騙すのが高度な詐欺キリスト論と天宙バカ神
キリスト教会の皆さん、サンクチュアリ教会の皆さん、
聖臨連合を始めとする菅井派は、サンクチュアリ教会ではありません。サンクチュアリ教会を装う別の宗教です。
彼らの詐欺である「①すべては真のお父様のみ言の解説」「②お父様はこのように言っている」とする教えに対してサンクチュアリ教会の指導者、文亨進牧師は菅井派に影響を受ける人が目を覚ますように警告や啓蒙をしなさいと指示しておられます。この指示に基づきこれを書きます。
これを捏造だと言うからには菅井派は、文亨進師からサンクチュアリ教会としての任命祈祷を受け証明する責務があります。
サンクチュアリ教会最大である日本サンクチュアリ協会では厳しく対処しています。リンク先を御覧ください。
菅井教の神は天宙バカ神
菅井教が教える神は、真の愛に目覚めたのに絶対孤独に陥る天宙バカ神です。
その前におさらいで、菅井教がどれほどのキリスト教でいえば、程度の極めて低い、低キリスト論であるかをキリスト教徒の立場で再度、皆さんと確認します。
マタイ7章15節
15 にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。
菅井教は、低キリスト教でさえも無いことの再確認
要は菅井教とはこういう程度の低い低キリスト論を、高度なキリスト論~~と叫ぶ、嘘が高度な詐欺高位キリスト論です。
菅井派の宗教その教え「本然世界に展開する真の父母様の本体論」は、キリスト教神学でみるならば、創造前からのイエス様の存在を否定し、創造前の神様の愛から「父子の関係」と「アガペーの愛」を否定する、致命的欠点があります。
キリスト教において父子の関係と、アガペーの愛で成り立っている三位一体から、父子の関係とアガペーの愛を肉的五感との関係性から生じる愛だとすることは致命的です。
キリスト教会では、完全にアウト!
創造前のイエス様の存在を否定しているのですから尚更です。
●三位一体の父子関係否定
まず”父と子と聖霊の三位一体”から父と子の父子の関係を否定する、致命的欠点があります。
父と子と聖霊の三位一体は、「創造前からイエスは神であり神の息子である永遠なる父子の関係を示す」のですが、
菅井氏:神様が構想理想を構築するにあたって「父子の関係」を先惟したと主張していますが、「父子の関係」という言葉にすでに母は内在しているのです。母がいなくては子が産まれないのは自明だからです。
日本民族の抱える偶像崇拝という無意識世界の鬼神を対象化していきましょう!
しかし菅井派はこのように、母がいなければ子が生まれないのだから、父子の関係など無い!そんなもん偶像崇拝、鬼神だ!と主張して高位キリスト論、三位一体論のもっとも重要な父子の関係を偶像崇拝!鬼神!だと否定するのですから、”低いキリスト論”です。
三位一体は父と子が神としての存在するその永遠性を表しますから、父子の関係を否定したら、父と子と聖霊の三位一体が成り立ちません。
エホバの証人などの低いキリスト論のキリスト教会はこの菅井派と同じような論調で三位一体論自体を否定します。
・結論1:菅井派は”高いキリスト論”ではない。キリスト教神学で分類するなら”低いキリスト論”
●キリスト、イエス様の創造前からの存在否定
”父と子と聖霊の三位一体”はイエス様が創造前から存在する神の子として、神であることを示します。これはヨハネの福音書神学と言えるものです。
しかし、菅井教は次のように創造前のキリストを否定します。
菅井氏:ちなみに、人類始祖が堕落したからこそ、キリストが必要になったのであって、堕落しなければイエス様も文鮮明師も、真の父として聖誕する必要は無かったのです。
そのイエス様と文鮮明師が、どうして創造前から存在している必要があったのでしょうか!https://ameblo.jp/hosizoralove/entry-12890881777.html」
これは「典型的な低キリスト論の高キリストに対する批判」です。ですから菅井派は、自ら自分たちは、低キリスト論であると言っているのです。
・結論2:菅井派は”高いキリスト論”ではない。キリスト教神学で分類するなら”低いキリスト論”
*参考までに、菅井派が日本サンクチュアリ協会は”低いキリスト論”だと言いがかりをつけますが、江利川会長は「お父様は創造前から神とともにおられたことを信じます」ので、日本サンクチュアリ協会は”高いキリスト論”です。
また、日本サンクチュアリ協会の神学面で影響力のある中村仁史氏本人に、リンク先の意味は、創造前のお父様を認めるということですかと確認したところ、江利川会長と同じように信じているとのこと。
ですから、日本サンクチュアリ協会では意見が分かれていますが、その「嘘がつくのが高度な詐欺キリスト論」で日本サンクチュアリ協会を責めることなどできないのです。
●神のアガペーの愛を否定
菅井教の神が真の愛に目覚めたとする”包容感論”を文亨進師の御言「愛は感覚ではないアガペーの愛、犠牲の愛である」をもってこの包容感論を否定したのですが、これに対して、
菅井氏:「アガペーの愛」と言われる「犠牲の愛」も、「肉的五感の感覚的刺激」との関係性があって初めて生じるものです。https://kuruto.muragon.com/entry/169.html
と、アガペーの愛を肉的五感との関係性から生じる愛だと、
文亨進師の愛の定義「愛はアガペーの愛、犠牲の愛である」を完全否定しました。
これは完全にチェックメイト。
神の愛は永遠なるアガペーの愛とする”高いキリスト論”、”低いキリスト論”、双方の「神の愛はアガペーの愛である」を否定するのですから、もはやキリスト教ということは根本的に言えません。
そして我々の信仰指導者、文亨進師の「「愛は感覚ではないアガペーの愛、犠牲の愛である」とされる愛の定義を否定するのですから、もはやサンクチュアリ教会でもありません。
・結論3:菅井派は完全にキリスト教ではない。ましてやサンクチュアリ教会ではない。
以上の結論1、結論2、結論3より、
『菅井教とはこういう程度の低い低キリスト論を、高度なキリスト論~~と叫ぶ、嘘が高度な詐欺高位キリスト論、キリスト教でさえ無い嘘をつくのが高度なペテン詐欺教団
である』
と、総論として結論づけることができます。
違うというのならキリスト教学会から、”あなたの教えは高いキリスト論である”という認定をもらって証明しなければなりません。
今度から、彼らは「我々のように嘘が高度なキリスト論でなければならない、なんだその嘘が低いキリスト論は!」と日本サンクチュアリ協会を批判してくるのでしょうか?
このような、本質が詐欺で詐欺師らしい謙遜傲慢な教団ですから、これからも”「真の父母様の本体論」は高度なキリスト論だ!という詐欺詭弁ペテンの限りを尽くして、ガンガン言い続けるでしょう。
全ての感性・感覚・発想・霊性・人間性がこれほどの詐欺で、詐欺師の基本でもある謙遜傲慢なので仕方がないのですが、皆様におかれましては騙されて被害に合わないよう気をつけて下さい。
何重ものバカを繰り返し天地創造した菅井教の天宙バカ神
さて、菅井教が教える神、真の愛に目覚めたのに絶対孤独に陥る天宙バカ神についてです。
●真の愛の否定
菅井教は、真の愛、真の愛といいますが、
菅井教はさきほど見たようにキリスト教と文亨進師のアガペーの愛を否定します。これは真の愛の否定です。
真の愛からアガペーの愛を取り除いたら、何が残るのだということです。
このように彼らが言う真の愛には、アガペーの愛が無い、菅井派独自の愛、偽りの真の愛であるという事実があります。
菅井派が真の愛と言った時、それは詐欺ペテン、詐欺を働くための偽りです。
彼らが”真の愛”と言った時、それは騙す気まんまん!”お前を騙すぞ”と言っていることと同じです。騙されないよう注意してください。
もう一つ、騙す気満々の言葉”比喩”、”象徴”この言葉が出てきたら、詐欺論を展開していると見做してかまいません。騙されないよう気をつけてください。
●誰がこの愛を込めたの??
菅井教では、「前段階エネルギーの包容感によって自己中心的神が悔い改め真の愛に覚醒する」というのですが、この包容とエネルギーには愛が込められていると主張します。
菅井氏:「エネルギーの愛、包容感の愛」と表現していますが、これも言葉を逆転させ読み手を惑わせています。愛の込められたエネルギー、愛を込めた包容と言って初めて意味が成立します。https://ameblo.jp/hosizoralove/entry-12913700277.html
愛の込められた?愛を込めた?
その後、情的エネルギーなどとも言っているようですが、
では誰が自身の本形状の前段階エネルギーに愛や情を込めたのか?
① 神自身が込めたのなら、それを忘れるほど最初から認知症のバカ神
② 神自身以外の存在であるなら二元論、唯一神崩壊。
まさかの「”真の愛”が愛を込めたのです」という反論も面白いですが、これは②に属します。
菅井教は、夜の神は、夜の神の母を対象として、天地創造を始めたとする教義ですから、この母神でしょうか?
菅井氏:
・つまり神様を包み込んできて誕生させた包容感そのものを、顕現させようとしたのですから、その存在は夜の神様の母という事になるのです。母でありながら神様の対象として、ともに未熟な極地にある生命体として誕生し、ともに成長して、互いに真の愛を分かち合い、包容包括する関係になることを願われたのです。
・自らを真の愛を探す存在として産んでくれた母という存在に対して、どれほど感激されたでしょうか。
「前段階エネルギーに愛を込めた存在を夜の神の母!」と激烈に感激しているにもかかわらず、菅井氏は「母の存在想定であって女性神ではない!」と詭弁の限りをつくします。
最近は”もう一人の自身”などと言っているようですが、自分自身に対して自分を産んでくれた母だと感激する大馬鹿だということです。
更に言えば、”もう一人の自身”という言葉自体が二元論です。菅井教の神は両性具有神であると自分から言っていることになります。
創造神とは言葉で創造する神ですから、その神がそのエネルギーを母だと感激したのなら、そのエネルギーが女性神になります。「愛の込められたエネルギー」というのですから尚更、このような母神が存在することになってしまうのです。
だから菅井教は女性神を信じる宗教、この神は両性具有神だと言われて当然です。
このように菅井教は愛の込められたエネルギーを母なる神として崇める邪教なのです。
●認知症と母神崇拝の二重バカ神
そして、この神は
①自分が込めたことを失念するほどのバカ神」
と
②前段階エネルギーを自分だと知りながら母と崇めるバカ神」
の両方の、二重のバカ神です。
つまり、自身が前段階エネルギーに込めた愛を完全に失念して「愛の込められたエネルギー、愛を込めた包容」、これぞ「自らを真の愛を探す存在として産んでくれた母」と激烈に自分自身に感激するほどの、根本根源的バカ神だということです。
自身の前段階エネルギーに主管されるバカ神です。前段エネルギーの包容感に主管されまくって感動して「お母さん~~」と嗚咽する狂った絶対バカ神。
こんな創造前から認知症な神に創造などできるはずがありません。
●自分の絶対無に気づかない三重バカ神
もう一つのバカがあります。
菅井氏「それまで絶対無であった対象としての存在が、永遠無限の神様をも超越する情的現象として立ち現れたのです。https://kuruto.muragon.com/entry/29.html」
そのバカは自分の本形状の前段階エネルギーは絶対無であるから、それが包みこんでくるまでは、その存在に気が付かなかったこと。
無の概念、包容の概念、予定調和の考えはあったのに気が付かなかったとのこと。
中和的主体だからと理由付けていますが、自身のことも自発的に理解出来ていない、自分がどうなることさえも予測出来ない程度の予定調和ですからたかが知れています。
それほど全知全能と真逆の、極めて未熟な予定調和の能力しかなく、前段階エネルギーを主管する能力も主体性もない極めて無能な単なるバカ神です。
自分のことが、これほどまでに、どうなるか予測も出来ないバカ、自分のこともまったく理解できないバカ神が、その大いなる勘違いの感動でつくった被造物がどうなるのか?
極めて未熟な創造しかできないことは明白。創造自体が出来たのかも疑わしい。
これほどまでに自身の前段階エネルギーに不意打ちを食らい主管される主管力も主体性もないバカ神です。
本来絶対無と絶対有を主管する存在であるはずの神様が、ご自身の絶対無に完全無知であり、ご自身の絶対無に主管される情けない絶対有の神様です。
●包み返そうとするバカ、絶対孤独に陥る四重、五重バカ神
さらにバカが続きます。バカは続くよ何処までも!
菅井氏「360度から喜びに包み込まれた感覚を味わいながら、その包み込んで来た存在を包み返そうとした時に、その存在はどこにも無く、全知全能の絶対者であった神様が、絶対孤独の境地に落とされたのです。https://kuruto.muragon.com/entry/31.html」
この神は自身の前段階エネルギーを包み返そうとして、絶対孤独に陥ります。
予定調和まで考えたくせに、自分自身の前段階エネルギーについてまったく認識も理解できていないから、包み返そうとバカなことをする。おまえ、なんというバカな神と思います。
そして、このバカ神、突然、絶対孤独の境地に落とされる・・・何と言うバカの境地!
菅井氏「ですから夜の神様は愛する対象を、360度から愛が包み込んでくる被造世界を構想できたのです。無の暗闇の体験があったがゆえに、360度から母性の愛が包み込んでくる女性の生殖器を構想できたのです。https://kuruto.muragon.com/entry/32.html」
そして、その対象を求めて360度から愛が包み込んでくる被造世界を構想し、360度から母性の愛が包み込んでくる女性の生殖器を構想し、天地創造を開始する・・・
菅井教のいう真の愛はこのように”絶対孤独で満たされない対象への渇望を伴う愛”です。
このような”絶対孤独の悲しみの境地”から愛する対象を求める愛を”エロス(Eros)の愛”と言います。
創造後の世界では肉体的・情熱的な愛をエロスの愛といいますが、肉体が無い創造前においても、このような孤独の感性から相手を愛したいと求める愛をエロス(Eros)の愛と言います。相手を幸せにしたいと思っても孤独からくるのでエロスの愛なのです。
菅井派は神のアガペーの愛を否定しましたが、いみじくも彼らが言うように、この愛は間違いなくアガペーの愛ではありません。
この神はこのような”孤独感の愛(エロスの愛)”を真の愛とする神です。
そしてこの神は、孤独感から対象を求める愛”エロス(Eros)の愛”で天地創造した神なのです。
●菅井教の天宙バカ神よ、いい加減思い出せ!
”自身の前段階エネルギーが包む”という働きがなければ悟ることもできず、
気がついたら気がついたで、「産んでくれた母だ~」と感激し、
ところが「あれ?どこにも存在しない~~」と勝手に絶対孤独に陥って大騒ぎして、
その絶対的な孤独感から愛する対象を求める愛、”エロス(Eros)の愛”を爆発させて天地創造を開始する神。
本来絶対無と絶対有を主管する存在であるはずの神様が、絶対無に対し大騒ぎ。なんという主管力のない情緒不安定な神。
包容という働きかけがなければ自分自身で悟ることのできないほどの主体性主管力の無い受動的対象的存在であり、
しかもこんな間抜けな大バカのどこが全知全能の絶対者だというのでしょうか?
「お前、創造主だろ絶対者だろ?その感動しているのは自分の絶対無だろ?だったら、ちゃんと理解して主管しろよ、無に逆主管されてどうする!能力なさすぎ!」と言いたくなってしまいます。
自分で前段階エネルギーに込めた愛を忘れ、
その前段階エネルギーの存在自体も失念し、
その前段階エネルギーが包みこんで来んできたので気がついたら、産んでくれた母!と感激し、
包み変えそうとしたら存在していないと、絶対孤独の境地に勝手に陥って大騒ぎ。
包むということがなければ悟れないほど依存症の、悟りという主体性主管性の能力も自主独立の叡智のかけらもない。
そして未だに、大初に予定調和までしておいて、自分で前段階エネルギーに愛を込めたことさえ思い出せないでいる。
天地創造が始まってからもう138億光年も時間が経っているのですから、いい加減思い出せ!というのです。
自分の前段階エネルギーの包容に込められた愛を”産んでくれた母~~”と大騒ぎする愚かなバカ神。
こんな、お間抜けな大バカ神に天創造など出来るはずもありません。
●これ程の天宙バカ神が創造主なのか?
以上より、神としての威厳も神聖も無いこの神は、創造主を偽るサタン(イブリース)の類であることが分かります。こんなのが創造主であるはずがない。
この霊は大変大きな堕落天使だと感じていたのですが、このどうしようもないバカさは下っ端なのでしょうか?
これほどの大バカ神なのですから、普段は「真の愛、真の愛」と嘘を語り、何かのきっかけで容易に他者犠牲の自己中心利己的なその本質を表す神です。
たかがそんな程度の愛が込められた本形状の前段エネルギー、愛を込めた包容に目覚めた真の愛など、その時は絶対服従すると思っても、何か気に入らないことがあれば、この神は本来本質の自分のために生きる自己中心な神に戻ってしまうのです。
それにしてもバカ神です。
こんなバカ神とこのバカ神からくる悪霊たちを”御父様””御父様の聖霊”などと感激する菅井派の信仰はとても理解に苦しみます。
●詐欺ペテンの天一国憲法論
それにしても、菅井派を支援する人々を含め、彼らは、信仰、天一国憲法の信仰の自由を守れ、我々は王と王妃だと叫ぶのですが、天一国憲法は、菅井派のような嘘やペテン詐欺を認めていますか?
彼らは、どうしてこれほどの詐欺ペテンを、宗教の自由だと叫ぶのでしょうか?
それは、それほど危ない危険思想の宗教団体だということです。
彼らはサンクチュアリ教会ではありません。
しかしこれからも嘘が高度な詐欺キリスト論を叫び続けるでしょう。
皆様、騙されないよう呉々もお気をつけください。
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