2019年11月25日月曜日

真のお父様の精誠と二代王の勝利◆19年11月24日三代王権こころの聖殿の東京礼拝

2019年11月24日
三代王権こころのサンクチャリ-教会東京礼拝
真のお父様の精誠と二代王の勝利
音声テキスト画面礼拝VIDEO⬇&

⇒三代王権こころの聖殿:三原

真のお父様御聖誕100周年の祝祭、ラスベガスの意義
2012年5月28日 ミード湖での真のお父様と二代王

2020年1月24-27日
★1月24日(金)到着
•午後5:00:カジノでの祈り サウスポイント:
•午後11:00 :Mリゾートでの真夜の祈り

★1月25日(土)
•午前7:00:神の日式典 Mリゾート

★1月26日(日)
•午前9:00:日曜野外礼拝/ミード湖
•午後5:00フーバーダムでの祈り

★1月27日(月)
•午前9時から正午:ウエスタングランドキャニオン

⇨スケジュールに祈祷会が多いことから、今回の神の日がとても重要な祭事であることが分かります。その意味をお父様の御言から見てみます。

「天宙平和の王真の父母様天正宮博物館奉献・戴冠式二周年記念午餐会」の御言
2008年6月13日、韓国、天正宮博物館
『平和訓経』(を制定して)から、わたしが戻ってきて、ハワイ、ラスベガスです。昔は行くなと十四年間厳命したのですが、賭博場の門も開かれました。昔、研究した秘密の場所まですべて探査しながら、そこにくぎを打ち、ナイロンのひもを握って、わたしが巻いて握るということです。米国のロサンゼルス、グランドキャニオン、フーバーダム、ラスベガス、がらくたのような背後の歴史をすべて撤回してしまい、ホモがいない、レズビアンがいない、値打ちのない淫乱行動のない絶対性を中心とする真の家庭の形態を(成すように)、わたしに任せるのです。その代わり、わたしの特権が何でしょうか? アベルUNをつくれば、世界の遊楽施設は、すべてアベルUNに移譲しなさいということです。

第二十回「八定式、天父主義宣布」記念式典の御言
2008年9月1日 天正宮
先生は、ラスベガスのような地域にアベルUNをつくり、百四十三か国を中心として、四掛ける四で十六、五つなら四掛ける五で二十、二十か所を中心として、そのようなものを一瞬のうちに一つずつ造ることは問題ないのです。

金剛山と雪岳山の景色が一つになるときは、米国の名勝地、グランドキャニオン、フーバーダム、ラスベガスをわたしたちが訪ねていかなければなりませんか、ラスベガス全体が訪ねてこなければなりませんか? それをカイン世界から復帰するようになるので、すべて終われば、訪ねてこなければなりません。

第四十九回「真の父母の日」記念式典の御言
2008年4月6日、米国、ハワイ・キング・ガーデン

 今、問題は何かと言えば、グランド・キャニオン、フーバーダム、ラスベガス、その次にロサンゼルス、サタンの武器であるこの四大要塞を、神文明をもって破壊しなければならないということです。悪賢い人たちがここでお金を稼いで世界を滅ぼすというのです。これをぎゅっと占領し、そこで稼いだお金を天の国の福祉基金として使わなければなりません。
 そうすれば、カイン世界で勉強させることができない息子、娘の三分の二以上を教育させることができます。ここで基金をつくって教育費として使うのです。一年に二千万人が飢えて死んでいくのに、民主世界では一人も同情する人がいません。わたしは、その二千万人を、ここでお金を稼いで……。

今、皆さんにグランド・キャニオンを見学させ、フーバーダム……。フーバーダムは、(韓国語で言えば)「候補者」と同じです。「文化創造した科学世界の候補者」と同じだというのです。フーバーダムに行ってみれば、驚くべき事実を知るようになります。
 その次に、カインとアベルが成功した姿、神様が地上を総括して美化させたものがラスベガスです。ラスベガスの「ラス」と「ベガス」は、すべての大きなものを合わせて「願います」という意味です。「お赦しください」ということです。サタン世界になったものを、神様の所有にお返ししてさしあげなければなりません。そのようにできる時です。

 アベルUNがカインと一つになり、その法に従って神様が命令すれば、わたしはグランドキャニオンの主人になることができ、フーバーダムの主人にもなることができ、その次に何ベガスですか? (「ラスベガスです」)。ラスベガスの主人にもなることができるのです。

そのような思想的教育の原資材が、原型が生じました。ですから、ラスベガスは、わたしが考えることのできる世界を愛することのできる所です。そして、グランドキャニオンを見れば、(フーバーダムが着工された)1931年は、先生が12歳(数え)のときです。12歳を超えて未来の準備をするのです。神様が、わたしが育つにおいて、その相対的世界を準備されたので、真の父母が途中で倒れれば、天下を滅ぼすのです。

⇨真の御父様は、フーバーダムで釣りをされながら、神様から「夜の神様、昼の神様」という言葉を教えられたそうです。
そのような大きなお父様の精誠があった、ラスベガスのお父様の精誠でした。
真のお父様は「先生、本当は釣りが好きじゃないんだよ」「釣りをすることによって人を伝道しているのだ。」そう言ってラスベガスで釣りの精誠を捧げられました。
トランプ大統領は、真のお父様がラスベガス摂理をされ、フーバーダムやミード湖で釣りの精誠を捧げ、実体的伝道を捧げられた精誠の結果でした。それはこの御言を読めば、真のカインと真のアベルが一体化することによってお父様の精誠が実りトランプ大統領誕生となったことが分かります。

923真のお母様の勝利により、924鉄の杖王国の王として新たに誕生された二代王の世界摂理が始まりました。
924はバビロンの淫婦の秘密を暴き燃やす金庫の鍵でした。
そして具体的に、真のお父様と康真のお母様の154・541完成真の父母の聖和後の1014ペンテコステが鉄の杖の祝典の成功により、バビロンの淫婦が作り上げたサタン教、共産主義社会主義を燃やす聖霊摂理が始まりました。

その背景には、真のお父様のラスベガスにおける精誠があったのです。お父様は恐らくは、万が一、韓鶴子氏が失敗し、全ての摂理をゼロとなった時のことを考えての精誠の内容でもあったと、思わざるを得ません。

そのお父様のラスヴェガスにおける世界摂理の内容を、そのラスベガス、フーバー・ダム、ミード湖、グランドキャニオンで、礼拝と祈りの精誠をお父様のご聖誕100周年で、聖殿聖徒たちが捧げることで、このお父様の御言の内容を展開するのです。
今回の神の日はそのような祈祷の重要な祭事、儀式なのです。

まずは2020鉄の杖祝祭の成功。トランプ大統領の家族がこの2020鉄の杖祝祭に参加し、トランプ大統領が再選する、大きな精誠となります。
そしてこの100周年のラスベガスの聖殿聖徒の精誠は、ユダヤキリスト鉄の杖王冠摂理、今後の1000年王国のその三大王権の千年の内容を決める摂理史上もっとも重要な摂理的祭事の一つとなるのです。
この祭事としての祈祷のその時空間は大いなるペンテコステの霊界圏になると思います。

悲痛悲惨な時こそ神を賛美する。

二代王の勝利の証

The King's Report 11/09(土)2019


リチャード・パンザー会長:
2代王様と王妃様が天正宮から韓マザーに追い出され王様を剥奪させた時に、どれほど大きな闇に直面したのか想像できることでしょう。 なぜなら、真のお父様が2代王様と王妃様を選択され、王様と王妃様が責任を果たすことを待っておられたことをご存じでありました。 
当時、讃揚(賛美)音楽をたくさん聴かれました。 サタンが来てすべてを放棄しろと、他のことをしろとささやいたことでしょう。 2代王様がその年の冬、2014年の冬だったと思います。 その当時、とても寒い中、外に出て休まれました。その時、王様は神様とお父様との関係を深めていらっしゃったのです。創造物とともに神様に感謝をささげることでした。 自然の中に出ることを通じて神様との関係を感じられたのです。

これは私たち皆に重要なメッセージを下さっています。 私たちはとても難しい時期を経て来ました。そのような困難な時期に、私たちは自分自身のために涙を流す誘惑にかられます。自分が被害者のようで、もはや希望が見えなくなり、サタンはあきらめろとささやきます。

⇛二代王のその心情を見てみます。

The King's Report 11/15(金)2019より


子供のような感情が彼らを主管しないようにする。 これはヨブがやっていることです。 ヨブは本当に難しい試練の中にいました。 家族が死に、子どもが死に、妻が死に、とても悲惨な状況にあります。 ヨブは彼の痛みと苦痛にさいなまれる感情を感じるのを止めました。 健康な内容ではないからです。

 しかし馬鹿な自由主義は「痛みをもっと深く感じなさい」と言います。
これは間違っています。ネガティブなサイクルに入ってしまいます。 自分自身を破壊するでしょう。 
このような感情が上がってきて、気を悪くして憂鬱になり、自己憐憫をしたくなるなら、 "バカなやつらがまた来たな、サタンがまた自分を崩そうとしている、自己憐憫をさせようとしているんだ。” ただ、馬鹿だと思うのです。 ”

また見える。 馬鹿な感情がまた見える。” 恐怖と悔しさと不満と自己憐憫が上がってくれば、"おまえらは弱い"、 そして感謝の内容に集中します。 
「私は生きていることに感謝だ。 私は今こんなことを経験しているが、私は生きていて、私は肌があるし、目があることに感謝する」、このような小さな内容から始めます

皆さんを破壊しようとするサタンが作った環境を変えなければなりません。 話す方が行動より易しいです。 
だからこそ祈りは本当に大切です。 祈りは、神様との会話もできるようにし、大変な時期に寄りかかる場所です。 だからと言って苦しい時だけ祈るのではなく、幸せの時も神様に栄光をささげなければなりません。

でも大変な時期に、会話する人が誰もいないとき、内容が共有できないとき、特に皆さんがリーダーならなおさらですね。 みんなに打ち明けることはできません。 真のお父様も真のお父様の位置はさびしいと言われました。 寂しい道を歩きます。 しかし、ヨブは苦難の時にも神様を称えます。

真のお父様が聖和されてから私たちは本当に切実でした。私は何時間も座ってゴスペルソングを聞きながら歌いました。何時間もです。
私は座ってただ泣いていました。ティーテーブルの前で泣きながら、歌を歌って神様を讚美しました。キリストに捧げるために。私はただ泣いていました。赤ちゃんのように。

しかし私がそうすることがとても重要でした。悲痛な過程のためだけでなく、私の魂の中心を神様の側に置くために。そして神様は私たちを捨てられませんでした。

申命記31章6節では、「あなたがたは強く、かつ勇ましくなければならない。彼らを恐れ、おののいてはならない。あなたの神、主があなたと共に行かれるからである。主は決してあなたを見放さず、またあなたを見捨てられないであろう」とあります。

神様は私を捨てられませんでした。私は真のお父様が聖和されてからとても寂しかったのです。
私は本当に寂しかったのです。その時、王妃はそこにいたがり、いろんな事があって私は本当に寂しかったのです。

打ち明ける人がいませんでした。そして完全に一人でした。もちろん子供たちには助けてもらえないし、妻は女性の感情と向き合っているし、女性にとって無視されるという事は最大の恐怖です。女性にとっては死ぬ事と同じなのです。
もちろんすべての資産を置いていくことの可能性に恐れました。この証しをし、神様に悔い改めています。

私は完全に一人でした。もちろん、国進兄さん一人しかいませんでした。私たちはただお互いに頼るしかありませんでした。カインとアベルしかいませんでした。お互いに頼ることだけができました。

思い出されます。レイクサンクチュアリは国進兄さんの家でした。国進兄さんの家族のために購入した家でした。しかし、私たちにそこに住めるようにしてくれ、そこで礼拝を始めました

私は覚えています。私たちは近所の周辺を歩いて話しているうちに、お互いに泣きだしました。泣きながら近所の家の周囲を歩いて回りました。
狂った内容でした。正気ではありませんでした。しかし、私たち二人だけがいました。妻たちは理解することができなかったし、子供たちも理解することができなかったし、誰も理解できませんでした。世の中の誰も私たちを理解することができませんでした。

全ての人たちが審判し、全ての人たちが何が起こったのか分からず、すべての人々が混乱の中にいました。すべての人が偽の天一国の国歌を歌っていました。私たちはこの世で完全に一人ぼっちでした。

神様を除いてです。神様と真のお父様はそこにいらっしゃいました。 
しかし人間的に見れば、私たちは一人でした。

私と兄だけでした。私たちができることはお互いに頼ることでした。 
文字通り、お互いに寄り添うことしかできませんでした。
しかし今振り返れば、その時間は本当に大切でした。 

真のお父様が私たちに見せてくださった内容は、
一つ目は真のお父様は私たちと一緒にいらっしゃいました。私たちを捨てられませんでした。
二つ目は真のお父様が私たちを選ばれた理由があるということ。

しかし、そのような時期に讚美の歌により、ただ神様に讚美を捧げることで、私の心を癒すことができました。本当に私の心を癒すことができました。そしてまた集中できるようにしてくれました。なぜなら私はいつも歌を歌うのが好きだったからです。
違いはありますが、ゴスペルソングを通じての神様の御言は、歌詞には魂が込められています。歌詞は我々の罪と弱さを思い起こさせますが、しかしキリストを通せば我々は強い、キリストを通せば、我々は孤独ではない。キリストを通じて再び記憶することができ、キリストを通じて神様は我々の名前をご存じである。これがパワーです。

私たちの悲劇の中にはパワーがありません。
私たちの人生の苦難の中にはパワーがないのです。しかし神様にはパワーがあります。そして、その方は私の岩であり、電球のような私の救い主です。私はこのいかだや電球をつかんで行ける。神様にはパワーがあります。 私たちが無力な時、神様は私たちを助けてくださいます。
その方はパワフルであり、それが可能です。

私たちには不可能ですが。私たちが弱い時、その方は強いのです。私たちは暴風の中の救助船を掴むように、神様に頼り、神様を掴むと波を突き抜け、波を切っていくことができるのです。

⇨真のお父様は、興南の、過酷な強制労働と劣悪な環境の中、神様をむしろ励まして行かれました。
お父様は、血を吐く拷問の場で、何度も倒れながら、神様に救いを求めるのではなく、「お父様、心配しないでください。私は、まだ死んでいません。あなたに約束した志操が、そして責任をもつべき使命が私にはあります。同情を受ける時ではありません。私はかならずお父様の願いを果たします。」
と、むしろ、このように、生きるか死ぬかという深刻な地獄のような境遇でも、
そのように神様を慰労し、神様を励まし、神様に喜びを返す歩みをされたのが真の御父様なのです。

二代王のペンシルベニアでの最初の荒野路程はそのようなお父様の心情を相続勝利される荒野路程でもあったのです。資産を置いていく恐れについても吐露されるほどに、二代王も一人の人間として心からの辛い心情世界を越えて行かれたのです。

二代王は自己憐憫、とくに女性が感情の世界、自己憐憫の罠に陥りやすいと、警告されます。
「私はとても困難な状況で、こんなにも頑張っている。あなたには私の心情なんて理解出来ない。神様が、お父様だけが私をわかって下さる」・・・
よく聞く弁明ですが、恐らく、神様も、お父様も、相対されないでしょう。このような自己憐憫は、偶像崇拝でもあると二代王は言っておられます。
この自己憐憫の罠に陥らないよう、あるいは抜け出すよう、お父様と二代王の、これらの御言を思い出し、興南からの解放直後、作られた天一国国家、栄光の賜物を神様とお父様の前に賛美する者となりたいものです。
お父様は神様は囹圄の神様であることに心から泣かれ、そのような悲しい神様を励まし、解放して差し上げたいという一念で生涯を行かれたのです。
そのお父様と二代王のご心情を相続して行くことが、天一国宗族の王と王妃の立場でもあるのです。

The King's Report 11/18(月)2019年 


主の義は事実、若者の中で、自分が真のお父様のみ言葉をたくさん読んで真のお父様がただ柔らかくて暖かく愛だけが溢れる人だと考えがちです。 しかし、真のお父様のみ言葉を理解する際には、いつも真のお父様が置かれている状況と聖書の主を理解しながら、み言葉を理解しなければなりません。

私は真のお父様に直接侍りながら、暖かい感情よりは畏敬の念と恐ろしい方だということを先に感じました。 主はもちろん愛でありますが、公義であられ、義でないことについては怒られる方です。

​主はただ感情的に弱くて繊細で、少しのことでぽろぽろ涙を流す人はお好きではないのです。
真のお父様が感情に繊細なのはいいとおっしゃる時は、決して弱い鹿のように、か弱い姿でいなさいとおっしゃったのではありません。 それは、お父様の周りにいて真のお父様がどんなことをなさるのか、どんな考えを持っていらっしゃるのか、繊細に感じ取れというような意味で繊細になれ、とおっしゃったのです。

​そうでなければ真のお父様を、私たちも知らないうちに私たちが望む方に持っていって説明することになるでしょう。

​多くの信仰が良いという若い人たちは、み言葉を理解するために努力しますが、その点を逃しています。 私たちが真のお父様を肉眼で見ることができないために、特に次の若い世代は真のお父様の悪に対して怒られる公義的な神様の姿を忘れがちです。それでもっと私たちは聖書を勉強して理解してユダヤキリスト教観点で再臨主を理解して勉強をしなければならないのです。

東洋思想の道とキリストの道

Sanctuary Church Korean Wednesday Service 11/20(水)2019


詩篇119章です
1 おのが道を全くして、主のおきてに歩む者はさいわいです。
2 主のもろもろのあかしを守り心をつくして主を尋ね求め、
3 また悪を行わず、主の道に歩む者はさいわいです。
ヨハネによる福音書14章
14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。

道であり真理であり生命である。キリストは道であり真理であり生命である。

道、東洋の思想に道士、道人こういうもの「道」、〇〇道というのがあるだろ?
多くの東洋思想にある、数多くの道教、儒教、仏教を求めて、自分が修行したら偉大な知恵を受けて「アヌタラサンミャクサンボジ(阿耨多羅三藐三菩提)」悟りを開くと、「アヌタラサンミャクサンボジ」で悟りを開いたのならば、それはルーシェル教だ。同じ結論だ。

般若心経に出てくる「カンズパラポザ(観自在菩薩)」そこに出てくる「アヌタラサンミャクサンボジ(阿耨多羅三藐三菩提)」を見たら、善と悪を超越するそうだ。善と悪を超越する悟りはどんな宗教だ?それはサタン教だ。

ルーシェルも自分が善と悪を超越しながら善と悪を得度(仏教用語:悟り出家すること)しながら新しい真理を作ることが出来ると考えた。それはサタン教の基本だ。

ルーシェルも自分が善と悪を決定できると考えて、自分がヒットラー、毛沢東、ポルポトのように、悪は善で善は悪だと言った。これは相対主義の詐欺の内容だろ。「おお、相対主義を通して我々は全世界を統計するのだ。」

像を触っている五大宗教が、像の一部分だけを触っているのであって全体を見ることは出来ない。ある宗教は像の鼻を触って「真理はホースのようなものだ。」ある宗教は像の耳を触って「大きな旗、あるいはうちわのようなものだ。」ある宗教は像の脚を触って「大きな木のようなものだ。」ある宗教は像の尻尾を触って「真理はロープのようなものだ。」


そんなことを言いながらお互いに戦いながら「私が正しい。あなたは間違っている。私が正しい。」としながら「ただ相対主義の思想を通して全ての宗教を統計することができる。」と言う。

相対的な哲学において。
「見なさい、全ての宗教は自分が正しいと言いながら実は自分が一部分だけ見ている。私たちは悟りを開いた相対主義者達だ。私たちに真理がある。私たちだけが像の全体を見ることができ、全ての人は一部分だけを見ることができる。」・・・

ある文化は隣人を保護しなさいと言い、キリスト教はそのように言っている。ある文化は隣人を食べろ!人肉を食べろ(と言う)。
どうしてこれを相対的に二つとも合っていると言うことができる。話にならない!
どうして児童性暴行と、子供を児童性売買する文化と、児童性売買を不法とする文化文明圏を同じだということができるのだ?一方は高く、一方は低いだろ!?絶対的に。そうではないか。 

しかし、こいつらは若者達を愚か者にして、その善悪を区分できる能力を盗って行く。相対主義を信じたら善と悪を区分出来ない状況になってしまう。だから、瞑想伝統に入って、得度した(悟った)と言いながら「全てのものは慈悲、愛、全てのものを慈悲、愛で愛さなければならない。」・・・

結論は常にそうだ。異邦の内容において「全てを愛さなければならない。全ての人を愛さなければならない。」
その言葉は、サタンと悪と児童性暴行者達と全ての内容を愛さなければならないということだね。

愛があればそれらを倒し殺すことを憎まなければならないだろ。神様は愛だから罪を憎まれる。憎悪される。神様は愛だから、児童性暴行、児童性売買を憎悪される。忠実な夫婦、絶対性を守る夫婦、愛がある夫婦は姦通を憎悪しなければならない。
両方好きになることはできないだろ。子供を愛するなら児童性暴行者達を捕まえなくては!罰を受けなくては!

だから、そいつらは文化相対主義の哲学者は自分が偉大な高い次元の、心が広い次元で全ての哲学を見ることが出来るふりだけして、実はそいつらは同じだ。自分も絶対的真理の話をしている。絶対的真理はないと言いながら絶対的真理はあると言っている。こいつらは。
アキノリ、分かった?複雑?(笑い)

この文化相対主義の奴らは自分たちが出来ないと言うことを常に若者達に文化相対主義を通して出来ると嘘を言う。文化相対主義を通して人権と所有権とこのようなものが出てくることは出来ない。どうして?人権と所有権がある国と人権と所有権がない国は、違う文化だから。相対的価値があるから。

⇒結局、東洋の道の極み、善悪を越えたという悟りの世界は、西洋の相対主義のことでした。どちらも結局悪を受け入れる、自分が価値を作るというルーシェルの思想だったのです。

罪の許しは悔い改め続けること

The King's Report 11/11(月)2019

今日の聖句リマはヨハネ福音8章です。
​この聖句は、淫行中に捕まった女が許される場面です。
​イエス様はその現場で指で地面に何かを書いてお前たちの中で罪のない者が先に石で打ちなさいと言われます。(ヨハネによる福音書8章7節)

7 彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。

​人々はこの場面を見ながらイエス様も罪を許してくださったと言います。 しかし、この章を最後まで読んでみると

11 女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。〕

​とおっしゃいました。 

イエス様は罪を許したのではありません。 イエス様は罪を悔い改めれば許すことを許可されたのですね。それは全く違うものです。

​私たちがこれを知らずに自分の罪を正当化することは、イエス様の言葉をよく理解できていない行動です。 また罪もさまざまあります。 

→ 私達は祝福により罪を許されます。210代先祖解怨により先祖は罪が許されます。しかし悔い改めが前提条件なのです。悔い改めても傲慢になたらまたその罪が襲います。世のクリスチャンたちには罪を犯しては悔い改め罪を犯す、それを繰り返す信徒がいます。
完成祝福を受けたからと、210代先祖解怨したからと罪が許されたと傲慢になっていはいけません。傲慢になればこのようなクリスチャン達と同じ罪を繰り返す物になります。傲慢もまた罪でした。聖殿聖徒は尚一層の悔い改めの日々の信仰が必要なのです。そうでなければ罪は許されないのです。

霊的に見ても、先祖解怨しても、被害者が解怨されていません。直系先祖の罪だけではなく、傍系先祖の罪の遺伝罪も襲います。血の一滴的をたどって罪を犯した遠い親戚の霊が来ることもあります。直系傍系先祖と関係の無い霊もスキあらば罪を犯させ失敗させようと虎視眈々と聖殿聖徒を日々狙っています。我知らず罪を犯す我々です。日々悔い改めとその贖罪の条件が必要なのです。
私は、この聖殿教会の聖徒のことを祈っています。特に贖罪条件を捧げて下さる聖徒たちに清平の役事がともにあるよう日々祈っております。


今日のリマ、​コリント人(前)15章1節からです。
1:10さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの名によって、あなたがたに勧める。みな語ることを一つにし、お互の間に分争がないようにし、同じ心、同じ思いになって、堅く結び合っていてほしい。 1:11わたしの兄弟たちよ。実は、クロエの家の者たちから、あなたがたの間に争いがあると聞かされている。 1:12はっきり言うと、あなたがたがそれぞれ、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケパに」「わたしはキリストに」と言い合っていることである。 1:13キリストは、いくつにも分けられたのか。パウロは、あなたがたのために十字架につけられたことがあるのか。それとも、あなたがたは、パウロの名によってバプテスマを受けたのか。

 1:17いったい、キリストがわたしをつかわされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を宣べ伝えるためであり、しかも知恵の言葉を用いずに宣べ伝えるためであった。それは、キリストの十字架が無力なものになってしまわないためなのである。
1:18十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。

​18.節まで読みました

​沢山のキリスト教人達に混乱が起きていた様子です。
私達は本体論を通して明らかにされました。 肉体は永遠ではありません。 しかし霊人体は永遠に行きます。 この概念をはっきりしなければなりません。 復活とは ふたたび生きるということです。

​肉的には生まれましたが 霊的に見たら死んだ立場です。 
ですから復活を通して生きかえなければなりません。 神様との関係を回復する事が復活です。
​王様も宗教ではなく 神との関係だとおっしゃっています。

⇨最近、韓国聖殿でも、この聖句のような混乱が有りました。誰の聖霊をバプテストを受ける受けないという混乱もありました。誰についていく、誰が中心人物、誰のバプテストという混乱は初期教会からありました。それが聖殿でも起きています。誰についていく誰のバプテストではありません。
それは死んだ立場から生きかえる復活にはなりません。
全ての中心は十字架に行かれた主イエス様、再臨主だけです。血統キリスト三代王権でさえ、地上のキリストを継承しますが、その次代の王は、霊界ではキリストでは有りません。だだ主のみキリストなのです。
バプテストも聖霊の御業もキリストを証し、キリストの福音、御言を伝えるためにあるのです。聖霊の役事を受けるのが目的ではないのです。
復活とはそのような主との関係を回復することです。

鉄の杖の鉛弾はバビロンの淫婦を封じ込める弾

ゼカリヤ書5章です。一緒に読みます。

1 わたしがまた目をあげて見ていると、飛んでいる巻物を見た。
3 すると彼はまた、わたしに言った、「これは全地のおもてに出て行く、のろいの言葉です。すべて盗む者はこれに照して除き去られ、すべて偽り誓う者は、これに照して除き去られるのです。

6 わたしが「これはなんですか」と言うと、彼は「この出てきた物は、エパ枡です」と言い、また「これは全地の罪です」と言った。
7 そして見よ、鉛のふたを取りあげると、そのエパ枡の中にひとりの女がすわっていた。
8 すると彼は「これは罪悪である」と言って、その女をエパ枡の中に押し入れ、鉛の重しを、その枡の口に投げかぶせた。

アジュ。ここで巻物、飛んでいる巻物、これが何ですか?呪い。飛んでいる巻物。

考えてみなさい。終末に聖殿食口は飛んでいる巻物を、天一国憲法を自分のポケットに入れて飛行機で雲に乗りさーーっと降りてきたではないですか。飛んでいる巻物。

そして降りてきて天一国憲法は何ですか?呪い!天一国憲法は捕食動物の世界には呪いだ。共産主義、社会主義、泥棒と児童性暴行とジハードの奴らにサタン主義の奴らにとって呪い!天一国憲法は一般の善良な人にとっては祝福だが悪い奴らにとっては呪いだ。

そのような内容から、私たちは何を見る?あなたたちも祝福を受けたとき、あなたたちの祝福が成功したとき、多くの人達にとっては祝福だが、同時にサタン世界にとっては呪いだ。

だから、このバビロンの淫婦はこの監獄に閉じ込められているのだ。どのように?鉛の蓋で。鉛は何だ?鉄の杖の銃弾だ。鉄の杖の銃弾はその恐ろしい暴力の鋭さと機能性によって、サタンのシステムとサタンが女性を誘惑して女性をバビロンの淫婦に、娘を弱名淫婦にするパワーが、鉄の杖と善良な男性と善良な女性によって蓋で塞がれてしまう。
分かったか。ゼカリア5章において私達が学んだことは、天一国憲法は悪なる捕食動物にとっては呪いだ。世界にとっては祝福だが、捕食動物、狼の奴らにとっては呪いだ。分かったか。その次に、何だ?バビロンの淫女、蓋は鉛で作られている。それは鉄の杖の銃弾だ。 全ての銃弾は鉛で作られている。その蓋があってこそ、捕食動物達が社会主義、共産主義が中央政府を作ることができない。

そのような、とても神秘的な幻想をゼカリヤ預言者は、未来の神様の王国を見ながら、 そのような予言をしたのだが、これからは、鉄の杖王国をあなた達は理解しながら平和警察訓練をするから、今、理解する事が出来るのだ。

⇨鉄の杖の祝祭により、鉛弾がバビロンの淫婦、堕落したエバによって作られた罪悪世界がいよいよ塞がれるときが来たのです。

The King's Report 11/11(月)2019

昨日礼拝の時はゼカリヤ5章を見ました。
​ゼカリヤ5章の鉛の蓋に覆われて大きなバスケットに閉じ込められた邪悪な女性が出ます。(ゼカリヤ5章8節)

​8 すると彼は「これは罪悪である」と言って、その女をエパ枡の中に押し入れ、鉛の重しを、その枡の口に投げかぶせた。

​この悪い女性は結局バビロンに移送されます。バビロンの淫婦のような女性なのです。面白いのはこの悪文化に象徴されているこのバビロンの淫婦を閉じこめているのは鉛の蓋だということです。

​実は弾丸は鉛なんです。 市民たちが鉄杖を持っている時、すぐに悪い文化を防げるということを考えてみると、このゼカリヤのビジョンは本当に啓示的だと言わざるを得ません。

​国進様のカアム工場の射撃訓練場を私たちの間では鉄杖射撃訓練場と呼んでいます。
​「このように賛美しながら、サタン共産主義を処断することを一度にすることは、実に魅力的です。


​このハンマーと鎌の共産主義の象徴であり、ヤギの頭はサタン主義の象徴です。その下では本当に多くの人々が名もなく死んでいきました。

​私たちがそれを知るなら、そのサタン主義の象徴を市民が射撃することは、実に意味があると思います。 


◆ペンシルベニアの重要イベントで祈祷を捧げました。

先日、退役軍人互助会 VetStockと金曜日の「軍人家庭福利会、Folds of Honor(名誉の積重ね)」の夕食会に行ってきました。

イラク戦争の退役軍人で、ブロンズ・スター・メダルの受賞者、元陸軍大尉クリスティーナ・マーティン氏、第二次世界大戦の退役軍人で、PAの北東部で多大な貢献をされた前州政府公務員のパット・ソラノ氏を讃えました。

また現職または元の地方、州、そして国の政治家達を育成することを助言しました。ベットストック(VetStock)は、障害者となった退役軍人に家を建てています。
その時、イベントの開会と閉会の祈祷を依頼され、霊に満たされた、高揚する祈祷をすることが出来ました。

◆投資と資産管理

稼いだり、得たものの50%を将来の為に貯蓄、または、投資し、10%は教会や他の使命のサポートに、残りの40%は、楽しむために遣うことを、子供達に教えるようにアドバイスしました。

一世は、(霊的な)戦いをしました。二世は、自分達の家庭にもっと集中し、子供達の関係に投資することが自由にできます。正に、天のお父様が、私達各々に、個別の関係をもっておられるように。

◆子供との1対1の日
公立学校は、しばしば、「両親を信頼してはいけない」というメッセージを送ります。そして、私達は、このような学校には、良いコミュニケーションも、更には、信仰(神様)の価値も、期待できません。

先週、長男の信八を一対一の日に連れて行きました。妻がいてもそうするのです。そのような「一対一の日」では、それぞのの子どもたち一人ずつに「家族に対して感謝している3つの事」を表現するように言っています。私達夫婦は、信八と、これを15年も続けています。それぞれの子供との一対一の時間が重要です。

◆夫との1対1の日
「夫人の皆さんは、息子達の手本となれないでしょう。男性だけが、そうなれます。夫に弱点が有ったら、夫と息子の振舞いを変える方法は、小言を言ったり、癇癪をまき散らすのではなく、尊敬を見せることです。」

そうするための一つの方法は、夫との時間(デート)を尊重することです。男性には、時々、ストレス等から解放される「空箱」に入ることが必要です。奥さん達やお母さん達は、感情の自己抑制が必要です。王妃(妍雅ニム)は、息子達に何かを語りたい時は、話合いの約束を取ることで、彼らの時間を尊重しています。王妃はタイマーを30分にセットします。彼らは、会合が何時まで続くのかを知っています。信頼を産むハイレベルな育児の好例です。

◆妻との1対1の日
心理学者で雄弁家のジョルダン・ピーターソン氏は、毎週、配偶者と面と向かう時間として、90分が必要であると言いました。毎週一緒に「デート」しましょう。彼女の結合と愛に対する要求を満たすことは、大切です。お互いに、王と王妃として、ふれあうことが出来ます。奥さんの「ハンティング」と探求を続けましょう。

両親が離婚した若い子供達は、しばしば、PTSD(:心的外傷後ストレス障害)になります。
サタンは、虐待された子供や離婚した子供の所に来て、「自殺しなさい」と言います。或いは、彼らは、しばしば、自分達も離婚するのではないかという不安が有ります。

⇨ 夫婦の関係は、子供に反映します。子供の夜泣きは、夫婦関係が良くない時に発生します。夜泣きする子供の側で夫婦仲の回復を祈れば夜泣きが収まることがあります。それほど子供と夫婦は繋がっているのです。家庭は四位基台であり、この家庭の四位基台により霊的に繋がっているのです。
それほど夫婦とは重要なのです。夫婦の1対1のデート、子供との1対1のデートで3つの感謝を言い合う二代王の提案は、その重要な関係をつくる意味でとても重要な実践です。

●11月  3日英語礼拝詳細➡2019年10月30日 韓国語礼拝

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