カインとアベル、愛仲屈通摂理の起源
2026年1月7日 テネシー清平韓国語水曜礼拝
「カインとアベルの闘争の歴史の終結」<1>
權寧畢(クォン・ヨンピル)牧師
翻訳minio 監修fanclub
テネシー清平韓国語水曜礼拝한국 수요예배 01 07 2026
こんにちは。新しい年が始まりました。今日は新年最初の礼拝となります。
2026年、今年一年、皆様が最も幸せで、万福を、神様と真の父母様の愛を多く受けられますよう、お祈り申し上げます。ありがとうございます。
アダム家庭復帰摂理のカインとアベル
本日の礼拝の御言の題目は「カインとアベルの闘争の歴史の終結」です。
アダムは神様の創造理想を実現する人として造られましたが、サタンと一つとなって堕落しました。
神様の御言を失い、サタンの奴隷となりました。
アダム家庭には、神様の創造と堕落と復帰がすべて含まれています。
アダム家庭を見たら、神様の創造理想を知ることができ、堕落とは何かも知ることができます。そして神様が復帰摂理をアダム家庭から始められたため、復帰摂理も含まれています。
神様がメシアを遣わして堕落した人間を救われるという復帰摂理のみ旨は、堕落直後から立てられました。
したがって神様がメシアのための基台を立てる摂理も、アダム家庭から始まったのです。
復帰摂理の究極的な目的は、本然のアダム家庭を探して立て、創造理想を実現することです。
したがって、この地上にメシアが来られる目的も、アダム家庭を再び探して立てることです。
ゆえに復帰原理を知るためには、アダム家庭を確実に知らなければなりません。アダム家庭を知ることができなければ復帰の道を行くことができず、復帰摂理はそれだけ延長されます。
復帰摂理がどれほど延長され繰り返されても、創造本然のアダム家庭を探すことが出来なければ終わりません。
堕落人間が創造本然の人間として復帰するためには、メシアを迎えなければなりません。神様がメシアを堕落世界に送られるためには、まずメシアのための基台が立てられなければなりません。メシアのための基台がなければ、サタンが支配する世がメシアを攻撃して殺してしまいます。
だから人間がメシアのための基台をまず立てなければなりません。
キリスト教では神様は全知全能の方だから何でもできると信じていますが、堕落世界は神様に逆らうサタンが支配しています。
したがって、地上にメシアを保護することができる基台が作られて初めて、メシアを遣わされるのです。
アダム家庭においてメシアを迎えるために立てなければならない条件は何でしょうか?
これを理解するためには、本来アダムとエバが立てるべき条件が何であったかを分からなければなりません。
救いの摂理とは、神様が思うとおりに救いたいと思えば救うことができるのではありません。神様が人間を救いたくても、サタンが手放さないのです。サタンが人間を条件的に掴んでいるため、サタンがその条件を人間が解くことができない限り救うことはできません。
堕落とは神様の言葉に背き、サタンの誘惑に従ってサタンが人間の主人となったことです。
したがって救いとは、蕩減復帰摂理です。
蕩減復帰は堕落の反対経路を通じて条件を立てなければなりません。
メシアを迎えるために、人間自らが信仰基台と実体基台を立てなければなりません。
信仰基台は、神様の御言を信じ従うことで、御言から離れたものを蕩減復帰することです。
実体基台は、人間が絶対性の為に神様に侍る実体となり、サタンを自然屈服させることです。
しかしアダム家庭において、信仰基台の中心人物はアダムでなければならなかったのに、アダムがなることができないで、代わりに次男アベルが中心となり、神様の前に供え物を捧げました。
神様は本来、アダムに御言を与えました。しかしアダムは神様の御言を信じて実践し、御言の実体とならなければなりませんでした。しかし彼は御言を不信して御言の実体になることができませんでした。
それがアダムが中心人物になることができなかった理由です。
もしアダムが善悪知る木の実を食べてはならないという御言を絶対に信じて守っていたなら、アダムは絶対性において神様に侍る聖なる聖殿となっていたでしょう。
ところが御言を失ったため、アダムは万物よりも劣った立場に落ちました。
それゆえ万物を前に立てて燔祭を捧げることで、神様の前に出て行く復帰の道が始まったのです。
アダム家庭においてアダムが中心人物になることができない理由は次の通りです。
・第一に、アダムは堕落して神様とサタンという二つの主人に相対する非原理的存在となりました。神様は善の本体であるため、善の実体のみに対することができます。しかし堕落したアダムは二つの主人に仕えることになったため、神様と直接対することができなくなりました。
・第二に、アダムは責任を転嫁したため中心人物になることができません。責任を負う者は主人になりますが、責任を転嫁すれば僕になるのです。エデンの園でアダムとエバ、そして天使長ルーシェルの三者すべてが堕落しました。
しかしアダムは堕落の責任をエバに転嫁し、エバは蛇に責任を転嫁しました。
もしアダムとエバのうち一人が、自分が責任を負うと宣言していたなら、神様の復帰摂理はアダム家庭で完成していたでしょう。
ところがアダム家庭の中心であるアダムとエバが共に責任を回避し、サタンに転嫁してしまったのです。
結局、僕である天使長ルーシェルが堕落世界全体の主人となってしまったのです。
アダムが責任を回避したため、アダムは中心人物になることはできません。
堕落したアダムは善悪の母体となりました。
神様はアダムを創造した創造主として、サタンはアダムを堕落させた主体として、アダムに対する権利を主張することができます。
したがって神様が中心存在を立てて役事するためには、善と悪の中間位置にいるアダムを裂いて、善悪を分立しなければなりません。
しかし堕落したアダムを二つに裂いたらアダムは死んでしまいます。そこでアダムの代わりに二人の息子を分立して役事されるのです。
二人の息子を分立する方法は、エバの堕落経路に従って善の側と悪の側に分けて摂理されます。
エバの最初の堕落は、僕である天使長ルーシェルと一体となった堕落です。
エバの第二の堕落は、神様が組み合わせてくださった本来の相手であるアダムと一体となった堕落です。
それゆえ兄カインは、最初の堕落を象徴するサタン側の存在として立てられました。
そして弟アベルは、第二の堕落を象徴する神様側の存在として立てられました。
それゆえ神様の救済摂理において必然的にカインとアベルの善悪分離の歴史が現れるのです。
このように天が対応できるアベルと、サタンが対応できるカインに分かれて摂理を行わざるを得ませんでした。
それゆえサタン側のカインが神様側のアベルに屈服することによって、本来の立場に戻ることができるのです。
したがって復帰摂理史において長子と次子の闘争の話し続いて現れることになったのです。
このような理由からカインは復帰摂理において必然的に登場することになったのです。
すなわち神様が対することができない立場にある堕落したアダムの代わりにカインを立てて摂理をなさったのです。
したがってカインは常に神様から愛を受けることができず、疎外される立場に立たされることになったのです。
彼が行くことが出来る道はただアベルを通してのみ天の前に行くように予定されていたのです。
これは神様がカインを憎んでその地位に立てたのではありません。堕落によって死んでしまったアダムを生き返らせるための仕方のない復帰の公式になったのです。
愛仲屈通の道
サタン側では長子カインが、神様側では次男アベルに愛仲屈通しなければなりません。
すなわちアベルを愛し、アベルを仲保として立ててアベルに屈服し、アベルを通して神様に出て行くことができるのです。
それは天使長がアダムに愛仲屈通できなかったことを、カインがアベルに愛仲屈通することによって堕落性を脱ぐ蕩減条件を立てなければならないのです。
それゆえカインはアベルを通して神様に出て行くことによって、堕落によって死んでしまったアダムを復帰することができます。
愛仲屈通の道は、堕落によって死んでしまったアダムを生かし、同時に、神様の心情を解放するためにカインに任された道です。
堕落した人間が神様から愛されず捨てられる立場で、むしろ神様を愛し、それも弟を通じて神様に出ていかなけれならないことは、実に困難なことです。
神様の愛を受けていたアダムとエバが神様の言葉を背き、堕落の道へ行きました。
それゆえ神様はアベルを無条件に愛し、カインは無条件に捨てられる立場にならねばなりません。
この立場においてカインはアベルを無条件に愛し、屈服することによって神様のもとへ帰ることができるのです。
皆さん、この道は容易な道ではありません。数千の道の氷壁を素手で掴みながら這い上がらねばならない道です。
自らを数百回否定し消してしまう立場で立たなければならない道です。
一度ではなく運命として受け入れ、生涯行かねばならない道です。
死んだ父を生かし、神様の心情を解怨する道はこの道しかないからです。
カインがこの原則を理解したなら、どんなに理不尽でも耐え忍び、克服し、アベルを無条件に愛さねばなりません。
しかしアダム家庭では、アベルは信仰基台は成功したものの、カインがアベルを殺害したことで実体基台は破壊されてしまいました。
アベルは、神様が自分の供え物だけを受け入れたとカインの前で自慢したり、慢心したりしては絶対にいけません。
アベルは柔和謙遜な心を持つ事で、カインの寂しい心を慰め、兄を尊敬すべきでした。ア
ベルは神様から受けた愛と神様に対する自己の愛を合わせてカインを愛さなければなりません。
これがアベルの成さなければならない責任です。
しかしアベルはカインの前でそうすることができませんでした。
結局、怒ったカインは弟アベルを石で打ち殺してしまいます。カインにとって天国へ通じる道は、ただアベルだけでした。アベルが失敗すれば、カインが天国へ行く道も塞いでしまいます。
私たちが明確に知らなければならないことは、アベルは神様のみが干渉することができるということです。
カインとアベルはどちらもアダムの息子ですが、カインをサタンの側に立て、アベルを神様の側に立てたのは、彼らが善悪によって分かれた長子と次子だからです。
アベルに原罪がなく、善において神様の側に立てられたのではありません。アベルはアダムを代身した神様の息子の立場です。それゆえ神様が相対されるのです。
アベルを選ばれた方も神様であり、アベルを立てて責任を与えられた方も神様です。
ですから神様以外には誰もアベルに対してあれこれ言う事はできません。
信仰生活を送る方々のなかには、絶対中心に対してこうしてほしいああしてほしいと要求する人々がいます。
このような行動は本来の法度に反します。
絶対中心が事を受け入れないと、無視されたと思い、寂しい思いをして去っていく人を多く見てきました。
したがってカインの立場にある私たちは、中心に対して原理を守らなければ躓きません。
神様がアベルを立てられたのは、アベルが優れているとか正しいとか能力があるからではありません。
復帰摂理の目的が、本来のアダム家庭の秩序を探して立てなければ、創造理想を実現できないからです。
一方カインはアベルと絶対的に一つにならなければなりません。
アベルに対して愛の減少感や寂しい思いを抱いてはなりません。
カインは絶対的にアベルに対して命令したり干渉したりしてはなりません。
カインはアベルを通して神様の前に出て行くという事実を肝に銘じなければなりません。
このようにカインとアベルの分立による長子権復帰摂理は、それほどまでに進むのが困難な路程です。
カインとアベルを通しての復帰摂理の歴史が六千年間完成されなかった理由がまさにここにあります。
復帰摂理の歴史において、カインとアベルが一つとなった歴史は実に困難でした。
アブラハム家庭のヤコブとエサウ
カインとアベルの闘争において、初めて天の側であるアベルが勝利したのはヤコブです。
エサウとヤコブが一つとなる過程は、聖書の中で最も劇的で感動的な場面です。
ヤコブが帰ってくるという知らせを聞いたエサウは、400人の壮丁を率いてヤコブを殺そうと計画します。
ヤコブが兄の祝福権を奪ったため、エサウが復讐しようと待っていることを考え、ヤコブは恐怖に陥ります。
ヤコブは天の前に切に祈ります。「どうか私を兄の手から救い出してください」。ヤコブは山羊と羊数百頭の家畜と家族を先にエサウに送り、心を和らげようとしました。
その夜、ヤコブは独り残り、ヤボク川の渡しで神様の御使いと一晩中格闘しました。
御使いはヤコブに勝つことができず、ヤコブの要求通り祝福を与えました。
創32:28 その人は言った、「あなたはもはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。あなたが神と人とに、力を争って勝ったからです」。
日が明けると、ヤコブはエサウが来るのを見て、七度も地にひれ伏して言いました。
創32:10 あなたが喜んでわたしを迎えてくださるので、あなたの顔を見て、神の顔を見るように思います。
この言葉は単なる兄に受け入れてもらうため機嫌取りではありません。
霊的な試練を通して変えられたヤコブが、兄との関係回復を神様の恵みとして受け入れたことを示す感動的な告白です。
エサウはヤコブを殺そうと21年間、剣を研ぎ、鋤を研ぎながら待ち続けました。
しかしヤコブが兄を尊び、自分の全財産を贈り物として捧げたとき、エサウは弟を抱きしめて赦し、一つになったのです。
この出来事はカインがアベルを殺してから約2000年の時を経てようやく実現したものです。
初めて成し遂げられたカインとアベルの和解でした。
これによりメシアのための基台が勝利的に立てられました。
エサウとヤコブが一つになった後、ヤコブの子孫たちは大いなる民族を成し、約束の地に入ってメシアを迎えることになります。
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