キリスト教に興味のある皆様へ
菅井(クルト)氏の教えはキリスト教を語る詐欺であり、サンクチュアリ教会ではありません。
キリスト教信徒の皆様、キリスト教に興味がある方々にお伝えします。
菅井派はさもキリスト教の神学を信じているように言葉巧みですが、詐欺です。
そのことは、シンプルに証明できますので、それをご紹介します。
また聖臨連合を始めとする菅井派は、サンクチュアリ教会ではありません。サンクチュアリ教会を装う別の宗教です。
菅井氏が独自に”「お父様はこのように言っている」とする教え”を”お父様の教え”とする教団だからです。
よって私達の大切な結婚においても、相手が菅井派であることを理由に離婚することも認められます。サンクチュアリ教会最大である日本サンクチュアリ協会では厳しく対処していますのでリンク先を御覧ください。
この「お父様はこのように言っている」とする教えに対してサンクチュアリ教会の指導者、文亨進牧師(文鮮明師の後継者、代身者、相続者)は菅井派に影響を受ける人が目を覚ますように警告や啓蒙をしなさいとサンクチュアリ教会長たちに指示しています。
もちろん菅井派は激しく反対し、全てデタラメだ捏造だと言いますが、それにもかかわらず、目を覚まして菅井氏の”お父様”ではなく文亨進牧師の”お父様”に帰ってくる人もいます。
そのような救済と、キリスト教に興味のある方々が騙されないよう、これを書きます。
管井派はアガペーの愛を肉的五感からのものとしてキリストを貶める宗教
サンクチュアリ教会は統一教会の時代から一貫して文鮮明師(真のお父様)が提唱される為に生きる真の愛(アガペーの愛)の神を信仰しています。
文亨進師(我々は天一国二代王と呼びます)はキリスト教ヨハネの福音書の創造前の三位一体論、創造前のアガペーの愛、イエスキリストの創造前の犠牲の愛、即ち「為に生きる愛」を提唱しています。いわゆる高キリスト論です。
しかし菅井派はこの文亨進師の三位一体論は詩的象徴的な表現であって、イエスキリストの三位一体は創造後であるとする低キリスト論です。
次の言説を見れば簡単に分かります。
菅井氏:「アガペーの愛」と言われる「犠牲の愛」も、「肉的五感の感覚的刺激」との関係性があって初めて生じるものです。https://kuruto.muragon.com/entry/169.html
彼らは自分たちの勢力拡大のために、さも創造前のアガペーの愛の本質的表現である三位一体論、高キリスト論を信じているかのように言葉を飾りますが、実際には、この彼らの教えの通り、アガペーの愛、犠牲の愛も創造後の肉的五感からくる愛だとして否定し貶めます。
このように、キリスト論を使った詐欺を、高度なキリスト論と言って宣伝するのですから極めて悪質な詐欺ペテンです。
真の愛からアガペーの愛、犠牲の愛を削除します。ですからサンクチュアリ教会とは違う別の宗教なのです。
いや、キリスト教と呼ぶことさえも出来ません。
キリスト教における愛の種類は皆様御存知の通り次の4つです。
エロス (Eros): 情熱的な恋愛感情や性的な愛を指します。自分にはない価値あるものを求め、自分の中に引き入れたいという強い欲望を伴う愛です。
フィリア (Philia): 友人や同胞に対して抱く「友愛」や「友情」を指します。相互の尊敬や好意に基づいた、対等な関係性の愛です。
ストルゲー (Storge): 親子の愛のように、血縁関係から自然に生まれる愛着や情愛を指します。
アガペー (Agape): キリスト教における神の愛に象徴される、見返りを求めない無償の愛です。すべての人々や存在に向けられる、献身的な愛です。
この、キリスト教において、父なる神の愛である、アガペーの愛を「肉的五感の感覚的刺激」からの愛であるつまり、神の愛でないと主張するのですから、この時点で、菅井派達は自分たちはキリスト教ではないと自白しているのです。
それなのに自分たちは高度なキリスト論というのですから、まったくの詐欺なのです。
彼らは、「自分たちこそ創造前にキリストが存在すると信じる」「自分たちこそが文亨進師を信じている」と大声を上げるのですが、よく見ると象徴詩的表現として受け入れているというのです。これは明らかなペテン、詐欺です。
しかし彼らは一切の罪の意識がありません。なぜなら彼らは象徴的、詩的表現と言っては詐欺を語ることを常套手段としているからです。
さらには、アガペーの愛、犠牲の愛は、創造後の愛と言うのならまだしも、
アガペーの愛をこのように”「肉的五感の感覚的刺激」との関係性があって初めて生じる”肉的五感次元であると貶め嘲笑う菅井派の教えはキリスト教徒にとって甚だしい心情蹂躙です。
これは高キリスト論キリスト教、低キリスト論キリスト教双方のキリスト教にとって心情蹂躙です。
もちろん文亨進師が大切にしておられる”父の犠牲の宝血の愛”を”「肉的五感の感覚的刺激」との関係性があって初めて生じる”肉的五感次元の愛である、創造前の三位一体は象徴であると貶めるのです。
しかも菅井派の解釈こそが、文亨進師の神学だと主張して、文亨進師をアガペーの愛を貶めるキリスト教の敵にしたてあげるのですから、二重の意味で、サンクチュアリ教会にとっても、甚だしい心情蹂躙であり神聖冒涜です。
この詐欺こそが真理だと彼らは主張するのですが、どうしてこのような詐欺を受け入れられるでしょうか。
このように菅井派の教えの本質はアガペーの愛、犠牲の愛は、創造前から存在する真の愛には存在しないとする教義です。アガペーの愛は神の愛ではないと否定するのです。
創造前から存在する真の愛から、アガペーの愛、犠牲の愛を抹殺したのです。
アガペーの愛、犠牲の愛が無い愛のどこが真の愛なのか!というのです。
しかし、それが真理だと菅井派は主張します。まったく相対立します。だから別宗教なのです。
文亨進師の三位一体論を詩的象徴的な表現であると言いながら、さも自分たちは創造前の三位一体論を信じているかのような悪質な詐欺を何度も繰り返す理由は、彼らが極めて利己的であり自己中心的だからです。
彼らは「悔い改めることで真の愛に目覚める自己中心的な神」を信じます。
ところがこの彼らの言う真の愛には、アガペーの愛、犠牲の愛がありません。
そのような神を信じるので、必然、嘘ペテンは罪とも思わないのです。
このように菅井派はサンクチュアリ教会にとっても別の宗教、異端です。
しかも、とてもキリスト教とみることなどけっして出来ない宗教、異端です。
私達が目指す、神の国、天一国にこのような詐欺宗教があっても構いません、そのような詐欺師でも天一国国民です。
しかし同じ宗教であるかははっきりさせなければなりません。詐欺に気をつけるのも当然です。その観点でみるとき、菅井派はサンクチュアリ教会を装う、見かけが似ているだけの擬態宗教、全く別の宗教なのです。
参考までに。
菅井派が言うように、創造前の神の愛をアガペーの愛で無いというのならば、創造前の神の愛は他のエロス、フィリア、ストルゲーの3つの愛の中にあるということになります。
菅井教のいう真の愛は”絶対孤独で満たされない対象への渇望を伴う愛”です。
このような孤独感から対象を求める愛ですから”エロス(Eros)”の愛であるということになります。
相手を幸せにしたいと思っても孤独からくるのでエロスの愛です。
もちろん彼らは「エロスの愛ではない」と否定します。
では残りのフィリア、ストルゲーの何れかでしょうか?これも該当しそうにありません。となると要は菅井派のいう神の愛とはペテンの愛、詐欺の愛ということになるのです。
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