2023年12月7日木曜日

飛行機十字架を勝利された真のお父様◆興南収容所での真のお父様の路程 〔2023年11月5日 ローウェル・エランソンによる講義〕

飛行機十字架を勝利された真のお父様

11月の説教、韓国、日本での大会、何度も二代王様が語られた、今後も語られるであろう、

お父様の三度十字架に掛けた恩讐を祈り愛された真の愛の証です。


 興南収容所での真のお父様の路程

〔2023年11月5日 ローウェル・エランソンによる講義〕

  kijoksori さんの、ご厚意による連載一挙掲載(小編集)です。ありがとうございます。


True Father's Course in Heung Nam Prison Camp 11/05/2023


皆さんに少し背景を説明する必要があるかもしれません。まず最初に、なぜ私が今朝ここにいるのかを説明します。約1年前、1年ちょっと前。国進様がペンシルバニアの教会講師の仕事を私に下さったのです。そして今年の2月、今年の春に、彼は私に、詳細なお父様の路程の資料をまとめるよう依頼したのです。


その際、彼は用意したマニュアルを私に提示してくれました。彼が韓国に行ったのは、2000年代の半ばから初めの頃だったと思いますが、お父様は彼を韓国に呼び、韓国の教会やすべての企業と協力し、お父様の代理人として関わるように命じました。それで、国進様が本部で働いていたとき、彼は講義マニュアルとして作成された、お父様の路程の講座の文書を見つけたのです。これは初期の弟子たちによって作成されたものです。つまり、この講座の内容は、実際にお父様の全歴史にさかのぼるものだったのです。とにかく、彼はこの文書を私に下さりました。これが、私がこの情報を得るために使った主要な資料の一つです。

 

そして、もう一つ、同様に使ったものがあります。それは、80年代半ばのことです。

お父様はアン牧師に、歴史的な統一原理について、より深い内面的な説明と、お父様が個人の路程において、原理をいかに応用させてきたかについて、用意するよう依頼されたのです。そして、お父様は、アン牧師に40日間のワークショップの開催を指示されて、私は88年と89年にそのワークショップに参加することができました。

そこで、お父様の獄中路程のいくつかを見ていくことになったのです。

この情報は、これまで世に出ることはありませんでした。

でも、その文書にはあったのです。アン牧師がこの情報を入手した方法は、お父様は当初から、人前で話をするときは、いつも録音テープを取っていました。たとえそれが少人数のグループであっても、内部指導であっても、説教であっても、大きなスピーチであっても。すべて録音していたのです。すべてがしっかりと記録されていました。それは韓国でも同じでした。

それで、アン牧師は約4カ月を費やしました。彼はそのすべての情報に目を通したということです。そして、お父様ご自身の人生の歩みについての個人的な説明から、この内容の一部を引き出したのです。


ですから、ここで、初めてお聞きいただく内容があるということをお伝えしたかったのです。この内容は、そこから来ているものです。これはお父様が、初期の弟子たちに直接語ったものなのです。

新約聖書全体がそうでしょう?新約聖書全体が、イエスの弟子たちの直接の証言なのです。ということで、私たちは、この真のお父様の生涯路程にある資料の中に入っていきます。この講座は、2日間の講座、あるいは統一原理の入門講座の後に行われます。


真のお父様の生涯路程

 

このプレゼンテーションでは、堕落によって失われた3つの祝福を確立するという人間の責任を完全に果たす者として、文鮮明氏がどのように神によって再臨のキリストとして選ばれたかを説明します。

 

文鮮明師の人生と聖職は、大学の講義を満たすものです。これらの活動の中には、外的な業績として分類されるものもあります。

しかし、統一原理では、神の偉大な創造の摂理の完成を導き、可能にする内的な因果的事実に焦点を当てます。神はアルファでありオメガです。堕落のない原初の創造は、アダムによって失われたものの、神によって最終的に地上の天国と呼ばれるものを成就し、第一の到来においてイエス・キリストによって霊的救いのレベルまで回復され、次に第二の到来において地上の天国である完全な肉体的救いが回復されるのです。


ですから、文鮮明氏を通して、この摂理は実現され、イエス(キリスト)が再臨の時に約束されたとおりに成就されたのです。キリストが再臨されたのです。
ですから、文師は何度も、天の到来後の時代を開いたと述べています。 


文鮮明師の摂理的勝利は、三大祝福と創造の目的を成就する


堕落の復帰という神様のみ旨を達成するための中心は、その時代の中心人物である人間の責任を成就することであることは、神の摂理に関する講義で毎回学んできたとおりです。人間の責任が勝利するたびに、地獄から天国への復帰の道をさらに前進させる神の摂理の新しい時代が開かれます。

さて、キリストの再臨の場合。この新しい時代とは、待ちに待った地上天国の到来です。そこで、「歴史の同時性」の講義では、キリストの復活から1920年の再臨までの神の2000年の経過を確認しました。これは、アブラハムの一族からキリストが誕生する2000年後までの歴史と、イスラエルの2000年の歴史と直接に同時性を形成しています。

だから、私たちは今、第二のキリストとしての文鮮明氏が、三大祝福を成就するあらゆるレベルで成し遂げた勝利を提示し、証しします。キリストの路程の中心は、サタンの完全かつ永遠的な征服であり、これによって天の到来後の時代が開かれます。人類がサタンの血統から、文鮮明氏、お父様によって確立された堕落していない神の血統に接ぎ木されるときなのです。

 

ありがとうございます。お父様。ありがとうございます、お父様。プレゼンテーション全体が、長くて、1時間半に及ぶので、大部分をカットしなければなりません。というわけで、少し凝縮します。では、スライド23番に、シンマン、お願いします。そこから始めましょう。

この最初のセクションは、お父様の最初の路程です。1945年から1952年の間に、天の御国の基礎が実現する最初の路程があったと、お父様がおっしゃっているのを聞いたことがあるでしょう。だから、私たちは、そのことに踏み込んでいきます。でも、このプレゼンテーションでは、そのことについてはあまり触れません。それは資料にあります。これはおそらく将来公開されるでしょう。これはまだ蘇生期段階のようなものです。しかし、その資料は必ず利用できるようになります。もし興味があれば、将来的に。


この最初の路程は失敗したが、お父様はすぐに前進した


お父様は家に戻った。崔さんという著名なクリスチャンの女性との結婚を神は支持したのですが、彼女の家族はソウルで迫害されている教会の指導者たちと深く関わっていました。


当時、ソウルはまったく貧しかった。食べ物も手に入りませんでした。
お父様は、ソウルの郊外にある農村地帯で良好な関係を築いていたグループのひとつが、日本軍から密かに取り立てられていた米を持っていることを知りました。

そこでお父様は、自分の信者や家族のために米を手に入れるために出発しました。
その途中、神はお父様に、現在共産主義となっている北朝鮮の平壌に直ちに行くようにという啓示を与えられました。

神は、そこでも準備のできた人を一人見つけなければならないと言われたのです。

ちなみに金元弼氏です。

ここでは、その話には触れません。しかし、金元弼氏の事です。神はお父様のためにも準備していました。お父様はこれも重要な点だと語っておられます。

お父様はイエスの12弟子を復帰することでした。そこで、お父様は、生後6週間の新生児を連れた妻にも知らせず、直ちに出発されたのです。

さて、この路程は、最終的にお父様を拷問死へと導き、興南の死の収容所で復活されます。
そこで、このことをもう少し深く分析する必要があります。


サタンを服従させるために、サタンに対する勝利を確保するために、死と復活の過程で血を流す必要があるのはなぜか?

 

つまり、この路程は、神とサタンの対立を解決し、真の神と、神の実在の本然の血統に対する偽りの神の血統というサタンの土台の権威を終わらせるためなのです。

これが現実には天国と地獄の決定要因なのです。

だからもちろん、キリスト教のすべてはこの事実の上に成り立っているのです。

 

では、なぜキリストはサタンの告発に打ち勝ち、サタンを服従させるために死んで復活しなければならないのか?

 

ですから、この内容は、イエスが罪の負債を支払ったという新しい内容になります。しかし、実はもっと深い、統一原理を通して発見できる深いレベルがあるのです。

だから、真理の霊とともに再臨されるお父様は、私たちをすべての真理へと導いてくださるのです。

これはその一例です。ですから、神の創造原理の本来の設計図を理解することによって、私たちは洞察を得ることができるのです。

 

つまり、神は自由と責任をもって、ご自分に似せて人間を創造された。 

神は人間を、内的な霊の心と外的な肉体とをもって創造されたという事なのです。

 

神の戒めは、アダムが自分自身を完成させることでした。私たちが知っているように、アダムは自分の成長を遂げ、神にとって完璧な永遠の対象である自分の霊人体を完成させる。この達成によって、彼の霊的自己は、肉体世界と霊的世界の両方において、神の神性と権威を完全に体現することになるのです。

 

つまり、神の真の愛と他者のために生きる心情こそが、神の存在の核心なのです。

だから、アダムが自分の責任分担を全うしていれば、このようなことが起こるのは自然なことです。彼は神の神性と神の権威を体現していたはずなのです。

 

 アダムが果たせなかったことをイエスが果たされた

 

さて、イエスはアダムが成就できなかったことを成就されました。 

イエス(第二のアダム)は、その霊が、真の愛以外の要素を持たない神の住まいとなったことで、いのちの木として成熟するまでの成長が成就したのです。

 

ヨハネによる福音書1章には、「初めに言があった。」とあります。そして、言は肉体、イエスとなったのです。

 

そしてこれが今のイエスです。

この「初めに」という言葉を見るなら、これは神が創造を始める前から考えていた神の理想を指しています。

つまり、はじめに神が理想とした完全性は、アダムでは実現しなかったが、イエスにおいて肉となったのです。私たちがよく知っているヨハネによる福音書1章の非常に重要な箇所です。

 

さて、お父様の場合、彼はこれと同じ実在性に言及しています。

お父様はキリストのことを夜の神様から来たと言っていますが、これは同じことを言っているのです。神が天地創造を始める前のオリジナルの設計図に由来しています。

 

だから、イエスのこの完全な霊は、彼の肉体を支配する完全な主体でした。イエスはその最初の祝福を成就されたので、第二のアダムであるイエスは、すべての被造物の成就された主となったのです。

これには天使たち、特にルシファーに対する支配権も含まれます。アダムは王であり、この世の神であり、悪のかけらもない神の愛だけを体現することを意味しています。

 

もちろん、堕落後はサタンがこの世の神として知られるようになります。

アダムはこの世の神となるべきであり、イエスはそれを果たされました。それゆえ、イエスはサタンと天使界と被造物すべてを支配する権威と支配権を受け継いだのです。

  

サタンは人間社会で行動する能力を失った

 

そして、この次のセクションは、『Black Book』の統一原理、すなわち、堕落論の講義から直接引用されたもので、人間社会におけるサタンの活動と題されたセクションです。

 

つまり、地上の天の王国を復帰するということは、人間がサタンとの相対基準を完全に断ち切り、神との相対基準を回復することによって、サタンが決して活動できない世界を実現することであり、その結果、神のみとの授受作用の活動に入るということです。

 

神が終末の日にサタンを底なしの穴に閉じ込めておくのは、サタンが働く対象を失って行動できなくなることを意味します。

 

従って、人間はサタンを被造物本来の人間の地位に復帰させる前に、自らの意志で自らの成長と責任分担を成し遂げることによって、み言を高揚させ、サタンを自然に降伏させることができるはずなのです。

 

つまり、神がこのような原則に従って摂理を展開してこられたために、復帰の摂理は長い間、延長してきたのであり、これもまた、統一原理からの直接の引用なのです。

 

三大祝福の成就

 

つまり、「成熟しなさい、繁殖しなさい、支配権を持ちなさい」という祝福は、具体的にはこうです:

 

完全な心と体の一致、神との一体感まで成長したアダムは、そして、初臨のキリスト、初臨のイエス、そして、再臨の真のお父様は、天使たちを含むすべての被造物を主管する立場に立ちます。

 

つまり、サタンが人類を支配するようになったのは、アダムとエバが姦淫によって自ら進んでサタンと結びついたからであり、その結果、サタンは自分たちをこの世の神とし、サタンの不正な血統によって生まれた全人類の神とするために、彼らの遺産を盗むことができるようになったのです。

 

創世記3章1節には、ルシファーは他のどの生き物よりも狡猾であると書かれています。

 

天使ルシファーが誰なのか、覚えておくために付け加えておきます。創世記3章1節では、ルシファーは他のどの生き物よりも狡猾であるとあります。人間ではない。生き物なのです。

 

だから聖書は、聖書全体を通して常にルシファを獣と呼んでいます、

 サタンの象徴は、ヤギ(の頭)を持ったバフォメットのようなイメージを使っています。

 

ですから、復帰されたアダム、真のアダムとしてのキリストの役割は、この状態を修正し、彼自身の完全性の支配を示すことによって、真のアダムに対して、サタンを自然屈服させることなのです。

 

キリストは堕落がなかったかのように創造理想を復帰させる。

 

ですから、このことをお父様は、聞き覚えのある本郷と呼ぶのです。それは私たちの最初の誓約にある「祖国」です。つまり、お父様はこれを、神がすべての被造物の真の所有者として復権する、本郷(本来の祖国)と呼んでいるのです。これは、神の本来の設計に従った継承者であり、真の所有者である人類に基づいています。サタンはもはやこの世の偽りの所有者であり、偽りの神なのです。

 

では、どうしてサタンがこの世の所有者なのかと思うかもしれません。それは、荒野でのイエスに対するサタンの第三の誘惑を見ればよくわかります。

 

つまり、キリストは霊界を支配する権威を持つ真のアダムなのです。サタンはイエスを誘惑しました。「地上のすべての王国を与えよう。」イエスのサタンへの答えはこうでした。「私は神の子だ。私は相続人だ。私はすでに地上のすべてを所有している。私の後ろに下がれ、サタンよ。」

 

だからサタンは、堕落の時にアダムから盗んだすべてのものを、自発的にお父様に明け渡すことを余儀なくされたのです。

 

サタンは、神の本来の創造目的が成就し、彼の偽りの領域である地上の地獄が神の前で正当性を失ったことを認めなければなりませんでした。

 

お父様の拷問と死の路程

 

では、そのお父様の拷問と死の路程について、何が起こっているのか、これから見ていくことにします。

 

イエスはゴルゴダで成就しました。さて、これはキリスト教のすべての核心です。東方正教会でもいい。何千とあるキリスト教のどれでもいい。すべての核となる信念は、ゴルゴダでのイエスの勝利なのです。

 

つまり、イエスはゴルゴダで、肉体の生死といった一時的な物理的条件に影響されることなく、取り換えることのできない永遠の霊的権威をそのまま保持することを成就されたのです。

この場合、彼は、肉体が十字架に掛けられ、それを放棄しても、神との心と愛を保ったわけです。つまり、イエスの霊的な状態は、生死といった肉体の一時的な状態には影響されなかったのです。

そしてこれが、イエスが霊的な復活を遂げるための土台を満たすことができた理由です。

 

さて、お父様も同様に、キリストの使命を担って以来、この死と肉体の復活の原則を実際に6回にわたって成就しました。

日本軍によって投獄されたことが2回、ソウルで迫害を受けていたときに投獄されたことが3回、そして共産主義者の死の収容所で投獄されたことがあり、これらはまさにお父様の勝利の核心となりました。

 

つまり、いずれの場合も、拷問によって死んだと判断されるほどの拷問を受けたのです。そして、彼らは拷問をやめ、彼の遺体を刑務所の独房に戻すか、あるいは、ソウルの非常に有名な例の1つでは、彼の遺体は刑務所の裏の外にあるゴミの山に投げ捨てられました。

 

年配のメンバーならみんな聞いたことがあるでしょう。

 

でも重要なのは、いずれの場合も、お父様は意識を取り戻し、神の心情を慰め、人類に救いをもたらすという使命と、神とイエスとの約束を追求する真の愛の実践を再開したということです。

 

つまり、お父様の肉体は傷ついたが、その心情は神の永遠の愛と生命で燃えており、その生命力が、お父様の肉体を再生させたのです。ある意味、肉体が新しく生まれ変わったのです。

 お父様、神をたたえましょう。

 

というわけで、お父様は拷問死と復活の時を通した彼の霊的な内容の態度について詳しく説明されたのです。


さて、この次の2、3段落は、1973年に行われた「血統転換」と呼ばれるスピーチからの直接の引用であり、この中でお父様は、その時代の彼の心情の内容が何であるかを説明しています。


もし神が私を愛しているのなら、なぜ神はこのような試練を私に与えるのか?私たちは、お父様自身が獄中でさえ、そのような困難を経験しなければならなかったと言えるだろうか?

お父様は神に愚痴をこぼした瞬間は一度もなかったのです。

そのような状況の中で、神の心を慰めたかどうか。彼は自分に言いました。

「私は神の子だ。私は天使とサタンを支配している。私は負けない。私が、彼らの迫害の下で惨めになることはない。」

お父様が心配しておられたのは、自分を心配している神の心情でした。だから、「私が神に言いたいことは、神よ、私のことを心配しないでください。私は健全です。私は正気で、サタンに勝つ準備はできています」と。

 

 

時々、お父様は血を吐きました。

その血に手を浸しました。神の御心のために命を捧げた殉教者たちに向かって、彼は高らかにこう言ったのです。

「神よ、あなたが殉教者たちに苦しみを経験させたのは、あなたが信頼できる人を見つけたかったからです。今、私はあなたのみ旨を行うためにここにおります。あなたは私を信頼することができます。私を信頼するだけでなく、愛することができます。私はその資格を得たいので、私の血は、私があなたに信頼され、愛されていることの証明なのです。そして、そのために私はあなたを讃えます」。


だから、お父様は自分の置かれた状況について神に不平を言う態度をとらず、自分の苦しみを悲しむこともしなかったのです。なぜなら、彼はそのような状況にあっても、自分が神に愛され、信頼されていることを知っていたからです。

「血統転換」1973年


お父様のサタンと興南に対する勝利


お父様の道が興南の死の収容所に導かれた時、お父様は希望を持って、その瞬間を受け入れました。
神の王国を地上に樹立するという父の使命は、サタンの死の領域のまさに核心で果たされ、実質的に進むことができるようになりました。

この世で最も邪悪な場所で、お父様はこの路程を任せてくれた神に感謝しました。

お父様はただ、自分が高潔で分別があり、その5年の刑期内にサタンと地獄に打ち勝つ準備ができているという約束で神を慰めたのです

つまり、サタンの意図は、拷問と苦痛と死の最大限の力で彼を滅ぼすことでした。

サタンの意図は、彼の肉体という乗り物を通して、彼にメシアの使命を捨てさせるように、彼の魂に主張させることでした。
その頂点が、共産主義者たちによって "飛行機になる "拷問と呼ばれたものでした。

お父様の両手を後ろ手に縛られ、縛られた両手で天井から吊るされました。そして竹竿で殴られたのです。
これが大きな苦痛を引き起こしました。しかし、死因は肺に圧力がかかり、胸郭がつぶれて変形し、呼吸が止まることによる窒息死だった。

ですから、これはイエスから、お父様への使命の継続性を理解する上で鍵となります。
これは十字架刑による犠牲者の死と同じです。

 

お父様を愚弄するサタン


繰り返しになりますが、サタンはこの拷問を通して、お父様にメシアとしての使命を諦めさせることに執念を燃やしています。だから、毎回拷問の前にサタンはお父様の前に現れ、「お前は本当に敵を愛せるのか?』とお父様を嘲笑うのです。

しかし、お父様の行動の一秒一秒、そして、お父様の考えや心の隅々まで、神とサタンによって注意深く監視されています。その瞬間、その出来事は綿密に監視されていました。聖書に出てくるヨブの試練とよく似ていますが、比べようがない無限大なのです。。

つまり、ゴルゴダの再訪です。それは、ゴルゴダで終焉したイエスの路程です。

今、お父様の道はゴルゴダから始まるのです。


飛行機になる拷問


繰り返しますが、この拷問は彼の精神を壊すためのものではありません。確実に死に至らしめるためのものです。
被害者の死は、十字架刑による死と同じように窒息死によってもたらされるのです。
十字架に吊るされたように、この拷問は胸郭の崩壊を引き起こし、肺に衝撃を与え、呼吸を不可能にし、窒息死を引き起こします。

 

この拷問、お父様を拷問しているこの男は、ソビエト共産主義者の死の専門家によってこの方法を教育されてました。まさに、これは「悪魔的共産主義」対「キリスト」の渦なのです。天国と地獄の対決の瞬間の渦なのです。

そう、そして実は、私たちが踏み込まなかったその部分には、終わりの日が対立であるという説明がたくさんあります。

キリスト教を通した神の自由イデオロギーと、共産主義を通したサタンの地上における地獄の全体主義的支配の対立です。

だから、普通なら講義全体の中で、もっと背景があるはずなのです。でも、そうなのです。これは、牢獄における悪魔の王国と、天の王国を象徴するのキリストの対立の渦なのです

この男は、興南での仕事で、何十人もの囚人を殺しました。彼はこの仕事のために、サタンに選ばれたチャンピオンだったのです。
そして彼は、訓練と実際の経験から、そこに吊ってから最大で、2時間以内に必ず死が訪れることを知っていました。


お父様の場合も、2時間前後で呼吸と生命反応が止まったのです。しかし、その男はお父様の回復力を知っていました。そこで彼は、お父様の死を確実にするため、さらに1時間吊るしたのです。

 

死にゆくお父様


3時間の拷問の後、お父様の生気のない体は、縄を切って倒され、独房に引きずり戻されました。
そして床に放り投げ、そのまま放置したのです。


拷問官は見ていた



拷問官は、お父様の死に関する文書を完結する前に、お父様が本当に死んだかどうかを確認する必要があります。だからドアの外にいて、ドアの小さなのぞき穴から見ていました。

そうして15分ほど経過した後、彼はショックを受けました。お父様が、再び呼吸を始めたからです。

また呼吸を始めた。意識を取り戻し、体を動かしている。彼には信じられなかったのす。 


一体、何が起こったのか? 


そしてさらに、お父様は目を覚ましただけでなく、意識を取り戻した瞬間に祈りの姿勢で膝をつきました。
そして拷問官は、激しく祈るお父様の声を聞いたのです。嗚咽している。神に向かって叫んでいる。

しかし、耳を澄ますと、今度はより大きな衝撃を受けました、信じられなかった。お父様の涙の祈りを聞いたからです。お父様は、その男のことを祈っていました。彼のために祈っていたのです。

だから、彼はその瞬間、信じられない思いでそこに立っていました。やがて彼は耐え切れず、その場を立ち去ったのです。

 

お父様を殺害するための2度目の試み


数日が過ぎ、拷問は、また同じ拷問、飛行機拷問でお父様を殺そうとしました。
拷問房に向かう途中、サタンが再び、お父様の前に現れ、嘲笑しながらも、お父様は冷静で自信に満ちていました。

しかし、同じことが繰り返される。吊るされて殴られること2時間、お父様の呼吸とバイタルサインは止まりました。
再び、今度も、さらに1時間放置されます。

今度は、拷問者は、最初の死のセッションで弱っていたお父様を、今度は確実に仕留めると確信していました。

そこで彼らは再び、生気のないお父様を引きずり出し、床に投げ捨てました。そしてまた、独房のドアの外で見張りをしたのです。

しかしまたもや、やがて、お父様は復活し、再び涙を流し、拷問者を神の子を殺した罪から救うため、神に赦しを請い始めたのです。

それをドアの外で聞いていた拷問官。この男は耐えられませんでした。信じられないのです。彼は混乱し、苦悶し、立ち去りました。

 

三度目の試み 


数日後、また同じことが繰り返されました。独房の外からお父様の遺体を見ます。
今回もまた、拷問官は生き返ったお父様が、自分の救いについて心配する祈りを再開するのを見たのです。もう耐えられない。彼は正気を失いつつあります。

しかし今度は、立ち去るのではなく、お父様の独房の鍵を開け、お父様に近づいて行きます。


 告白と悔い改め


そこで拷問官はひざまずき、神とサタンが見守る中、お父様に語り始めます。

そしてまた、神とサタンはこのやりとりをミクロン単位で、お父様、拷問者のその心、魂にあるものを分析しているのです。

そこで今、この男は自分の人生について、お父様に説明します。

共産主義が北朝鮮にやってくる前、彼は平壌で敬虔なクリスチャンだったのです。彼は神を信じていたし、イエスも信じていました。

しかし、朝鮮が日本から解放された後、朝鮮全土はまたもや完全な貧困に陥いりました。しかし、新しい共産党政権が誕生しました。そして新政府は、他に仕事がないときに仕事を提供していたのです。

そこで彼は求人に応募し、受理されました。

最初に要求されたのは、マルクス主義レーニン主義の徹底的な教育でした。

そしてその中心は、神を否定すること、宗教を否定すること、そして革命への献身と、世界的な労働者の楽園の幕開けにおける北朝鮮の中心的役割以外のものを否定することでした。

神の摂理的視点からもう一度みれば、これが渦です。天国と地獄の対立がそこにありました。

 

彼はそれに応じ、与えられた仕事は「再教育」の刑務所システムでした。

私たちはそれをよく知っています。つまり彼の仕事は、勝利的な革命への道を開くために国民を再教育することでした。

彼の仕事は、服従を得るために拷問を使うことでした。もし彼らが従わないなら、民衆の邪悪なアヘンである神への信仰を殺すだけです。


だから、彼は、お父様ではなく、何十人もの牧師やキリスト教徒を殺してきましたが、そのたびに正当化されたと感じたと告白しました。

なぜなら、どの場合も彼らは忠実だったからです。彼らは自分たちを救ってくれる奇跡を求めて神に祈る。しかし、拷問が進み、彼らは死んでいった。彼らはみな信仰を失い、神を呪う者さえいました。

そこで彼は、共産主義は確かに優れており、神は確かに存在しないと結論づけました。


しかし今、お父様を観察して、彼は繰り返し見てきたことを通して、神は絶対に存在するに違いないと悟ったのです。

だから今、彼は泣きながら、自分の罪を神に説明してくれとお父様に懇願し、神が彼を赦し、再び受け入れてくれるかどうかを尋ねました。

そこで、お父様は一緒に彼のために祈り、神が彼を再び愛の中に受け入れてくださるようお願いしました。

その場で彼は平安を得ました。つまり、こういうことです。自分の使命を投げ捨てたのは、お父様ではなく、サタン側のチャンピオンだったのです。

  

お父様は最近、この路程を振り返っておられた。

2006年10月14日に行われた「平和と統一の王国を樹立する真の所有者Ⅱ」と題する講話から、お父様は拷問の路程をこのように説明されました。 (この講話は平和メッセージの8番目)八大教材教本に載っています。

お父様は次のように語っておられます。「私の人生は、荒野を通るいばらの道を歩む道であった。全くの孤独の中で辿らなければならなかった道。神でさえも認めてくれなかった。何度も生死の境をさまよい、血を吐きながらも、不死鳥のように蘇り、神との約束に忠実であり続けなければならなかった」。

そして次の段落では、「いったい誰がレバレンドムーンの人生を理解できるだろうか。彼の生涯は、舌を噛みながら、神を慰めるために、そして死の領域で苦しんでいる世界の堕落した人々の救いのために耐えてきた、悲惨な人生であった。」と。

 
最初から最後までキリストの使命


さて、キリストの使命ですが、実はこのセクションは、最初のセクションで飛ばしたことを繰り返します。

それは、イースターの日曜日の朝、イエスが、お父様の前で自分の生涯の使命を語ったときの、お父様への最初の言葉についてです。

私たちはよく知っていますよね。15歳のイースターの日曜日の朝、イエスはお父様のもとに来られたのです。

そう、イエスの最初の言葉は、神は人類の苦しみの状態に苦しんでおられ、お父様は地上と天上の死と地獄の領域から人類を救う道を開かなければならない、というものでした。

つまり、先述のスピーチは、1935年のイースターの朝、お父様が15歳のときにイエスに約束した「救いの使命」を果たすという約束から71年後に行われたものなのです。 お父様は、あのイースターの朝、使命を引き受けたときにイエスと交わした約束に再び言及しているのです。 

お父様の新たな焦点


お父様には新しい焦点がありました。お父様の拷問路程は完全に勝利して終了し、一般の刑務所に戻られた。

そして今、お父様の中心的な焦点は、北朝鮮に行くようにという神の命令についてであり、それが完全にお父様の心の中心でした。

そしてまた、お父様が北朝鮮に行った、その瞬間から思い起こされるように、神はお父様に一つの国家を見つけ、12人の弟子からなるイエスの土台を復帰しなさいと述べていました。

だから、お父様の焦点は今、まさに、あの収容所で12人の弟子を得るという実現に向かって完全に固定されていたのです。
お父様は、12弟子の重要性と、イエスが失敗した主要な使命に対する、そのことにおける核心的な意義を熟知していました。
それがイエスの使命であり、イエスは全ての使命の期間を通して、地上における神の国について説きました。


だから、ここで話を戻しましょう。
お父様はイエスの12弟子の重要性を、イエスの失敗した第一の使命の中核的意義において知っていました。

今、神は十字架の摂理を通してそれを守っておられます。十字架の摂理には2つの要素があります。


1つは人類に霊的救いをもたらすこと。

2つ目は、二千年後に再臨するという十字架の恩恵です。

つまり、地上における神の王国の第一の使命は、再臨の際にお父様に伝えられたのです。ですから、この12弟子の基台は、神の復帰摂理、あるいは再創造の不可欠な要素なのです。

復帰原理を学んだなら、重要なことは、メシアのための基台である信仰基台であり、実体基台であることがおわかりでしょう。12弟子はメシアための基台なのです。

サタンが奪った権威を無効にし、アダムのしもべとして、また、非原理的な、アダムとアダムの血統の神として、本然の位置を離れたサタンを、本然の位置に戻ることを強制するのは、メシアのための基台なのです。


イエスの場合における12弟子の裏切り

メシヤに対する神の摂理は、メシヤのための、いかなる讒訴条件もない基台を作るという人間の責任にかかっています。

つまり、それはメシアの責任であると同時に、準備された基台、メシアのため基台の責任でもあります。もちろん、それが最終的にイスラエルの国であったことは知っています。しかし彼らは拒絶した。

つまり、神の摂理は、メシヤのための無傷の基台を作る人間の責任と、終わりのない神の王国としてのイスラエルに対する神の預言に依存しているのです。
それは、彼らがメシアのための基台としての役割を果たすことが条件でした。

つまり、ユダヤ教の指導者たちによって汚されたのです。彼らは不信仰と裏切りによってイエスを拒絶しました。そして彼らはキリストを殺すためにサタンの意志を実行しました。

つまり、本当の意味で、彼らがしたことは、神のためのメシアのための基台を奪い、イエスを殺すために、サタンに運命を委ねたということなのです。

だから、イエスは何度も何度も何度も、「あなたがたの意志は神の意志を行うことではない。それはサタンの意志を行うことだ。」と。

だから、イエスの基台はイスラエルとともに失われました。そこで、12人の弟子を第二の基台とした。そして、サタンはその第二の基台をも標的にし、奪おうとしました。

まず、イスカリオテのユダが、12人の基台を壊しました。

そして、それが破壊された時、イエスは最も親しい3人の弟子を選ばれました。そしてイエスは、ペテロと、ゼベダイの二人の息子であるヤコブ、ヨハネの3人の基台と共にをゲッセマネに連れて行きました。イエスはその夜、神殿の衛兵が自分を迎えに来ることを知っていました。だから今、イエスの運命はこの3人にかかっていたのです。だから、武器を持ってくるようにと言われました。また、今進むべき道を得るために祈りながら、目を覚まして私と一緒に見ていなさいと言われました。それは、12弟子たちが侵略された今、彼の意図したこと、ユダに代わる忠実な後任を見つけるためだったのです。

しかし、そこに一緒にいた3人は悲劇的に失敗し、イエスを裏切ってしまいました。

彼らはイエスが涙ながらに訴えたことなど全く意に介さなかったのです。

さて、衛兵が到着し、イエスは、私たちが覚えているように、連れて行かれました。

イエスが彼らに語られたことは、「私は悲しみのあまり死ぬほどである。私と一緒に目を覚まして祈りなさい。だから、心を合わせて、目を覚ましていなさい。」でした。

そして、弟子たちには、衛兵が、自分たちに忍び寄ることができないように、監視をする意味があります。そう、警備という意味で。

一つ目は、心を一つにして団結すること、二つ目は警備の役目。

それで、最終的には、失敗に終わりました。

とにかく、彼らはただ寝ていて、衛兵はそのまま入ってきました。そしてついに、最も親しい弟子たちの裏切りとなったのです。

イエスがピラトの宮殿の外にいたペテロと、その外にいた弟子たち。

イエスはペテロの忠誠心を呼び覚まそうとしました。しかし、ペテロも3度、裏切ったのです。


ゲッセマネに出て行くとき、ペテロは言いました。「私は戦う。あなたのために死にます。」と。イエスは、「ああ、そうだ、お前は朝、にわとりが鳴く前に三度私を裏切るだろう」と言われたのです。私たちもそれをよく知っています。

だから今、これらの裏切りの後、地球全体でイエスと一緒にいた人は、一人もいなかったのです。地球上のすべての人が、イエスに敵対するサタンと結ばれたのです。信仰基台は打ち砕かれたのです。


イエスを十字架につけるというピラトの確信

そこでピラトがイエスに尋問している時は、イエスはユダヤ人の告発の上に立っていました。

彼はユダヤ人たちから告発され、尋問されています。そして彼らはピラトにイエスを殺すよう求めました。ピラトは、ユダヤ人たちがイエスを非難していること、つまり、イエスが待ち望んでいた王の王であるという偽りの主張で人々を欺いているということで、イエスに尋問しました。

ヨハネによる福音書18章36節は、そのことを洞察する非常に重要な箇所です。

そこで、ピラトはイエスに尋ねました。イエスの答えは、自分がユダヤ人の王であることに反論するものではなかったのです。「私の王国はこの世のものではない。もしそうなら、私のしもべたちは私のために戦い、私を殺そうとするユダヤの指導者たちに引き渡されることはないだろう」と。

つまりこれは、サタンがメシアのための基台をすべて盗んだ、あるいは打ち破ったことを端的に示しています。サタンは、カインを通してアベルを殺したように、何の防御もないまま、イエスを殺そうとしたのです。

しかし、これではイエスのメシアとしての役割を妨げることはできなかった。イエスは、サタンの血統の下に、原罪を持って生まれたアベルとは異なり、復活によって実現した真のものを持っていたからです。

イエスは罪なく生まれたお方です。イエスは個人的に最初の祝福の完全性を全うしました。イエスは神と一体であり、霊的な救いをもたらし、完璧な基台を築き、再臨へとつなげたのです。

再臨は、最初のアダムと、再臨のイエスが新しい名前をもって再び来て、地上における神の王国を完成させる時であり、文鮮明として、再臨されることによって、完成されるのです。

ですから、お父様は今、興南の状況に戻る道を歩み始めたのです。12弟子を復帰させるために、今、出発したのです。12弟子を復帰させ、それを通してサタンの讒訴の根拠を破壊するのです。サタンは、霊的に言えば、イエスの12弟子の裏切りの後、まだ、その条件を握っているのです。だから今、神は、12弟子を復帰させるために、お父様をそこに遣わされたのです。

お父様の12弟子の復帰

メシアのための基台を取り戻さなければなりません。
ですから、お父様が北朝鮮に行くという啓示を受けた瞬間から、興南収容所での路程が始まった瞬間から、お父様は再び心を落ち着かせ、悪魔の世界に神の愛をもたらすという使命を受け入れたのです。
お父様の道は、行く先々に神の愛の春風を届けることでした。
お父様の唯一の願いは、出会うすべての人に神の愛を与えることでした。

だから、お父様はいつも自分の持っているものすべてを、他の人々に捧げました。

特に、悲しみと絶望、そして餓死による痛みを伴う死が目前に迫っているこの場所で。

だから、彼は食べ物を分け与え、衣服を分け与え、いつも最も困難な仕事を引き受け、監獄全体の中で最も不潔な場所に行き、そして周りのすべての人の窮状を和らげるために喜びをもって励ましを与えたのです。

そうして、彼の尽きることのない真実の愛に応えて、彼はその牢獄で、お父様の言葉によってではなく、彼ら自身の精神と、彼ら自身の善良な先祖と、お父様の愛に対する自然な反応によって動かされた多くの弟子たちを得ました。

だから彼らは、自らの命を危険にさらしてまで、お父様と一つになったのです。ここで、私たちは、その環境がどのようなものであったかを理解しなければなりません。

ここは再教育のための収容所です。誰もが常に監視され、

至る所にスパイがいます。もし誰かが神のことを話そうとしたのなら、もし誰かが再教育の方針から離れようとすれば、奴らはその人を連れ去って殺すのです。

至る所にスパイがいます。神のみ言を口にしたり、政府公認の思想以外のものに共鳴することは、即刻、死を意味したのです。

しかし、彼らは死んでもお父様の弟子でありたいと願ったのです。

 

死の危険にさらされても、お父様と一つになる


だから、彼らは死の危険を冒してでも、お父様と一つになったのです。

繰り返しますが、至る所にスパイがいます。共産主義への忠誠に背く者がいれば、看守に報告すれば殺される可能性があります。スパイにはいつも余分な食べ物が与えられました。しかし、彼らは気にしなかった。彼らはむしろお父様と一緒にいたかったのです。命を賭してでも、あの共産主義の地獄のような場所で、成長しつつある、お父様の小さな小さな教会と一つになりたいと願ったのです。

お父様と一緒にいられないくらいなら、死んだ方がましだというのが彼らの心情でした。だから彼らは自らの意志で、恐怖と飢餓と投獄による支配という悪魔的な共産主義社会構造を拒否することを選んだのです。

そしてその代わりに、神の愛の下での愛、人間の尊厳、内なる自由に基づく、お父様の神の概念を受け入れたのです。そして、彼らは、自らの死を賭してそうしたのです。

だから今、神とサタンは霊的な世界から、彼らの心のミクロン単位まで観察しています。このことは、彼らがイエスの12弟子のようでないことは明らかです。彼らはお父様と一緒でした。「殺せ。知ったことか。好きにしろ。私は、お父様と一緒にいたい。お父様の弟子になりたい。」と。

 

他にもたくさんいたが、中心的な12人の弟子

だから、もっとたくさんいたが、彼は12人の弟子を得ました。

その人たちとは、


1.    キム・ウォンドク
2.    パク・ジョンファ
3.    キム・ジンス
4.    ムン・ジョンビン
5.    キム・ナムソン
6.    チュ・チャンオク
7.    チョン・シクジョン
8.    パク・ミョンファン
9.    キム・ユンオク
10.    キム・スンテ
11.    キム・ヨンシク
12.    チョ・スンユル


そして、おそらくこれらの名前は乱雑に書いたと思います。しかし、これが中心的な12人でした。もっといました。

だから、今、この完成された実体的な基台の上に、サタンはもはや、神の対象であるパートナー(お父様+12弟子)の権威と実質的存在に反対する、あるいは反対することを正当化するいかなる根拠も、持たないのです。

サタンに逆らって、現実的な世界では、彼らはそこにいます。だから、今、その瞬間から、人間の選択を通して、サタンを三大祝福の神、あるいはすべての被造物の神としてきた、サタンが正当だとする詐欺的な主張は、今、その瞬間から、もはや存在しなくなったのです

 
サタンの屈服の証明書

つまり、神の復帰原理において、メシヤのための基台は今や確実なものとなり、サタンは、今や神のみがその対象とするパートナーたちを完全に失ったのです。その結果、サタンには選択肢がなくなったので、サタンは自ら進んで父なる神様に、堕落によってアダムから盗んだすべてのものを伝える証明書を差し出したのです。

つまりこれは、サタンが、人類と物理的世界のすべてに対する神の創造物全体に対する所有権の証書を、神に譲渡するようなものなのです。

  

サタンの屈服とアダムから盗んだすべてをお父様に戻す証明書

 

それで、サタンは今、降伏しました。

彼の、この降伏による証明書は、彼がアダムから盗んだものすべてをお父様に戻すものです。そして、それは今、お父様の権威に戻るということです。ですから、まず第一に、父母の権利と王の権利です。次に長子の相続権。最後に、被造物と堕落した全人類に対する支配権です。
 

ですから、お父様は生涯を通して、天の印(封印)を受けたという自分の基台について常に言及してきました。この、天の印という言葉。これは、獄中の2つの要素である拷問路程に対する勝利と、12弟子の復帰を指しています。

これがお父様が言われていることです。

 

7番目の平和メッセージ 2006年8月31日

 

お父様が言われることを見てみましょう。

お父様のスピーチから、私は天の印と共に来たのだからと。つまり、これが信仰基台、実体基台、そして、メシアのための基台の成就だったのです。

ですから、これもまた、第7の平和のメッセージの中にある言葉です。

文鮮明は生涯を通じて、幾度となく、この勝利の達成について言及してきました。

そこで、八大教材教本の1つである「神の理想家庭、平和な理想世界の王国」と題された講演から引用します。

「長子の権利と所有権を復帰するために、血統圏を復帰する唯一の道がある。これは、サタンが自発的に降伏するように、サタンの自然な服従を勝ち取る道であり、これを成し遂げる秘訣は何か。それは真の愛によってのみ可能である。"自分の子供を愛する以上に敵を愛するときの愛である。」

そこで、お父様の経験の全体像をもう一度見てみましょう。

神は突然、自分の妻と生後6週間の乳飲み子の息子を完全に無視して、12弟子を復帰させる死と復活の路程に向かうために、直ちに北朝鮮に行くように命じられたのです。

神の求めに応じて、お父様は自分の家族など、まるで存在しないかのようにして伝道に赴いたのです。自分の妻と、生まれたばかりの子どもから、離別しようとすることに対する、張り裂けんばかりの御自身の心情をそのままにして。

 

お父様はこの監獄路程から解放される。

この2つの基台の上に、サタンはお父様と12弟子を非難したり、影響を与えたりする根拠がなくなったのです。サタンはもはや、偽りの主体であり、お父様や12弟子たちのメシヤの基台の上には立っていないのです。

そこで神は、彼らを解放するために国連軍を連れて来られた。絨毯爆撃が刑務所を襲い、一帯は火の海となり、まさにその日、サタンは刑務所の職員に処刑、お父様を殺そうとしていました。

御存じのように、刑務所の職員は、国連軍が興南に近づいていることを知っていました。彼らは囚人たちを番号順に処刑し始めました。

お父様の番号596は、爆撃が始まったその日に予定されていましたが、爆撃の時点で看守は全員刑務所から逃げました。

お父様はその時、弟子たち全員に、私の5メートル以内にいれば安全だと言われました。
だから、爆撃が終わった後、お父様と弟子たちは刑務所から出て行ったのです。

ありがとう。お父様。

 

ハルマゲドンの核、神 対 サタン


だから、私たちは、お父様の実体的な勝利の道において、神 対 サタンの闘いが、実際に実現している現実をはっきりと観察することができます。

ですから、今、私たちが神の働きである神の道と、サタンの道である社会主義や共産主義の道とを比較しなければなりません。

お父様の路程は、サタンとの実際的な対決です。

それは社会主義のような欺瞞に満ちた言葉を見せただけであり、あるいはマルクス主義レーニン主義という失敗した現実の核心である憎しみに満ちた心の想像をもてあそぶ、不満を抱いた哲学者の呻きです。

しかし、お父様の人生は、神の6000年にわたる聖書的創造の真実の実りであり、神の永遠不変の真実の愛の継続と集大成として人類に自由に与えられた再創造なのです。

お父様は、神の創造物全体を通して表現される真の愛の世界と、神の原初の御言を成就するという神の永遠不滅の献身を完成させ、表現されたのです。

つまりこれは、イエスが言われた「神を愛し、隣人を愛しなさい」という神の最大の戒めの本質を実現したのです。

それは主の祈りを成就するものです。

「御国を来たらせたまえ。みこころが天になるごとく、地にもなさせたまえ。」

感謝します、お父様。お父様、ありがとうございます。

 

お父様は1960年、自分の直系血統を、地上に創造し始めたときに、第二祝福の権利を行使できるようになったのだ。

これが聖書の「小羊の婚宴」である。


お父様は今、サタンから取り戻して、神の成就された創造の目的から受け継いだ権利を持っておられます。

お父様は今、お父様を信じる者、お父様を通して生まれ変わろうとする者のために、血統を変える権利を持っておられます。ですから、この祝福によって、お父様は今の人類に、物理的に神の原初の血統に入れたのです。

ですから、祝福によって生まれ変わった人々は、お父様から結婚の祝福を受け、その家族の子供となります。彼らにはもはや原罪はありません。

夫婦は成長することができます。保証はされてはいません。

しかし、成長段階の頂点に存在する悪魔的な非原理的な壁を越えて成長することができるのです。神の子どもたちは今、自分たちの責任分を果たすことによって、完全への成長を完成させることができるということです。

 そしてこれが、天にあるような地上の天国の起源なのです。

 

では、このセッションを終える前に、要点をまとめておきます。

つまり、最初の人間アダムは、神の創造目的を果たすための神の最初のモデルであり、神の血統に確立される人間の理想的なデザインを実現するための最初の原型でした。

しかし、アダムが失敗すると、神は4000年の歳月をかけて、2人目のアダム、すなわちヨハネによる福音書1章に「肉となった言葉」、あるいは、「肉となったデザイン」として記されている2人目の原型、すなわちキリスト、救い主、サタンを従わせ、堕落を正す人、すなわちキリストであるイエスという人を準備されたのです。

キリストの再臨、再び来られるキリストは、第三のアダム、第三の人、もう一度、創造の理想を実現する原型でありモデルです。そして、この場合、創世記からの3つの祝福を成就したように、真の父母です。そして、彼は第一、第二、第三の祝福を成就しました。三つの勝利の原型である勝利の真の人は、文鮮明氏なのです。

ですから、第一のアダムは完全に失敗したのです。第二のアダムは最初の救い主、最初のキリストでもあり、部分的な勝利、霊的な救いです。

この2000年以降、2番目の再臨のキリストは、天にあるように地上に神の血統を確立する路程を成就された真のお父様である文鮮明氏なのです。
 

ですから、これは私たちにとって新しい情報ですが、

歴史と神の御心を総合的に見たものです

イエスの言葉にもあるように、真理の霊が来れば、私たちをすべての真理に導いてくれます。
この牢獄の路程のプレゼンテーションの冒頭で、私はイエスとこの瞬間を分かち合ってくださいとお願いしました。

これは新しい真理です。ですから、謙虚に祈り、この神の道を受け入れるために必要な信仰において、神とイエスの導きを求めてください。
この輝かしい新しいぶどう酒のために、あなた自身の新しいぶどう酒の皮を作る信仰のために、それらを見極める目をイエスに求めてください。
これは、神が実現するのを6000年間待ち望んでいた、神からの最大の贈り物です。そして、神は全人類が天の到来後の恵みの時代を受け取ることを望んでおられるのです。


父様はイエスとの約束を完璧に守られた。

天のお父様は、イエスの脇腹から、ゴルゴダから霊を取り出しました。天のお父様はその愛の御手でイエスをいやされたのです。
だから、イエスは大勢の人々をいやされました。天のお父様はイエスをいやされました。

ですから、レバレンド・ムーン、私たちの真の父は再臨のイエスなのです。今、イエスと真のお父様は一つであり、神の心情を慰められただけでなく、イエスの心情も慰められたのです。

 

これでお父様の生涯路程に関する

最初のプレゼンテーションを終わります。


次回は、お父様が1954年に世界基督教統一聖霊協会(通称、統一教会)を設立された時から続く、お父様の最後の歩みを学びます。

2012年に聖和されて、天の御座において天から永遠の統治を開始されるまで(黙示録22章)の摂理的な業績の一部を紹介します。 

その後、地上の王国は、お父様が三代王権と呼ぶ彼の血統を通して成就されます。

これは、エデンの園で失われた待望の神の血統です。サタンの血統から神の血統へと生まれ変わるために、キリストの直系の血統を核とする天の御国の到来が、全人類にもたらされるのです。つまり、野生のオリーブの木から真のオリーブの木への接ぎ木の約束が成就するということなのです。

神の王国がやってきます。あなたの御心がなされますように。
それが終わりです。私たちは、そのように結論を出します。そうです。


では、簡単な祈りを捧げましょう。

親愛なる天の父よ、お父様。私たちはお父様の路程の信じられないほど新しい詳細を見てきました。

ここにはたくさんの内容があります。

天の父よ。私たちは、キリストの再臨に関するこの概念が、今よりもっと明確に、もっともっと識別しやすくなるように祈ります。


父なる神様、これらの事実は、クリスチャンの兄弟たちと分かち合い、世界と分かち合うためには、私たちの説明が本当に欠けていました。単に言語的な、聖書的な概念がそこにあるだけではないのです。


私たちが現実を深く研究するとき、あなたのみ旨、摂理的な意志が聖書的に述べられ、歴史の過程を通して示されています。


私たちは、お父様が、あなたの再臨の息子であることをはっきりと見ることができます。彼は成就者であり、地上永遠王国の出発点なのです。

お父様、真のお父様に感謝します。私たちは、彼が私たちに与えてくださった賜物と祝福に感謝します。


私たちは何度悟ったでしょうか。

お父様は、3年間の血と苦しみを流され、その出発点として、このような文章を作られたのではありません。

しかし、私たちは、真の愛だけに主管されていたお父様の残りの人生のすべてを知っています。

私たちはこの時をあなたの御手に捧げられることを心から感謝します。

そして、ここにおられるお一人おひとりのお名前によってお祈りいたします。

アーメン。アジュ。

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