2025年2月21日金曜日

原理原相論(試論)◆夜の神様における真の愛、夜の神様の誕生 -2 ◆イエス様の血の心臓は夜の神様の心臓

原理原相論(試論)

夜の神様における真の愛、夜の神様の誕生

 論者:三代王権天一聖殿 教会長

 -1 ◆イエス様にみる真の愛

の続きです。

夜の神様が絶対服従する愛とは

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宇宙の根本は、愛から始まりました。神様は、どのようにして生まれたのでしょうか。愛が中心です。ですから結論は、絶対的な神様も、絶対的に服従したい理想郷をもたなければならないということです。完全に服従するところに完全な幸福があり、完全な解放があるところに完全な幸福があるのです。

(198-237, 1990.2.3)

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真の愛の中心核が父子の関係である神様が、真の愛に絶対に服従するということは、この父子の関係の真の愛に絶対服従するということであり、横的真の父母の愛にも、絶対性の愛に服従するのではありません。

それは「絶対的な神様も、絶対的に服従したい理想郷」、愛の理想郷です。理想郷とは何でしょうか?愛の理想であり、愛のコンセプトです。

その真の愛の核は父子の愛、父子関係の縦的愛なのです。その愛の理想、コンセプトに絶対服従するのです。


女性や対象的存在に対して先惟する或るいは先感する横的愛は夜の神様の創造物であって、真の愛の中心核にはなりえません。


ロゴスにおける横的真の父母の愛、絶対性の愛は、父子関係の愛を核とする真の愛を縦的に中心に立てて、横的真の父母の愛と授受作用することによって真の愛の創造物になることができるということです。

つまり父子関係が夜の神様の位相から存在する天宙創造以前からの絶対的主体であるということです。


真の愛に絶対服従する愛は、男性的主体的真の愛


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愛でも明確に感覚の愛、ロマンスの愛ではなく、犠牲の愛、それは真の愛の中心。

現代の人が理解できるように、犠牲的な愛は真の愛の根。

ロマンスの愛、エロスの愛、兄弟の愛ではない、犠牲的な愛。父が息子娘の為に犠牲になる血!血!

流される血。だから宝血と言うではないか。

ただの感覚ではない。お父様が子女の為に流された感覚ではない。血!血!血!

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イエス様の十字架の犠牲の愛は父子関係の血の犠牲の愛でした。

イエス様の十字架の愛は、この縦的父子の愛、アガペーの愛に絶対服従した子の父への真の愛でした。

イエス様が、血統を残すために体を持たれたように、絶対性愛を持っておられました。しかし、この十字架上のイエス様の愛は、そのようなエロスの愛は微塵も無い、絶対父子の愛を貫く絶対縦的アガペーの愛でした。十字架に磔になったイエス様の愛は天のお父様を思う絶対縦的父子の愛だったのです。


ここに妻となるはずだった女性のことを思う愛、摂理的目的愛はあっても、そのような横的な夫婦の愛は一切なかったのです。

イエス様は愛と生命と血統を成すために、必要なエバを探し求めておられました。

そのように重要な、神様が求め、復帰摂理が求めてきた女性のことさえも、この十字架の血の犠牲愛にはなかったという事なのです。

それどころか、その神なる父の人類に対する愛に完全服従し、磔になった体全身で、ご自身を鞭打ち磔にした恩讐、敵をも愛された絶対父子の愛のイエス様でした。


人々は真の愛に従順屈服する愛を、対象の愛、女性的愛と考えます。

しかし実際の真の愛に従順屈服する愛は極めて男性的主体的強い愛です。

イエス様がトゲが付いた鞭で何十回も鞭打たれ、皮膚が肉が飛び散り、イバラの王冠で血を流し、両手両足を太い釘で貫かれ、十字架に磔られ嘲笑されても、それでもこの父子関係の縦的真の愛に従順屈服し、そのようにむち打ち突き刺す者を愛されました。

このような真の愛に従順屈服する愛を、対象の愛、女性的愛であるとは言えません。

極めて男性的な父の愛なのです。それが父子関係の愛だということなのです。



イエス様の血の心臓は夜の神様の心臓とともにあった


二代王は

こう言っておられます。

「いや、お父様はメシアなので特別だ。ただの人間ではない。お父様は神から来られたのであり、夜の神から来られたのだ。創造以前の神から来られた。」ということです。

つまり、キリストは創造以前から神と一緒におられたということなのです。

お父様の生心は神の生心、 聖霊は対象だが男性◆キングスリポート3月23日


この御言はキリストであるイエス様、お父様は天地創造以前から夜の神様とともにおられ、天地創造後、肉体をもって夜の神さまから、イエス様、お父様は地上にこられたということなのです。


この説教は、先に説明した、ヨハネによる福音書1:1~18、そして、ヨハネによる福音書 14:9-11のことを指します。


それでは、キリストの心は天地創造以前に、夜の神様の時、神様の心と一緒にあったのでしょうか?なかったのでしょうか?


二代王様:しかし真のお父様とイエスの霊的な心(生心)は「神様」です。完全な神です。

イエスであれば、神と同じ生心を持っていらっしゃるということです。イエスの生心は神であるはずです。

お父様も同様です。お父様も現われるとき霊的な体(霊体)があると思いますが、お父様の霊的な心(生心)は神と全く同一だということです。


お父様の生心は神の生心、 聖霊は対象だが男性◆キングスリポート3月23日


真のお父様、イエス様の心が神様なのです。天地創造以前の夜の神様とともにあった心だということなのです。


キリストにおいて、ローマ兵に突き刺された血を流す心臓です。子供を生かすために死ぬことができる。イエス様が流された血。お父様が流された血。父親の愛」その心臓です。



先に説明したように、ヨハネによる福音書1:1~18は、父と子と聖霊の三位一体は天地創造以前の夜の神様の位相から存在しており、ヨハネによる福音書 14:9-11は、その夜の神様の三位一体という関係の中心が父子の関係という愛であるということでした。


それですから、この聖句が表すように、

つまり、キリストは創造以前から神と一緒におられた」のですから、真の愛とは、このような子のため犠牲となる父の宝血の愛が、夜の神様とともにあった心だということなのです。

つまり、キリストは創造以前から神と一緒におられた」ということは、夜の神様とイエス様と真のお父様のこのような父子の関係によって、その心臓がお互いに「子のため犠牲となる父の宝血の愛」で共鳴しあっているということなのです。

子を思う父の愛だから、真の父母の愛の共鳴ということです。


従ってイエス様、真のお父様の十字架の血の犠牲の愛の根源である夜の神様の愛も、このような父親の犠牲の真の父母の愛が根本であるということなのです。


母のように子を思う愛をもちながら、その愛のために鞭打たれ血を流し死んでも子を守るという強い父の愛。

それだから神様とキリストの愛は、一人の父にして真の父母の愛なのです。

神様は一なる父でありながら、そのような真の父母の愛を持っている、縦的な真の父母なのです。


つまり、キリストは創造以前から神と一緒におられた」ということは、

「つまり、キリストの心臓は創造以前から神と一緒にありました」と言えます。


人類の不信仰により、残念ながら、この犠牲の宝血は流されてしまいました。

本来この父の犠牲の宝血は流されるべきではありませんでしたが、天地創造以前から、夜の神様の心、キリストであるイエス様の心、再臨のキリストである真のお父様の心に、このような、父の犠牲の真のご父母様の心臓(心)が天地創造以前の夜の神の位相から一緒にあったということなのです。天地創造以前の夜の神の位相から、この「子のため犠牲となる父の宝血の真の父母の愛」で共鳴しあっていたのです。



真の愛に絶対服従する夜の神様の心情

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ところで、愛は心情の流れです。内的な心情が外的に流れるものが愛です。ゆえに神様の本質は心情です。このような神様が、正に存在論的に扱った宇宙生成の根本原因である統一的存在だったのです。この根本原因からの宇宙の生成が、正に神様の宇宙創造だったということは言うまでもありません。

宇宙の根本 第1章 宇宙の根本秩序 1)神様の二性性相の大展開

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内的な心情が外的に流れるものが愛です」愛の内的心情とは何でしょうか?

対象を愛したいという心情の、その衝動の中核は、この極めて強い真の愛に従順屈服しようとする父の愛なのです。この父子関係の愛に従順屈服したいという衝動は、愛したいという心情の動機の中核なのです。


この父の真の愛に従順屈服する心情が中核になければ対象を愛したい与えたいという心情は、十字架の血の犠牲の恐怖の前に怖気づき吹き飛ばされてしまいます。

このような体中の皮膚がトゲの鞭で飛び散る十字架の中にあっても、従順屈服し、その愛を貫いた強い心情を動機とする父の強い愛のその対象は「父子関係の愛」なのです。


真の愛の種、真の愛のコンセプト

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神様は何のために、どのように生まれたのでしょうか。愛によって生まれました。宇宙の根本はどのようになされたのでしょうか。愛の種があり、それが相対を中心として吸収してみたところ、神様自体が性相と形状によって構成されるようになりました。何を中心としてそのようになっているのでしょうか。愛を中心として形成されています。皆さんと同じです。父母の愛によって受けた皆さんの生命の種、一つの細胞が大きくなって今の皆さんが生まれてきたのと同じように、神様もそのように大きくなったというのです。神様も、目が生じ、鼻が生じてこのように生まれました。全く同じだというのです。


(中略)

ここにおいて、性相と形状がなぜ分かれるのでしょうか。問題になります。宇宙の根本とはどこでしょうか。宇宙の根本はどのように生まれたのでしょうか。これが問題です。神様がどのように生まれたのかというのです。神様を見ましたか。それはどのように生まれましたか。皆さんはどのようにして生まれたのですか。宇宙のすべての要素の津液を取って、総合して生まれたのが正に「私」です。

愛の中心は神様なのです。宇宙生成以前からいらっしゃる、唯一的であり、永遠的であり、不変的な存在なのです。


ところで、愛は心情の流れです。内的な心情が外的に流れるものが愛です。ゆえに神様の本質は心情です。このような神様が、正に存在論的に扱った宇宙生成の根本原因である統一的存在だったのです。この根本原因からの宇宙の生成が、正に神様の宇宙創造だったということは言うまでもありません。


宇宙の根本とは何でしょうか。この宇宙が生まれる前には何があったのでしょうか。神様ですか。神様だけいましたか。愛が見えますか。愛は実体がありませんが、愛はどこにありますか。愛はコンセプト(概念)です。神様においても、愛はコンセプトなのです。神様にとっても、愛はコンセプトだということを知らなければなりません。


神様は、なぜ創造をされたのでしょうか。愛のためにされました。愛は、一人ではできないのです。相対がいなければなりません。一人でいる愛は縦的な愛なので、環境的条件がありません。

宇宙の根本 第1章 宇宙の根本秩序 1)神様の二性性相の大展開

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宇宙の根本となる愛の種とは何でしょうか?お父様はその愛の種とは、結局、愛はコンセプト(概念)と言っておられます。

つまり宇宙が生まれる前の愛は、その愛の種は、感性でもなく感覚でもなく、神様のコンセプトだということです。

夜の神様の愛を人の感性や感覚で考えると、神様の愛の概念を間違えてしまいます。

イエス様の十字架にこの真の愛のコンセプトが表されました。


「ところで、愛は心情の流れです。内的な心情が外的に流れるものが愛です。ゆえに神様の本質は心情です。このような神様が、正に存在論的に扱った宇宙生成の根本原因である統一的存在だったのです。」


この愛のコンセプト、愛の種は、神様の心情が指向する目的がコンセプトということです。

ですから「神様の内的心情が外的に流れるコンセプト(種)が愛」ということになります。

神様において愛はコンセプト(概念)、「基準となる考え方、方向性」です。その真の愛のコンセプト(種)の中心、真の愛の中心は、夜の神様の心情が指向する内的目的が「父子の関係」ということなのです。


「愛の交差する中心を決める最初の因縁、父子関係」において説明したようにこの父子の関係は、縦的真の父母と横的真の父母とが90度で交差するその中心です。

縦的真の父母の中心軸が父子の関係であり、横的真の父母の中心軸も父子の関係です。

ですからこの愛のコンセプト(種)の考え方、方向性は縦的真の父母と横的真の父母が交差する中心点であると言えるのです。

そしてその中心点が何を理想郷としているのか、これが愛のコンセプト(種)の理想、目的になるのです。

それが神・真の父母・孫の縦の三大王権であり、真の父母・息子・孫という横の三大王権という血統による神の王国の創建なのです。

そして三代王が祝福を受けることにより、このコンセプトが目指す真の父母の血統王権、キリスト王権が三代王権によって創建されました。

即ち子供を生かすために死ぬことができる。イエス様が流された血。お父様が流された血。父親の愛」その心臓の実体が三代王権ということなのです


このような神様が、正に存在論的に扱った宇宙生成の根本原因である統一的存在だったのです。


「愛の種があり、それが相対を中心として吸収してみたところ、神様自体が性相と形状によって構成されるようになりました。何を中心としてそのようになっているのでしょうか。愛を中心として形成されています。」


愛の種、愛のコンセプトが相対を中心として吸収するとはどういうことでしょうか?

統一的存在、つまり本性相と本形状の完全なる統一体でおられる夜の神様には相対は存在しません。

ですから愛のコンセプトの相対とは、真の愛の中心は、夜の神様の心情が指向する内的目的が「父子の関係」の「相対」ということになります。

夜の神様が、この「父子関係」を心情の志向する内的目的として、その相対つまり「愛と生命と血統」を外的コンセプトとする愛の目的を持ったということなのです。


そのように愛の種、愛のコンセプトの相対である「愛と生命と血統」を中心として受け止め吸収した時、夜の神様にこのコンセプト(愛)のために与えたい(愛したい)という心情動機が生じ爆発的になり、このコンセプト(愛)に絶対服従したいという心情の決意的動機が始まり爆発的になったという事を知ることができます。


この与えたい(愛したい)という爆発的心情と、このコンセプト(愛)に絶対服従したいという両方の爆発的心情によって、夜の神様はご自身の統一的存在性を「性相と形状によって構成されるようになったのです。

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宇宙の根本は、愛から始まりました。神様は、どのようにして生まれたのでしょうか。愛が中心です。ですから結論は、絶対的な神様も、絶対的に服従したい理想郷をもたなければならないということです。完全に服従するところに完全な幸福があり、完全な解放があるところに完全な幸福があるのです。

(198-237, 1990.2.3)

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つまりこの真の愛のコンセプトには性相コンセプトと形状コンセプトがあり、この真の愛の性相コンセプトと形状コンセプトからなる絶対的に服従したい愛の理想郷を持つことによって、夜の神様はご自身の統一的存在性を「性相と形状によって構成」され、そのようにして神様が産まれたということなのです。



お父様は「神様が絶対的に服従したい愛の理想郷をもつことで神様が生まれた」と言われます。

神様が愛に絶対服従するという時、アダムがエバに、エバがアダムに愛で絶対服従すると勘違いしている人をよく見かけますが、絶対的神様が絶対服従したいのはこの愛の理想郷なのです。


ではこの与えたい(愛したい)という爆発的心情と、このコンセプト(愛)に絶対服従したいという両方の爆発的心情が、どうして爆発的なのでしょうか?


夜の神様の心情が爆発的である理由

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「我々は、人間には利己的な傾向があるということを知っています。これはある一時期、神御自身が自己中心的であられたので自然なことなのです。この事実はあなたを驚かすかもしれませんが、しかし、神は人間と宇宙とを創造される前は、たった一人で、御自身以外の何ものをも意識することなく存在しておられたということを理解しなければなりません。しかしながら、神が創造に着手されたその瞬間に、神の中の生命という概念が完全にかたちとして現れてきたのです。神は、今や、御自身のためではなく、その対象物のために生きるようになったのです。」 

「御旨と世界」  人間に対する神の希望

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一時期、神御自身が自己中心的」な、夜の神様とはどのような夜の神様でしょうか?


そのような「為に生きたい」という思いで、夜の神様は一時期自己中心的であった、絶対的に為に生きる利他的なご自身に自己中心的であったということです。

どういうことでしょうか?


御自身以外の何ものをも意識することなく存在」されていたということは、夜の神様ご自身は、本性相と本形状の統一的存在ですから、この一時期、「為に生きたい」という内的心情にご自身が絶対的自己中心的でした。

統一的存在内部における自己中心性は、その情の力が心情エネルギーとなり、その統一的存在性相全体が爆発するほどに、その「為に生きたい」という心情エネルギーがご自身の統一的存在性相に膨張充満するしかありませんでした。

「為に生きたい」という心情エネルギーだけでは、ご自身の統一的存在性相が爆発するほど膨張することはできません。


同時に、「為に生きることに絶対服従したい」「為に生きることに妥協したくない」という内的心情の情の力もまた、絶対的自己中心的ですから、「為に生きたい」という内的心情を強烈に押し出し膨張させていく心情エネルギーとして、その統一的存在性相全体が爆発するほどに、その心情エネルギーがご自身の統一的存在性相に膨張充満するようになりました。


このようにして、愛の種、愛のコンセプト「父子の関係」の相対である「愛と生命と血統」を「中心として受け止め吸収」した時、夜の神様にこのコンセプト(愛)のために与えたい(愛したい)という心情動機が生じ高まっていきました。

この時同時に生じた心情動機、「このコンセプト(愛)」に、「絶対的に服従したい理想郷」のコンセプトに絶対服従したいという心情の決意的動機が、「このコンセプト(愛)のために与えたい(愛したい)」という心情をさらに強烈に押し出し爆発的心情になったということなのです。


キリストの血の犠牲をかえりみず恩讐を愛する父性的愛の強烈な力強さは、夜の神様のここから来ているのです。


そしてこの爆発的「為に生きたい」という心情エネルギー、その「為に生きること」に「絶対に服従したい」という爆発的心情エネルギーが万有原力の源泉となったのです。

いわゆる統一思想のいう前段階エネルギー(Prio-stage Energy)です。


夜の神様がご自身を性相と形状に構成されたプロセス

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愛の種があり、それが相対を中心として吸収してみたところ、神様自体が性相と形状によって構成されるようになりました。何を中心としてそのようになっているのでしょうか。愛を中心として形成されています。

宇宙の根本 第1章 宇宙の根本秩序 1)神様の二性性相の大展開

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夜の神様が、愛の種、愛のコンセプト「父子の関係」の相対である「愛と生命と血統」を中心として受け止め吸収した時、前段階エネルギー(Prio-stage Energy)、つまり本形状を形成するようになりました。このようにして「神様自体が性相と形状によって構成されるようになりました」。


ですから本形状の前段階エネルギーとは、「為に生きたい」という方向性的心情エネルギーと、その「為に生きること」に「絶対に服従したい」という押出的心情エネルギーによって永遠に万有原力を生みだす万有権力の源となったなのです。

そして、聖霊とは、この本形状である前段階エネルギーから来ているということなのです。


ヨハネによる福音書14章15-17

16 わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。

17 それは真理の御霊である。


聖霊、御霊は助ける主です。聖霊は助ける能力があるということです。能力は力がなければなりません。ですから聖霊の助ける能力は神様の本形状の前段階エネルギーから来ているということが言えるのです。


このようにして「神様自体が性相と形状によって構成される」ようになることで、ロゴス(原理)の構想とロゴス(原理本体)、横的真の父母の創造が始まりました。

こうして真の愛の種、愛のコンセプトが創造以前に生まれ、その主体が夜の神様なのです。


夜の神様は「父子関係」を内的目的として、その目的の相対として「愛と生命と血統」を生みだす真の愛の種、真の愛のコンセプトの主体なので、夜の神様は絶対的男性格であって縦的真の父母なのです。


横的真の父母を創造するための性相と形状


愛の種があり、それが相対を中心として吸収してみたところ、神様自体が性相と形状によって構成されるようになりました。

そして次に

「ここにおいて、性相と形状がなぜ分かれるのでしょうか。」

と御言が続きますが、どうして性相と形状に構成された次に性相と形状に分かれるのでしょうか?

横的真の父母の創造のためです。横的真の父母は実体です。

それでは実体はどのようにして創造することが出来るのでしょうか?


本形状から形状を取り出すことによりそれが可能になりました。

では、どうして形状を取り出し実体をつくる必要があったのでしょうか?


愛とは観念ではなく実際に目に見えなくとも実体として存在しなければなりません。

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その真の愛とはいったい何かというと、縦的神の愛と、横的な真の父母の愛を統一することのできる伝統的な因縁を引き継いで、血統を通した生命体を中心として、再び愛の基準を実らせることであり、それが真なる人間の生き方なのです。

韓国は人類の祖国 1989年6月18日ソウル本部教会

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ところが、縦的真の父母である夜の神様は、男性格であり、縦的真の愛の中核である「父と息子の関係」も男性格です。

「愛と生命と血統」を実体的に創造するためには、横的真の父母を創造する必要がありました。横的真の父母を創造するためには女性を、真の母を創造する必要がありました。

そして夜の神様は、形状から女性を創造していかれたということなのです。


創 2:22主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。

男から女を造ったというこの創世記2:22の聖句は、アダムのあばら骨からエバを造った、ということだけではなく、夜の神様ご自身も、夜の神様ご自身のあばら骨から、女性を造ったということも表しています。

夜の神様は、自己の本形状から形状を取り出し女性を創造されたということなのです。


ですから、真のお父様は「性相と形状に分かれた」と表現されましたが、統一的存在である夜の神様が性相と形状に分かれることはありません。正確に表現するならば、「夜の神様は性相と形状をご自身の本性相と本形状から取り出された」のです。


夜の神様は「父子の関係」という愛の種、愛のコンセプトの相対である「愛と生命と血統」を中心として受け止め吸収した時、夜の神様にこのコンセプト、つまり真の愛のために与えたいという爆発的心情、この真の愛に絶対服従したいという心情の決意的動機が始まり、夜の神様は爆発的にご自身を本性相と本形状に構成され、横的真の父母の創造を目的として、性相と形状をもって爆発的に天地創造していかれました。


それは最終的には本形状からくる形状、エバを創造するためでもあったのです。

それが故に、天地創造後の神として、”真の母”を”昼の神”という表現を真お父様はされたのです。


完成すれば、男性の心の中には神様の性相が入り、女性の心の中には神様の形状が入っていくのです。アダムとエバの実体結婚式は、神様の結婚式なのです。

宇宙の根本 第二章 三、1.神様と人間が出会う愛の決着点


この御言はそのように形状、女性をつくるに至った本形状が女性の性相に入るということなのです。そしてアダムには、縦的真の父母の性相が入って行くという意味の御言なのです。


夜の神様が、愛の種、愛のコンセプト「父子の関係」の相対である「愛と生命と血統」を中心として受け止め吸収した時、前段階エネルギー(Prio-stage Energy)、本形状を形成するようになり、「神様自体が性相と形状によって構成されるようになりました」と説明しました。

これは真の愛の性相コンセプトと形状コンセプトによって、夜の神様はご自身の統一的存在性を「性相と形状によって構成」されたということでした。

ですから、完成すれば、この愛のコンセプト(種)の「父子の関係」という縦的真の父母という神様の真の愛の性相と、その性相コンセプト(性相的種)が、アダムの心に入り、

「愛と生命と血統」という真の愛の形状と、その形状コンセプト(形状的種)がエバの心に入るということなのです。


それが故に、男性は”天”を象徴し、女性は”地”を象徴するというのです。


ところが、イエス様は縦的父子の愛の為に、エバを再創造することを捨てざるを得ませんでした。

そして、イエス様の十字架は、この夜の神様の真の愛のコンセプト、真の愛の種を血の犠牲の実体をもって示されたのです。

この夜の神の心情根本から来る、父子関係の縦的真の愛の中心の基準とする愛と生命と血統という真の愛のために殉じて行かれたのです。