The Advent by Shinjoon Moon_ Principle Series
キリスト再臨アドベント10
6分でわかるムーニーの神学
文信俊三代王
翻訳&提供:Michiyo H.
The Theology of the Moonies in 6 minutes
6分でわかるムーニーの神学
何十年もの間、(真の)統一教会はかなり物議を醸してきました。しかし、この世界的な運動を形成している彼らの核となる信念には、どのようなものがあるのでしょうか?このビデオでは、統一教会の聖書的かつ首尾一貫した見解を、わずか6分で紹介しています。どうぞお楽しみください。
こんにちは、統一教会(あるいはムーニー)の神学について疑問に思っているでしょうから、私たちが信じていることを5分間で紹介しましょう。
「神はなぜ宇宙を創造したのでしょうか?」
神は(元々は御一人であられ)、ご自身の実体的な身体であるアダムと、そしてアダムを通して、愛を交わすときに、喜びと幸福を経験する目的で宇宙を創造されました。
神は、アダムとすべての子孫のために青写真を与えることによって、これを達成する方法を明示しています。引用すると、
(創世記1:28): 「実を結び(成熟し)、増え(繁殖し)、すべての被造物を支配せよ」。
この順序から明らかなように、アダムとエバは、実を結んで、つまり神とその御言葉を中心として完成した個人になって初めて、家族を持つ(すなわち、増える)ことになったのです。
(マタイ5:48): それだから、あなたがたの天の父が完全であるように、あなたがたも完全な者となりなさい。
(マタイ22:37): イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
このようにして、アダムとエバは偽りの父母ではなく、全人類の真の父母となったでしょう。
真の父母を中心として、神の御計画は、この理想家庭を部族、社会、国家、世界、宇宙へと拡大し、世界的に神を認識し、父なる神のもとで道徳的で罪のない社会、すなわち地上天国を実現することでした。
真の父母様を私たちの模範として、各個人が、三大祝福を成就することによって、神と愛と美を授け受け、天のお父様に栄光と喜びをお返しすることになったのです。
これが神の人類に対する崇高なビジョンでした。
何が間違っていたのでしょうか?
聖書は教えてくれます、人間の堕落について。
アダムとエバは、「食べてはならない」という神の命令に背きました。
(創世記2:17): しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。
聖書、キリスト教神学、イスラエルの律法、そして理性に基づき、私たちは堕落の出来事は性的な堕落であり、愛の誤用であったと信じます。
その果実は文字どおりの果実ではなく、次のような聖書の証拠から、エバの愛を象徴するものであったと考えます。
聖書には次のような証拠があります:
1. マタイによる福音書15章11節にあるイエスの言葉、「口に入るものは人を汚すことはない。かえって、口から出るものが人を汚すのである」。
2. アダムとエバが下半身を覆ったのは、そこが不義を行った場所であり、口ではないことを示している。
3. 聖書の他の箇所では、果実について性的な表現がなされている。(例えば、雅歌4:12-16や箴言30:20)。
4. キリスト教の原罪の教義
5. イスラエルの割礼の律法
6. 性的堕落に関するエバの罰
もし果実がエバの愛を表しているとすれば、聖書は「年を経た蛇」(ヨハネの黙示録12:9)あるいはルシファー(堕落後の「サタン」)がエバとセックスしたことを教えています。アダムの告発の直後のエバの告発がその証拠です。引用すると、
(創世記3:13): 「蛇が私をだましたのです。それで私は食べました」。
性的堕落の結果、サタンは世界の「神」である王、「支配者」となり、罪によって人類を支配しています。
(第2コリント書4:4): 彼らの場合、この世の神が不信の者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしているのである。
(マタイ4:8-10): 次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての王国とその栄華とを見せて彼に言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け!『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。
(エペソ書2:2): この世のならわしに従い、空中の権を持つ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。
サタンは原罪によって、肉身と霊の両方を支配してきました。
これが人類の根本的な問題です。
すべての人類は、原罪のためにサタンによる所有権を主張されているのです。
完全な神の人であるメシアだけが、堕落の過程を逆転させ、罪のない血統を復帰することによって、私たちをサタンの掌握から救うことができます。
このように、「復帰の歴史」と呼ばれる過程において、神は直ちにアダムの家族に、カインとアベルを通して、メシアを送ろうとし始められました。
メシアの降臨にはどのような条件が必要だったのでしょうか?
第一に、堕落は神の御言葉を無視したために生じたので、「信仰の基台」がなければなりません。
第二に、私たちが「実体の土台」と呼ぶのですが、サタン側が自ら進んで神側に屈服しなければなりません。
性的堕落の順序のために、サタンはカインを要求する条件を持っていましたが、アベルは神の側を代表していました。
(創世記4:7): 正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。
カインがサタンに打ち勝てなかったことで、人類は(マクロからミクロの)ほぼすべての面で、二手に分かれることになりました。つまり、
アベル側(例:民主主義、キリスト教、1世紀のイスラエル、第二次世界大戦の連合国)と、
カイン側(例:共産主義、世俗的信仰、1世紀のローマ、第二次世界大戦の枢軸国)です。
あるいは、神側対サタン側。
したがって、メシアが来るためには、アベルは神と縦的な関係を維持しなければならず(信仰の基台)、一方、カインはミクロコスモス(小宇宙)においてアベルに従順でなければなりません(実体の基台)。
これが、年上(エサウ:創世記25:22-23,25:29-34,27/マナセ:創世記48:14)と年下(ヤコブ:創世記25:22-23,25:29-34,27/エフライム:創世記48:14)が逆転する聖書の例がある理由であり、神がアベル(ヤコブ)を愛し、カイン(エサウ)を憎まれた理由です。
(ローマ9:13): 「わたしはヤコブは愛しエサウを憎んだ」と書いてあるとおりである。
ヤコブとエサウは何度も失敗を繰り返しましたが、両方の条件を満たし、メシヤのための基台を築きました。
しかし、サタンの土台はすでに国家レベルにまで拡大していたため、神は御子を遣わす国家の育成に注力されました。
失敗を繰り返したイスラエルの苦難の歴史を経て、選ばれた民族は、ついに待望のメシヤを迎える準備を整えました。
ちょっと待って、でも、その救世主って誰なんでしょうか?
彼は何をする人なんでしょうか?
ちょうどエンジニアが、壊れた家を建て直すために元の設計図を見るように、
メシアは第二のアダムとして、アダムと同じ使命を受け継ぎ、汚れた世界を再建するためにやって来ます。
(第1コリント書15:45-47)
(創世記1:28): 生めよ(実を結び)、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。
伝統的な神学では、イエスは死ぬために来られたと主張しているにもかかわらず、旧約聖書の80の預言、新約聖書の預言(例:マタイ2:2-11、ルカ1:32-33,1:46-56,1:68-75,2:36-38)、イエスの言動(例:マタイ6:10、ルカ19:41-44、ヨハネ8:37-44)、十字架に対する使徒たちの反応(例:使徒行伝1:6,7:51-53)は、イエスが死ぬために来られたという主張とは、まったく異なる姿を描いています。
天の父とイエスの熱烈な願いは、永遠のエルサレムを建設し、その平和と繁栄という豊かな実りを全宇宙に広めることでした(80の預言!)が、
ユダヤの民は、引用すると、
(使徒行伝3:14-15): あなたがたは、この聖なる正しいかたを拒んで、人殺しの男をゆるすように要求し、いのちの君を殺してしまった。しかし、神はこのイエスを死人の中から、よみがえらせた。わたしたちは、その事の証人である。
聖なる方、義なる方を否定し、いのちの君を殺しました。
こうしてイエスは悲劇的に殺され、肉身の血統を確立することが妨げられ、祈りを成就することができなくなりました。
(マタイ6:10): 御国がきますように、みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
しかしながら、イエスは失敗しませんでしたが、選ばれた民は失敗しました。
二次的な路程を歩みながらも、キリストは絶対的な愛と信仰と神への従順によって、霊的救済という驚くべき贈り物を成し遂げることができました。
この勝利によって、キリストは再臨を約束されました。
しかし、神の子の殺害により、イエスは、神の国は彼らから奪われ、新しい「神のイスラエル」に与えられると述べています。
(マタイ21:43): それだから、あなたがたに言うが、神の国はあなたがたから取り上げられて、御国にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう。
(ガラテヤ書6:16): この法則に従って進む人々の上に、平和と憐れみとがあるように。また、神のイスラエルの上にあるように。
教会に対する天の確認とともに、神はキリストの再臨のために、新しいイスラエル、キリスト教を通して働かれました。(AD70年とAD135年)
・ AD70: エルサレム攻囲戦 AD73:マサダ陥落
・AD135: ローマ帝国、ユダヤ人蜂起鎮圧。ユダヤ人、エルサレム立入禁止処分。
摂理的同時性と呼ばれる表を見ると、3つの時代が並行しており、その頂点がメシアの降臨であることがわかります。(キリストの再臨)
短時間でこれを調整するのは難しいですが、各時代の類似性を数学的に計算すると、メシアが1917年から1930年の間に到来することを証明しています。
私たちは、人類の全歴史が待ち望んでいたこのメシアが、1920年に、「新しい名」(ヨハネの黙示録3章12節)をもって、文鮮明(ムン・ソンミョン)氏として再び来られたと信じています。
神の御手によって、彼は、かつては戦争で荒廃し(写真:文鮮明氏が作った泥と配給箱の小屋)、貧困にあえいでいた韓国から、地政学的指導者に影響を与え世界経済を変動させながら、立ち上がりました。
血まみれの生涯を通して神の心を体現しただけでなく、偉大な学者でさえ不可能なレベルで、聖書を深く深く明瞭に実践しました。
神の導きと自らの責任分担を果たすことによって、彼は人類の真の父母としての三大祝福を達成されました。
特別な婚礼の儀式によって伝達された血統を通して、再臨のキリストに接ぎ木されることにより、肉身と霊の両方が天の血統に復帰され、人類の根本的な問題が解決されるのです。
私たちの真のお父様は現在、三度にわたって戴冠された、任命された後継者を通して、天から導いていらっしゃいます。
唯一の質問は、
あなたは「神」が遣わされた方を信じるかです。
(ヨハネ6:29): イエスは彼らに答えて言われた、「神がつかわされた者を信じることが、神のわざである」。
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