「天一国の基礎」 2015/11/01
The Foundation of CIG
詩編第25章
1 主よ。私のたましいは、あなたを仰ぎ望み
2 わたしの神よ、私は、あなたに信頼いたします依り頼みます。どうか私が恥を見ないようにしてください。私の敵が私に勝ち誇らないようにしてください。
3 まことに、あなたを待ち望む者はだれも決して恥を受けることはありません。いたずらに人を欺く者が恥を受けるのです。
4 主よ。あなたの道を私に示し、あなたに従う道を教えてください。
5 あなたのまことに私を導いて下さい。教えてください。あなたは私を救ってくださる神。絶えることなくあなたに望みをおいています。
6 主よ 思い起こしてください。あなたのとこしえの憐れみと慈しみを。
7 私の若いときの罪と背きは思い起こさず、慈しみ深く、み恵みのために。主よ わたしを御心に留めてください。
8 主は恵み深く正しくいまし、罪人に道を示してくださいます。
9 裁きをして貧しい人を導き、主の道を貧しい人に教えてくださいます。
10 その契約と定めを守る人にとって主の道はすべて、慈しみとまこと。
今に相応しいみ言です。 この部分に注目しました。ダビデはこう言います「裁きをして貧しい人を導き、主の道を貧しい人に教えてくださる」。
「裁きをして導く」―つまり人間の決断、神様が与えたもうた自由の行使としてのある決定の結果を人は受け止めなければなりません。悪い結果を見て、最初の判断が誤っていたのではないかと気付かせる神様の愛と見ることができます。特に子女教育においては結果と振る舞いの関係は重要です。結果を目の当たりにしてあることに目覚めるということはよくあることです。それは神様の愛です。自分が自由意志に基づいて決定していることに気づかないこともよくあります。自分がある選択をしたことに気がつかないのです。無意識のうちに「自分が選んだ」という事実から逃げてしまうのです。それはある種、責任回避であり責任から逃げることを意味します。しかし人生のある時点では自分の「選び」に伴う責任から逃れることができないことがあります。自分の決定に伴う結果を目の当たりにして、もはやその事実から逃れることができない時が来るということです。それが神様の「裁き」です。結局それはみ旨を進めようとする者達に対する神様の愛であり真実です。
詩編のこの有名な箇所である6節「主よ 思い起こしてください。あなたのとこしえの憐れみと慈しみを」ですが、幼いときはこの聖句から、「神様は優しくわたしを抱いていて下さる」というイメージを抱くかもしれません。しかし神様の愛は大きな過ちから私たちの目を覚ますというかたちで表れることも多いのです。躓き転ぶことで、体重をまかせたのが腐った丸太であったことに気づくようなことです。父として子にやらせてみて結果で悟らせるという方法です。
誤った考えにそのつど最初から神様が干渉されるとしたら、警察国家のようになってしまいます。自由世界の真の価値を知ることもできないでしょう。神様は愛であるという言葉の真の意味も悟ることができないに違いありません。
多くの人が神様の法、戒めについて混乱しているようにみえます。神様は律法を与え、人間がそれを守らないとき罰を受けるという考え方です。そこには選択の余地がありません。
神様の律法や戒めは、神様の外側に抽象的に存在しているものではなく神様の内なる道徳的本性であり道徳作用の延長線上にあるのだというのです。どうしようもない人間に与えるため抽象的思考の結果生まれたものではなく究極的には神様の一部なのだということです。私たちは神様にかたどって作られましたからそれもうなずけます。
今家庭連合が神様から離れていくさまを見ていると、自分たちから神様の本性を取り除き、除去する様子がうかがえます。家庭連合の天一国憲法を見れば歴史的サタンの人類支配制度となんら異なるところがありません。
神様の愛への賛美の歌を歌いながら胸に抱く希望の神の国の最終的な姿が全体主義的寡頭制としたら、これほど悲惨なことはありません。しかし賛美する神様が賜る国が真に自由の国ならば、その地が良心の地であり、道徳と自然な交流、市民が自由を享受できる国だとするならば、神様が真に人間を愛して下さるその証を目にすることができます。「統一原理」と「自由社会」から天国がどのようなものであるのかはっきりと知ることができます。
天国とはこの地上に拡大されたキリストの体であり、主が戻られて王権を立てられるときそれが具体的にどのような世界になるのか人々にとって不可解なままなのです。イエス様は王になられて王権を立てられるだろう。そして全地に支配がおよび不義を行う者は口から出る剣によってたちまち裁かれる。悪事を計画するだけで実行する前に主の目から出る炎で焼かれる…等など。これらは実際、独裁政治の姿ではないですか。特別な能力と権力をもつ王による恐怖政治ではないですか。
天国はそれらと全く異なるものでなければなりません。歴史上かつて一度も現われたことがなかったようなものでなければなりません。お父様の三代王権宣布、王国の霊的主権、そして真の天一国宣言の中にお父様の原則、天国の要件は何であるかを見ることができます。三つの天法、「血統を汚すな」「人権を侵すな(心情を蹂躙するな)」「公金を正しく扱うこと」これらがお父様の王権の中に描かれています。将来のいずれかの時点でこれは成ります。昨日聖書を開いて「時は早まる」という聖句を得ました。私たちが思っているよりも速くなるかもしれません。終末には時は早まるのです。神様の御心に従って起こるでしょう。
天一国の基礎の確立、これまでよく耳にして来た「社会の基礎」という言葉の「基礎」の意味するところは何でしょうか。それは四位基台だというのです。社会を形作るブロックだということです。全く世俗的に見ても男女間の結婚こそ遺伝子を伝えていく上で最も適した基礎ではないですか。どのような四位基台を築くかは一つの基台を超えた大きな意味をもたらします。たとえば家で犬を飼っていたとして、日頃からその犬を虐待したとしましょう。ある日その犬を外の世界に放つときそれは社会にとって脅威となることでしょう。
四位基台こそ、その核心にある自由と責任を育むのです。自己の責任分担5%を果たしながら神様と共にこの四位基台をいかに築くかが重要です。自由と責任をもった健全な次世代を育てることのできる真の主人を作り上げるのか、それとも社会の脅威をつくりだすのか。各四位基台の間に密接なつながりがあるからです。もしある四位基台に弱点があるとしたら、それがお父さん、お母三、子供のどこにあったとしてもサタンはそこを攻撃します。四位基台はサタンの最も憎むものなのです。ですからあらゆる攻撃法をつかって仕掛けてきます。
お父様も何度もおっしゃいましたが四位基台こそ社会の基礎なのです。お母さんとお父さんのいる核家族が社会の基礎である、またそれについての社会学的研究は山ほどあります。
神様も勝利のパターンを四位基台で示して下さいました。四位基台でサタンと闘うチームを組むのです。ときには悪魔に対するSWAT(特殊戦術部隊)になります。そのチームで社会を守り、そしてチームの中で自由に伴う責任と道徳的責任ついて学ぶのです。健全な社会のためにこれらは欠かせません。あらゆる全体主義体制がこのお父さん、お母さん、子供でつくる四位基台に攻撃を仕掛けてきました。「家庭のきずなは強すぎる」と共産主義は露骨に表現しました。なぜかといえば国家が人を所有したいからです。
この基礎的基台は社会にとって大きな恵みとなりますがもし責任感ないままに基台を作り、または責任から逃げるとするならその基台は傾きます。基台が崩れると社会の性格が変わります。なぜならそこで言葉とコミュニケーションや責任感、リスクを承知で物ごとに取り組むこと、コーチして導くことなど多くのことを学ぶからです。
この四位基台は常に攻撃にさらされていることを知るべきです。家庭連合も今この四位基台に攻撃を仕掛けています。それは人的側面もありますが霊的な悪魔的な要因も大きいのです。例えば他の家庭が崩壊するのを見て自分の家族はまだましだと喜んだりする。
四位基台でとりわけ攻撃にさらされるのが「夫婦関係」です。四位基台の中心だからです。この夫婦の一体化を失えば子供たちは双方に分かれて争うようになります。関係が悪化してついには離婚に至るとき子供達も大きな傷を負います。誰が悪いというよりはサタンに仕掛けられたということです。この四位基台こそ戦いの場であると認識してよくよく警戒しなければなりません。家庭は安らぎの場でもありますがそこにいつも略奪する者が侵入する隙を狙っていることを知らなければなりません。一家の主人のガードが甘くなるとき彼らは入って来ます。
今家庭連合でこの四位基台が襲われています。韓オモニの言動だけではなく、家庭の基準を定めた聖典まで改ざんしました。ではどのような家庭を生み出すのかと言えば将来明らかになるでしょうが、家庭の主体である父を軽んずることに起因する歪みをもたらすことは確かです。全世界4万の食口たちに配布された、お父様の天福函ももはや見向きもされません。
韓お母様は真の父母についてはお父様の8大教材教本ではなく、私が出版した本で学びなさいと言っています。そして今しきりに教育の場で用いられている主体と対象の位置の入れ変わった四位基台図、これは四位基台の破壊であり混乱を招くでしょう。今これが起こっているのです。お父様に戦いをテロリズムを仕掛けているように見えます。神様の四位基台、神様のチームに対するテロ行為です。主体が家庭の要になることは独裁者になれというのではなく、教会にとってのキリストになれということを意味します。侵略者を警戒し、自分を犠牲にし、命をかけて基台を守るということです。社会にとって最も有害なことは、社会の多数が父親をもたないということです。それが貧困、離婚、自殺などの最大の原因です。「私が力を握ったのだからとっととここから出ていきなさい!」といってすむほどには単純ではないのです。
この主体対象の逆転はアメリカ社会でも見られます。男性が家族の為に犠牲になることを恐れるのです。家族の為に死ぬことを恐れるのです。あるリベラルなコメディアンがこう言っているのを見ました。「男女同権の時代だ。悪い奴が侵入してきても俺をあてにしないでくれ。おまえ(妻)が闘ってくれ」。
家庭連合ではいま、問題はアダムにあったと言いだしています。アダムがサタンと堕落したと。もちろんこれは聖書の言っていることと全く逆です。聖書はエバが女性で愚かであったから失敗をしたとは言っていません。ただエバはサタンに対して弱点をもっていたといっているのです。もし何かを壊したければ弱いところを攻めるでしょう。ところが(家庭連合の教材では)それが逆転しているのです。これはお母様によって創作されたものです。
「わたしは未亡人ではない。私は弱くはない。私は女王である。いま私が権力を握っている。」
それを神学的姦淫者たちがただお金のためにせっせと仕事をしているだけです。信じてなどいないのです。
お父様はお母様は純粋な堕落の血統であるとはっきり言っておられます。「(歴史上)これまで父権主義によってさまざまな災いが起きた、母権主義の方が優れているだろう。だから女性が立ちあがり、母権主義を打ち立てよう」という誤った二分法に陥っています。いま家庭連合の教会に行ってごらんなさい。教会員が「ここは最悪だ」と自分たち自身で言っています。無報酬でそこにいる者たちは特にそうです。かつての共産党員のように黙って拍手するためだけに色々な催しや大会に動員される人たちです。
これらは韓オモニが現実に行ったことです。現実を直視して目を覚まして下さい。
天聖経の削除を含む大改編、
お父様が涙を流しながら歌われた天一国国歌(栄光の賜物)の変更。
家庭盟誓において「神様」を「天の父母様」に変更
成婚問答の簡略化
女性神の実質的導入
建国の根幹たる憲法から統一原理を疎外
忠実な対象の位置から離脱
自らを「神」「独生女(出生時無原罪)」と称する
文氏の血統(神の血統)より韓氏の血統(純サタン血統)を尊重
お父様の統一マークを消し去る訴訟
好き嫌いの問題ではないのです。現実をそのまま捉えて自省して見て下さい。
不愉快なことかもしれませんが現実は直視しなければなりません。いまこれを直視しなければ血統を失います。
これに対してお父様はこうおっしゃいました。
安州(お母様の故郷)と韓氏族を自慢するな。それをしたら真の母にはなれない。
お母さまは妖怪(도깨비)のように自分の道を行っている。お父様と同じ道を進んでいない。
おまえたち悪党(真の子女、補佐官達、教会指導者の個人名をあげて)はお母様に従うことで私(お父様)とは別の道を歩いている。この悪党達!
お母さまに従い、お父様はいらないと考える者は皆、根のない妖怪だ。
天のお父様だけが、孤独なお父様と共におられる。
西洋では一般に貪欲、自己中心、権勢欲、家庭破壊、暴力、戦争などの根源は「男性」にあるとする風潮があります。その結果、諸悪の根源が男性にあるのだから女性主体の社会になればそれらは一掃されるというのです。
これが過去40~50年にわたって女性運動の第三の波の際に展開された説でした。しかし何の生産的実績も生んではいません。
もし教会が性差別をなくそうというのなら逆に今、男性を支えなくてはなりません。いま西洋では女性の方が教育水準は高く、同じ学歴で同じ時間働いたとすると女性の方が高い報酬を得るというのです。だから男女平等を唱えるなら今や男性側、特に青年男子をサポートしなければなりません。
男女共同参画などというスローガンを聞くと皆関心するのですが、それを中央権力が実行することなどできるはずがありません。なぜなら中央権力の背後には金融財務などの莫大なお金の流れを握る者たちがいます。これまでロックフェラーなどが資金を投じて女性教育を推進してきた背後には「税収の増大」という狙いがありました。つまり人口の半分(女性)が職をもてば税収も飛躍的に増えるでしょう。奨学金(学生ローン)もそうでしょう、男子学生に加えて女子学生もそれを利用するなら銀行の収入は倍増します。ですから国家機関などが「男女共同参画」などのスローガンを叫ぶ時、素朴に賛同してはいけないということです。その動機を見なければなりません。大学も男女平等というよりは女性が男性と同じ社会的野心をもつように教育し、それに反対する女性は知性に劣る社会的敗北者だと信じさせる教育を行っているのです。
そういう風にしてここ50年間に社会進出を果たした女性が果たしてそれ以前の女性よりも幸せになったと言えるでしょうか。統計的には女性たちはより不幸になったという数字が出ています。男子学生も女子学生とデートしたがらなくなっています。ここで社会的風潮の一例を見てみましょう
*MEN(男性)で始まる否定的意味の単語を並べて、結論で「私たち(社会)の抱える問題はすべてMEN(男性)で始まっているでしょう」と男性を揶揄するスライド。
これを私たちは笑いながら受け止めるのです。男性はいつも攻撃的でコントロールされなければ善をなせないという思いを抱かせているのです。まるで男性が独裁者のようです。これらは西洋のあまり表に現れないですが現実に存在する文化です。いまや法的にも男性は第2級市民になっているといえます。
これもあまり表に出ない文化も一端です。
l 西洋の家庭内暴力の50%は女性側からのもの。
l イギリス人の母親の80%が一歳に満たない子供を叩く。
l 小児愛者の25%が女性。アメリカでは中流家庭の母親は年に900回以上子供を叩く。3~5歳で母親から平手打ちされて育った子供は9歳になる頃にはそうでない子供よりも攻撃的になる。
夫による暴力が存在するのは否定できない事実です。しかし母親による幼児への暴力も見過ごしてはいけません。体力的に優位な夫から暴力を受けることが悪ならば体力的に圧倒的に優位な母親がその子供に暴力をふるうことも悪です。
メディアなどの宣伝、ロックフェラー、カーネギー等の事業などの根底にある「男は攻撃的である」というその原因としての母親による子供時代に受ける暴力というものも考えなければなりません。
「男性が変われば女性は幸せに暮らせる」という言葉は「女性の自由は男性に完全に依存する」というのと同じです。「男性が変わらない限り女性は幸せになれない」というのですから。これは女性側の責任放棄ではないでしょうか。自由と責任という概念は、女性がどうだからだとか男性がどうだからとかいうものではなく、私がどうするのかにかかっているのです。
話を家庭連合に戻しますと、そこでは四位基台が壊されてしまいました。お母様には警告しました。この背信者たちはそのうちお母様も裏切るでしょうと。教会がいまなぜ壊れようとしているのでしょうか。家庭連合の多くのフェミニストたちは「あなたがあまりに下品だからだ」「あなたさえ変わればすべて良くなるのだ」といいます。「すべての男たちが変わらなければ、われわれ(家庭連合)は力を失い、モラルは崩壊し、追い詰められる」。責任感の片りんも見られず、個人の自由も認められません。生産的な力の源にはなりえないのです。女性に自分は犠牲者だと思いこませる、自分は弱い存在だと認識させるようなやり方では、すべての女性の命を奪うことになります。自分が過ちを犯した時にはその責任を回避してしまうことでしょう。
お母様は10月24日にこう語られました。
l それで、キリスト教2千年の歴史は聖霊の復活によって聖霊の歴史でした。それはどういう意味かと言うと、独り娘を探し求めてきた基盤であったということを知らなければなりません。わかりますか。
l キリスト教歴史のすべては「独り娘」の基台のためにあったというのです!
l キリスト教基盤は独り娘を探し出す道だったと言ったのです。
l 天の摂理は独り娘を探し求める摂理があったというのです。
l 東夷民族をとおした韓氏王国があったのです。・・・それが韓半島と日本に広がって下りて来た。
l 韓半島は再臨メシヤの独り娘を誕生させた国であるので、全ての宗教は根本であられる天の父母様を父母として侍る位置に出ていかなければなりません。
家庭連合は私たち(サンクチュアリ教会)が狂っていると言いますが、家庭連合のほうが狂っています。これでは完全な偽メシアのカルト教団です。これをお母様に警告したのです。
(金孝南氏を支援するサイトをスライドに移しながら)盗人の巣に信義などないともお母様に言いました。(家庭連合は)男たち(息子たち)が粗野で気ままで言うことを聞かないので家庭連合が駄目になる・・と言ってきましたが。今や金孝南がお母様を後ろから刺そうとしているのです。自分の組織を作りました。
「権力を握ればだれも自分に背かない」という韓お母様の妄想は大きな間違いです。いつでも王国を転覆させてやろうという人物がいます。息子たちだけが反抗していると言い続けましたが、いまやこの事態です。
清平のスタッフも公開文書の中ではっきり「清平には絶対善霊はいない」と言い出しました。他にも
天使と絶対善霊がいない
按手役事の悪霊分立、整理がなされていない 。1~210代の先祖解怨がなされていない 。 1~210代の先祖祝福がなされていない 。
霊的困難、妊婦、健康上の相談者への相談、霊分立、整理がなされていない 。 清心病院患者の直接相談ならびに霊分立、整理がなされていない 。
手紙による食口の深刻な相談ならびに霊分立、整理がなされていない。
霊的効能のある祈願書を作れていない ・・・などといっています。
お母様を完全な詐欺師だといっているのです。息子たちの追放に加担した者たち、息子が守ろうとしたにもかかわらず、お母様がその耳を傾けた政治家たち。彼らこそお母様を裏切りますよと忠告した内容がありました。
このような状況を見ている韓国の食口たちはいま「偉大なるバビロンは倒れた」と叫んでいます。おそらくこれは始まりにすぎないでしょう。裏切りは裏切りを呼びます。なんと愚かしいことでしょうか。
韓お母様は最終的にお父様がおかしくなったと思っていました。ナイジェリアの一件です。ここでも一度お話しした、「部屋のあれをここに、いやあちらに」とお父様が訓読会の前に忙しく指示された時のことです。
お父様のみ言葉にあります。
私が半ば狂って服を脱ぎ、そこでおしっこをするとき、どれ位の者が残るだろうか。私がたどった道がどれほどおそろしい道であったが誰も知らない。分からないのです。わたしを産んだお母さんも知りません。ここにいるお母様も知りません。それで多くの霊能者が私がかわいそうだと言って泣くんだね。これをいわなければだれが知るだろうか。どれほど問題が深刻であったか、どれほど霊肉共に闘ってきたのかがあなたたちにはわからないだろう。(210-81,1990.12.1)
お父様は私を試されたのです。意図的にお父様は気がふれたように振舞ったのです。「これをあそこに!」「いや、ここだ!」と叫ぶように言われました。お父様は愚かな人ではありません。誰が自分を信じているかじっと観察しておられたのです。数えきれない位、お父様が試される場に居合わせました。わたしを試されたのです。
ハワイでお父様が講演をされた時のことです。上着を脱ぎ、ズボンも脱いで「わたしは何も恥ずかしくない」とおっしゃいました。舞台裏は大騒ぎです。お母様は元周(チョン・ウォンジュ)「このタオルをもっていきなさい!」と叫んでいました。お父様はそのタオルをはねのけました。お父様が舞台から戻ってこられた時、皆が異様な雰囲気にありました。そこに「不信」が蔓延しているのを私は感じました。
ハワイはエデンの園です。恥じらいはあってはいけないのです。私はお父様をお風呂に入れて差し上げるときも恥ずかしく思ったことはありません。
(家庭連合には)恥じる文化、不信の文化が存在するのです。どのリーダー、どの指導者が、ではなく韓お母様からしてそうだったのです。神様の基台、神様の理想を壊しました。
脱会しないとサンクチュアリ会員になれない
という誤解が生まれていますが、そんなことはありません。
家庭連合所属のままでいいのです。
そのために隠れの里「こころのサンクチュアリー教会」があります。
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