Sunday, April 5, 2026

萬王の王神様解放圏戴冠式 ◆ 2026年3月18日 テネシー清平韓国語水曜礼拝◆ 真の父母様の後継者宣布文<1> 權寧畢(クォン・ヨンピル)牧師

 萬王の王神様解放圏戴冠式

2026年3月18日 テネシー清平韓国語水曜礼拝

真の父母様の後継者宣布文<1

權寧畢(クォン・ヨンピル)牧師

翻訳minion監修fanclub

3月18日テネシー清平韓国語水曜礼拝權教授한국 수요예배 03 18 2026 


万王の王神様解放圏戴冠式


こんにちは。本日は、「真の父母様の後継者宣布文」について話をします。


皆様、2009年の「万王の王神様解放圏戴冠式」を覚えていらっしゃいますか?

この行事で、文亨進様は、真の御父様が以前の戴冠式で実際に使用された王冠をそのまま受け継いでお被りになり、また真の御父様の龍袍を着て、真の父母様の後に続いて入場されました。そして戴冠式の行事で、真の御父様は文亨進ご夫妻に祝福を伝授されました。

「天宙天地父母安息圏即位式において、真の父母様の祝福を伝授する。アジュ」このように。


そして、全く同じ行事を2つの大陸で3回にわたり行われました。真の御父様は、地上と天上の前で、否定できない確実な条件を立てられたのです。


万王の王神様解放圏戴冠式は、摂理史上最も大きな意味を持つ行事です。

なぜなら、この行事の前までは、真の父母様が公式に誰を後継者に定められるかについて語られなかったからです。したがって、後継者承継戴冠式などなかったと言う扇動者たちは、もはや言い訳ができなくなるでしょう。


しかし、今なお万王の王戴冠式行事の意味を歪曲し、縮小しようとする集団があります。

家庭平和協会は後継者承継について強く否定しています。

そして当時、清平集団は幕の陰に隠れて、後継者承継を無効化しようと機会を伺っていました。


真の父母様の後継者宣布文


これを看破された真の御父様は、後継者承継を確実なものにされました。2010年に真の御父様の後継者宣布文が出されました。真の御父様は自筆で文書を確実に作成されました。天使長勢力がこれからどのように出てくるかをすでに予見されていたため、明確なメッセージを残されたのです。


ご自分の聖和の後、後継権について集団的に否定する事態が来ることに備えて、宣布文を作成されました。再臨メシアが代身者を立て、その権限と使命を相続されたという事実を否定できないようにされたのです。真の御父様が七男の文亨進様を後継者として宣布する文書を作成する過程が、動画を通じて公開されました。


真の父母様の宣布文については、映像を詳しくご覧になってください。動画には、後継者を公式化するための対話が収められています。ここでは時間の都合上、その映像をお見せすることはできませんが、韓氏オモニが真の御父様の隣に寄り添い、文言にまで口出ししながら、文書作成を誘導しようとしています。「すべての統一の民は、世界宣教本部の公文と指示事項のみを認めるように書きなさい」と言い、そうして絶えず促しており、真の御父様はしぶしぶ応じているような雰囲気を感じることができます。

後継者宣布文の内容は以下の通りです。「万王の王は唯一の神様、真の御父様も唯一の父母、万世代の信徒も一つの血統の国民であり、一つの天国の子女だ。天宙平和統一本部も絶対唯一の本部である。その代身者・相続者は文亨進である。それ以外の者は異端者であり、爆破者である。以上の内容は真の父母様の宣布文である。


「萬王の王はお一人神様。真の父母様もお一人父母万世帯の民も一つの血統の国民であり一つの天国の子女である。

天宙平和統一本部も絶対唯一の本部である。

その代身者相続者は文亨進である。それ以外の人は異端者であり爆破者だ。

以上の内容は真の父母様の宣布文である。

文鮮明 印」


こうなっています。


宣布文の内容は非常に簡潔で、誰でも容易に理解できます。それにもかかわらず、家庭平和協会と家庭連合の全てが、これを完全に受け入れる考えはないようです。

家庭平和協会では、真の御父様が正しい精神で自らの意志により文書を作成したのではないという主張です。高齢で判断力が鈍った状態で、韓氏オモニの促しに導かれて仕方なしに作成された文書であるため、これを正式な後継者宣布文として認めることはできないという立場です。


一方、家庭連合では、韓氏オモニが文亨進氏を後継者に立てたにもかかわらず、真の母に親不孝していると非難し、後継者の資格がないと主張しています。

宣布文は極めて簡潔で明確に作成されているにもかかわらず、両集団全てが宣布文そのものがまるで存在しなかったかのように行動しています。

皆、盲目になってしまったのでしょうか?


結局、宣布文を無視するという意志が明確なようです。

口では皆、真の御父様、メシアのみ旨を守ると、烈女、孝子、忠心、このようにコスプレをしていますが、最も重要な後継者問題に関しては、いくら真の御父様の宣布文だとしても絶対に認めないという悲壮な決意が見えます。


ところが、宣布文を詳しく見てみると、驚きを禁じ得ません。

真の御父様は、どうしてあれほど、未来を覗き込んだかのように、鏡を見ているかのように、未来を透視しておられたのでしょうか?

善と悪を分ける洞察力で、現在の統一家で起きている反逆の歴史を正確に予見されました。


韓氏独生女論の主張に対して、祝福家庭に確実な分別力を与えられたのに、皆がそれに酔ってしまいました。


しかし、認知症になって正常な判断力を失い、自分が何をしているのかも分からずに書いた宣布文だと?宣布文において、想像すらできなかった善悪の分別力を目の前にしながら、それでもなお偽りの小説を書き続けるでしょうか?

Friday, April 3, 2026

神様の心情を縁(ゆかり)とする◆ 2026年3月15日 ソウル聖殿礼拝 世界を救う心情の縁(ゆかり)<3> ティム・エルダー宣教本部長

 神様の心情を縁(ゆかり)とする

2026年3月15日 ソウル聖殿礼拝

世界を救う心情の縁(ゆかり)<3

ティム・エルダー宣教本部長

翻訳minion監修fanclub

エルダー本部長礼拝 서울성전대예배2026 03 15 



聖書の中にある神様の心情


さあ、御言選集を見てみましょう。

皆さんはティム・エルダーの話を聞くためにここに来たわけではないですよね。そうですよね?

率直に言えば、御父様の御言を、御父様の御言を聞きたいから。御言の中には心情があります。

皆さん、聖書という本は、今、皆さんが見ていますが、私が少し一言お話しします。

聖書。聖書という本は、世界のどの本よりも、最も多く売れたのが聖書だと言われています。

ところが、その聖書は少し不思議な本なのです。矛盾が多く、理解しにくく、なぜこんな本が世界の他のどの本よりも、シェイクスピアよりも、そしてどんな作家よりも多く売れているのか。

摩訶不思議です。

でも、なぜそうなのかというと、聖書の御言の中には、神様の心情があるのです。だから人々は、ただ言葉だけ、御言だけを読んでいるのではなく、御言を読んで、神様の心を感じ取ることができるので、聖書に頻繁に心が向くのです。頻繁に心が向いて行きます。

聖書を見ると、読むと、なんだか心が落ち着く。そう言う人がたくさんいます。信仰がなくても、信仰のない人もそうです。


ですから、御言は一つの器だと言うことができます。一つの器です。その器の中にあるのが神様の心情です。


しかし、ある人はただ言葉だけを見て、そこに心情があることに気づかず、またそれを体験できないような人もいます。

そういう人たちは、何か条件が足りないからそうなのか、とにかくそういうことです。


だから聖書を見ると、「ああ、これは何だ? これ全て神話ではないか。これは全部嘘だ」と、そう感じる人もいます。その御言の中にある心情を理解できなければ、そう感じるしかないでしょう。


しかし、御父様の御言の中にも、そうした御父様の心情があり、神様の心情がそこにあるのです。

なぜ私たちが毎朝訓読するのも、同じ内容を繰り返し繰り返し訓読するのも、また、家庭盟誓を何十回、百回、あるいは何千回と続けて私たちが家庭盟誓をするのも、単にその御言を私たちが覚えることも重要ですが、それ以上に、その御言の中に込められた心情を私たちがもっと深く体得するためにしているのです。


それを今、経験することができる、体得することができる、そのレベルは、私たちの心の中次第です。私たちの心がもう少し発展したら、人格が神様に近づけば、御言の中に込められた心情をより深く経験し、体得することができるのです。

本当に不思議ですね。同じ御言を読んでも、昨日は読んでもあまり感じることがなかったのに、今日読んでみると涙が出てきた、というようなことを、皆さんは経験されたことがありますか?私はあります。


神様の心情


さて、それでは御父様の御言を読みながら、その中に込められた心情を探ってみましょう。

だから今日私たちが語ろうとしているのは、神様の心情です。

これは『御言選集』第26巻、1969年の御言です。


神様の心情について論議しようというのです。神様の心情を知るためには、堕落による悲しみを体験しなければなりません。これまでの復帰歴史の途上で、み旨に従って出てきた数多くの先知先烈たちが、出場しては失敗した、そのような情景に自分自身を配置しておいて、歴史を超越した位置で神様を前に侍り体験しなさいというのです。


しかし、私たちが神様が経験されたそのような悲しみを100%体験することはできません。そうすれば死んでしまいます。

私たちが人間として、それは耐えることができません。ですから、神様は少しずつ、時には私たちにそれを与えてくださいます。

自らの体験を通して悪を除去し、善を擁護するという一つの主体意識を持つようになる時、ここから新しい歴史と新しい天民思想が始まるという事実を、私たちは否定できません。

私たちが新しい天民ですね。天の人々、天民です。

ですから、苦労しても一番下からしなさいというのです。このような事情を引き継いでいく過程では、必ず神様が共にしてくださるのです。子供が死ぬ場、慟哭する場、誰にも抑えることができず慰めることのできない悲惨な環境に置かれる時には、父母が同参するというのです。


分かることができなければ同参する事ができず、分かれさえすればどのような事情があったとしても、そこに必ず同参したくなるのが父母の心ではないでしょうか?そのような親の愛よりも何倍も大きな愛を持つ神がいらっしゃるなら、その方が人類の父であるなら、そのような悲惨で痛ましい事実に直面した人がいる時には、神は必ずそこに臨まれるというのです。


その人が歩む道には、常に神が共におられなければならないのです。そうなれば、いかなる試練や苦痛があろうとも、その試練や苦痛がその人を飲み込んでしまうことはできません。


しかし、このような試練と苦痛こそが、真に完全に帰結させることができる一つの条件となるのです。それゆえ、試練と苦痛、それは悲しみの象徴ではなく、むしろ私をもって永遠の光とならせることができる善の価値を決定づけ、新たな出発の縁を結ばせる絶対的な要因となるのです。


ここにおいて、勝利の旗を掲げて現れない限り、この悪の世界を征服し、打破することのできる主体的な個人、主体的な団体、主体的な世界思想は起こらないということです。このような意味において、私はこれまで、涙を飲み込み、皆さんに無情に送り出したこともありました。皆さんが嘆いていることをはっきりと知りながらも、鞭を振るわなければならない時もあったのです。

なぜそうせざるを得なかったのか?それは、皆さんが原則的な過程を経て出ていかなければならない運命の道にいるからです。それが、これまでの非運の世界に魅了されていた環境を打破するために避けて通ることができない作戦法による公式だったからです。


この御言をくださった御父様に、感謝の拍手を送りたいと思います。[拍手] 


私たちには、常に良いことばかりがあるわけではありません。サンクチュアリに入ってきたからといって、良いことばかりがあるわけではありませんね。

むしろサンクチュアリに入ってきたら、その試練がさらに増えることもあります。

なぜなら、サタンは出て行かないからです。

そうしたことを私たちが打破してこそ、私たちは今、神様の心情を体得し、そして神様とより深い縁を結ぶことができるということが重要なのです。


私たちは一日に罪をたくさん犯していませんか?罪というのは、行動だけではありません。

罪の中には、私たちの言葉も含まれ、さらには私たちの考えまでも含まれます。

イエス様は、男性が女性を見て、「あの人と少しセックスできたらいいな」と、ただ考えるだけでも、それは堕落したのと同じだと、非常に厳しい御言を語られましたね。


考えさえも罪だと、このようにおっしゃっているのです。ですから、私たちは皆、罪人だと言えます。罪人だと言わなければなりません。

しかし、私たちは少しずつ人格を、昨日より今日、今日より明日と、人格を少しずつ完成させていく過程にあるのです。


神様の心情と一つとなる


そのためには何でしょうか?神様の心情を私たちが体恤(共感)して、神様の心情に従わなければならないのです。神様の心情を知れば、罪を犯すことはできません。

ですから、人が完成し、人格が完成し、直接主権圏に入れば、罪を犯すことはできないと言うではないですか?犯そうとしても犯せないのです。


なぜなら、神様の心情と今、一つになっているからです。そして、神様が本来、人間を創造された目的は、愛の対象、完全な愛の対象、心情の対象を必要とされたから、人間を創造されたのです。

これは実は、これまでのキリスト教では想像もできなかった内容です。キリスト教では、神は遙か上におられ、私たちはここにいて、とてつもない隔たりがあるため、私たちが神に近づくことさえできないと言うのに、しかし、創造原理を見れば、そうではありません。神は、私たちと完全な主体と対象の関係を結ぶために、私たちを創造なさったのです。主体と対象の関係は、これは横的な関係です。

御言の中にそのようなみ言があります。縦的な関係では、心が一致することはできないとおっしゃいます。縦的な関係では。必ず、完全に一体となるためには、それが横的な関係でなければならないのです。


しかし、その横的な関係になるためには、私たちが責任分担を完成させなければならないのです。ですから、私たちの中で一人として、これまでそのようなことを経験できませんでした。また、私たちが人生を送る間にそれを経験できるかどうかは分かりませんが、必ず未来にはそのような世界が来るでしょう。

人間が本来、神の創造理想、本然の創造理想を成し遂げた時には、そうなるだろうというのが、御父様が私たちに与えてくださった途方もない希望です。希望です。私たちは単なる人ではありません。私たちは神の子女として創造され、そして今、そのように成長しつつあるのです。


生成AIの問題


最近、AIが大きな問題になっていますね。AIは人間ができることはすべてできると言いますが、AIにはできないことが、私の見るところ二つあります。


いくら科学が発展しても、AIには血統がありません。ですから、AIを持って人間に似たロボットを作ったとしても、そのロボットに神の血統があるはずがありません。


二つ目は、神の心情がありません。AIには絶対に神の心情があるはずがありません。なぜなら、神の心情というのは、どんなプログラムをしてもできるものではないではないですか。言葉で表現することはできません。それは、体恤(実感)してこそ、私たちが理解し、知ることができるものなのです。

しかし、AIにはそれができないのです。AIとは何でしょうか?結局のところ、0と1の融合に過ぎないのではないでしょうか?そこには心情がありません。


そこで最近、ある食口が英語の天聖経を自分で録音しています。録画しています。でも、やってみると、これが無駄なことをしているのではないかと、このような気持ちが湧いてくるのです。なぜなら、AIの声が私の声よりずっと美しいので、これならいっそAIに全部やらせたらどうかな、とそう言っていたのです。

そこで私はこう言いました。「絶対にその様に考えないでください。あなたの声には心情があり、AIの声には心情がない。これが決定的な違いだ」と言いました。


最近YouTubeを見ていると、AIを使ってメディアを作っている人がたくさんいますね。AIかそうでないか見分けることができます。私は今、AIでしょうか?どのようにしてわかりますか?ティム・エルダーがAIではないということを、皆さんはどうやって証明しますか?もし、私が話す言葉の中に心情があるなら、私はAIではありません。しかし、もし私の声を聞いても、神様の心情を皆さんが感じることができないなら、もしかすると私はAIかもしれません。


心情を感じてください。私がAI かもしれません。これからもAIは、決して心情的に御父様のみ言を私たちに伝えることはできないだろうと、私は思います。

様子を見ましょう。後で、クアンタム(量子)とかいろいろありますが、結局のところ、心情というのは体感してこそ私たちが受けることができるのです。体恤(共感)してこそ受け取れるものなのです。


ですから、私たちが創造原理を見たら、四大心情圏、家族盟誓の3番にもありますが、四大心情圏を完成させると誓い、それが今や人格完成の重要な過程ではないでしょうか?四大心情圏。これが人間と、そして他のすべての万物との違いです。


サタンも、どんなに努力しても心情を持つことはできません。人間ではないので。神の息子でも娘でもありません。ですから、それが私たちが神の心情を体恤(実感)し、持つことによって、天使長を主管できるようになり、サタンに勝つことができ、そしてこのサタン世界を打破する、そのような私たちになることを、私たちがもう一度感じましょう。

ありがとうございます。


今日はここまでにし、祈りを捧げます。


祈祷


天の御父様、ありがとうございます。私たちに心情を与えてくださったことに感謝いたします。また、御父様が抑えることのできない、このような心の衝動通して、私たちに常に愛をくださり、私たちを育ててくださる、そのようなお父様であることを私たちは知っています。


私たちが御父様を知らず、神を知らず、ある時には多くの場合、神から離れ、裏切ってしまうこともありますが、そのたびに御父様は心情を持って私たちを再び探してくださり、再び立ち上がらせてくださり、再び私たちに愛を注いでくださり、再び私たちを励ましてくださる、その恵みに感謝いたします。


今日この場に集まったすべての食口、そしてこの放送をご覧になっているすべての食口が心を一つにして、私たちは今は辛子種のような小さな集団ですが、その集団を通して神様がサタン世界を打破されるということを私たちが知り、そのような過程に私たちが参加できる恵みに感謝しながら、今日この場で神様に感謝いたします。

このすべての内容を、祝福中心家庭ティム・エルダー、ユ・ノスク家庭の名においておささげし報告申し上げます。アジュ 

Thursday, April 2, 2026

トランプ大統領の銃と剣 ◆2026年3月15日 ソウル聖殿礼拝 世界を救う心情の縁(ゆかり)<2> ティム・エルダー宣教本部長

 トランプ大統領の銃と剣

2026年3月15日 ソウル聖殿礼拝

世界を救う心情の縁(ゆかり)<2

ティム・エルダー宣教本部長

翻訳minion監修fanclub

エルダー本部長礼拝 서울성전대예배2026 03 15 


心情の縁(ゆかり)


私たちが聖書を、今、朝の訓読会で、二代王様を中心に訓読していますが、聖書の御言は結局何なのかというと、それは神様が人類を、特にヘブライ人、イスラエル人、その子孫たちを教育してこられた内容だと、もう一度確認しています。


それは、聖書の計算では、アダムからアブラハムまで2000年、アブラハムからイエス様まで2000年、簡単に4000年と言いますが、人類学者や考古学者の話を聞いたら、数十万年という期間があったでしょう。数十万年の間。

神様は人間を教育し、そして堕落によって非原理圏に落ちて、さらには万物以下の立場にまで落ちた人間を、どうにかして、どうにかして、再び生かそうと、そして見捨てないで、再び今、真なる人に育てようと、その間ずっと教育して来られたのです。

これが、独裁者と、父母である神様の違いだと、このように今一度話をしています。


ですから、私たちの聖歌の中に「統一勇士の歌」という歌がありますが、「心情のゆかりで世界は生き」、心情の縁(ゆかり)で世界は生きるということです。「一つに結ばる本然の縁、永遠に授受する我らの故郷、幸の礎のもと千代に生きん 我らは誇れる統一の勇士 強く愛して勇み進まん」

心情のゆかり、これが重要なことです。


トランプ大統領の銃と剣


今、新年の初めにあって、世界がとても騒がしいですね。

トランプ大統領が、ベネズエラのマドゥロ大統領を拉致するかのようにしてアメリカに連れて行って刑務所に放り込んだことまでは良かったかもしれませんが、今やイランとの戦争を引き起こそうとしています。


もちろん米国の立場からすれば、イランとの戦争は最近始まったものではなく、1979年にホメイニが政権を握った当時から、彼らが先に米国に対して戦争を始めており、我々はただ今その戦争を終わらせているだけだ、と主張していますが、とにかく今、多くのミサイルが飛来し、イラン国内でも周辺国でも爆撃情報があり、人々が死んでいます。


ところで、戦争というのは始めるのは簡単です。終わらせるのが本当に難しいようです。

トランプ大統領も、今となっては銃と剣の限界を感じているかもしれません。銃と剣で平和が来るなら簡単です。簡単だと思います。


しかし、それはうまくいかないようです。

もちろん、中国の習近平がいつも言っていることは何ですか?共産党が統治すれば、社会は安定する。アメリカのように民主主義で人々が好き勝手にできるから、社会は混乱し、不安定だ。しかし我々のように共産党が執権すれば、すべて治めて、社会は安定するはずだ、といったことを、習近平はどこへ行っても言っています。

しかし、それは銃と剣による安定であって、実は心情の縁による安定ではないということを、私たちは知っています。


ですから、どの国であれ、政府には殺傷武器を使用できる権限や力を持っていますが、結局それを用いて国を治めれば、長期的にはその国はかえって複雑になり、不安定になるということを、私たちは歴史を通して知っています。


心情の縁(ゆかり)とは


では、心情の縁とは一体何でしょうか?

御父様は本体論を通して、私たちに心情について説明しておられます。心情とは、まず第一に心の衝動です。そして、抑えきれない心の衝動であると、こうおっしゃっています。抑えきれない心の衝動。

そして、ある対象に愛を与え、愛を投入して、それによって喜びと愛を経験しようとする、抑えきれない心の動揺だと言えます。


そして、心情が何かといえば、神の核心、神の核心こそが心情である、とおっしゃって、真の愛は神の心情から出てくるものだとおっしゃっています。ですから、結局のところ、私たちに必要なのは心情なのです。


今日、その「家庭盟誓」の7章を私たちが訓読しましたが、そこには何とありますか?「心情文化世界を私たちが作る。」そのような言葉がありますよね?「心情文化世界」しかし、この心情文化世界を作ることは、どれほど、どれほど難しいことでしょうか?銃と剣でもダメですし、お金でもダメです。


最近、ある人が「私は7千億を手にした。あの裁判で勝訴して、7千億を私が受け取らなければならない。

持って行きなさい、ハハハ。お金でできるでしょうか、できないでしょうか?7千億、7千億で、御父様の創造理想が、御父様の夢が叶うと思いますか?違います。違います。


その代わり、私たちは何でしょうか?

私たちの聖殿は、いわばイエス様が言われた「一粒の麦」のような立場ではありませんか?とても小さな種ですね。でもイエス様も、その種はすごく小さいが、とても大きな木が、その種から生えるとおっしゃいましたよね。

なぜなら、私たちは今、ここに心情の縁で集まっているからです。

誰かに言われて来たわけでもなく、教会に来ないからといって誰かが電話をかけて批判したりするわけでもなく、讒訴したわけでもなく、「あの方、来ないね。祈祷しなければならない。」そういった気持ちはありますが、強制的に教会に来させるようなことはしません。出席を私たちが強制することはありません。


先ほどお話ししたように、裁判で争った時、家庭連合から私たちに要求してきました。「あなたたちの信徒名簿を出せ」と。私たちは「ありません」と答えました。「ありません」。名簿を私たちは作成しません。私たちはアメリカでは、実際に入会申込書すらありません。


家庭連合が私たちになぜそう言ったのかといえば、私たちは信徒が1万人いると宣布されました。なぜなら、2015年の4月に初めて祝福を行いましたね。その時二代王様は新しい牧会活動を始められ、初めて2015年4月に祝福を行われました。

そして2016年の御父様の聖誕節までに、御父様の権威の下に戻ってきた人々は、御父様から受けた祝福の地位をそのまま維持できるとおっしゃいましたので、当時、世界的に、2016年の聖誕日までに戻ってきた人数を計算してみると、約1万人だと私たちが計算しました。


そうしたら実際に、当時、アメリカや韓国、日本、そして全世界でしたので、約3000双以上がその時祝福を受けました。しかし、3,000双ならば、とりあえず夫婦ですよね? そして、各家庭に少なくとも子供が一人いると考えると、1万人は十分に祝福を受けたことになるだろうと、その時、私たちは良心的に、実際の統計があるわけではありませんが、良心的に推測したのですが、家庭連合では、アメリカの家庭連合が、それを嘘だと主張するのです。 


ですから、1万名が事実なら、その1万人の名簿を出せというのです。ありません。ありません。私たちには名簿など必要ないのです。必要ありません。


私が世界宣教本部を任されるようになったので、ある先輩家庭が私に「ティム・エルダー、君は食口たちを管理しなければならない」とおっしゃったのです。

ところが、私が受けた指示は違います。「管理するな。」「管理するな。」


私たちがここに参加するかどうかは、私たち自身の良心に従って決めることです。

ここに天国があり、ここに天一国を建設していくという作業が進行していると確信している人たちは、私たちが「来ないで」と言っても来るでしょうし、そういうことを感じることができない人は、来てもあまり意味がないと思いませんか?


皆さんは、皆、そうしてここに来ているではないですか。ここで天一国が実際に少しずつ、少しずつ実践されていっていることを感じるから、今日この場にお越しになり、いつもこのように毎週日曜日に参加されているのではないでしょうか?


あるいは、ここに直接来られない方は、少なくとも今この生放送を聴いているか、あるいは後で時間がある時に、・・・今、用事がある人もいるでしょうから、そのような方はまた後で動画を見ながら、私たちと一緒に礼拝を行っているのです。

これが本当です。


銃と剣、独裁者の悲劇


銃と剣で集まった人々、銃と剣で統制するのは偽物です。偽物です。


だから独裁者は常に不安なのです。だから独裁者は常に粛清をしなければならないのです。

今の習近平を見てください。軍部の粛清を続け、続け、続けて行っています。自分が選んだ人まで粛清しています。信じることができないから。

「あの人はもしかして別の考えを持っていないか?」やったかどうかは分からないが、やった可能性もあるから、とりあえず排除しておこう。これが独裁者が常に不安なのです。不安です。


独裁は簡単そうですが、実は難しいのです。人を信じられないから。人を信じることができないから。

それが、神様とサタンの違いです。

神様は人を信じます。数十万年かかるが、結局はこの子たちが正気に戻って私の元に戻ってくるだろうと信じるのが神様です。

逆にサタンは、数十万年経ってもまだ信じられないのが人間だ。この人たちがいつ私を裏切って神様のところに行くか分からない。このように常に不安なのが天使長です。そうですね。


だから法律を作り、銃をたくさん持ち込み、剣をたくさん持ち込み、銃と剣の縁で政権を生かそうとするのが、それがサタンの悲劇です。それが独裁者たちの悲劇だということを、私たちは言うことができます。

こうしたことを私たちがはっきりと知り、そして私たちが常に心情で心情の縁で生きていくことが重要です。私はそう見ています。

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