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Wednesday, November 20, 2024

キリスト再臨アドベント28 ◆神の復帰計画とノア家庭が出会うとき、何が起こるのか?_文信俊三代王:The Advent by Shinjoon Moon_ Principle Series

 The Advent by Shinjoon Moon_ Principle Series

キリスト再臨アドベント28

神の復帰計画とノア家庭が出会うとき、何が起こるのか?

文信俊三代王

翻訳&提供:Michiyo H.

28. (20241107) 

What Happens When God's Plan of Restoration Meets Noah's Family?

 

 

神の復帰計画とノア家庭が出会うとき、何が起こるのか?

 


[復帰摂理において、神は常に中心人物を選び、その人物を軸として神が働かれるのを見ました。

このエピソードでは、神が選び、信仰基台を立て一体化するように責任を課した、ノア家庭の物語を取り上げます。

神がノアの生涯においてキリストを遣わそうと、どのように御計画されていたかを理解するためにご覧ください。

ノア家庭は成功するでしょうか?ご覧になって確かめてください!]

 

 

アダム家庭の失敗の後、世界は、最初の人類の祖先が犯した神に背くセックスと殺人の罪を繰り返しながら、螺旋を描いて混沌へと落ち続けて行きました。

アダムの家族の中では、復帰されなければならない人々の数は、まだほんのわずかでしたが。

 

しかしながら、カインがアベルを殺したために、神はこれ以上アダム家庭の中で働くことができなくなりました。

アダムから1600年後のノアの時代まで、中心家庭は多くの部族や民族に広がっていました。

人類の拡大とともに人間の邪悪さも増大し、ついには、「主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。(創世記6:5)」という頂点に達しました。

 

もちろん、これは神の当初の御計画ではありませんでした。

神が意図された創造世界は、罪と悪が完全にない世界であり、神の子女たちが神との間において、人と人お互いの間において、そして被造物と完全に関わり合う事の出来る、神の真の息子娘となる調和の世界でした。

 

しかしながら、堕落の結果、この美しい希望は満たされることなく残され、神は人間を創造したことに対する大きな後悔と悲しみに陥りました。

 

(創世記6:6, 6:11)

主は、地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、

なぜなら

世は神の前に乱れて、暴虐が地に満ちた。

 

しかし、神は、堕落した人類の中でも、人類を見捨てませんでした。


 

神の前に正しく、かつ全き人(創世記6:9)」ノアは、復帰摂理においてアダムを代身する中心人物として選ばれました。

神は公正で義なる神であり、復帰の壮大な御計画の中で、常に善と悪、麦と籾殻を分けられます。


 

私たちは前回、まさにこの考え方を目の当たりにしました。

神がカインを拒絶した衝撃的な理由(God's Shocking Reason for Rejecting Cain)

神は象徴的にアダムを善と悪、アベルとカインに分けなければなりませんでした。

 

ノアの時代にも同様でした。

そのように、神は悪に終止符を打つために、ノアの家族に願いを託し、サタンに奪われた人類と被造物を再創造することに決めました。


悲嘆に暮れた神は、人類を洪水にあわせる計画をされました。

しかしながら、サムエル記下にあるように、悔い改める機会がなかったわけではありません。

 

(サムエル記下14:14) 神は、追放された者が捨てられないように、てだてを設ける人の命を取ることはなさいません。

 

一方で、ノアが建造していた巨大な箱舟は、人々が罪から立ち返るための視覚的な表示としての役目を果たしました。

同時に、ノアは120年間、「義の宣伝者(ペテロ第二の手紙2:5)」として伝道しました。

悔い改めて神のもとに立ち返るように呼びかけたのです。

何十年にもわたったノアの警告を人々が聞き入れたならば、彼らは罪のために流されることはなかったでしょう。


 

さて、「復帰の方法」に話を戻しましょう。

摂理的な中心人物として立ったノアは、神に導かれて、信仰基台を築くための条件を立てなければなりませんでした。

思い起こせば、信仰基台と一体化の上にこそ、メシアは来られるのです。

箱舟の建造は、まさにその信仰の条件でした。

 

視界内には水のない乾いた土地に巨大な船を建造するという、神の命令を信じるために必要な信仰を想像してみてください。

嘲笑や迫害を受けながらも、ノアは何十年もの間、神への信頼を揺るぎないものとし、箱舟を完成させ、信仰基台を築きました。

 

この一連の出来事をもう少し詳しく見てみましょう。

 

堕落の際、人類の最初の祖先であるアダムの生得権をサタンが強奪した時、宇宙全体がサタンによって奪われたことを私たちは知りました。

従って、人類の第二の祖先として立つためには、ノアは宇宙を象徴する犠牲を捧げなければなりませんでした。


 

ゴフェルの木で作られた箱舟は、ノア家庭を住まわせ、洪水を生き延びられない動物を一組ずつ保護するために3層で構成されていました。

箱舟の3つの階層は、成長期間の3段階を経て創造された宇宙全体を象徴していました。

聖書に繰り返し登場するこれらの数字が、なぜそれほど重要なのかは、後のビデオで説明します。


 

続けますが、蕩減条件により復帰されたノアの8人家族はアダム家庭の8人であり、人類を代表しています。

最後に、箱舟に乗った動物たちと食糧は、万物と被造物を表していました。

したがって、ノアの家族と動物たちまでの箱舟の層、箱舟全体として、サタンの支配下に落ちた古い宇宙から分立されつつある新しい宇宙を表していました。

 

箱舟が完成し、居住者が無事に中に入ると、大洪水に備えて箱舟の扉は閉じられました。

40日間にわたり、見渡す限りの水が氾濫し、すべてのものが水没しました。



私たちは、「3」という数字が復帰摂理において非常に重要な意味を持つのを見てきました。

では、「40」という数字にはどのような意味があるのでしょうか。

聖書に出てくる40という数字は、聖別、つまりサタンから分立するための数理期間を表しています。

いくつか例を挙げると、「イスラエルの民が荒野をさまよった40年間、ヨナが悔い改めのために与えた40日間、イエスの40日間の復活」などが挙げられます。


 

こうして、「神の40日間の大洪水の審判」によって、サタンから分立する条件が整えられました。

箱舟とノア家庭がサタンから分立されることによって、神は事実上、世界を再創造したのです。

 


水が引き、箱舟が乾いた土地に停泊した後、ノアとその家族は神に感謝を捧げ、祭壇を築き、動物を生け贄として捧げました。

彼らの生涯を通じての信仰を認め、神は彼らの上に、アダムに最初に語られたのとまったく同じ三大祝福を再確認されます。

実を結び、増え、地に満ち、地を治めよ(創世記1:28)

 

神は、人間との契約のさらなる確認として、虹は、二度と地球を氾濫させないという約束を表しているとおっしゃいます。

 

復帰摂理において、メシアが来られるためには、信仰基台と実体基台の両方が立てられなければならないことを私たちは見ました。

アダム家庭の場合、アダムを象徴する立場にあったアベルは、中心人物として信仰基台を立て、そしてカインと一体となってメシアのための基台を築かなければなりませんでした。

 

しかしながら、ノア家庭の場合は、ノアが信仰基台を立てました。


従って、実体基台を立てるためには、神によってアベルの立場に選ばれた、セムの弟であるハムがまずノアから信仰基台を受け継ぎ、次に3人兄弟の中で最も年長のセムと一体化しなければなりませんでした。

アベルの立場に立つ中心人物がカインの立場に立つ人と一体化することによって初めて、実体基台が立つことを思い出してください。

創世記の物語が突然、ノアと彼の家族との関係に移り、創世記9:20から28の最重要項目となるのはこのためです。

 

ノアは農夫になりブドウ畑を作ります。

ある日、彼はワインを飲み過ぎ、天幕の中で裸で意識を失っています。

ハムは父の天幕の中で、酔っぱらって床に倒れているノアを偶然見つけます。

ノアの行動を完全に無視すべきではありませんが、このような驚くべき信仰を示した後、ハムはノアの名誉を守ろうと努めるべきでした。

 

しかしながら、ハムはノアを恥ずかしく思い、不名誉な振る舞いをしました。

傲慢にもノアに対する間違った見方を彼の兄弟に広めたのです。

そのため、セムとヤペテは、自分たちの父親がそのような恥ずべき状態にあるのを見ないようにするために、反対側を向いて後ろ向きに歩いたのです。

 

さらに重要なことは、ハムの行動は象徴的に再び堕落をもたらす意味合いを含んでいました。

 

罪のない純粋な状態のアダムとエバは、裸でいても恥ずかしくありませんでした。

しかし堕落後、アダムとエバは下半身を恥じるようになったと書かれています。

それが堕落の原因であったので、彼らの感情は、彼らが犯した罪の結果としての良心の呵責を表していたのです。

 

したがって、ノアの場合、彼はアダムの立場に立つ中心人物であったので、ハムがノアを恥じた時、それは事実上、堕落の同じ感情がハムを支配した実証でした。

 

さて、余談ですが、裸を恥じることは普通なら罪にはならないでしょう。

ノア家庭は、神の復帰歴史において、メシアのための基台を築くという摂理的な役割を担っていたという点で、ユニークな存在でした。

だからこそ、ハムが不名誉な行動をとった結果、ノアは激怒してハムとその子孫を呪いました。

 

ノアと信仰において一体化したならば、神の計画は、アベルの立場にあるハムが、カインの立場にある兄セムと一体となって、カインアベルの一体化、すなわち実体基台を完成することでした。

しかしながら、ハムが父から信仰基台を受け継ぐことができず、アベルの立場に立つことができなかったため、実体基台を確立する方法がありませんでした。


 

メシヤを降臨させる摂理は、ノアの驚くべき信仰条件によって当初は有望に見えたにもかかわらず、残念ながら失敗に終わりました。

神が、その中心人物がたった一家庭を復帰するだけで成功する理想的な条件を用意しておられたにもかかわらず。

しかしながら、肝心なときに人間はその責任を果たすことができませんでした。

 

人間の失敗にもかかわらず、神はもう一人の中心人物が現れるような適切な状況の再現に邁進し続けていらっしゃいます。


次回は、「信仰の父」アブラハムの希望に満ちた生涯を取り上げます。

神は再び、その中心人物に信仰基台と実体基台を築く機会を与え、ひとり子を遣わす土台を築かせるのです。

 

それでは、次回までご期待ください。

ご視聴ありがとうございました。祝福された一日になりますように。

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Monday, November 11, 2024

キリスト再臨アドベント27 ◆マルクス主義のパラドックス: 善意と恐ろしい結果 ◆文信俊三代王: The Advent by Shinjoon Moon_ Principle Series

The Advent by Shinjoon Moon_ Principle Series

キリスト再臨アドベント27

マルクス主義のパラドックス: 善意と恐ろしい結果

文信俊三代王

翻訳&提供:Michiyo H.

28. (20241023) 

The Paradox of Marxism: Good Intentions, Horrific Outcomes


マルクス主義のパラドックス: 善意と恐ろしい結果


 

[アドベントへようこそ!今日、マルクス主義(とその伸張)を簡単に見ていくと、血なまぐさい専制体制への一貫した軌跡が見えてきます。パラドックスは、この破滅的な結末がしばしば善意から始まったということです。]

  

「各人からはその能力に応じて、各人にはその必要に応じて/能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」(カール・マルクス)

 

搾取的とされる資本主義社会と対比し、マルクスが思い描いたのは、個人の貪欲さに縛られることのないユートピア的な同胞団、無私の同胞団でした。

そこでは、平等と無欲と慈愛に満ちたイデオロギーとして組み立てられた場合、すべての人が平等であることを可能にし、誰もが共同で財を分かち合うのです。

 

多くの人々がマルクス主義や共産主義に共感するのは驚くべきことではありません。

マルクス主義や共産主義は、すべての社会が抱える不正や貪欲、不平等を解決する方法として示されているのです。

 

しかしながら、ここに問題があります。

これらの信念は理論上はよく聞こえるかもしれませんが、これらの発想が実行に移されるところはどこにおいても、それはあらゆる場合において、より多くの不平等の苦しみと死をもたらし、歴史的に見て、それは完全にディストピア(反理想郷)社会を作り出してきました。

これらの考えが実践されたら、多くの人々が実現すると信じているユートピアの正反対です。

 

こうしたイデオロギーが常に失敗してきた主な理由を見てみましょう。

まず、ビデオの冒頭の言葉から始めましょう。

 

「各人からはその能力に応じて、各人にはその必要に応じて/能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」(カール・マルクス)

 

According to Who?


この主張の問題は、誰があなたの能力を決定し、誰があなたのニーズを決定するのかということです。

これらのイデオロギーでは、神が各人に与えたユニークな才能や個性、能力を完全に無視しています。

国家が、あなたの能力が何であって、あなたのニーズが何であるのかをコントロール(管理)するのです。

言い換えれば、国家が経済を完全にコントロールし、その資源をすべての人々に均等に分配しようとします。

このこと自体が問題なのです。

国家といえども、それぞれの願望を持つ人々で構成されているからです。

 

そのため、多くの場合、少数の権力者に財貨が一元管理されることになり、大衆は単なるパン屑に不満を抱くことになります。

さらに、経済を自然に活性化させるような、財貨の自由な交換が行われることもありません。

市場の中央政府による計画経済は常に経済の停滞をもたらしてきました。

その大きな理由のひとつは、人間の責任に対する動機付けを無視することにあります。

 

例を挙げましょう。

ジョーという人物は、長年たゆまぬ努力と練習を積み重ね、物事をわかりやすく伝える能力で、ついに全国的に著名で非常に評判の高い教師になりました。

ジョーは多くの生徒を教えながら、自分の家族を養えるだけの経済的安定も得ています。

一方、ビルはジョーと同じ機会があるにもかかわらず、意欲に欠けているため、青春を無駄に過ごすことに決め、意図的に失業したままです。

 

この例では、ジョーの勤勉さと先見の明と行動力によって、ジョーの方が社会に貢献していることは明らかです。

純粋に経済的な観点から、ジョーもビルも政府から同額を支給されるとしたら、それは公平でしょうか?

特に、彼らの行動が彼らを今に至らしめたのだとしたら。

もちろんそうではありません。

 

しかし、共産主義のもとでは、まさにそれが起こっているのです。

そうなれば、ジョーもビルも、より効率的な技術革新に励むインセンティブ(刺激や動機)がなくなってしまいます。

誰もがより広いコミュニティのために常に犠牲を払うだろうことを前提とするしかありません。

 

これは、緊密に結びついた小さなコミュニティではうまくいくかもしれませんが、

この共同体的共有をそれ以上の場所において推定することは、人間はある目標に到達するためのインセンティブ(刺激や動機)があればやる気が出るものなので、人間の本質を無視することになります。

 

共産主義にはもともとインセンティブ(刺激や動機)がないため、もし、働かない人が働く人と同じ成果を受け取るのであれば誰も働く理由がありません。

インセンティブは本質的に利己的なものであるとも言えますが、自由な物質交換と結びついたインセンティブは、ジョーがそうであったように、莫大な利益をもたらすことができます。

 

共産主義下の問題をさらに悪化させるのは、経済の一方的な支配は、最終的に市場の暴落を招くことです。

いわゆる専門家会議が経済全体を効率的にコントロールするのは不可能です。

これらの専門家たちは実際の現場経験がありません。

 

それは単にお金だけの問題ではなく、経済崩壊の危機に瀕すれば、多大な人的被害が発生することを言っているのです。

こうした悲惨なイデオロギーは、常に壊滅的な食糧不足と飢餓を引き起こしてきました。

何百万人もの人々を文字通り餓死へと導いてきたのです。

 

世界史上最悪の飢餓が起こったのも不思議ではありません。

[飢餓

中華人民共和国大飢饉 1959-1961年

ホロドモール(ウクライナ飢饉) 1932-1933年

ロシア飢饉 1921-1923年

クメール・ルージュ 1975-1979年]

 

共産主義によって進められた過酷な政策のために、食料を奪われた人々は必然的に泥の木の皮を食べるようになり、最も極端なケースでは最後の手段として自分の子供さえも食べなければならなくなります。

 

しかしながら、マルクス主義とその伸張の悲惨な結果は、それだけでは終わりません。

権力の中央集権化という理念のために、党に反対する意見を言う者を黙らせ踏みにじるという、不当な権威を統治機関は常に振りかざしてきました。


 

まず最初に、手に負えなくなる可能性のある国民の武装を解除する目的で、防衛武器に関する規制を可決します。

国家が事実上武器を独占している現在、国民を滅ぼそうとする政府に対して、国民がそれと等しい力を持って対抗し、彼ら自身を守る手段はありません。

その結果、銃口を向けられた市民(国民)は、国家が強要するものには何でも従わざるを得なくなります。

 

私有財産が廃止されるだけでなく、土地を守り維持する市民の責任も否定されます。

この時点で、秘密警察は国家と連携して働き、メディアのプロパガンダは恒久的な監視国家を設立するために展開されます。

抑圧的なディストピアを維持するために、国民のすべての言動を監視し、反革命分子とみなされた人々を弾圧するのです。

あなたが犯罪を犯していなくても、関係ないのです。

 

誰でも偽って逮捕することができるように、国家は意図的に曖昧なテロ法を成立させることができます。

これは、スターリンの秘密警察長官の悪名高い言葉の背後にある考え方です。


 

「人をくれ、そうすれば彼に合う罪状があるだろう/被告に罪状をあてがうの意」 -ラヴレンチー・ベリヤ

(ヨシフ・スターリン率いるソ連秘密警察長官)

 

一度逮捕されれば、その結果、政府によって用意された汚職裁判官と偽証人たちによって、いわゆる 「国家の敵 」となり、処刑されるか強制収容所に送られるか、あるいは、再教育されるか死ぬまで働かされることになります。

何百万人もの人々がまさにこのような方法で、彼らの夢や物語や人生は不正の大津波の中で暴力的に一掃され、忘れ去られてしまいました。

 

これが、共産主義が実行に移されたところで起こってきた、恐ろしい現実です。

結局、マルクス主義と類似したイデオロギーは、常に苛酷な監視国家を育てます。

そこでは、反体制派が情け容赦なく追いつめられ、不当に投獄され、残酷に処刑されるのです。

 

共産主義とマルクス主義の信念は、しばしば善良な動機から生まれることもありますが、地獄への道は善意で舗装されていることが多いのです。

この特別なケースでは、社会的影響があまりにもひどく、血なまぐさいものであり、無視することはできません。

共産主義は人間の苦しみを終わらせると約束しますが、実際には、人間の苦しみを前例のない規模に拡大し、地上に地獄の王国を作り上げるに過ぎないということを認識するのが重要です。

 

私たちは常に、執拗で独創的な方法に警戒を怠らないようにしましょう。

マルクス主義は社会に浸透しようとしています。

この破壊的で血なまぐさいイデオロギーの導入から自国を守ることは、われわれの義務です。

 

それでは、また次回。

ご覧いただきありがとうございました。祝福された一日になりますように。