強い夫婦親子関係の平和軍警察市民たれ
キングスリポート12/30,31(2日分)
チャット翻訳 英韓ヨナ王妃 韓日Yuko Morita 監修fanclub
キングスレポートへようこそ。
私が昨日礼拝で申し上げたように、私たちの平和軍平和警察のチームで柔術の試合に出てみようと思います。
ノーギ部門で試合に出ようと思うのですが、試合に出るためにはそのための準備が必要なので、ジョジョ師範と私のもう一人の師範であるマテオさんと一緒に練習をする予定です。
私たちが平和軍警察の立場で神様の王国を代表し、このように試合を競えるということは本当に嬉しいことだと思います。 最初は小さい試合から始めて、どんどん難しい試合をしていくことを考えています。
皆さんのたくさんの祈りとご関心をお願い申し上げます。
今日の聖句リマは雅歌書8章です。
1 どうか、あなたは、わが母の乳ぶさを吸った/わが兄弟のようになってください。わたしがそとであなたに会うとき、あなたに口づけしても、だれもわたしをいやしめないでしょう。 2 わたしはあなたを導いて、わが母の家に行き、わたしを産んだ者のへやにはいり、香料のはいったぶどう酒、ざくろの液を、あなたに飲ませましょう。 3 どうか、彼の左の手がわたしの頭の下にあり、右の手がわたしを抱いてくれるように。
10 わたしは城壁、わたしの乳ぶさは、やぐらのようでありました。それでわたしは彼の目には、平和をもたらす者のようでありました。
11 ソロモンはバアルハモンにぶどう園をもっていた。彼はぶどう園を、守る者どもにあずけて、おのおのその実のために銀一千を納めさせた。
(14節まで読まれました。 )
雅歌書は聖書の中でも愛の歌でよく知られています。
雅歌書は歌の中の歌、すなわち一番最高の歌だという意味を持った歌です。
雅歌書はソロモン当時に書かれたものだと推定される理由は、雅歌書の内容の中には王国の形が統一王国の形になっているという暗示があるためです。
雅歌書の愛の歌を解釈する多くの観点がありますが、 ただの愛の歌だ、そうではなく男性の部分は神様を象徴し、女性の部分は教会を象徴しており、二人が神様を象徴すると解釈する観点も一般的です。
また神様から授かった結婚を貴重に思う男女の愛だと解釈する人もいます。
しかし、ソロモンには700人の夫人がいたということを考えると、この雅歌書ではソロモンが結婚をする前に書いた詩ではないかとも推測されます。
しかし一番よく知られている解釈は、いずれにしても来られる主をここに出てくる女性のように切実に愛して待っているということです。
雅歌書8章の8節と9節では、雅歌書で出てくる女性の兄の観点が出ますが 、8節には「下の姉がプロポーズされる日を待つ」という内容が出ます。 それゆえ、非常に官能的な説明のつく節が多い雅歌書ですが、結局、雅歌書の最後の章の8節で結婚について言及し、男女の関係が神様の望む結婚の形が最も理想的であるということを言います。
しかし、若いソロモンの持つ燃える愛は、ソロモンの生き方を振り返れば、この小さな姉とは結ばれていない可能性が高いですね。
夫というのは、ただ主体の位置だけを持っているのではなく、家庭で奥さんや子どもたちを導いてあげる位置なのです。 夫は家庭の頭として王であり、また祭司長の役目を家庭でしなければなりません。
奥さんを強く愛してあげるエネルギーが強い時、子供たちは親の愛を見て自分の家庭が安全で暖かいと感じます。
それとは反対に夫婦の愛がなければ、その夫婦の子どもはとても寒く、硬直した環境で子どもたちが育つことになります。
最近の子供たちは社会が許すフリーセックスとセックスに過度に集中する文化の中心に置かれています。 公立学校に通いながら自分たちと同じ年齢の子供達とお互いにそのレベルの本能でいっぱいになった情報を分け合いながらより一層その文化に陥ります。
アメリカでは特に、公立学校でそのような文化が深く根付いており、性的誘惑を振り切って勝ち抜かなければならず、責任のないセックスは破滅を生みかねないということを子供たちに教えません。
子供たちは親と親の間に愛があるのを見ると、そこにとても暖かさを感じます。 その暖かい安定感を再び子供の日を通じて3つの感謝したことをお互いに分かち合うと、その子供は他のレベルの愛を感じます。
本当に皮肉なことは、いつも自分の夫に「私を愛してるの?」と聞く夫人も「私を尊敬しているの?」と聞く夫も、自分もそうやって感謝の気持ちや愛の気持ちをお互いに確かめたい気持ちがあるように、自分の子どもたちにもそんな気持ちがあるに違いないのです。
親の中には子供に偏愛をする場合もあります。 末っ子を特にかわいがっているとか、それとも一人の子が特別に才能があったりしてその子を特にかわいがったりすれば、 子供たちの中で、兄弟の間で、競争と紛争と嫉妬が生じるようになります。
しかし、子どもの日をそれぞれの子どもたちにしてあげると、そのような現象はほとんどなくなります。
もちろん子供たちを皆連れて行って一緒に時間を持つのが無条件に悪いという話ではありません。
しかし、もっと良い発展ができます。
もちろんグループで子供たちと出かけて時間を過ごせば親の立場ではとても時間を効果的に使ったと思えます。
しかし、研究結果が見せてくれたように、子供たちは両親と過ごし、それぞれの個人的な時間をとても大切に思い、良い時間として記憶しています。
その記憶は、両親が子供の私を深く愛し、両親との関係を肯定的に形成するのに非常に重要な基盤になります。 社会と公立学校の教育と学校の友達は親をあまりよく表現しません。 親を恨みを抱く対象として、そして煩わしい対象として描きます。親を否定的に思う誘惑が来た時 、子供たちが子供の日を通じて親を思い出しながら再びその誘惑を振り切ることができる多くの良い記憶が必要です。
夫婦がお互い一緒にいて時間を過ごすこと自体がとても否定的で恨みのある関係なら、そのような状態で子どもの日をすると、子どもにとってかえってよくないかもしれません。
子供は既に霊的に離婚した状態である二人の親を自分の前に置いてますます当惑するでしょう。
だからこそ、夫婦が絶対性と愛と尊敬の訓練をすることが、子供を育てるうえでとても重要なのです。 これは祝福家庭としてもとても重要な問題です。 もし一人が世の中のすべての成功を持っていても、真の愛が家庭になかったら、その人は何も持っていない人です。
人生には困難なことが起きて、私たちを根元まで揺さぶることを私たちは経験します。 しかしそのような時に私たちに神様を愛し夫婦間に愛があって子供たちと円満な間を持っているとすれば、そして家庭の中の暖かさが存在すれば、どんな困難があっても、それを乗り越えることができるのです。
研究調査によれば信仰を持っている人々が困難をより一層よく勝ち抜くと言います。 もし私たちがそのような状況にいなかったら、これを一度考えてみるといいですね。
私がいつも申し上げるようにメタノイア悔い改めがあります。 ところで聖書の悔い改めという単語は軍隊で使われる単語を持ってきて使ったものであり、軍隊の整列を完全に180度回転して一方向から違う方向を見ているそうです。
私たちが持っていたものを、私たちが経験したことを完全に180度に転換して神様と主を見つめることです。
夫婦との訓練、子どもたちの日のような訓練を通じて、家庭に神様の愛を中心にした温かく強烈なエネルギーをもたらさなければなりません。 夫婦関係が良かった時もあればつらい時もあります。 当然その通りです。
しかし、夫婦関係で冷たい感情が一週間二ヶ月も続いたらそれは問題です。 何時間ぐらいかは夫婦がお互いに時間を持ってけんかした感情をなだめることは必要なことでもあります。
また、祈祷室を通じてみ言葉と冥想祈祷でまた解決点を見出し、夫婦訓練に臨むことも重要なことです。 そのように夫婦が神様を中心として夫婦の訓練と子供との訓練をすることは、理想祝福の大きな肥しになります。
(休み時間)(ストリームに問題が発生して申し訳ありません)
(録画されたインタビュー放送をお見せしています)
市民銃器所有の自由は、実は人なら誰でも享受しなければならない人間の基本的な人権です。 そういう人権を今アメリカの民主党が市民から奪おうとしていますが、 今バージニア州でもこの戦いが熾烈に行われています。
今日は私たちペンシルベニア州で市民銃器所有を保護するためにペンシルベニア州のカウンティ(都市より少し高い概念の行政単位)に訪問しながらペンシルベニア市民銃器所有保護聖域都市推進運動をしているボブさんとパティさんをお迎えしました。
なぜこのようなことを始められましたか?
パティさん:私は私の兄弟と両親が銃器訓練が好きなので、自然に銃器に接しました。 2年前まではニュージャージーに住んでいたのですが、私はここペンシルベニアに引っ越して来ながらもっと銃器の自由を愛するようになりました。
ボブさん:私も両親が銃器訓練を楽しみました。 私もまたペンシルベニアに引っ越して来て、私の隣人に銃訓練を勧められて一緒にしながら、また私の銃器所有を自由を楽しむことができる他の人々の権限も守らなければならないと思いました。
2代王様:事実銃器のトレーニングの一番重要な部分はどうやって安全に銃器を訓練して楽しむことができるかというのではないでしょうか? しかし左派は、絶対に責任ある子どもたちを犯罪から防ぎ、保護したい強い良い父親たちが、なぜ自分の子どもたちに銃器を教えるのかを示したり、言ったりしません。 今どのようにこの運動を推進していますか。
パティさん:私は草の根運動でこれをやっています。 それぞれカウンティや都市の郵便局に行き、行ったり来たりする方々に私たちがする仕事にサインと住所のEメールをもらってその方々に支持をお願いします。
ボブさん:私たちがする仕事が大嫌いな人たちには、まだあまり会っていません。 しかし、私たちが店に私の運動を紹介した時、あまり好きではない姿はしばしば見ます。
2代王様:本当に必要なときには愛国者を見つけることはできず、戦いが終わって平和があればそのとき人たちはお互いに自分が愛国者だったと主張をするという言葉があります。 今ボブさんとパティさんがなさっている仕事を通じて人々のそのような行動パターンを経験していると思います。
実はボブとパティさんもご存知のように、ペンシルベニア州の州知事は米国で最も民主党的な左派性向であると言ってもおかしくない程、市民銃器の所有を嫌悪する人なのです。ペンシルベニア州が次の市民銃器所有剥奪のターゲットになるという予測も多いですが、しかし孤独な戦いであることは事実です。 どうやってこの戦いを毎日毎日行っていらっしゃいますか。
ボブ氏:今の米国の状況は、一日一日、ますます多くの市民銃器所有制限をしていっている状況です。 それが大きく見えないかも知れませんが、一つの銃器に10ドルの登録費を毎月支払わなければならないとか、銃を装填して家から持って出られないとか、また一人が銃器を所有していて、引越しをしたり電話番号を変え、もし政府に変わったことを登録しなければ、それが引っかかって一人の銃器所有市民を犯罪者に追い込むことができる法案もあります。
2代王様:私はボブさんとパティさんがGOAと一緒に仕事をしていると聞いてとても嬉しかったです。 ペンシルベニアの地域指導者たちの反応はいかがですか。
ボブさん:実は私たちは州の上院下院に直接会ったり電話をしました。 しかし彼らの反応は無関心に近いです。
2代王様:しかし、皆さんが地域社会の市民たちにサインを直接受けられ、特にパイクカウンティではこの仕事を支持する方たちのサインをそのカウンティの人口の3%程度を受けられたとは、政治家たちの立場では自分たちが再び選ばれるためにも、この仕事に関心を持つだろうと思います。
パティさん:はい、そうできることを期待しています。 私たちはこの任務を遂行するまで絶対にあきらめません。
2代王様:私たちの権利を死守する為に一生懸命走っていらっしゃるボブさんとパティさんは本物のこの国の愛国者です。 寒くても暑くても休まず外に出て人々を説得し、市民銃器所有法を守るために努力するお二人に大きな激励の拍手をお送りします。
パティさん:ありがとうございました。 今ペンシルベニアの郡の中では70%が参加しています。 私どもを助けてくださろうとされる方はTシャツを買ってくださってもいいし、またステッカーも売っています。もっと多い情報は私どものウェブサイトを参考にしてくだされば幸いです。
ボブさん:もし、ある地域でこの運動を始めることを希望されれば、私たちがもちろん多くの助言を差し上げることができますが、何よりも最も重要なことは、ただウェブサイトを作って、多くの人からこの運動のためにサインをもらうことです。 人々の支持があってこそ政治家も動きかねません。
2代王様:今日、参加してくださってありがとうございます。
(インタビュー終わり)
ティム本部長:この方々は大変貴重な仕事をしていらっしゃいます。 うちの教会にもこの運動の支持のためにサインをもらおうと参加をしました。うちの食口の中でもこの運動を自分のカウンティでリーダーとしてするとおっしゃいました。
チャット翻訳 英韓ヨナ王妃 韓日Yuko Morita 監修fanclub
キングスレポートへようこそ。
今日の天一宮の天気は少し曇りで午後になると雪と雨が混ざって降り道が滑ります。滑りやすい道に気をつけてください。
日曜礼拝でお話ししたように、平和軍平和警察のチームの中で試合チームを組んで試合をすることにしました。
まだ日程は決まっていませんが、私が既に試合をしている黒帯の友達の師範たちと連絡をし、練習の日時と試合の日を決めることにしています。
私も平和軍警察道場の師範として試合に出ることを考えています。
もちろん、私たちがメダルを追求しているわけではありませんが、このように試合に出るということは、子供たちが練習をするのに多くのエネルギーを与え、緊張を与え、祈らせます。 また生死が行き交うことと似たような経験をすることで、生きる目的についても考えさせられますね。
私たちが試合で勝てば、平和軍警察の旗をなびかせようと思います。 人々は普通の試合を準備するためには10ヵ月練習をしたりしますが、私たちは早く試合に入ってみようと思っています。 今の考えでは来年3月頃を考えています。
ニューヨークとペンシルベニア州を行き来しながら、訓練と試合に参加する予定です。 最初は小さい競技からどんどん大きい競技に参加しようと思います。 私たちと一緒に参加して戦うことができなくても、霊的に私たちを励ましてくださり、祈りを必ずしてください。
今日の聖句リマはルカ福音書18章です。
第18章
18:1また、イエスは失望せずに常に祈るべきことを、人々に譬で教えられた。 18:2「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わぬ裁判官がいた。 18:3ところが、その同じ町にひとりのやもめがいて、彼のもとにたびたびきて、『どうぞ、わたしを訴える者をさばいて、わたしを守ってください』と願いつづけた。 18:4彼はしばらくの間きき入れないでいたが、そののち、心のうちで考えた、『わたしは神をも恐れず、人を人とも思わないが、 18:5このやもめがわたしに面倒をかけるから、彼女のためになる裁判をしてやろう。そうしたら、絶えずやってきてわたしを悩ますことがなくなるだろう』」。 18:6そこで主は言われた、「この不義な裁判官の言っていることを聞いたか。 18:7まして神は、日夜叫び求める選民のために、正しいさばきをしてくださらずに長い間そのままにしておかれることがあろうか。 18:8あなたがたに言っておくが、神はすみやかにさばいてくださるであろう。しかし、人の子が来るとき、地上に信仰が見られるであろうか」。
(8節まで読まれました) この一節は私たちに祈祷に対してもう一度考えさせます。 実は若い人たちは祈りを考える時、祈りを何か迷信的なものだと考えがちです。 しかし自分たちに困難が生じ、苦難が生じた時、その緊張と恐れが信仰のない若者たちでさえ祈らせます。
試合を準備して訓練をしながら、自分がまるで戦場に出る前に準備する軍人のように自分の状況を省みることになります。
誰かが自分の力を尽くして攻撃し、その過程で自分の足や腕が折れるかもしれないし、気を失うかもしれないし、それが録画され人々がその過程を見ることができるという事実は、若い人々に眠れない夜を過ごさせます。 特に試合前日はですね。
しかし、それにもかかわらず、その試合に臨み、準備しながら戦争で戦い続け、祈り、戦場にまた行き、再び祈りをする聖書の多くの人物に出会い、彼らの祈りを理解するようになります。 (ダビデ王の詩編)若い人たちは生きながら、そのような生死が分かれるような経験をする機会がほとんどありません。私も私が十代の時に青いベルトだった時、ある道場に行って組手(道場同士で試合をすること)に参加しました。
一度は組手である黒人と戦うことになりましたが、その黒人の子供も私も二人ともお互いに終わらせることができなかったのです。 しかし、その黒人の子供が試合の末にあまりにも怒って私を蹴ろうとしたことを思い出します。 (蹴ることは柔術の競技では違反です。^^) このように試合というのは、まるで戦場を間接的に若者に経験させるものです。
そのため軍隊でも戦争がない時、軍人の間で士気を高め、戦争の緊張を緩めないために軍隊内でこのような試合をしたりします。 今までは私が訓練をした子供たちの準備ができていませんでしたが、今は私が子供たちの準備ができたと思います。 若者たちにとって信仰というのは、自分たちが知らない領域を探していくことです。
しかし、その過程で外からはっきり見える敵がいることもあれば、見えない恐怖と疑いと闘いながら練習を続ける過程は子どもたちを祈らせ、成熟させます。
また自身が試合に行かなければならないと思うと、子どもたちは大変なトレーニングも10倍もっとよく耐えるようになります。 いや、厳しい訓練もありがたくなります。 それは信仰の過程でも苦労と訓練の中でも感謝の心を持つことはその信仰者を強くします。 また感情を主管する方法も学びます。
自分はあまりにも震え、足がすくみ、お腹の具合が悪くなり、吐き気があっても、敵に立ち向かい、自分の心に平常心を探しながら前に進まなければならないからです。
ダビデ王が戦場に出てモアブ族とエドム族と戦う時、それは完全に開かれた空間で人々はダビデ王がどのように戦ったのかを聞くことになります。
これはもちろん全く同じではありませんが、現代社会でその戦場を間接的に経験することになります。 また自分を嫌い、からかう人たちが私が負けたら彼らが私をもっとからかうだろうという恐怖もあります。
そのようなことをすべて主管するためにダビデ王は祈ったし、私たち平和軍の訓練をする子供達も祈らせるのです。 自分が一生懸命に訓練をして最後に勝った時、そのすべての栄光を神に捧げることも学ぶようになると思います。
今まで私の訓練生たちが荒野で静かに訓練をしましたが、これからは世の中を見て戦う方法が分かるようになります。 このような試合を通じて神様の勇士というものが何か経験をするようになると思います。 戦場で平和の靴を履くということが何なのか分かるようになるでしょう。 多くの若者は、ある日は訓練を望み、他の日は訓練をしてみようかと考えながら、訓練に対して怠ける姿勢を示します。
しかし、試合があることがわかれば、自分の練習の結果が自分の試合にどう影響するのかがよく分かるので、練習を怠ることができません。 ほとんどの道場ではこのように試合という媒介を置き、自分が道場でお互いに勝たなければならないと考えるより、外に向き合わせ、外の敵に勝つために努力させます。 イスラエルの民も常に敵に囲まれているので、それがイスラエルの民をより団結させ、常に準備するようにさせました。
一人が苦難を受ける時、その人が祈りとみ言葉の力を信じても信じなくても、私たちは神様にすがることになります。
今、読んだ聖句で、ある裁判官は自分には信仰がないが、懇願してすがる未亡人を助けます。 それでは私たちは愛する神様は私たちが祈る時、どんなに切ない心を持ってその祈りの言葉を聞くのかということです。
あるキリスト教徒たちがこの話を聞くと、 あ、それでは神様がこの裁判官のように頼みさえすればすべて聞き入れ、すべて戦ってくれるだろうと思うのです。 しかしそうではありません。神様は戦場で私たちと一緒に戦ってくださいますが、私たちの戦いを代わりに戦ってはくれません。
神様がカナンの地をイスラエルの民たちに約束された時、神様はその戦いを一人ですべて戦われ、イスラエルの民は地中海の浜辺に横になってパイナップルジュースを飲みながら休めとはおっしゃらなかったのです。
ヨハネ黙示録の再臨主の主がいらっしゃった時も、主は戦場でサタンの勢力に立ち向かい共に戦われますが、その戦場の真ん中で我らも敵と共に戦わなければ勝利は得られないのです。
ギディオンの軍隊が小さな軍隊でありながら、大きな勝利を戦争で収めた時、もちろん神様がギディオンに戦略を与え、ギディオンの軍隊に方向と奇跡を与えてくれましたが、ギディオン自身が鎧を着て槍と刀を持って軍隊を集めて説得し、共に戦場で戦わなければならなかったということをあるキリスト教徒は忘れてしまっています。
ただ日曜日に礼拝に出て教会にだけ行けば、自分の戦いを神様が全部戦ってくださると思ってはいけません。 今は本当に末世のサインがあちこちに出ています。
人間の傲慢は神様が作った性別まで変え、女性が男性になるために性転換手術をし、またホルモンセラピーを受けて赤ちゃんを産んだと言っています。 そう言いながら、男が赤ちゃんを産んだと大騒ぎをします。 これは神様の作ったものに正面から挑戦することです。 多くのキリスト教徒はもう末世が来ました。 主よ、マラナ・タ、再び来て下さいと言います。
(コリントの信徒への手紙一 16章22節)
しかし、その聖書の歴史の中で、ただ神様がいらっしゃって、全て戦争で戦ってくだり、勝利を抱かせられたことがありますか?
方向をくださり導いてくださっても、その戦争で戦わなければならない人は、私たちです。 その戦場の真ん中で私たちと一緒に戦う主にすべての栄光を捧げます。
( 休み時間)
私(ティム本部長)はもう一つの映像をお見せしようと思っていますが、 映像の中に2人がすぐ銃器に打たれて死ぬシーンがあります。 もし、それがあまりにも残酷だと思われたら、ちょっと目をそらしてもいいです。
6秒の間、3発の銃弾が発射され、2人がその場で即死しました。 もう一度見ます。 見えるでしょう。犯人が銃を取り出してほとんど同時に警護員なのか市民なのかよく分かりませんが、犯人を撃って倒します。 さて、この事件を分析してみます。 教会のように多くの人々が集まった場所では、特に教会で人々に座席を案内する方々にこのような危険があり得るということは、あらかじめ熟知させなければなりません。
犯人から1番目、二番目、三番目の人がいます。 2番目の人は実は犯人を見て銃を取り出そうとしました。 しかし、その人は2.0秒以内に銃を取り出すことができなかったために、犯人の銃に当たって死にました。
しかし、3番目の人は遠くから頭に銃を合わせました。犯人の頭にです。これは本当に危険な緊張が漂う状況でこのように合わせるのは本当に多くの訓練が必要です。
犯人が倒れてますます多くの市民銃器を持った人たちが立ち上がって状況を助けようとしています。
6番目、7番目の人たちが市民銃器を持って助けようと出ているのですが、少し反応が遅れました。
また、何人かは銃器を構えて助けようとして出てきていますが、今犯人が倒れた状況では銃口を安全な方向に、つまり下にして状況を調べなければなりません。
また、このように銃傷を負った人がいれば、常に流血をとめる装置が準備されていなければなりません。
また、その装置を専門的に使えるように訓練された人がいなければなりません。 そして最後に一人が電話を取り出して119に電話をしているようですが、その人は、電話をしながら銃を自分のわきの下に挟んでいます。 これは非常に危険な状況です。
銃口をどんな場合でも危険が目の前にないなら、人々の方向に向かせてはいけません。
(映像終了)
この映像を作ったジョン・ケリア氏はこうした銃器乱射事件がある時に、自分は少なくともその事件が48時間が経った後、映像を作ると言っているのですが、今回の件は例外だったと言いました。
何年前だったでしょうか? ある教会で銃器乱射事件が起こり教会にいた全員が死亡しました。
しかし、この銃器乱射事件では2人(犯人に3.5秒に銃を取り出して最初に銃に当たった方)が死亡し、1人が重体だそうです。
本当に多くのことを学ぶことができる映像でした。(この犯人は散弾銃-普通は鳥の狩りをする時に使うショットガン-を使用して犯行をしたようだとニュースは伝えています。)
今この事件の原本映像はYouTubeから削除されましたが、ジョン カレラさんが原本映像が削除される前にその映像をダウンロードしておいたようです。
この事件が伝えられ、多くの人々の哀悼と早い快癒を願う文が続いています。 ピッツバーグ市にはある会堂に銃を持った犯人が入り、銃器乱射をし11人を殺しました。
これが昨年だったと記憶していますが、その犯人は自分が殺したい人を皆殺しにして会堂を悠々と出て、その時やっと到着した警察を見てまた会堂の建物に入って20分間隠れんぼうした後、検挙されました。 本当に呆れます。 今映像でも見たように事件が起きたのは3.5秒でした。
それを見ても一つの事件を見ると、市民たちが責任を負わなければならず、警察にそれが期待できないということがよく分かります。しかし、本当に呆れることは、キリスト教徒がこのような銃器乱射事件をめぐり、特に監理(メソジスト)教連合が公式に出した立場は、私たちキリスト教徒は死を恐れないという観点だと言います。 死を恐れないことは一理ありますが、神様から授かった私の生命と他人の生命を保護することは当然のことです。
このような受動的で話にならない一部キリスト教徒の立場は、もっと犯人たちが暴れる環境を作ることになるのです。
◆もうドラッジはトランプに反対する方に行ってしまいました。
まだどうしてそのように自分たちのニュースサイトの名をつけたのかはよく分かりません。 テキサス銃器乱射事件に関する記事がありますね。
トランプ大統領が弾劾されるでしょうか。 下院議長のナンシー ぺロシは弾劾決議案を下院で通過させ、これをまだ上院に渡していません。
(それは上院が共和党の多数であり、弾劾が成立するためには3分の2が賛成しなければなりません。 だから弾劾になるにはほとんど不可能だと見るべきです。)
現在、黒人の間でも共和党の支持者が増えているという事実も民主党にとって大きな障害として現われています。
◆大統領候補の中で、ジョー バイデンはオバマ政権の時、副大統領でした。
通常なら自分の下で働いた副大統領が大統領選挙に参加すると、その時一緒に仕事をした関係があるので、大統領がその副大統領の大統領選当選を支持するのです。
しかし今回、ジョー バイデンが大統領選挙に参加したにもかかわらず、オバマ大統領はジョーバイデンについて言及もせず、エリザベス・ウオーレンを支持する発言をしたりしました。 ほんとにおかしいですね
そんな状況のために身動きが取れなかったのか、ジョーバイデンは自分が大統領になれば、自分はオバマを最高裁判所長官に任命することを考えているという言葉を流していました。
その餅のご飯にオバマがつられて興味を引くかどうかは見守らなければなりませんね。
◆バージニア州は今、銃器の市民所有を守ろうとする戦場になっています。
しかしバージニア州の人の意見は違うようです。
114個のバージニア州に属する郡と都市では、銃器市民の所有保護聖域都市を支持しているそうです。
市民銃器所有の自由は市民が持っている自由と権利の中で最も重要な自由の一つです。
なぜなら市民銃器自由は他のすべての自由(集会の自由、言論の自由等)を守ってくれる自由だからです。
◆巨大な三角形のUFOが映像に撮られたそうです。
だんだんドローンと人工衛星が発達し、2019年は本当にUFOを愛する人たちに豊年的な収穫がある年でした。
ドローンなのかUFOなのか分からないような正体不明の飛行物体が本当に多く出没しました。
真のお父様は、UFOは低級の霊たちであり、霊界で何か乗るものが必要な場所だと考えている霊たちの現象だとおっしゃったのを聞きました。
◆あるフランスの神父91歳が、ほぼ十数年以上4人に性的暴行を行ってきたことが知られて衝撃を与えました。
今日は本当に万感が交錯する朝です。
テキサスの事件がもっと大きい犠牲者を生まないで市民銃器所有の自由と権利を守った方の勇気で終わることができて感謝します。
神の王国が天で行われたように地でも行われるその日まで、キングスレポートが共にあります。
今日もキングスレポートと共にして下さったすべての方に感謝します。
◆昨日、日曜日のテキサス銃器乱射事件について多くの報道をしたので、今日はあまり話しません。
しかし今日その事件に対してもっと多くの内容が伝えられました。
その事件で、そのテキサス教会で一般信徒でありながら、ボランティアとして教会警護員をなさっていた一人の方が犯人の銃で撃たれて亡くなり、また教会の警護員をボランティアでしていたもう一人の方が、犯人を自分の拳銃で撃ち、その教会でもっと大きくなるはずだった人命被害を減らすことができました。
この教会は特に、銃器乱射事件が教会をターゲットにしているという事実を直視し続け、教会の警護員チームが訓練をしてきたそうです。 昨日ご覧になったジョン コラーラさんの映像によると、この教会の方々がもっとたくさんの訓練をされ、拳銃をホルスターから出す時間が犯人より短かったら生きられたのにと言及しました。
(犯人は2.0秒で、その亡くなった警護員は3.0秒程度で銃を向けたそうです。 年末だから記事もそんなにおかしなことはたくさんありません。
(記者たちもこの時間になるとたくさん休暇を取るそうです)。
◆だから今日は経済インフレについて一度話をしてみる時間を持とうと思います。
一般的に考えてみるとインフレーションは価格が上がることだと思います。 しかし、それは今私が読む記事によると、それは事実ではありません。 インフレはお金の供給が増えることをインフレといいます。 そしてそれに相応する結果で価格が上がることが一つだと言えると述べています。
また自分が過去と比べて持っているお金で買える品物がもっと減るのもインフレーションの結果だと考えられます。 同じ量のお金で同じ量のサービスや物質を買うことができないというのは、そのお金の価値が落ちたということです。
例えば、もしマクドナルドの店でハンバーガーの値段がもっとも高くなったという話は、私が1万ウォンを持って買えるマクドナルドハンバーガーの量が減ったという言葉になるという意味です。
今私が持っているアメリカ貨幣はアメリカでのみ使うことができます。
他の国では使えないでしょう。
そして、そのお金をプリントできる権限を誰が持っているのか? それは中央準備対策銀行がその役割をしています。
それは独占企業ですね。(FRBは国家公企業でもなく私企業銀行です。)
この職業を持つことができるとすれば、この職業よりもっと利益が儲かる商売なんてないでしょう。
しかし、お金を印刷するということは何ですか? 価値が存在しないのに価値を虚像で作って市場に入れるということです。
昔は金(ゴールド)の量で市場の貨幣の量が定められていましたが、今は中央銀行を通じてただお金を印刷しているのです。
結局、このように紙幣を発行することは、紙幣をお金で持っている人にはその紙幣の価値がますます低くなるため、2代王様が土地のような本物の資産に投資するようにとおっしゃっているのです。
もちろん日常を生きていくにはお札が必要な時もあります。 それはそうしなければなりませんが、たくさんのお札を持っている必要がないということです。
中央銀行がお金を印刷し続けると、もちろん市場の価格を上げるという弊害があります。
しかし先ほども説明させていただきましたように、市場にないのに価値があるように、虚偽で見えるようにできるという事実がもっと大きな問題をもたらします。
金、3.75グラムで古代ローマ時代に買える量の物と、今、金3.75グラムで買える量の品物はほぼ同じです。 それは金の価値はインフレに影響されない安定した価値を持っているということです。
したがって、多くのマスコミが、このような中央銀行の政策に多くの正当性を付与しているとしても、結局は中央銀行は一般人には有害な組織だということです。
また、このような中央銀行の貨幣印刷供給により、株式市場は右肩上がりに上昇しています。
そして皆さん、これを知っていますか? 皆さんが株式をあちこち少しずつ持っているために、その上昇する株式市場で少しの利得を得られたか知りませんが、米国の株式のほぼ90%は極少数の巨大なお金持ちに所有権があります。
というわけで結局スーパーエリートばかりがますますお金持ちになる仕組みなのです。 また、一人が株でお金を稼いだとしても、その人が持っている貨幣の価値はインフレーションでさらに落ちた状態だということも甘んじなければなりません。
約20年間アメリカでは株式市場が上がりました。また、その20年間、中央銀行は続けて市場にお金を印刷して入れる貨幣供給政策をしてきました。 これは誰が見ても危険ですよね。
そのため、天一国憲法では中央銀行を禁止します。 ある銀行が1%以上の国民の預金を占有できないように天一国憲法では制定しています。
中央銀行は紙幣を刷って人々がそれを使うことを望んでいます。
しかし、私が今持っているコインはほとんど10ドル(1万ウォン)の価値があります。 なぜなら、このコインには金が混ざっているからです。
しかし、絶対に中央銀行は、人々がこのように金が混ざっている金コインを使えば、自分たちが印刷する紙幣の権威に人々が挑戦し始めるようになるため、それができないようにします。
また、金に対して利潤を残すことも政府は規制しています。
もし一人が金を買って金の価格が上がった時、再び売ろうとすると、政府はその金を買ったり売ったりしたときに付く利潤に対して税金を課します。
トランプ大統領が再選を果たせば、私の意見ではトランプがすべきことは中央銀行を米国からなくすことだと思われます。 トランプがもし、米国の5人目の大統領だったアンドリュー・ジャクソンが行った中央銀行を米国から追い出すことができるとすれば、彼は最高の大統領として米国の歴史に記録されるでしょう。
( 休み時間)
(トランプ大統領は自分がホワイトハウスに入るとき、自分の大統領職務室にアンドリュー・ジャクソンの肖像画をかけたことで有名です。もちろん、彼が今は政治争いに中央銀行まで手を出せずにいますが、再選の時はそのような改革ができることを期待します。 )
(また、ケネディ大統領も中央銀行をなくすことを推進し、世界秩序を追求するスーパーエリートたちに嫌われて暗殺されたという説もあります。 )
◆真のお父様はいつも韓国語を学べと強調していらっしゃいました。
面白いのは韓国語を真のお父様が学べと強調されてすぐ、その後すぐ韓国のリーダーたちは来て 「本当に韓国語 を学ぶのが難しい」と言うのを見ました。実に呆れました。
それは真のお父様を韓国人たちが独占する方法だったというのです。 実は私はアメリカ統一神学院で韓国語のアルファベットを学んで単語を勉強しました。
初めて韓国に行った時、私はアメリカから来たと言いました。 と言うほど韓国語が下手でした。 しかし、韓国語が段々上手になると、私が韓国語がどの韓国の人々よりもっと上手だという事実をとても嫌やがる人々も見ました。
それは自分たちが再び真のお父様を独占できなくし、真のお父様のおっしゃるみ言葉を自分達を通じてだけ聞き取るようにするためでした。 言語は道具ですが、その道具は人々とコミュニケーションをさせます。 関係を形成し発展させます。
もちろん韓国語が上手だからと言って真のお父様と必ず深い心情を分かち合えるというわけではありません。 しかし、その方が韓国語を学んでいたなら、より一層深い真のお父様の心情世界を理解して感じることができるということも事実です。 韓国語は外国人が学ぶには難しくありません。 すべて考え次第です。
それでは今回私が開く韓国語大会の家庭盟誓と天一国国歌の暗唱、そして挑戦にぜひ参加してください。 私が一人から電話メッセージをもらいましたが、 その方はティムエルダー、あなたの言う通りです。 私が勉強をしてみたら一日で韓国語のアルファベットを全部覚えたと言いました。 彼は70歳を超えている方です。
アメリカ公立学校では学校ガインダンスカウンセラーという肩書きを持つ人々がいます。 その方たちは子供たちが大学に進学する時や学校と関連した仕事をしています。
その方たちの立場では学生達がどれだけ良い大学に行くかで自分の実績が立証されるのでそうするしかないわけです。
そのため学生たちが進路相談をする時、その方々は大学で学生たちの未来を決めてあげるのが事実です。
あるアメリカの田舎町の学生は美術がとても上手でした。
すると学校ではその学生が必ず大きな都市の美大に挑戦しなければならないように言いました。
しかし、その学生の家は中産層だったので、大学の学資金の貸与や学資金の助けを要請することもできなかったのです。
親が子供の大学のために貯めておいたお金は8百万ウォンくらいだったのですが、今大部分の大学の学資金は一年に約8千万ウォンかかるということでした。
また、学資金を借りても、約20年から30年その借りたお金を返していかなければならないというのです。
そうすると自分の孫が大学に通うようになるまで学資金を払っている状況に置かれるのです。
このような学資金は一人の人生につきまといます。
一人が約1億近くあった学資金の借金を一度に解決した人を見ましたが、その人の方法はすなわち死だったというのです。 その人の事故死によりその1億の学資金の借金はすべて取り消しになったということです。
本当に笑えない状況です。
子供たちの立場では親が美大の夢を叶えるために高い大学に送ってあげられないことが頭に来ることもあるし、親の立場ではすまない気持ちになるかも知れません。
多くの親が子供と自分の実際の家庭の財政について話すのを嫌がります。
そんな無理な学資を親が背負うこともあります。 しかしそれは良いことでしょうか?
結局その田舎の学校の美大に行こうとする女の子が親と家庭の実際的な財政について話し、娘は小さいが、アートプログラムがしっかりした学校に入ることに決めたそうです。
その娘は親に、親が経済面について率直に話してくれて 現実的な助言をしてくれたことをありがたく思うと言いました。
もしその娘がニューヨーク市の有名なアート大学に行ったなら、結局学資金を返す奴隷のような人生を生きて行かなければならないだろうという現実的なアドバイスをしてくれた両親に感謝するそうです。
必ず大学に行けば何かができるのでしょうか?
今日の放送が皆さんに有益であることを願います。
神の王国が天で行われたように地でも行われるその日まで、キングスレポートが皆さんと共にあります。
今日もよい一日をお過ごしください。愛しています。アーメンアジュ。
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