2025年2月13日木曜日

キリスト再臨アドベント32 ◆この聖句は、ヨハネが使命を果たせなかったことを強く物語っている◆文信俊三代王◆ The Advent by Shinjoon Moon_ Principle Series

 The Advent by Shinjoon Moon_ Principle Series

キリスト再臨アドベント32

この聖句は、ヨハネが使命を果たせなかったことを強く物語っている


文信俊三代王

翻訳&提供:Michiy

32. (20250201) This Scripture Strongly Reveals John's Failure of His Mission


この聖句は、ヨハネが使命を果たせなかったことを強く物語っている。


[皆さん、おはようございます。これは、前回投稿したビデオからのクリップ(切り抜き)です。そのため、全体の文脈を理解するために、ご興味のある方は以下をクリックして元のビデオをご覧ください。]


The Tragic Failure of John the Baptist: A Response to a Spicy Comment!

https://youtu.be/SsNhsnLGOUQ

[14:30]からです。



問題の聖句を読み直してみましょう。

イエスはこう述べています。


(マタイによる福音書11:11) あなたがたによく言っておく。女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起らなかった。しかし、天国で最も小さい者も、彼よりは大きい。

私が言いたいのは次の2点です。

たとえ議論のために、あなたのこの聖句の解釈が正しいと認めたとしても、キリストがヨハネを天国の底辺にいると述べている事実は消えません。

しかし、仮にそうだとしても、ヨハネがメシアへの道を準備するという最大の使命を果たすことに成功したのであれば、なぜ、「女の産んだ者の中で最も偉大な」ヨハネは天国の底辺にいるのでしょうか?

もし、ヨハネが王の王であるメシアについて証しすることに成功したのなら、もっと上にいるべきなのではないでしょうか?


ですから、たとえあなたがこの聖句をこのように解釈してもかまいません。

それはやはり、キリストがヨハネが使命を果たせなかったと述べたことを示しています。

しかし第二に、イエスが天国で最も小さい者もヨハネよりは偉大であると述べているのに、ヨハネが神の祝福から外れていると言うのは不適切でしょうか。

私はそうは思いません。

例え話をしましょう。


免責事項

[断っておきますが、この例えは、救いの教義に対する私の見解を反映したものではなく、順序を示すための一例です。]


すべての高校生が卒業するために毎年受ける卒業試験があるとしましょう。

その学校は2世紀以上前から存在するため、多くの生徒がこの試験を受け、合格するには最低70点を取らなければなりません。

今、ジョージという生徒がいるとしましょう。

ついに彼が試験を受ける番になりました。

しかし、彼はあまり勉強してこなかったので、本当に合格できるかどうかわかりません。

数日後、先生は試験の採点を終え、ジョージを職員室に呼んでこう言いました。

先生:「この試験で合格最低点を取った者は、君より点数が高い。」 


どういう意味か考えて見てください。

つまり、ジョージは合格点の圏外にいるということです。

これをより明確にするために、例として実際の数字を挙げてみましょう。

このテストを受けた他の生徒たちは、スクリーンに映し出されたこの点数を取りました。

教師がジョージに言ったことを、この数字に当てはめてみましょう。

先生:「この試験で合格最低点を取った者は、君より点数が高い。」 

このテストの合格最低点が70点で、70点を取った人がジョージより高い点数を持っている場合、ジョージは70点を取っていないことになります。69点以下ということです。


テストに合格できなかったことと同様に、天国で最も小さい者がヨハネより大きいと宣言することによって、ヨハネが神の祝福の領域から外れたことを意味します。

OK、これですっきりしました。


しかし、彼(@piracy22さん)の言う2番目の理由はどうでしょうか?

キリストは、9節10節と14節において、ヨハネが自身の使命をやめておらず、預言者としての役割に忠実であったと肯定しているのでしょうか?

しかし、文脈の節は正反対であることを示しています。

ヨハネは預言者、メッセンジャー、エリヤの使命のために生まれ、準備されていたけれども、彼は成功することができなかったと、キリストは述べています。

11:9 預言者

11:10 メッセンジャー

11:14 エリヤ


すからイエスは、天国で最も小さい者も彼よりは偉大であり、キリストにつまずかない者はだれでも幸いであると言って、彼を叱責しているのです。


11:6 わたしにつまずかない者は、さいわいである。 


キリストの発言は、イエスが実際にヨハネを称賛しているのであれば、意味をなしません。

なぜなら、イエスは叱責したり称賛したり、叱責したり称賛したりして、ご自身の発言を行ったり来たりしていることになるからです。


11:6 わたしにつまずかない者は、さいわいである: 叱責

11:11 あなたがたによく言っておく。女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起らなかった: 称賛

しかし、天国で最も小さい者も、彼よりは大きい: 叱責

11:14 この人(バプテスマのヨハネ)こそは来るべきエリヤなのである: 称賛


仮にあなたの解釈を真実だとしたとしても、イエスが実際にヨハネを三度も肯定しているのであれば、なぜヨハネが天国で最も小さい者となるのでしょうか?

この聖句の文脈全体は、キリストへの信仰を失ったヨハネにイエスが応えたことです。

神がヨハネに人類史上最も明確な啓示を与えたにもかかわらず。(マタイ3:16-17)

イエスの言葉を借りれば、ヨハネはその生涯を通して、信じられないほどの祝福を受けていました。

壮大な目的のために神に導かれ、生涯の大半を忠実に過ごしました。

しかし、決定的な瞬間が来た時に、神が彼の全生涯をかけて準備して来られた最も重要なことを成すことができませんでした。


ですから、この要点をまとめると、イエスはヨハネの信仰を褒めているのではないということです。

それどころか、ヨハネがその使命のために最も偉大な誕生を遂げたにもかかわらず、その使命に失敗したということなのです。


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