Showing posts with label み言研究. Show all posts
Showing posts with label み言研究. Show all posts

Tuesday, November 25, 2025

神のアガペーの母性愛を絶対否定し自滅する菅井教

 神のアガペーの母性愛を絶対否定し自滅する菅井教


序文

キリスト教会の皆さん、宗教家の皆さん、サンクチュアリ教会の皆さん、

菅井教、聖臨連合、菅井派はサンクチュアリ教会ではありません。別宗教です。

従ってサンクチュアリ教会最大である日本サンクチュアリ協会では別宗教として厳しく対処していますのでリンク先を御覧ください。

サンクチュアリ教会では祝福の相手が菅井派であることを理由に破談、或いは離婚することは正当な理由として認められています。

彼らの詐欺である「①すべては真のお父様のみ言の解説」「お父様はこのように言っているとする教えに対してサンクチュアリ教会の指導者、文亨進牧師は菅井派に影響を受ける人が目を覚ますように警告や啓蒙をしなさいとサンクチュアリ教会長たちに指示しています。

菅井教という詐欺犯罪組織から既に騙されてしまった人たちの救出を含め、多くの人々の永遠の命を守るためにこれを書きます。



菅井教は低位キリスト論!

菅井派の高位キリスト論と叫ぶ嘘ペテン注意!

菅井派はアガペーの愛を否定することで母性を強調する菅井派は自らこの母性を否定する墓穴を掘ったのですが、

それを論じる、その前に、菅井派の”真の父母様の本体論”は、嘘が高度な詐欺の低い(低位)キリスト論であることを再確認します。


菅井氏:父子の愛に母性が入ると低位キリスト論とは、いかにも三原氏らしい解釈です。

https://kuruto.muragon.com/entry/269.html


菅井氏はとことん、いわゆるキリスト教の高位キリスト論、低位キリスト論という神学的区分、意味がまったく理解できないか、徹底的詐欺であるかがよく分かる文です。

文亨進師がいくら、キリスト教の高位キリスト論、低位キリスト論を教えてくださっても、まったくの無駄であることがよく分かります。


では一番基礎的で簡単なキリスト神学の理解の仕方から学び直しましょう。

・イエス様、お父様の存在は創造前からの神とするのが”(高い)キリスト論”です。

・イエス様、お父様の存在は創造後であるとするのが”低い(低位)キリスト論”です。


これは品質が高い低いといった使い方ではなく、キリスト神学上、イエス様の存在を創造前か創造後であるかによって区分として高位、低位の言葉を使っているだけです。単なる区分、分けているだけです。


この観点で菅井教と原理講論を見てみましょう。

まず菅井教です。

●菅井教:

ちなみに、人類始祖が堕落したからこそ、キリストが必要になったのであって、堕落しなければイエス様も文鮮明師も、真の父として聖誕する必要は無かったのです。

 そのイエス様と文鮮明師が、どうして創造前から存在している必要があったのでしょうか!https://ameblo.jp/hosizoralove/entry-12890881777.html


このキリスト論は、上記の区分で見れば、高位キリスト論、低位キリスト論のどちらでしょう?

はいそうです!「 そのイエス様と文鮮明師が、どうして創造前から存在している必要があったのでしょうか!」と言っていますから、低い(低位)キリスト論です。

◯か☓かの二択、とても簡単な問題ですから、間違える人は、ほぼいないと思います。


次に原理講論を見てみます。

●原理講論・キリスト論(二)創造目的の完成から見た人間とイエス:

イエスは創造目的を完成した人間として、神と一体であられるので、彼の神性から見て彼を神ともいえる。しかし、彼はあくまでも神御自身となることはできないのである。神とイエスとの関係は、心と体との関係に例えて考えられる。体は心に似た実体対象として、心と一体をなしているので、第二の心といえるが、体は心それ自体ではない。これと同じく、イエスも神と一体をなしているので、第二の神とはいえるが、神御自身になることはできない。

このキリスト論は、上記の区分で見れば、高位キリスト論、低位キリスト論のどちらでしょう?

はいそうです!「 彼(イエス)はあくまでも神御自身となることはできないのである」と言っていますから、低い(低位)キリスト論です。

◯か☓かの二択、とても簡単な問題ですから、間違える人は、ほぼいないと思います


以上から、キリスト教神学的観点からみれば、菅井教も原理講論も、同じ低い(低位)キリスト論であることが分かります。


 ◆結論:菅井教、原理講論、両方とも同じ低い(低位)キリスト論


では、サンクチュアリ教会の指導者、文亨進師はどのように言っておられるでしょう?


●文亨進師:

・私たちはイエス様が神様の実体だと考えているではないですか。

・すべての創造物と創造世界を創られる前、神様と本体、神様と一つになられた方、その方はキリストです、キリスト。

*参考資料以下リンク先

このキリスト論は、上記の区分で見れば、高位キリスト論、低位キリスト論のどちらでしょう?

はいそうです!「 イエス様が神様の実体」「創造物と創造世界を創られる前、神様と一つになられた方、その方はキリストです」と言っておられますから、高い(高位)キリスト論です。

◯か☓かの二択、とても簡単な問題ですから、間違える人は、ほぼいないと思います。


ところが菅井教は、文亨進師の教えを、

「象徴比喩・詩的表現として信じる。文亨進師の教えをその言葉通り信じるが、象徴比喩・詩的表現として信じる」

と論理にならない詭弁でペテン、嘘をもって、「自分たちは文亨進師の高位キリスト論を信じる高度なキリスト論だ」と嘘の限りをつくすのです。


文亨進師は、「イエス様は神の実体」「サンクチュアリ教会は、明らかにこれらの聖書の教えすべてに適合し、キリスト教と概ね一致

モルモン教やエホバの証人とは違います。キリストはただの人間であると教えます。統一原理もそのように、かつてそれを教えていましたが、お父様は最後に昼の神と夜の神を教え、お父様ご自身は夜の神から来たことを明らかにされました。それだから、これは極めて高いキリスト論です」

と言っておられるのに、文亨進師のこの教えのどこが、象徴比喩・詩的表現なのか!実体と言っておられるのに何が比喩、象徴なのか!というのです。

これを象徴比喩・詩的表現として信じることのどこが、文亨進師の教えをその言葉通り信じることになるのか!

この御言を弄び、人の心を弄ぶ、天宙的糞詐欺師たち!

だから菅井教のキリスト論とは嘘がつくのが高度な詐欺キリスト論なのです。


 ◆結論:菅井教は天宙を欺く嘘がつくのが高度な詐欺、低い(低位)キリスト論

*参考資料以下リンク先

*キリスト教、文亨進氏の三位一体は神の本性相と本形状の象徴的表現とする独自の詐欺論理


神のアガペーの愛を否定し墓穴を掘った菅井教


菅井派はアガペーの愛を否定することで母性を強調する菅井派は自らこの母性を否定する墓穴を掘ったのですが、ここからその論に入ります。


1.母と母性、また菅井氏の人を陥れる、いつもの菅井詐欺システム


菅井氏:父子の愛に母性が入ると低位キリスト論とは、いかにも三原氏らしい解釈です。

https://kuruto.muragon.com/entry/269.html

今回、また人類史上最高の卑怯者詐欺師らしく自分の言葉を変えてきた。母から母性に言葉を変えてきました。

こうして人を騙して陥れたいようです。本当に根っからの悪人です。

しかし、これも菅井氏の敗北宣言です。


では、この騙して陥れる今回の菅井詐欺システムを説明しましょう。


2.創造前の父と子と聖霊の三位一体の、父子関係を否定し母を主張


菅井氏ははっきりと母性ではなく母がいなくては子が生まれないのは自明と言って、次の如く、キリストの三位一体の父子関係を否定します。


菅井派:「父が息子娘の為に犠牲になる血」

父がいるならば、そこに必ず母がいます。父だけでは血統は生じません。書いていなければ無いものと受け止めるのが、三原さんのようです。https://kuruto.muragon.com/entry/266.html


菅井氏:神様が構想理想を構築するにあたって「父子の関係」を先惟したと主張していますが、「父子の関係」という言葉にすでには内在しているのです。母がいなくては子が産まれないのは自明だからです。

日本民族の抱える偶像崇拝という無意識世界の鬼神を対象化していきましょう!


菅井派はこのように、母性ではなく、はっきりと「父がいるならば、そこに必ず母がいます」「母がいなくては子が産まれない」と父以外の独立した母の存在がなければならないと主張します。

ところが、今回、これでは反論できない、まずいと思ったので、母を母性に変えて「父子の愛に母性が入ると低位キリスト論とは」と言葉を言い換えてきました。

さすが詐欺野郎、ペテン師。こうやって人を陥れたい犯罪者、根っからの悪人

しかしこれは菅井氏の敗北宣言です。


3.キリスト教のアガペーの愛の母性とは


ここでキリスト教のアガペーの愛では母性の愛をどのようにキリスト教では捉えているのか振り返ってみましょう。


キリスト教の三位一体では母性は否定しません。むしろ大いに肯定します。

三位一体のアガペーの愛は母性を含みます。母性は父なる神の愛、アガペーの愛の一つだからです。

アガペーは「無償の愛」や「神の愛」を意味し、見返りを求めない完全な愛です。

母性愛は子を慈しみ、育てる行為は、自己犠牲を伴う無償の愛の典型であることから、アガペーの本質と合致するとキリスト教は考えます。


文亨進師の教え、「父なる神、お父様にはどんな女性よりも女性らしい性質がありますが男性格です2016年10月31日 亨進様・国進様との質疑応答)という教えは、このキリスト教のアガペーの愛の母性愛の性質のことを言っておられます。

女性の創造は、神はご自身のこの父という男性の愛であるアガペーの愛の母性を取り出して、女を創造したのです。


しかし高い(高位)キリスト論は三位一体のペルソナとして菅井教がいうような「父がいるならば、そこに必ず母がいます子を産む母」の存在を否定します。


ところが、菅井教は、創造前の三位一体の「父子の関係」という言葉にすでには内在しているのです。母がいなくては子が産まれないのは自明だからです。ttps://ameblo.jp/hosizoralove/entry-12895873487.html

と、創造前の父と子と聖霊というアガペーの愛の父子の関係の三位一体を否定します。


4.菅井教のアガペーの愛、犠牲の愛の捉え方


それでは、菅井教はアガペーの愛、犠牲の愛をどのように言っていましたか?

菅井派:「アガペーの愛」と言われる「犠牲の愛」も、「肉的五感の感覚的刺激」との関係性があって初めて生じるものですhttps://kuruto.muragon.com/entry/169.html


このように、菅井派はアガペーの愛」と言われる「犠牲の愛」も、「肉的五感の感覚的刺激」との関係性があって初めて生じるであると言ってキリスト教の神の愛、アガペーの愛を否定します。


文亨進師の教え「わたしたちが目指す愛とは、イエスキリストと聖書の愛でありそれは父の犠牲的な愛であり、それがアガペーの愛である◆2023年7月26日テネシー清平水曜礼拝 」を菅井教は肉的五感からくるものであると徹底否定します。


菅井教ではこのように肉的五感からくる創造後の愛だとして、神の愛、アガペーの愛、犠牲の愛を創造前から消し去り否定しました。


5.神のアガペーの愛、父の愛から、母性の愛を否定する菅井教


さきほど見たように、キリスト教会では、三位一体のアガペーの愛は母性を含みます。母性は父なる神の愛、アガペーの愛の一つだからです。


しかし、菅井教は、先程見たようにアガペーの愛」と言われる「犠牲の愛」も、「肉的五感の感覚的刺激」との関係性があって初めて生じると言ってキリスト教の神の愛、アガペーの愛を否定します。

つまり、菅井教は「高位キリスト論、キリスト教会の、三位一体のアガペーの愛の母性」を否定するのです。

菅井教のように「高位キリスト論、キリスト教会の、三位一体の父子の関係」から「父がいるならば、そこに必ず母がいます」「母がいなくては子が産まれない」とアガペーの愛を示す父子の関係を否定するのなら、アガペーの愛の性質である母性を否定することになるのです。

創造前の神において、母性の愛を強調する菅井教は、墓穴を掘っていたことになります。


だからの今回、

菅井氏:父子の愛に母性が入ると低位キリスト論とは、いかにも三原氏らしい解釈です。

https://kuruto.muragon.com/entry/269.html

母から母性に言葉を変えて来たのは、

これはアガペーの愛、三位一体の父子関係の愛には母性の愛が入っていることに気がついたからでしょう。

まずい、墓穴を掘ったと。

アガペーの愛、父の愛に母性の愛が入っていることはキリスト教の常識ですから検索すればすぐに出てきますし、文亨進師も言っておられることです。私も8年も言い続けていますから、墓穴を掘ったことにやっと気がついたのでしょう。


菅井派に

「では創造前の三位一体に母がいないことを認めるのですね?」

と言っても絶対に認めないでしょう。

人々を騙して私を陥れたいので、「創造前からの父子の愛に母性が入っているから独立した母は必要無い」「イエス様、お父様は創造前から存在しておられた」とは絶対言えない。


菅井派は、

墓穴を掘っていたことは認めたくない。創造前のアガペーの愛、犠牲の愛は絶対に認められない。

菅井派は、

そう言ってしまったら完全な敗北宣言、”真の父母様の本体論”が崩壊してしまうので絶対に言えない。


菅井派は、

①すべては真のお父様のみ言の解説」「お父様はこのように言っていると言っていたお父様とは、実は自分が思いついただけで、頭にひらめいただけだったのに、それをお父様が、聖霊が教えてくださったと言っただけの嘘であったという真実も、ここまで来たら今更いえない。


菅井派は、

まさかここまで嘘を詐欺ペテンを暴かれるとは思わなかった。しかし、最後の最後まで、ありとあらゆる詭弁の限りを尽くして人々を騙し続けるしか道がない。


今後も彼らはいつものパターン、「創造後からの父子の愛に母性が入っている」と、これを証明できそうな御言を探してきて、「ここに創造後だと書いてあるではないか」と叫ぶでしょう。そして、これは比喩的表現など、数多くの言葉、その詭弁、嘘に使えそうな御言を見つけてきて「こう御父様が言っている、御父様の御言に逆らうのか!」・・・・

これは統一財団の資産を略奪した郭グループと同じで、数多くの言葉でああだこうだという郭グループと同じ、非常にあくどい。


この記事、(リンク先:https://kuruto.muragon.com/entry/269.html)は、菅井睦雄という男は徹底して悪であることを証明する自白となったのです。

悪事がバレバレです。

しかし、嘘とペテンの悪は続くよどこまでも!サタン実体宗教ですから。


菅井教の詐欺「真の愛、アガペーの愛を信じる。しかし創造後」


1.真の愛の犠牲の愛を創造後に貶める菅井派


このように菅井派ではアガペーの愛」と言われる「犠牲の愛」も、「肉的五感の感覚的刺激」との関係性があって初めて生じるとして文亨進師の教えを徹底否定します。


このように創造前の真の愛から完全に、アガペーの愛、犠牲の愛を消し去り、アガペーの愛、犠牲の愛を創造後の愛、肉的愛にしてしまいます

この創造後のアガペーの愛、犠牲の愛で四大心情圏を体恤するとします。詐欺ペテンです。


このように「創造前のアガペーの愛、犠牲の愛、父の愛」を「創造後のアガペーの愛、犠牲の愛、父の愛」に完全に逆転させて、文亨進師の教えを完全に逆さにして捻じ曲げるのです。


2.しれっと、論を変えて嘘を付く詐欺菅井教


菅井氏:真の愛の中心であり、真の愛の根である犠牲の愛は、子女の愛・兄弟姉妹の愛・夫婦の愛・父母の愛をそれぞれ体恤してこそ、神様と相対できる犠牲の愛に至ることができるのです。https://kuruto.muragon.com/entry/266.html


菅井派はhttps://kuruto.muragon.com/entry/266.htmlで、「真の愛の中心であり、真の愛の根である犠牲の愛」などとまた言葉を変えてきました。

これが、騙すのが高度な詐欺キリスト論の手法です。


これは、彼らの神学のキリスト教神学的決定的欠点、

菅井派:「アガペーの愛」と言われる「犠牲の愛」も、「肉的五感の感覚的刺激」との関係性があって初めて生じるものですhttps://kuruto.muragon.com/entry/169.html

この菅井派の主張では、キリスト教であるということがもはや完全に出来なくなったので、詭弁を使ってきたのです。

これも事実上の菅井氏の敗北宣言です。


今度どのように「犠牲の愛、アガペーの愛」について詐欺詭弁を使うつもりか見抜いたので説明します。

今後も、菅井教は真の愛の中心であり、真の愛の根である犠牲の愛」と表立って言い続けるでしょう。

これは、自分たちが、創造前のイエス様、お父様の存在を信じないのに、

我々は、創造前のお父様、その創造前の三位一体を信じる。

(裏の意味)→しかし比喩象徴として信じる。文亨進師の三位一体の説明は比喩象徴、詩的表現である。その真意は・・・」

これと同じ展開です。


我々は犠牲の愛を信じる。真の愛の中心であり、真の愛の根である犠牲の愛である。

(裏の意味)→しかし「アガペーの愛」と言われる「犠牲の愛」も、「肉的五感の感覚的刺激」との関係性があって初めて生じるものです。真の愛の犠牲の愛も創造後の愛なのです。』


菅井派は自分たちに不利になったのでまた、このような詐欺の展開をしてくるでしょう。

今回も「真のお父様の蕩減復帰による犠牲の愛だと語られています」と、

創造後の言葉が入っている御言を引用して説明してきました。これも詐欺のパターンです。


これに対し、前回 https://h2fanclub.blogspot.com/2025/11/blog-post_21.html にて、文亨進師の説教をもって、文亨進師が言われる犠牲の愛とは、聖書が言う犠牲の愛、アガペーの愛、父の愛であることを明確にし、「真のお父様の蕩減復帰による犠牲の愛」に限定しない、創造前からある犠牲の愛であることを明確にしました。


それでもこのイカサマを菅井教は使い続けるでしょう。過去からそうでしたから。

しかし「菅井派のいう犠牲の愛は、創造後の犠牲の愛であり、創造前からある愛ではない」のです。

あんなに犠牲の愛を肉的五感から!だと否定しておいて、なんという悪どさ。完全に悪魔です。

このように菅井派は本当に真のサタン、天宙最高の詐欺ペテン師なのです。


3.菅井派の創造前の真の愛は、絶対孤独という欠乏からの愛(エロス愛)


しかも菅井派のいう四大心情圏とはあの、自己中心という悪魔が包容感で悔い改めて、心の中心、真の愛を置いたというのですが、その真の愛は、絶対孤独から対象を求める欠乏の愛エロスの愛。

そういう天宙絶対バカ神が、包容感に込められていた孤独欠乏の愛に目覚めた、その汚らわしい愛からくる、その四大心情かと思うと気持ち悪過ぎで吐きそうです。


多くの人が気持ち悪いというのですが、私も菅井教の教えは気持ち悪すぎて最初はよく吐いていました。少しは慣れてきましたがやはりだめです。

参考:<異端の夜の神> ”真の父母様の本体論”に関する考察3◆包容感愛による女キリスト独生女論


何やら菅井氏は罠に獲物がかかったぞと、その程度の低いキリスト論、悪魔の”真の御父様の本体論”を誇りたいようです。

信じる神が違うのに、宗教が違うのに、話が基本的に噛み合うはずもない。

信じる神が同じでもユダヤ教、キリスト教、イスラム教は未だに争っています。ましては信じる神が違うのにというのです。

菅井教には絶対的に、キリスト教の高いキリスト教、創造前のアガペー父子の愛の、二代王様、御父様の夜の神論は理解できません。


文亨進様の菅井教など滅びるからほっとく、というご指示の方に従いたいのですが、こんなサンクチュアリ教会を装う詐欺犯罪はいつまで続くのでしょうか。

完全に菅井教はサンクチュアリ教会ではありません。

菅井教、本当に聖書の愛、イエス様の愛を徹底的に侮蔑するサタン教です。



↓菅井派に対する御言

↓菅井派に対する公式見解と関連記事

↓菅井派に対する記事

↓菅井派のように、女性に対する感性や発想が先にあったとする、フェミニズム神学の考察

↓菅井派の”真の父母様の本体論”に対する考察

___________________________

キリストのリバイバル、クリック感謝です。