再臨主の使徒継承権と後継者権
2023年1月11日テネシー清平水曜礼拝
<1>
文亨進二代王
Sanctuary Church Wednesday Korean Service 01 11 2022
7:04~37:28 翻訳minion
ソラ・スクリプトゥラ聖書だけ、御言だけは詐欺
今日は、・・・韓国語礼拝、英語礼拝は、韓国語礼拝は11時に動かさなければならないようです。11時と勘違いしました。 同じ時間に統一しなければならないようです。11時にしなければならないね。
とにかく、今日は何ですか?テサロニケ人への第二の手紙2章
わあ!何かたくさん持ってこられましたね。迷彩服のジャンバーもありますね。それで子供達は皆持って行けるのか?後で持って行くことができるのか? OK
では、テサロニケ人への第二の手紙2章
この部分は、王妃が日曜日に通訳しましたね。しかし難しかったそうです。色々な神学的内容を説明するので、ですから今日は少しずつしながら、これを見てみましょう。
テサロニケ人への第二の手紙2章です。1節から読みます。
2:1さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの来臨と、わたしたちがみもとに集められることとについて、あなたがたにお願いすることがある。
2:2霊により、あるいは言葉により、あるいはわたしたちから出たという手紙によって、主の日はすでにきたとふれまわる者があっても、すぐさま心を動かされたり、あわてたりしてはいけない。
2:3だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。
2:4彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。
2:5わたしがまだあなたがたの所にいた時、これらの事をくり返して言ったのを思い出さないのか。
2:6そして、あなたがたが知っているとおり、彼が自分に定められた時になってから現れるように、いま彼を阻止しているものがある。
2:7不法の秘密の力が、すでに働いているのである。ただそれは、いま阻止している者が取り除かれる時までのことである。
2:8その時になると、不法の者が現れる。この者を、主イエスは口の息をもって殺し、来臨の輝きによって滅ぼすであろう。
2:9不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、
2:10また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。
2:11そこで神は、彼らが偽りを信じるように、迷わす力を送り、
2:12こうして、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、さばくのである。
2:13しかし、主に愛されている兄弟たちよ。わたしたちはいつもあなたがたのことを、神に感謝せずにはおられない。それは、神があなたがたを初めから選んで、御霊によるきよめと、真理に対する信仰とによって、救を得させようとし、
2:14そのために、わたしたちの福音によりあなたがたを召して、わたしたちの主イエス・キリストの栄光にあずからせて下さるからである。
2:15そこで、兄弟たちよ。堅く立って、わたしたちの言葉や手紙で教えられた言伝えを、しっかりと守り続けなさい。
2:16どうか、わたしたちの主イエス・キリストご自身と、わたしたちを愛し、恵みをもって永遠の慰めと確かな望みとを賜わるわたしたちの父なる神とが、
2:17あなたがたの心を励まし、あなたがたを強めて、すべての良いわざを行い、正しい言葉を語る者として下さるように。
アジュ
さあ、15節を見てください。
2:15そこで、兄弟たちよ。堅く立って、わたしたちの言葉や手紙で教えられた言伝えを、しっかりと守り続けなさい。
わたしたちの言葉や手紙、そうですね。手紙で出てきて、言葉で出てくるではないですか。使徒パウロのような場合は、エペソで3年間牧師をしましたね。しかしその全ての説教と内容は、手紙で残されていませんね。
しかしここでは、聖書にこのように出てきますね。聖書の手紙、文字だけではなく使徒たちが話した言葉まで、これは重要です。なぜならば、キリスト教の根は何ですか?キリスト教のルター、カルヴァン、この人たちの根は何ですか?
ソラ・スクリプトゥラ (Sola scriptura 聖書のみ)、
ソラ・フィデ (Sola fide 信仰のみ)、
ソラ・グラティア (Sola gratia 恵みのみ)、
ソラ・スクリプトゥラ (Sola scriptura 聖書のみ)とは、聖書だけが、ただ唯一聖書という意味です。ただひたすら聖書。
ソラ・フィデ (Sola fide 信仰のみ)は、ただひたすら信仰。
ソラ・グラティア (Sola gratia 恵みのみ)は恩恵、ただひたすら恩恵。
しかし何かといえば、この部分が何かといえば、 ソラ・スクリプトゥラ (Sola scriptura 聖書のみ)全てのプロテスタントの派がありますね。長老教、プロテスタント、バプテスト教、などなど。全てこの根っことなる柱があります。
ソラ・スクリプトゥラ (Sola scriptura 聖書のみ)は、 ひたすら聖書という意味ですね。だから、ひたすらに御言という意味ですね。
しかし不思議なことなのです。聖書は約700年間ありませんでした。聖書自体がなかったということなのです。 だから700年の間、全ての多くのキリスト教、数百万名のクリスチャンたちがいたのですが、さらに、聖書を作ったクリスチャンたちもいたのに、聖書は、66冊が合わさったではないですか。 それを作った人たちも聖書はなかったではないですか。 ありませんでした。スクリプトゥラ (scriptura 聖書)が なかったのです。ひとつの聖書としては。 そうですね?
さらに全ての初期のキリスト教、最も重要な父たちと言いますね、父たち。キリスト教の父達。 教会の父たち。そうですね?オリゲネス、ユスティノス、エロン、イグナティオス、エイレナイオス 、バジル、とにかくこのような多くのキリスト教の教父たちがいるのですが、この多くのキリスト教の父たちは、聖書がなかったのです。 聖書がなかったということなのです。
イエス様が復活された後にも聖書自体がなかったのです。 だから使徒たちも、使徒たち自身にも聖書がなかったではないですか。
だからキリスト教の問題は何か?ソラ・スクリプトゥラ (Sola scriptura 聖書のみ)「私たちは使徒たちの言葉だけを聞く。」その後は、「私たちは誰の言うことも聞かない。」このように言うのです。 使徒達にも聖書がなかったという事なのです。
これはキリスト教の柱、中心の柱の根っこを完全に崩す事実、歴史的事実です。
だから全てのことは、御言と、・・・キリスト教の立場において、全てのこと、イエス様を知りたければ、御言だけで知ることができません。
どうして?御言自体が、聖書自体がなかったということだからです。どういう意味か分かりますね?
だからイエス様を知りたければ、テサロニケ人への第二の手紙で見たように、全ての、・・・手紙と言いますね。それは御言ですね。使徒パウロが話す手紙が聖書の中に入っているではないですか。
しかし全ての言葉、全ての言葉は入っていませんね。パウロは3年間エペソにいて、新しい人たちを訓練させて、3年間いたのにその言葉が無いではないですか聖書には。そうですね?その言葉がないというのです。
だからそれはどういうことですか?イエス様を知りたければ、ただ聖書で言えば、ひたすら聖書で言えば、それではその意味は初期キリスト教の父たちまで、聖書を作った父たちまで、イエス様を知らなかったということです。 聖書を作った人たちまで。どういう意味か分かりますね?
だから、カンセルオブニシア(Council of Nicaea ニケーア公会議)がありましたね。325年に。ニシア(Nicaea ニケーア)に全ての主教達が集まって、そこで信仰的な部分を整理したではないですか。それは聖書ではありません。それは神学的な部分です。使徒の経典。
しかし、 7回目の集まりで、その時から聖書自体が徐々に集まるようになりました。今私たちは キングジェームス(King James)、 ジェームス王の聖書、キリスト教はそれをよく使いますね。 それはいつですか?1611年に発表されたではないですか。しかしその前、1611年に出てきた内容は何か?キングジェームズ王の聖書とは違います。正典から除外された文書がありました。
それはどういう意味かというと、様々な他の経典があります。古代キリスト教の経典が。外典と言いますね。キリスト教で。
しかしその様々な経典、バロック経典、ジュデス経典、マカバイ経典1、2、3、4がありますね。正教会では3、4があって、カトリックでは1、2です。どういうことか分かりますね?
だから、ソラ・スクリプトゥラ (Sola scriptura 聖書のみ)だけ言えば、これは実は非歴史的な論争です。非歴史的な論争。
そしてこれは、非聖書的な内容です。
なぜなら聖書自体が、言うではないですか。文字だけではダメで、私が話した言葉まで全て記憶しなさい。 こうではないですか。そうですね?
さらにイエス様の行いを見なければならないではないですか。 生涯路程も見なければならないではないですか。それは何ですか?これは全て伝統の中にあります。伝統。
だからキリスト教徒たちが言うには、「ソラ・スクリプトゥラ (Sola scriptura 聖書のみ)、聖書だけ見て、私たちは聖書を読んで聖霊が入ってきて私たちに知恵をくださり、全ての聖書を理解することができる。」 これは完全に詐欺だということです。
なぜなら伝統があるという事なのです。 キリスト教の教父たちが、全て同意した思想、キリスト教の父達が全て同意した、解説観、解釈観、解釈すること。そうですね?御言を解釈すること。そうですね?
この部分を理解してこそ、使徒達も理解して、その意味は何ですか?伝統と言う意味がとても重要です。伝統。
伝統の中に何があるか?使徒達の生き方がそこに入っていますね。イエス様の生き方がそこに入っていますね。御言だけでなく、文字に書いたものだけでなく、生き方、行動、どのような行動をされたのかそれも出てきますね。
さらにその伝統の中に何がありますか?儀式。
ヨハネによる福音書の6章に出てくるのは何ですか?ミサ。カトリックではミサと言いますね。ユーカリスト(Eucharist 聖体拝領、キリストによる贖罪礼典)もそうですね。。イエス様の血と肉を食べる儀式。ハハハ。これはどれほど極端な儀式ですか?血と肉を食べる儀式。
だから、初期にキリスト教を嫌いな人達は「キリスト教徒たちは狂った奴らだ。自分の師範の血と肉を食べている。人肉を食べている。」このように攻撃したのです。
ヨハネによる福音書6章に出てくる儀式、キリスト教がどういう言葉ですか?これを行い私を記憶しなさい。このように言うではないですか。記憶しなさい。
だから、キリスト教徒たちがどのように言うかといえば、これは頭に記憶させれば良いのだ。
しかし、正教会(ギリシャ正教)とカトリックはひとつだったではないですか、最初は。分離される前は。正教会とカトリックは一つの教会でした。その一つの教会で2000年間何をしましたか?ずっとその儀式をしたのです。どのような儀式?血と肉を食べること。キリスト教(プロテスタント)だけが、キリスト教(プロテスタント)だけは1500年くらいになって、必要ないと言いました。 プロテスタント。
どういうことか分かりますね?
だからこの、ソラ・スクリプトゥラ (聖書のみ)、キリスト教の根っこ、ソラ・スクリプトゥラ ( 聖書のみ)、これは非宗教的な内容であり、非歴史的な内容です。
なぜならその御言だけでは主を知ることはできません。
これを見なさい。家庭詐欺連合の奴らは、お父様の御言を変えながら左派の父を作ったではないですか。え?
お父様が残された使徒継承権
だから宗教を見たら、御言だけではダメで、使徒達、後継者たちを見なければならないと、そう言うではないですか。使徒、後継権を、アポソル・セクセション(apostle succession 使徒継承) と言います。
だから、王妃がこれを理解できませんでした。日曜礼拝を。新しい初めて聞く単語です。 アポソル(apostle)は何ですか?使徒という意味ですね。、アポソル・セクセション(apostle succession 使徒継承) 後継権。
イエス様の使徒も有名だったではないですか。使徒達は他の人たち、パウロ有名だったではないですか。後継権として。この後継権を見てこそ、この方、イエス様から受けた任命を受けた人たちがどのようなことを話したのか、イエス様がどのような人なのか知ることができるではないですか。
どうして?この方たちが、任命を受けた人たちが、後継権を持っている人たちだから。そうですね?
だから、主を知りたければ、ソラ・スクリプトゥラ (聖書のみ)、御言だけでは駄目です。その後継権をみなければなりません。後継権!
さあ、成約時代を見てみましょう。お父様はただ御言だけを残されましたか?お父様はただ御言だけを残されたのではありません。 お父様は何を残されましたか?血統、後継権。王権、後継権。
なぜなら、御言だけあるならこいつらは、多くの人達は自分が中心になります。自分が新しいキリストになります。お父様がキリストだということを利用しながら自分がキリストになります。
いや、しかし、お父様はキリストだと信じるなら、お父様が任命された息子を信じなければなりません。そうですね?イエス様を信じるならイエス様の後継者を信じなければなりません。 選択されたのなら。そうですね?
それを信じなければ、イエス様を信じないということではないですか。同じことです。 初期キリスト教と初期成約時代は同じことです。同じ。
だから、初期キリスト教を見れば、プロテスタントはよく分かりませんね。初期キリスト教は、御言まだ合わされていません。まだ聖書はないということです。
しかし、イエス様の後継権はあります。使徒後継権。だからそれを、アポソル・セクセション(apostle succession 使徒継承)と言いますね。
旧約時代において、神様の十二支派の中で、レビ支派は後継権を受けましたね。特に祭司長の後継権。神様から。それは何ですか?血筋に繋がっています。旧約聖書において血筋に繋がっています。レビ支派のように。
新約時代において、イエス様は直接的に血統がないので、使徒後継権をしましたね。そうですね?
だから、旧約聖書は血筋の祭司長の後継権。新約聖書では使徒後継権があって、次に800年前に聖書もあって。
しかし成約時代は何ですか?血筋と使徒権が合わさっています。旧約と新約が合わさっています。 完成されています、成約時代は。どこで?三大王権の中に。血筋、 王権、祭司長権、使徒権。全て繋がっています。
だから御言だけを見たら、お父様を左派のお父様に作ることができます。作っていますね。こいつらは。なぜなら、お父様が直接選択された後継権を否定するから。
お父様は、私がいなくなった後は、文亨進、文信俊、後継権を立てられたではないですか。お父様の御言とお父様の生涯路程とお父様の人生とお父様の息子として、直接の息子として、さらにお父様の使徒として、その後継権を立てられました。
だからお父様の御言を解析する時、自分がただお父様の御言を読んで、一人で解析するのではなく、その使徒権と後継権を通しながら解釈しなければなりません。なぜなら自分は直接お父様が分からないから。私がその家庭から出てきませんでした。その王家から出てこなかったということだ。その王家の文化を知りません。その王家のお父さんも知りません。その王家のお父さんの説教を知りません。そうですね?
だからこれは同じことです。初期キリスト教も同じです。プロテスタントの人達がいう、ソラ・スクリプトゥラ (Sola scriptura 聖書のみ)聖書だけが、これは実際は非歴史的論争です。
なぜなら、イエス様を知りたければ、御言だけではだめです。なぜなら800年前、キリスト教徒たち自身に御言がなかったではないですか。御言が。使徒権だけがありました。そして、主教達。任命を受けた先生達だけがいたではないですか。御言自体が無かったというのです。
681年、6番目、7番目に主教達が集まっても、そこにも出てきた聖書が、8世紀に出てくるダマスコのヨハネ、カトリックと正教会の聖人ですね。ダマスコのヨハネは。その人にも他の聖書があったというのです。ハハハ。その人にも他の聖書があったということです。それは不思議ですね。
正教会が行った先祖解怨
さらにその正教会が送った聖書を見たら、私が一つ注文しました。見るために。それを見たら何が出てきますか?とても重要なものが出てきます。 キリスト教が抜いたもの。聖書外典に。
正教会とカトリックが使う聖書があるではないですか。
キリスト教徒たちはこの部分を外典というではないですか。しかし、カトリックと正教会、これはすでに2000年の教会ではないですか。そこに出てくる内容は何ですか?生きている人が死んだ人のために祈る内容が出てきます。
キリスト教の立場において、これは完全に異端ではないですか。しかしお父様は私たちに何をくださいましたか?先祖解怨式をくださったではないですか。その儀式を。そしてお父様の後継権にその権利があるではないですか、先祖解怨式の。
これはどこを見るのか。正教会の聖書。1番目の聖書です。正教会の聖書に出てきます。これが。わあ!その言葉は何ですか?全てのキリスト教、全てのクリスチャン世界の父たちはすべて先祖解怨式を信じたということです。
そして、8世紀を見たら全ての教会の教父たちは、皆、この方たちはみな、全て、全て、何を信じますか?この方達が何を信じるのかといえば、儀式。血と肉を食べなければならない?信じるだけではだめだ、これを信じました。信じるだけではダメで、血と肉を食べてこそクリスチャンになるのです。救いを受けるのです。わお!
これは全ての教会、初期の教会の教父たちが全て信じました、これを。さらに何を信じるのか?死んだ人たちに、よく行くように祈ることができることもすべて信じます。初期のキリスト教、初期のクリスチャン教、キリスト教の父たちは全て信じます。同意したのです、皆が。
1500年からだけが、これをプロテスタントとして、これを否定し始めました。しかし1500年間、キリスト教徒達はこのようなことを全てしていたという事なのです。血と肉を食べる儀式、亡くなった人によく行くように解怨の祈祷。
そしてその時、正教会(ギリシャ正教)は最初から、神父たちは結婚しましたね。正教会では今も結婚します、神父達は。ローマカトリックは違うほうに行ったのですが、正教会は未だに多くの伝統がまだあります。1世紀2世紀に似たままに。結婚は皆します。神父達は。
血と肉の儀式を食べてこそ、救いを受けるのです。ただキリスト教のように信じさえしたらしたら救いを受ける。これはローマ書に出てくる、間違った解釈ではないですか。
だからルターの場合は、ヤコブ書も削除したかったではないですか。どうして? ヤコブ書にどのように出てきますか?行いのない信仰は死んだ信仰である。 このように言いました。だから、ルターはヤコブ書まで削除したかったのです。 否定したのです。
正教会の後継権、お父様の後継権
どうしてこの正教会(ギリシャ正教)で言うことは、ただ御言だけを見てはいけない。後継権までみなければならない。後継権。どうして?後継権の伝統をどのようにして、主を知っている方達がどのようにして文化を創るか、これに従ってこそ、自分の勝手に聖書を読んで、何も知らない状態で読んで、「聖霊が教えてくれた」と、このような詐欺はすることができないと。
主を知ってる人達と任命を受けた人達に受けなければならない。 こういうことですね。いやあ・・・。
初期のキリスト教を見ると、お父様が残された多くの内容をキリスト教のようにではなく、正教会(ギリシャ正教)のようにされました。初期キリスト教のように。私たちに儀式、重要な儀式を残してくださいました。
聖日だけでなく最も重要なことは何ですか?祝福式。祝福式が何ですか?血と肉の儀式ではないですか。
実は統一教徒になるために、ただお父様を信じるだけでなく、祝福まで受けなければならないではないですか。実は。これははるかに初期キリスト教と似ています。不思議ですね?オリジナルのキリスト教と似ています。遥かに。
キリスト教が作った部分はオリジナルとたくさん分離されています。
だから儀式の重要性、ただ御言だけでなく、儀式の重要性。次に後継権の重要性。御言を理解するために、主が選択された後継者たちの言うことを聞いてこそ、これがどのように解釈するのか知ることができます。
主が神様であるならば、主に合う後継権を立てられたということです。そうですね?だから初期のキリスト教と同じではないですか。
ただ誰かが、なんとなく聖書を開けて、聖霊がこのように、家庭詐欺連合の奴らがこのように言うではないですか。お父様の後継者を否定して。
37:28
ーつづくー
0 件のコメント:
コメントを投稿