2016年10月4日火曜日

<聖霊父母二性三位一体神論>聖霊と霊媒 (2016年8月21日の亨進様と國進様の質疑から)


聖霊父母三位一体神論

聖霊と霊媒(2016年8月21日の亨進様と國進様の質疑から)


國進様:
神様ご自身の中には、男性的な性質と女性的な性質があり、それが神様の二性性相です。ですから、みなさんが見ている聖霊の現れというものは、一人の神様の中にある、その性質の表れであり、それは神様の対象的な相対によって映し出されます。


聖霊に関する非常に重要な神学を亨進様・國進様が語って下さった。
左の写真はアボジの直筆である。

聖 天
神 の
お お
母 父
様 様

と書いてある。

一見二元論であるが、これが聖霊の姿だということである。
これを解く鍵となるマルスムがある。

「真の父母の思想は創造以前から存在していた夜の神様の核心思想である。」

そして聖書にはこうある。

初めに言葉があった。
言葉は神と共にあった。
言葉は神であった。
この言葉は、初めに神と共にあった。
万物は言葉によって成った。
成ったもので言葉によらずに成ったものは
ひとつもなかった。
言葉のうちに命があった。
命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。
暗闇は、光を理解しなかった。 
     
 (ヨハネ福音書 1:1~1:5 )

言葉は神、つまり夜の神の言葉は霊である。
真の父母思想をもった言葉なのである。
一なる夜の神様の、真の父母思想がマルスム(言葉)として具現化するとき父なる神(天のお父様)と母なる神(聖神お母様)として現れる。
この二性性相の女性的な対象の霊が、聖霊(神の霊)である。

父母二性の性質を持っている言葉であるが故に昼の神様の天の父として、その相対としての聖神お母様として我々に役事するので父と母に分かれているように感じるが父なる夜の神様、一なる神様からの言葉の性質が実体化した夜の神様の中の一つの性質、位相の表れなのである。
 *詳しくは三位一体論の立場から見た試論:

この聖霊における父母二性三位一体神論について非常に具体的に國進様、亨進様がお教え下さったのでその日本語訳を以下に全文転載する。

2016年8月21亨進様と國進様による質疑応答

2016年8月21日に、米国PA、ニューファンドランドで行われた亨進様と國進様による質疑応答のミーティングで、妍雅様がされた聖霊と霊媒についての質問に対する、國進様と亨進様の回答より
<國進様>
彼女(妍雅様)が聖霊について質問したのは、聖霊の本質とは何かということについて混乱があるためです。そしてこれは、異端教会(家庭連合)の主張の一つでもあり、それはお母様が聖霊であり、女性神(feminine spirit)だという内容であって、またそれは男性神(masculine spirit)とは異なるものでなければならないというのです。

しかし、この神学解釈には非常に重大な誤りがあります。なぜなら、女性神を信じるとすれば、一神教を捨てることになり、基本的にお一人である神様を万物の創造主として理解することをやめることになるからです。そして、いったんそれを捨てると、異教信仰の世界への扉を開き、何千もの神々の世界への扉を開き、最後には数えきれないほどの神々の世界に行き着くのです。これは、一神教と相対主義者の異教との間の戦いです。そこには中間というものはありません。

それで、原理が教えているように、神様の二つの性格、性質というものを理解するときに。神様はより男性的な方であるとされています。神様ご自身の中には、男性的な性質と女性的な性質があり、それが神様の二性性相です。ですから、みなさんが見ている聖霊の現れというものは、一人の神様の中にある、その性質の表れであり、それは神様の対象的な相対によって映し出されます。

真の父母という点で、実際、お父様は非常にはっきりされていました。お父様は、基本的には真の父として、「私は真の父母である」とおっしゃっています。それで、お父様の責任分担、つまりアダムの責任分担は、真の父母が95パーセントです。そして、お母様の責任分担、つまり真の母の位置は、自分が現れることを通して神様の特性を反映することです。ですから、お母様は女性神を投影するのではありません。お母様は単に、お父様の中にあるもの、つまり、お一人の神様の中にあるものを映し出すにすぎません。そしてそれが非常に大きな神学的相違点なのです。私たちは、その一神教の道から脱落して、神様の女性的な性質に対して別の人格を与えないように十分に注意しなければなりません。なぜなら、それは別個に分かれた存在ではないからです。創造主であり、二つの性質を示されるただ一人の神様がおられるだけです。

<亨進様>
オンマ、あなたは聖霊のことについてと、それから霊媒的なものについても質問しましたね。つまり、聖書的な伝統から見ても聖霊というのは最高の霊、つまり神様の霊です。ですから、私たちが他の霊について取り扱う場合、聖霊との関係性が最も重要です。それで、私たちが、聖霊が降りたといったようなことを言う場合、皆さんご存知のように、お父様は、イエス様がそうであったように男性だったわけですが、お父様の中には女性的な性質もありました。

お父様は、とても繊細で、とても愛に満ちておられ、すべてを受け入れてくださる方でした。お父様の中にも、私たちが通常女性的性質と呼ぶようなものがありました。だからといってお父様が女性になるわけではありません。そうです。お父様はお父様です。それで、私たちがお父様の聖霊という話をするとき、私たちの生命を直接導いて下さるお父様の臨在のことを言っているのです。そして、それは非常に重要なものですから、私たちにはみ言が必要になります。なぜなら、み言のおかげで私たちは、聖霊体験を確認することができるからです。み言がなければ、自分の直感や感情に頼ることになり、多くの場合間違った霊や勢力のようなものによって、堕落してしまうことがあり得るからです。

そのために、私たちにはみ言があります。ですから私たちが聖霊によるひらめきや体験をしたとき、そして、人生においてこの方向に向かうべきだと聖霊に告げられるようなとき、皆さんに非常に強くお勧めすることは、み言に向かうことなのです。神様を体験したとき、それをみ言で確かめてください。ですから、私は、リマについて頻繁にお話してきました。リマは聖書における霊的戦いの中で使用する武器です。武器はみ言なのです。人生の岐路に立ったとき、また、神様の導きが必要なとき、そして、神様が霊感を与えたときに、み言に向き合って確認することが重要です。ですから私たちは聖書を読み、成約のお父様のみ言を読みます。

会長がリマを紹介してくれましたね。彼が韓国で立ち上がることを決意したときに、私は彼にリマを引かせました。彼がプレゼンテーションの最後に紹介してくれた聖句がそのときのリマでした。そして、彼は私のところに来て方向性を尋ねていたので、そのリマが、彼が向かうべき方向性を示してくれました。ですから、私はみ言に向かいなさいと言いました。それで神様が私たちを導いて下さったのです。ですから、み言と関係を持つということが私たちにとって大切なことです。

聖書はただの本ではありません。それは生きた人であり、イエス様が生きておられるということを理解することが重要です。そして、私たちが聖書と触れ合うとき、私たちはイエス様と触れ合います。お父様のみ言と触れ合うとき、私たちは再臨のイエス様と触れ合っています。それは同じイエス様だったのです。私たちは、同じ神様を体験しており、肉体を持ってこられた同じ神様において導きを受けているのです。ですから、み言がとても重要です。

そして、私たちは金曜日の基元節に、お父様が人類に残した最後のみ言を訓読しました。訓読教材にある、人類に対する最後のみ言ですが覚えていますか?もちろん、八大教材教本は、家庭連合によって冒涜されてしまいましたが、サンクチュアリの人々がそれを守り、共有しています。それで、お父様は私たちが直接み言に触れられるようにしてくださいました。

私たちにとって聖書的な内容も重要です。なぜなら、聖書的な内容を身に付けなければ、イエス様までの復帰摂理はおろか、イエス様以降のメシアを準備するための復帰摂理と関係を持てないからです。ですから、聖書的なキリスト教の内容を身につけることも重要です。お父様のみ言を読んでも、それをニューエイジの異教のような形で間違って解釈することもできるのです。それは完全にお父様を誤って伝えることになり、いわゆる偽メシア、偽のお父様を持つようになります。それは、自分の心の中で作り上げた、本当のお父様をまったく反映しないものです。本当のお父様が私のお父様であり、私はそのお父様と共に生きています。

ですから、この神学者たちが自分たちのほら話についてあそこで影響を及ぼしているのを見るとき、つまりそれは私のお父様なのです。彼らがお父様をまるで何か、左翼寄りであるとか、ヒラリー派であるとか、ゲイアジェンダ擁護派であるとか、人間を嫌う過激な環境保護主義派であるかのように描こうとするとき。そのような誤った虚像の中にお父様を描こうとするとき。ニューエイジの引用の中で描こうとするとき、基本は共産主義者なのだと。お父様はその生涯をかけてそれと闘ってきたのです。そういうわけで、お父様が任命し信頼したお父様の子供たちの証しが、非常に重要なのです。なぜなら非常に多くの嘘つきたちが自分の思うままの神様を作っているからです。ですから、私たちにとって、お父様の本当の姿を示し、お父様の真の姿を誇ることが大切なのです。

とにかく、そういうわけで、私たちは霊媒に頼る必要はありません。私たちにはお父様が下さったみ言があります。私たちにはお父様の霊による働きがあり、それは本物です。そして、私たちの生活の中の超自然的な導きもあります。ですから、私たちは霊媒に頼る必要はありません。

追記:
原理原相論試論 (神霊聖霊三位一体論)


ここでは聖霊を中心とした三位一体論を取り扱う。

三位一体とはいわゆる父と子と聖霊であるが、三位は全て神の現れであるという観点で神の四位基台で見るとき、神の三位一体は三つある。
夜の神様と昼の神様の関係における三位一体、②神霊聖霊三位一体、③救世主と再臨主による三位一体の三つである。

①夜の神様と昼の神様の関係における三位一体は夜の神様が光と時空の世界を創造された後に現れる昼の神様として位相、いわゆる陽性と陰性におけ存在様相と真の父母様の関係について論じた。いわばキリスト論的三位一体論、キリスト論的四位基台についてである。

またこの四位基台を形成するにあたり夜の神様が昼の神様を創造された創造本性と夜の神様と昼の神様の内的位相関係については原理原相論試論(創造原相論編)にて、その正分合作用の目的である絶対精子と絶対卵子の関係は原理本体論再考(夜の神・昼の神の位相関係)において述べた。
*詳細:原理原相論試論(創造原相論編)         


ここでは②神霊聖霊三位一体と、③救世主と再臨主による三位一体について論じる。

②神霊聖霊三位一体論は時空間創造後のこの被造世界に現れる神霊と聖霊の関係、
③救世主と再臨主による三位一体論は聖霊の役事における、救世主として来られたイエス様と、再臨主として来られた真のお父様との関係について述べる。

1.真のお父様の聖霊論と亨進様・國進様の聖霊論

亨進様・國進様の聖霊に関するマルスムは、真のお父様のマルスムと一見違うように見える。
過去、聖霊に対する認識は、聖霊は神様と別に独立する霊である、そして女性神として存在するという認識が多数であった。それに対し、次のような質疑応答があった。
質問)
聖書に関して一つ質問があります。聖霊は・・・聖書における聖霊は、いつも男性格ですが、私たちはそれは「お母さま」のことだと教えられてきました。
*注)聖霊:ドイツ語(Der hellige geist)などでは男性名詞
(国進様)
それは異端です。原理ははっきりと神について、本性相と本形状からなっていると書いています。それが神様の属性です。その次に対象的属性として、男性と女性があります。陰と陽です。神様の主要な属性は内的属性であることを知るならば、それをわれわれは父と呼んでいるのです。それは神様の男性格と女性格は、陰、陽の属性で表すことができます。だから神様を父なる神、聖霊(Holy Ghost)と呼ぶのです。これは全く自明のことです
(2017年5月27日 國進様との質疑応答)

このように國進様は従来の、聖霊を女性神とする神学は誤りであることを明確に言われた。

ところが 真のお父様は、従来の聖霊は女性神であるという肯定するかのようなみ言、「聖霊は母の神、女性神であり、女性は聖霊の実体、イエス様は父の神であり、男性はイエス様の実体である」という数多くのマルスムを残しておられる。
その例を挙げる。

アボジの直筆(旧本部教会)
天の御父様 聖神お母様

 イエス様お一人では通じないので、イエス様と聖霊を通さなければなりません。イエス様は父の神で、聖霊は母の神なので、堕落した人間たちは誰でも、父母の因縁を通さずしては天国に行けません。20-269,1968.7.7
 キリスト教における聖霊は、女性神ですが、霊的に、また実体的に二つの世界を生んで育てなければならない責任があったように、統一教会で祝福を受けた女性は、二つの世界に対する責任を負わなければなりません。天国の民もつくらなければならず、サタン世界の民をすべて拒否し得るようにならなければならず、その人々を統治できるようにならなければなりません。
 祝福家庭の男性はイエス様の実体の立場であり、女性は聖霊の実体の立場です。すなわち、イエス様と聖霊がイスラエル民族を救おうとしたのと同じように、生きてこの民族を救おうと躊躇せずに進んでいく立場が正に祝福家庭の立場です。ですから祝福家庭は、氏族的メシヤとして出発することができるのです。21-284,1968.12.1

このようなみ言は多数あり、そのため、神様以外に聖霊と言う女性神、神様と別の独立した霊が存在しその聖霊実体が女性であるいう解釈が多くされてきた。
実際、原理講論と原理本体論にもそのように捉えている。

原理講論
(1) 重生の使命から見たイエスと聖霊
このように、聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。
原理本体論 日本語原理本体論P458
「再臨主は、再臨の父となり、再臨の聖霊は再臨の母となります。」
「イエス様は、神様の息子であり、聖霊はイエス様の夫人です。」

次に亨進王と國進様の聖霊に対するみ言を見てみる。
   國進様 
そしてこれは、異端教会家庭連合の主張の一つでもあり、それはお母様が聖霊であり、女性神feminine spiritだという内容であって、またそれは男性神masculine spiritとは異なるものでなければならないというのです。
しかし、この神学解釈には非常に重大な誤りがあります。なぜなら、女性神を信じるとすれば、一神教を捨てることになり、基本的にお一人である神様を万物の創造主として理解することをやめることになるからです。 2016年8月16日Q&A

亨進様
聖父聖子聖神 성부성자성신、いわゆる父と子と聖霊は一つの神性から出ていますが、三つの個体の性格を持っています。(성부 성자 성신은 1개의 신성에서 나오지만 3개의 개체의 성격을 가지십니다.)これを理解することは今後未来の天一国王の位置が何かを知るのに重要です。 私たちが知っていることは真のお父様こそが王の中の王であり私たちの為に再臨主として死の道を行かれました。2017年6月6日キングスリポート

   亨進様
つまり、聖書的な伝統から見ても聖霊というのは最高の霊、つまり神様の霊です。ですから、私たちが他の霊について取り扱う場合、聖霊との関係性が最も重要です。それで、私たちが、聖霊が降りたといったようなことを言う場合、皆さんご存知のように、お父様は、イエス様がそうであったように男性だったわけですが、お父様の中には女性的な性質もありました。
お父様は、とても繊細で、とても愛に満ちておられ、すべてを受け入れてくださる方でした。お父様の中にも、私たちが通常女性的性質と呼ぶようなものがありました。だからといってお父様が女性になるわけではありません。そうです。お父様はお父様です。 (2016年8月16日Q&A)
國進様
神様ご自身の中には、男性的な性質と女性的な性質があり、それが神様の二性性相です。ですから、みなさんが見ている聖霊の現れというものは、一人の神様の中にある、その性質の表れであり、それは神様の対象的な相対によって映し出されます。
2016年8月16日Q&A
このように、聖霊は女性神であり、神と別の霊が存在するという認識に対し、亨進様・國進様は夜の神様の性格の一つの表象だと言われる。聖霊は女性的であるが女性ではない。夜の神が男性であるなら聖霊もまた男性であるという理解である。

以上のように、真のお父様と亨進様・國進様の二者の神学は比較すると相反するかのように見えるが、同じことを言っていることを聖霊役事三位一体論とキリスト論的三位一体論をもって次に説明していく。

2.神霊聖霊三位一体論

お父様と亨進様・國進様の聖霊に関する表現の違いを理解する上で重要な聖句がある。

初めに言葉があった。
言葉は神と共にあった。
言葉は神であった。
この言葉は、初めに神と共にあった。
万物は言葉によって成った。
成ったもので言葉によらずに成ったものは
ひとつもなかった。
言葉のうちに命があった。
命は人間を照らす光であった。
光は暗闇の中で輝いている。
暗闇は、光を理解しなかった。 
     
 ヨハネ福音書 1:11:5 )

万物は言葉によって成った、つまり神の言葉が万物を作ったということである。
これは神の言葉は万物をつくることができる霊的な力を持っているということである。
それ故、「言葉は神である」という表現ができる。
ではこの万物を創造することができる神の言葉とはどのような言葉なのか。
お父様は

「神様とは、いったい誰ですか。神様は創造主でありながら、縦的な真の愛の父母です。真の愛を中心とした、縦的な父母だというのです。

(250-38,1998.10.10)日本語天聖教2010年版P1662」
と言われた。

言葉はある感情と思想によって発せられる。即ち神の言葉は神の父母の愛による真の父母思想によってつくられたと言うことができる。
初めに神とともにあったその言葉を我々は創造原理と呼んでいる。
この言葉、創造原理は真の父母思想によって作られたということなである。
言葉・創造原理は神であるが、神ご自身ではない。神が被造物を創造されるときに使われる霊的力とその作用である。
韓国語のソンキル(손길)という言葉は、神が差し伸べてくださる御手(恩恵)という意味で使われることが有る。霊的力が言葉であり、その言葉の作用がまさに神の御手である。神の御手はこの言葉と作用の、神の霊力の表象である。その神の御手により成される御業を役事と呼ぶ。

神の言葉、神の御手は、神そのものではないが、神の現れ、神の表象である。
創造原理は二性性相である。よって神の表象、神の言葉の力も、神の御手も二性性相として時空間の世界に現われる。
一なる夜の神様の、真の父母思想が言葉として具現化するとき父性的な神霊と母性的聖霊として現われるのである。

夜の神様は光も時空間も、そして二性性相もない闇の世界におられたが、夜の神が創造原理、言葉によって創造された時空間に、この被造世界に現れるとき、その夜の神自身が創った創造原理に基づいた霊的な様相をもって現われる。
即ち夜の神は、創造原理が真の父母思想によって創られた原理であるが故に父母の二性性相の様相をもってこの時空間に来られる。
この二性性相は夜の神の言葉であり御手であるがゆえに三位一体である。三位一体、つまりこのように三つの性格と位格がありながら一なる神ということである。
このように性格位格の違う神の言葉と御手は父性的な神霊と母性的な聖霊の二性性相となり現われる。
父なる夜の神の、父なる御手が神霊であり、母なる御手が聖霊である。

このように母性的聖霊は神の母なる御手であるがゆえに真のお父様のように聖霊を母の神、女性神と呼ぶことは妥当であり、國進様が言われるように神様の女性的現れが聖霊であるという表現はよりその本質を表している。
このように双方同じことを言っているのである。
よって聖霊は母なる御手であるが、父なる夜の神の御手であるがゆえに男性である。
神様の女性的現れが聖霊であるがここでトランスジェンダーはあり得あい。聖霊は女性的だが男性である。

ヨハネによる福音書14節
14:16わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。 14:17それは真理の御霊である。14:26しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。

ヨハネによる福音書14章の真理の御霊はギリシャ語で中性名詞プネウマであるが“助け主”と訳されている言葉、ギリシャ語で“ホ・パラクレイトス”の”ホ”とは男性単数主格を表す冠詞であることから明らかなように、イエス様が送ってくださった助け主という聖霊は男性格である。このように聖書は聖霊が男性であることを予め教えている。


このヨハネの福音書14節のように助け主は聖霊である。聖霊は真理の御霊(神霊)とともにある。共にあるということは原理で言う主体と対象をもって存在するという事である。
神霊は真理を導き、聖霊は感動と慰労を導くその正分合の合成一体が御業であり役事である。
このヨハネによる福音書14章16節にかかれているように、アダムとエバの堕落により閉ざされた聖霊の御業はイエス様が父である神に願われることにより”助け主”として開かれた。
聖霊現象という役事の御業はこのような夜の神と神霊聖霊による三位一体と、神霊と聖霊の授受作用による正分合の合成一体化により四位基台を造成するときに現れる現象である。
このように神霊と聖霊の三位一体は、夜の神が男性にして父母であるという三位一体、夜の神の本性が光と時空間の位相に現れるときの様相である。この様相もまた夜の神の被造物である。

     夜の神
      ↙↘
(真理)神霊 ⇄ 聖霊(感動と慰労と悔改)
 父なる御手  母なる御手
      ↘↙
      役事

3.神霊聖霊三位一体による万物創造の役事

夜の神は父母の心情が本質であるがゆえに父母思想を持たれ、創造原理を構想され、夜の神の時空間の位相である昼の神を太初に原理本体として創造され、天宙の創造が始まった。これが所謂ビックバンである。
このように夜の神の父の御手である神霊と母の御手である聖霊によって昼の神である原理本体を展開する役事をもって天宙を創造された。

 夜の神
      ↙↘
(真理)神霊 ⇄ 聖霊(感動と慰労と悔改)
      ↘↙
      役事
(昼の神の創造・天地創造の御業)

原理講論の神の定義「神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体としておられ、被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給うという事実を知ることができる。」に記述してある“神”とは夜の神様の真の父母思想に基き創られた創造原理によって太初につくられた時空間に現れた夜の神様の存在様相であり昼の神の太初、原理本体のことである。
詳細:原理原相論試論(創造原相論編)              

夜の神は天宙創造の太初に「本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体」である原理本体を創造された。それは最終的にエバの卵子を造るためであった。ビックバンは絶対卵子を創造することを目的に始まった。

神霊と聖霊の本体である夜の神は男性であるがゆえに、夜の神は絶対卵子を創造するために被造世界の原理本体を太初に創造された。それゆえにエバの卵子、絶対卵子は夜の神の御手によって創られた被造物である。
 絶対卵子の創造は神の母なる御手である聖霊の内容を実体化することを夜の神様の父母思想は構想理想とした。
 それだから聖霊は神の、実体エバ、絶対卵子をつくるための構想理想と霊的力であると言える。この聖霊構想理想の通りに創られた存在、女性を聖霊実体と呼ぶことができる。

聖霊による感動と慰労の業がこのような女性を造ることを目的とするが、だからと言ってこの母なる神の御手である聖霊は女性ではない。
父なる夜の神の御手であるので当然その性別は男性である
このように聖霊は結局、男性である夜の神の、女性的な部分の現れであり、三位一体からみると同体であり同じ霊である。神から独立した個体としての聖霊という別の女性神、女性霊が存在するのではない。聖霊は男性である。

聖霊実体という言葉を個別の女性神がいてそれが肉体を持ち地上に具現化するという解釈をする神学があるが、それは誤りである。
 聖霊実体は夜の神の女性創造における構想理想(この構想を聖霊構想理想と呼ぶ)により作り出された被造物である。夜の神が造られた絶対卵子を宿す被造物である。
 このような聖霊構想理想によって創造された女性は昼の神である。また構想理想の段階の個性真理体を昼の神と呼ぶことも出来る。このように女性の昼の神はその構想理想の個性真理体の数だけ存在する。すなわちその数は無限に存在する。

      夜の神
           ↙↘
      神霊 ⇄ 聖霊 
(父なる御手)  (母なる御手)
 (父なる神)  (母なる神)
       ↘↙
    天地創造の役事
     絶対卵子

4.神霊聖霊三位一体にみる夜の神の精子と絶対卵子の受精

夜の神の父なる御手、神霊は夜の神の精子を霊としてもたらす父である夜の神様の男性的霊力の表象である。
真の父イエスは夜の神の精子から生まれた神の子であり神霊実体である。
イエス様は夜の神様の精子を受精した絶対卵子からお生まれになった。
このようにイエス様の霊人体は夜の神様の霊から来られたので夜の神であり天の神である。
聖霊は絶対卵子の、霊と肉をつくるための父である夜の神の女性的霊力の表象である。
聖霊実体は夜の神の聖霊構想理想によってつくられた被造物であり、完成したエバのことである。
真の女性としてのエバの体内に造られるその身体的絶対卵子・染色体XXの、その霊人体も聖霊構想理想によって造られた神の被造物である。
エバはこのような被造物であり昼の神であり、夜の神が造られた絶対卵子を持つがゆえに地の神である。
それゆえに完成したアダムと完成したエバの結婚は夜の神様との昼の神様の結婚である。このようにして完成したエバの絶対卵子は夜の神様の精子を受精する。
それは被造物である地が天を受精することを意味する。このように人を介在して天と地が結婚する。
全てを完成した真のアダムと真のエバはこうして天地人真の父母となる。

5.救世主と再臨主による三位一体

ヨハネによる福音書14節
14:16わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。 14:17それは真理の御霊である。14:26しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。14:27わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。

主イエスは、父なる神に願って、聖霊を遣わすと約束された。(ヨハネ14:16)それは「別の助け主」であると言われた。「別の」ということは、今助け主がおり、その助け主の他に、同じ働きを担う助け主がおられ、それが聖霊であるという意味になる。つまり、主イエスご自身が助け主であったということである。弟子たちに、今まで弟子たちを教え、導き、養ってきたイエスの助け主としての働きを担う、もう一人の助け主を遣わすと約束された。この助け主、聖霊を「真理の御霊」と言われた(ヨハネ14:17
この助け主である聖霊が成す業は、イエスが目に見える形でそばにおられなくても、主イエスの言葉を思い起こさせ(ヨハネ14:26)、イエスが持つ平安を弟子たちに与える(ヨハネ14:27)ことである。
「真理の御霊」は聖霊に対し主体として立つ神霊である。神霊は真理を受ける者に、神霊の対象として立つ聖霊の業をもたらす。これが役事である。
助け主、真理の御霊の役割は、すべて救世主・イエス様に導くことにある。
このように聖霊の役事ペンテコステはイエス・キリストによって開かれた。
イエスは夜の神の父なる御手、神霊の位置に立ち、相対対象の母の位置にある神の母なる御手聖霊とともに再臨主の時まで聖霊の役事を導いてこられた。


  夜の神
        ↙↘
    イエス様  ⇄ 聖霊
        ↘↙
          役事

真のお父様聖和以降、原理を究明され実践し、血統転換の実体の御業をされた再臨主・真のお父様は霊界においてイエス様がおられた神霊の位置に立たれ神霊とともにおられる。イエス様は聖霊の位置に立たれ聖霊とともにおられる。
イエス様はこれからも夜の神様の母なる御手、聖霊とともにおられ役事をされる。



  夜の神
        ↙↘
    お父様  ⇄ 神霊
        ↘↙
          役事

   夜の神
        ↙↘
 お父様⇄神霊  ⇄ イエス様⇄聖霊
        ↘↙
        役事

真のお父様の聖和以降、夜の神みの御手・神霊と聖霊は真のお父様とイエス様とともにある。
夜の神様の神霊と聖霊の三位一体は、夜の神様と真のお父様とイエス様との三位一体とともにあり、この聖霊の役事はこの三位一体とともにある。その最大の役事は三代王権をこの地上に立てたことであり、三代王権とともに役事される。
真理・命の道は今もイエス様とともにある。イエス様は聖霊とともに真理・命である真のお父様へと導かれる。
これからも神の息子イエス・キリストは神の聖霊とともにあり役事をされる。
聖霊はイエス様とともにある。それゆえに三代王権の時代においてイエス様を軽んじてはならない。
真のお父様はイエス様とともにあり三代王権を中心としてミクロとマクロの役事をされる。
夜の神様はイエス様とともにあり真のお父様とともにある。
夜の神様は真のお父様が、イエス様が意識するところに夜の神様の聖霊をその御手として送られる。
これが新しい時代の聖霊であり聖霊現象であり役事である。三代王権の聖霊の役事はこの三位一体とともにある。

神様を体験したとき、それをみ言で確かめてください。ですから、私は、リマについて頻繁にお話してきました。リマは聖書における霊的戦いの中で使用する武器です。武器はみ言なのです。人生の岐路に立ったとき、また、神様の導きが必要なとき、そして、神様が霊感を与えたときに、み言に向き合って確認することが重要です。ですから私たちは聖書を読み、成約のお父様のみ言を読みます。
2016年8月16日Q&A亨進様

夜の神の聖霊は旧約聖書を導き新約聖書を導き成約聖書を導かれた。
それゆえに亨進様が言われるように旧約と新約と成約の聖書によって、神の御手につながる。旧約と新約と成約の聖書を通して神の御手に触れその導きを得ることができる。
これが二代王が旧約と新約と成約の聖書によって霊を主管しなさいと言われた理由である。

以上から、次に聖霊の役事のための祈祷を提案する。

天のお父様、
神霊真のお父様、聖霊イエス様の真の父母三位一体による聖霊の役事をもたらし三代王権とともに天の御業を成し給え。


2017年9月23日、康・真のお母様が完成期聖婚式をされることにより夜の神様の結婚が成立し、真のお父様と康・真のお母様が完成期の真の父母となられた。
この日より聖霊の役事も、夜の神様と真のお父様とイエス様による完成期真の父母三位一体の聖霊役事がキリスト血統王権を通じておきるようになったのである。

   夜の神
        ↙↘
 お父様⇄神霊  ⇄ イエス様⇄聖霊
        ↘↙
    完成期真の父母の役事

夜の神様と真のお父様とイエス様による完成期真の父母三位一体の聖霊役事がキリスト血統王権である三代王権に常に共にあることを祈願する。


以上の聖霊論の土台となる詳細は以下に論じている。参考に頂ければ幸いである。

原理原相論試論創造原相論堕落論夜の神昼の神


* 参 考 *
<ヨハネの福音書に見る聖霊と御霊>
ヨハネの福音書、特に14~16章は、聖霊の章句とも呼ばれている。
その中からテーマ毎に幾つかあげてみる。

御霊:
1:32ヨハネはまたあかしをして言った、「わたしは、御霊がはとのように天から下って、彼の上にとどまるのを見た。1:33わたしはこの人を知らなかった。しかし、水でバプテスマを授けるようにと、わたしをおつかわしになったそのかたが、わたしに言われた、『ある人の上に、御霊が下ってとどまるのを見たら、その人こそは、御霊によってバプテスマを授けるかたである』。 1:34わたしはそれを見たので、このかたこそ神の子であると、あかしをしたのである」。
7:38わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。 7:39これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである。すなわち、イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊がまだ下っていなかったのである。
14:16わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。 14:17それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。
15:26わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。 15:27あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのであるから、あかしをするのである。
16:12わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。 16:13けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。 16:14御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。 16:15父がお持ちになっているものはみな、わたしのものである。御霊はわたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるのだと、わたしが言ったのは、そのためである。

助け主:
14:16わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。 14:17それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。
14:25これらのことは、あなたがたと一緒にいた時、すでに語ったことである14:26しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。 14:27わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。
15:26わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。 15:27あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのであるから、あかしをするのである。
16:7しかし、わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。 16:8それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう。 16:9罪についてと言ったのは、彼らがわたしを信じないからである。 16:10義についてと言ったのは、わたしが父のみもとに行き、あなたがたは、もはやわたしを見なくなるからである。 16:11さばきについてと言ったのは、この世の君がさばかれるからである。

聖霊
3:34神がおつかわしになったかたは、神の言葉を語る。神は聖霊を限りなく賜うからである。 3:35父は御子を愛して、万物をその手にお与えになった。 3:36御子を信じる者は永遠の命をもつ。御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまるのである」。
14:25これらのことは、あなたがたと一緒にいた時、すでに語ったことである。 14:26しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。 14:27わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。
20:21イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。20:22そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。 20:23あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう」。

2016年8月21亨進様と國進様による質疑応答

國進様
彼女(妍雅様)が聖霊について質問したのは、聖霊の本質とは何かということについて混乱があるためです。そしてこれは、異端教会家庭連合の主張の一つでもあり、それはお母様が聖霊であり、女性神feminine spiritだという内容であって、またそれは男性神masculine spiritとは異なるものでなければならないというのです。
しかし、この神学解釈には非常に重大な誤りがあります。なぜなら、女性神を信じるとすれば、一神教を捨てることになり、基本的にお一人である神様を万物の創造主として理解することをやめることになるからです。そして、いったんそれを捨てると、異教信仰の世界への扉を開き、何千もの神々の世界への扉を開き、最後には数えきれないほどの神々の世界に行き着くのです。これは、一神教と相対主義者の異教との間の戦いです。そこには中間というものはありません。
それで、原理が教えているように、神様の二つの性格、性質というものを理解するときに。神様はより男性的な方であるとされています。神様ご自身の中には、男性的な性質と女性的な性質があり、それが神様の二性性相です。ですから、みなさんが見ている聖霊の現れというものは、一人の神様の中にある、その性質の表れであり、それは神様の対象的な相対によって映し出されます。
真の父母という点で、実際、お父様は非常にはっきりされていました。お父様は、基本的には真の父として、「私は真の父母である」とおっしゃっています。それで、お父様の責任分担、つまりアダムの責任分担は、真の父母が95パーセントです。そして、お母様の責任分担、つまり真の母の位置は、自分が現れることを通して神様の特性を反映することです。ですから、お母様は女性神を投影するのではありません。お母様は単に、お父様の中にあるもの、つまり、お一人の神様の中にあるものを映し出すにすぎません。そしてそれが非常に大きな神学的相違点なのです。私たちは、その一神教の道から脱落して、神様の女性的な性質に対して別の人格を与えないように十分に注意しなければなりません。なぜなら、それは別個に分かれた存在ではないからです。創造主であり、二つの性質を示されるただ一人の神様がおられるだけです。

亨進様
オンマ、あなたは聖霊のことについてと、それから霊媒的なものについても質問しましたね。つまり、聖書的な伝統から見ても聖霊というのは最高の霊、つまり神様の霊です。ですから、私たちが他の霊について取り扱う場合、聖霊との関係性が最も重要です。それで、私たちが、聖霊が降りたといったようなことを言う場合、皆さんご存知のように、お父様は、イエス様がそうであったように男性だったわけですが、お父様の中には女性的な性質もありました。

お父様は、とても繊細で、とても愛に満ちておられ、すべてを受け入れてくださる方でした。お父様の中にも、私たちが通常女性的性質と呼ぶようなものがありました。だからといってお父様が女性になるわけではありません。そうです。お父様はお父様です。それで、私たちがお父様の聖霊という話をするとき、私たちの生命を直接導いて下さるお父様の臨在のことを言っているのです。そして、それは非常に重要なものですから、私たちにはみ言が必要になります。なぜなら、み言のおかげで私たちは、聖霊体験を確認することができるからです。み言がなければ、自分の直感や感情に頼ることになり、多くの場合間違った霊や勢力のようなものによって、堕落してしまうことがあり得るからです。

そのために、私たちにはみ言があります。ですから私たちが聖霊によるひらめきや体験をしたとき、そして、人生においてこの方向に向かうべきだと聖霊に告げられるようなとき、皆さんに非常に強くお勧めすることは、み言に向かうことなのです。神様を体験したとき、それをみ言で確かめてください。ですから、私は、リマについて頻繁にお話してきました。リマは聖書における霊的戦いの中で使用する武器です。武器はみ言なのです。人生の岐路に立ったとき、また、神様の導きが必要なとき、そして、神様が霊感を与えたときに、み言に向き合って確認することが重要です。ですから私たちは聖書を読み、成約のお父様のみ言を読みます。

私、論者(管理人)が聖霊により神様から授かった内容
この神学は以下の聖霊から受け取った内容から書いた内容です。

感じ取った内容)

私のイエスを軽んじてはならない。
イエスは今も私とともに役事を行っている。
國進が言ったとおりだ。そうだ聖霊は別の霊ではない。
イエスの勝利により私がお前に与えることが出来るようになった私の愛だ。
私の愛の一つだ。
今お前が感動し涙をながすのは私の息子イエスの勝利によってやっとお前たちにあたえることが出来るようになった私の愛だ。
イエスの勝利によってお前たちは聖霊の恩恵に預かるようになったのだ。
イエスの勝利によってやっとお前たちに聖霊の業を施すことが出来るようになったのだ。
我が息子イエスは今も私の聖霊とともにあり役事をしていること知らせなさい。
今もイエスは私とともにある。聖霊はイエスとともにある。
私のイエスを侮ってはならない。
真理、命の道は今もイエスにある。
真のお父様はイエス様とともにありミクロとマクロの役事をしているのだ。
私はイエスとともにあり真のお父様とともにある。
私は真の父様が、イエスが意識するところに私の霊を送る。
これが聖霊だ、聖霊現象だ。
聖霊の役事(ペンテコステ)はキリストによって開かれた。
聖霊の霊的役事はイエス・キリスト、聖霊の肉的役事、実体役事は再臨主によって開かれたのだ。

2017年5月10日


*以下、他の神学、私個人の試論です。

원리원상론 시론 (창조원상론편:創造原相論編)


 

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