アノインティング(聖霊の油塗)への道
英語説教8月19日,26日、9月2日,9日の4回分
サンクチュアリ NEWS さんからの全文転載です。字幕化は2nd Israelさん。教会ブログであるため御言をコレクションしています。聖殿食口以外からも読んで頂いています。サンクチュアリNEWSさんありがとうございます。
2018年8月19日 日曜礼拝 英語説教
翻訳:Harry
「内なる鉄のつえ、神のみ言こそ私たちの基盤です」
神様は善きお方であり、力強いお方です。戦闘態勢が整っています。
そう神様は善きお方で力強いというのです。戦いの時には強大な砦であり、谷のユリ。私の道を示してくれる羊飼い。私を緑の牧草地、冷たい水のある所に連れて行ってくださいます。
神と共にあるとき心身が爽やかです。清々しく、煩わしくないのです。内側の何かが新たにされます。内側の何かが元気づく。新鮮な心境、新たな日を迎えるのです。聖書にはこうあります。「夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る」(詩編30:5)この聖句について神様に感謝しましょう!
この聖句は力を与えます。「夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る」
ハレルヤ。
教会が退屈だというのは誰ですか。聖霊で満たされます。生命のことばによって支えられるのです。神様のみ言によって養われるのです。キリストは生きておられます、死んでなどいません。あの歌の歌詞はなんでしたっけ。
My God's not dead
He's surely alive
He's living on the inside
Roaring like a lion
Roaring, He's roaring, roaring like a lion
神様は人の中に居られるのです。内なる人が作り変えられます。弱い意気地なしから強き人へ。子羊からライオンに。わかりますか。子羊から獅子にかわるのです。内なる動きを感じなければなりません。王冠と鉄のつえで祝福された者たちは、内なる自分の動きを感じなければなりません。それがあって初めて、善き王、善き王妃になるのです。私たちは主権をもち油注がれた国を興さなければならないのです。内なる鉄のつえ、神のみ言こそ私たちの基盤です。内的な鉄のつえです。それは神のみ言、私たちの基盤の力です。それが今度は正義の統治の基礎になるのです。義なる主権です。皆さんが治めなければならないのです。知っていましたか。
そこの少女たち知っていましたか。
あなたたちも統治しなければならないのですよ。
あなたたちは12、13才位ですね。
時が来れば治めなければならないというのです。夫を支配するのではありません。(笑)
一緒にSWATチーム(訳注:アメリカ合衆国の警察に設置されている特殊部隊および同種の部隊)になるのです。共に行動するのです。サタンに対して家族がSWATチームになるというのです。サタンの悪と邪悪に対抗して。チームになって。夫の(王としての)聖別(油注ぎ)を守る女性は祝福された女性です。神を畏れる女性だというのです。夫の聖別を守る女性は自分の子供も守ることになります。夫の聖別を守る女性は子供が「お母さん、なぜこれをしなければならないの」という時、「お母さんがお父さんのためにしていることをみなさい。なぜお父さんの味方をするか見てみなさい」というのです。「お母さんがどのようにお父さんの受けた聖別を守っているか見なさい」。
子供があなたに向かって「お母さんはどうしてそんなことをするの。僕はしたくない」というとき、「私は口で言うだけではない。実際に行動で示している。それは神様のみ言であり、お父さんの聖別をまもっているのです。私が何か権力を得ようとしてお父さんをないがしろにはしません。お父さんの聖別を守るだけです。なぜなら神様がお母さんにそうしなさいと言われたからです。」
子供があなたに逆らうとき、あなたの子供に「私はあなたに言っていることを自ら実行しています。私が教えることを実践しているのです。私は夫を支配しようなどとはしません。だからあなたも私を抑えつけようとしてはいけません。」子供にこういう道徳的に優位の立場を持てるのです。
しかし仕事をしていると夫を支配しようとするでしょう。それは聖書では禁じられていることです。そうすべきではないと。なぜならその時、愛ではなく力の次元で考えているからです。神様の願いではなく自分の願いで考えている。そうしていると子供たちはあなたのもとに来て「自分もお母さんを支配する」というでしょう。
神は正しいお方です。神様は男に忍耐強くあれ、妻に怒ってはならない。忍耐して、無条件に妻を愛しなさいといわれたのです。それは男にとって、とても難しいことです。なぜなら愛したくないからです。とっとと終わりにしたいのです。愛したくない。どうして無駄に時間を費やすのかと。一体何なのかと。男が全員そうだといいません。しかし神様は男に向かって「妻を無条件で愛しなさい」といわれるのです。それは男の立場からはとてもとても難しいことに違いありません。
二代王、王冠のみ言葉5つの王冠
ビデオをみましょう。ゆっくり流してください。
これは重要なビデオです。私は祈り続けました。心の内から叫んでくるのです。
ペンテコステ派、メソジスト、長老会などみるとき、ああ、みんな祝福されているなと感じます。そこではすべて人々をイエスキリストに罪を告白するように導くのです。それさえすれば、救われるのです。驚くべきことです。魂が救われたのです。もう神様から離れた魂ではなくなったのです。霊界に行っても切り離された存在ではない。救われた、それが素晴らしいというのです。
もちろん自分たちがキリスト教会に属するとはいえ、完ぺきではないことを知っています。もちろん、彼らも問題を抱えていることでしょう。何かの依存症だったり、それはアルコールや薬物かもしれません。だから「はい、救われた」「はい完ぺきだ」とはなりません。
しかしそれが素晴らしいのは、今回のリバイバル(訳注:ピッツバーグ)で長い時間祈りました、15時間の説教、多くの説教者が神様を讃美しました。神様は私にはっきりといいました。「5つの王冠」をみなさいと。
「5つの王冠をみなさい」
もちろんこれは、聖書にある義の王冠、栄光の王冠、生命の王冠、不朽の王冠、喜びの王冠です。この聖句が示す5つの王冠をみなさい。
考えてみて下さい。統一教会はとても壁が高いのです。多くの人が入ることを願い入会しました。入会して、入会して、歓迎も受けないで、救われた感覚も持てず、祝福を受けるまではコミュニティにも入れずに、受けたら受けたで40日の聖別・・三日儀式、聖酒も飲まなければならない。やることが多いのです。たくさんのことをしなければなりません。だから挫けるというのです。入ったとしてもそれがあるから壁が高いというのです。入会するには敷居が高い。信者になるには難しいというのです。そういうパリサイ文化を超えて、今度こそはっきりさせるのです。神様(お父様)はこのみ言葉をくださいました。
ここで動画を流しながら聖句をみましょう。
最初の王冠は、義の王冠でした。簡単に言えば、義の王冠とは、まずイエス・キリストを主、救い主で死から蘇ったお方。その方に自分の口で悔い改めるなら救いがある・・・これは聖句そのものです。イエス様を信じて、愛する。メシアとして、油注がれし者として受け入れる。
これはイエス様が人々に王冠を授けるところです。正義の王冠を簡単に言うならこの(絵の)通りです。正義の王冠はある褒美として与えられるのです。まず自分の口でイエス様に告解すること。次に、再臨を願うこと。これです!これなのです。
イエス様を信じて、自分の罪を告白して、再び来られることを切望するのです。
これです!これによって正義の王冠を授かることができるのです。とても興味深いでしょう。
ここで考えてください。私たちは(信仰者になるために)高い壁を持っています。統一原理を理解して、7デイズに出て・・21修に行って・・相対者を探して、祝福を受けて・・40日聖別をして・・3日行事、聖酒式などなど・・福音派の人なら私の言っている意味がわかるでしょう。これはもう・・・。
神様がおっしゃいました。「これらをすべて調合しなさい」と。
キリストに信仰告白して、イエス様をメシア、油そそがれた者として愛し・・・抜けたことがあるのでビデオを戻してください。
もう少し前に。
どうしてこんなに暗いのか。
ここです。テモテへの第二の手紙、4章8節。
8 今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。
今読んだように、義の冠はキリストを信じる者に与えられることはもちろんですが、再臨することを熱望するものに与えられるのです。
これは入信するのに高すぎる壁ではないでしょう。これは王権に参画するための最初の段階です。まあ、色々質問が来るでしょう。「まだ祝福は受けていないのですが王冠が欲しいです」とか「私は資格がありますか」などなど。いまそういう話ではないのです。
マクロ(全体)的視点で見ているのです。私に電話してこないで下さいね。「祝福はまだなんですが王冠は授かりたい・・」とか。
もっと大きな絵を描いているのです。
まず、キリストへの信仰告白、そして再臨を熱望すること。それで義の冠が約束されるのです。これです!わかりますか。
こうすれば、神を愛し、キリストを愛し、再臨を切望する人々とともに働くことができるのです。まさにそこから!
(再臨を)熱望することで、その人たちを祝い、敬うことができるというのです。
神様は何とおっしゃいましたか。
「私を信じなさい、そうすれば心の願いを満たしてあげよう」
そう言われるのです。皆が再臨を切望しないということ、これが問題です。
キリストに信仰告白して、その再臨を待ち望むなら、いいですか、神様が内側から変えてくださるのです。新しい望みを古い望みと入れ替えてくださるのです。新しい葡萄酒は新しい革袋に。
だからイエス・キリストへの信仰告白と、再臨主に会いたいという願いだけでそれを祝ってあげるべきでしょう。誰か祭壇に来て、再臨主を待ち望む、それだけでいいのです。
その場ですぐに祝福を受けなくてもいいのです。40日聖別も、3日儀式も後回し。それで全く変わるわけではありません。
祭壇の前で主イエスが救い主であると信仰告白をし、イエスの死からの蘇りを信じるなら、それで地獄から救われるのです。それからキリストの再臨を待ち望む。義の王冠はそこに在るというのです。
後の女の子たち前に来なさい。
女子の十字軍NINJAはこっちに来なさい。
私たちは喜ぶことができなければなりません。新しい人が来たとします。その人がイエス様を証(あかし)して、そしてイエス様の再臨を切望する。それで十分ではないですか。それが出発点です。もし再臨を待ち望まなければ・・・再臨主を待ち望まなければなりません。心に願いを満たすためにも。もしその人たちが再臨を切望しない場合は、ただ祝福を受けてなどと言う場合は・・それは間違った願いをっ持っているのです。どうやって真のお父様と出会うのですか。どうやって、統一原理を学びますか。原理もキリストの再臨がすべてではないですか。
われわれは盲目だったのです。人びとが願いをもって主イエスに信仰告白をしてそして再臨を待ち望んでいる- 私たちは盲目でした。「はい、では1デイに申し込んでください、3デイに・・7デイに・・。では次は40日修錬会に・・」といって。
その人が第1歩を歩みだすときに、キリストに信仰告白して、キリストの再臨を待ち望んでいるというなら、喜ぶべきではないですか。それだけで義の冠は約束されるのではありませんか。
内側が変わったのです。少なくとも内側で何かが変わった!神の勝利として祝うことができます。
ああ、そうですか、素晴らしいですね。ではこちらに申し込んでください。では、これこれの修錬会、はいでは40修・・・10年かかるというのです。
ちょっと待っててください、10年はかかりますから。そこであなたを歓迎します。
いかに神様の賜物を喜んでいなかったかが分かるでしょう。
今回、ピッツバーグに行ったときに神様から言われたのです。はっきりと神様は仰いました。まったくぼんやりしていました。皆が、もたもたしていたというのです。神様の祝福を喜んでいなかった。貧しき者のメンタリティーだった。満ち溢れる感覚、豊かさを忘れていました。「わたしの杯はあふれます。」と詩編23章にもあるでしょう。
「あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます」(詩編23章5節)
今日、新鮮な油を欲しい人が誰かいますか。欲しい人は誰ですか。
聖油を塗られた気分ですか。
神は生きておられます。
もっと自然体で説教もすべきですね。パワーポイントを使っていましたが、不自然でした。私らしくありません。私はもっと自然体で説教していました。それがお父様であり、それが私です。
この義の王冠、テモテ第2の手紙の4章5節が基礎になっています。教会が開いている時、これをプラカードか何かにしたらいいでしょう。私たちが忘れないように!
新たに人が来て祭壇の前でキリストに信仰告白して、主の再臨を待ち望む-これだけです。これはすべてのクリスチャンがすべきことです。ただ、「私はまた来る」これを待ち望むことだけです。これだけで祝うべきではないですか。「おめでとう!これであなたも義の王冠を授かることができる」ここに義の王冠の約束があります。
つぎに生命の王冠があります。関心ある人のために王冠を見てみましょう。
義の王冠はもっとも授かりやすい王冠です。他の王冠をみましょう。
これは不朽の王冠。これが最も授かることが難しい王冠でしょう。
最初の王冠は易しいのです。
生命の王冠を移してください。不朽の王冠は後で見ます。
これが生命の王冠です。ヤコブの手紙第1章12節。
すべて聖句に出ているのです。もし聖書を良く読むクリスチャン、信仰を新たにした(Born-Again)クリスチャンなら、聖書を信じるべきです。私たちが王冠を被っているからといって狂っているということができません。すべて聖書からです。
ヤコブの手紙第1章12節を一緒に読みましょう。
試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。
聖句に「神を愛する者」とありますね。神を愛し、隣人を愛する。神様を愛さなければなりません。
試錬を耐え忍ぶ人・・・それを忍びとおしたなら、試練と艱難を超えることができるというのです。
試錬を耐え忍ぶ人、それを忍びとおしたなら・・とあります。
いいですか、義の王冠を授かったらすぐに、再臨を切望するとき誘惑を受けるというのです。試練、艱難が始まります。
「あなたはあの気違いのカルト教会に通っているのか!」
ペンテコステ派教会に行ってもこう言われます。試練と艱難を通過します。なぜか?
生命の王冠に向かっているからです。心に願いをもてば動くでしょう。キリストは主だと告白し、再臨主を待ち望む・・生命の冠、再臨主を待ち望むだけで義の冠を受けるのです。ただそれだけで!
ただある人が再臨主を待ち望む、それだけで、祝い神様に感謝する文化ができるなら神様の霊、聖霊が降り注ぐことでしょう。「わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ」「年寄りは夢を見、若い男は幻を見る」「その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。」(ヨエル2:28-30)とあるでしょう。
キリストがメシアだと告白するとき・・使徒行伝2章にもありますが、「あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう」。どういうことかといえば神様があなたに入りあなたをつかさどるということです。あなたの願いが変わり始めます。新しい人がうちに宿るからです。新たな所有者、新たな主権、新たな王がやってくるということです。
2018年8月26日英語説教
翻訳:BAMBOOS
國進様の寄贈品」
自分の聖書を開いてください。へブル人10章に行きましょう。青年たちは聖書を忘れないで持ってきてください。訓練に来る時には自分のギ(着、ユニフォーム)とカリ・エスクリマの棒を持ってきます。そうですね。それからどうしましたか。腕立て伏せを100回、200回。聖書を必ず持ってきてください。本屋に行くかイーベイで注文してください。女子たち、日曜の教室に聖書を持ってきてください。賛美します。神様のみ言を知るのです。
自分が圧迫された時に内側から何が出て来るでしょうか。圧力と迫害を受けた時に。先週話しました。レモンをしぼるとどんなジュースが出てきますか。レモンジュースです。グレープフルーツをしぼればどんなジュースが出ますか。ブドウをしぼったらどんなジュースが出ますか。
圧力を受けた時、しぼられた時にそれが何であれ自分の内側にあるものが出てきます。そして悪魔はあなたを標的にしています。キリストに命を捧げたいと願う人は標的になります。悪魔があなたの首を狙っています。
聖書では悪魔は吠える獅子のようだとあります。私を追いかけて殺し滅ぼそうとしています。一旦自分を捧げるなら悪魔がやってきてあなたを捕えるのです。ですから悪魔は信仰告白を恐れます。ローマ人10章を見てください。
「すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。」
悪魔はそれを嫌います。信仰の告白をしたからです。第2テモテ4章8節に書かれた道の途上にあります。先週その「義の冠」について話しました。「今や、義の冠がわたしを待っているばかりである」と。そこでは「主の出現を心から待ち望んで」います。主の再臨を待ち望んでいるのです。何ということでしょうか。悪魔はそれを望みません。悪魔がそれを恐れるのはあなたの心が離れてしまい、この世の物を愛さなくなるかもしれないからです。お金や富、物質的な物を愛さなくなってしまうかもしれないからです。
聖句にはこうあります。「虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい」
私たちはこの世だけではなく永遠の世界に目を向けています。それがまさに神様の世界であり、興味深いことに神様の永遠の王国でもあるのです。なぜなら最終的には王国は地上に来なければならないからです。聖句には強力な力があります。そのため悪魔は告白を恐れるのです。
霊的な目が開かれれば私たちは見ることができます。この小さなニューファンドランドの町、ペンシルベニアの小さな町。ピッツバーグでもフィラデルフィアでも、ニューヨーク市でも、どんな街でも、さまよう魂を見ることができます。
肉体という器に入った人々のさまよう魂を。彼らはどこに行くか知らずにいます。iPhoneやiPadを見ながら生きた死人のように歩き回っています。彼らの魂、霊はどこに行きますか。地獄に行きます。神様からの永遠の分離。私たちはそれが起きて欲しくありません。
私たちが聖霊を受ける時に新しい心情を与えてくれるのは、神様の愛です。聖書でいうように石の心を取り上げて、肉の心を入れてくれます。肉体的なものではなく思いやりを持ったという意味です。神様に敏感であるということです。神様の霊につながっているということです。聖霊が駆り立てるのを内側で聞くことができるということです。脳内の処理だけではなく、心の奥底で感じることができるというのです。
今日それは誰かに話しかけてきているでしょうか。それは内なる変容です。また喜びの心情、愛の心情であり、罪による犯罪のために、魂が離れ離れになっているのが分かります。罪の報酬は死だからです。
キリストのような心情で彼らを見て泣き叫びます。霊的な目で彼らを見れば歩いている人たちの魂はさまよっています。彼らがキリストに命を捧げることはありませんでした。信仰告白をすることはありませんでした。悪魔はまだ彼らの所有権を主張しています。今もこの世の物で彼らを誘惑することができます。分離するポイントがありません。サタンから決別するために自分を捧げると言える分離ポイントがありません。
使徒行伝2章30節(訳注:正確には37節から)にありますが、人々がペテロにどうしたらいいかと尋ねると、悔い改めなさいと答えます。そして全ての国に行って父と子と聖霊の名で洗礼を受けなさいと。
悔い改めなさいと言いましたが、メタノイア(ギリシャ語)とは心を変えるという意味です。この世の物から自分の心を背けるということです。それらは永続しません。神様は、豊かさに責任を持つことのできる若い世代の人たちを育てたいと願っています。強欲にため込む人のように富に執着するのであれば、その人たちの王国は崩壊します。アーメンと言えますか。
心に寛大さを持っていません。仲間や友と提携し、王と王妃のより大きなコミュニティに仕え、平和警察・平和軍で安全のための相互グループを作ることができません。ため込むだけなのです。小さな王国を持っていたとしても、聖句にあるように取り上げられてしまいます。
神様は若者を育てたいと思っていますが、それは寛大になることのできる者に力を与えたいと願っているということです。君たち男子もやがて王とならなければなりません。神様はあなたの内面を信頼しなければならなくなります。多くのことに対する責任を。
ですから寛大な心を持つことが非常に重要です。度量の大きい心です。いつも渇いているカップのような貧しい心ではなく、豊かに満ち溢れるカップです。そうすれば王冠が意味をなします。それにはカップが満ち溢れていなければなりません。枯れてしまってはいけないのです。アーメンですか。神様に栄光を捧げましょう。アーメン。ハレルヤ!
神様は新しい人たちを育てたいと願っています。主に対する畏(おそ)れとは知恵を意味するものです。怖いという意味ではなく尊敬したいということです。主を中心に置きます。屈服するのです。私たちの命は主の物です。
考えてみてください。あなたが誰かの下にあってその人がけちで、いつも枯渇し、いつも厳しく不満ばかり言っているとしたら、そのような人の下にいたいと思いますか。うっとうしくはないでしょうか。そんな人の近くにいたいとは思わないでしょう。
ではなぜそのような人になろうとしているのでしょうか。青年たち、どうしてそういう人になろうとしますか。寛大な心を持たなければなりません。だから神様はあなたたちの十分の一献金で訓練します。何ドルか持っていて10セント出すとか、1ドル出すという話ではありません。神様の仕事が1ドルの献金で大幅に向上すると思いますか。違います。それは寛大さの訓練なのです。お金を崇拝しないようにするためです。
すごい話をしましょう。國進様は本当に寛大です。先週のことでした。夜タンパ・ベイのブラウン牧師からメッセージングで電話がありました。私は彼がくれたこの新しいアプリの使い方が分かりませんでした。電話に出ようとして「ハロー、ハロー」と言ったりしていました。ようやく出ることができ、彼はみんなが元気かとか来てくれてありがとうといったことを色々と話していました。彼はホテル代や食事代も払ってくれました。
それから彼は「君たちは私に木箱を送りましたか」と聞きました。私が「何ですか」と聞くと「木箱だ」と言います。私は「木箱は送っていません」と答えました。すると彼は木箱か届くという電話をもらったところだと言いました。
私たちは彼のミニストリーに種まきの1万ドルをまだ送っていませんでした。そのことを話してもいませんでした。みなさんにだけ話していました。それでこの教会からは木箱を送っていないと答えたのです。兄のジャスティンからのものに違いないだろうから彼に電話させて欲しいと話しました。
ブラウン牧師は心配していました。木箱は銃販売店に送られるもののようでした。それで彼は中に何が入っているか確認する必要があると言いました。なぜならこの人が言うには、木箱は自分宛だが中身が何か分からないのは奇妙だというのです。
そうして國進兄さんが、彼が試しに使うのに最適な銃が入っていると教えてくれました。それで銃が入っていることを折り返し伝えたのです。すると、大きな木箱なので何が入っているか全部を知りたいのだと言います。相当大きな木箱だったからです。
國進兄さんは自由社会勉強会の最中でしたので、終わったら連絡してくれるということでした。それで分かったのはST9やカー・アームズの製品、トミーガン、そしてトランプ・ガンという1911年のクラシックで芸術品のようなかっこいい銃、またARも入っているということでした。
それでまた電話してこういうものが入っていると伝えると、ブラウン牧師はARが1つか2つなのかと言います。私が複数形で言ったからです。それで私ははっきり分からないのでジャスティンに電話させて欲しいと答えました。それでいくつ入っているか教えてくれたのでブラウン牧師に電話しました。
1つや2つではなく10ですと私は伝えました。10丁の新品のトンプソンARです。彼の教会への寄贈品として。ひとつ890ドルでしょうか。しかし國進兄さんはただ聖霊によって感動して、心に神様を確かに感じ取ったのです。この男に、この教会に種をまきたいとのだ言っていました。契約もしていませんし、相互の合意もありませんでした。何もありませんでした。ただ心の中の小さな声があっただけでした。それは寛大な行いです。このミニストリーにプレゼントするだけでなく、大規模なペンテコステ・ミニストリーにも与えています。彼らを助けているのです。
青年たちはこれを理解していません。このような世界を理解しなければ、貧しい心だけでなく取るに足らないものに囚われてしまいます。わずかしか持っていなくても取り上げられるのです。聖句にはそうあります。寛大な心を持つべきです。男子たち。眠らないでください。
「主の足元に座って」
ですから青年男子、女子たちは私の足元に来て私と時を過ごすべきです。このアノインティング(油を注ぐ、任命、聖別などの意味)を聞き、命の油注ぎを受ける必要があります。自分が融合されたものだということを知っていましたか。つまり人生で最も長く過ごした5人の人を合わせたものという意味です。長く一緒に過ごした人のようになります。
愚かな友達やビデオゲームと過ごしていれば馬鹿になってしまいます。知恵がなくなります。しっかりと進むことはできません。高いレベルの人たちとやっていくことはできません。誰もあなたに投資しないでしょう。あなたに可能性を見出す人はいません。なぜなら自分がそれを許さず、石だらけの地面に隠してしまうからです。自分が誰と一緒にいるかということに注意を払う必要があります。
若い人たちはインターネットでもどういう人と過ごすかという話です。君たちは長い時間、1日に平均で8時間から10時間インターネットを使っています。驚いた顔をしないでください。君たちは簡単に8時間から10時間もやっています。つまりインターネットでそのように過ごす人たちのように、自分もなっているということです。
彼らの習慣によって方向付けられています。多くの場合悪い習慣です。彼らの悪い知識、悪い知恵。しかし考えてみてください。それが君たちの人生にとても大きな影響を与えるということです。ですから成熟した人たちと過ごす必要があります。お父さんやお母さんはもちろんですが、王とも過ごす必要があります。ですから君たちを訓練するのです。
ただ君たちが恐ろしくて強い人間になると思うような技を教えているのではありません。そうではなく、君たちは尊厳を持った人間になるのです。國進様と過ごし、自由社会の勉強会に出て彼と過ごし、寛大な心、寛大な人とはどんなものか学ぶのです。ビジネスで成功した人物を。
ゼロから業界10位に入るようになりました。20(訳注:音声不明瞭)年前にショットショーでのちっぽけな展示ブースから始めました。これくらいの小さな机だけの小さな店でした。今ショットショーやNRAショーに行けば、カー・アームズは最大の展示ブースの1つです。神様に栄光を!
それがアノインティングです。そういう人と一緒に過ごしてください。特に十代後半の人たち。そのようなアノインティングを持つ人のまわりにいたいと思うのです。
聖書を持ってきてください。神様のみ言と過ごす必要があります。イライラしないでください。「今日は日曜日だ。30分過ぎた。1時間過ぎた。イライラする。もう出て行って遊ばないといけない」。それは愚かな人間です。
1週間のうち3時間、4時間、5時間でも多くはありません。君たちは一晩に馬鹿な友達ともっと長い時間を過ごしています。どれだけ神様と、また神様のみ言と過ごす時間を持っていますか。その人の文化、価値観、道徳観、性質を理解するために共に過ごすべき人がいます。ただやってきて、後ろに座ってゲームをするだけでは得られないものです。そうしていたのはみんな分かっているはずです。
論理的に考えてみれば分かります。そんなことをしても何も学べません。正しいですか。イエスですか、ノーですか。自分の頭を使ってそれが正しいか考えてみてください。そして理解するのです。だれも君たちを責めることはありません。誰にも若い時があります。
しかし君たちは訓練を受けており、高度な責任があります。カリ・エスクリマを今学んでいますが、非常に危険な技です。とてもかっこいいですね。危険な技です。もっと責任を持ち、より高いレベルの統治者の支配権を持つ必要があります。高いレベルの道徳を持って統治することができなければなりません。私たちが扱っているのは致死的な武力です。
鉄のつえの訓練とはみなそういうものです。より高いレベルの致死的武力を扱うに従って、より高いレベルの道徳を持たなければなりません。一層高いレベルの博愛です。日曜礼拝のように考えないでください。大きなメガチャーチに行って説教を聞いて、「神様のことを聞いたから大丈夫」などと思わないでください。そうではなく、共に過ごすということを考えてください。神様を愛する成熟した人と時を過ごすということです。いっしょに集まって神様に栄光を捧げ礼拝します。
この中には成熟していない人がいるということは分かっています(笑)。確かに未成熟な人たちもいます。しかし一般的に言って、です。外れた人、変わり者はいつでもいるものです。しかし一般的にこれは聖別されたグループです。アーメンと言えますか。日曜礼拝とか日曜の説教という観点で考えないでください。演説ではありません。共に時を過ごすということなのです。
ディーン・ラドキーのビジネス・トレーニングを受けた人はいますか。ジム、良かったですか。覚えていますか。素晴らしかったです。彼はフォーチュン500に入るような世界的な企業を経営しています。青年達も受けたのでしょうか。彼がCEOを育てる時に何と言っているか知っているでしょうか。彼はCEOを育てる時にお金を稼ぐ方法について話していました。彼は一緒に過ごすのです。4時間も5時間も一緒に過ごします。
聖書には「主の足元に座って」とあります。指導者から学ぶ原則です。キリストの肢体(クリスチャン、教会などの意味)が呼ぶところの弟子の身分というものです。そのフォーチュン500の企業を経営する人ですが、彼はその方法を知っている人です。みなさんは知りませんね。彼が知っていることを理解するには、彼の足元に座らなければなりません。彼は単にあれこれと言って、この本を読みなさいというようにただ教えることはできません。
私がブラジル柔術のビデオをいくつか見せて、あれとこれをやって練習すればそれで大丈夫だと言えるでしょうか。それは正しいですか。みんな現実の世界でそれが分かっています。単にそのように言うだけというのでは不可能です。一度聞いただけで突然実戦に戦えるようになる、などということはあり得ません。みなさんの中で訓練を受けている人なら誰でも分かることです。何が必要でしょうか。戦う時間が必ず必要です。致命的な記憶の時間です。相手が自分を殺そうとするような、新しい習慣を作り、新しい致命的な反応を起こすことです。
青年たち、私の話は正しいですか。それは同じことです。弟子の身分であるということです。神様のアノインティングを受けた聖別された人の近くに行くということです。なぜなら神様はあなたも聖別されて欲しいと願うからです。あなたにみすぼらしくなって欲しくありません。挫折して欲しいと願ってはいません。いつも被害者面して欲しいとは思っていないのです。神様が願うのは、あなたが自分の栄光のためではなく神様の名のために勝利することです。あなたに勝利して欲しいのです。
神様のみ言にはとても味があります。それは魂のための食事です。ですから黙示録でヨハネは経典を実際に食べています。神様のみ言があなたの内側に入れば、神様のみ言は蜜よりも甘いという話がどういうことか理解できます。非常に力強く、人生を大きく変容させ、強い結束をもたらすものです。何というか、全くの混沌の中にある時、確固とした力をもたらします。私たちの救いの岩、強力で堅固な土台を。
迫害がなく、苦難がなく、問題がない人生。特に自分の命を主に捧げているのであれば、確実に困難に直面することは間違いありません。あなたはトランブルメーカーになります。サタンのポリティカル・コレクトな文化や政策、サタン主義、共産主義に問題を引き起こすのです。あなたは問題を起こしています。みんなトラブルメーカーです。
何が恐ろしいか分かりますか。悪に反対する喜びに満ちたトラブルメーカーです。だから彼らはキリスト教を嫌います。なぜならそれが生きた石の体であり神殿であるからです。それは喜びを持っています。神様の喜びがその力なのです。
そして彼らは世界の在り方に対する信念を認めません。風の中の柳のように世界に対して曲がることはありません。なぜなら彼らの受ける価値は世界が提供するものより素晴らしいからです。あらゆる富も名声も栄光も何もできません。神様の栄光に比べられるものはありません。高い目的のために生きること、魂を救済しようとすること、終わりの日の偉大な収穫を見ること、魂が救われ解放されて束縛から自由になることに比べれば。
ガラテヤ人5章。
「自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない」
聖句にはそのようにあります。「堅く立って」「つながれてはならない」と言っているのです。
しかし興味深いことに一方ではキリストはこう言っています。
「わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい」「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」
くびきというのは首に掛けられるものです。世のために働けばそれは重荷です。ハリウッドのハーヴェイ・ワインスタインのために働いて、名声と富だけを追求するならそれは重荷です。魂を売るということです。小児性愛と性的人身取引に関与しなければなりません。魂を売れば、知らずに名声と富を求めていった非常に多くの魂が性的虐待を受けました。
「難しくありません 自分の習慣だけのことです」
非常に多くの魂が知らずにいました。この世の快楽。この世の富。神様との超自然的な関係と比較になるものはありません。何も持っていける物はありません。子孫に残すことはできるかもしれませんが、霊界には持っていけません。
霊界に持っていける物が1つだけあります。その関係性です。それだけです。向こう側に持っていけるのは私たちの魂だけです。神様が収穫について話しているのはそのことです。「収穫は多いが働き手が少ない」と言われました。
(後ろにいた姉妹たちに前に来るよう注意される。)
ここで理解すべき致命的なこと、偉大で大変なこと、つまりは偉大な力のことですが、それは統治するための高潔さを持たなければならないということです。魂の収穫ということです。魂の収穫。
青年たちを訓練する時、平和警察・平和軍のことを話しますが私たちの模範は何でしょうか。私たちがフィストバンプ(拳を合わせてあいさつすること)する時に何と言うでしょうか。「神様を愛し、隣人を愛せ」です。それから戦いを始めます。
それはどういうことでしょうか。みなさんが学ぶ技は全て、国を守り、隣人を守り、価値あるものを守るためのものです。最も価値あるものとは何でしょうか。私たちに真の目的を与え、人権を与え、自由と主権を得ることができるようにするもの。それはどこから来るのでしょうか。政府から来るのではなく、組織や建物から来るものではありません。そのようなものから来るものではありません。神様から来ます。神様がいなければ人権はありません。誰がどんな権利を持つかをでっち上げる、年老いた間抜けの委員会があるだけです。
主権と王権の出発点では、全ての人がハイレベルの王と王妃とならなければなりませんでした。ハイレベルの夫と妻です。敬虔な男性と女性。妻を無条件に愛する男性。彼女が愛せない時があったとしても。
姉妹たち合っていますか。自分の罪を一人ひとり告白しましょう。ここには神を信じる人たちがいます。私たちは認めることができます。神様の助けが必要な時があります。アーメンですか。
配偶者を無条件に愛しましょう。そして女性たちに神様は何と命令しているでしょうか。夫を無条件に尊敬するということです。神様は彼の将来性を見ています。アーメンと言えますか。夫を尊敬してください。そうすることで夫を変えることができます。「主よ、彼は信仰的な男性ではありません。ですから不信仰的に彼に文句を言います。イエスの名に懸けて死ぬまで文句を言います」。それでどうやって聖霊があなたを通して働くでしょうか。
私たちは勝利します。神様のみ言に従うことで超自然的に勝利します。そして神様のみ言では、彼を尊敬しないと言っています。
「あなたの気持ちは分かります。難しいことです。娘よ、あなたを愛しています。彼のことが気に障り、その全てに腹が立つ場合があることを知っています。しかし娘よ、私はあなたを愛しています。私を信じなさい」。
あなたの父を信じてください。英知を信じてください。み言を信じてください。何と言っているでしょうか。彼は曲がった道を正すと言っています。
「自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる」(箴言3:5-6)。
私たちは自分の意志で行い、自分のやり方で、自分の発想や能力で行い、曲げてしまいます。何かを作ろうとしたことはありますか。テーブルを作ろうとしたことはありますか。どうなりますか。工場で作ったようになるでしょうか。いやいやいや。曲がってしまいます。長椅子のはずがロッキングチェアになってしまったと気づくでしょう。自分の力でやるとそういうことになります。アーメンと言えますか。
私たちは曲げてしまいます。曲げたいと思ってやっているのではなく、まっすぐにしようと思っています。しかし私たちには能力がありません。全ての角度から見ることができず、知識も知恵も持ちません。誰かを変化させて聖別することがどれほど難しいことか分かりますか。誰かにそうすることができるだけの知識を全て持っていると思いますか。
自分自身や自分の悪い癖でも変えるは難しいでしょう。私たちは神様に寄り頼むことができるようになりたいのです。夫を尊敬できないと感じている時に、一時的にでも尊敬を持って夫を扱うのは難しいです。しかし神様はそれが簡単だからやりなさいとは言っていません。神様はそれが難しくないとは言っていません。
興味深いことにこう言っています。
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」。
それから何と言っているでしょうか。
「わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」
あなたが理解して神様と歩むなら、その夫婦に与えられた命令のみ言は最初くびきのように感じられるかもしれません。「難しいです。主よこのくびきを負いたくありません」「主よ、彼が尊敬に値するとは思いません」「主よ、彼女が愛せません」と。それは重いくびきのようです。
しかし主は、「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い」と言っています。実際は簡単なのです。ただ脇によけなければならないだけのことです。それが今日心に訴えて来る人はいますか。難しくありません。自分の習慣だけのことです。あなたは何度も同じ間違いを繰り返してきただけです。みんな分かっているでしょう。
戦いや訓練をする時、何度も間違ったことをやっています。ヘッドロックがうまくいくと思っている人が多いです。レスリングを少しかじった人は、ヘッドロックが実戦で役に立つと思っています。実戦で使うのはひどいものです。全く最低です。
テッドはアイルランド系で戦うのが好きです。青年たちと転がりまわるのが好きです。彼はヘッドロックを使います。そこで普通にヘッドロックしてみてください。校庭で子供が遊んでいる時にやるヘッドロックです。それがいいと思っています。しかし総合格闘技やブラジリアン柔術のような本物の格闘技を知っている人にヘッドロックを掛けたら、大きな問題になります。背中を晒してしまっています。あなたは捕まえられて背中や腕をきめられ始めます。
訓練で経験した人はどれくらいいますか。それは悪い習慣です。悪い習慣を持つと変えるのが難しいです。訓練によってそれを変えます。最初それはくびきのように感じます。ヘッドロックがしたくてうずうずします。
最初はくびきのように感じますが、神様はそれをもっと簡単にするものを与えようとしています。本当の習慣を学ぶようになると、少なくともそのような位置取りがもっと防御しやすいのだと、ヘッドロックをしてくる人から防御するのは簡単だと気づきます。思っていたよりも簡単だと。重荷だと思っていたものが今度は軽いものになります。
ですから私のくびきを負いなさいと言っています。私から学びなさいと言っています。私から学ぶとは、私と過ごすという意味です。私のことを読んで知るだけでなく、私から学んでください。私と過ごしてください。するとこのくびきは易しく、この重荷は軽くなります。
君たちはまだ白帯で、中にはもうすぐ青帯になる人もいますがほとんどは白帯ですね。ですからこの時点では重荷を感じます。私たちはたくさんの訓練をしていて、1週間に5日、1日2、3時間ブラジリアン柔術だけを訓練するとすれば、おそらく頭に来るでしょう。不安とストレスでいっぱいになります。ストレスがたくさんありますね。誰かがマットの上で殺そうとしてくることほどストレスなことはありません。そうですか。とてもストレスがあります。
しかし次のレベルに行けばもっとストレスがあります。面白いと思いませんか。青帯のレベルになるともっとストレスがあります。それは青帯保持者がみな君たちを狙ってくるからです。あなたの頭を壁にトロフィーとして飾ろうとして。「青帯を倒したぞ!」と。
私も経験しました。青帯はストレスが多いです。まだ中間であり上位のレベルではありませんので、紫、茶、黒はまだあなたを殺すことができます。アーメンと言えますか。また白帯も殺したいと思っています。そして友達の青帯も殺したいと思います。青帯を出たいからです。ですから85パーセントから90パーセントの人が青帯で辞めてしまいます。不安が多いのです。
私は若い十字軍とニンジャにこれを早くから教えています。それは君たちが打たれる前に準備させてようとしているからです。言っておかなければやられてバーンと倒れてしまいます。
腹にパンチを受けて倒れた経験をした人はどれくらいいますか。ではどういうものか分かりますね。しかし来ると分かっていれば持ちこたえることができるでしょうか。はるかに良いのです。実際来ると分かっていれば巨大なモンスターに腹を撃たれても持ちこたえることができます。ほとんどの人はできます。予測できるからです。ですから私は前もって話すのです。これがいつかやって来ると予測できます。それに直面した時、新しい領域ではありません。賢明であればすでに征服した領域です。
「祝福に力とアノインティング(聖油塗)があれば…」
同じことがアノインティング(聖油を塗って聖別すること)と祝福で起こります。祝福を受けて結婚する時に信じられないような新しい領域に入ります。しかし悪い情報を教えられていれば、簡単だというような間違った予測をしていれば失敗します。妨害があります。私は準備なしに君たちを戦いに臨ませることはできません。まず準備させて訓練して、または装備させ、技を教え、厳しい負荷の訓練をさせます。そうすればいつでも戦えるようになります。それは本当のことですか。その通りです。同じことなのです。
なぜならあなたたちの祝福、結婚は尊いものだからです。神様が最初から与えたかった贈り物です。みなさんの結婚はとても尊いのです。悪魔はそれを引き裂き、侵入したいと思っています。ズタズタにしたいと思っています。あなたが失敗することをひどく願っています。
あなたにはその領域が分かっています。なぜなら悪魔はあなたを追いかけてきて、あなたを台無しにし、破壊しようとするからです。彼はそこに喜びを見出すからです。神様の聖別された息子と娘が結婚して一つになる時にはいつでも、サタンはそれを引き裂くことで大きな喜びを感じます。彼はそれを祝います。
しかし祝福に力とアノインティングがあれば、また神様のみ言が適用される知恵を求めるなら、頭の中では多くを知らなくても、神様の霊によってそれを自分から表すことができます。そうすれば神様に大きな栄光をもたらす可能性がもっと高まります。祝福を受けることがどれほど尊いことでしょうか。最高に尊い関係です。
青年たちに言いました。君たちはお母さんと結婚しているのではないと。そしてお母さんたちに、あなたは彼と結婚しているのではありません、と言いました。息子を解放しなければなりません。あなたの息子は、自分の妻を愛する時に喜びを感じます。あなたよりもずっと、です。喜びを得て「神様に栄光を!」と言わなければなりません。けちなお母さんではありません。彼を巣に入れておこうとするお母さんではありません。彼に鷲の翼で羽ばたいて欲しいと願うのです。
聖句にはこうあります。
「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである」(エレミヤ29:11)
多くの場合親が子供に余りにもくっついていると子供をはばたかせようとしません。母親の中には、妻が息子の全ての注意を引くようになるために嫉妬心を感じる人さえいます。そして義理の娘に怒りを覚えるようになります。
子供のことを祈るべきです。彼らを神様のみ言で満たすべきです。夫と妻の愛を経験させてあげなければなりません。若い青年たちを見てください。彼らはこの祝福を受ける準備をしています。知識を持たずに手ぶらで参加してはいません。目を閉じたまま参加していません。知識を持って、期待を持って参加しています。易しいだけではないでしょう。神様の仕事をしている限り毎年容易になっていきます。神様のみ言に従順である限りは。
しかしそれにはたくさんの努力と投資、犠牲が必要です。夫は妻のために犠牲になり、妻は夫のために犠牲になります。犠牲を伴います。投資が必要です。時間がかかります。神様の恩寵で私たちは毎年超自然的なことを経験しました。毎年より良く、深く、強く強固になり、聖別されます。
最初問題がなかったということではありません。言い争いをしなかったということではありません。それは誰もが経験しなければならないことです。奇妙なことでもおかしなことでもありません。
ハリウッド映画、ドラマ、韓国の女性向けポルノなどそういったものにあなたは洗脳されています。それは単なる感情であり、ドーパミン・ハイな状態です。そうではなく、これは神様があなたを1つにするところです。
父親と母親を放っておいて妻に尽くしなさい。そして2人は一体となります。それは1つになる過程です。目的が1つに、尊厳が1つに、性質が1つに、主のための目的が1つになります。主のみ心と1つに、主の王国と1つに、主のアノインティングと1つに。とてつもない変容の過程です。
一晩で6フィート2インチ(約188センチメートル)に成長すると思いますか。その奇跡を祈っている人もいるでしょうが(笑)。どういう意味かといえば、時間と投資が必要だということです。しかしできます。神様はあらゆる苦難のために道具を与えており、備えさせ、全てがあなたの所に来るようにしています。
ですから私たちは決して悪魔の嘘を信じてはいけません。「君の親はこれをやった。あれをやった。このようなひどいことを経験した。君は全く変わらない」。それは嘘であり、偽りの父、悪魔から来たものです。あなたは勝利するように運命づけられていません(訳注:逆の言い間違いの可能性)。破滅するように運命づけられてはいません。憎悪されるように運命づけられてはいません。悲惨なことになるように運命づけられてはいません。あなたの祝福は祝福されるように運命づけられています。呪われてはいません。あなたの祝福は祝福されるように運命づけられています。呪われてはいないのです。
聖書には「わたしたちが求めまた思うところのいっさいを、はるかに越えてかなえて下さることができるかた」とあります。青年たち、あなたたちは自分の祝福を通して神様が与えてくださる恵みを分かってもいません。君たちがあれこれの悪いお手本を見たことは気にしません。それは君たちとは何の関係もありません。それはほとんど彼らと関係あるものです。また神様の過ちではありません。
「弱く、ナルシストで自分勝手・・それは韓オモニの問題です。」
みなさんは、結婚と関係性の内なる秘密を明かされた立場にあります。どうすれば惑わされないかということです。先行した多くの人にはそれがありませんでした。だから自分の目には彼らが最高の物を持っていないように見えるからと言って裁かないでください。彼らは最善を尽くしましたが、多くの場合道を間違えてしまいました。神様のみ言に従いませんでした。いろいろなことに誘惑されました。それは君たちとは関係のないことです。
君たちのお父さん、お母さん、おじさん、おばあさんも関係ありません。神様は君たちを勝利のために位置づけました。君たちの祝福は祝福されます。青年たちは言ってください。私の祝福は祝福される、と。そのように言っても自己中心的ではありません。自分の家庭でそれを宣言しなければなりません。自分の家庭で所有権を持たなければなりません。アーメンと言えますか。
所有権を持たなければなりません。悪魔に心にうそを植え付けさせてはいけません。挫折や失敗も。傲慢、うぬぼれ、尊大さも。君たちには力があります。主を喜ぶことによる力があります。信仰を追い求め、主のみ言に従えば祝福を受けます。実に簡単なことです。私たちは複雑にしてしまっています。自分の方法で主を賛美し、お互いに思いやりを持ち、お互いに石の心ではなく優しい心を持てば、問題を解決できます。結婚生活で問題があれば、神様に頼って解決できるということを知っている人は何人いますか。
からしだね程の信仰でも山を動かせると語られています。問題はそれを信じるかどうかです。それは彼に掛かっているのではなく君たちに掛かっていることだからです。
謙遜になろうとするなら、神様は最も悪い心を変化させて正すことができます。聖書には「その悪い道を離れるならば」、とあります。離れなければなりません。その約束を果たさなければならないのです。そして「私の顔を求めなさい」と。「そうすれば罪をゆるし、そのちをいやす」と言っています。しかしそれには、悔い改めの心が必要です。
どんな状況にあったとしても、祝福を受けていなくても結婚していなくても、独身で祝福を願っているかもしれませんが、どのような状況であったとしても、神様が主導権を握っており、神様には計画があるのだということを理解しなければなりません。自分の考えに頼ってはいけません。神様のみ言に頼らなければなりません。
神様を愛するようになるほど、神様は豊かに祝福を与えます。
2つの星が北に向かっています。または2つのコンパスが北を指しています。あなたはそちらが北だと確信しています。そのようなナビゲーションを理解している人はいますか。ブッシュクラフトをする人や軍隊にいた人は知っているでしょう。
夫と妻が同じ方向を指している時、彼らは同じ場所に到着します。ハレルヤと言えますか。それはちょっとおかしな話ですが、考えてみればその通りなのです。コンパスが間違った方向を示していたら、離れ離れになります。ですから、あらゆる山、苦難、海、谷にもかかわらず、方向性、北を向くといった方向性と目的が重要です。神様は山や谷があると保証していますが、またこうも言っています。「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません」。
しかし神様と共にいなければなりません。神様がいると確認できなければ、不安を感じるでしょう。崩れ落ちるように感じるでしょう。自制が効かなくなるように。抑制できなくなるからです。
ですから神様への私たちの依存と目的は非常に重要です。若い青年たちが祝福を受けて結婚する時、それは途方もなくハイレベルになります。ここにいる人たちはハイレベルの祝福を受けます。ここにいるのはとてもハイレベルの祝福を受けた人たちです。
ですから祝福を受けた時、自分たちの祝福について宣言しなければなりません。弱くてはいけません。その祝福とその霊的雰囲気の主導権を握らなければなりません。それを所有しなければなりません。それがアージュの意味です。これを所有します。それがアージュの意味であり、わが主という意味もあります。あなたが天に報告を行うときに、自分の名前の印鑑を押します。これを所有するというような意味の印鑑です。「これを報告しました。これを所有します」と。
こういったこと全て聞きましたが、結婚して最初の日にケンカになります(笑)。1日目でなければ次の日にケンカになります。2日目でなければ3日目です。何か言い争いのようなことになります。
男の子たちは神様に忠実に、純潔を保ち、姦淫を犯さないようにします。自分を清く純粋に保ちます。傷や欠点。あなたたちが完璧だということではありません。性的な純潔を守ります。それは配偶者に与えることのできる最大の贈り物です。
しかしその一方で純潔であるために・・・自分を守ることは困難ですが戦い抜いたことは勝利であり、祝福にふさわしい、すばらしい基盤です。あなたが聖別された祝福を受けるために、神様の戒めに従い姦淫を避けたことは最小限に評価することではなく、とても重要で強力なことです。
しかしまたそのように行い、信仰的にやってきたのは良いことですが、またプレイボーイではなく、女たらしでなく、女性を食い物にする愚か者でなかったので、女性の気持ちが分かりません。あるいはそれが異なるものだということが。
姉妹たちは何も言わないでいてください。口を閉じて答えないでください。大人の男性も答えないでください。この男子たちだけです。結婚している大人は答えないでください。日本の学生たちに尋ねた質問があります。
私はこう話していました。「男の子たちは人前で見苦しくないように着こなし方を学ばなければならない」といったような話をしました。それからスタイルが重要であるとか、妻をデートに連れて行くといったことが大切だというような話をしました。男の子たちにこう聞きました。まずベルトについて、ベルトには何を合わせるのかと聞きました。大人は答えないで。うちの子供も知っているので答えないで。立派なスーツを着ている時のことです。なぜ笑っていますか。男の子たち。知らないのですね。スーツを着る時、ベルトは靴と合わせます。
女性の靴は何と合わせますか。姉妹たち答えないで。考え込んでいますね。この男の子たちはどうして全く知らないのでしょうか。日本の子供たちに靴に何を合わせるか聞いた時、1人は靴下と答えました。3インチとか4インチのヒールを履いてどうやって靴下と合わせますか。基本的なルールはバッグに合わせるということです。知らなくても悪いということではありません。
男の子たちは素晴らしい若者です。遊びまわらず、いちゃつかず、自分を純粋に保っています。豊かな才能があります。姦淫を犯しません。みだらな行いをしません。ポルノを見るのは罪だと分かっています。それは悪いことだと感じています。それから解放される必要があります。
しかし重要なことがあります。自分を純粋に保っていたので、女性について何も知りません。それはひどいことではありません。考えてみてください。悪くはありません。いつでも学べるからです。良い指導者がいれば学べます。アーメンと言ってください。しかし問題は、女性たちが「パパ」社会に、世の中について何でも知っている男の子にしか魅力を感じないように洗脳されてきたということです。しかし世の中について何でも知っている男の子たちは、純潔を保っていません。遊び人であり姦通者です。人を悲しませる者でありそれがかっこいいと思っています。また女性たちがそれをかっこいいと思うように洗脳しています。なんとひどい、愚かなことでしょうか。
ここにいる男の子たちは誰もが訓練を受け、質が高いです。この中の1人と結婚しても女性について全ての繊細な所をまだ知りません。彼女たちは間抜けと結婚したと思います。どうして女友達のようでなく、自然に私の感情を読み取ることができないのか。慰めて欲しいのにどうして慰めることができないのか。答えは簡単です。彼は女の子ではないからです。女性を期待しています。なぜなら女性のドラマ、女性のポルノで全てみせていることだからです。
男性が女性らしくなればなるほど、ますますそれを求めるべきだと考えるように仕向けられます。そのドラマというポルノを観れば、男の子たちは女の子のようです。化粧をして、長髪で男性用のハンドバッグを持って、鶏のもものようにやせ細った脚で。スクワットや全力疾走をやったことがありません。ボディービルをやっている人もいるかもしれませんが、実戦で役に立たない「水の」筋肉です。「水の」筋肉と比べて戦闘の筋肉がどのようなものか知っていますか。本物の格闘家やレスラーが「水の」筋肉のボディービルダーをどれだけ早く倒せるか知っていますか。
間違ったやり方で教えられて、間違ったことを求めるように教えられています。自分たちを損なうような人を求めるように教えられています。非常に完璧な計画です。自分を食い物にするような人に女性が魅力を感じるように仕向けています。人生をめちゃくちゃにするためです。そして心理学的にダメージを受ければ受けるほど、その子供たちはますます悪くなり、文明が劣化します。そのほうが支配しやすいのです。それがサタン主義にとって都合が良いのではないでしょうか。
しかし神聖な男女が正しい期待を持っていれば。結婚しようとしている女性たちは、夫は女性ではないということを理解してください。彼は男性です。そして彼を通して神様はあなたを成長させようとしています。もっと立派な人間になります。
一方男性も同じです。妻との関係は道場のようなものであり、訓練所のようなものです。それを通してもっと思いやりのある男になります。自分の女性的な面に触れるのだと言う人たちがいます。男性は女性的な面を持っていません。だから妻が必要なのです。妻が私たちの女性的な面です。私たちは女性的な面は持っていませんし、欲しくありません。妻が女性的な面です。2人が一体となります。主を喜ぶことが私の力です。神様に賛美を。
(中略)
ときどき小さい男の子に年上の姉妹たちの訓練を助けるよう頼むことがあります。彼女たちは力とスピードの差を感じます。それが重要なのは、女性たちが肉体的な力によるものではないと理解する必要があるからです。だから鉄のつえに対してアレルギーになりません。鉄のつえの王国。それに対してアレルギーになりません。自分の手足でやれるとは思えないのです。
手と足で戦う方法を知っている恐ろしい男がいます。二代王が強いと思うかもしれませんが、そういう男たちは私を圧倒します。私は惑わされません。ですから若い人たちにも、武器の技術も教えています。武器に対して主管するためです。なぜか。最終的に悪魔は知っているのです。誰が武力を使用する支配権を持つのか。それは善良な誇りある若者となるのか、それとも狼となるのか。それは大きな問題です。
共産主義、社会主義。政治的サタン主義は全て武力を誰に与えるでしょうか。善良な誇りある若者ですか、それとも狼ですか。狼です。貪欲で自分勝手で自己中心的な、資源を追い求める熱狂的な支配好きの者たちです。
しかしそのために、全体主義者とサタン主義者にとっての最大の恐怖は、キリスト教が再び勇敢になることです。キリスト教を再び偉大に!イエス様のみ名を高く掲げ、鉄のつえの力を持つのです。攻撃的な戦争やいじめのためではありません。ただ人々を、キリストの信奉者を守るためです。最も尊く価値のある救われた人々、他人を支配したいと思わない人々を守るためです。
彼らは人々を救いに導きたいと思っています。全ての人を神様の王国に入れたいと願っています。人々を抑圧したくありません。なぜなら私たちを抑圧から解放したのはキリストだからです。それなのに、キリストが私たちを抑圧から解放したというのに、なぜ他人に抑圧のくびきを負わせたいと思うでしょうか。アーメンと言えますか。
私たちは自由を受け取りました。奴隷のくびきからの解放を受け取りました。それなのになぜ、向きを変えて他の人たちを抑圧したいと思うでしょうか。それは悪魔です。
そのため他の多くの人が、君たち若い子供は鉄のつえを扱えないと言います。おかしな防止やバッジを身に着けた政府の職員が、他にそれを扱えて信頼できる人がいると言ってきます。そして彼らは何も悪いことをしないし、間違いを犯さないし、天使よりも神聖なので信頼しなければならないと言います。だから全ての力を渡しなさい。あなたには扱えません、と。それを恐れなさい、と。これが悪魔のプロパガンダです。
(中略)
高い質のSWATチームのように協力し合う家族。それが強力な文明だからです。全てが完璧だということではありません。口論することもあります。しかし厳しく強いということです。
国や文明の中全体でそれがあれば、また配偶者とのハイレベルな関係性を持ち、子供たちが親を守り、親が子供たちを訓練すればどうでしょうか。共産主義ではなく、武器を取り上げるのではなく、彼らを神様のための偉大な守護者、十字軍にします。
それは韓マザーの問題です。・・・人々は弱く、ナルシスト的で自分勝手です。みなさんはそのような人たちと一緒にいたいとは思いません。彼らはそうなりつつあります。ここにいるのは十字軍になるべく訓練を受けて来たある世代の青年たちです。完璧だということではありません。欠点がないということではありません。自分自身の中の悪魔と戦う必要がないという意味ではありません。しかしハイレベルな祝福のための位置にあります。ハイレベルの夫と妻。ハイレベルのお父さんとお母さん。ハイレベルの子供を育てます。
幸せな結婚をしたい人は何人いますか。手を挙げてください。もちろんしたいのです。祝福は驚くべきことです。ハイレベルのお父さん、お母さんになりたい人は?世界はそれによって変化します。お父様は家族の単位について話しています。全体的に文化が世界を上回った時のことです。そこでは王権と主権が理解されます。平和警察・平和軍、鉄のつえの文化です。神を愛し隣人を愛するのに加えて。そして羊を飼うように守る文化。それが理解されます。
子供たちは力強く育てられ、その力に責任を持つようになります。自分勝手でナルシスト的ではありません。愚かなハリウッドのラップ音楽ビデオやハードロックのビデオなどを見てください。いつでも世俗的な音楽があります。いつでも、お金、お金、お金、お金、女の子、女の子、女の子、女の子・・・。全て中身は頂上のことです。それが頂点です。哀れでとても弱いです。
神様は驚くほどの贈り物の誓約を準備されました。それは何か。王権を持つことができ、権威に責任を持つように育てられることができます。正しく、道徳的になるように。そして王妃が与えられ、王妃なら王が与えられます。高い質の夫、高い質の妻。何という祝福でしょうか。ハレルヤ!何という祝福でしょうか。ハレルヤ!何という祝福でしょうか。何と素晴らしい贈り物でしょうか。
全世界が本当に願っても決して見ることのなかったものです。他の不適切な場所へと導かれていました。達成すると信じても決して達成せず、ただ苦労がどんどん大きく、心の傷がどんどん深くなり、苦難が大きくなるだけで結局破滅へと導かれます。しかし1人の人、1人の男性、1人の女性、1人の夫と妻、1組の力強く敬虔な親。世界が変化することができます。
神様がそれをどのように使うか知らないのでしょうか。この青年たちの1人。ハイレベルの結婚。ハイレベルの祝福。ハイレベルの親。彼らはニューヨーク・タイムズのベストセラーを執筆できます。世界中の何百万もの人々に影響を与えることができ、神聖な知恵を与えることができます。分かりませんよ。どのようになるか分かりませんよ。神様に誰かを触れさせることができるかもしれません。彼らが一晩のうちに神様の王国の増幅器となるかもしれません。神様のアノインティングはほんとうに強力です。
お父様が私たちに与えた相続財産を私たちが受け取ったら、恥ずかしく思うべきです。これは家庭詐欺連合がやろうとしていたことです。「あなたはお父様があなたに与えた遺産を全て受け取るつもりですか。なぜ私たちにあなたから盗ませないのですか」。まるで強盗から講義を受けているようなものです。強盗が略奪してから、「なぜ私たちに同情心を持たないのか。私たちの仕事だ。あなたの神聖な愛はどこだ。どうして家を略奪させないのだ」
「お父様の遺産を受け取りたいのであれば、自分勝手で、人種差別主義者であるということを知らないのか」(笑)。悪魔は嘘つきです。
君たちは気づいていようといまいと、アノインティングを受けています。使徒行伝の2章で何と言っているでしょうか。霊が分かれた舌のように彼らの上に火を点けました。彼らに火がついたのです。神様の霊は非常に厚く強力です。彼らは聖霊を受け始め、火を受けました。アノインティングを受け始めました。それは聖霊の贈り物として与えられます。
2018年9月2日英語説教
だから宗教を追いかけるべきではありません
翻訳:Harry
聖書にこうあります。ヨハネの手紙第1の5章です。
「すべてイエスのキリストであることを信じる者は、神から生れた者である」
これはもう信仰宣言です。これが重要なのです。これが基礎であり出発点です。絶対の核心的基盤だというのです。ほんとうの本質、エッセンスです。人はその堅固な基礎から出発しなければなりません。聖書にもあったでしょう。
なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。(ロマ書10:10)
心は変えられ、義を見ます。義は神の義を見るのです。そして告白するのです。いまのカトリックのようにではありません。どこかの小児性愛者の餌食になるだけです。そういう告解のことをいっているのではないのです。ペンシルバニアでは大問題です。(訳注:米ペンシルベニア州のカトリック教会で300人以上の司祭が児童を性的に虐待したという信頼できる申し立てがあった)
教会が世界中で崩壊し始めています。邪(よこしま)で・・とくにトップが邪悪です。多くの多くの罪のない人の善いカトリックの平信徒がいます。通常のカトリック教会です。彼らも自分たちのカトリック教会に対する信仰が破壊されているのです。
終末には不真実なものはその場に居続けることができないのです。神様によって引きずりおろされるのです。神様がその覆い隠している覆いを引き裂くのです。
皆が知っているキリスト教の面影、名残りが壊れていくのです。人々を宗教を追い求めなくなります。国営の救済機関を求めないというのです。人は神様を求めるのです。神様を求める。これは重要なことです。カトリックという国(バチカン市国)、これは1人前の国です。これがもう救いを与えることがない。アーメンといってください。(アーメン)
まったく狂った、邪悪な、いまわしいヒエラルキーです。彼ら(バチカン)がアメリカを、世界を支配することを想像してみて下さい。これほど罪を犯しても平然と何もなかったことにできるのです。今も、もっと多くの罪を犯しながらそれを免れている。それが今、大幹部が、その罪を明らかにして、法王が辞めない限り、自分達は脱退するといっているのです。
(カルロ・)ビガノ大司教(訳注:ローマ法王庁(バチカン)の駐米大使を務めた)が告発したのです。ローマ法王に辞任を要求したのですローマ崩れ始めています。
もはや真のキリスト教、真のキリストを中心とした信仰ではありません。信仰が国営の信仰になりました。
だから宗教を追いかけるべきではありません。宗教的に形だけ清く行動しようと思ってはならないのです。それは神の願いではありません。
神様が神の子たちに願うことは・・・自分の子供を考えてみて下さい。子供たちが親の
縦的な心情的伝統と価値と完全に一つになり、立っているとしたらどうですか。あなたは慰められ、喜びを感じるでしょう。そういう心情の一体化、価値や文明の一体化、そこには大きな自由が存在することでしょう。
私の言っている意味がわかりますか。
自由があるのです。なぜなら安心してくつろげるでしょう!子供たちは悪魔じゃないのですから。子供たちは神の文明に所属しているのです。人によってそのレベルの高い、低いはあるかもしれません。しかし基盤があるのです。その子には自信と確実性があるというのです。心の奥の奥で、それが神の王国を実現しているとわかるのです。
基盤があるのです。同じ文明、同じ岩の上に立っているのです。そこに慰めがあり平安と喜びがあるのです。だからそのような心情で一つになっている子供たちを囲んでそんなに宗教的になる必要はないのです。ロボットか何かのように思ってはいけないのです。子供たちに自由に神様から与えられた個性を表現してもらいたい。
これがサタンに仕えていたら個性の発露は私たちに悲しみをもたらすでしょう。大きな悲しみです。なぜなら子供たち自身も自分がサタンに仕えているという自覚がないのですから。既存の教育システムに吸い上げられて、洗脳されて・・・。
いいですか、悪魔はとても利口なのです。若者を洗脳するシステムを現実のシステムを造り出すのです。社会主義、共産主義。それはサタン主義へと導きます。不道徳へと導くのです。
不道徳でも構わない、人のものを盗んでも構わない。気に入らない人間は国の力を使ってで殺せばいいと。結果としてそうなるということです。不道徳OK、邪悪でもOK。
それで、社会で頭角を現すことができるなら、出世できるなら構わないと彼らは言うのです。
たしかにこれは哲学的に若者を釣って、サタン主義者にするにはいい方法です。自覚なしに、サタンに「信仰告白」しなくてもなれるのです。彼らもそんなことはしません。
しかし彼らが従う文化・文明がサタン主義だというのです。神の国に反対する立場です。主権と王権、正義の王権、キリストの王権に反対する立場に立っているというのです。
翻訳:BAMBOOS
女性たちは理解しなければなりません。質の高い男性は必ずしもあなたに言い寄る方法を知っているとは限りません。彼らが犯罪者だと感じさせるようなこととは違います。
犯罪者に女性が引き付けられるようなことがあります。あなたに時間を与えず、あなたを尊敬せず、あなたを褒め称えることなく、あなたを乱用して去ると次の女性に移ってしまいます。そのような者に女性は引き付けられます。女性たちはそのような衝動に用心しなければなりません。非常に悪い衝動です。気を付けなければならない理由は、高い質の男性を見ることができなくなるからです。
あなたの心に求愛し何か感じさせるのが質の高い男性だと考えるのですが、それは間違っています。それはあなたの感情です。麻薬のようにあなたを欺くものです。麻薬を使えば何か感じますが、だからと言ってそれは自分にとっていいことではありませんね。砂糖を食べればいい気持ちになりますが、2 年も食べ続ければ130 キログラムとか180キログラムになってしまいます。糖尿病にも。いい気分になるのでそれがいいことであるというわけではないのです。
女性たちは賢くならなければなりません。聖霊に満たされた女性は賢くなければなりませ ん。ソロモンの知恵を持たなければなりません。エステルの知恵を持たなければなりません。あなたたちはやがて王妃となる誇りある女性です。内側の質を見なければなりません。単に 自分に特定の感情を抱かせるような男の子を追い求めてはいけません。非常に危険です。そ れらはプレデターなのです。プレデターがあなたに特定の感情を抱かせます。常に確かな識 別力を持たなければなりません。神様に識別力を求めてください。
第一に自分で自分勝手に考えてはいけません。あなたの子供たちには投票権があります。投 票権を持つのはあなただけではありません。子供たちにもどんな父親を持つかを決める投 票権があります。ですから夫のタイプについて考える時、祝福を受ける相手のことを祈る時、子供のことも考えなければなりません。ではどんな男性が良い父親になるのでしょうか。そ れは決してプレイボーイではありません。プレイボーイはあなたの心に働きかける方法を 知っています。あなたをベッドに連れ込む方法を知っていて、それからあなたを捨ててしま うだけです。
それは本当に感情的なことです。非常に感情的です。これを女性に話しても、彼女たちがこれを理性として分かっていても、その経験にぶつかると、信じられないことにその男のことを考えずにはいられなくなります。なぜなら自分たちのことを悪党のように扱うからです。どういうわけか彼のことが頭から離れなくなりますが、それこそまさしく彼がやっているごまかしです。というのもそれを分かっていてやっているからです。
彼のとりこになってしまい、いつも彼のことを考えて夢にまで見て、彼に対する欲望が高まるだけです。もちろん彼女たちに付け込み、利用しようという彼の欲望も高まります。そして体の関係を持ったら捨てられてしまいます。
女性たちは本当に気を付けなければなりません。賢い女性にならなければなりません。思考停止で愚かなままで感情に流される(訳注:よく聞き取れず推定)だけなら赤ちゃんと同じです。年齢に関係なく大人ではなく赤ちゃんだということです。賢く、識別力を持たなければなりません。神様は識別力を与えています。ですから神様のみ言は強力です。それは霊と魂を分けます。物事を分けます。あなたは善と悪を識別できるようになります。
注意しなければなりません。なぜなら感情に騙されるからです。感情は強力です。60パーセント以上が神経経路を通って脳の左か右から出てきますが、それは感情的なものです。脳がそのようにつながっています。脳の左右の半球の間の管にもっと大きくつながりがあるからです。ですから感情に対してもっと用心しなければなりません。
女性が破綻する原因は感情です。それを制御できなければ破綻の原因となります。男性にとっての破綻原因はセックスです。男性がそれを制御できなければ破綻します。ミニスターとか公的な立場にある場合特に重要です。男性ならセックスについて用心しなければなりません。あなたをやっつけるために人はお金を払い、売春婦にお金を払ってあなたを捕えようとします。セックスによってあなたを追求しようとします。それが男性の弱点だと分かっているからです。
女性の弱点は感情です。共産主義者もそれを知っており、社会主義者もそれを知っており、政治的サタン主義者もみなそれを知っています。感情が女性たち、姉妹たちの弱点です。それが資源となりお金になります。ただでお金がもらえるのなら、という話です。
「政府から10万円もらったとしたら・・・。自分の家庭は厳しい状況にあって、自分ではどうすることもできなくて、10万円あれば本当に助かるし・・・いいでしょう。他の人もやっているし」と言って、それがどういうことかと言えば、屈服してしまうということです。
しかしあなたはそのシステムについて考えたくありません。それは実際、非道徳的に銃を持って強制的に盗んでいるということです。部屋の中に銃を持った人がいて人に銃を向けて
「カネをよこせ」と言います。それを目に入れない限りはお金を盗んでいても平気だということです。しかし大きな象がいることを口にはしません。銃を向けてカネをよこせと言っている男のことです。その男は90パーセントを取ってあなたには小銭をよこします。それでもあなたは平気だということです。
それは悪です。不道徳です。しかしほとんどの女性はこれを経験するように訓練されておらず、それがどれほど悪いことかということについて訓練されていません。そのためそういった感情から身を守る道具を与えられていません。そして正当化が出てきます。「みんなやっているし、牧師が言っていたほど悪いことではない」「人を助けているんだ」「人に銃を向けて資産の90パーセントを盗んで10パーセントを配っている男のことは気にしないで、そんな人は存在しないのだ」「陰謀論者にならないで」と言って。どういう意味か分かりますか。注意しなければなりません。
この人たちは一体何を考えているのかと思うことが時々あります。西洋の若者ではなく韓国やアジアの若者のことです。彼らは全く違う所を見つめているのです。「自分の相対者には全く違う所に住んでいる人がいい」と言います。それは構いません。しかし(ここの)人々は王と一緒に訓練を受けていて、真のお父様、三大王権の文化に最も近いのです。それで彼らは倫理規約や道徳規約、文化的な規約を理解し、そのニュアンスと良識あるやり方を、外にいる人たちよりもはるかに深く理解するようになっているのです。その若者たちもおそらく良い若者たちでしょうが遠く隔たりがあります。この人たちはお互いに訓練し合っているので新しいものだとは感じません。
成功したいと思いませんか。幸福、喜び、財産、権力、権威、そして高い質の幸福を得たいと思いませんか。そうではなくてただ新しいものを願っているだけです。
その人がどこから来たか分かりません。海外の信仰的な家庭から来たのであれば良いでしょうが、それは分かりません。親が信仰的でも狂ったような子供の場合もあります。コカインを吸っているかもしれません。何が起きているか分かっていません。キングスレポートを1度見ただけで。フェイスブックの動画で誰かが言っていました。
政治のことも知らず、共産主義の悪さも知らず、政治家が搾取していることも知りません。 なんのことかさっぱりです。しかし親は信仰があるかもしれません。それが配偶者になるか もしれないのです。なぜ質に目を向けずに愚かにも真新しさと物珍しさに焦点を当てるの ですか。物珍しさに焦点を当てれば失敗します。物珍しさは高い質の保証人ではありません。物珍しさは新しいということです。
「新顔がいい。彼は新顔だ。彼はかわいい。私の感情を刺激する」。何という愚か者でしょうか。知りもしないのに。この若者たちには頭に来ることがあります。
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第1てサロニケの2章からです。一緒に読みましょう。
1:兄弟たち、あなたがた自身が知っているように、わたしたちがそちらへ行ったことは無駄ではありませんでした。2:無駄ではなかったどころか、知ってのとおり、わたしたちは以前フィリピで苦しめられ、辱められたけれども、わたしたちの神に勇気づけられ、激しい苦闘の中であなたがたに神の福音を語ったのでした。3:わたしたちの宣教は、迷いや不純な動機に基づくものでも、また、ごまかしによるものでもありません。4:わたしたちは神に認められ、福音をゆだねられているからこそ、このように語っています。人に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を吟味される神に喜んでいただくためです。5:あなたがたが知っているとおり、わたしたちは、相手にへつらったり、口実を設けてかすめ取ったりはしませんでした。そのことについては、神が証ししてくださいます。
さあ見てください。ですから重要なのです。ですから特に青年たちが訓練を受けていれば、彼らは私のことを知り、私が愛していることが分かり、私がわざわざ技能を授けているということが分かり、私が自分たちに投入し、愛していることが分かります。青年たち、それであっていますか。私が愛していることが分かりますね。
だからと言って君たちをおだてまくって、嘘をついているわけではありません。それでは愛していることにはならないからです。君たちがダメな時は本当のことを言いますし、良い時には良いと言います。それは私が君たちのことを気にかけていて、君たちが現実的になり、力強く本当の権威を持つようになり、また将来本物の力を保持してそれを扱うことのできる潜在能力を持つようになって欲しいからです。
しかし興味深いことに神様のみ言を語る時、時々励ましを感じるようになると、人はそれに夢中になります。前回の日曜礼拝のことを考えてみると聖霊が非常に強力に働いて、とても勇気づけられるみ言でした。しかし世界のコミュニティ全体が励ましに夢中になって欲しいとは思いません。なぜなら私はみなさんを一方だけに夢中にさせることはできないからです。
青年を訓練する時、「良くやった!」「トロフィーだ!」とだけ言うことはできません。彼らは一生懸命やらなくなります。怠けるようになり、実力はそうでないのに自分が上だと考えてしまいます。惑わされてしまうのです。それは彼らの罪ではありません。誰でもそうだということです。
ですから神様のみ言を扱う場合も同じことです。そのためリマは何が得られるか分からないので強力です。悔い改めなさいというとても力強い聖句が与えられるかもしれません。またあなたは悪と罪に満たされている、というようなエレミヤ書が出るかもしれません。旧約の預言書が出るかもしれません。イエス様がパリサイ人に毒蛇の血統だ、蛇、悪魔と呼ぶところが出るかもしれません。
絵にかいたように素晴らしい励ましの聖句だけが得られるわけではないのです。キリスト教は光となるとかいったような。ダイエットコーラみたいなものです。このコーラを飲むと太りませんが癌になります。アスパルテームが大腸菌の糞だということを知っていますか。実際それは糞なのです。あなたは糞を飲んで喜んでいるんですよ、おめでとうございます。ダイエットコーラは普通のコーラよりはるかに悪いです。コーラは悪いですが、ダイエットコーラにはアスパルテームが入っていて、それは糞です。
神様のみ言は嬉しいことだけ、励ます言葉だけを伝えているのではありません。私たちはバシッと叩かれる必要がある場合があります。君たちが訓練をしている時のことですが・・・インスタグラムでロッドオブアイアン・ミニストリーの写真を出してください。見てみましょう。今回の訓練で少し叩き合いました。今週やった人はどれくらいいましたか。手を高く上げて。
サブミッション(極め技)とレスリングの訓練をするだけでなく、今回はお互いの顔を叩くというストレスを加えています。これは非常に重要なことで、柔術では多くの場合、殴ることとその防御に慣れていないと行き詰ってしまうからです。王妃が自分の娘に殴られています。そして少し反撃しました。(手を叩いて)パン、パン、パンという叩く音が聞こえています。少し熱中してしまって数日顔が赤く腫れて、目の周りにあざができる人もいます。しかし重要な訓練の1つです。
次の映像を出してください。とてもかっこよく映っています。普通はただかっこよく見えるものは出しません。彼らは若いのでうぬぼれやスタイルにはまってしまい、ただかっこつけようとするだけになることが分かっているからです。それでは質が下がるので良くありません。
スローモーションでかっこいいですね。こういったことだけをすれば、彼らはうぬぼれに仕え、うぬぼれを糧にしてしまい、自分たちについてかっこよく見せるために偽ったところを出すようになります。するととても悪い人になってしまいます。
群れのリーダー、ボスの狼が群れのスピードを生み出します。ボス狼が、ボスライオンがスピードを上げることができれば、群れの他のライオンはそのペースについて行きます。ボスが間違ってゆっくり行ってしまえば、最悪の事態になって問題が起きます。ですから武士道の規範や騎士道の規範といった戦士の規範を学ぶことがとても重要です。それは若者が訓練を受けて高い質の指導者になるからです。アーメンですか。
完璧だということではありません。彼らは依然としてたくさんの罪と、立ちふさがる障害と戦わなければなりません。しかし彼らにはそれを克服するための道具が普通の人よりたくさんあります。彼らにはそういった華やかな映像もありますが、このような(顔を叩き合うことのような)現実のこともあります。これはそれほど華やかではありませんが、はるかに現実のことなのです。青年たち、アーメンですか。ジャンプよりももっと現実的なことです。この訓練の方がはるかに現実的です。
(略)
9:兄弟たち、わたしたちの労苦と骨折りを覚えているでしょう。わたしたちは、だれにも負担をかけまいとして、夜も昼も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えたのでした。
厳しい訓練は楽しいことではない場合があります。苦しい場合もあります。私たちは立ち上がって訓練し鍛えていますが、体が健康になるということばかりではなく、神様の命令(戒律)を実践しています。神様の最大の命令は神様を愛し隣人を愛するということです。すべての命令の元になっている最大の命令です。
心を尽くし思いを尽くし精神を尽くして神様を愛するということを理解するなら、隣人を愛するようになります。私たちが完璧で罪がないという意味ではありません。そういったことを目指して努力しているという意味です。この部屋に完璧な人は誰もいませんが、それに向かって努力しているということです。そのような超越した意味で、人間に全ての権利を与え、人間を自分の似姿として創造し価値を与えている神様を愛するという超越的な道徳として神様を愛すれば、自然と次の命令である隣人を愛するということになり、隣人を守ることを学び、それが子供に及び、妻に及び、夫に及びます。
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姉妹たち、結婚した時に夫を守ることが重要だということをどれだけ分かっているでしょうか。夫があなたを守るだけだと思っているのでしょうか。あなたも夫を守らなければなりません。姉妹たち、若い女性たち、アーメンですか。夫を守ることもあなたたちの責任であるということを知らなければなりません。あなたを守るのが彼の責任だとだけ考えないでください。彼を守るのもあなたの責任です。
夫のアノインティング(聖職者として任命すること。聖別すること)を守り、神様が与えた彼の立場を守り、彼が家庭の長となるようにし、家庭の長としての位置を尊重しなければなりません。なぜなら子供たちが反抗するようになった時、「私は神様のみ言に従います。自分の感情や他のことには従いません。ですからあなたも神様のみ言に従いなさい。私にはそう言う権利があります。私が神様のみ言に従っているかを見ればわかるからです」と言うことができるからです。
あなたは夫のアノインティングを守らなければなりません。夫のアノインティングを守らず、傲慢な女になり家庭を自分の前で支配しようとすれば、破壊してしまうのです。子供に悪影響を与えることになります。そしておそらく、ただ支配しようとするという意味で息子を抑圧して存在から台無しにしてしまいます。あなたが完全な支配中毒になってしまっているからです。
母親が支配者になろうとするような家庭はみなうまくいきません。男の子はみな抑圧されてだめになります。それともソイラテ少年になってしまうかです。それでどうやって共産主義に立ち向かおうというのでしょうか。どうやってこの世の力と権力に立ち向かうというのでしょうか。
あなたたちは夫のアノインティングを守らなければなりません。一家の司祭として守らな ければなりません。とてもとても大切です。なぜならそこから夫はあなたを守ることができ、子供も守ることができるからです。あなたが神様による夫の使命を守っているのを見れば、子供たちは神様によるあなたの使命を守ります。つまり子供に対して権威を持つというこ とになります。
しかし女性はこれを全く教えられていません。傲慢で自分勝手でナルシスト的になるように教えられていて、全て自分、自分、自分で夫は自分の召使いという具合です。そんな女友達と一緒に生活したいとも思わないくせに。どうして大人の男性がそんな風に生活すると思うのですか。特に彼らはテストステロンがあり戦う方法を知っているというのに。あり得ない!ふざけているのですか。
ライオンと生活しているのです。かわいいペットではありません。夫を尊敬しなければなりません。明らかに善良な大人の男性は妻を尊敬し、その役割を尊重し、神聖さを尊重しようとします。妻の話を聞こうとします。特に優しい心を持ったクリスチャンの男性が妻の話に耳を貸すのは驚くべきことです。やりすぎの場合があります。まじめに言っています。あまりにも話を聞きすぎることがあります。時々だめだと言うべきです。「愛しているよ。でもだめだ」と。
しかしまた同時に、配偶者と常に和解することを学ばなければなりません。自然の SWAT チームの立場があったとしても和解があれば、子供たちはそこでお父さんとお母さんの間に平和を感じることができます。自分たちのチームが分かり、お父さんが SWAT チームのリーダーでお母さんが SWAT チームの副リーダーだと分かります。
子供たちはお母さんの上ではありません。しかしあなたがいつも夫の上になろうとすれば、子供たちはあなたに挑んできます。そして「お母さん、私はあなたより上だ」と言ってきます。特に強い男の子の場合はそうです。ただし、あなたが息子から男性的な部分を、幼い頃から叩き出して奴隷にしようとする専制的なお母さんでない限り。(それを行うなら)あなたは悪い女性です。邪悪な、呪われた女性です。家庭を不幸に陥れています。幼い頃から大人の男性としての精神を抜き取っています。あなたは強く非難を受けるべきです。
強い男性の真価を認め、そのアノインティングを守ることができるのが強い女性です。なぜなら息子はあなたより強くなるからです。息子を抑圧し自分がもっと上で強力だと感じさせるようなお母さんは、質の低い者です。
息子が頭角を現し、力強い大人の男性になって、家庭のリーダー、起業家とビジネスのリーダーになって欲しいと思わないのですか。若い時から息子を踏みつけにしてそれを奪っています。あなたの言うことを聞かないからだと言いますが、それはあなたが神様のみ言に従わず、夫の権威を守らないからです。だから今あなたの権威は明らかに縮小しています。それでどうやって子供はあなたの権威を守ると思うのですか。夫にもそれをしないで。神様はあなたにそうしろと命じているのに。
みなさんが全員そのようだと言っているのではありません。しかし常に用心しなければならないのです。そのようにさせる誘惑があり、社会的な圧力があります。基本的に誰かを不正に利用しているのです。
心の優しいクリスチャンの男性、この人たちは良い人たちです。強い男たちですが良い人たちです。すると彼らは不正に利用されます。その男性が優しいので地獄が凍り付くまで彼を叩きのめすことができる、と考えるような悪い人にならないでください。いつか彼も切れてしまいます。ライオンを扱っているのです。大変なアナコンダを扱っているのです。いつか切れてしまいます。すると問題を起こしたのはあなただということです。優しい男性に会ったら感謝してください。優しい男性は強いからです。
ここにいる男たちを見てください。優しい男たちです。大きな熊のようですが優しいです。私も優しくてロマンティックな心を持っている人間です。ばかみたいに優しいです。私はラビイ(Lovey)と呼ばれていました。とても優しかったのです。超優しくなれます。そうい う性格です。13人兄弟の末っ子でした。超優しいのです。
しかし真実を伝えなければなりません。優しい男性を弱さと受け取らないでください。ここにいる姉妹たちはほとんどそうしませんが、それは彼女たちがもっと賢いからです。知恵があります。神聖な説教を聞いていて、偽の説教を聞いていません。私はここで真実を話しています。好むと好まざるにかかわらず、神様のみ言の現実に直面しています。そのために私たちは自分に対してもっと現実的になります。
優しい男性は弱い男性ではありません。優しい男性を見て怒鳴りつけるのはとても愚かな女性です。いつの日かそのライオンは切れます。あなたの王様をそのように不正に利用しないでください。いつかその男性は切れてしまいます。あなたの首を切ってしまうと言っているのではありません。彼を怒らせることになるということです。40代、50代でそういう理由から離婚した人はどれくらいいますか。
神様は、夫は無条件に配偶者を愛しするように言っていますが、姉妹は兄弟を無条件に尊敬するようにとも言っています。サンクチュアリのみなさんはほとんどがハイレベルな人たちだと分かっています。これを放送で聞いて必要としている人のために話しているだけのことです。
神様のみ言が自分の中に入りこまなければなりません。命を救うみ言です。自分の言葉を話しているのではありません。神様のみ言を話しています。足の話(訳注:運動靴で走ると足や膝を痛めることになり、裸足で走るほうが足に良いという話)を紹介したように、神様には基本計画があるのです。あのように走るのは正しい走り方で膝が守られるからです。神様のデザインが最高なのです。
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10:あなたがた信者に対して、わたしたちがどれほど敬虔に、正しく、非難されることのないようにふるまったか、あなたがたが証しし、神も証ししてくださいます。11:あなたがたが知っているとおり、わたしたちは、父親がその子供に対するように、あなたがた一人一人に 12:呼びかけて、神の御心にそって歩むように励まし、慰め、強く勧めたのでした。御自身の国と栄光にあずからせようと、神はあなたがたを招いておられます。13:このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです。14:兄弟たち、あなたがたは、ユダヤの、キリスト・イエスに結ばれている神の諸教会に倣う者となりました。彼らがユダヤ人たちから苦しめられたように、あなたがたもまた同胞から苦しめられたからです。
キリストに命を捧げる時、最初は重荷のように感じる場合があることを私は知っています。それは他の人たちが、神様があなたにばかなことを押し付けていると決めつけようとするからです。特に友人たちです。用心しなければなりません。
神様があなたを召命する時、ある贈り物を与えてくれます。友達が持たないある強み、弱みです。君たちはここで一緒に訓練を受けていても、大人になって様々な業種や市場、事業、あらゆる種類の分野へと広がっていくかもしれません。できればそういった分野に入って、それらの分野の側面がつながっていれば、ここで築いたこの尊い兄弟姉妹の関係に感謝することができます。このように近い関係で訓練を受ける時がいつあるでしょうか。普通の世の中の生活では決してありません。
しかし神様が呼ばれる時、中には圧力を感じたくない、祈る時に祭壇まで出たくないと思う人もいます。見せびらかすためにしないでください。心からの偽りのないものでなければなりません。心の中で信じていなければなりません。
細かなことまで全ての答えが出ないかもしれませんが、自分の命をキリストに捧げたいと いうことは分かっているのです。そうしたいと分かっています。それは本当に尊いことです。なぜならその種が・・・からし種が大きな木になって・・・それが自分の人生で山を動かす ものだからです。その1つの種。あなたが行った1つの宣言。
あなたは過ぎていく日だと思うかもしれませんが、その日を決して忘れるべきではありません。
尊い祝福の子女であって堕落していないとかいった話をします。しかし考えてみれば同時に、家庭連合でこういう状況があります。非常にたくさんの「堕落していない」、つまり結婚前に姦通を犯していない祝福子女が「祝福」を受けますが、彼らは全くの異教徒なのです。神様を信じておらず、お父様を信じておらず、イエス様を信じていません。イエス様をゼウスか何かのように扱っています。馬鹿げた話です。
血統を持っているからと言って救われているということにはなりません。神様は血肉だけを求めているのではありません。神様は心情と霊も求めています。そしてそれはとても重要なものです。
君たちのレベルは比較的高いです。血統を持ち、肉体を持ち、相続したものがあります。しかし同時に神様は君たちの心を求めています。誰にも見せずに隠している心です。世の中から隠しています。友達にも誰にも話しません。近くにいる人は誰もがそれから退散して隠れてしまいます。それが神様の求めるものでありあなたが誰にも見せないものです。意図的に隠されています。最も深いところにある願望です。それを神様は求めています。あなたがそれを捧げることに関心を持っておられます。なぜならあなたがそれを捧げる時に、神様もあなたにその最も深いものを与えるからです。交換できるということです。創造主の中核的な物をあなたに与えることができます。
我々は何か曖昧だというようなことを言いますが、それはあなたが内なる働き、内なる願望をまだ隠しているので全てが曖昧なのです。ですから見せびらかすためにしないでください。圧力からやらないでください。つまり他の人がやっているからとか、そういう理由で祈りたいとか祈って欲しいというように。祈りを受けたいと思うのは素晴らしいことです。明らかに神聖な人々はあなたのために祈りたいと思います。またあなたも他の人のために祈りたいと思うべきです。
大人は遠慮せずに青年たちに自分のために祈るように頼んでください。アーメンですか。自分の方が年上だから私だけがあなたのために祈ることができる、と決めつけてしまうことがあります。そうではありません。自分より若い人に祈って欲しいと頼まなければならない場合があるのです。アーメンですか。
私たちも威張った態度はできないのです。私たちも青年たちに祈ってもらう必要があります。ですから私はこの青年たちに「私のために祈っているか」と尋ねます。頼みませんでしたか。私のために祈っていますか。私は君たちのために祈っています。君たちは私のために祈っていますか。責めているのではなく質問しているだけですよ。ほとんどの人は二代王のために祈っていないのですね。おそらくそうでしょう。
私のために祈ってください。それは私にとって意味のあることです。君たちにとっては何の意味もないかもしれません。この年頃にとって祈りは意味が全くないか、ほとんどないからです。しかし私にとっては大きな違いがあります。私が訓練している子たちが私のために祈っていると知れば、大きな違いがあります。
ですから親が子供に自分たちのために祈るよう頼むこともとても大切です。小さな子供でもあなたのために祈ることができます。神様は祈りの力を与えています。祈りとは何でしょうか。それはハリー・ポッターが宇宙にかけようとする魔法の呪文のようなものではありません。それは祈りではありません。仏教のマントラのようなものではありません。繁栄がもたらされるようにという願いでもありません。「南無妙法蓮華経」のような。
祈りは力であり、神様が私たちに与えた武器でもあります。その目的は霊的な戦いをすることであり、神様が聖なる戦い、聖なる軍隊に招集した人々を守ることです。ですから私のために祈る時は、その祈りで私を守っているようなものです。
ジェダイの映画を想像して見てください。あなたの祈り、魂と思いを込めた願い。それが「フォース」の場のように私のまわりにきて助けてくれます。分かりますか。
男の子たち、君たちの年齢で祈りが力だということを理解していますか。1度祈ったらハドソン川が真っ二つになるとか、大西洋のクジラが全部浮かんでくるとかそんな話をしているのではありませんよ。私が話しているのはあなたの祈り、いたわり、心のことです。
親のために祈りなさい。君たちに頼まないならもしかしたら頼むのを恐れているのかもし れません。私には分かりませんが。自尊心が強すぎて頼めないのかもしれません。もしかし たら、余りにも日本人的、韓国人的すぎて子供に祈りを頼まないということかもしれません。いいでしょう。では君たちが祈ってあげなさい。それを克服できるように(笑)。
若い子供は親のために祈るべきです。うその祈りをする必要はありません。「お父さん、僕はお父さんのために3時間半祈ったよ」とか。そんなことをするようには言っていません。見せびらかしは止めてください。
「先週あなたのために10時間祈りました」などと言いに来ないでください。多分ありがとうとは言うかもしれませんが、見せびらかすのは止めなさいというのです。私ならこう言います。私のために祈ってくれるのであれば、心のこもった本物の祈りであれば1秒か2秒でいいです、と。「私はこの間抜けたちよりも優れている」と言うために目立とうとして10 時間のインチキな祈りをするよりも、もっとうれしく思います。
そんなことはしないでください。それは偽物です。それでは宗教です。パリサイ派がやっていたことです。本物の、心からの祈りをしたらどうですか。例えば「二代王が神様に任せられたことで本当に成功して欲しいです」と。そしてアーメンとイエス様の名前だけです。心のこもったものであればそれは私にとって尊いものです。全ての人にとって尊いものです。私が君たちのために祈る時に、君たちは私があなたのことを大事に思うよう自分が納得するために13時間祈る必要はありません。
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我々は全員がアノインティングを受けるわけではありませんが、明確な方法で取り組みます。神様の霊が届いたらその人はそれを神様と共にやり遂げる必要があります。神様との時間が必要なだけです。神様と共に過ごす時間だけなのです。その人の人生に何が起きているかは分かりません。彼らの内側に隠されていて共有されていないことについては全く見当が付きません。
彼らは深刻な危機に直面していたかもしれません。だから神様のタッチ(触れること)が必要なのです。克服するためにそのタッチを必要としており、神様と再接続する必要があります。それは私でも、あなたでも、彼らのために祈る誰かでもなく、必要なのは神様のタッチなのです。アーメンですか。
私に頭を叩かれる必要はありません。みなさんに高く引き上げられ、癒しを行っているような様子を見せる必要もありません。違います。必要なことは神様の働きの道具となろうとすることだけです。すると神様は彼らのために祈り、手を当てている人を通してその人にタッチすることができるのです。
それは神様が集中的な手術を行う必要があるためかもしれません。その人に手術が必要でがんを取り除く必要があるのかもしれません。肉体のことを言っているのではありません。肉体の癌である場合もあるでしょうが。
奇跡的な癒しがありました。チーフは肉体の癌が癒されました。神様は超自然の癒しを与えます。さあそのことについて神様を賛美しましょう!チーフは医者の出した診断書を持ってきました。彼が証しをしたのを見たでしょう。
しかし他に心の癌に取り組んでいる人もいます。とても大きな心の傷を何とかしようとしています。子供にも誰にも話しません。彼らが取り組んでいることをみなさんは知りません。人々を見て、神様が働いているのを見る時、我々はただ彼らがその領域で神様と共にやり遂 げられるようにしてあげなければなりません。ただ神様に彼らをタッチしてもらい働いて もらうだけです。
自分のためではありません。「あの人はそれをしなかった」「あの人は大声で叫ばなかった」
(と言いますが)、死体のように静かである場合もあり得ます。そして神様は手術をしています。大声で叫ぶ人もいます。神様の霊が届くと異言を話すことがあります。笑い出すこともあります。それは分からないのです。しかしおそらくそれがその人の必要としていることなのでしょう。
内側から大きな笑い声を出す必要があったのかもしれません。余りにも日本人的であったり、韓国人的であったりして、頑固であったのかもしれません(笑)。発散する必要があったのかもしれません。
霊の贈り物が与えられ、アノインティングの贈り物が与えられる時、神様の霊が働くように、彼のする通りにさせてください。その人を裁かないでください。神様が働いていることをた だ喜びましょう。キリストを中心としており、イエス様を中心としているからです。再臨さ れたイエス様を中心としたものです。
神様の霊には力があります。我々が見ることのできない力です。神様が人に働く必要がある時はそのようにさせなければなりません。神様が働くままにしなければなりません。神様の霊が来る時は神様が働くままにしなければなりません。ハレルヤ。
神様が人々に与えたいものは、何であるか知る必要がない場合があります。しかしそれは彼らがまさに受ける必要のあるものなのです。
目を閉じて頭を下げてください。神様の霊はとても強力です。目を閉じてください。誰にも圧力を感じて欲しくありません。神様の霊はとても強力です。
(聖霊の役事中の祈祷)
今までに自分の人生をキリストに捧げたことがないのであれば・・・。ここで私たちと行うのは初めだったかもしれません。質問させてください。もし今日があなたの死ぬ日であったなら・・・もしかしたら家に帰る途中で交通事故に遭うかもしれませんし、大変なことが起きて今日死ぬことになるかもしれないのです。
あなたは自分が救われたという確信がありますか。今夜息を引き取るとしたらどこへ行くでしょうか。永遠に神様と離れてしまうのでしょうか。もしかしたら神様を避け逃げてしまうのでしょうか。もしかしたら神様を心の中で拒否して自分の心を神様に捧げないのでしょうか。決して服従せずに。
もしかしたらその機会を与えられなかったのかもしれません。今日がその日です。聖書では天国に到達することはできるし、地獄は避けることができると言っています。その永遠の離別から抜け出す道があります。それはあなたの人生をキリストに捧げることです。
あなたもその範疇に入るのであれば今日あなたのために祈ります。またあなたがこの場所に来て、誰もあなたの状況について知らないのなら・・・もしかしたら体の中に腫瘍があるかもしれません。あなたはかつて神様に対して火のように熱かったのに、心が冷たくなり疲れてしまっているかもしれません。
聖書でイエス様は、「私のもとに来なさい。・・・わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い」と言われています。だから私たちが自分を主に捧げる時、その重荷は除かれて、軽く、しかし強いくびきが負わされます。それがあなたであり、私たちはこの祈りにあなたを含めたいと願っています。
もしかしたら最近心の傷になるような出来事があった人がいるかもしれません。災害や自動車事故かもしれません。急病かもしれません。医者があなたに何か悪い知らせをしたかもしれません。もう回復しない、死んでしまうといったことを。神様は私たちの医者であり、神様は究極の治療者です。神様に最終決定権があります。
それは突然の状況で大きな変化かもしれません。トラウマやほとんど危機的な状況。親友の裏切り、失業。何であれ神様は知っておられます。私たちは知りません。人間には分かりませんが神様は知っておられます。あなたがその範疇に入るなら私たちはあなたのために祈りたいと思います。
最後に悪魔があなたを悩ませている場合です。悪魔がキリストによるあなたの救いを疑わせ、キリストとのつながりを疑わせようとしているなら、あなたのために祈りたいと思います。このような範疇に1つでも当てはまるなら、目を閉じて手を高く上げてください。人には見られません、圧力はありません。下ろしてください。
キリストに対する献身をみなさんと一緒に告白したいと思います。キリストに対する真の愛を持って、この祈りを唱えたいと願うのです。全員立ちましょう。手を挙げた人は前に出て。あなたのために一緒に祈りたいと思います。
あなたの人生をキリストに捧げることは人生で画期的な出来事です。再び献身することも画期的な出来事です。あなたが経験しようとすることはあなた以外誰も知りません。誰も知らず、私も知らず、彼らも知りません。牧師も知りません。司祭も知りません。神様だけが知っています。今日あなたと祈りたいと思います。
右手を天に向けて上げてください。そこからあなたの祝福と救いが来ます。私たちは告白し、神様に屈服します。今日はあなたの日です。明日でも昨日でもなく今日です。今日があなた の解放の日です。今日はあなたの解放の日です。非難と恥からの自由です。私と一緒にこの 祈りを唱えてください。
お父様、私たちはあなたの尊い息子であるイエスの名においてあなたの前に来ました。あなたのみ言にはこうあります。もしイエス・キリストが私の主であり救い主であり、死人の中から蘇ったと心に信じ受け入れるなら、私は救われるのだと。
今日私はキリストが私の主であり救い主だと告白し受け入れます。そのみこころに服従します。そして彼が死人の中から蘇ったと信じます。私を新しくしてくださり、私を満たしてくださり、私を用いてくださり、清め洗ってください。私を二度と以前と同じにしないでください。今日は私の解放の日です。
神様のみ言では、私たちは次の告白もすべきだとしています。一緒にしましょう。
私は告白します。イエス様は肉体を持って来られ、キリストは肉体を持って来られました・・・罪人を救うために。私は世の中から離れ、罪に背を向け、イエス様、あなたに従います。私は王国まであなたに従っていきます。私の人生をあなたに捧げます。
あなたは私の治療者です。あなたは私の救い主です。あなたは私を自分自身から、また悪者のたくらみから救ってくれる方です。神様、この日私を用いてください。この日あなたのみ言で私を満たしてください。今日私に火によって洗礼を与えてください。あなたのために私に火をつけてください。
私に国々を揺さぶるようにさせてください。私に町々を揺さぶるようにさせてください。私に世界を揺さぶるようにさせてください。自分の栄光によってではなく、あなたの恩寵によって、またあなたの栄光のために。すべての賛美と栄光と称賛をあなたに捧げ、イエスの名によって祈ります。アーメン。そしてアージュ、それは私が所有するという意味です。
_______________________________________遺伝罪恨霊解怨、傍系解怨については、感謝できる方のみお問い合わせ下さい。》
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