2015年1月18日 血統の秘密 文亨進 

<文亨進の説教「血統の秘密」2015年1月18日 ペンシルベニア州サンクチュアリ教会>


弟子たちは、傲慢でした。イエス様を信じて
いるのは、私たちだ。
従っているのは、私たちだ。
弟子たちを見て下さい。
皆、イエス様を裏切りました。
お父様が聖和されるとき、弟子たちが
皆裏切ったではないですか。
お父様を殺せと。
何故、あの場で何も言えなかったのか。
それでも男なのか。想像も出来なかった内容でした。


(説教一部抜粋)
『実際、指導者(教会幹部)たちは、とんでもない失敗をしても、日本のシック(信者)の献金を全部失くしても、公金で自分の家をいくつ買っても、お父様(文教祖)のところに行って悔い改めさえすれば、お父様(文教祖)はその内容を赦して下さる場面を私は見ました。

(母親の鶴子夫人に世界会長を解雇されて)私たちが初めてここ荒野(ペンシルベニア州サンクチュアリ教会)に来たときは、心情が破裂するような気持ちで、一人ここに来て、熊と鹿と共に礼拝を捧げ、全世界のシック(信者)から悪口を言われ、胸が引き裂かれるような瞬間瞬間に全てを失いました。
何故?(私が)お父様を裏切らないから?
(私が)金(幹部からの賄賂)を受け取らないから?

弟子たちは傲慢でした。イエス様を信じているのは私たちだ。従っているのは私たちだ。
弟子たちを見てください。皆、イエス様を裏切りました。
(同じように)お父様(文教祖)が亡くなるとき、弟子(側近の教会幹部)たちが、皆、裏切ったではないですか。
「お父様(文教祖)を殺せ」と。
どうして(その時誰も)反論もできない(어떡해 끽소리도 못해)。
どんな奴がそうしたのか。なんということだ。
想像も出来なかった内容でした。
なんということだ。



「血統の秘密」

シックの皆さん、こんにちは。
今日はこのように、映像を通して
お会い出来て、本当にうれしいです。
いつまた皆さん一人一人と
お会いできるか分かりませんが、
共に神のみ言葉を研究して
掘り下げて行きたいと思います。
今日のみ言葉のタイトルは、
「血統の秘密」です。血統の秘密。
先週も申し上げましたが、
私たちはこの地に来て、
お父様とイエス様が一つであることを
確実に感じました。
神様は特に、キリスト教の兄弟姉妹と交わる
多くの機会を下さいました。
神様は、イエス様の体を通して
メシアとして降臨された当時には、
この地上におられらましたが、
イエス様が再臨される時、
再臨の主が降臨される時には、
それと全く同じ神様が地上におられる事実を、
確実にご理解いただきたいと思います。
今日は、そのような内容を基に
語ろうと思います。
私たちはお父様に侍って回り、
特に最後2年は、
最後まで侍らせていただける
恩恵を授かりました。
もちろんその後には、狂った、とうてい言葉では
表現出来ない内容が多くありましたが、
それでも、あの2年の間、
お父様に侍る事が出来たこと自体、
どれほど大きな福だったかを
今にして分かるようになりました。
私は様々な環境において、数々の聖人と
宗教を研究して来ましたが
お父様に侍る時には、本当に
理解しにくい多くの内容を見ました。
しかし、聖書を読み、イエス様が12弟子と
共に生活し牧会した様子を見ると、
全く同じような内容を発見します。
イエス様も、今日はカファルナウム!今度はガリラヤ!
そして、その次にはまた他の地に行かれました。
付いて回る弟子たちは、
その日その日の日程を知らないまま、
「今日はどんな事をされるのだろうか」
と思いながら、
ただイエス様に絶対信仰、
愛、服従しながら、付いて回りました。
私たちもお父様に侍りながら、
そのような生活をしました。
「本当に神様は、イエス様の時と同じように
行動されるのだな」と思いました。
事実、私たちの教会の問題は、
聖書を知らないところにあります。
聖書についてお父様は「40才になるまでに、聖書が
ぼろぼろになるまで読んだ。
皆さんがその様子を見れば、
涙を流すだろう」と
何千回も言われました。
私たちの2世、3世。統一教会の
若いシックは聖書を全く知りません。
何も知りません。
原理が引用する聖書を知っているだけで、
聖書を直接読みません。
キリスト教徒に出会うと、
彼らの方が聖書をよく知っている
ことを感じて恐れるのです。
これが現実です。
しかし、お父様の生涯路程を見ると、
聖書は完全に中心でした。
お父様は、聖書の基盤の上に原理を明かし、
世界基督教統一神霊協会を設立されました。
全てが、神様のみ言葉を
基盤として成されました。
私たちは、それを今一度求めてこそ、
お父様がいろいろなことを何故
成されたのかを理解できると思います。(アジュ)
それで今日は、「血統の秘密」に関して求めますが、
マタイ伝8章5節から13節を読んで見ましょう。

(李妍雅祝師長)
5 さて、イエスがカファルナウムに入られると、一人の百人隊長が近づいて来て懇願し、
6 「主よ、わたしの僕が中風で家に寝込んで、ひどく苦しんでいます」と言った。 
7 そこでイエスは、
「わたしが行って、いやしてあげよう」と言われた。 
8 すると、百人隊長は答えた。
「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下に
お迎えできるような者ではありません。
(文亨進世界会長)
「お迎えできるような者ではありません」
(李妍雅祝師長)
 ただ、ひと言おっしゃってください。
(文亨進世界会長)
さあ、そこで止めてください。
この言葉は何を意味しますか。
ヘブライ語の内容を見ましょう。
韓国語では、「お迎えするに
耐えられません」と訳されていますが、
ヘブライ語の意味を確認しながら
現代の韓国語に訳すと、
「私は、あなたを私の家に
お迎えするほどの者ではありません」と言う意味です。
耐えられないと言うニュアンスもありますが、
「あなたが、私の家に入ることを
お迎えするほどの者、そのような
祝福を受けるほどの者ではありません、と言う事です。
では、次に行きましょう。
(李妍雅祝師長)
ただ、ひと言おっしゃってください。
そうすれば、わたしの僕はいやされます。
(文亨進世界会長)
ストップ!
「ただ、ひと言おっしゃってください」
キリストはメシア。
「キリスト」とはヘブライ語で
「メシア」を意味しますね。
メシアがひとこと言えば、奇跡が起こる事を
皆さん、はっきり知ってください。
ひと言おっしゃれば
奇跡が起きます。
お父様がひと言おっしゃれば、
世界が変わります。
お父様がみ言葉を下さると、
歴史が変わります。
キリストがひと言おっしゃれば、
そのみ言葉の能力と聖霊の力で、
私たちが知っている世界と
歴史が変わるのです。
では、続けましょう。
(李妍雅祝師長) 
そうすれば、わたしの僕はいやされます。 
9 わたしも権威の下にある者ですが、
わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば
行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。
また、部下に『これをしろ』と言えば、
そのとおりにします。」
10 イエスはこれを聞いて感心し、
従っていた人々に言われた。
(文亨進世界会長)
ストップ。
さあ、百人隊長が、簡単に言って、配下の兵隊に
「こっち行け」と言えば行く、「こうしろ」と言えばする。
自分の命令に従って動くと言ったのです。
そしてイエス様に、あなたはメシアだから、
神様の息子だから、ひと言おっしゃれば、
宇宙の全てが、歴史の全てが、摂理の全てが、
そのみ言葉の通りに、命令の通りに動くであろう事を、
自分は知っていると、申し上げたのです。
これを聞かれたイエス様は、驚かれ、
従っていた人々に話されたということです。
(李妍雅祝師長)
 「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、
わたしはこれほどの信仰を見たことがない。 
11 言っておくが、いつか、東や西から
大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、
ヤコブと共に宴会の席に着く。 
12 だが、御国の子らは、外の暗闇に追い出される。
そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」 
13 そして、百人隊長に言われた。
「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」
ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた。 
(文亨進世界会長)
うわあ!アジュ!
驚くべき癒しの役事がありました。
しかし、11節を見ると、アブラハム、イサク、
ヤコブと共に天国で席に着こうとしますが、
その国の本来の子孫、ギリシャ語でヒオス、
子達はどうなりますか。闇の中に追い出され、
そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。
これが私たちの血統の秘密なのです。
私たちは血統を主から授かり、
キリスト教徒はイエス様の血に覆われます。
私たちが再臨主に出会い、恩恵と恩寵を授かったのは、
私たちがすばらしい人間だから、
私たちが何か良いことをしたから、
先祖が何かしたからではありません。
主の愛、神様が私たちを準備されたから、
神様の愛がそれほどにすばらしい理由で、
私たちが、そのすばらしい祝福を受けたのです。
その祝福を授かることで、
私たちはサタンの血統から
神様の血統に変わるという
驚くべき奇跡を見ました。
私たちは、その驚くべき祝福を
授かりながらも、知りませんでした。
知らないまま、自分が何か良いことをしたから、
修練会をちゃんと受けたから、
こんな事あんな事をしたから、
人の尊敬を受けているから、などと言いました。
自分自身のことを賛美しました。
賛美すべきは、お父様の恩恵恩寵と
神様の驚くべき愛です。
自分自身を賛美するようになったのは、
人間の罪と堕落性の結果です。
それなので私たちの教会の文化はどんどんと
利己的なものになりました。
私、私の利得、私の内容、私の財産、私の地位だけを追求する、
完全に毒性の文化になりました。
これはお父様の文化ではありません。
私たちはお父様に直接侍りながら、内室
(父母様のプライベートな生活空間)の様子を見ました。
そして二つの世界を経験しました。
一般のシックは、指導者たちが「アボニムは、
これこれこんな方だ」と言う内容だけを頼りに、
お父様を知るようになります。
半面、内室に入ると
お父様を直にお会いします。
どのような方なのか、直接知るようになります。
指導者を通してではなく、直接お会いします。
内室に入るまでは、私たちがいろんな条件を立てたから、
お父様が指示された事を実行したから、
私たちが教会に中で認められているから、
などと考えますが、
入ってみるとこれは、
指導者たちが作りあげた世界だったのです。
本当の世界、指導者たちが経験する
世界はどうでしょうか。
それは恩恵恩寵の愛のお父様です。
もちろん、怖い部分もあり得ますよね。
何故?
愛の神様は、罪を憎まなければなりません。
愛の神であるなら、憎悪が必要です。
罪悪を憎悪しないといけません。
私は妻を愛するが故に、
不倫とか淫乱を憎まなければいけません。
愛があるなら、憎まなければいけません。
愛を壊すものを憎まなければいけません。
そうでしょ?
そのようにして、指導者と真の子女たちが
経験できるアボニムはどんな方でしょうか。
指導者は過ちを犯しても、資産を隠匿しても、盗んでも、
アボニムに詐欺を行っても、お父様の赦しを受けました。
そうでしょ?お父様に赦していただきました。
子女たちもそうです。大きく堕落したとしても、
アボニムの愛と赦しの世界と恩恵恩寵、
恵みの世界に出会いました。
それがお父様の現実でした。
ところが指導者たちはどうかと言うと、
この現実をシックには見せませんでした。
自分たちだけでその恩恵を受ける半面で、
シックたちに対しては、
自分がすばらしい結果を出したから、偉いから
お父様が自分を継続してお使いになるのだと言うのです。
そうして、シックがその指導者を
偶像化するようにしました。
そのような文化になったのです。
36家庭であろうと、72家庭であろうと、指導者であろうと、
自分たちが偶像になってしまったのです。
真の家庭の子女たちも同じでした。
皆がキリストを、私たちの神様として侍るべきで
あることを、確実に知ってください。(アジュ)
皆がです。
王妃から末端の僕まで、王様は一人です。
万王の王
そうでしょ? 
そのような現実が、私たちの文化を最悪の文化、
不正と腐敗の文化、毒性の文化にしてしまいました。
だから2世たちが、皆離れてしまったでしょう。
私たちが、お父様の恩恵恩寵の世界が
シックたちには及ばないようにしたのは事実です。
シックがお父様を見るときには、恐怖の神様、
権力の神様、そのような部分だけが見えました。
「一度でも過ちを犯したら、追い出す」
そんな神様が見えました。
指導者たちは、そんなアボニムを経験しませんでした。
実際、指導者たちは、とんでもない失敗をしても、
日本のシックの献金を全部失くしても、
公金で自分の家をいくつも買っても、
アボニムに行って悔い改めさえすれば、
お父様はその内容を赦して下さる場面を私は見ました。
中心人物が堕落した時も、お赦しになりました。
では何故、その文化が下へと
浸透しなかったでしょうか。
それは、指導者たちの責任です。
愛のアボニム、恩恵恩寵のアボニムを
シックに教えるべきなのに、
自分の地位を守るため、
シックの尊敬を自分に集めるため、
36家庭なら36家庭として、何家庭ならその家庭としての
尊敬をシックから得るために、その現実、
恩恵恩寵の神様の現実を教えませんでした。
これは問題です。
このような訳で、シックはアボニムを恐れました。
恐怖のアボジ、旧約聖書のアボジだと考えました。
ですから私たちの文化は
旧約聖書の文化に戻ってしまいました。
成約時代なのに、旧約時代にまた戻ってしまいました。
「私はあなたよりも地位が高い。
あなたよりも偉い。
あなたは親不孝者だ」
神様の赦しはどこにあるのですか。
誰一人として、神様の恩恵恩寵を受けるに
値する人はいません。
誰一人と赦されるべき人はいません。誰一人と。
世界中で一人もいません。
なのに何故、私たちはそのような驚くべき
祝福を受けたのでしょうか。
その理由は、私たちがすばらしいからでは無く、
神様がすばらしいからです。
私たちの愛が広いからでは無く、
神様の愛が広いからです。
これを、私たちは忘れていたのです。
私たちは、授かるべき者ではありません。
イエス様が百人隊長の家に行こうとするとき、彼は、
「お迎えできるような者ではありません」と認めました。
百人隊長はイエスに行き、私はあなたの恩恵恩寵を
受けるべきものではありませんと、言ったのです。
ところで問題は、あなたたちの子孫は、天国に行っても
追い出され、泣きわめいて歯ぎしりするだろう。
単に、子女であることだけで、
お父様を信じるのではありません。
そうでしょ?
血筋だけでは、充分でありません。
血筋であることで、全てが終わるのではありません。
その血筋を下さった主を信じて、初めて終わるのです。
その方が再臨主、実体の神様であることを
信じないといけません。
その方を霊的な目で見ないといけません。
そうでしょ?
私たち真の家庭の子女は幼い頃、父母様がいつも
シックと共におられるのを見て、不満に思いました。
「パパはどうして、私たちを愛してくれないのだろう。
シックだけを愛してる」
度々、こんな思いをしました。
「何故、知らない人だけを愛するのだろう」
こんなように度々不平を言いました。
しかし、率直に言って、私たちは、血統、血筋の
子女でしたが、お父様を信じませんでした。
「私のパパはメシアなんだ」とは、
信じませんでした。率直に言って。
そのような信仰さえあったなら、
神様はその信仰で引っ張っていかれたでしょう。
子女よりもシックがお父様を信じたから、
シックの信仰がより強かったから、
お父様はシックの心情世界に引かれたのです。
これは愛の法則です。
でも、私たちは不平不満だけを言い、
「お父さんは、私たちを愛してくれない」などなど。
ハンだけが積もり、
「お父さんは、私たちだけをしかる」と、言いました。
私たちが悪いのではないと、考えました。
私たちに間違いがあるのかもしれないとの思いは
一度もしませんでした。
お父様の愛が実体として私たちの生活に現れないのは、
私たちの信仰に問題があるためとは考えず、
シックだけを好まれると、
お父様を責めました。
それは罪でした。
私たちは、子女でしたが、
多くの罪を積み上げました。
私個人の場合、お父様のおきてを
全て守りました。
淫乱の罪を犯さず純潔を守り、
言われるとおりに全て行いました。
にも関わらず、世界会長になっても、
後継者としてお父様に任命されても、
王冠を3回も頭に乗せていただいても、
「私は罪人だ」
「私は罪人だ」と、
いつも言い続けました。
私は2世の法則、お父様の法則を
守りましたが、「わたしは罪人だ」と言いました。
何故か。
傲慢でした。神様を憎みました。
神様への憎悪を感じました。
神様を信じませんでした。
それ全てが、罪でした。
誰か一人でも、罪の無い人がいれば、
前に出て見て下さい。出て来なさい。
いないでしょう。罪の無い人はいません。
これは、私たち統一家が今一度
認識すべきことです。
天のみ前においては、
私たち全てが罪人です。
罪人として、これを認めないといけません。
お父様のみ前においては自慢できません。
特に今のような状況においてはそうです。
自慢できません。
お父様が私たち皆を殺さないでおられることも、
恩恵恩寵であることを知らないといけません。
忍び耐えるお父様の愛に、感謝しないといけません。
旧約聖書には、「 もしわたしの名をもって
呼ばれているわたしの民が、ひざまずいて祈り、
わたしの顔を求め、悪の道を捨てて立ち帰るなら、
わたしは天から耳を傾け、罪を赦し、
彼らの大地をいやす」( 歴代誌下/ 7章14節)と
書いてあります。
すばらしいみ言葉です。
私たちも、このような
状況にいるのです。
選ばれた民族であり、祝福を通して
恩恵恩寵の血統を授かった私たちは、
私たちのお父様を忘れてしまいました。
大きな罪です。
驚くべき、とてつもなく
大きい罪です。
百人隊長が、その状況においてイエス様に
どんな内容を言ったか、既に読みました。
今度は、マタイ伝15章に行きましょう。
(李妍雅祝師長) 21イエスはそこをたち、
ティルスとシドンの地方に行かれた。 
22 すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、
「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。
娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。 
23  しかし、イエスは何もお答えにならなかった。
そこで、弟子たちが近寄って来て願った。
「この女を追い払ってください。
叫びながらついて来ますので。」 
24  イエスは、「わたしは、イスラエルの家の
失われた羊のところにしか遣わされていない」と
お答えになった。 
(文亨進世界会長)
ストップ。
この状況においてイエス様は、カナンの女、
カナンの民族は神様を信ずることすらしません。
多神教を信じ、唯一の神を信じません。
父なる神、母なる神、山の神、
川の神など、多神教なのです。
唯一の神を知らないのです。
多神教。
そのカナンの女、神様を信じない女が
イエス様を追いかけて来て、叫ぶのです。
[主よ!ダビデの子孫よ!
こう叫ぶ場面を想像してください。
神様も知らないのに、イエス様がおられるところに来て
大騒ぎをするのです。
「私を憐れんでください。
憐れんでください。
私を見て下さい。
どうか、私を見て下さい。見て下さい」
「しかし、イエスは何もお答えにならなかった」
私たちも、何回も見ましたね。
いろんな人がお父様のところへ
走って行こうとすると、
「お父様!」「お父様!」と言う時、
お父様は「あっち行け」
「行け」と、このようにされました。
このカナンのおばさんも、
イエス様に近寄ろうとしながら、
「憐れんでください」「主よ」と言っても、
イエス様は「何もお答えにならなかった」
完全に無視したのです。
このカナンの女を完全に無視して、
どうなったでしょうか。
24  イエスは、「わたしは、イスラエルの家の
失われた羊のところにしか遣わされていない」と
お答えになった。 
(文亨進世界会長)
ストップ。
わたしは、イスラエル民族の失われた
羊だけを探すために来た。
そのほかの人、ほかの国、カナンであろうと、
そのほかの民族であろうと、関係ない。
私は、その民だけを探すために来たのだと、
語ろうとされました。
OK.その次。
(李妍雅祝師長)
25 しかし、女は来て、イエスの前に
ひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。
(文亨進世界会長)
ストップ!
イエスにひれ伏し、言った。
一度だけひれ伏したのではありません。
皆さん、こんな動作です。
古代ギリシャ語で「プロスコネオ」、何回も
ひれ伏しながら、お願いしたのです。
プロスコネオ!!
私たちは、お父様の前で敬拝する時、お父様の
み前にいる時、プロスコネオ、プロスコネオ、
心情でひれ伏し、ひれ伏して、アボジ、アボジと
言いながら生きて来た人がどこにいるでしょうか。
この女は、神様を信じることすら出来ない
人間であるにも関わらず、主のみ前に来たときには、
ひれ伏しひれ伏しながら、プロスコネオ。
「主よ、どうかお助けください」と請い求めました。
深く深く、主だけを信じて求めるその心。
そしてイエス様は何と言われませたか?
(李妍雅祝師長)
26 イエスが、「子供たちのパンを取って小犬に
やってはいけない」とお答えになると、 
27 女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」
(文亨進世界会長)
ストップ!
イエス様は女に、お前は犬だ、と
おっしゃったのです。おまえは犬だ、と。
「子供たちのパンを取って
子犬にやってはいけない」
パンを子供たちにあげたいのに、
何故犬にあげるのか。
おまえはフンを食べる犬のような存在だ。
どうですか?イエス様は、
お父様と全く同じでしょ?
そのような、とても衝撃的な侮辱を
受けた女の答えはどうでしたか。
「あらまあ、この聖人が、宗教指導者がなんで
こんなに私を侮辱するのかしら。私のことを犬ですって?
いやよ、こんなの。私、信じないから。
なによ、宗教指導者のくせに」
そうは、答えませんでした。
27 女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、
小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」
あなたの食卓から落ちる
パン屑でも、私は満足です。
そのパン屑を食べて、私は生きて行きます。
小さなパン屑でも私のところに
落ちるなら、私は命を得るでしょう。
このような、すばらしい信仰を
持っていたのです。
小さな愛の屑でも投げてくださるなら、私は天を
授かったかのように、感謝いたします。
私たちシックはどうでしたか?
指導者たちは?
歴史を通して全人類が待ち望んできた祝福を受けた
にも関わらず、お父様の悪口を言っていたでしょう。
「お父様はひどすぎる」と。
私たちの信仰はどこへ行ったのですか。
この女が私たちに教えています。
上から下までこれを。
これだからお父様の聖霊の
恩恵に出会えなかったのです。
お父様を消し、忘れています。
私たちは、パン屑どころか、金に輝く
天国までをも授かりました。
消してしまい。忘れています。
お父様を全く賛美しません。
これは、とんでもなく大きな罪です。
これが教会ですか?
お父様を持ち上げることの出来ない教会。
これは、大きな罪です。
パン屑一つを授かっても、この女は天国を
いただいたかのように感謝する信仰を持っていました。
神様も信じないのに。
そして、女はどうなりましたか?
「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。
血筋さえあれば、すべてが
解決されたのではありません。
お父様は何故、私と国進お兄さんを、完成された
カイン・アベルとして認めて下さったでしょうか。
真の家庭の歴史で初めて、カインは弟の
アベルを殺そうとしませんでした。
お父様は何故、2012年6月5日、私たちを
ラスベガスに呼び、4次元入籍式を宣布されましたか。
私の家庭で初めてカインとアベルが一つになった。真の父母の仕事は完成完結完了されたと、言われました。
そうして、私たち二人を任命されました。
何故、そうされたでしょうか。
その後遠からずして、霊界に行かれました。
お父様のために。
カネのため、財産のため、地位のため、
シックが「うわぁ、うわぁ、うわぁ、格好良い」と
褒めてくれるようにではなく、
ただひたすら、お父様の栄光のために。
どんな大金を私たちに渡そうとしても、
どんな内容を私たちに受け入れさせようとしても、
どんな財産を渡そうとしても
賄賂を渡そうとしても、
私たち二人は、そのような誘惑に負けない
ことを、お父様はご存知だったのです。
お父様の伝統、み言葉、内容
などを削除することに対しても、
私たちは、たとえ全てを失くすことになろうと、
絶対協調しないことを、ご存知だったのです。
それは、真の父母様の勝利です。
荒野にまで追い出され、森の中でお父様を
求めて行かなければならない、この現実は、
お父様の恩寵と恩恵です。
ここでは、邪悪な政治家になる必要も無い、
お父様を裏切る政治家になる必要も無い、
カネだけを求める政治家になる必要も無い、
そのような詐欺を行う必要も無い
恩寵と恩恵をいただいています。
これ以上に、ありがたい事は、ありません。
このパン屑は、私たちが立派だからではなく、
お父様の愛が故に授かりました。
ですから、私たちの目の前で聖霊のいやしの役事。
「そのとき、娘の病気はいやされた」
病んでいる者はいやされた。
心臓病を持った者は、いやされた。
アボジのすばらしい愛です。
すばらしい愛です。
シックの皆さん、考えて見て下さい。
全世界の統一家が、再びアボジを求め、アボジを
高く、より高く持ち上げる
そのような心情が生じれば、
どんなにすばらしい聖霊の炎を
見るようになるでしょうか。
全世界が、お父様の聖霊に覆われるでしょう。
私たちは今日、マタイ伝に登場する
二人の人物に関した内容を見ました。
百人隊長とカナンの女を比較すると、
二人が似ている点は何でしょうか。
共通点が最も重要です。
二人とも、イエス様の愛と時間と関心を
受けるほどの者ではありませんでした。
自分が主の愛を、受けるべき者でない
ことを、知っていました。
弟子たちは、傲慢でした。イエス様を信じて
いるのは、私たちだ。
従っているのは、私たちだ。
弟子たちを見て下さい。
皆、イエス様を裏切りました。
お父様が聖和されるとき、弟子たちが
皆裏切ったではないですか。
お父様を殺せと。
何故、あの場で何も言えなかったのか。
それでも男なのか。想像も出来なかった内容でした。
この二人、百人隊長とカナンの女、イエス様の
愛を受ける資格が無いことを知っていました。
それにも関わらず、主を求めます。主を。
百人隊長は、忙しい人です。
仕事が多く、責任も思い人です。
しかし、主を求めます。
自分の人生で、イエス様を最も優先させます。
どんな仕事、どんな責任
よりも、主を優先させます。
どんな地位、どんな財産
よりも優先させます。
全てを失おうと、主を失うこと
さえなければ、全てを得ます。
二人とも、心情が破裂するかのようにして、求めました。
私たちが初めて、ここ荒野の地に来た時は、
心情が破裂するような気持ちで、
一人でここに来て、熊と鹿と共に礼拝を捧げ、
全世界のシックから悪口を言われ、
胸が引き裂かれるような、瞬間瞬間に、
全てを失いました。
何故?お父様を裏切らないから。
カネを受け取らないから。
その状況の中で、お父様を求め求めました。
それしかなかったから。
それしかなかったから。
お父様が下さる愛だけがありました。
考えてください。私たちが皆、そうではないですか。
あの王宮から、貧しい家まで、
お父様の愛しかないでしょう。事実として。
それしかないでしょう?
百人隊長とカナンの女は、あせる心で、
イエス様の能力と才能を信じ、主を求めました。
信じて、求めました。
この二人がギリシャ人であろうと、ユダヤ民族
で無かろうと、失われた羊で無かろうと、
イエス様は、ご自分をこの二人の人生に
完全に投入して、救いをくださいました。
たとえ弟子であろうと、祝福家庭の
何双であろうと、重要ではありません。
私が、この目で見ました。お父様を
裏切るところを。それが重要です。
血筋はもちろん重要ですが、それだけでは足りません。
お父様を信じるか。お父様と能力と
才能と完璧さを信じるのか。
受け入れがたい事をされる時、ものすごい怒りに
包まれて現れる時も、アボジを信じるのか。
試練が来た時に、カネと財産を選ぶのか、
それともすべてを失おうと、主を選ぶのか。
それは、私たち皆の悔い改めの課題です。
最もひどかったことを、もし語らざるを得ないなら。
本当に、信じられない状況でした。
私たちは、血統を持ったからと言って、
自慢できるのでは、ありません。
それは、私たちが立派だから
授かったものではありません。
私たちには大きな罪があります。
なのに神様の愛、主の愛、
再臨主の愛を受けました。
その愛を受けたから、私たちは信仰と、熱い心情、
今にも破裂するような心情を持って、
神様を求めて行くのです。
私たちが再び、お父様のみ顔を拝見し、その
すばらしい聖霊役事を目撃するであろうと信じます。
私が、証しします。
自分の目で直接節見ました。
それでは、天聖経120ページを拝読しましょう。
直系の時代と因縁を結ぶには、そのままでは結べ
ません。必ず原理によって信仰基台を立て、実体基台を立て、メシアを迎えなければならないのです。
メシアは、真の息子です。
アジュ!
メシアは、神様の真の息子です。アジュ、アジュ、アジュ
そして、私たちのお父様です、皆さん。
いつか全世界の統一家が、財産と内容をすべて失い、
再びお父様のみ顔を求めるようになるなら、
その時には、世界と、歴史と摂理のすべてが、
聖霊の炎によって復活することを見るでしょう。
もし、そのような日が来るとすれば、
それはお父様の手によってのみ可能です。
私たちは罪人ですので出来ませんが、
アボジを切望し、アボジにしがみついて
信じれば、私たちがそのようなすばらしい世界を
見るであろうと信じます。そう祝願します。

共に祈りましょう。

愛に満ちた父なる神様、お父様有難うございます。
うわぁ、アボジ有難うございます。
あなたの能力と才能で、私たちを復活させて
下さったことを、お父様感謝いたします。
お父様の驚くべき愛のために私たちは生まれ、
あなたの息子娘として血統を授かることが出来る
驚くべき愛を受けました。
それは父なる神よ、すべてあなたが原因であり、父
なる神よ、あなたがすべての祝福の原因である
ことを父なる神よ、私たちは悟っております。
すべての人は今、無知の中に生きており、苦痛、苦悩。
アボジを離れれば、私たちは苦痛、苦悩、
暗闇の中へと行くしかありません。
アボジ、私たち皆が、あの最も高い位置から下まで
私たちの王を再び求めるなら、私たちの王国が
再び立ち上がるであろう事を信じます。
アボジの愛と恵みによって、私たちがここまで
生きて来たことを、知っています。
しかし、あなたの熱い心情と胸痛む憤怒があることも
知っておりますので、アボジ、私たちは、まず
何よりも悔い改め、悔い改めます。
アボジ、どうか私どもをお赦し下さい。
すべてが罪人ですのでアボジのみ前に
ひざまずき悔い改めます。
アボジ、すべての王宮、すべての内容、
世界中のシックもひざまずいて悔い改めます。
アボジ、そのようにあなたのみ前で傲慢であることが
どれほど大きな罪か、地獄にお送りにならなければ
ならないことを知っております。
父なる神よ、私たちが生きているのは、あなたの
すばらしい愛が故であることを知っております。
父なる神よ、より大きな勇気と愛をくださり、
あなたを敬い尊ぶようにしてください。
あなたをより高く、高く、高く持ち上げることの出来る
能力を付与してくださり、世界が私たちを冒涜し、
たとえ親戚が私たちを殺そうとしたとしても、
あなたのみ名を高く、より高く、再臨の主、
神様の息子、メシアとして持ち上げる私たちに
成らせてください。
アボジ、信じています。
この苦痛と苦悩の中で、あなたが私たちに
覆いかぶさってくださることを知っております。
すべての栄光と賛美と喜びがあなたのものであり、
罪人のような私たちをお赦し下さり、
今一度私たちが完全にあなただけのために生きる
ことの出来る王国になれるよう、父なる神よ、
聖霊の恵みで祝願し、祈願いたします。
すべての内容を、祝福中心家庭文亨進李妍雅家庭の
名で、ご報告お知らせいたします。アジュ
お父様は会議の終わり、各種集まりの終わりには
いつも、美しい歌を聞かせてくださいました。
今、この歌を歌いながら思うと、意味がどれほど
深いか。主の心を表していると感じられる歌です。
皆さんと一緒に「心の自由天地」を歌います。

白金の宝石で飾られた
王冠をもらっても
土臭く、汗まみれの
麻布の上着に勝るものはない
純情の、純情の、純情の泉が湧き出る
私の若い胸の中では
好きなように
柳の枝を折って笛を吹き
私の歌(うわぁ、うわぁ、うわぁ)の調べに合わせて
スズメも(チェチェチェ)鳴く
世の中を買えるほどの
黄金をもらっても
麦畑を耕してくれる
まだら牛に勝るものはない
希望の芽が吹く
私の若い胸の中では
好きなようにウサギたちと
話をし
私の歌の調べに合わせて
歳月も 
グッバイ!
アボジ、愛してます。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へにほんブログ村 にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へにほんブログ村

0 件のコメント:

コメントを投稿