韓国語水曜礼拝金勇力訓師聖和式
2025年1月15日韓国語水曜礼拝
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李相烈大陸会長
韓国語水曜礼拝 金ヨンハ訓師聖和式 한국수요예배(김용하님聖和)01152025
三代王権に侍り御旨を歩まれた道
今回の聖和式を中心にして、これまで私たち金勇力訓師任とチョ・ウネ訓師任がみ旨の道を歩んで来られたことをしばらく振り返ってみます。
私がこの資料を準備しながら、本当に申し訳ないことに、昨日の聖和式を終えて、今日この資料を準備しお話を申し上げる事は、時間的に資料を準備するのに限られた要件が多くあり、趙ウネ訓師任や、そして遺族達の前に完全に私たち金勇力訓師任が生きてこられたその御旨を全て明らかにできないのではないかと、申し訳ない思いで、今準備した内容でお話をさせていただきます。
金勇力訓師任は1965年に統一教会に入教され、今60年の間、公的な路程を歩んでこられました。
そこには、私がその略歴を見ると、6枚がとてもぎっしり詰まっています。おそらく一般の人は1枚を満たすことも簡単ではないでしょう。
そして、その公的な路程を歩んでこられた過程で、多くの社会団体から感謝状、感謝杯など、多くの社会から公認を受けた部分が多いです。それで、訓師任は大変講義が上手で、多くの部分で講師としてお父様の真理の御言を伝えるのにとても忠誠に伝えてこられたと、このように私は考えました。
それならば、訓師任の性稟が高くて、また、この歌を通して神様に喜びを、真の父母様と三代王権に喜びを、そして食口達に喜びをたくさん伝えて下さった方でもあります。
この写真は、二代王様に侍って前青波洞本部教会でダンベリー修練をされているところです。ここではトイレの掃除をしています。私も当時、前本教会で王様に侍って室長をしていました。
しかし、私がこの掃除に参加しようとしたところ、 ここには訓師たちだけが参加することができると言って、参加することができませんでした。つまり、訓練を受けることができませんでした。
王様が訓練をさせる時は、徹底的に決められた訓練をされるのを見ながら、このような過程を通して神の心情、真のお父様の心情、そして二代王様が真の父母様を愛するその心情を相続されながら、それから、訓師としてその 1段階 1段階をこうして準備してこられたということを申し上げます。
そして今、この朝は、 早朝祈祷を このようにしてこのろうそくに火をつけながら、早朝祈祷に訓師任たちが中心となって食口たちに大変 恩恵 深い朝を開いてくださいました。
二代王様に侍って訓師 3名が清平に行く 湖のそばでこのような美しい姿を私たちに見せてくださっています。
二代王様は訓練をとても厳しくさせながらも、自然をとても愛しておられ、また訓師たちが自然と一緒にできるこのような時間をたくさんしてくださることもあります。
特に王様はこの冬にも梅峰山の訓練をたくさん訓師たちにさせられました。特に訓師たちの話を聞くと、冬には零下20度を上下する梅峰山でこの修行をされる時は、本当に動くこともできずに精進をしなければならなかったという話を聞きました、
それでは、夏には蚊がたくさん来て刺されても、その蚊を追い払うのではなく、微動だにもせず精進する 修行をすることを 王様から指導をされたというお話を聞きながら、訓師になるためには400日を、一日でも 休んだらまたしなければならない、そのような中で、非常にこの訓練が最もこの”道”を磨く方としては、非常に徹底的に訓練を受けられて来られた、そのような中、訓師任として命令を受けられたということを私たちは知っておかなければなりません。
ここには、 前 青波洞本部教会で、天福宮教会に来られる前、 毎朝 早朝にこの訓師 たちと共に天福宮の周りを回りながら、ここの精誠室で敬拝精誠を捧げ、そして8大教材教本である天福函の伝授式を、この精誠室で行っている姿を見ていらっしゃいます。
この真のご父母様教材教天福橿安着式をされながら、 王様ご夫妻に侍って、訓師任たちは美しい姿を私たちに見せてくださっています。
そして、毎朝毎朝、このように精誠を捧げる中で、伝道と御旨を広げるための内容が、訓師の方々を通して食口達に伝えられて、 この精誠 の基盤の上に私たちだ立てられたということを知るようになります。
本当にこの内容を準備しながらも、私は本当に心が重い気持ちでいっぱいでした。この天福宮に最後まで二代王様はあんなにも精誠を尽くされ準備され、更にはあの天福宮を長成天福宮として、そして完成天福宮として準備されている最中に、荒野に出て行かれるようになった事を本当に今日のみ言葉(説教)を準備しながらも、私は実に重い心を持たざるを得ませんでした。
これは、二代王様が既に荒野に出られたペンシルベニアで金勇力訓師任と共に王様と言葉を交わされる写真です。
そしてこの内容は、真のお母様、本郷苑にいらっしゃるところに“天一殿”の看板を二代王様が描かれているお姿を共に見ている写真です。
ここには天一宮、天一殿、この美しく飾る部分を二代王妃様が中心となってとても美しく作られました。
そして、この真のお母様の本郷苑で訓師任たちがいつも精誠を尽くされてきたということを私たちは知らなければいけません。
私たちが礼拝の時間に讃美を捧げる場面です。
次は礼拝が終わってから食事を共にする貴重な時間を過ごしていらっしゃいます。
これは、ペンシルベニアを経て、復帰された天宙天平テネシーにくだって来られて礼拝を捧げられるお姿です。
ここでは、食口の皆さん行ってきた方達はわかるでしょうが、初めはテント生活でした。そしてそのテント生活を終えられてから、この地域は牛や羊など動物を育てる場所だったので、そこには動物小屋がありました。この小屋の中であのようにビニールで間仕切りをして礼拝を捧げるようになりました
このように狭い場所だったので、早朝訓読会をする時に、ここは本当に寒い場所です。この寒さの中で訓読会を王様ご夫妻に侍って訓読会をしたという事を私達は知っています。
このような過程を経て、ここにウェルカムセンターを王様が許されて準備されている過程の写真です。
ここで私達の訓師任たちは一日に三回ずつ精誠を尽くされ、このウェルカム訓読センターを準備しています。(動画を見ながら)
私が今日この写真を特別に持ってきたのは、二代王様が荒野に出られてからもう10余年が過ぎました。
ところで、着衣していらっしゃるこのズボン二枚で10余年間過ごされてきました。春夏秋冬がありませんでした。
このズボンを私は考える度にとても辛い気持ちでした。
しかし二代王様は今現在もこのズボン二枚で過ごされているのを食口の皆様はご存知ですが、み言を聞く全ての方達は、“どうして二代王様はどのようにして荒野生活を越えて、今このテネシーに来て、この天一国を築こうとされているのかを知らなければいけない”という思いでこの写真を持ってきました。
そして今、あのビニールで囲んだ小屋で礼拝を捧げていたのが、今ではこのような聖殿を建てて礼拝を捧げられるようになった中で、天勇力訓師任をはじめ、金甲用訓師任、徐ユアム訓師任。この訓師任達の精誠によってこの聖殿が完成して礼拝を捧げ、今では全ての行事がここで礼拝と共に執り行われています。
それでは、今ご覧になっているこの美しい建物は、これから(テネシー)清平に建てられる予定の聖殿の鳥瞰図です。この聖殿は山の上に建てられるので、完成すればとても美しいところで、私たちが神様と真のご父母様に栄光をお捧げすることができると信じます。
多くの世界食口達がこの聖殿完成のために多くの精誠とともに、また聖殿建設の為に助けてくださればありがたいです。
金勇力訓師任は、王様ご夫妻と共に行事がある時にはいつも多くの代表祈祷を捧げて来られました。
この日も、行事が終わった後には王様ご夫妻は國進監査院長様をお招きし、感謝報告祈祷を捧げるお姿をみることができます。
ここは訓師任が暮らされていた部屋の模様です。ここはタイニーハウスの、多分6−7坪くらいでしょうか、ここには部屋が三つありました。一つは金勇力訓師任ご夫妻、もう一つは金甲用訓師任ご夫妻が、そしてもう一つに私と徐ユアム訓師任が使っていましたが、このような間仕切りはビニールで作った中で、このように私達は生活しました。
今では昔のようですが、ついこの間の事でした。
本当に、この写真を見ながら本当に清平で生活してきたことが深く感じるところがあります。
これはタイニーハウスです。これは車で移動できるので、ここに落ち着く前に訓師任達とこのように写真を撮りました。そしてここ(清平)に落ち着いてから訓師任達と元気な姿で撮った写真です。
そして今、安着させた中で、ここの訓師様がとても健康的な姿に見えます。