今再び「夜の神、昼の神」についての理解が求められています。そのため5年前に書いた試論を再び取り上げ紹介しています。5年前に書きましたが、最近の二代王様の神学を理解するのに役立つと思います。
前回、原理原相論試論(創造原相論編)ではキリスト教会からの批判、統一原理は「両性具有神」であるという批判を前提に「夜の神・昼の神」について論を紹介しました。
今回、2016年7月9日に書いた、キリスト論における夜の神と昼の神からみる天の御父様の四位基台、三位一体論から見る夜の神と天の父母様についての試論を紹介します。
これを読んで再び、原理原相論試論(創造原相論編)を読んでいただければ「夜の神、昼の神」についてより一層理解を深めることが出来ると思います。
<原理原相論>
キリスト論における夜の神と昼の神の四位基台
(試論)
副題:三位一体論から見る夜の神と天の父母様
2016年7月9日土曜日 ファンクラブ三原
韓氏オモニが神様の呼び名を天のお父様から天の父母様に変えたことにより信仰的大きな混乱が起きた。
これは単なる神様の名称論ではなく信仰のあり方、ひいては聖霊の役事にも関わる神学的問題である。何故なら神様は我々に働きかける霊であるからだ。
この問題を「夜の神・昼の神」と「天の父母様」の関係から明確にすることを試みたい。
なぜ真のお父様が「夜の神・昼の神」を言われたのか?
その理由の一つとして「夜の神の位相としての天のお父様」、「昼の神の位相としての天のお父様」を原相論的に区別するために使われたと考えられる。
「夜の神・昼の神」は創造以前と、創造後の同じ天宙天地創造神の、それぞれの位相について語られた。
従って、天の父母も、一なる天宙天地創造神の、①創造以前の天の父母、②創造後の天の父母、③そして夜の神と昼の神の、それぞの位相に従い現れた天の父母の位相について見る必要がある。
1.夜の神・昼の神の原相位相関係
まず①②③のそれぞれの位相について見る前に、「夜の神・昼の神」の関連性を明確にしたたい。つまり「夜の神・昼の神」という原相論における天地創造神について見てみる。
原点に帰るという意味でこの論争に双方でよく使われる原理講論の次の一節を上げる。
天聖経のみ言「神は真の愛の父母である。」というみ言から「真の父母の思想は創造以前から存在していた夜の神の核心思想である。」という事を述べた。
*詳細:・原理本相論試論(創造本相論編)
(以上の試論をより深く理解するためにこの四位基台の論文を読んでから再び読むことを推奨する。)
天聖経のみ言「神は真の愛の父母である。」の父母とは、父と母ではなく、一人なる親としての真の父母の心情が根幹であり、その父母の心情で造られた真の父母思想により原理を創造されたのであるから、この原理講論の記述も、神様が単純に男性と女性ではなく太初から父母性を持って創造されたと見ることができるので男性=父性、女性=母性として記述することが可能である。
「神は真の愛を中心とした縦的な父母である。」というみ言があるように、夜の神の真の父母思想はそのような真の愛を中心とした縦的な真の父母の愛がなければ、真の父母思想を構想することもできない。
それは夜の神の愛したい与えたいという心情が真の父母の心情による真の愛であるからだ。
それだから単に男性、女性と捉えるのでなく、夜の神の真の愛、一なる親の真の父母の愛の父母性に基き男性の父性、男性の母性と表現すことにより、より正しく夜の神の真の父母思想を表すことになる。これは夜の神の原相自体ではなく、夜の神の思想、ロゴス、原理という意味である。
原理講論の「神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、
本性相的父性と本形状的母性との二性性相の中和的主体としておられ、
被造世界に対しては、性相的な父性格主体としていまし給うという事実を知る。」
これは夜の神が「光あれ」と言われる以前、時空間の創造以前の神である「夜の神」の思考の中にあったロゴスであり、時空間光の創造以後の神様である「昼の神」という姿で、このロゴスが創造され被造世界に現れたということである。
つまりこの原理講論の記述は、夜の神に創造された創造物であり、天地創造後の神の姿のことである。
これを原相論的位相からみると、
「神様は天地創造後、父性と母性の二性性相の父母中和的主体である昼の神として現れ、被造世界に対しては性相的な父性格主体である夜の神としていまし給う」
と言うことができる。
原理でいう神様が性相的な男性格主体であるとは性相的父、つまりより根源的な創造以前の神、夜の神のことを父と言っているのであり、
父性と母性の二性正相の中和的主体の神様は光と時空間創造後の展開の中で生じる神様であるがゆえに昼の神なのである。
即ち神様の位相を「光と時空間創造・以前」と「光と時空間創造・以降」によって夜の神の位相なのか昼の神の位相なのか区分することが可能である。
もちろん、これは位相上の区分であり夜の神と昼の神が別々に存在するのではなく神様は全くのお一人である。
以上より夜の神を天のお父様と呼ぶことは非常に理にかなっており自然である。
2.夜の神、昼の神からみる天の父母様
まず先に夜の神・昼の神の原相位相関係を理解して頂いたのは、この理解がなければ、それぞれの同じ神の位相ついていの神を別の神として勘違いする危惧があるからである。くれぐれも天地創造主において夜の神と昼の神が別の存在、あるいは別に存在するというような誤解は市内で欲しい。単に位相における違いであって、まったく同じ一なる天地創造神である。
そのような一なる、この夜の神、昼の神の原相位相関係を理解して頂いた上で、天宙天地創造神の、①創造以前の天の父母、②創造後の天の父母、③そして夜の神と昼の神のそれぞの位相に現れた天地創造主である神に創造された天の父母という3つの位相について次に見てみる。
①創造以前の天の父母
また夜の神は真の愛であり、その愛は一なる親の「真の父母の愛(真の男性の父性、真の男性の母性の愛)」であるゆえに、真のお父様が神は父母であると言われ、実際に「天の父母様」と祈られたのは、その夜の神の真の父母の愛を讃えてのことである。
これが「①創造以前の天の父母」の意味である。
この「①創造以前の天の父母」についての詳細は、原理本相論試論(創造本相論編)、原理原相試論 夜の神様の父母性 、原理原相論試論『 夜の神の存在原相論』
を参考いただきたい。
しかしながら、夜の神の真の愛の性質が真の父母の愛「真の父母の愛(真の男性の父性、真の男性の母性の愛)」であるが、一人の男性にして父であり、父でありながら一なる親という意味の父母である夜の神は結局、圧倒的究極的男性であるがゆえに夜の神を天のお父様と呼ぶのがより本質である。
②創造後の天の父母
一方、昼の神は、昼の神の父性である「昼の神としての天のお父様」と、昼の神の母性である「昼の神としての天のお母様」の父母二性中和的主体と言う事ができ、昼の神を父母二性の中和的主体として見るとき、この昼の神の位相を天の父母と言うことも可能である。
つまり、「②創造後の天の父母」ということである。
光と時空間の無い夜の神は、このような光と時空間を持つ昼の神と一つになることにより光と時空間にも偏在されるようになるのである。
この昼の位相の神様に対し真のお父様が天の父母と言われたと解釈することが可能な、天の父母に関する御言もある。
このように「②創造後の天の父母」の位相における昼の神の父性もまた無形の性相的存在という意味で「天のお父様」と呼ぶことも出来る。
実際お父様のマルスムにも夜の神を指す「天のお父様」と昼の神の父性を指す「天のお母様」と言われた時の対比語としての「天のお父様」がある。
つまり「夜の神なる天のお父様」と「昼の神なる天のお父様」の二つの位相の「天のお父様」があるのでマルスムを分析する際、天のお父様という言葉のその位相は、より根源的な夜の神という意味の天のお父様なのか、光と時空間創造後の昼の神としての天のお父様なのかを判断する必要がある。
③創造された天の父母
③創造された天の父母について、お父様の御言を見てみる。
完成したアダムとエバは横的な真の父母である。真の父と真の母ということである。
そして横的な真の父母は昼の神である。
縦的な真の愛の父母、愛の親は、真の愛を中心とした縦的な一なる父母、一なる親であるが故に夜の神である。縦的な一なる父母、一なる親なので、縦的な父と縦的な母と呼ぶことはできない。縦的な一なる父母、一なる親であるお方は、どこまでも一なるお方であるからだ。
真の父母は夜の神の創造構想の中で存在していた。
「夜の神なる天のお父様」は創造以前から昼の神の顕現を待ちわびる根源的神様本体であり、時空間を伴い展開し成長完成するという位相にはない神様である。
真の父母が夜の神の父母思想に有るということは、その実現の目的となる被造世界において
夜の神の実体愛の対象が完成したアダムとエバであり
夜の神の実体愛の対象が真の父母であり、
夜の神の愛の実体対象が昼の神である
と言うことが出来る。
つまり夜の神の実体対象が完成したアダムとエバであり、アダムとエバが完成し真の父母となり昼の神となるということであり、アダムが完成した「昼の神なるお父様」になるためには「昼の神なるお母様」が相対として必要なのである。
そして、この昼の神の顕現はエバが真の母になることによって実現する。
このようにお父様が「天のお母様」が必要だと言われたのは、昼の神についてであり夜の神に対してではない。
3. ③創造された天の父母からみるキリスト論的四位基台
以上からから昼の神とは真のお父様と真のお母様のことと単純に捉えがちだが、これに対しお父様は更に深い内容を亨進様に語られた。
これを亨進様は次のように語られた。
この亨進様のマルスムは、昼の神も「キリスト論」的神学と「三位一体論」的神学の両方から見ることができるということである。
お父様の「昼の神は天地人真の父母である」という御言は「キリストは100%神であると同時に100%人間」という「キリスト論」的捉え方であり、このキリスト論的昼の神の一方で、聖父、聖子、聖霊の三位格が共に存在しており、神様を「超越的存在」として捉える「三位一体論」からみる「時空間の創造後の歴史が始まった後の動きの神様、摂理の神様と呼べる昼の神」があることがわかる。
また「私は夜の神から、お前たちは昼の神から出てきた。」とは真のお父様(アダム、イエス様、お父様)は夜の神の種「精子」から出て来られのであり、
真のお母様(エバ、お母様)は夜の神の創造後の御姿、昼の神がお造りになった卵子から出てこられたということである。
以上の「キリスト論」的捉え方を整理すると、
*昼の神:
・キリスト論で言う昼の神
「100%神であり100%人間である天地人真の父母様」
・三位一体論で言う昼の神
「時空間の創造後の神様、摂理の神様」
真のお母様は夜の神の創造後の御姿、昼の神がお造りになった
被造物「卵子」から出てこられた。
*「聖父、聖子、聖霊の三位格」をこの夜の神と昼の神の概念で
四位基台として表現すると
・正「夜の神なる聖父=夜の神なる天のお父様」
・分の主体「昼の神なる聖父=昼の神なる天のお父様」
・分の対象「昼の神なる聖母=昼の神なる天のお母様」
・合「聖子=昼の神なる天地人真のご父母様」
と言うことが出来る。
そして聖書にはこうある。
言葉は神、つまり夜の神の言葉は霊である。
真の父母思想をもった言葉なのである。
真の父母思想を持つマルスム(言葉)が具現化するとき父なる神(天のお父様)と母なる神(聖神お母様)として現れる。
この二性性相が聖霊(神の霊)である。
*聖霊の詳しい省察は以下を参照:
これを原理本体論とアボジの直筆から見てみる。
多くの人々が、これらの御言を天宙天地創造の神の二性性相として勘違いをしてきた。お父様が語られる御言は「③創造された天の父母」における位相の御言が数多くある。それはエバを完成真の母までに復帰する再臨主の重要な御旨があったからである。
これはキリスト論的立場、父母二性の性質を持っている言葉であるが故に昼の神の天の父として、その相対としての聖神お母様として我々に役事するので父と母に分かれているように感じるが父なる夜の神、一なる神様からの言葉の性質が実体化した姿なのである。
この言の実体が天地人真の父母様なのであり、
真の父母思想は創造以前から存在していた夜の神の核心思想なのである。
このキリスト論を四位基台の図で表してみる。
<キリスト論四位基台図>