でない人たちに来るようになりました。イエス様を中心として。イエス様。キリストがどれほど重要か分かったでしょう?
主を否定すれば審判が来る
同じように、同じです。
韓国の生死の問題は、主と連結されています。主を受け入れなければ、韓国に大審判が来ます。選ばれた民族は、ただ、「わあ!私たちは選ばれた。素晴らしいだろ。」こうではありません。大きな責任です。
選ばれた民族が王の中の王を否認したら審判が来ます、大きく。エルサレムも30年後に大きな審判が来たではないですか。
第3次世界大戦が継続して進行したら、中東戦争が勃発してさらに大きくなって、イランと核戦争が始まって、イスラエルを中心として、さらに世界戦争が進行して、ソ連とさらに戦って、中国が台湾を掌握するようになれば、韓国、日本は全て審判を受けます。
お父様を否認したではないか!ミクロとマクロ。マクロキリスト教がお父様を否認しました。ミクロ韓鶴子バビロンの淫婦がお父様を否認しました。審判が来る!それでは。
聖書の御言は本当に恐ろしいです。
ユダヤ人たちの契約と祝福が、イエス様を信じる者に来る
エペソ人への手紙2章11節
エペソ人への手紙2章11節です。
2:11だから、記憶しておきなさい。あなたがたは以前には、肉によれば異邦人であって、手で行った肉の割礼ある者と称せられる人々からは、無割礼の者と呼ばれており、2:12またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく
だからこの人たちは、ユダヤ人ではありませんね。ゴイムではないですか。エペソはエルサレムではありません。イスラエルではありません、これは外の国ではないですか。コリンと、エペソ、全て外の国です。ユダヤ人ではありません。
しかし、何と言っていますか?お前たちは、本来はゴイム、本来は外の人だった。しかし、イエスを通して、キリストを通して、どのようになりましたか?12節。
2:12またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者であった。
キリストの外にいて(キリストを知らず)、イスラエルの国の外の人だ(イスラエルの国籍がなく)外国人、異邦人、外国人。このように言うではないですか。外の人。イスラエルの外の人だったではないですか。
しかし、さあ。
約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者であった。
神様の約束と契約と関係がない外国人だったではないですか。このように出てくるではないですか。そうですか?違いますか?しかし・・・
13節を訓読します。
2:13ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。
近くなりました。キリストを通して、今や神様と近くなったということですね。キリストの血によって。さあ。
2:14キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、
「中垣を取り除き」主が私たちの平和になります。平和は感覚と何かの考えではありません。主を受け入れなければ平和がありません。
愛の実体、真の愛の実体は何ですか?神様の根本が愛であるなら、愛の実体は誰ですか?キリスト!感覚ではありません。感情ではありません。幻想ではありません。キリスト。生きていらっしゃるキリスト。
さあ14節。
2:14キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、2:15数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、2:16十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。
霊的救いですがそれでも、ユダヤ人たちのすべての契約と祝福が、イエス様を信じるものにきたではないですか。
さあ、17節。
2:17それから彼は、こられた上で、遠く離れているあなたがたに平和を宣べ伝え、また近くにいる者たちにも平和を宣べ伝えられたのである。
それは、まさにこれです。近い人、遠い人。このようなことがイザヤ書57章に出ています。そこに行く必要はありません。
続けましょう。18節。
2:18というのは、彼によって、わたしたち両方の者が一つの御霊の中にあって、父のみもとに近づくことができるからである。
私たち両方のものが、両方、二人。一つの御霊を通して、父のみもとに近づくことができる。2人が。
2人は誰ですか?イスラエル、ユダヤ人と誰?ゴイム。今やキリストの中にいる外国人。1人、1つになります。同じ契約、同じ家庭、同じ約束も受けます。
いやあ、これがどれほど、ユダヤ教の立場でこれがどれほど異端の極みですか。どうして外国人が神様の契約を、私はアブラハムの子孫なのに、どうして外国人が受けるのか。このようになります。理解できますね?いやあ・・・。
19節。
2:19そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。
もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族。いやあ・・・。
これがユダヤ人にとってどれほど大きな異端めちゃくちゃな声ですか?そうですね?
20節。
2:20またあなたがたは、使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって、キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である。2:21このキリストにあって、建物全体が組み合わされ、主にある聖なる宮に成長し、2:22そしてあなたがたも、主にあって共に建てられて、霊なる神のすまいとなるのである。
キリスト・イエス、主にあってともに建てられる。
ユダヤ人たちの全ての契約。アブラハムで初めて見ましたね。創世記12章、22章で見ましたね、これを。アブラハムの言約(契約)。その契約と約束が、主を通して、全ての主の中にいるものたちに来ます。
それは、ユダヤ人たちの立場において、完全に異端の極み。
だから、このラビたちはイエス様を殺そうとした、殺しました。ローマと一緒になって。
そうしながら、タルムードを通してイエス様はうんちの水で沸かされていると、永遠に糞尿で沸かされていると、このように言います。
自分の王、イスラエルの王、世界の王の中の王が、糞尿で沸かされていると。理解できますね?
このように、主を否定する国は・・・審判を受けるようになります。
_________________________