2016年1月16日土曜日

2016年 1月5日 韓国語説教■「生きたみ言」▼亨進님 말씀 全文


2016年 1月5日 韓国語説教■「生きたみ言」


▼亨進様のみ言 1( 11分)


こんにちは。食口の皆さん。
今日は皆さんと共に、新年の礼拝を捧げられる美しい日になります。
じゃあ、オンマは降りてください。


日曜日の今日、全世界の食口の皆さんに、これを紹介します。
新年を迎えると、たぶん、韓国も同じでしょう?新年の抱負をあげます。
「新年を迎えたから、これからダイエットしよう。」「5パウンド痩せよう。」「二重顎をなくそう。」「豆をもっと食べよう。」「下っ腹をへこませよう。」
こんなことを決意しますね。皆さん、このような新年の抱負は多いですね。そうでしょう?


しかし、どのような新年の抱負よりも、どのような新年のプレゼントよりも、イエス・キリストが、より美しいプレゼントです。どのような新年のプレゼントよりも再臨のキリスト、イエス・キリストがプレゼントなのです。
皆さんも「子供たちとちゃんと過ごそう」とか、このような抱負があるでしょうが、
神様のみ言葉は、私たちの生命のパンです。生命のパン。


我が家でも幼い子供たちが多く、韓国年齢でいえば、10歳から18歳までの5人の子供たちがいます。5時に訓読会をしますが、幼い子と訓読会をすれば、大変でしょう?なので、我が家の場合、訓読会が終わった後に子供たちはゲームをして少し遊べます。先に訓読会をして、神様に栄光をお捧げした後に身体をほぐして、学校へ行く前にゲームを少しできます。


はいはい。知っています。知っています。多くの母親の教育、本の中では「学校へ行く前にゲームをさせるな」と言うでしょう?でも子どもたちには訓読会、霊的生活がより重要なのであり、中心となる重要なことは、お父様の伝統を守って5時に起きることなので、そうしようとすれば、子供たちも自分が楽しめることが必要です。ですから訓読会を守ったら、早く終わって、子供たちは学校へ行く前に少しゲームをすることができるのです。


以前、我が家では、女性たちは皆反対していましたが、今は、皆よかったと喜んでいます。子供たちが5時に起きて、訓読会の実を結び、訓読会の祝福を受けることを見ながら、子供たちが霊的に深まり、成長するのを見るので、あぁそうなのかと納得し、神様の前に自然屈服するのでしょう。


皆さん、新年の抱負として、神様のみ言葉、イエス・キリスト、再臨のイエスのみ言葉を子供たちにあげてください。これがどんなプレゼントよりも偉大なのです。


私たちが訓読会を考える時に、再臨のイエス・キリストのみ言葉だけを考えて、訓読は天聖経とか平和神教、このように考えるでしょう?
しかし、皆さん、私たちはお父様を理解したければ、聖書の歴史を理解しなければいけません。お父様は聖書の歴史の結実であり、聖書の王であられました。聖書の全てを覚えられ、初めから最後まで全て覚えていらっしゃいました。
しかし、考えてみてください。お父様に従っていく方の中で、誰がそれくらい、聖書に対して知っているでしょうか?誰もいません。


お父様を正しく理解したければ、私たちは聖書を理解しなければいけません。
原理は聖書を解釈するものですが、聖書を捨てはしません。捨てません。
そうでしょう?旧約・新約・成約となりますが、(人間で言えば)旧約はハイハイするとき、新約は立ち上がって歩くとき、成約は飛び回るとき。(笑)


旧約・新約が必要でした。その過程を通して、旧約・新約が無ければ、どうして飛べるでしょうか?
聖書の歴史を理解してこそ、お父様が何かお話されたときに理解できのです。分棒王たちに話したときに、何の話だったかというと、聖書に出て来た話をされました。聖書を理解してこそ、お父様が何を話されるのか理解できます。


聖書にはこのような話があります。イエス様は今日と昨日、そして永遠に同じである。神様がイエス・キリストの身体を通して来られたときと、その次に、また再臨のイエス・キリスト、お父様を通して神様が来られたときとで、私たちがいつも忘れてしまうことは、同じ神様、全く同じ神様がイエス・キリストの身体を使われ、2千年前のイスラエルを歩まれた。そして、2千年後に、その全く同じ神様が、韓国でメシアを中心として活動されました。
違う神様ではないでしょう?イエス・キリストにはある神様、お父様には他の神様(ではないでしょう。)イエス・キリストと再臨のイエス・キリストには同じ神様がいらっしゃいました。


ですから、イエスのみ言葉を見れば、聖書のみ言葉を見れば、聖書のみ言葉とお父様のみ言葉は完全に通じるのです。違いません。同じ神様が人間に話されるのですが、私たちは神様のみ言葉をあまりにも知りません。聖書の歴史を。ですから、聖書も勉強しなければなりません。聖書を勉強すれば、「あぁ、イエス様はこのような方だったのか。」「いやぁ、イエス様も極端な方だったのだな。」「イエス様も罪人たちを傍において理解できない行動をされたのだな。」と分ります。
イエス様も神殿で物売りや両替の商いをしている者たちに対して大勢の人たちを蹴散らして鞭で叩きました。
しかし、カトリックで出てくるイエス様はいつもハリウッド俳優のような姿で、いつも穏やかに話されます。偽のイエス様です。偽のイエス様。聖書を読んでみてこそ、本当のイエス様を理解できます。聖書を通してキリストを信じる信徒たちが
お父様を探し出しました。


皆さん。考えてみてください。韓氏オモニの堕落によって、詐欺の家庭連合が、今や、異端よりも異端になってしまいました。
今や、救いの力がありません。神様が去ったので人々を天一国や天国へ導く力がありません。実に今は、詐欺の家庭連合はイスラム教よりも下に落ちました。霊界では誰が一番高いところにいますか?クリスチャン、次に儒教、仏教、イスラム教です。詐欺家庭連合はメシアを捨てたので、一番下に行くのです。クリスチャンたちが詐欺家庭連合、詐欺師よりも千倍まだマシです。
霊的に千倍高い位置にいます。「あぁ、でもクリスチャンたちはお父様を受け入れたでしょうか?」と言いますが、
この詐欺家庭連合の者たちもお父様を受け入れていないのに。もっと悪いことを仕出かしました。お父様を捨てました。
神聖冒涜しました。どんな酷い、悪いクリスチャンでも、この者たちより悪くはないです。
組織的に韓氏オモニはお父様を削除しました。自分が神様になるために。これはサタンの行為です。
ですから、皆さんは考えてみなければいけません。

  



▼亨進任 말씀 2(韓國語 12分)


■「聖書は神のみ言葉」


クリスチャン、御父様は再臨のキリストとして来られクリスチャンたちキリスト教を完全に無くす為に来られましたか?原理では何と言っていますか?


キリスト教が主の基盤となり世界がクリスチャン文明圏、神様の文明圏になることができる役亊をしなければならなかったんです。クリスチャンたちが。メシアは新しい宗教、新しい内容を作るため、クリスチャンを無くす為来られた方ではありません。


クリスチャン文明圏。一人の男性に一人の女性、一人の男性に一人の女性。四位基台。これはクリスチャン文明圏でしょう。イスラム文明圏は違う。一人の男性に四人の女性。そうでしょう。この内容でクリスチャンは主に侍り仕え全世界を覆わなければなりませんでした。


事実メシアが来られながらキリスト教を無くす為に来られたのではありませんでした。そうです。キリスト教、宗教。キリスト教という宗教が。「宗教」が問題でしょう。キリスト教という宗教が問題ですが、キリスト教の信じる心、信仰、キリストの中に、クリスチャン、キリスト、私はイエス・キリストのもの、私はキリストに属する、キリストの愛、属する、キリストの中の私。このような内容が重要でしょう。狂ったかのように主を愛するように、クリスチャンたちがそのような信仰で御父様に侍っていたら全世界を覆っていたはずです。


それで私達は事実、家庭詐欺連合が完全に堕落したので、私達はキリスト教人逹よりももっとイエス様を愛さなければなりません。キリスト教人よりイエス様をもっと愛する人は、他の人を再臨イエス様に導くことができます。いや、キリスト教人よりイエス様を愛さなかったらキリスト教人と言うことができないでしょう。


イエス様を憎みイエス様を無視したらキリスト教人が「あっ、この人は異端だ。サタンだ」。と判断するでしょう。


ところで私達の家庭と私達の信仰を見て下さい。私達はイエス様を無視しています。同じ神様がイエス様の中に御父様の中にいらっしゃったのに。イエス様を無視したら神様を無視することになるのです。


ああ、私達は、イエス様この聖書の役亊を見ながらイエス様の愛の役亊を見たときに、私達も感動し感謝の気持ちを感じてその方、その神様に私は会っていたのです! その神様の血、再臨主を通して再臨のイエス様を通して私にその血を下さった。


皆さん、私達は2000年のキリスト教歴史の結実ですよ。結実!夢!夢!再臨のイエス様と歩むことのできる夢と共に私達が生きていたんです!


そのような部分で私達は聖書を理解しなければ、聖書を知らなければ、聖書を愛さなければなりません。そうしたら御父様のみ言葉を理解することができるし、又深く感じることができるのです。神様は今日、昨日、永遠に同じ方でいらっしゃいます。


神様のみ言葉は変わりません。ですから聖書で、原理は聖書の秘密と聖書の多くの理解できない内容を、その深い秘密を解いて、開いて、新しい目で「堕落」を見ることができるように「やっ!」とメガネをくれるんでしょう。「わ、堕落はそれだったのか!ああ!」そうでしょう。


だからこそ、聖書を捨てることができるって!それは違うでしょう!


聖書は神のみ言葉。み言葉。原理の中のみ言葉です、聖書は。捨ててはいけません。神のみ言葉は生きている人です!人です。これは人なんです。これは本ではありません。本じゃないんです、これは。聖書は本ではありません。聖書は人です。これは人ですよ。人。


私達は聖書と一緒にやり取りし、聞いて、尋ねて、触って、開けて見なければなりません。そうして関係が結ばれるんです、神様と。その関係が深まれば深まる程御父様とのみ言葉もより深まります。これが基本だからです。基本。そうでしょう。


だから私達は皆さんに何度も紹介しましたが、リマ、リマ、リマ。リマが何ですか?サタンと戦う時、ある環境、ある困難にぶつかっている時、それに挑んでいる時、神様がみ言葉を下さるでしょう。そうでしょう


その下さるみ言葉が皆さんの武器になります。武器。その武器が何ですか?古代ギリシャ語で「リマ、リマ、リマ」という意味です。剣です。剣。戦う武器。サタンに勝つことのできる武器ですよ。武器!


それで私達がもし辛いことがあったら、もうある内容で辛いことがあったら、そうしたらどうしなければなりませんか?そのリマ神のみ言葉を受けたかったらどうしたらいいですか?


神のみ言葉に行かなければなりません。神のみ言葉に返らなければなりません。ある難しいことにぶつかったら「神様、み言葉を下さい」。サッと開いて、サッと読んで見なさい。そこを。


「万軍の主、イスラエルの神は、こう仰せられる。私は鉄のくびきをこの全国民の首に置いて、バビロンの王ネブカデネザルに仕えさせる。彼らはこれに仕える。私は野の獣をも彼に与えたと言いなさい。(エレミア書28.14)」


ネブカデネザルに神はイスラエル民族を仕えさせ、その次にそいつらを滅亡されました。そうでしょう。見なさい。家庭連合がどうなるか。


バビロンの神学と宗教を信じたでしょう。韓氏オモニが、「自分が新しい神だ」。と。何、何だって。独生女?完全にバビロン神に。バビロンのサタンの神学です。


神は私達を励まして下さりながら、ネブカデネザル、バビロンにイスラエル民族が仕えるようになったけれど、そこで解放することのできる要素を神は準備されました。準備されたのです。このように多くの人が堕落して落ちてしまったけれど神は救援の役亊、生かすことのできる道を作って下さるのです。私達に語られます。


ところで私達は神のみ言葉に行かなければ、返らなければ、開いて行かなければ、行かなければなりません。関係があってこそ神のみ言葉を受けることができます。そうでしょう。問題はこれですよ。このようなことが問題です。


「ああ、神様、こんな問題があるんです」。ただ心の中で聞きます。「ああ、私はどうしたらいいですか?どうしたら」。こんな風に祈祷だけします。祈祷よりもっと深いのは何ですか?皆さん。祈祷は深い次元ではありません。祈祷よりもっとずっと深いのは何ですか?皆さん。


関係、関係。皆さん考えて見て下さい。子供、息子娘がいたらわかるでしょう。息子娘が、「お母さん、お母さん、これ下さい。下さい。お願いします」。これは深い関係じゃないでしょう。祈祷は深い関係じゃありません。だから御父様は「祈祷時代は終わった」。と言われたでしょう。報告の時代。神と共に生きる時代。関係の時代を御父様が開いて下さいました。それは祈祷よりもっと奥深い関係です。関係はもっと奥深いんです。


「神様、神様、お願いします。助けて下さい」。これはまだ浅い信仰です。そうでしょう。関係はもっと深くなければなりません。神様も楽しくなければなりません。神様も喜ばなければなりません。その関係を。


関係は神様の所に行って「御父様、その道、この道に導いて下さい」。関係。「御父様、私は今とても悩んでいます。こんな、あんな問題で。その人がどうした、あの女性がこうした、何だかんだ...」どんな事でも。


「御父様、私に知恵を下さい」。「導いて下さい」。「恩恵を与えて下さい」。「道を示して下さい」。と言ってみ言葉に行かなければなりません。


そうしたら皆さんに必ず必要なみ言葉が既に神によって準備されています。この中に。既に皆さんに必要なみ言葉が準備されているんです。


そのみ言葉を初めて読んだ時「これは何の話だろう。どんな意味なんだろう」と考えますが、皆さん、研究して下さい。


皆さん、バビロンの王ネブカデネザルが出て来たでしょう。それを研究して下さい。研究。「ああ、神様が私にその環境を見せて下さっているんだな」。「ああ、イスラエル民族はどんな風に生きたんだろう、その時」。「どんな予言者がいたんだろう、その時」。「どうやってイスラエル民族がそこから解放されたんだろう」。神は全て見せて下さいます。その中に。そうでしょう。これはみ言葉です。神のみ言葉。本ではありません。本ではないんです。人なんです。人。これは人なんですよ。人。人です。人。関係を結ばなけいといけません。関係。一緒に話をして、触ってあげて、愛してあげなければいけません。

   



こんな内容をしながら… 例えば、子供達が訓読会の時に、聖書も読むし、お父様の御言葉も訓読します。子供達は幼い時に聖書も学ばなければいけないので。基盤になりますから…

聖書を持って、ここには聖書の聖句がざっーと出ています。この中に…。
皆さんこれが無くても大丈夫です。これが無くても聖書の御言葉ですればいいですよ。じゃあ、最初の子、御言葉を捜して見よう!
例えば…例えば、やってみて。早く早く、考えないで!考えないで!聖書の導きに従って!
早く早く選んで!早く!

(ヨナ様)「これは、モーセがヨルダンの向こうの、スフの前にあるアラバ 荒野において、すなわちパランと、トペル、ラバン、ハゼロテ、デザハブとの間で、イスラエルのすべての人に告げた言葉である。」
申命記。申命記に出てくるでしょ、これは。モーセに対する話。皆さんは全ての環境、全ての内容が理解できなくても、モーセは知ってるじゃないですか!モーセ!では子供達に聞くことが出来るでしょ。「じゃあ今から考えてみよう。神様がおまえに下さった御言葉に対して考えてみよう。」
モーセはどんな方だったか。そうでしょ?では、子供がどうやって答えますか?
「モーセはどんな方だった?」
(ヨナ様)「モーセはエジプトの王子だったんですが…」
ああ
(ヨナ様)「人を…エジプト人を殺して、ミデヤン荒野に追い出されてから、また戻ってきて、神様にもう一度出会い、エホバに出会ってから…また帰ってきてからイスラエル民族たちをカナンに導いた…導いた先知者だった。」
先知者だった.…こういった内容を通して、神様はお前に何を見せようとされていると思うか、考えさせるようにするんです。考え!神様の御言葉をただ何も考えないで、ダーダーダーダーと読んでは駄目です。考える時に、聖霊が降りて来て、聖霊が私たちに知恵をくれます。知恵を。考える時に…聖書の御言葉を、神様の御言葉を考えれば、聖霊も降りて来て、私達の霊人体と私達の肉体と共に…知恵を下さり、知識も下さり、神様の様ないい知識を下さり、それを理解する能力を下さいます。ずっとその一節を見ながら、格闘をし続けなければなりません。格闘!ヤコブの様に。天使と格闘しなければいけないでしょ。格闘。格闘!格闘!

そうしながら考えて考えて考えながら、聖霊がぴたっと皆さんを悟らせてくれる様になります。しかし神様の御言葉から遠く、御言葉を一度も触りもせず 開きもせず、見もせず、考えもしないとすれば、神の導きをどうやって受けるというのですか?皆さん。これは本ではないです。本ではないんですから…これは人です。人!人です。

それからいたずらもしながら、お父さんと討論して、2番目の子、3番目の子…と、こういう風に。 うちの子供たち皆一緒に、大人達も一緒にします。この様にしながら、訓読会を神様の御言葉を受けて、その次に考えて、お父さんと一緒に討論しながら、色々と深い深い内容が出てきます。子供達も神様の御言葉と自分の生活を理解出来る能力も上がります。御言葉を読んで考えるから。そうでしょ? 皆さんもこういうプレゼントを皆さんの家庭、夫婦、子供達に与えるならば、2016年、神様の大いなる福を受けられる事と信じます!アージュ!
じゃあ、ここでも、この様な本もあげます。ただで、うちの教会で。うちの教会に来れば、本とコネクションカードを…
色々な私に対する情報、私が何に関心があるのか…奉仕がしたいのかどうかとか…そんなカードがあります。そのカードを出せば、ただでこの本がもらえます。

この本は本当に美しい本です。この本は、「大工より偉大なイエス様」という本です。一般の大工よりもっと偉大なイエス様。この内容はキリスト教の人が書きました。キリスト教の教授と神学家たちが書いたんですが、この内容は若い人たちに説明するものです。
若い人たちが、 どうやって科学的に物理学的に、芸術的に、歴史的に、どうすれば自分は現代人なのに2000年前に生きたイエス様を理解出来るのか…こういった本です。この本は本当に美しいです。この作家が、無神論者でしたが、この人が、「イエス様は偽者だった。イエス様は偽者で、イエス様を信じる者は愚かな中世期の宗教、中世時代の宗教に従う者たちだ!私は現代の教育を受けた無神論者として、この人たちがどれだけ愚かなのか見せてやるんだ」と言って、イギリスまで行ったそうです。イギリスまで行って、研究に研究を重ね続けていたころ、タクシーに乗ってある人に出会ったそうです。そしてその人に尋ねてみたそうです。「あんたはイエスに対して聞いた事あるか?」と。ところがその人は、イエスの名を聞いた途端、怒り出しました。「とんでもない!あんなのはでたらめの内容だ!偽者だ!イエスは、オサイレスとかエコフとか神話に出てくるのと同じことだ!」と怒って言いました。

そしてそれを見て、自分が大学生だった時ある女の子と話した事を思い出し、女の子は人生が完全に変わってしまったと(その時)言っていました。
その子は人生が変わってしまったというので、「あなたの人生がどうやって変わったの?」と訊ねると、その女の子は「イエス. キリストです。」と答えました。そこで、その男は、「なんだ!気でも狂ったのか!そんなもん…宗教なんて詐欺に決まってる!私は現代人だから宗教が詐欺だって事分かるんだ。」とその子に向って言ったそうです。女の子は何と言ったでしょう?こう言ったそうです。
「私は宗教なんて言ってないでしょ?私が変わったのは宗教ではなかったんです。イエス. キリストです。」このポイントを掴む事が出来ますか?皆さん。イエス. キリストと関係しているのは宗教ではありません!宗教ではないんです。宗教は、ある組織という様な内容ですが、私たちが追求するのは、宗教ではありません。私たちが追求しなければならないのは、神様との関係です。関係…

たとえ息子,娘であって血統が同じだとしても、(神との)関係がなければ、その関係は.弱いです。どんなに血統であったとしても….。関係が深くなれば深くなるほど、その関係、その愛が深くなります。そうでしょ?

世界のシック達が悟るようになり、世界各国で聖殿がどんどん現れていますが、皆さんにこの御言葉を全て伝えます。
皆さん、宗教を追求してはいけません。
私たちは、神様とお父様とイエス様との関係を追求しなければいけません。
関係。生きた関係、死んでいく宗教ではなく、生きた関係。 生命のパン。生命のパン。
生命水、生命のもち,…韓国語ではそうですね。関係!私達の御霊を養ってくれる関係。満たしてくれる生命水。
私は、一生涯宗教を勉強して来ましたが、一切宗教を止めました。私は宗教が必要ありません。私は神様との関係が必要です。

私はお父様に仕える前、仏像もあったし、イエス像もありましたが、何故私がそういった物が好きだったのか考えてみたところ、それは神様との関係がなかったからでした。なので人間が作った物であってたとしも、そのイエスを見て感動を受け、イエスは本当に美しい、という様になるのです。
しかしお父様と一緒にずっと生活した後、お父様が聖和されてから、私がのどが渇いてしまったのは何だったでしょう?仏像?全部捨てました。何にのどが渇いたのでしょう?関係!!お父様との関係!これにのどが渇いていたのです。これを触りたかったのです。もう一度…
イエス像だのマリア像だの全部捨てました。本当に不思議でしょ?ここに来た時、イエス像、マリア像をうちの前で見たのですが、ひょうが降って来て、そのマリア像を完全に壊してしまいました。
わあ。カトリック教は小さい信仰なので、本当のキリスト教ではありません。マリアが罪のない独生女だと信じているので、韓氏オモニと同じです。バビロンの神学に。だから神様はその神学の上に来ません。プロテスタント、主幹組織のない宗教。神様との信仰、お父様は私たちに何をくれますか?
信仰を超えて、信じる事を超えて、祈祷を超えて、関係!血統!関係。一番深い、関係。これを私たちは願わなければいけません。私は他のものは要りません。私はお父様を願います。そうでしょ?
その関係が私の御霊を満たしてくれます。でしょ?この様な内容を通して。この本にこんな美しい証しが出ています。とても有名なケ-ンブリッジ大学で、シ-エスド-という教授がこの様に言いました。人々は私にこの様に言う。「私はイエス様を偉大な聖人、あるいは道徳の先生として受け入れる。しかし神様として受け入れる事は出来ない。それはちょっと。イエス様は偉大な先生ではあった。仏様のように、孔子様のように、モハメットのように…しかし神様だというのは、それはおかしい。」
そこでその教授が言うには、もし人々がその様に言うならば、それは一番愚かな言葉だそうです。
何故か?イエス様が本当に道徳の先生だったなら、とても悪い先生でした。とても悪い先生、何故?いい内容を生徒に見せなければならないのに、自分が神の息子だと言い、自分が世の光だと言い、自分が罪を許す事が出来ると言い、自分で狂った言葉をたくさん言いました。私を見れば、神を見るのだ、とこんな事も言いましたよ。イエス様は。ヨハネの福音書で見てください。もしイエス様が道徳の先生だったら、その内容を生徒に教えるならとても悪い内容でしょ。傲慢にするでしょ。傲慢にさせる事でしょ、これは。イエス様が何をしたのか知らない人はこの様に言います。なのでこの一部分で、こう言います。「イエス様は、ほらふき、狂った者、あるいは主だ。」
“私を見るものは神を見るのである”、“私を知る者は神を知るようになる”、
“私を信じる者は神を信じるのである”、“私を讃える者は、神を讃えるのである”栄光をお返しする事だ。この様な言葉は狂った言葉でしょ。もし、イエス様が神と一つでなければ、こういう事を言うのは一旦嘘でしょ?少なくても、イエス様が本当に神様とひとつでなければ、イエス様はとても悪いほらふきです。

またイエスは弟子に、私に望みなさい。私を信ずればあなた方は永生をうけるだろう。ではその先生に完全に命までも永生までも捧げて、望まなければならないのに、もしその方が神でなければ、神と一つでなければ悪魔、悪いサタンでしょ?とてつもない詐欺を仕出かすサタンでしょ。人々の永世を地獄に送る悪い奴でしょ。そうでしょ?ほらふき、サタン、悪魔。しかし、イエス様がもし合っているなら、本当にイエス様を見るときに神を見ていれば、イエスの言葉を神の言葉として聞いていれば、もしそれが合っていたなら…それは私たちを救って下さる主であるでしょう。この二つのうちから私たちは選択しなければなりません。


1・5 説教  マルスム4

統一家で私達の場合は、講師達の口からこのように多く聞きました。「原理で神様、イエス様、メシアは人間だ。」と、多く聞いたでしょう?これだけ聞いたでしょう?数十年の間。

ところが、どうなりましたか?お父様が聖和される前に、夜の神様と昼の神様について啓示を開いてくださいました。この内容が衝撃的だったでしょう?お父様だけが夜の神様として来られたとおっしゃいました。それこそお父様が夜の神様として来られたので、特別な方です、一般の人ではありません!私達はお父様を見ているとき、神様を見ていました。お父様の体を着てその中に神様がいらっしゃったのです。一般の人のようにではありません。夜の神様から来られたので、「あなた達は昼の神様から来た、お母様も昼の神様から来た」と、このような話をものすごく多くされました。

こんな衝撃的な内容を聞きながら、人々はこれをどのように解析したらいいか、理解できませんでした。なぜならば、私たちは40年間、主は、メシアは人間だと、神様ではないと聞いてきたのに、今度はお父様が神様から直接来られたと、全ての人達と差異があると、言われたのです。

神学的にみれば、余りに重要です。なぜなら、主が、再臨主が、どのように自分を、本人を見るのか?この内容はあまりに重要です。人々が、一般の人々がどのように再臨主を見るのか?よりも、再臨主が、本人を見たときに、どのような方なのか?それがより、重要です。

再臨主がどのように語られたのか?夜の神様から、直接!神様から来られた。創造される前、夜の神様、時間と空間を超越する、創造も超越する神様から来られた。

あ~~~・・・こんな啓示をくださいました。そしてお母様は、そこから来られなかった!と言われました。これがまさに、これがまさに!再臨主の、イエス様の価値を理解することができるのです

イエス様がどんな方だったのか?お父様がどんな方だったのか?一般の人間ではありませんでした!もちろん100%人間でしたが、100%!!神様でした。全く同じ。

一般の人間が、100%人間ですが、神様が聖人の中にいることができますよね?でもその人は、神様ではないでしょう?しかし、キリストは違います。100%、人間、100%、神様。神様はその体を使着て、完全にこの世を歩き回ります。

私はこのように説明します。もし、若い人がいて、特に若い男の子はゲームが好きでしょう?ゲームの世界?ゲームの世界で最近は完全に宇宙を作って、何?動物も、鬼も飛んで行ける、そうでしょう?

それから、そのゲームを直接創造した人間がいるでしょう?たとえば、コロ何とか、ディーエムディー、、そんなゲームがあるでしょう?そのゲームを直接、創造した人がいます、そうでしょう?

もしもそのゲームの作者が、そのゲーム創作者が、そのゲームの中に入って、あるキャラクターとして入ったならば、もし皆さんがそのゲームの中で暮らしているとしたら、その宇宙で暮らしているとして、皆さんがそのキャラクターに会う度に、その創造主(作者)に会っているのです。理解できますか?創造主(作者)が利用する(扮する)キャラクターに会うとき、直接、本物の創造主(作者)に会っているのです。この世界の中にいるキャラクターが100%、私のように人間ですが、しかし、私と差異があります。それは何か?その人は創造主です。そうでしょう? その人が私を作って、その人がこの世界を作ったのです。理解できるでしょう?このように理解したら、デジタル的に理解したら、より理解が早いと思います。

神様が全宇宙を創造され、時間までも創造されましたが、そこで体を、聖書の言うとおり、神様がアダムの体を使って(着て)、デジタル的に、現代的に言えば、創造者が、キャラクターを使って(着て)、そのキャラクターに会うならば、本物の神様に会っているのです!他のどんなキャラクターも創造主ではありません!

その一つのキャラクターだけが!創造主です、そうですよね?そのような方です、キリストは、イエス様は、お父様は。

皆さん私達はそのようなものすごい創造主と、関係がもてるのです。関係。信仰ばかりでなく、血統まで受けることができます。私達は、子女、血統、血、全く同じ血が流れる子女になれるのです、そうでしょう?

それから、その関係、皆さん、お父様がいつもおっしゃいました。養子と僕の違いはなんですか?僕は入りたければ、主人の部屋にパッと入れますか?だめでしょう?許可を受けて入らなくてはいけないでしょう?でも子女は?お父さんがお風呂場にいる時に、入れるでしょう。違いがものすごいです。お父様の側近の人々も、お母様も、

「お父様は服を着ているわ」といわれても、私はただ入りました。

「う~~お父さん~。」

子女は僕たちができないことを全てできます。僕が勝手に主人に触れることができますか?顔にも触れて、チュッとキスもできて?できないでしょう?子女はできます。どんな人よりも近くにいけます。

それよりも、もっと!近いのは?新婦です。子女よりもっと近いのは新婦です。全ての息子娘たちが成長するにつれて、女性は神様の新婦にならねばなりません。キリストの新婦。それくらいお父様と近づかなければなりません。神様とそれ位、近づかなければなりません。触ることができなくてはなりません。抱きしめることができなければなりません。愛してあげることができなくてはなりません。そして男はどうですか?神様の体にならなければなりません。体。神様の体!私が無くなって、神様の体。私の体を利用してください。私が無くなって、私が死んで、神様が私の体の中においでにならねばなりません。それを通して、神様は、夫の体を通して妻を愛することができます。神様の妻、キリストの妻。そうして夫婦が神様と一つになれるのです。

これはキリスト教徒には理解できません!これは!キリストの体、キリスト新婦、そのような単語はありますが、どんな内容なのか?関係の中でどんな関係なのか?これがわかりません。

私達は宗教を追求してはならず、関係で。関係が、宗教、祈祷、どんなものよりも深いのです・・・

そのような内容で、皆さん、新年の決心として、神様のみ言葉のプレゼント、皆さんと、皆さんの子供達に紹介してくださることを願います。アージュー。

では、賛美する美しい女性達、前に出てきてください。

ですから私達は、賛美する時に、賛美するとき私達は何をしているのか?関係を育てているのです。関係。神様との関係を作っているのです、皆さん。関係を追及しています。宗教ではありません。神学ではありません。関係。生きている神様との関係。

皆さん、壇上にご覧のように、芸術家、画家が描くものが見えるでしょう?今回私達は英語礼拝で、歴史上に初めて、「賛美歌芸術」を開きました。賛美歌芸術。英語礼拝を見れば見れるでしょうが、マーサおばさんがしたのですが、妻が今日はします。妻に何も準備をするなといいました。これから皆さん共にライブ(生)で。ライブ。私達もわかりません、神様がどんなみ言葉を下さるか?神様がどんなみ言葉を下さるか?妻はこのみ言葉を受けて、聖霊の導きを感じながら、自分の考えでなく、聖霊の導きを感じがら、美しい芸術、お父様が今日見たがっていらっしゃる芸術を描くでしょう。しかし、自分の考えをしてはならず、神様が花を描け、と導かれれば、花?山、木、武士?何かはわかりません。しかし、そのみ言葉を通して、聖霊が妻の心を導きます。そうしながら、私達が皆賛美している中で、お父様に美しい芸術を捧げます。同じ瞬間に賛美されている全ての方達が、美しい芸術を愛を捧げるのです。

その環境の中で、私達の目的は何ですか? 私達の目的は何ですか、皆さん。うん?皆さんに楽しみを与えるための目的ではありません!!皆さんと共に、お父様と関係、時間、愛を授け受け、授け受け、お父様感じことができ、生きているお父様と共に過ごすのです。理解できるでしょう?

ライブですよ、ライブ。(聖書を回しながら)わかりません、何か、わかりませんよ。さ~、早く開いて、早く早く!じゃ、指!どこ?ここ、ちょうど、ここ。さー、韓国語で読んでみてください。アモス9章。読んでみてください。ここ、ここ。アモス(9章)11節。

(ヨナ様)その日に私がダビデの壊れた幕屋を立て、そこにある隙間を塞ぎ、その崩れたところを立たせて、昔のように立たせ、彼らがエドムに残った者達と私の名前を指す万国の基業を得るようにするだろう。このことを行わせるエホバのみ言葉である。

アージュー。題目が、イスラエルの回復、わ~!わ~!イスラエルの回復、わははははは。

オーケーでは、お母さん(ヨナ様)は神様のみ言葉を受けました、聖霊の導きを受けて、後ろに行って準備していいです。女性達は上ってください。今から皆さんと共にお父様に愛と賛美を捧げる時間になります。アージュー、アージュー、アージュー。

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