DP Lecture led by 3rd King 07/07/2024 (rumble.com)
文信俊三代王による原理講義 Part 2:2024年7月7日
Divine Principle Lecture 07/07/2024
「文信俊三代王による原理講義 Part 2 (20240707)」
20240707 DP Lecture_2 led by 3rd King 07/07/2024
皆さん、こんにちは。 来て下さり、ありがとうございます。
簡単な祈りから始めたいと思います。
親愛なる天のお父様、私たちが集い、あなたの御名を礼拝し、原理講論によって明らかにされた聖書の中の隠された本質的な真理について学ぶことのできる、この日、この美しい日曜日をお与えくださったことに感謝申し上げます。
私たちが皆、あなたの御前に謙虚であることを、そして、あなたが全人類に、特にメシアを受け入れる新約聖書時代の基台を持ったクリスチャンにもたらされたあなたの御言葉に、心から浸ってほしいと願います。
私は、今日起こるすべてのこと、このささやかな講義、そして、二代王様が与えたいと願われるメッセージ、すべてをあなたにお捧げできますよう願います。
すべての讃美と栄光と誉れをあなたにお捧げ申し上げ、ここに集う私たちすべての名において、そして、三代王権の御名によって、お祈り申し上げます。アーメン、アジュ。
ありがとうございます。
私たちは今日、第二祝福を学びます。
第一祝福の復習をします。
前回の復習を簡単にしておきましょう。
なぜ私たちが創造原理を学んでいるかというと、それは原理講論の最初の章のようなものだからです。
なぜ勉強するかというと、神の本来の御計画や青写真を理解するために必要だからです。
私たちは、どうすれば元の状態に戻れるのか理解できますか?
そして、第二祝福と第三祝福について、さらに詳しく見ていきましょう。
第一祝福において、神は常に究極の主体として存在されます。
私たちの天の父として、神は男性的な特性と女性的な特性の美しい調和でありながら、究極の主体として、私たちにとって天の父として立っておられます。
ですから、神は私たちにとって、究極の主体であられます。
心は、理想的には、体の上に主体として立っていることもわかりました。そうですね。
(ホワイトボードに絵を描かれながら、私の絵の腕を許してください。)
心と体は理想的には心を中心に回っています。
心は体に対して絶対的な主体として立つべきもので、そうして初めて真の実を結ぶことができるのです。
人類に対する神の第一祝福は、実を結ぶことでした。
「生めよ、ふえよ、地を従わせよ。」 創世記1:28 ですね。
3:32 自筆の絵_1
「生育せよ(実を結ぶこと)」、それは、私たちの心と体を絶対的にひとつにすることができたときだけであり、その時、私たちが神の王国のために実際に実をつけることができるのです。そうですね?
ですから、心と体を一つに調和させる必要があるわけです。
それが、生育する(実を結ぶ)ことの本質であり、心と体の一体化なのです。
私たちは、新しい種類の結合体が形成されるのを見ました。
分子のレベルでさえも。
原子核があり、その周りを電子が回っていれば、新しい何かが形成され、それが原子です。
ですから、結合の結果として、新しい何かが形成されるのです。
心と体の一体化、それが真の人間です。
4:18 自筆の絵_2
真の人、
このことについては少しお話ししましたが、それはキリスト教神学において、東方キリスト教では
「テオーシス(Teosis神化/神成)」が、また西方では完全な「聖化(Sanctification)」が優位です。
そして、これが創世記1章28節の第一祝福「生めよ=実を結びなさい」です。
なぜ、私たちはこのことを知らなければならないのでしょうか。
例えるなら、エンジニアが家を建てるようなものだからです。
4:50 自筆の絵_3
エンジニアが家を建てるようなものです。しかし、竜巻がやってきて家を壊してしまいました。
そして、それが壊れてしまった、それが 「堕落」に象徴されます。
これが神の本来のモデルでした。
これは神の最初の計画でしたが、実現されませんでした。
しかし、何か悪いことが起こったとき、それが堕落であり、そのように家は壊れてしまいました。
本来のビジョンが何であったかを振り返る必要があります。
この家を再建するためには、神が何を創造しようとされていたのか、その原初のビジョンを見る必要があります。
ですから、私たちは、神の本来の枠組みや青写真を知る必要があるのです。
以上、非常に簡単な復習でした。
では、第二祝福に移りましょう。
第二祝福は、「ふえよ」です。
5:51 PPT_1
私たちは個人としてのみ生きるように創造されたのでも、デザインされたのでもありません。
私たちは家庭の中で、社会の中で、そして世界の中で、愛を繁殖するように意図されています。
6:02 PPT_2
神から与えられた第二祝福は、神の真の愛によって調和された家庭を築くことにより、私たちの愛を広げるポテンシャル(可能性、潜在力、将来性)です。
個人として霊的、肉体的に成熟した後、私たちが異性のパートナーと調和して結ばれるとき、私たちはまだ完成中です。
結局のところ、神は男性性(陽性)と女性性(陰性)の美しい統合体なのです。
ですから、夫と妻がひとつになれば、神の本性をより完璧に体現することができます。
なぜなら、私たちは前回、神は男性性(陽性)と女性性(陰性)の統合体であることを学びました。
そして、これはちょっと横道にそれますが、聖書で同性愛が罪とされているのはこのためです。
キリスト教の思想やユダヤ教の思想では、神が同性愛に反対するのは恣意的な感じがします。
無作為な感じがします。
でも、これはほんとうに小さなことだと思いますが、
しかし、原理が言っているのは、同性愛は根本的に神の本性と矛盾しているということです。
神は男性性(陽性)であり女性性(陰性)でもあるからです。
神はアダムとエバを創造しました。
というのが一般的ですが、そうですね。
そしてまた男性性である男は、頭として主体的な立場に立ちます。
2つの主体を持つことはできません。
神に喜びと美をお返しするためには、主体と対象が必要です。
ですから、それは根本的に創造原理と矛盾します。
というわけで、同性愛は罪なのです。
ちょっと横道にそれましたが。
しかし、成熟した男性と成熟した女性は、夫婦として力強い愛の絆で結ばれることができます。
理想的な個人を通してよりも、理想的な家庭を通して、さらに完全に、神を見ることができます。
夫と妻、そして両親と子供たちが関わる家族関係の中でこそ、神の愛と神ご自身の本性のギブ・アンド・テイク(授受作用)が最も完全に表現されます。
したがって、私たちはこれを家庭的四位基台と呼びます。
(これをホワイトボードに描きます。)
8:37- 9:20 自筆の絵_4
それで、これが「生めよ=実を結び」、そして「ふえよ=繁殖」、第2祝福です。
そしてまた、神が究極の主体であり、人はそのまわりを回転します。
二人の結合の結果として、子どもたち。(ちょっとスペースがないので下に書きますが、こんな感じです。)
二人の結合の結果として、新しいものが形成されました。それが子どもたちです
神はこのように宇宙の男性的主体として立ち、私たちの父と呼ばれます。
家庭においては、夫や父親が男性的主体です。
9:32 PPT_2(再)
神またはキリストの立場を家族の他の人々に対して代表します。
神の女性的な対象としての側面を反映する真の女性が、男性的な主体の代表として立つ、彼女の夫の真の対象としての立場に立つとき、
男女は心と体がひとつになり、神に対する完全な対象として共に立ちます。
この真の愛の関係の中で二人が一つになるとき、二人は神の愛の理想を成就するのです。
キリスト教神学の中でさえもそうであるように、神とキリストがひとつであるように、私たちもひとつにならなければならないと、彼らは成就するのです。
あるいは、教会の体とキリストがひとつであるように、私たちもひとつにならなければなりません。
そうすれば、子どもたちに対して真の親の立場に立つ資格が与えられるのです。
これは、神がアダムとエバを創造されたとき、私たち人類の最初の祖先に対して意図されたことです。
理想家庭とは、実際に、私たちの生活の中で現実として神の愛が表現され、経験されることを意図されているのです。
原理に基づいた息子や娘、兄弟や姉妹、そして理想的な配偶者や親になる方法をいかにして学ぶかを通して、私たちは神の心情をもっともっと深く知るようになります。
10:53 PPT_3
(コリント人への第一の手紙11:3)には、
しかし、あなたがたに知っていてもらいたい。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神である。
(エペソ人への手紙5:33)には、
あなたがたは、それぞれ、自分の妻を自分自身のように愛しなさい。妻もまた夫を敬いなさい。
とあります。
ですから、一方的なものでもないし、女性が言うような、男性だけをひいきするのではありません。
男が専制君主のように振る舞って、女のすることなすこと全てをコントロールできるということではありませんし、それは、聖書の枠組みから外れています。そうですね?
キリストは、すべての人のかしらはキリストであるべきだと命じておられ、それは確か、エペソ人への手紙5章の22章から28章に書かれています。
神は、キリストが教会のためにご自身を捧げられたように、男(夫)も女(妻)のために自らを捧げるように命じておられます。
私たちは愛と尊敬を実践しなければなりません。そうですね?
それは、不公平な家父長制的な上下関係でも何でもありません。
それは本当に、神の愛が家庭の中で十分に発揮できるところなのです。
男女は等しい本質的価値を持っています。
ですから、私たちはどちらも神の姿に似せて造られているのです。
その意味で、私たちは平等です
そうです。私たちはどちらも等しい本質的な価値を持っています。
しかし、付帯的(非本質的)であろうとなかろうと、その本質的な性質において、私たちには異なる役割を持っています。
それが聖書が命じていることなのです。
ですから、私たちが持っている本質的価値においては同じですが、付帯的(非本質的)には、違う役割を持っています。
そして第二祝福は、神の愛と生命と血統が、実質的な形で地上に確立されることです。
神中心の夫婦、真の夫婦は、神が意図されたように、真の主体と対象の関係を確立してこそ、真の父母の立場に立つことができます。
そうして初めて、彼らは神にとっての真の対象として存在するのです。
13:16 PPT_4
今日、多くの人々が結婚と家族の価値について混乱していますが、
第二祝福の成就は、完全な成就と幸福を達成するために絶対不可欠です。
神はこのように私たちを設計し、創造されたのです。
創世記の中で、神は人類に、第二祝福を成就するために、男女の結びつきを確立するよう指導しています。
創世記2:24には、こうあります。
それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。
イエス自身は結婚しませんでしたが、弟子たちや教会に愛を注ぎ、花婿の模範を示されました。
エペソ書には、こうあります。
(エペソ人への手紙5:25) 夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。
14:15 PPT_5
神の願いは、最初の人類の祖先であるアダムとエバが、神の当初の御計画に従って第二祝福を成し遂げることでした。
そうしたなら、彼らは人類の真の父母の永遠なる位置を達成し、永遠に、すべての神の子孫の根源となることができたでしょう。
アダムとエバが偽りの親であったのは、堕落のせいです。
しかし、堕落がなければ、彼らは真の父母になったでしょう。
それと共に、彼らの血統もまた罪なきものであり、各世代は、最初の真の父母を振り返り、真の父母の絶対的な完全性を体現しようとしたでしょう。
そして、彼らは堕落した人類の罪深い血統を生むことはなく、むしろ、罪のない子どもたちや子孫を生むことになったでしょう。
なぜなら、堕落によって罪がこの世に生まれたからです。
そしてそれは、パウロの手紙でも証明されています。
論理的拡張によって、堕落がなければ罪はなかったということです。
神はご自身の子女たちが罪によって荒廃するような世界を望まなかったでしょう。
神はただパラダイスを作りたかったのです。
それこそが、創造原理を明らかにするのです。
神は、この世に多くの悪が存在する世界を望んでおられません。
それが、神の本来の枠組みである神の原理(原理講論)が持つ力強さのひとつなのです。
そしてまた、直感的に理解することができます。
そして、原理的な息子や娘、兄弟や姉妹、そして理想的な配偶者や親になる方法を学ぶことで、私たちは皆、神の心をもっともっと知るようになるでしょう。
第二祝福は、神の愛と命と血統が実質的な形で地上に確立されることです。
マラキ2:15はこう述べています。
一つ神は、われわれのために命の霊を造り、これをささえられたではないか。彼は何を望まれるか。神を敬う子孫であるゆえ、あなたがたはみずから慎んで、その若い時の妻を裏切ってはならない。
このマラキ書の一節は、私たちが結婚して初めて祝福を受けたとき、神から受けた大きな喜びと祝福への感謝で満たされた配偶者に忠実であることを思い出させてくれます。
私たちが配偶者に対して無条件の愛の心を持って生活するとき、
私たちの子どもたちは、神がすべての子どもたちが神の姿に似て成長するように経験させようと意図された、本来の親の愛を経験することができます。
そして、このグラフにあるように、アダムとエバの延長として、彼らがその人格を完成させ、完成された個人として一体となったとき、彼らは真の家庭を築くことになるでしょう。
そしてこの真の家庭は、家庭レベルにとどまるだけでなく、部族、社会、国家、世界、そして宇宙へと拡大したことでしょう。
なぜなら、私たちは善を正しく増殖させるからです。そうですね?
17:23 PPT_6
愛と心情の4つの領域(四大心情圏)、すなわち、子女の愛、兄弟の愛、夫婦の愛、そして父母の愛が成長し養われるのは、家庭単位の中においてです。
子供として、私たちはまず両親から無条件に愛されることを経験します。
すべての人間が天の父である神に愛されているのと同じように。
兄弟姉妹がいるとき、私たちは兄弟姉妹とどのように与え合い、受け合うかを学びます。
成熟した後、私たちは神の祝福を受けた夫婦関係に入ることによって、聖なる結婚の祝福を経験することができます。
私たちは配偶者とひとつになり、心情と愛がひとつになるのです
男女の一体化は肉体的なものだけではありません。
霊的なものでもあり、夫婦の霊的な一体化が核心なのです。
そして最後に、私たちが自分の子どもを持つとき、天の父である神がすべてのご自身の子どもたちを見ているのと同じように、私たちは親の愛を経験します。
神の性稟は私たちに反映され、神は100%の愛で私たちを無条件に愛してくださいます。
これもまた、神が堕落を望まなかったもう一つの理由です。
そして、伝統的なキリスト教神学は、説教壇では言わないかもしれませんが、神が堕落を知っていたか、あるいは堕落すると運命づけられていたか、神が堕落を引き起こしたというのです。
フェリックス・カルパ(Felix culpa「幸いなる罪」/ローマカトリックの教義)とかほかの教義のように、前回それについてお話ししましたが。
19:00 PPT_7
そして、神は被造物を環境として造られ、その中で、神がご自身のすべての愛を注ぎ込むことのできる対象を造られ、神がご自身を実質的にはっきり現すことができました。
その神の最初の実質的な顕現がアダム自身にほかなりません。
このことについては、前回、アダムの枠組みが革命的であることについても話しました。
なぜなら、堕落は必要なかったからです。
クリスチャンは、キリストが来る必要があるから、堕落が必要だったと言います。
しかし、彼らは、神の油注がれた真の成功者としてのアダムという枠組みを持っていないのです。
アダムは最初の神の子であり、ルカによる福音書の系図にはそう証言されています。そうですね?
イエスから最初のアダムとエバに遡り、ルカはアダムを「神の子」と呼んでいます。
そして、このアダムの枠組みは、メシアの姿の原型のようなものです。
私はアダムをメシアとは呼びません。なぜなら、もし、堕落がなかったなら、メシアは存在しなかったからです。
しかし、メシアとは、油注がれた者という意味です。
ですから、このアダムの枠組みは、実に多くのことを変えるものであり、堕落は必要なかったのです。
これは、原理講論が通常のキリスト教神学よりもはるかに優れている点の一つです。
そう、本当にすごいことなんです。
続けましょう。
もしアダムとエバが成熟し、神の戒めに従って神との一体化に達していたなら、
男性格主体であるアダムを通して、神は、真の妻であり愛の対象であるエバを愛することによって、完全な喜びと幸福を経験したでしょう。
アダムとエバは真の夫婦として、神の罪のない血統を地上に築いたはずでした。
アダムとエバは永遠に、全人類の真の父となり、真の母となるはずでした。
そうすれば、彼らは人類の偽りの父母になることはなく、全人類の真の父母になることができたでしょう。 神が意図された理想家庭とは、私たちの生活の中で現実として、神の愛が表現され、経験されることを目的としています。
神が私たちを愛してくださるように、私たちも他者を尊重し愛することの喜びと責任を学ぶ場所なのです。
したがって、真の家庭とは真の愛の学校であり、模範共同体の基本的な還元不可能な単位であり、理想世界を確立するための青写真です。
そして社会学のようなものでさえも、それを支持しています。
家庭は社会の核となる単位です。
家庭が崩壊すれば、社会全体が崩壊します。
ですからマルクス主義者は家庭を標的にしようとするんです。
そして、家庭こそが、神がその愛、家庭における4種類の愛(四大心情圏)を完全に顕現させる正にその場所なのです。
サタンはそれを知っているからこそ、それを破壊しようとしているのです。
そう、ですから真の家庭とは、神がその家庭の中心である家庭の単位なのです。
神が共に働くことのできる家庭です。
22:20 PPT_8
そして、第二祝福はどのように成就するのでしょうか。
詩篇103篇を読みましょう。
しかし、主のいつくしみは、とこしえからとこしえまで、主を恐れる者の上にあり、その義は子らの子に及び、
その契約を守り、その命令を心にとめて行う者にまで及ぶ。詩篇103:17-18
私たち自身が親になることで、私たちも子どもに対する心情や感情を経験することができます。
それは神が私たちをご自身の子どもとして創造され、愛してくださったときに経験されたのです。
今度は、私たちを通して私たちの子供達が、彼らを大事に思い、抱きしめる神を感じることができるのです。
理想家庭とは、目に見えない神が被造物において実体化する場であり、神がその子供たちとともに生活する場です。
第三祝福に進みましょう。
23:10 PPT_9
これをボードに描きます。
第三祝福は、支配権を持つことです。
24:00 -25:41 自筆の絵_5
しかし、究極の主体としての神もおられます。
神は常に究極の主体です。
そして神の子女たちは被造物と授受作用します。
それから、昔はこう描いていましたよね。(真ん中の下の方の絵です。)
心と体の結果として、真の人が生まれます。
しかし、それ(真ん中の下の絵)では心と体の主体と対象の関係を正当に定義できません。
矢印はこうです。
そう、それは授受作用の様相を表しています。
しかし、主体と対象の関係は表わされていません。
ですから、このように描かれているのです。
しかし、古い原理テキストや講義では、おそらくこの矢印のように描かれています。
(真ん中の下の図のような矢印ではなく、ほかの図のように、対象が主体を回る、点線で描かれている矢印の表現が正しいと話されています。)
要点はお分かりになると思いますが。
神の子どもたちの結論として、愛によって被造世界との間で互いにやり取りをしながら、地上に天国がもたらされます。
これが神とイエスの願いでした。
地上に天国をと、イエスは「主の祈り」の中で、すべてのクリスチャンにこう祈るように呼びかけているのはそのためです。
「御国を来たらせたまえ。みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。」
神は、地上に天国ができることを心から望んでおられます。
天の王国が地にも建てられますように。
神は宇宙の万物を設計し創造されましたが、 三大祝福を成就した真の男女を通してでなければ、
被造物は神の愛を完全に体験することはできません。
全宇宙は、神の子らが繁殖して生き、創造的であるための場所として創造されました。
26:23 PPT_9 (再)
聖書のローマ人への手紙8:19-22に、こうあるのはそのためです。
被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。なぜなら、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。
実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている。
(続けて、23節も読まれます。)
23 それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。
ローマ人への手紙でパウロが書いているように、被造物は苦しみの中でうめいています。
これは十字架と復活の後のことです。
ですから、それはほかの手がかりです。
イエスは私たちに霊的な救いという信じられないほどの賜物を与えてくださったにもかかわらず、正当な救いの性質によって、肉体的な救いは与えられないということです。
堕落の講義では、霊だけでなく肉体も堕落していることについて詳しく説明します。
それはまた、原罪の根幹としての肉体でもあります。
続けましょう。
27:35 PPT_10
神の子らは天宙の中心となるように創造されました。
愛と権威の中心。
人間は、普遍的な愛の基準に従って被造物を支配する、真の愛の主体としての地位を占めることになっていました。
そして、私たちに神が与えてくださった贈り物を不当に扱ったり破壊したりしないようにし、私たちは被造物を正しく守り導かなければなりません。
私たちは、神の賜物を管理し、責任をもって使用しなければなりません。
環境との私たちの関係は、被造物の中にあるすべての要素と生命の形の美と調和と目的に対する愛と感謝と驚きに満ちたものでなければなりません。
そうです。異なった動物たちは本当に驚きです。自然のドキュメンタリーを見るのはとても面白いですし、真のお父様は自然のドキュメンタリーを本当に愛されました。
そして、神が造られた信じられないような動物たちを目の当たりにするのは、ああ、本当に素晴らしいです。それしか表現しようがありません。
夕日もまた神の美を映し出しています。
神の清純で清廉な美しさ。
すべての被造物はそれ自体が神ではないけれど、私たちは、宇宙のすべての物が神であるという汎神論者ではないので。
しかし、宇宙のすべては神の性稟を反映しています。
話が脱線しそうなので、話を戻しましょう。
私たちの宇宙を対象とした愛の主体として、
こうして私たちは、それぞれの被造物との調和を確立することができます。
芸術的な知的運動やその他の創造的な欲望を、敬意と愛情をもって追求することによって。
万物は神のさまざまな様相に似せて創造されました。
したがって神の子どもたちである人間は、被造物すべてと関わる能力を持つ宇宙の中心となるべく、宇宙の小宇宙として創造されました。
これが、人間だけが神に似せて造られた理由です。
29:45 PPT_11
被造物を支配することは、神が人間を創造された目的の重要な側面のひとつを果たすことです。
コリント人への第一の手紙6章3節にはこうあります。
あなたがたは知らないのか、わたしたちは御使をさえさばく者である。ましてこの世の事件などは、いうまでもないではないか。
もし、アダムとエバがその責任を果たし、堕落していなければ、肉的領域と、天使たちを含む霊的領域の両方を統治していたはずです。
神は私たちを、被造物における神の代理人として創造され、被造物の主人と女主人として愛の支配を行使するようにされました。
私たちは伝統的に天使界を人間より上位の存在と考えてきましたが、聖書には私たちは天使を裁くと書かれています。
それについては後でもっと深く入りますが、堕落のせいなのです。
人間が堕落により、本来創造された基準よりもはるかに低い段階に落ちたからです。
そのため、旧約聖書の時代に、人は動物を生け贄に捧げたのです。
そうできたのは、動物たちは神を裏切らなかったからです。
動物が堕落したのではなく、人間が堕落したのです。
そういう意味では、動物は本質的な資質を持っていましたが、堕落のゆえに私たちは本質的に堕ちました。
ですから、動物は私たちよりも高い段階にいました。
それで、私たちは神のもとへ行くために動物を通さなければなりませんでした。
そうですね。穀物や一般的に被造物を通して。
旧約聖書の時代に、動物や植物が生け贄だったのはそのためです。
ですから、私たちは神のもとへ行くために動物を通らなければなりませんでした。
しかし、キリストが勝利された後、私たちは自身の可能性を最大限に発揮し、肉的世界と天使を含む霊的世界を支配することになるのです。
31:48 PPT_12
最後に、アダムとエバが三大祝福を成就していたら、神の王国はどのようになっていたでしょうか?
創造主として神は、天宙の所有者であり王です。
アダムとエバは神の子女として、霊的領域と肉的領域の両方を含む被造物すべてを支配する祝福を与えられました。
神の似姿として、実質的な体であり、被造物の支配者として、アダムは地上における天の王国の最初の王になり、エバは最初の王妃になるはずでした。
32:24 PPT_13
神の王国の本質を要約すると、三大祝福の成就です。
第一祝福は、ここで復習すると、 神の子としての個人の成熟であり、日常生活の中で神の愛と平和を体験し、より完全な者となることです。
マタイによる福音書5章48節にある有名な、「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」
その完全という言葉は、ただ完全という意味だけではなく、
それは、完成や成熟に達することを意味します。
ですから、私たちが個人として成熟し、心と体を統一するとき、天の父が完全であられるように、私たちも完全な者となるのです。
そして第二祝福では、夫と妻、親と子の間に内的な愛の関係を築き、その愛を私たちの共同体、国家、世界へと広げていきます。
それは四大心情圏で表わされます。
最後に、第三祝福は、私たちを王国の所有者にする、神の被造物と共にある創造性と調和です。
そして、それは愛の支配であり、搾取や無責任な支配ではありません。
33:43 PPT_14
天の王国は、アダムとエバが地上の神を代表する実体的な王と王妃として統治し、愛する親の心で、後世のために創造主の天の血統を確立する、肉的かつ霊的な王国として創造されました。
神の願いは、初めから永遠に、アダムとエバと彼らの子孫と共に生きることでした。
私たちの多くは、主の祈りを暗唱して育ちます。
しかし、私たちはしばしば、次の言葉の意味を理解し、認識することができません。
「御国を来たらせたまえ。み心の天に成るごとく、地にもなさせたまえ。」
エゼキエル書37章27節にはこうあります。
「わがすみかは彼らと共にあり、わたしは彼らの神となり、彼らはわが民となる。」
私たちは、永遠不変の神が、ご自身の当初の御理想と創造目的を捨てられることはないという希望と確信を持つことができます。
そして、神は地上と霊界の両方に天の王国を建国するために働いておられます。
神の最初の計画は完璧な計画でした。
もし、神から流れ出るものすべてが善であり、完全であり、聖なるものであるならば、
神の創造の本来の計画は、最初から欠陥があり完璧ではなかったと、私たちは本当に言えるのでしょうか?
神の創造目的全体はもともと善であったけれど、私たちの自由意志のために、自由意志だけでなく、愛の誤用によって、この完璧な計画を台無しにしてしまったと言わなければなりません。
ですから私たちは、この創造の本来の計画に立ち戻らなければならないのです。
次回のプレゼンテーションでは、人間が三大祝福を成就することになっていたプロセスだけでなく、神と共に永遠に生きる運命についてお話しします。
ありがとうございました。(拍手)
前回、プレゼンテーションの大半を終えたので、少し早く終わってしまいましたが、何か質問や意見はありますか?
(質疑応答)36:60~1:03:53
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