真の基元節6周年
天地人真の父母様天宙完成祝福聖婚式4周年
기원절 6주년 천지인참부모님 천주완성축복성혼식4주년
天基12年天暦8月4日、2021年9月10日
基元節は本来、お父様が願われたのは、 天基4年天暦1月13日(2013年2月22日)でした。しかしその時はむしろハン・ハクジャか決定的に堕落する日となってしまいました。
お父様は既に天基3年2012年陽暦6月4日ラスベガスで亨進様と国進様を真のアベルとカインとして一体化を宣布する祈祷をされました。その時、ラスベガスで大会をされながら、ハン・ハクジャ(韓鶴子)と二人の息子を壇上に呼ばれ、4名が手を繋ぎ、お父様が祈祷される内容の中にその様なアベルカイン一体化勝利の宣布がありました。
こうしてお父様はすでにアダムの位置を勝利されており、だから行かれる前に「全て成された、成された、成された」とされたのです。
最初に真の基元節が定められたのは、天基6年、天暦7月17日でした。2015年8月30日でした。(この日は真の御父母様聖和3周年)
その日に、王妃様の王冠も準備され、ここで準備された王冠を、弟であられる2代王様の頭に被せられました。
真のカイン・アベルが実態的に一つになったのです。
既にお父様はラスベガスで祈祷をされながら、“真の家庭の中から初めてカインアベルが一つになった“と話されました。
ヨハネの黙示録第12章
12:1また、大いなるしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた。 12:2この女は子を宿しており、産みの苦しみと悩みとのために、泣き叫んでいた。
12:3また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、大きな、赤い龍がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。12:4その尾は天の星の三分の一を掃き寄せ、それらを地に投げ落した。龍は子を産もうとしている女の前に立ち、生れたなら、その子を食い尽そうとかまえていた。
12:5女は男の子を産んだが、彼は鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者である。この子は、神のみもとに、その御座のところに、引き上げられた。 12:6女は荒野へ逃げて行った。そこには、彼女が千二百六十日のあいだ養われるように、神の用意された場所があった。
真の母であられる康賢実真のお母様が勝利された日、勝利された日、それからそれまで一人でおられたお父様が新婦を娶られるとき、完成段階の新婦を娶られたときはいつでしたか?
これが天暦8月4日(2017年9月23日)。その時初めて、歴史上初めてエバの位置が完成されたのでした。
ところで、エバの位置は韓鶴子の堕落、堕落によって一旦、また自らその位置を降りてしまったため、一旦保留になっていましたが、
とにかく我々は段階的に基元節を成していきますが、一番目が天基6年7月17日(2015年8月30日)に真のカイン・アベルが一つになったこと。
その次に天基8年8月4日(2017年9月23日)ここで、天地人真の御父母様天宙完成祝福聖婚式を通して成されたことが神様の結婚式でした。神様の結婚式。
だから四位基台が歴史上初めて人類史上,神様の創造歴史上はじめて初めて四位基台が完成されたということなのです。
四位基台、神様とアダム、エバそしてカイン、アベルがいて、天基8年天暦8月4日(2017年9月23日)に四位基台が完成したのです。
そこで我々は2代王様の指示に従い、その日(2017年9月23日)を基元節として讃えています。
真の基元節訓読のみ言(江利川大陸会長提供)
洗礼ヨハネの父母が、洗礼ヨハネをよくやっていると称賛したと思われますか? 獣の毛皮の服を着て帯をしめ、あちこちの村を歩き回るので、子どもたちの嘲弄(ちょうろう)と非難のまとにならざるを得なかったのです。洗礼ヨハネは、自分を呼び立てられた神様を信じることにおいては、たった一つの命さえあれば、誰が何と言っても、誰が反対し、ばかにしたとしても、それを問題視しませんでした。絶対的に神様を信じ、神様の側に立ったのです。このように洗礼ヨハネは、神様の愛を受けることができる立場に立ったため、預言者の中の預言者であり、誰よりも福を受けることができ、メシヤを証できる第一人者になることができたのです。
このような方法が摂理路程に公式として残っていることを、皆さんは知らなければなりません。堕落した人間は、このような原則を踏まずに、ただそのまま上がっていくことはできません。イエス様は、この地に来られて「誰よりも私を愛しなさい」と言われました。それはあり得る言葉ですか? また「死なんとする者は生き、生きようとする者は死ぬ」と言いました。反対です、反対。すべて反対なのです。メシヤを迎えたなら生きなければならないはずなのに、死ぬというのはなぜ死ぬのですか? 反対だというのです。イエス様はまた、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛しなさい」と語られました。「神様を愛しなさい」と言われたのです。他のものを愛してはいけないということです。異なる世界の愛圏を提示されたのです。
今日、この地に生きている私たちも同じです。神様が皆さんに「おい、お前、私についてきなさい」と栄光の場で命令されるようになるとき、皆さんが「その原則はよいのですが、私は嫌です」と言えば、神様のみ旨は成し遂げられないのです。ソドムとゴモラの審判の時に起こったロトの妻のような結果を、私たちは考えなければなりません。世の中に未練をもっていてはいけないのです。
イスラエルの民は、さきほど話したサタンの野生のオリーブの木の畑から抜き出して神様の畑に植え、神様が主人となって育ててみるための選民でした。選民という言葉は、サタン世界から分離された民族を意味するのです。サタン世界よりも、さらによい個人になり、家庭になり、氏族になり、民族になり、国家になるようにしておいたのです。
サタンがこの世界の王になっているので、神様を中心とする本来の王権を回復しなければならないのが神様の使命なので、選民を中心としてこれを再び成し遂げるためのものが救援摂理です。それで神様は、個人、家庭、氏族、民族、国家をつくっておかれました。また国をつくっておき、中心存在であるメシヤを送ると預言をして、イスラエルの民は数千年間、その日を期待していました。メシヤを送るときは、国の中に送るのであって、個人の中に送るのではありません。
この国とユダヤ教がイエスと一つになっていれば、世界を代表できるイエスを中心とする国と、イスラエルを中心とする新しい世界的キリスト教文明圏は、なくなることなく残っていたでしょう。イエスが十字架で亡くなり、闘うことなく、この地上に世界的なキリスト教を成していたでしょう。そのようになっていれば、ユダヤ教が今、ニューヨークに残っているでしょうか? 今、アメリカにはユダヤ教徒が多いのです。
イエスは霊と肉をもってユダヤの国の祭司長になり、ユダヤの国の統治者にならなければなりませんでした。そこから初めてこの地に神様の国、神様が王になることができる基盤が成し遂げられたのですが、イエスが死ぬことによって、この地には、神様がこの世の王になれる権限をまだ取り戻すことができていないのです。この地上にイエス様が再び来る時まで、ユダヤ教と同じ立場のキリスト教と、ユダヤの国と同じ立場のイスラエルの国があるかというと、ないというのです。
イエスが十字架で死んだために体が失われてしまい、霊的な世界、霊的な天国だけを見つめてきたのが今日のキリスト教です。これは深刻な問題と言わざるを得ません。今日のキリスト教徒たちは、主が雲に乗ってくると思っています。堕落は空中でしたのではないというのです。地上でしたのです。
ですから、マタイによる福音書18章18節を見れば、「あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう」とあるのです。イエス様は地上にいるペテロに鍵を与えていかれたのであって、もっていかれたのではないというのです。ですから、地上で失ってしまったのなら地上で取り戻し、地上で解くことがあれば、地上で解かなければなりません。
イエス様が死ぬとき、新婦を訪ねて再び来ると言いましたが、これはみ旨をすべて成し遂げたために再び来ると言ったのですか? そのみ旨を成し遂げることができなかったために再び来ると言ったのです。出張に行った人が仕事をすべて終えたのに、「また出張してくる」と言う人がいますか? いないというのです。
それでは、キリスト教徒たちが信じるように主が空中に来るのではなく、人として来るのであれば、昔のようにまた捕まえて殺そうとするでしょう。昔、祭司長たちが「ガリラヤに住むヨセフの息子がどうしてメシヤなのか」と反対したのと同じように、世界的な神学者、神父、世界で名のある牧会者たちが先頭に立って反対してくるでしょう。
イエスが死んだのちに、イスラエル民族が2000年間、孤独にさ迷う民族となり、ヒットラーに600万人が虐殺されたのは、このような歴史的な曲折によってそのようになったことを私たちが考えるとき、キリスト教がもし再び来られるメシヤに反対する日には、キリスト教もやはりイスラエル民族と同じように悲惨な死の道を歩まざるを得ないということは、言うまでもない事実です。
(『文鮮明先生御言選集』53-94~96 1972.2.10)
一般教書
韓ハクチャの腐敗した清平を復帰した清平としてテネシーにお父様を中心として清平の摂理をもって米国をはじめます。
祈 祷
勝利したカインとアベルにより、韓ハクチャの堕落した清平を復帰したテネシー清平、ラスベガスと転換していきます。
<後で翻訳します。>
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