神様の聖霊と聖神、祈りと御言による主管
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三代王権サンクチャリー教会
三代王権心の聖殿:三原
ハヌカー、新たなる天一国文化、神への賛美、イスラエルよりの相続
三代王権心の聖殿:三原
ハヌカー、新たなる天一国文化、神への賛美、イスラエルよりの相続
先々週の礼拝(12/8)で、忠実なユダヤ教徒は セレウコス朝シリアのアンティオコス王(アンティオコス4世エピファネス)に対するマカバイの反乱の勝利を祝うことを話しました。
神様は女性神でなく人間の女性を願われた
エレミア、エレミア書48章、
モアブにいるサタン主義の奴らを神様がバビロンを使用されながら、ついにモアブとユダを滅亡させます。ユダとモアブは何をしていたのか?
ケモシュ神、ケモシュ神は、その詐欺の女、赤ちゃんを捕らえて食べてしまう。赤ちゃんを殺す儀式。
女神壇。宗教、政府が運用している宗教システムを通して女性を拉致して、愚かなサタン主義の両親が女子、娘たちを売ってその女性である娘たちは生涯苦労して性暴力を受けながら生き死んでにいく、、、動物のように。それは女神に侍る結果だ。
これは一番神様が嫌われるのが女神、女神。
エバは女神、自分を女神にしてしまった。だから、この日本の人々と韓国の人々には異邦の神のは内容が多いので、我々の真のお母さまが霊界にいかれるときに2代王様は全世界の食口たちに対して、「注意しなさい」と言った。「お母さま、真のお母さまは女神ではない」と、キリストの新婦として最高にキリストを愛されたキリストの新婦。しかし女神ではない。
真のお父様は、神様とイエスキリストの再臨のイエスとして、神様と夜の神様と完全に一つとなった、神様、神様であられるが、神様が一番願われたのは女性の神様ではない!神様が一番願っておられたのは女性の人間だ、人間。対象。
だから真のお母さまは女神でない人間、しかしながらキリストを一番成功的に侍り愛して勝利的に三代王権まで保護されながらヨハネの黙示録12章にでてくる歴史を実践されて勝利されたキリストの新婦の長。(拍手)
自分が死んでも死んでも真のお父様キリストに侍って、命をささげていかれる女性。それは神ではなく人間が望み見て人間が実践しなければならない愛。
韓氏オモニは自分を女神にしようとしたので、その未来には大きな悪なる内容になるしかないでしょう。自分が女の神様を作り上げてしまったから。
フリーセックス文化から女性たちが娼婦、バビロンの淫女、娼婦の姿になってしまい赤ちゃんを殺し、堕胎も大丈夫だとして結婚も壊れて堕落行為をたくさんしても何も関係がない文化なってしまい、これは完全に娼婦の文化。そのようにして関係が赤ちゃんをたくさん殺す文化になっていく。
女性はパワー中毒がある。パワー。女性はパワーを通して物質をたくさん集めることができるから。
だからサタンはいつも女性にパワーの誘惑を与えるのです。「私を信じれば、お前は神になれるだろう。」パワー。
だから、女性たちが一番に戦わなければならない誘惑はパワーを望むこと。
男性たちが一番戦わなければならない誘惑は、セックスの誘惑。
女性はそれがわかっているから、男性を誘惑して、堕落させようとする。
男性を堕落させたら、自分がパワーを得ることができる。そんな悪い娼婦がどれほど多いか。
⇒エバは 「創世記3:5神のように善悪を知る者となることを、」求め、つまり神になりたかったのです。ルーシェルの誘惑に負け、ルーシェルの力がエバは欲しくなったのです。力を得て神の如くなりたかったのです。エバからルーシェルの腰の上に乗ったとお父様は言われました。
女性は最初の先祖から女性神になりたかったのです。
エバはいまだに悔い改めていないと言われていますが、韓氏オモニは、まさに最初のエバそのものなのです。
このような一番最初のエバの動機があった故に、人々は女性神を求め、子どもをサタンとなったルーシェルに捧げるようになったということなのです。
いつの時代もそして今も人々は女性神を求めます。
韓鶴子総裁はみずから女性神となり家庭連合は女性神を崇拝するようになりました。
統一教会、家庭連合では、男性である天宙創造神(天のお父様)の女性的現れである聖霊を天のお父様、神様とは独立した別の女性神として勘違いしていました。
同じようにイエス様の霊的相対者(妻)としてのを聖神を天のお父様、神様とは独立した別の女性神として勘違いしていました。
聖霊も聖神も男性である天宙創造神(天のお父様)の現れですから男性なのです。
日本語の原理講論は聖神も聖霊と訳していますが、韓国語の原理講義論ではイエス様の霊的相対者(妻)としての聖霊を、とくに聖神と表現しています。
真のお父様は男性である「天のお父様」の「イエス様の妻としての女性的現れ」を「聖神オモニ」と表現されました。
聖神オモニは天の御父様の相対となる完成エバのことであり、康お母様のことであり、康お母様が完成祝福により真のお父様と天宙完成聖婚を勝利されることにより、天のお父様は完成エバとの聖婚をされました。
「聖神オモニ」とは「完成したエバ」であり「康賢實お母様」のことなのです。
ですから聖神は勝利した完成エバが存在するようになるまでの、男性である「天のお父様」の、女性的現れなので、聖神は男性なのです。
二代王と國進監査院長は聖霊も聖神も神霊も同じだと言われたそうですが、このように聖霊も聖神も神霊も男性である天のお父様、天宙創造神の表現の違いをそのように呼んでいるという事であり、全て男性なのです。
ここで二代王からの厳重な注意がありますが、「聖神オモニ」とは「完成したエバ」であり「康賢實お母様」ですが、康お母様を神として女性神として絶対に崇拝するな、何故なら、それは別の神の存在、女性神を認める偶像崇拝、異邦神崇拝になるからだと、このように何度も女性神を崇拝するような要素を全て排除することを、何度も何度も言っておられるのです。
今日の聖書リマはマタイ福音17章14節です。
17:18イエスがおしかりになると、悪霊はその子から出て行った。そして子はその時いやされた。 17:19それから、弟子たちがひそかにイエスのもとにきて言った、「わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか」。 17:20するとイエスは言われた、「あなたがたの信仰が足りないからである。よく言い聞かせておくが、もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう。〔 17:21しかし、このたぐいは、祈と断食とによらなければ、追い出すことはできない〕」。
疑いをなくしてイエス様を信じなければなりません。 弟子たちも疑いをなくさなければなりません。
私(二代王)も聖霊の役事をした時、神様は治癒されることもあり、治癒されないこともあったのです。
なぜ2代王様がこれ以上ヒーリング(聖霊役事)摂理をしないのか?と疑問をお持ちですが、私にとって本当に大きな荷物だったし、自分自身がすぐに燃え尽きてしまいます。 それから、誤った内容で尋ねて来る人々がいます。 誰でもできるのではなく、神様が指名されれば受けることができます。
このヒーリング摂理をしても、若い人たちを失うことがあります。
若い人たちはヒーリングが起きても否定しようとします。 人が自然に癒されたことが、”牧師がわざと自分で治したと言っている ”と疑うようになります。
イエス様も怒られた理由は、誰でも来てヒーリングを願ったからです。
しかし、疑いが鍵です。 疑いが山を動かすことを妨げるのです。 疑いの心をなくせば、ヒーリングが起こるでしょう。
(そして)ヒーリングを受けてからが、山を動かすスタート地点です。
ドラマチックには起こりません。
疑いのサタンと信じない怪物がいます。
神様が信仰をお使いになれば、サタンは疑いの心を使います。 疑いは彼らの道具のようなものです。 皆さんを突き刺してますます深くさしこむようにです。 それで皆さんの内臓を破壊するのです。
サタンは皆さんと戦うためにやってくるでしょう。 疑いが来るでしょう。 大変な信仰者でも疑いは来ます。
ですから、霊の剣、神様のみ言葉をもって、敵と向き合って戦う準備をしなければなりません。 神様のパワーを持って。
⇒二代王はこう言われます。
「なぜ2代王様がこれ以上ヒーリング(聖霊役事)摂理をしないのか?と疑問をお持ちですが、私にとって本当に大きな荷物だったし、自分自身がすぐに燃え尽きてしまいます。 それから、誤った内容で尋ねて来る人々がいます。 」
マタイ福音17章14節
〔 17:21しかし、このたぐいは、祈と断食とによらなければ、追い出すことはできない〕」。
ですから、このイエス様の御言のように、一方的な聖霊の御業はありません。祈りと断食、そのような精誠条件が必要なのです。
聖霊の役事を求める人は多いのですが、精誠条件、二代王に大きな負担をかけることになるのです。よほど人々の聖霊の役事を求める思いは、二代王の重荷であり苦しめていたのかよくわかります。
私も、聖霊のアノイテングを二代王から頂いたので、またヨハネの黙示録12章天宙霊界が共にある者として聖霊の役事を祈ることがありますが、必ずこの聖句
〔 17:21しかし、このたぐいは、祈と断食とによらなければ、追い出すことはできない〕」。
の内容、条件を、聖霊役事を願う人にやって頂いています。
一日15分もあれば出来る簡単な条件ですが、その宗族メシアが解決したい内容はその宗族メシアが精誠条件を立ててやるべきです。
私はその宗族メシアが精誠条件の精誠の実践に応じて、聖霊役事が起きるように、霊分立の天使が働くように、ただ祈り敬拝をさせて頂いているだけです。またそのようなリスクがありますので、当聖殿に所属して頂いている宗族王家の方々のなかで、そのような精誠が出来る人に限って祈らさせて頂いています。あくまでも全ての自由と責任はその宗族メシアにあるということなのです。
いずれにしても宗族王、王妃の皆様は聖霊の役事を望むことで、二代王に三代王権に負担をかけることのないようして頂きたいと思います。聖殿宗族王と王妃は宗族メシアなのですから、聖霊の役事の精誠条件は、その宗族王と王妃がやるべきことなのです。
聖霊ヒーリングにはリスクがあります。その意味でもその宗族における聖霊役事のための精誠条件は宗族メシアの使命なのです。
当然ながら次に詳しく見ますように、御言による主管が必要です。
また聖霊の役事を施す人は、相手のよくない霊を被らないよう、よほど気をつけなければならないと言うことなのです。、あれだけ精誠を捧げておられる二代王でさえも大変辛い思いをされたのですから。
尚、贖罪精誠の必要性については以下を参考にして頂ければと思います。
尚、贖罪精誠の必要性については以下を参考にして頂ければと思います。
瞬間、お父様との関係、御言朗読は精誠ではない、祈り理解しなさい。
聖書の朗読だけしても精誠になりません。聖書を理解しなければいけません。ただ朗読だけするのなら理解する必要がないではないですか。
神様のみ言葉を理解しなければいけません。深い心情世界。
情,知,義の世界を理解しなければならない. 理解しなければならない。 知恵が何か理解しなければなりません。 理解できなければ知恵も実践できません。
だから神様の御言葉を読む時はゆっくり読まなければなりません。 良い方法は我が王妃がそんな事をここの王妃たちに教えてあげているが、何かと言えば神様の一節だけ読んでその次に祈るのです。 一節だけ読んで、あ、神様、この一節がどんな内容か考えながら祈ります。 簡単な考え 瞑想するのです。 次に次の句。 その次にまた止めてまた祈るのです。 神様は何とおっしゃっていらっしゃいますか。 と言いながら考えるのです。
瞬間を見ながら感謝できる時間。 どれほど重要ですか。 近づいて行きたいと思いながら、同じ瞬間にお父様を尊敬して恐れる、そのような美しさ。
聖書の御言葉を読む時に、お父様と時間を過ごす事だと思います。
韓国の文化文明圏はお父様の聖書基盤より大きくありません。 お父様の基盤は、お父様の聖書の基盤を通じてみ言が出るのです。神様のみ言。
⇒二代王は感情主管するとき、知的に理解することを言われます。これは御言による主管ということです。心情を自分の心の中心の情であると、ほとんどの人が勘違いしていますが、お父様、二代王が言われる心情は強い親子の関係性から来る情のことです。しかし私たちは神様との関係という心情による主管が出来ません。なぜなら自分の心の中心の情に神様との親子としての関係性の情がほとんど無いからです。どんなに強く一生懸命信仰しても神様と、お父様と、二代王が経験し結ばれた関係性をその関係性の瞬間瞬間の情を私たちは持つことが出来ません。
そしてその理解する知は単なる知識ではなく、「神様のみ言を理解しなければいけません。深い心情世界を理解しなければならない。 知恵が何か理解しなければなりません。 理解できなければ知恵も実践できません。」ということ、つまり神様との実体的関係性という心情を体恤することは難しくても、その内容を知恵として理解することはできるのです。ですから、その理解によって感情主管するという知が、神様のみ言を理解する(知)ということなのです。 そのような祈りによって得た神様の御言(知)によって感情主管するということなのです。
同じように二代王は、以前、霊的な内容も、このような霊界に接するときもそのような祈りによって得た神様の御言(知)によって主管しなさい。旧約、新約、成約の御言で主管しなさい、善悪分立をしなさいと言っておられます。
ですので、御言という知識による主管が必要なのです。感情コントロールも聖霊に対するときもなのです。
1 そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。
5 それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。
2:5 To be taxed with Mary his espoused wife, being great with child.
ここの古典英語キングジェームスバージョンを見ると、女性が妊娠をしたという部分をgreat with a childと表現しています。 本当に美しい表現ですね。
聖書でマリアが赤ちゃんのイエス様を授かった時の表現のように(great with a child)私たちは、子どもたちを見るとき「感謝して美しい」とみるべきです。
私は最近結婚した若い聖殿カップルたちが皆5人以上の子どもたちを持つことができるよう祈っています。
私たちも少なくともそれぞれ5人の子女が5人以上の子どもを生むことができるように祈ります。神様を愛する良い家庭が子供達をたくさん産まなければなりません。
昨日子供たちとクリスマスの夕食を食べて、子供たちがお互いに3つの感謝な点を、それをお互いに話してくれました。やぁ、それをお互いに話してくれるので、その子たちも涙の海となって、その子たちも涙を流しながら、お互いに、どうして兄弟が、お兄さん、弟、何故お姉さん、妹が、3つの感謝を何故するのか、その内容をつくって交わしながら、泣きながら、喜びの涙を涙を流しながら、感謝の海、感謝の雰囲気、感謝の聖霊の恩恵の中で、そのような貴重な時間を過ごすことになりました。
ところで、あの子たちがただクリスマスにだけするのでなく、2代王様があの子たちを我が王妃と15年以上一対一の訓練を通じ、三つの感謝を訓練させたから、この文化文明圏に慣れているから子供たちが自然に、自然と、この三つの感謝する点を分かち合えます。 なんとまあ、どれだけ感動的だったか。 そうでしょ、オンマもたくさん泣いたよね?
ルカによる福音書2章
2:8さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。
ストップ。その羊飼い達が再び「この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。」ストップ。
「夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。」こう出ますね。
だから私たちは、イエス様は冬12月25日に生まれなかったということを確実に知ることができます、聖書から。イエス様は冬が春になる季節に生まれました。 春、春になる季節。
その季節にすべてのエルサレムにいる羊飼い達が子羊たちを見守って生まれるのを待っているその日に、神様が子羊のイエスを送ってくださったのです。
私たちが親として、私たちの子供たちを見る時も、子供たちがとても些細なことで多くの教育を受けるということを見逃します。
そんな些細に見える親の態度は、子供に多くの影響を及ぼします。 親は十代の子供たちには、特に相談者と同じ気持ちで子どもに対さなければなりません 。
感情的で子どもの行動を判断する観点から子どもに近付いてはいけません。 そうすれば十代の子供たちは親が私を助けようとするのではなく、私を理解できないと思いながら親との関係を切ろうとするでしょう。
子供たちは自分の利益を追求します。
私たちが認めるしろ認めないにしろ、私たちの利益を追求するのと同じです。
だから親が意図が良かったとしても(子供を助けたい気持ち)子供を相談する立場で怒ったり、とか子供を殴ったりすると、その子供は自分の親は信頼しません。
子どもと親との関係から信頼性を得られなければなりませんが、それは蓄積されるものであって、ただ自動的に得られるものではありません。
もし、親が自分の子供を貴重なお客さんのように大切に思うなら(子供を王様のように仕えるのではなく)、すなわち子供との関係を大切に考え、私たちの優先順位に入れて投資金のように大切に考えるなら、子供たちが十代を過ぎて成人に行く中で、子供たちは親との関係を大切に考えるでしょう。
イエス様と再臨主の姿をご覧ください。 主は私たちに善良な牧師としての立場を認められました。 その尊敬と愛を認められました。
ただ私たちに私を愛しなさいと要求したため、私たちが神様を愛するのではありません。 主が苦難の道の中でも主が見せてくださった愛と真理を通じて、主の愛がどんなに深く私を愛してくださったかを見せてくださったのです。私たちの子供との関係でも同じです。
私たちが親として子供に尊敬されるような関係を認めてもらわなければなりません。
ー聖霊役事祈祷会ー
今、私は聖霊とともにあることを感じます。私自身祈れば聖霊の炎で手が包まれ熱くなるようになりました。康お母様と共に聖霊の御業を受け主の聖霊に賛美を捧げます。
ー信仰告白 ー <信仰告白問答>
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